冒頭
七村は、
北藪について何も知らなかった。
名前も、
事情も、
思い出せるほどの関わりもない。
同じ学校に通っていた、
ただそれだけのはずの存在だった。
その日、
帰り道で出会った。
声をかけたわけでも、
待ち合わせたわけでもない。
校門を出たところで、
歩く方向が同じだと分かって、
そのまま並んで歩き始めただけだった。
気まずさを処理する言葉は、
どちらにもなかった。
会話はほとんどない。
沈黙のほうが長い。
それでも、
歩調は自然に揃っていた。
横にいるはずの気配が、
ときどき、
ほんのわずかに遅れる。
立ち止まるほどではない。
振り返る理由にもならない。
ただ、
そこに「いる」と思うには、
少しだけ薄い。
七村は、
その感覚を不安だとは思わなかった。
理由を探すほどのことでもなく、
確かめる必要も感じなかった。
途中、
相手がこちらを見た気がした。
何か言おうとしたのかもしれないし、
最初からそんな気配は
なかったのかもしれない。
七村は、
自分から何かを言うことはなかった。
名前を呼ぶ理由が、
どこにも見当たらなかったからだ。
家が近づき、
歩調がずれる。
そのまま、別れた。
振り返らなかった。
それきり、
二度と会うことはなかった。
後になってから、
七村は思い返す。
あの帰り道は、
何かが始まった時間ではなかった。
ただ、
通り過ぎるはずのものと、
並んで歩いてしまっただけだ。
七村は、
その違和感に名前を与えなかった。
与えないほうが、
世界は静かなままでいられる。
七村は、
そういう選び方をする人間だった。




