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この顔が誰のものか君は知らない  作者: 水鷺ケイ
第一章:もう返せなくなった”顔”
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第十二話 路地に漂う甘い罠

事件の捜査をすすめていくと、嗅ぎ覚えのある香り……



旧市街の朝は遅い。陽が高くなってからようやく開く店、酒場の裏口で吐瀉物を洗い流す音、石畳に残る湿った匂い。そのどれもが、昨日と変わらない風景としてこの街に溶け込んでいた。


だが、俺の目には違って見えた。誰かが意図的に隠している。そんな気配がする。


例の老人から話を聞いた翌朝、俺は旧市街の路地を中心に、子供の失踪現場とされる場所を重点的に歩いた。


──ふわり。


角を曲がった先で、鼻腔にわずかな甘い香りが届く。

嗅ぎ覚えのある香りが、記憶の底から揺り起こされる。


それは花でも果実でもない、どこか人工的な甘さ。湿った石壁に微細な粒子が付着しているのを見つけて、俺はすぐに理解した。


デスモールドの鱗粉。


本来は森の中、腐葉土の陰に潜む危険な魔物が放つそれは、乾燥すると幻覚作用を持つ。ただし、量が少なければ致死性はなく、吸った者に陶酔感と軽い幻覚をもたらす。


子供に使えば、自らふらふらと歩き出すことも不可能ではない。


嗅ぎ覚えのある香り──俺が初めて“人間”になったあの場所にも、確かに存在していた香りだった。


目撃情報が曖昧なのも納得だ。酩酊状態にあった者の証言など、まともに扱われない。しかもそれが「遊んでいた子供」なら、なおさら。


俺は鱗粉がたまっていた排水溝の縁に指を伸ばし、粒子を採取する。確かに、数日前にも雨は降っていないはず。なら、これが自然に流れてきたとは考えにくい。


意図的に撒かれている。


さらに数箇所を回った結果、ある共通点に気づいた。


鱗粉が漂っていた路地のすべてが、細く曲がりくねった構造になっており、風通しが悪く、陽が当たらない。粉が滞留しやすい環境だ。


つまり、使われる場所は選ばれている。


足元に目を向けると、石畳の隙間に薄く泥が溜まっていた。 その上に、何か引き摺った跡と、子供のものではない大人の靴跡が交差している。少なくとも二人分。


「……誘拐は組織的に行われていそうだ」


さらに、排水口の隅に押し込まれていた布の切れ端には、鱗粉とは別の甘い香りが移っていた。 まるで菓子か香水のようなそれは、意図的に子供を誘導するためのものかもしれない。恐らく、甘い香りに奥へ誘われた子供達は、徐々に濃度の高い鱗粉に晒され、酩酊して倒れ込んだところを誘拐犯が運んでるのだろう。


俺は小袋に布を収め、足跡の向きを記憶した。


「……証拠が残らないなら、動かぬ証拠を見つけるしかない」


そう呟いて、さらに足を踏み入れた。


足跡の先は、複数の路地が交差する広場のような場所だった。石畳の中央には古びた噴水跡があり、いまは水も枯れ、苔と泥がこびりついている。


その縁に、錆びた鉄柵で閉じられた地下通路の入り口を見つけた。


地上にある施設にしては妙だ。蓋が重そうで、子供の腕ではとても開けられない。だが、大人が二人いれば、話は別だ。


何より、その柵の隙間に残る擦過痕──擦れた布の繊維、そして微かな血痕が目を引いた。


「……ここだな」


俺はあたりを見回し、誰にも見られていないことを確認してから、柵の間に指を伸ばす。指先に触れた血の感触は、まだ乾ききっていない。


夜のうちに使われた可能性が高い。


その場を離れようとしたとき、ふと、近くの路地裏からかすかな声が聞こえてきた。耳を澄ますと、二人の男の低い声が、風に乗って届いてくる。


「……いつもの出荷は明日の夜だ。あの屋敷の手前の地下だ。準備、抜かるなよ」


「わかってるよ。だが数が足りねぇ。あと二、三人は欲しいな。今夜中に“また迷ってくれる”と助かるが……」


「目立つなよ。貴族様のご指名だ。失敗すりゃ、今度こそ首が飛ぶぞ」


「”消費”が激しいからな。あのロリコン貴族様は」


思わず息を殺した。


“出荷””消費”という単語にぞっとする。そして、数が足りない? まだ、子供を狙っているというのか。


俺は静かに足音を殺してその場を後にした。

だが、胸の内には確かな怒りと、冷たい決意が残った。


(……今夜は、何もできない。ただ、明日の夜までには──必ず、止める)


俺は足早にその場を離れた。だが、歩きながら視線の方向と家屋の構造を頭に叩き込む。


(奴らの手口は巧妙だ。証拠も、目撃者も残さない。だからこそ、俺がやるしかない)


ギルドにも衛兵にも頼れない。表沙汰にすれば、子供たちの命は風前の灯火だ。


このままでは終わらせない。


次は、連れ去られた子供たちが今どこにいるのかを突き止める番だ。


俺は路地を抜けると、すぐさま地上の導線を確認する。あの地下通路の出入口は路地の奥にあるが、誘拐した子供を“商品”として運び出すなら、必ず馬車などに積み替える必要がある。つまり、馬車を横付けできる場所、出入りの少ない屋敷や倉庫がこの近辺に存在するはずだ。


ほどなく、周囲の構造の中でもひときわ古く、だが近年になって改修の痕跡が見える屋敷に目が留まった。壁の一部が新しい石材に置き換えられ、裏手には物資を積み下ろすための簡素な荷台と、外部から見えにくい小さな扉があった。


(……恐らく、あそこだな)


確証はない。だが、出入りの少なさ、立地、地下と繋がっている可能性の高さ……どれをとっても怪しい。俺はその屋敷の周囲を一周し、裏手に続く排水路や、潜り込めそうな隙間を確認する。


(潜入時だけでなく、脱出経路も確保しておく必要がある)


ただ調査して突き止めるだけでは足りない。子供たちを連れ出し、安全な場所へ導かねば意味がない。


風に乗って、遠くの鐘が一つ、静かに鳴った。

夜が近づいてくる。


俺は足早に準備のための道具と服を整えることにした。



ここまで読んでくださってありがとうございます。

物語は今、第一章の山場に差し掛かっています。

主人公がひとつずつ謎を拾い集め、街の“影”へと踏み込んでいく過程を、

少しずつでも丁寧に追っていけたらと思っています。


次回、いよいよ敵の拠点へ潜入。

何が待ち受けているのか、そして彼が何を選ぶのか。

ラストスパート、頑張って書きますので、どうぞ最後までお付き合いください。

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