【間話】報告書に記された名
短めです。
ほんの一瞬、目を開けた。
それが、私の記憶のすべてだった。
あの夜、馬車の中で。怪しげな粉塵と血に包まれる直前の、ほんのわずかな間。そのとき確かに、彼が目の前にいた。
静かな瞳だった。
どこまでも冷静で、けれど凪のような優しさを孕んでいて。
あれが、リオ……?
──違う。
私が知っていたリオは、もっと粗野で荒っぽい男だったはずだ。
どこか無鉄砲で、礼儀知らずで。
……けれど、目を覚ましたとき。私はローデン近くにある王家の別邸で療養していた。同行していた騎士は全滅、馬車も壊され、私だけが生き延びていた。
そして彼は、ギルドへの帰還報告を最後に、またどこかへ去ったと聞いた。
あの瞳の主は、いったい誰だったのか。
私の命を救ってくれた人は、あの時確かにそこにいたのに。
*
あの街──ローデンへ赴いたのは、単なる気まぐれなどではない。
もともと私は、王宮内の一部貴族に不穏な動きがあることに気づいていた。
表向きは地方の視察と称して、護衛を引き連れての遠征だったが、その真意は別にあった。
莫大な額の金貨が、なぜか民のために使われることなく姿を消している。
その流れを追っていくと、ローデンという街が浮かび上がった。
貴族の名が記された帳簿、目的不明の大金を運ぶ商人たち――そこに、何か重大な企みの匂いがあった。
王家の名を出せば、すべてが“調査中”という名の闇に飲み込まれる。
だから私は、王女という立場を隠して、自らの目で真実を確かめに行った。
……そして、襲撃に遭った。
*
「……姫様、ギルドからの報告書が届きました」
書斎に控えていた女官が、恭しく一枚の文書を差し出す。
「ギルド? ……ローデンの?」
思わず手が止まる。
「……何かあったのかしら」
目を通すと、そこには、件の事件に関する詳細と、加担していた貴族の名が記されていた。
──報告者、リオ。
「……やっぱり、あなたなのね」
声に出した瞬間、胸が詰まる。
やはり、あの時の瞳は。
でも、私の知るリオとは別人のように感じられた。
文面には、救出された子供たちの証言が添えられていた。
“おねーちゃん”と“おにーちゃん”――ふたりの協力者がいたと。
おにーちゃん=リオ、だとすれば。
おねーちゃんは……?
誰か、協力してくれた人がいたのかもしれない。
正体はわからないけれど──
書斎の椅子に背を預けながら、セリナは静かに息を吐く。
「協力者の名を明かさないのも……理由があるのでしょうね」
あの日、私を救ってくれた瞳。
その正体が誰であれ、今ここにある命がすべてを物語っている。
彼は今、あの街で生きている。
私を守ったあの日と同じように、誰かを救っているのだろう。
*
そして、私は王女として、やるべきことをやる。
この報告書は、王家直属の監査機関に提出されるだろう。
その後、加担していた貴族たちには然るべき対処がなされる。
公には言わない。
誰が、何をしたのかも。
けれど水面下では、着実に粛清の刃が進んでいく。
それが、王女である私にできる唯一の“報い”だ。
*
夜、誰もいない別邸のバルコニーで。
セリナは、懐から小さな銀の髪飾りを取り出す。
あの夜、落としたままになっていたそれは、ギルドから密かに届けられたものだった。
月明かりにきらめく銀。
「……ありがとう」
ひとり、風に向かってささやいた。
届かなくてもいい。
この気持ちが、あの人のどこかに届いていれば。
王女の夜は、静かに更けていった。
明日はついに魔王回!




