第二十八話 地図にない街
朝──冷たい空気が街の石畳にしみ込む中、ヴァルモスの一日は沈んだ幕開けを迎えていた。
宿の一角。仲間たちはまだ眠っているか、身支度を整えている時間帯だった。
リオはすでに起きており、窓辺に腰掛けて昨日の記録を見返していた。
(立入禁止の扉……、あの職員の装備……、そして倉庫街D区画……)
紙に記した仮説と情報を頭の中で組み直す。
(あそこに潜入するのは、タイミングを誤ると危ない。だが、今のままでは何も掴めないまま終わる)
窓の外には、かつて栄えたであろう街並みが並ぶ。剥がれかけた金装飾の看板、半ば閉ざされた店舗、どこか芝居がかった“繁栄”の名残。
(表面だけを繕って、内側は腐っている……。どこか、この街は昔の俺と似ている)
リオの胸中に、奇妙な共鳴が生まれていた。自分の存在を偽り、生き延びてきた過去。目には見えないが、確かに自分と同じ気配が、この街には流れていた。
(……だからこそ、無視できない)
過去の自分と重ねることで、どこかこの街に関わらずにはいられないという感情が胸の内に芽生える。
他の仲間たちに声をかける前に、リオは単独行動を取ることにした。
「……少し様子を見てくるだけだ」
宿を出たリオは、裏通りを抜けて再び倉庫街へと向かった。
通りには朝の市場が立ち始め、人々が忙しなく行き交っているが、D区画の一角だけは妙な静けさがあった。
倉庫前には“私有地・関係者以外立入禁止”と記された札が掲げられ、門の前に男が一人立っていた。
ギルド職員風の服装。だが、その腰にあるのは短剣ではなく、明らかに実戦用の剣。
(昨日の男とは違う。だが、同じ匂いがする)
リオはあえて視線を合わせず、近くの露天商の一人に声をかけた。
「ここの先って、何かあるのか?」
露天商の中年男は、訝しげにリオを見つめたあと、小声で答えた。
「さあな……昔は鉱石の集積所だったけど、今は何してるのか、誰も詳しく知らねぇ。黙ってた方がいいぜ」
(やはり、一般人は関与させられていない)
リオは一度そこを離れ、周辺を何度か回って人の出入りの傾向や時間帯を確認する。
昼前、物資を積んだ荷馬車が門を通って中に入った。運び手は仮面をかぶった屈強な男たち。
(物資の搬入……中にどれだけの人員と設備がある?)
その場を離れたリオは、宿へ戻る途中でローカルの地図屋に立ち寄った。古地図の束を漁る中で、十数年前のヴァルモス地区図を一枚購入。
(昔の地図には、今と違う構造が描かれていることがある。地下道や連絡通路……隠された空間の手がかりになるかもしれない)
地図を丸めて懐に収めたリオは、表通りに出ると再び足を速めた。宿で仲間と情報を突き合わせるには、今がちょうど良い。
(無茶はできない……だが、今のうちに手がかりだけでも掴んでおく)
そう自分に言い聞かせながら、彼は宿へと歩を進めた。
*
宿に戻ったリオは、部屋に着くなり古地図を広げ、現在の街の構造と見比べ始めた。現代の地図と照らし合わせると、D区画の裏手にかつて存在した地下通路が、現在では地上施設の影に隠れている可能性が浮かび上がる。
「やはり、表に見えている構造だけでは判断できないな……」
そこへ、調査を終えたミオが部屋に戻ってくる。彼女は手帳を開き、リオの古地図に視線を落とす。
「その地図……古いわね。けど、ここの建物、今は違う名義で登記されてたはず」
「知ってるのか?」
「ええ。さっき市役所の古い書類を見せてもらったの。土地の所有者が何度か変わっていて、直近では『アベリア商会』という名前になってた」
リオは眉をひそめた。
「……それ、昨日の依頼書にもあった名前だ。やはり、裏と繋がってそうだな」
そこへ、セラとライネルも帰還。全員の情報が集まり始める。
「見張りの交代時間、だいたい三時間ごとに巡回があった。明確なシフト制ではなさそうだけど、一定のリズムはあるわ」
「一度、荷馬車に混ざって入ってみようかとも思ったが……警戒が強い。裏口の警備は一番手薄な時間でも二人はいた」
リオはうなずきながら、紙の上に手早くメモを走らせる。
「潜入するなら、夜間だな。ただ、入口からではなく……この地図にある旧鉱坑の通気口が、まだ繋がってるなら利用できる」
「すぐに確認してくるわ。まだ日も高いし、間に合う」
セラが即座に立ち上がる。ミオは古地図を指差しながら、追加のルート案をいくつか検討する。
「私も役所で追加の図面を探ってみる。地下の記録が残ってるかもしれないわ」
「俺は通気口の構造と換気頻度を確認する。侵入時に煙や音が漏れないか調べておきたい」
ライネルが低く応じると、それぞれが再び街へと散っていく。
(準備は進んでいる。あとは、確実に一歩を踏み出すだけだ)
静けさの残る部屋に一人残ったリオは、古地図を折り畳みながらそっと息を吐いた。
(あの場所の奥に、何が待っているのか……)
その予感は、不気味なほどに胸の奥で鈍く脈打っていた。




