第二十四話 虚飾の街、仮初の笑顔
朝靄が晴れ、街の輪郭が遠くに浮かび上がる頃──馬車は、ヴァルモスの城門前に差しかかっていた。
「……着いたな」
御者台に座った男が、ぽつりと呟いた。まるでただの旅人を乗せた商隊であるかのような装いの一行は、淡々と門番の視線をやり過ごしながら、入城の列に並ぶ。
リオは窓の外に目をやる。陽の光は柔らかく、鳥のさえずりも耳に届いていたが──それらが街の空気に馴染んでいないように感じられた。
門前の広場には多くの人々がいた。荷車を引く商人、観光客風の一団、行き交う衛兵……賑やかで雑多な光景。だが、リオの感覚は妙な“沈黙”を拾っていた。
(……誰も目を合わせようとしない)
群衆のざわめきの中で、人々は不自然なほど視線を伏せ、話し声は一定の距離で止まり、門兵たちの目だけが鋭く空気を裂いていた。
「通行証を」
馬車の横に立った衛兵が、短く告げる。御者が用意していた書類を差し出すと、衛兵は淡々と目を通した後、ちらと馬車の内部を覗き込んだ。
「……中身を確認する」
扉がノックされる。御者の合図に従い、ライネルが明るい声で応じた。
「どうぞ。旅の途中なんです」
衛兵が一人、馬車に乗り込んできた。目つきは鋭いが、所作は事務的だった。
「どこから来た? 目的は?」
「ローデンからです。道中で薬草を拾ったので、少し立ち寄って売るつもりで……あとは観光ですね」
ライネルは自然に笑いながら答える。リオたちは、ポーション素材を携えた小規模な旅商人という設定だった。リオも淡々と礼をし、余計な言葉は控える。隣でミオとセラも静かに頷いた。
衛兵は一人ずつの顔を確認し、鞄の中身を軽く調べた後、何事もなかったように馬車を降りた。
「問題ない。通れ」
馬車が再び動き出す。門の影が一行を飲み込み、ヴァルモスの街へと踏み入れていく。
リオは、街の風の匂いに微かな違和感を覚えた。建物は整い、街路には人が行き交っている。だがその目は死んでいた。
(ここでは“何か”が、息を潜めている)
馬車の窓越しに見えたのは、笑顔の裏に怯えを隠した子供、視線を泳がせる露店の主、そして壁沿いに立つ無表情な兵士たち。
外観だけを整えた建物は、塗装が剥がれかけ、石畳の隙間には雑草がのぞいていた。表面だけを取り繕った虚飾の美しさが、むしろ街の衰退を際立たせていた。
市場に並ぶ露店の店主たちも、にこやかな表情を貼りつけながら、どこか上の空で、客とのやりとりは機械的だった。まるで“演じさせられている”かのようだった。
(……この街は、仮面をかぶってる)
リオは静かに息を吐いた。
(……始まったな)
街の中心に向かって進む馬車の車内では、沈黙の中にわずかな緊張が流れていた。
セラがふと、小声でつぶやく。
「……予想以上に、重苦しい空気ね」
「見せかけの繁栄ってやつさ」
ライネルが肩をすくめる。
「街並みは綺麗だが、あれは仮面だ。剥がせば、裏には腐った何かがある」
ミオは窓の外をじっと見つめたまま、低く言った。
「兵士たちの動きも、ただの巡回には見えなかった。市民を監視してる……まるで、何かを怖れてるような」
「……それが何か、調べに来たんだ」
リオの声は静かだったが、芯があった。三人の視線が自然と彼に集まる。
「危険があっても、必要なら手を貸す。それが俺の役目だ」
言い切ったその瞳には迷いがなかった。かつて命を救った彼の言葉には、誰も疑問を挟まなかった。
馬車はやがて、指定された宿の前で停まった。街の外れにある目立たない宿──だが、情報を得るには悪くない立地だった。
「さて、ここが当面の拠点だな」
ライネルが笑う。
「まずは荷物を下ろして、少し街を歩いてみるか」
「行動は慎重にね」
ミオが念を押す。
「もちろん」
セラが頷き、馬車を降りた。
その背を見送りながら、リオは再び空を見上げた。
薄雲のかかる青空の下──この街の闇は、どこまで深いのか。
(……暴く覚悟はある)
そう心に誓い、彼もまた、ヴァルモスの地に足を踏み出した。
宿に荷を下ろし、軽く休息を取った一行は、さっそく手分けして街の調査を開始した。
リオはミオと共に、街の市場通りを歩いていた。露店には香辛料、布、道具、薬草などが並んでいたが、どこか活気がない。
「……やはり、客も店主も笑顔がないな」
ミオは呟く。
「誰かに見られているような、落ち着かない目をしてる」
「見張りがいるんだろうな。表には出てこないが」
リオが低く返す。
「……リオ。これからの動き、私たちはあくまで観光客。深入りしすぎないで」
「分かってる。でも、何か見つけたら……無視はできない」
その目に浮かぶ決意に、ミオは何も言えず頷いた。
一方その頃、ライネルとセラも別の通りで情報を探っていた。
「兵士がやけに多い。通りごとに配置されてるな」セラが呟く。
「こんな小都市でこの人数……異常だな」
ライネルは眉をひそめる。
「見張られてるのは市民じゃない、俺たちかもしれん」
「どこまで情報が漏れてるか……気をつけなきゃ」
そう言って二人は、無言で足早に通りを後にした。
日が傾くころ、彼らは再び宿に戻った。得られたのは、“街の異常な沈黙”と“見えない監視”の存在。
そして、それだけで充分な収穫だった。
夜、宿の部屋で再集合した四人は、それぞれの感じた違和感を持ち寄り、次の一手を探る。
だが、その時。
──宿の扉が、静かに叩かれた。
四人の間に緊張が走る。
果たして、訪問者は誰なのか──。
闇の底へ潜る旅は、始まったばかりだった。




