第十二話 残された設計図
髪を切ってから、
家の中の音がよく聞こえるようになった。
テレビの音。
食器の擦れる音。
階段のきしみ。
どれも、
前からあったはずのものだ。
ただ、
今までは聞こえていなかった。
雪乃は
廊下の奥へ向かう。
使われていない部屋。
鍵は、
かかっていなかった。
開けると、
空気が違う。
古い紙の匂い。
機械の冷えた匂い。
雪乃は、
足を止める。
そこは、
物置だった。
……ということに、
なっている部屋。
壁際に、
段ボールが積まれている。
どれも、
丁寧に番号が振られていた。
雪乃は、
一つだけ開ける。
中には、
書類。
専門用語が多い。
意味は、
すぐには分からない。
ただ、
繰り返し出てくる言葉がある。
「再構成」
「移行」
「個体差の補正」
ページをめくる。
図表。
データ。
そして、
写真。
制服姿の少女。
整えられた髪。
正面を向いた顔。
——夏乃。
雪乃は、
写真を伏せない。
壊しもしない。
ただ、
見ている。
その下に、
別の紙が挟まっていた。
手書きのメモ。
父の字だ。
几帳面で、
感情のない字。
「肉体は、
いずれ限界が来る」
雪乃は、
静かに読み進める。
「だが、
記録は残せる」
「更新され続ける場所なら、
失われない」
電子。
ネットワーク。
保存。
雪乃は、
ようやく理解する。
これは、
慰めではない。
喪失を受け入れるための
資料でもない。
計画だ。
「同一性は、
観測によって補完できる」
「必要なのは、
継続的な反応」
「選ばれ続ける構造」
雪乃の背中が、
少しだけ冷える。
ページの端に、
赤いペンで書き込みがある。
「代替個体は不要」
その下。
「ただし、
同一条件下での比較用として
存在は維持する」
雪乃は、
紙を閉じる。
呼吸は、
乱れない。
怒りも、
悲しみも、
今は来ない。
ただ、
分かった。
この家では。
——死は、
終わりじゃなかった。
失われた娘は、
「戻す対象」だった。
しかも、
電子の海へ。
更新され、
観測され、
消えない場所へ。
雪乃は、
自分の髪に触れる。
短い。
もう、
同じ形じゃない。
同じである必要も、
ない。
彼女は、
書類を元に戻す。
箱も、
閉じる。
証拠を持ち出さない。
暴露もしない。
これは、
今すぐ壊す話じゃない。
壊してしまえば、
次の計画が見えなくなる。
廊下に戻る。
居間では、
父がテレビを見ている。
画面には、
明るいニュース。
未来の話。
雪乃は、
声をかけない。
父も、
こちらを見ない。
それで、
成立している家だった。
自分が、
何だったのか。
もう、
はっきりした。
比較用。
予備。
調整役。
そして、
計画が失敗したときの
保険。
雪乃は、
玄関へ向かう。
今日は、
まだ出ていかない。
だが、
戻らないことは決まった。
電子の海に行ったのは、
夏乃だけじゃない。
——この家も、
とっくに
人の世界から外れていた。
雪乃は、
靴を揃えながら思う。
次にこの闇が
動き出すとき。
それは、
別の形を取る。
今度は、
誰かを「作る」ために。
そのとき、
自分は
ここにはいない。
それだけが、
救いだった。




