第十一話 旧市街のまぼろし
街の片隅で囁かれる怪談。
それが、ただの噂話で済まされる世界ではないと、“彼”はよく知っている。
今回は街中に潜む歪みと、見えない暴力の痕跡を追うエピソードです。
地味な依頼の裏にあるものほど、得てして“物語”の扉を開く。
そんな展開をお楽しみいただければ幸いです。
ギルドの掲示板を眺める日々が続いていた。
目立った依頼は片付いている。魔物討伐や護衛任務のほとんどは他の冒険者が奪い合い、残るのは街中で拾われる迷い猫の捜索や、壊れた扉の修理手伝いといった些細な案件ばかりだった。
──俺は、それらを黙々とこなしていた。
依頼を選ばない姿勢は、時に侮られる。
「……あいつ、最近あれしかやってねえな」
「リオって、前はもっと荒稼ぎしてなかったか?」
「まあ、楽な仕事で生き延びるのも手か。落ちぶれたもんだな」
ギルド内の冒険者たちからは、そんな声も聞こえてくる。だが、俺は気にしなかった。
実際、街の中での細かい依頼は、時に命を守る大きな予兆をはらんでいる。
そして何より、そういった依頼の報告は、予想以上の成果としてギルド内部に積み上がっていた。
「……またこの案件、報告内容が異常に詳しい」
「これ、ただの水道詰まりじゃなくて、地下配管の魔物の棲みつきに気づいてた?」
「っていうかこの処理、調査官でも見落とすレベルだぞ……」
名は上がらない。だが、名を知らない誰かが、その名の下に積み上げる結果は、確実に組織の中で評価されていた。
──目立たない場所で、確かな何かを修正していく。
それが、今の“俺”の仕事だった。
その日もいつものように掲示板の前で足を止めていた。冒険者の数はまばらで、受付前に列もない。任務の山はもう取り尽くされている。
そのなかに、ひときわ地味な依頼用紙が一枚、残されていた。
『とある路地で、子供の姿を見かけたという通報が何件か寄せられている。だが保護者の届出はなく、消息が不明。調査求む』
額面報酬は銀貨十枚にも満たない。それでも──引っかかった。
子供が遊び歩いているだけの可能性もある。だが、違和感はあった。通報が複数、届出なし、短期間に集中。何かが、ずれている。
「また変なの拾うつもり?」
声をかけてきたのはユリーナだった。腕を組みながら、呆れたように掲示板を覗き込んでいる。
「街の中で済む依頼、好きね。ほんと、変わったわね、リオ」
「……俺には、こういうのが合ってる」
そう答えると、ユリーナは小さくため息をついた。
「まあ、他にやる人もいないし、誰も困らないけど……くれぐれも気をつけてよ。子供が絡むのって、時々、ややこしいから」
俺は依頼書を剥がし、静かに頷いた。
*
現場は、旧市街地の外れにある路地だった。
石畳はひび割れ、壁沿いには荷車や古びた木箱が無造作に積まれている。昼間なのに空気は淀んでいて、誰の足音も聞こえない。
だが、あまりにも整いすぎている。地面にはほとんど塵ひとつなく、木箱の隙間すらもきれいに掃かれていた。
(……不自然だな。生活の痕跡がない)
人のいない路地に、子供の目撃が複数。届出はなし。通報者も特定できていない。
俺は腰をかがめ、路地奥の壁際を指先でなぞる。微かに粉じんが舞った。その下から、油のような薄膜がぬめりを残して指に張り付く。
汚れではない。滑走痕か、それとも……
そのとき、わずかに風が抜けた。
視界の端に何かが動いた気がして、振り返ると──老人がいた。
くすんだマント、ゆるく巻いたスカーフ。年季の入った杖をつき、こちらを見ている。
「……ようやく見つけてくれたか」
「……どういう意味だ?」
俺が問うと、老人は薄く笑い、近くの石に腰を下ろした。
「この辺りはな、昔から“出る”って噂があった。影の子供が路地を歩いて、振り返ると消えてる。誰も近寄らねぇ、そんな話だ」
「影が本当に現れるとでも?」
「いや。たぶん──あれは作りもんだ」
老人の目が鋭くなる。
「十年くらい前にもあった。子供がいなくなったって騒ぎが続いてな、影の噂だけが広がってた。だがよ、その“影”ってのが、ちょうど子供が消えたあとにだけ現れる。場所も時間も不自然に一致してた」
「誰かが、作為的に流していた……?」
「さあな。でもな、俺の目の前でも一度だけ見たんだ。人通りの少ない夕暮れ、路地の先に小さな影が立ってた。まるで“目印”みたいにな」
老人はわずかに視線を落とす。
「お前、見に来たんだろ? だったら気をつけな。あれは“怪談”なんかじゃない。……人間のやることだ」
「……どうして、そんなに詳しい?」
「俺は昔、衛兵だったんだ。あの頃、似たような事件を追ってた」
「捜査していたのか?」
「ああ。だが、上からの指示で打ち切られた。理由は“証拠がない”ってな。通報も噂も曖昧、姿を見たってやつも全部、顔がはっきりしない、って」
「……つまり、誰かが意図的に事件を“なかったこと”にしていた」
「そうだ。俺は知ってる。あの頃、消えた子供の親の何人かは、報告も出さずに街を出た。『口外しない』って条件で、金を渡されたらしい」
「……」
「一つ、教えてくれ。影が現れるとされていたのは、どんな時間帯で、どこに?」
「夕暮れ。日が傾いてきて、通りの店が一度閉まる頃。南側の路地で見かけた、って話が多いな。建物の壁を背にして、じっと立ってたってさ」
「姿を見せる条件が、時間と光の加減に左右される……?」
「だとすれば──それを見せたい“誰か”が、見せてるってことだろ」
老人は立ち上がり、俺の肩を軽く叩いた。
「気をつけな、若いの。お前の目が真っすぐすぎて、妙に目立つ」
俺は黙って頭を下げた。
影は、ただの噂ではなさそうだ。
“誰か”が、意図的に恐怖を撒いている。
それが誰なのかはまだわからない。だが──俺は、このまま見過ごすつもりはなかった。
第十一話、読了ありがとうございました。
これまでと違い、今回は魔物も戦闘も出てきませんでした。
それでも彼にとっては、剣よりも鋭く心を削る案件だったかもしれません。
無名の冒険者が、名もなき闇に向き合う。
地味でも、確かにそこにある“異変”に気づける者は、やがて物語の鍵を握る者となるはずです。
次回、より深く、この事件の“裏側”へと踏み込みます。
ぜひ続きも読んでいただけたら嬉しいです。
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また次回、お会いしましょう。




