第三十五話 この夜に終止符を
夜が完全に降りていた。
街灯の灯りが届かぬ川沿いの土道を、リオは足音を殺しながら進んでいた。
追跡してきた馬車の列。そのうちの一台が、裏手の崖沿いに姿を消していた。
積荷の音、車輪の揺れ、そして不自然な空間の間──それらの微細な違和感をつなぎ合わせ、リオは“地下施設”の存在を確信していた。
地面に手をあて、耳を澄ます。
──振動。
確かに、何かが動いている。
通気のためのわずかな隙間、川の湿気を帯びた空気の流れ、そのすべてが“何か”があることを物語っている。
そのとき、小走りに近づく足音。
振り返ると、ミオ、セラ、そしてライネルが現れた。
ライネルは肩に小ぶりな袋を下げ、素早く周囲を見渡す。
「裏手には監視らしき人影なし。搬出に使われた痕跡は確かにあるが、今は動きはない」
「よし、情報は十分だ。あとは中を確かめるだけだな」
リオの言葉に、ライネルは無言で頷いた。
「見つけたの?」
ミオが息を整えながら問いかける。
「……ああ。ここに、何かがある」
リオはそう言って、足元の土を蹴った。
「隠された搬入口か、あるいは地下通路の出入り口だ。警備も薄い。今なら、入れる」
「じゃあ、合図を送ってギルドに──」
セラが言いかけた瞬間、リオは小さく首を振った。
「連絡は後でもできる。魔道具は持たされてる。今は中を確かめたい」
その言葉に、ミオがわずかに目を見開いた。
「……じゃあ、私も行く」
「私はどうする?」
「ここで待機して。誰かが出てきたら合図を。あと、外から出入り口を封じる準備も頼む」
セラは一拍の後、頷いた。
「俺も残る」
ライネルが短く言い添えた。
「セラを一人にするのは危険だ。ここで二手に分かれて警戒したほうがいい」
リオは彼の判断を受け入れるようにうなずいた。
セラがリオたちに向かって微笑む。
「わかった。気をつけて……お互いにね」
リオとミオは、岩陰に隠れた小さな裂け目を潜り抜ける。そこには、想像以上に整備された“施設”の匂いがあった。
石と金属の匂い、薬品の刺激臭、そして──血の匂い。
壁に埋め込まれた導管が、淡く脈打つ光を放っている。それが人工の施設であることを、無言で証明していた。
リオは奥へと進みながら、胸の奥で静かに誓った。
──止める。この場所を、終わらせる。
ただの怒りではなく。
そこにあるのは、名もなきものたちの声なき願いを背負った、確かな意思だった。
*
通路の先には、いくつもの扉が並んでいた。
重厚な金属扉、観察用の小窓、そして開閉の際にわずかに鳴る機構音。
ミオは慎重に視線を巡らせ、ひとつの扉の隙間を覗いた。
「……ここ、中に誰かいる」
小さく囁いた声に、リオも覗き込む。
そこには、無表情のまま並ばされる数人の若者の姿があった。
目に光はなく、命の気配も薄い。
「処置待ち……か」
リオは低く呟く。
その瞬間、一人の少年が機械的に振り返った。表情は空白のまま。
警報を鳴らすのではなく、まるで“呼吸するように反応する”訓練を受けた反射。
「来るぞ」
リオは即座に扉を押し開き、中へ踏み込む。ミオも続く。
扉の奥では、異変に気づいた職員数名が浮き足立っていた。
そのうちの一人が魔道具に手を伸ばした瞬間、リオの目が鋭く光った。
「……飛べ」
リオの口から短く声が漏れた次の瞬間、小さな風の渦が彼の足元から巻き上がった。
《風牙のレミュール》──細身で灰色の体毛を持つ四足獣型モンスター。その特性は、風を纏い、物体を吹き飛ばす鋭利な圧風を生むこと。
リオはかつてそのモンスターの姿を擬態し、その特性を得ていた。
手をかざすと、魔道具を狙って放たれた風圧が鋭く職員の腕を打ち、魔道具を吹き飛ばす。
職員が呻き声を上げるよりも早く、ミオが横に並び、リオと背中を預け合うように構える。
「騒ぐな。俺たちは……止めに来た」
「いまさら“無かったこと”にはさせない」
その言葉に、職員たちは戸惑いと恐怖の入り混じった表情を浮かべる。
部屋の空気が変わった。
そのとき、通路の奥から硬い足音がひとつ、響いた。
現れたのは、白衣をまとった壮年の男だった。
年齢は五十代ほど、髪は整えられていたが、どこか感情のない瞳が印象的だった。
男は足を止めると、ミオたちを一瞥し、静かに眉をひそめた。
「誰かと思えば……見慣れぬ顔だな」
敵意も警戒も滲ませず、まるで“それすらも想定内”といった態度だった。
リオは一歩前に出る。
「これ以上、人を弄ぶな。ここで終わらせる」
男は眉をわずかに上げたが、それ以上は何も言わなかった。




