表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この顔が誰のものか君は知らない  作者: 水鷺ケイ
第一章:もう返せなくなった”顔”
7/42

第七話 静寂は兆し

何も聞こえない森ほど、異常な場所はない。


小さな村の危機。


今回は「音のなさ」から始まる、生態の異変を描いています。

動物も、魔物も、人も、生きるために動いている──

そのなかで、何を守り、何を変えるべきか。


主人公が知識と観察で“真実に触れる”一話です。

朝、ギルドを出てから丸一日歩いた。

道中は妙に静かだった。鳥のさえずりも獣の気配も薄く、森の中を進んでいても耳に届くのは自分の足音と風の音ばかり。

まるで森全体が、何かを恐れて沈黙しているかのようだった。

途中、川を渡り、獣道のような山道を進み、陽が傾きかけた頃、ようやく目的の村が見えてきた。


柵に囲まれた小さな村──エルム村。かつては狩猟民の拠点だったが、近年になって定住者が増え、今では十数軒の家が立ち並ぶ小規模な農村として扱われている。それでも物資や資金には乏しく、ギルドへの依頼ひとつにも頭を悩ませる有様だ。風に揺れる洗濯物と、うっすら漂う獣のにおいが、ここが“人の営み”の場であることを示していた。


(あれが俺が向かう依頼の村──エルムか)


俺は一歩、柵の影に身を潜めてから全体を観察した。

昼だというのに人の気配が薄い。家畜の鳴き声ひとつ聞こえない。


ゆっくりと門へと歩みを進めると、先にこちらへ気づいたのは、納屋の影から顔を出した少年だった。目が合うなり、彼は何かを叫ぶようにして家の中へ駆け込む。


その直後、一本の槍が俺の前に突きつけられた。


「待て、お前……旅の者か?」


槍の持ち主は、粗末な革鎧を着た若い男だった。ぎこちない構えだが、真剣な眼差しだった。


「ああ。俺がギルドで受けた依頼だ。家畜の失踪調査だな」


俺はギルドの木札を見せる。安価な“調査案件”扱いの札だった。男はそれを見て、少し安堵したように槍を下ろす。


やがて、少し遅れて壮年の男が姿を現した。周囲を見回しつつ、若者に声をかける。


「おい、リューク。来客があったか?」


「はい。ギルドから来たそうです」


その声を聞いた男──村長のマルクは、ナナシに視線を向けた。


「……よく来てくれた。すまない、少し物騒な空気だったろうが、この村じゃ外の人間をそう簡単には信用できなくてな。俺が村長のマルクだ。」


もともとエルム村は、狩猟民の拠点として外部と交わらずに成り立っていた歴史がある。定住が進んだ今も、村人たちの間にはよそ者への警戒心が根強く残っていた。


男が槍を下げると、奥から何人かの村人たちも顔を出す。皆一様に疲れていた。眠れていないのだろう。


「詳しく話を聞きたい。中へ入ってくれ」


俺は頷き、案内された納屋の一角へ足を踏み入れる。

干し草の上に置かれた粗末な椅子。その前に腰を下ろした村長が、深いため息をつく。


「十日ほど前から、飼っていたヤギやニワトリが次々にやられた。柵を越えて入った形跡はないのに、朝になると姿が消えてる。今朝は血痕まで残ってた」


「人の仕業では?」


「ならまだ希望がある。だが……襲われ方が妙だ。食われた痕もあるし、血の跡は柵の外まで続いていた」


「何か見た者は?」


 村長は首を横に振る。


「夜に物音がして外に出た者もいたが、暗くて何も見えなかったそうだ。ただ……何かが飛んだような音を聞いたという者もいる」


(飛んだ音……)


俺は記憶の中の魔物の分類を探る。地を這うものではなく、飛行型の魔物。

だが、まずは現場を見てからだ。


「案内してくれ。柵と、最後に襲われた場所を」


村長が立ち上がる。外に出た時、見張りの少年がじっとナナシを見つめていた。敵意はない。ただ、どこか……祈るような目だった。


俺は村長と共に、柵の裏手へと歩く。草は踏み荒らされており、ところどころに灰黒色の羽根が落ちていた。その中には血のついたものも混じっていた。


(飛行能力を持つ魔物……だが、獣のような力任せの荒々しさはない)


血の跡が柵の外へと続いており、所々に羽ばたいて飛び立った際のかすかな爪痕が残されている。


俺は跪き、羽を一枚拾い上げる。


この量の羽……村の誰かが気づかないはずがない。


(……これだけ落ちてれば、本当は何が襲ってきていたか、分かっていたんじゃないか?)


艶のない灰黒色の羽は、俺の記憶にある魔物のそれに酷似していた。


「……シャイニックか」


東方の高地や岩場、水辺に生息する中〜大型の夜行性魔鳥。主に川魚や、水を飲みに来た小動物を狩る。

飛行能力に優れ、高所からの急降下で獲物を襲う。鋭い嘴と脚の爪は、ヤギ程度の獣でも容易に仕留める力を持つ。

普段は人里には降りてこないが、長く餌にありつけない状況が続くと、家畜や人間を襲った例も報告されている。

火や光に対する警戒心はあるが、飢餓状態になると抑えが利かなくなる。

このあたりで目撃されるのは稀だが、羽根の特徴から見て、間違いなくシャイニックだろう。

だが、彼らはこの辺りに出没する種ではない。


(本来の生息地──岩場近くの水辺が干上がったのかもしれない)


俺は風向きを確かめると、森の奥、東にある岩場の方角へ目を向けた。そこは以前、シャイニックの狩場となっていた水場がある場所だった。


道中、谷を越えるあたりで見た綿花畑──白い綿が広がっていたのを思い出す。村の規模にしては不自然なほどの規模だった。


(……あれだけの栽培には、相当な水がいる。川の流れを引き込んでいたとしたら……)


水場が枯れたのはごく最近のことだろう。原因は、人間が始めた綿花の栽培──大量の水を必要とする作物だ。


(……村の畑、綿が植えられていたな。水を引いたのは、あの川か)


代わりに、村長の方を見て口を開く。


「ひとつ、聞いておきたい。村では、最近になって綿花の栽培を始めたのか?」


村長は驚いたように目を瞬かせた後、ゆっくりと頷いた。


「……ああ。交易の商人に勧められてな。水は川から引いている。畑も増やしている最中だ」


「このあたりで、昔は猟場だったような場所──特に川の近くに、水場とかはなかったか?」


村長は少し考えたあと、思い出したように口を開いた。


「……ああ、あったな。岩場の下に小さな流れがあって、昔は獣が水を飲みに来てた。よく罠を仕掛けてたもんだ。最近はもう行ってないが……」


「そこに、今は水が流れていない可能性があるんだろう」


「水を大量に引けば、下流の流れが変わる。狩場を奪われた魔物が、飢えて人里に降りてくる……そういう話だ」


村長はしばらく黙ったまま、目を伏せた。


その後、納屋の前で何人かの村人たちとすれ違った。

ふと、俺は問いかける。


「最近、他に変わったことはなかったか? たとえば、猟の成果が落ちたとか」


すると、一人の中年の男が肩をすくめた。


「成果どころか、ここ半月ばかりまともに獲物を見てねぇよ。山に行っても、足跡すら見つからん。ウサギ一匹捕れない日が続いててな。昔は簡単に仕留められた場所でも、今じゃ鳴き声すらしない」


「……食料はどうしてる?」


「干し肉の備蓄があるにはあるが、そろそろ底をつく。今は家畜と畑頼みだな」


村人の口調は淡々としていたが、その奥に滲む疲労と焦りは隠しきれていなかった。


(野生動物すら姿を消している……。水場を中心に生態系そのものが崩れかけてる)


人の営みが、魔物の狩場を奪った。そして生態系を崩し──その結果が、今の被害に繋がっている。


(……これ以上家畜を失えば、次は人だ。もう手を打たねばならない)

第七話、お読みいただきありがとうございました。


この回では、主人公が“異変の本質”を突き止める姿を描きました。

魔物が人里に降りてきた理由は、ただの脅威ではなく、

人間の営みがもたらした因果でした。


戦うことなく真相にたどり着く──

非力でも、見抜く力があれば何かを変えられるかもしれません。


もしよろしければ、評価やブックマークで応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ