第七話 静寂は兆し
何も聞こえない森ほど、異常な場所はない。
小さな村の危機。
今回は「音のなさ」から始まる、生態の異変を描いています。
動物も、魔物も、人も、生きるために動いている──
そのなかで、何を守り、何を変えるべきか。
主人公が知識と観察で“真実に触れる”一話です。
朝、ギルドを出てから丸一日歩いた。
道中は妙に静かだった。鳥のさえずりも獣の気配も薄く、森の中を進んでいても耳に届くのは自分の足音と風の音ばかり。
まるで森全体が、何かを恐れて沈黙しているかのようだった。
途中、川を渡り、獣道のような山道を進み、陽が傾きかけた頃、ようやく目的の村が見えてきた。
柵に囲まれた小さな村──エルム村。かつては狩猟民の拠点だったが、近年になって定住者が増え、今では十数軒の家が立ち並ぶ小規模な農村として扱われている。それでも物資や資金には乏しく、ギルドへの依頼ひとつにも頭を悩ませる有様だ。風に揺れる洗濯物と、うっすら漂う獣のにおいが、ここが“人の営み”の場であることを示していた。
(あれが俺が向かう依頼の村──エルムか)
俺は一歩、柵の影に身を潜めてから全体を観察した。
昼だというのに人の気配が薄い。家畜の鳴き声ひとつ聞こえない。
ゆっくりと門へと歩みを進めると、先にこちらへ気づいたのは、納屋の影から顔を出した少年だった。目が合うなり、彼は何かを叫ぶようにして家の中へ駆け込む。
その直後、一本の槍が俺の前に突きつけられた。
「待て、お前……旅の者か?」
槍の持ち主は、粗末な革鎧を着た若い男だった。ぎこちない構えだが、真剣な眼差しだった。
「ああ。俺がギルドで受けた依頼だ。家畜の失踪調査だな」
俺はギルドの木札を見せる。安価な“調査案件”扱いの札だった。男はそれを見て、少し安堵したように槍を下ろす。
やがて、少し遅れて壮年の男が姿を現した。周囲を見回しつつ、若者に声をかける。
「おい、リューク。来客があったか?」
「はい。ギルドから来たそうです」
その声を聞いた男──村長のマルクは、ナナシに視線を向けた。
「……よく来てくれた。すまない、少し物騒な空気だったろうが、この村じゃ外の人間をそう簡単には信用できなくてな。俺が村長のマルクだ。」
もともとエルム村は、狩猟民の拠点として外部と交わらずに成り立っていた歴史がある。定住が進んだ今も、村人たちの間にはよそ者への警戒心が根強く残っていた。
男が槍を下げると、奥から何人かの村人たちも顔を出す。皆一様に疲れていた。眠れていないのだろう。
「詳しく話を聞きたい。中へ入ってくれ」
俺は頷き、案内された納屋の一角へ足を踏み入れる。
干し草の上に置かれた粗末な椅子。その前に腰を下ろした村長が、深いため息をつく。
「十日ほど前から、飼っていたヤギやニワトリが次々にやられた。柵を越えて入った形跡はないのに、朝になると姿が消えてる。今朝は血痕まで残ってた」
「人の仕業では?」
「ならまだ希望がある。だが……襲われ方が妙だ。食われた痕もあるし、血の跡は柵の外まで続いていた」
「何か見た者は?」
村長は首を横に振る。
「夜に物音がして外に出た者もいたが、暗くて何も見えなかったそうだ。ただ……何かが飛んだような音を聞いたという者もいる」
(飛んだ音……)
俺は記憶の中の魔物の分類を探る。地を這うものではなく、飛行型の魔物。
だが、まずは現場を見てからだ。
「案内してくれ。柵と、最後に襲われた場所を」
村長が立ち上がる。外に出た時、見張りの少年がじっとナナシを見つめていた。敵意はない。ただ、どこか……祈るような目だった。
俺は村長と共に、柵の裏手へと歩く。草は踏み荒らされており、ところどころに灰黒色の羽根が落ちていた。その中には血のついたものも混じっていた。
(飛行能力を持つ魔物……だが、獣のような力任せの荒々しさはない)
血の跡が柵の外へと続いており、所々に羽ばたいて飛び立った際のかすかな爪痕が残されている。
俺は跪き、羽を一枚拾い上げる。
この量の羽……村の誰かが気づかないはずがない。
(……これだけ落ちてれば、本当は何が襲ってきていたか、分かっていたんじゃないか?)
艶のない灰黒色の羽は、俺の記憶にある魔物のそれに酷似していた。
「……シャイニックか」
東方の高地や岩場、水辺に生息する中〜大型の夜行性魔鳥。主に川魚や、水を飲みに来た小動物を狩る。
飛行能力に優れ、高所からの急降下で獲物を襲う。鋭い嘴と脚の爪は、ヤギ程度の獣でも容易に仕留める力を持つ。
普段は人里には降りてこないが、長く餌にありつけない状況が続くと、家畜や人間を襲った例も報告されている。
火や光に対する警戒心はあるが、飢餓状態になると抑えが利かなくなる。
このあたりで目撃されるのは稀だが、羽根の特徴から見て、間違いなくシャイニックだろう。
だが、彼らはこの辺りに出没する種ではない。
(本来の生息地──岩場近くの水辺が干上がったのかもしれない)
俺は風向きを確かめると、森の奥、東にある岩場の方角へ目を向けた。そこは以前、シャイニックの狩場となっていた水場がある場所だった。
道中、谷を越えるあたりで見た綿花畑──白い綿が広がっていたのを思い出す。村の規模にしては不自然なほどの規模だった。
(……あれだけの栽培には、相当な水がいる。川の流れを引き込んでいたとしたら……)
水場が枯れたのはごく最近のことだろう。原因は、人間が始めた綿花の栽培──大量の水を必要とする作物だ。
(……村の畑、綿が植えられていたな。水を引いたのは、あの川か)
代わりに、村長の方を見て口を開く。
「ひとつ、聞いておきたい。村では、最近になって綿花の栽培を始めたのか?」
村長は驚いたように目を瞬かせた後、ゆっくりと頷いた。
「……ああ。交易の商人に勧められてな。水は川から引いている。畑も増やしている最中だ」
「このあたりで、昔は猟場だったような場所──特に川の近くに、水場とかはなかったか?」
村長は少し考えたあと、思い出したように口を開いた。
「……ああ、あったな。岩場の下に小さな流れがあって、昔は獣が水を飲みに来てた。よく罠を仕掛けてたもんだ。最近はもう行ってないが……」
「そこに、今は水が流れていない可能性があるんだろう」
「水を大量に引けば、下流の流れが変わる。狩場を奪われた魔物が、飢えて人里に降りてくる……そういう話だ」
村長はしばらく黙ったまま、目を伏せた。
その後、納屋の前で何人かの村人たちとすれ違った。
ふと、俺は問いかける。
「最近、他に変わったことはなかったか? たとえば、猟の成果が落ちたとか」
すると、一人の中年の男が肩をすくめた。
「成果どころか、ここ半月ばかりまともに獲物を見てねぇよ。山に行っても、足跡すら見つからん。ウサギ一匹捕れない日が続いててな。昔は簡単に仕留められた場所でも、今じゃ鳴き声すらしない」
「……食料はどうしてる?」
「干し肉の備蓄があるにはあるが、そろそろ底をつく。今は家畜と畑頼みだな」
村人の口調は淡々としていたが、その奥に滲む疲労と焦りは隠しきれていなかった。
(野生動物すら姿を消している……。水場を中心に生態系そのものが崩れかけてる)
人の営みが、魔物の狩場を奪った。そして生態系を崩し──その結果が、今の被害に繋がっている。
(……これ以上家畜を失えば、次は人だ。もう手を打たねばならない)
第七話、お読みいただきありがとうございました。
この回では、主人公が“異変の本質”を突き止める姿を描きました。
魔物が人里に降りてきた理由は、ただの脅威ではなく、
人間の営みがもたらした因果でした。
戦うことなく真相にたどり着く──
非力でも、見抜く力があれば何かを変えられるかもしれません。
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