第十五話 微光をたよりに
想定ではこの話数で一章終わってる予定でした……
眠るふりをしたまま、俺はじっと耳を澄ませていた。
(……まだ外は静かだ。だが、そう長くはない)
昨夜、あの男たちの言葉──「明日にはみんな、もっといいとこに行ける」──を思い出す。
つまり、“今夜”が出荷の時。
明日着くということは、夜のうちに運ばれるということだ。
(……行動するなら今しかない)
俺はゆっくりと身を起こし、鉄柵の隙間から外の様子をうかがう。
鍵は堅牢だが、扉の蝶番は古びている。静かに力をかければ、音を立てずに外れる可能性がある。
だがまず確認すべきは、警備の有無と子供たちの状態。
「……みんな、起きて」
俺は声をひそめて呼びかけた。
子供たちは一人、また一人と目を覚ます。
昨夜、目が合った少年が、無言で俺を見つめる。怯えながらも、強い意志を秘めた目だ。
「静かに、騒がずに聞いてほしい。……私はここから出る方法を探ってきた。協力してくれるなら、一緒に逃げられる」
その言葉に、子供たちは一斉に俺を見つめた。
不安と希望、その狭間で揺れる瞳たち。
「……お姉ちゃん、ほんとに逃げられるの……?」
小さな女の子が震える声で尋ねてくる。
俺は頷いた。
「大丈夫。できるだけ安全な方法を選ぶ。でも、どうしても危ない時は……私の言う通りに動いて」
壁際の少年がそっと手を挙げた。
「じゃあ、私が見張る。いつも、朝になる前に一人だけ様子を見に来る奴がいる」
「わかった。その時が来たら、私が合図を出す」
子供たちは小さく頷いた。
俺は再び鉄柵の蝶番に目を向ける。
この場から逃げるためには、誰にも気づかれずに脱出する必要がある。
俺はそっと右手を蝶番にかざし、指先に力を集中させた。
(……この力を使うのは久しぶりだな)
思い出すのは、かつて出会った一体の魔物──『バルモルグ』。
金属を腐食させる体液を分泌する異形の魔物。
その能力の一部を模して取り込んだ時、俺の中にこの力が宿った。
手のひらをそっと蝶番に押し当てると、皮膚の表面にうっすらと黒い膜が滲み出し、じわじわと金属に染み込んでいく。
音を立てないよう、時間をかけて慎重に。
(……誰にも見られるなよ)
数分後、蝶番の金属は静かに形を失い、ついに扉の片側がわずかに緩んだ。
俺は子供たちを振り返り、小さく頷く。
夜はまだ深い。
だが、時間はもう残されていない──。
鉄柵の扉を静かに押し開け、俺はゆっくりと通路に足を踏み出した。軋む音はなく、腐食によって緩んだ蝶番は、まるで元から壊れていたかのように自然だった。
子供たちは息をひそめ、俺の後ろに並んで一歩ずつついてくる。
「声は出さないで。誰か来たら、私の背中を掴んで」
小さな手が、俺の服の裾をそっと掴む感触。緊張の中にも、確かな信頼があるのを感じた。
通路には、かすかに明かりが差していた。監視の灯りだ。遠くに人影は見えるが、こちらの異変にはまだ気づいていない。
「こっち……倉庫の裏手まで行けば、外に出られる」
俺はかつて見た搬入経路を思い出しながら、足音を消すように進んでいく。
途中、曲がり角に差しかかる手前で、見張りの足音が聞こえた。
(……やっぱり一人いたか)
俺は子供たちにその場で止まるよう手で合図を出すと、倉庫の影へ滑り込むように身を潜めた。
「おい、誰かいるのか?」
男の声。懐から鍵束を取り出す音。
間に合わない。ここで足止めを食えば、全てが水の泡になる。
俺はひとつ、深く息を吸い込むと、向かってくる男の方角へ”特殊”な息を吹く。
「ッ……」
『ノーメルの吐息』。気配を霧のように攪乱させる、ある小型モンスターの能力の模倣。
「……あれ、気のせいか……?」
男はきょろきょろと辺りを見回すが、そこには誰もいない。
俺はすでに影の中へ戻り、子供たちに手信号を送った。
「行こう」
通路の奥、夜風の流れ込む小さな扉に向かって歩き出す。外に出れば、すぐさまこの建物の裏手──昨夜目星をつけていた廃屋まで移動し、そこから逃走ルートへと向かう。
倉庫を抜けた瞬間、湿った夜気が肌を撫でた。
空はまだ深い青のまま。夜明けには遠い。
「もう少しだよ。しっかり掴まって」
子供たちはそれぞれ手を繋ぎながら、恐る恐る夜の通りへと足を踏み出した。
見上げるその瞳に、確かに──ほんの少しの、光が宿っていた。
廃屋に着いたときには、子供たちはすっかり疲れ切っていた。
古びた木の扉を静かに開け放ち、中へと招き入れる。埃の積もった床、ひび割れた壁。だが、しばらく身を隠すには充分な場所だ。
「ここで少しだけ休んで。絶対に音を立てないように」
子供たちはこくりと頷き、それぞれ壁際や箱の陰に身を寄せる。
俺はその様子を見届けると、一人、そっと扉の外に出た。
(……さて)
少し離れた路地に回り込み、人気のない場所で“変身”を解く。
女の子の姿から、リオの姿へと戻る。
服を整え、深くフードを被る。
足取りを確かめつつ、再び廃屋の扉を開ける。
「おねえちゃ……だれ?」
少し怯えた表情で目を丸くする子供たちの視線を受けながら、俺は静かに微笑んだ。
「大丈夫だよ。彼女は、俺に君たちを頼んで帰っていった。君たちはよく頑張った」
その言葉に、子供たちは次第に安心したような表情を浮かべる。
「君たちを安全な場所まで案内する。それまで、ここで静かに待っていてくれ」
こくん、と誰かが頷いたのを皮切りに、小さな首たちが揺れる。
(このまま一気に事を終えるわけにはいかない。確実に、この“罪”の証を突きつけねば)
俺は心の中で誓い、扉を静かに閉じた。
廃屋の外、夜の街にはまだ静けさが漂っていた。
だが、それももう長くは続かない。
──ここの街の闇に差す、たったひとつの灯火となるために。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
“力なき者が、知恵と工夫で悪意をかいくぐる”——この物語で描きたかった一つのテーマです。
戦わずして誰かを救えるというのは、ファンタジーであってもとても人間的な強さの形だと思っています。
次回はいよいよ、この街の裏に巣くう「根」に迫ります。
どうぞ最後まで見届けてください。




