第二十五話 声なき証人たち
扉を叩く音が、宿の静けさを破った。
「……誰だ?」
ライネルが声を潜めて呟く。リオはすでに立ち上がっており、部屋の隅に目配せをしてミオとセラを待機させる。
ゆっくりと扉を開けると、そこに立っていたのは、宿の使用人風の男だった。中年で、着こなしも丁寧。だが、その目の奥には妙な影があった。
「夜分遅くに失礼します。……お客様に、お伝えしたいことがありまして」
言葉は丁寧だが、声はどこか乾いている。
「なんの用だ?」リオが問うと、男はわずかに周囲を見回し、小声で言った。
「この街では、余計な詮索はおすすめしません……ですが、もし“興味”があるなら、夜の市場を歩いてみると良いでしょう」
その言葉を残し、男はそれ以上詳しいことは語らずに頭を下げて去っていった。
扉を閉めた後、しばし沈黙が流れる。
「……妙な奴だったな」ライネルが呟く。「あれ、宿の本当の使用人じゃねえな」
「見た目だけならよくできてた。でも、言葉の節々に作り物っぽさがあったわ」セラが補足する。
ミオは、男が去っていった方を見つめながら言った。
「夜の市場……なにか仕掛けがある可能性が高い」
リオは短く頷く。「わざわざ忠告に来るということは、罠の可能性もあるが──それ以上に、見せたい“何か”があるということだ」
その言葉に、一同の表情が引き締まる。
そして同時に、この街の虚飾の下に隠された真実へと踏み込む覚悟が、静かに彼らの胸中に芽生え始めていた。
夜の帳が街を覆い、灯火がゆらめく頃。
リオたちは、人通りの少なくなった通りを抜け、噂の「夜の市場」へと足を運んだ。
市場とは名ばかりの、古びた倉庫街の一角。薄暗い路地に、ぽつぽつと明かりが灯り、人の気配が漏れている。
「……ここが、例の場所か」ライネルが声を潜める。
「見張りがいる。けど、制服じゃない。ギルドか、それとも……」セラが低く告げる。
ミオが市場の入り口に目をやりながら呟いた。「監視されてるのは……私たちじゃなくて、入ってくる“誰か”ね」
リオは静かに頷くと、一歩を踏み出した。
中に足を踏み入れると、そこは昼間の市場とはまるで異なる空気が支配していた。
口数の少ない商人、無言で品物をやりとりする客、どこか殺気立った雰囲気。
扱われている商品も、薬草、鉱石、ポーション素材に混じって──妙な巻物や、“正規流通では見かけない”ような魔導器具がちらほらと並んでいた。
「……これは、ただの闇市じゃない」セラが目を細める。「軍用品や、魔法禁制品まで……」
リオは足を止め、ある露店に並ぶ“首輪”に目を留めた。それは、以前救い出した子どもがつけていたものと酷似していた。
「……売られてるんだな、人が」リオの声は低く、冷えていた。
その隣でミオも同じように目を伏せた。
「私たちは、この街の偽りの皮を剥いでしまった……」
ライネルが静かに周囲を見渡す。「もう後には引けねぇ。ここで得られる情報が、全部の鍵になる」
リオは深く頷くと、再び足を踏み出した。
彼らの“潜入”は、いよいよ核心に迫り始めていた。
リオたちは、市場の中でも特に人気のない裏手の一角へと足を踏み入れた。そこにはいくつかのテントと木箱が雑然と並び、耳慣れない言語や、異国の口調が交差していた。
木箱には様々な刻印が押されており、クラヴィス公国のものでないことは一目瞭然だった。
セラが小声で報告する。「あの男たち、グラディウス連邦の方言を話してるわ。間違いない」
ミオが頷く。「この市場、ただの違法取引じゃない。国外との繋がりを持った“交易路”になってる」
リオは警戒を強めつつ、周囲の様子を伺った。粗末な帳の中では、子どもと見られる人影が拘束され、無言のまま連れていかれる光景があった。
「……証拠を押さえなきゃならないな」ライネルが口を固く引き結ぶ。
「だが今は動けない。ここで何かすれば、すぐに囲まれる」リオの声に、全員が静かに頷いた。
そのとき、別のテントの奥から何かを売りさばく声が聞こえた。声の主は異国の男で、誇らしげに“完全にしつけられた獣”を売っていると語っていた。
テントの脇には、皮膚の薄い首輪をつけた若者が、俯いたまま立たされていた。
「……彼らにとっては、命すら“商品”なのね」セラがつぶやくように言った。
木箱の隙間から漏れる微かな呻き声。帳の奥に響くかすれた泣き声。それらがこの市場の真の姿を告げていた。
「こんな場所が……堂々と存在してるなんて……」ミオの声は怒りと悲しみに震えていた。
街の表層を繕う虚飾の裏で、声にならない叫びが確かに存在していた。
そして彼らは、確実に証拠を掴み、帰還するための道を模索し始めた──この街の真の姿を暴き出す、その時のために。




