第42話 リオベルデ国王とランス帝国子爵令嬢・前編
「アレキサンドラお姉様、お客様です!」
アレキサンドラが簡素な木のドアを開けると、にっこり笑顔が弾ける、黒髪の少女が、ちょこんとかわいい淑女の礼をした。
アレキサンドラが孤児院に来て以来、ここに暮らす少女達の間ではアレキサンドラの真似をすることが流行っている。
アレキサンドラは黒髪の少女に微笑みかけながら、考えた。
今日はずいぶん来客が多い日だ。
1人目はエドアルド。カイルからの言伝を持って来た。
2人目はアレシア。神殿から立ち寄ると、一緒に市場に行かないかと誘ってくれた。
そして3人目は……。
「ハロウェイ子爵令嬢、ご機嫌いかがですか?」
柔らかな茶色い髪に、印象的なヘイゼルの瞳。
リオベルデ風のチュニックは膝丈でカジュアルな印象だったが、深みのあるバーガンディ色でなんとも人目を引く。
優しげな顔をしたこの美男子は……。
アレシアの兄、リオベルデ王国の国王、クルス・リオベルデだった。
「……クルス陛下!」
アレキサンドラが内心の動揺を隠して、美しい淑女の礼を見せると、廊下に固まった少女達から「きゃー!」という黄色い声が上がった。
ここは、ランス帝国、帝都アンジュランスにある女神神殿附属の孤児院。
オブライエン公爵令嬢改め、アレキサンドラ・ハロウェイ子爵令嬢は、すでに公爵邸を出て、新しい住まいが整うまで、職場である孤児院の1室を借りて住んでいた。
クルスは背後を振り返ると、少女達ににっこりと笑顔を見せた。
「お嬢さん方。アレキサンドラお姉様を少しお借りしても?」
クルスが話しかけると、少女達はこくこく、とうなづき、次の瞬間、まるでウサギのように、たたっと廊下を駆けていったのだった。
「可愛らしい少女達ですねえ」
クルスがのんびりと話しかけてきたが、アレキサンドラは困ったように眉を寄せていた。
黒髪の少女、アナマリアがクルスを連れて来たのが、アレキサンドラの自室だったからだ。
今更隠すこともないか。
アレキサンドラはそう心を決め、小さな部屋にクルスを招き入れた。
「クルス陛下、どうぞお入りくださいませ」
* * *
部屋に置かれているのは、簡素な木のベッドが2つ。
着替えを入れるための引き出しが同じく、左右に1つづつ置かれている。
そんな小さな部屋で、クルスはまるで宮殿の中にいるかのように、優雅に立っていた。
「今日は夜会のご招待に伺いました」
茶色の髪に、繊細なヘイゼルの瞳をしたクルスの顔は、いつの間にか、すっかり見慣れてしまった。
クルスの瞳に、角度によって、緑や金色の光が混じるのも、アレキサンドラは知っている。
アレキサンドラがクルスと協力しながら進めたアレシアの結婚式は、先週末、無事に済んだ。
クルスももうリオベルデ王国に帰国したかと思っていたのだが。
そんなことを思っていると、クルスはすっ、と銀色の飾り紐が結ばれた手紙を差し出した。
「リオベルデ王国大使館で開催する夜会の招待状です。ぜひ、あなたに来てほしい」
アレキサンドラは、驚いて、まるで宝石のような緑色の目を見開いた。
「実は、リオベルデに帰国する前に、結婚式でお世話になった帝国の方々を招き、大使館で返礼の夜会を催そうと思いまして」
しかし、アレキサンドラは落ち着いた微笑みを浮かべながら、「申し訳ありません」と言ったのだった。
「お礼ならもう、何度ももったいないお言葉を頂戴していますし、結婚式でお役に立てたなら、それで十分ですわ」
アレキサンドラの言葉に、クルスは困ったように笑った。
「あなたに『イエス』と言わせるのはなかなか難しいようだ」
クルスはアレキサンドラの着ている、襟の詰まった、濃い緑のワンピースを目に留めた。
それは、裕福な商家のお嬢様が着るような、質はいいが、ドレスと違い実用的なワンピースだった。
壁にも、同じようなワンピースが1枚、ハンガーに掛けられていた。
「可愛らしいお洋服ですね。あなたに緑はよく似合う」
クルスの言葉に、アレキサンドラは微笑んだ。
「実は、ドレスを持っていないのです。あらゆるものを手放しまして。ちょっと思い切りが良すぎたかもしれません。子爵邸に移る時には、子爵令嬢にふさわしいドレスを揃えようかと思っているのですが。でも……」
アレキサンドラは壁に掛けてある1枚のワンピースをそっと撫でた。
「孤児院の『お姉様』も楽しいものですのよ」と笑う。
「新しいアレキサンドラ、というわけですね」
クルスはそう言うと、わざとらしく困った顔を作った。
「実は私も困りごとがありまして。主催者なのに、エスコートする女性がいないのです」
アレキサンドラは小さく首を傾げた。
「私には婚約者もいませんし、ここは帝国の女性をエスコートすべきかと」
クルスは、名案だとばかりにうなづいた。
「アレシアの結婚式に多大な貢献をしてくださったのは、あなたです。そんなあなた抜きに、帝国への返礼である夜会は開催できない……」
クルスは悲しげに言った後、勝負とばかりに一気にたたみかけた。
「どうかあなたをエスコートさせていただき、リオベルデの感謝の気持ちを表させてはいただけないでしょうか。ハロウェイ子爵令嬢?」