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この顔が誰のものか君は知らない  作者: 水鷺ケイ
第一章:もう返せなくなった”顔”
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第五話 仮初めの生活

新しい朝。

命が繋がったこの世界で、“俺”は初めて街を歩いた。


第五話では、これまで触れることのなかった「人間の暮らし」を静かに見つめる時間を描いています。

痛みを隠しながら、それでも装備を整え、街に出る。

助け合い、笑い合い、日常を生きる人々の姿に触れて──“俺”の中に、知らなかった感情が芽生え始めます。


これは、まだ偽物のままの心が、少しずつ本物になっていく、その最初の一歩です。

ローデンの街に朝日が差し始める頃、俺はギルドの休憩室を後にした。


昨夜の出来事がまだ胸に残る。ハルトの言葉、笑顔、そして“リオ”として受け取った仲間たちのぬくもり。

けれど、俺の心にはまだ決着がつかない重さもあった。


(これは、借りた顔で触れた優しさだ……)


けど──それでも、今は守らなきゃいけない“何か”がある。


ギルドの建物を出た瞬間、朝の空気が肌に触れる。

冷たいというより、ただ新鮮だった。


(さて、まずは装備をどうにかしないと)


纏っていた外套は焼け焦げ、鎧の継ぎ目には血の跡が染み付いていた。

もう一度これを着て歩けば、さすがに周囲の目を引く。


俺は人気の少ない路地に入り、荷物をまとめていた木箱の中をあらためた。

幸い、リオが持っていた替えの衣服が一着だけ残っていた。


休憩室で一度体を拭き、服を着替えた。


──そのとき、ふと鏡に映った自分の体に目が止まった。


(……これは)


剣帯の下、腹部の皮膚がわずかに歪んでいた。

細い裂け目が一本。血は出ていない。

でも、それが“致命傷”だったことは、リオの記憶が教えてくれた。


(この体は……見た目だけでできてる)


皮膚も筋肉も、形だけを模したもの。

剣を支えるには十分に“見える”が、中身はまるで空っぽだった。


(……この傷は、絶対に見られちゃいけない)


俺は慌てて布を巻いた。リオが持っていた予備の包帯で、傷を隠すように体を締める。


(しばらくは……こうしてごまかすしかない)


装備を整えた俺は、静かに街へと出た。


舗装された道。活気ある市場の声。

人々は誰もが自分の用事に集中し、俺の姿を特別視する者はいない。


(この空気、慣れてきたようで……まだどこか落ち着かない)


道の端で老婆が立ち止まっていた。

重たそうな荷物を抱えて困っているのを見た少年が、迷いもなくその手を貸した。


(……手を差し伸べる? それが……“普通”の世界なのか)


魔界では、力を持つ者がすべてを奪い、弱者はただ沈黙するしかなかった。

俺は魔力が強すぎるせいで常に狙われ、幼い頃から“隠れて生きる”ことだけが日常だった。


思い出すのは、いつも逃げていた記憶ばかりだ。

姿を変え、匂いを消し、気配を殺し、眠るのも命懸け。


(俺の“子供時代”なんて呼べるものがあったとしたら、それはきっと……)


ただ、恐怖から逃れるためだけの時間だった。


(俺が、こんな世界に足を踏み入れるなんてな)


市場の一角で子どもたちがひとつの大きなパンを分け合っていた。

手を伸ばし合いながら、時にふざけて押し合い、笑い合っている。


(取り合うんじゃない……“分け合う”ことで、こんなにも笑えるのか)


さらに進んだ先の路地では、楽器を手にした青年が楽しげに演奏していた。

その音色に足を止めて見入る親子、手拍子を打つ子ども。


(音を、ただ“楽しむ”なんて……魔界じゃ、ありえなかった)


道ばたでは花を売る少女が声を張り上げ、別の男が台車を押しながら威勢よく声を上げていた。

皆が、何かを売り、何かを求め、それでも穏やかに交差していく。


(リオの記憶にある“人間の暮らし”とは、まるで別物だ)


リオの記憶では、貴族の家の中で“正しくあること”が教え込まれていた。

背筋を伸ばす姿勢、手の添え方、言葉遣いに至るまで、まるで“人形”のように徹底された教育だった。

子ども同士で笑い合うような自由は、そこにはなかった。


けれど、それがどれほど“人間らしさ”から遠ざけられていたか──今なら少し、わかる気がする。


(リオの過去が正しいとも、俺の過去が異常だったとも、一概には言えない)

(でも、少なくとも──俺はこの空気のほうが、すこしだけ好きかもしれない)


俺は一軒の武具屋に入った。

中にはすでに何人かの冒険者がいて、品定めをしている。


「おお、リオじゃねぇか。装備、見に来たのか?」


顔見知りらしい、屈強な店主の男がごつい腕を組みながら声をかけてきた。


「少し、買い足したくてな」


そう答えながら、俺はリオの記憶をなぞる。

彼は暴力的な性格で、何かあれば力で押し切るタイプだった。

だが今の俺は──違う。


(剣なんて、振るいたくない。……けど、備えは必要だ)


「最近、装備の趣向変わったな。もっと重いの好んでたろ?」


「少し考えが変わってな。……慎重に動くことにしたんだ」


それを聞いた店主は、ふっと顎をさすった。


「……そうか。ま、誰でもそうなるさ。仲間を失ったり、痛い目見りゃな」


俺は何も言わず、黙ってうなずいた。


(この“変化”も、あの出来事があったからこそ、と思われるのか)


都合がいい話だが、今はそれで助かっている。


──この世界にいる限り、暴力に頼らないためには、暴力を備える必要がある。


それが、この世界の“ややこしさ”だった。


けれど、それでも──


(この生活は、仮初めでも──今の俺の世界だ)


今は、まだ。それでもきっと、そう遠くない未来には。


俺の中で、何かが本物に変わっていく気がしていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


第五話では、“俺”が街の空気に触れ、人の営みの中で初めて「日常」を観察する姿を描きました。

パンを分け合う子どもたち、荷物を支える手、交差する笑い声──それらは、かつての“俺”には存在しなかった世界です。


同時に、リオという男が辿った厳格な日々──貴族としての振る舞いを叩き込まれた冷たい日常──とのギャップも描いてみました。

“人らしさ”とは何か、その答えを持たないまま、彼は仮初めの世界に立ち尽くします。


けれど、それでも──この優しさに包まれた空気の中に、自分の居場所があるかもしれない。

そんな“予感”が、彼の歩みに静かに灯りをともします。


次回も、どうぞ見守ってください。

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