第二十九話 灰の下に潜むもの
通気口の存在を確認したリオたちは、いったん宿へ戻り、作戦を練るためにそれぞれの情報を持ち寄った。
通気口の先に何があるかを確かめるのが最優先だという点では意見が一致したが、問題はその手段だった。実際に人が通れるサイズなのか。通った先に何があるのか。何より、そこが本当に〈運搬ルート〉なのかも定かではない。
「もし先に何か仕掛けがあったら……。いや、それより誰かが見張っていたら厄介だな」
ギルド職員である御者が地図を広げ、街の排気口や下水の構造と照らし合わせながら慎重に意見を述べた。ライネルが腕を組んでそれに頷き、セラは周囲の聞き込み結果を補足するように話す。
「昼間に見張りはいなかったけど、あまりジロジロ見てたら逆に怪しまれるよ。今度は暗くなってから、通気口の中を調べてみよう」
「俺が行く」
短く、リオが言った。即答だった。
誰もが一瞬口をつぐんだ。彼の目に宿るものが、冗談や気まぐれで出た言葉ではないと理解したからだ。
「俺なら、狭い場所でも動ける。気配も殺せるし、声を出さなければ獣と区別はつかない。……それに、最悪の場合でも、俺は──」
言いかけて、リオは言葉を切った。続く言葉が喉に引っかかり、自分でもうまく飲み込めずにいた。
──自分は、人間ではない。
誰にも言っていない秘密。誰にも言えるはずのない真実。
けれど、だからこそ、自分にしかできないことがあるとも思っていた。
不器用なほど真っ直ぐなセラや、気配りに長けたミオ、慎重で冷静なライネル、そして王家の信頼を受けたカイルたち。彼らと比べて、自分はあまりに異質だ。
だが、その異質さこそが、この任務における最大の武器になる。
「……気をつけてね」
ミオが小さく言った。その声音には、いつもの軽やかさはなかった。
リオは目を伏せ、ゆっくりと頷いた。
「何かあったらすぐ戻ってこい。探索は一人で完結させる必要はない」
ライネルが低く、しかし確かな声で言った。その言葉には、仲間としての信頼と同時に、冷静な判断力がにじんでいた。
「暗視道具とか、持っていく?」
セラが鞄から小型の魔導具を取り出して差し出す。それは、冒険者の間でも流通している簡易照明で、持ち運びやすく光量も調整できるものだった。
「……もらっておく」
リオはそれを受け取ると、じっと手の中で感触を確かめた。
陽はまだ高かったが、地下の調査は夜に行うべきだと決まった。
各々が夕暮れまでの時間を使って準備に取りかかり、街の喧騒の中で静かに時を待った。
遠くで鐘の音が鳴る頃には、空の色は次第に朱に染まり始めていた。
*
夜の帳が街を包みはじめた頃、リオは一人、宿を後にした。
ギルド職員が準備してくれた簡易装備を身につけ、暗視用の魔導具を携えて、通気口のある路地裏へと向かう。足音はほとんど響かず、周囲の気配に意識を張り巡らせながら進む姿は、ただの冒険者とは一線を画していた。
目的の場所に辿り着くと、リオは慎重に周囲を観察した。人通りはほとんどなく、街灯の明かりすら届かないその一角は、闇と静寂にすっかり包まれていた。
通気口の格子は予想以上に頑丈だったが、リオは工具を使って静かに取り外す。中には冷たい空気が流れ込み、地中に広がる未知の空間を感じさせた。
「……行くか」
小さく呟き、リオは身を屈めて通気口の中へと足を踏み入れた。
狭く暗い通路を、手探りで進む。壁は苔に覆われ、足元には湿気と小動物の痕跡が残っている。さっきまでの街の喧噪が嘘のように遠のき、自分の呼吸だけが音として存在していた。
──ここには、何がある?
通路の奥からわずかに空気の流れを感じ、遠くで水の滴る音が微かに聞こえる。それを頼りに、リオはさらに奥へと進んでいった。
どこかで誰かが見ているような気配に肩をすくめつつも、足取りは緩めなかった。進めば進むほど、空気はよどみ、苔の匂いとともに鉄と土の混じった重たい匂いが鼻につく。
やがて、狭い通路が少しずつ広がりを見せ、壁に沿って小さな足場が設けられている場所に出た。薄暗い中でも、誰かが意図的に整えた構造であることは明らかだった。
「……やっぱり、何かに使われてるな」
リオは低く呟いた。排気や排水のためだけの通路にしては、不自然なほど整備されすぎている。
さらに奥へ進んだ先で、小さな木箱が積まれているのを発見した。開けてみると、乾燥させた保存食、麻の袋に入った薬草、そして薄い帳簿のようなものが入っていた。
「補給地点……か?」
物資の中には、よく見るとヴァルモスの商会印が押された包み紙も混じっていた。ここが確実に街の誰かと繋がっている証拠だ。
リオは帳簿を丁寧に折りたたんで懐にしまうと、周囲の構造を慎重に目に焼き付けてから、来た道を静かに戻り始めた。
一歩ごとに増す緊張と、それを乗り越える集中。
この先に、もっと深い闇がある。
その確信だけを胸に、リオは通気口の入り口へと引き返そうとした。
だが、その瞬間だった──
──カツン。
微かな足音が、暗闇の奥から響いた。
リオは即座に身をひそめ、通路脇の柱の陰に身を沈める。呼吸を抑え、気配を殺す。闇の中を歩く男の姿が、手にしたランタンの灯りとともに、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。
男は皮鎧を着けた中年の監視員のようで、手にした小型のランタンで周囲を照らしながら、何かを探すように進んでいた。足取りは慎重で、完全に警戒態勢に入っている様子だった。
──見つかれば、ここでの調査は水の泡になる。
リオは冷静に、逃走経路と背後の影を見極める。だが男は、それ以上深入りはせず、途中で立ち止まり、鼻を鳴らすように辺りを見回した。
「……気のせいか」
男が呟き、肩をすくめると、踵を返して戻っていく。
しばらくその背中が遠ざかるのを待ち、足音が完全に消えてから、リオはようやく息をついた。
──今のは偶然か、それとも……。
不穏な予感を胸に抱きながら、リオは再び通気口の入り口へと歩みを進めた。




