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この顔が誰のものか君は知らない  作者: 水鷺ケイ
第二章「偽りの残響」
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第三十七話 何者でもないものとして

金属の軋む音と共に、厚い鉄扉が開かれた。無骨な鎧を纏った兵士たちが、規律正しく列を成して施設内へと踏み入る。王家直属の調査団──クラヴィス家の紋章を帯びた者たちが現場に到着したのだ。


彼らを先導するのは、ギルド長カイル。状況を整理する間も惜しみ、ミオの報告を受けて即座に王家へ連絡を入れていた。


「ここが……件の研究施設か」


調査団長と思しき男が低く唸る。白髪交じりの口髭をたくわえ、静かな怒気を纏っていた。


研究員たちはすでに捕らえられ、兵士の一団に囲まれて床に膝をついている。その隣では、警備員らしき男が殴られたらしい顔で呻いていた。逃げようとした末の自業自得だった。


拘束された彼らを前に、調査団の文官が順次事情聴取を始める。だが、言い訳や沈黙ばかりが並ぶ中、別棟から上がった悲鳴が一行の空気を一変させた。


「隊長!こちらへ……これは……!」


慌てた足音の先、開かれた扉の中には、思わず目を覆いたくなる光景が広がっていた。


豪奢な内装の部屋。その片隅で縛られた少女たちが震えている。ベッドの上では、貴族風の青年が無様な姿で拘束されていた。荒い呼吸と歪んだ笑みを浮かべたその顔は、デズモンドの長男──クラウス・フィルブラム、その人だった。


「何をしていたか……聞くまでもないな」


調査団長が吐き捨てるように言った。部屋の一角には、用途不明の器具、破られた衣服、血のような染みが散らばっていた。


ミオは唇を噛みしめ、視線を逸らす。少女たちはすぐに保護され、魔術師のひとりが精神安定の術式を施していた。


「これが……“再教育”の実態、というわけか」


どこからともなく誰かが呟いた。


デズモンドの施設であり、彼の息子がこれほどの行為を“日常”としていたという事実は、それだけで十分すぎる証拠だった。


「全棟を封鎖し、記録媒体と書類を押収せよ。関係者全員を拘束。反抗する者は問答無用で鎮圧する」


調査団長の一言で、施設は完全に掌握された。その命令の下、確実に“真実の回収”が始まっていく。


騒然とする現場の中、ミオは忙しなく動き回っていた。被害者の少女たちの保護、拘束された者の確認、そして調査団からの質疑応答──すべてが目まぐるしく過ぎていく。


ふと、ミオは辺りを見渡して、眉をひそめた。


「……リオは?」


思わず漏れた疑問に、隣にいたセラがちらりと視線を寄越す。


「ん? ああ、あいつなら……たぶん、また一人でどこかへ──」


「違うの」


ミオの声が鋭く割り込んだ。セラは驚いたように目を瞬かせる。


「あのとき、何かが変だったの。暴れていた人が、急におとなしくなった。声もなく、呪文もなく、何かが……沈んでいくように」


記憶の中で、あの光景が蘇る。暗がりの中、暴れ狂っていた変異体が、唐突に沈黙したその瞬間。理屈では説明できない、異質な静けさがあった。


そのとき、リオはこちらを見ていた。無言で、何かを語るような目で──。


「ミオさん、変異体の行方ですが、記録が混乱していて……」


調査官の声に我に返る。ミオは少しだけ間を置き、首を横に振った。


「……気づいた時には姿が見えませんでした。保護された中に含まれていた可能性もあります。名簿との照合を進めてください」


過不足のない言葉を選びながらも、ミオの胸中には落ち着かぬ思いが渦巻いていた。


彼の正体も、その力も、そしてあの背中も──胸に刺さるように残っている。


(……どうして、何も言わずに姿を消したの)


喉の奥に言葉が詰まり、目を伏せた彼女の中に残るのは、拭えぬ疑念と、行き場のない孤独感だった。


森の奥、湿った落ち葉を踏みしめながら、一人の影が歩いていた。陽はすでに高く、鳥のさえずりがどこか遠く響いている。


リオ――その姿はすでに戦いの痕を留めず、無表情のまま歩みを進めていた。


やがて一本の大樹の根元に腰を下ろす。背に当たる樹皮が乾いた音を立てる。


「……助けられて、良かったのか。いや、助けてしまった、か」


ぽつりとこぼれた声は、誰に向けたものでもなかった。


目を閉じれば、変異体となった者たちの苦悶の表情が浮かぶ。


「どうして……自分は、あそこにいたんだろう」


人として生きて、人を救おうとして、けれど──自分は、人ではない。


手のひらを見る。そこにある温もりも、呼吸の鼓動も、借り物にすぎない。


「……これが、望んだ“存在”なのか?」


問いかけに応える声はない。ただ森の風だけが、枝葉を揺らしていた。


リオは目を開け、空を仰ぐ。木漏れ日が降り注ぎ、彼の輪郭を柔らかく照らす。


そして、風がひときわ強く吹いたその瞬間。そこにいたはずの彼の姿が、揺らぐように滲んだ。


一陣の風とともに、リオの姿は森の景色に紛れ、消えていった。


名もなき者が、“何者でもないもの”へと還っていく。




二章完結です。本当はこのまま間話〜三章の予定でしたが、しばらく執筆の時間が取れないので、一旦ここで完結とします。最後まで読んで戴きありがとうございました。反響があればいつか再開するかも、、、

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