【間話】ギルドに残されたもの
”リオ”が立ち去った後のギルドです。
「……まったく、どこまで予想してたんだか」
朝の光が差し込み始めたギルドの執務室。
マーベルは机の上に広げられた帳簿と小袋を前に、深くため息をついていた。
リオが正式に手続きを済ませ、子供たちを託し、丁寧に頭を下げて出ていったのは、つい先ほどのこと。
だが、託された証拠の重さが、静かに事務室の空気を塗り替えていた。
「これ……子供たちの名前と特徴、取引された先……」
ユリーナが帳簿のページをめくる。そこには、ぞっとするような記録が並んでいた。
裏取引に関わったと思われる顧客名の中には、誰もが名を知る貴族の家名も含まれている。
「鱗粉は魔物由来。恐らく……デスモールドのもの。幻覚作用がある。これが使われていたと、彼は断言していた」
「ここまで詳細な証拠を揃えてたなんて……」
ユリーナの指先が止まる。
街の闇を暴き、命を救ったにもかかわらず、彼はそれを声高に語ることなく、淡々と任務を終えていった。
「彼……本当に変わったよね。前はもっと無鉄砲で、感情のままに動いてたのに」
マーベルは黙って頷く。
変化を感じていたのは自分だけではなかった。
「でも、どこか無理してる気もする。背負いすぎてるっていうか……」
ふと、ユリーナの視線が机の片隅にある一枚の紙片に留まる。
それは、リオが帰り際にそっと置いていったメモだった。
──感謝は、不要です。
綺麗な字だった。
けれどその筆跡には、感情の起伏がなかった。ただ、役目を果たした者のような、静かな意志だけが滲んでいた。
「……彼に、ちゃんとありがとうって言えてよかった」
ユリーナの言葉に、マーベルは苦笑を返す。
「言ってなかったら、今ごろ余計に落ち込んでるだろうからな。助かったよ」
二人はしばらく、静かに帳簿を見つめていた。
そこに記されたひとつひとつの情報が、これから多くの波紋を呼ぶことを知りながらも。
*
証言の取りまとめには、思いのほか時間を要した。
保護された子供たちはそれぞれに怯え、記憶も断片的だったが──口を揃えて話したのは、二人の人物の存在だった。
「おねーちゃんが助けてくれたの。けど、外に出たらおにーちゃんが手を引いてくれて……」
「おねーちゃんは?って聞いたら、『先に帰った』って……」
集められた証言では、「おねーちゃん」と「おにーちゃん」は明確に別人として語られていた。
職員たちは首をかしげる。
「協力者がいたってことか……? でも、それにしては目撃者が一人もいないなんて、変だな」
「リオと一緒に動いていた形跡もないし……まさか、あいつ誰かと組んでるのか?」
憶測は広がったが、確証には至らなかった。
マーベルは資料の束を閉じると、ぼそりと呟いた。
「──名を明かさない協力者、か。今のあいつなら、いてもおかしくないし、黙ってるのも……まあ、らしいな」
それが疑わしいと感じる者もいたが、マーベルは納得するように頷く。
それが“今のリオ”の選択であるならば、尊重する──そんな目をしていた。
ギルドの一角、控え室での会話もまた、別の角度からその変化を映し出していた。
「でもさ……リオさん、こんな感じだったっけ? 前はもっと、こう……口悪くて、なんでも力技で通すみたいなところあったじゃん」
「わかる。最近すごく落ち着いてるというか……妙に丁寧。別人かと思ったよ、最初」
「いや、礼儀はあるんだよ。でも、どこか冷静すぎるっていうか……怖いくらい無駄がない」
職員たちは口々に言う。
“変わった”と──それも、いい意味で。けれど同時に、何か大きな出来事をくぐり抜けたような、そんな気配を誰もが感じ取っていた。
その理由を知る者はいない。
彼が何を見て、何を選んだのか。
ギルドに戻ってきたリオが“どこか違う”のは明らかだった。
だが、今の彼が悪い人間ではないことだけは、誰も疑っていなかった。
以前のリオは、無鉄砲で、無計画で、部下であるユリーナを心配させるような依頼ばかりを請けていた。
マーベル自身も、何度その後処理に頭を抱えたことか。
だが今、彼は子供たちを守り、危険を察知し、証拠を揃えたうえで確実に動いた。
助けを求めることなく、ただ静かに、正しく振る舞った。
「何が彼を変えたのか──それはわからない。だが、彼は確かに、今この街にとって必要な冒険者だ」
マーベルは確信を持ってそう口にした。
窓の外に目をやる。
朝の光が、ようやく本格的にギルドを照らし始めていた。
安全な部屋に移された子供たちは、安心したように眠っている。
その様子を確認したあと、マーベルは机に戻り、最後の一枚の報告書に目を通した。
眉をひそめ、そして苦笑する。
「──次に来たときは、もう少しちゃんと報告書も書いてくれると助かるんだがな」
そう呟いて、机に肘をつく。
またいつもの、騒がしいギルドの一日が始まろうとしていた。
次は久方ぶりの登場、セリナ姫の話です。




