第四話 他所にあったぬくもり
名を呼ばれる。心配される。
そんな当たり前のようで、魔界では一度もなかった「ぬくもり」に、主人公は少しずつ触れはじめます。
借りた顔と名前に宿る、他者からのまなざし。
それは“誰かになりすます”という嘘を支える痛みであり、同時に初めて得た光でもあって──。
ローデンの街での一連の報告を終えた俺は、そのままギルド内にある酒場を抜けた先の休憩室で一息つくことにした。
喧騒の奥、薄暗い通路の先にあるその小部屋は、街の賑わいとは対照的なほど静かだった。
木の椅子に深く腰を沈める。体のあちこちが重い。
(……これで、ひとまずは終わった)
(どこまで、騙し通せるんだろうな)
扉の外では、誰かが笑っていた。酒場の方だろう。ギルドのいつもの風景。
けれど、それがまるで別世界の出来事のように感じられるのは、きっと“俺”がまだそこに馴染んでいないからだ。
コンコンッ
扉がそっと開く。
「リオ?」
不意に名前を呼ばれた。
振り返ると、そこには見覚えのある少女が部屋を覗き込んでいた。
小柄で、ボーイッシュな青髪をした冒険者──ハルト。
「いた!よかった。さっき戻ってきたって聞いたのに、なかなか見つからなくて」
「……ああ。少し、報告が長引いててな」
一瞬だけ記憶を探る。 かつて一度だけ臨時でパーティを組んだ、そんな距離感。 長い付き合いというわけではないが、少なくとも名前を呼び合う程度の関係性は築かれていた。
「無事で何より。ほんと、よく生きて帰ってきたね」
「……運が良かっただけだ」
「他のみんなは……?」
俺は、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
「……俺以外、戻ってこなかった」
ハルトは息を呑み、口元に手を当てた。
「……そっか」
それ以上は何も言わず、ふっと目を伏せたまま横に座る。
そして──話題を切り替えるように、少し明るい声で言った。
「覚えてる? 前に組んだときさ、あたしが様子を見たいから待ってって言ったのに、無視してモンスターの群れに飛び込んでさ。結局あたし達も戦わざるを得なくなって……なんとかなったけど、帰ってから、
あたし怒ったじゃん?けどリオは”倒せたんだからいいだろ”って、結局口論になって。機嫌悪くなったリオ自分の部屋に帰っちゃったし」
「……ああ、あったな」
「リオが居なくなったあとノワールが教えてくれたんだけど、実はこっちが隠れているのに気づいたモンスターを、リオがいち早く斬りかかったおかげで、あの程度で済んだって聞いて……朝になったら謝ろうと思ってたのに、朝会うなりリオから”昨日はごめん”って先を越されて……あたしすごい恥ずかしくなっちゃって!」
「……そんなだったかな」
フッと思い出すかのように俺の口角が上がる。その記憶は確かにリオの中にあった。俺はそこに居なかったのに、まるで自分が経験したかのように。
──不思議と本来の俺とリオの記憶がどんどん馴染んで曖昧になってきてる気がした。
「……なんだか、リオってば落ち着いたよね」
「そうか?」
「前はもうちょっと、こう……話してても刺があるというか。不器用というか。今は……なんか、棘が丸くなった感じ」
「……ちょっと大人になっただけだよ」
俺は誤魔化すように答えた。 ハルトは、ただ静かに頷いて微笑んだ。
「生きて帰ってきてくれてよかった。ほんとに」
その言葉に、俺は思わず視線を逸らした。
(……俺はリオじゃないのに)
けれど、その声には偽りがなかった。
俺は、それを信じたくなった。
──この名前は、借り物だ。
でも、今この瞬間だけは、その“借り物”が確かに俺の心を動かしている気がした。
ノワールとユリーナが出迎えてくれ、ハルトが寄り添うように”リオ”に声をかける。
その全てが、あまりにやさしかった。
(……魔界には、こんなものはなかった)
そこにあったのは、強者の牙と弱者の沈黙だけ。
勝者は笑い、敗者は笑われて死を待つだけ。
倒れた者は見捨てられ、労る者などいなかった。
なのに、ここでは──。
誰かが死ねば、誰かが悲しむ。
無事に帰れば、喜ばれる。
傷つけば、気遣われる。
(こんな感情を、誰かに向けてもらえる世界があるなんて)
肩に乗っていた重さは、まだそこにある。けれどそのすぐ隣に、あたたかさが芽吹いた気がした。
人の社会は面倒で、うるさくて、ややこしい。
それでも、こんな日でも、たった一言をもらうだけで ──この顔を手放したくなくなる。
助けられたと感謝してくれたセリナ姫、生きて帰ってきただけで喜んでくれたリオのかつての仲間。この顔は一時的な、その場しのぎのつもりだったが……
(なら、俺がやるべきことは──)
ほんの少しだけ、拳を握り直す。
その手がまだ震えていないことを確認して。
「また、クエスト行こうな」
ハルトと初めて目を合わせる。
「うん、よろこんで!けど、今はゆっくり休んでね」
ハルトが、んっしょと腰を上げて俺に別れを告げた。
扉が開くと外からまたギルドの連中の賑やかな声がこの狭い部屋に響き渡る。
静かに扉が閉じて、また静寂が戻ってくる。
(顔も、名前も、記憶も──何ひとつ、俺のものじゃない)
けど今ここで”顔”を捨ててしまえば、また誰かが悲しむことになる。一度は終わったはずの彼の人生を俺が勝手に引き継いでしまった以上、責任を持って真っ当するべきだと。
──初めはただ“人間”を被っただけのモンスターだった。 けれど今、その顔の下で──確かに何かが変わり始めていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
第四話では、“リオ”として生きる主人公が、仲間の記憶を通して「人のぬくもり」に触れる場面を描きました。
自分ではない“誰か”に向けられた優しさを、自分が受け取ってしまうこと。
それに迷い、戸惑いながらも、少しずつ“名を持つこと”の意味を知っていく──そんな回だったと思います。
全くの執筆初心者なぼくですが、いきなり長編になりそうな予感がして戦々恐々としてます……
第一章十二話くらいに留めたいと思いますが、どうなるやら……
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それでは、また次回にて。