【短編】異世界転移したら闇バイトさせられたあげく取っ捕まった件。「私、幸せにやってますので」
【シリーズ】【一話完結型】
設定ゆるゆる、ご容赦ください。
4月から新生活が始まる皆様、個人情報にはご注意を!
新生活、楽しんでくださいね!
※闇バイトという単語があるので、R15としています。過激な描写はありません。
※カウンセリングの描写がありますが、医学的根拠はありません。
地方から都内の大学へ進学した春。
新生活に期待を膨らませて、最寄駅に降り立った。
数人のスーツを着た男が、何やらアンケートを取っている。
大学の関係者かな?と思って、特に何も考えずにアンケートに答え、新しい住所を書いた。
大学生活にも慣れてきた頃、チラシが届いた。
『運命の分かれ道!
成功者に話を聞くチャンス!
君の将来は、君が決める!』
興味ないなと、小さく破って捨てた。
しばらく経ったある日、サークルの仲間たちと飲みに行った。
みんながお酒で良い気分になってきた頃、このサークルのOBだというスーツを着た男が加わった。
学生でも知っている高級時計を身につけ、スーツを着こなした男は、ふにゃふにゃになっている学生の中で、目立っていた。
その男が手にしていたチラシには
『君の将来は、君が決める!』と書いてあった。
思わず、私が「あっ!それ」
と言うと、男は私が興味を持ったと思ったのか、私の隣に座って話し出した。
男が言うには、このセミナーを受けたおかげで、お金持ちになり、高級時計を買えたらしい。
何やら小難しい話をするので、私の頭で理解できたのは、それだけだった。
ただただ、こくこくと相槌を打つ私を気に入ったのか、それから個人的に呼び出され、いかにそのセミナーが素晴らしいか、毎回ファミレスで語られた。
男は毎回、麺類を注文していた。
いつの間にか、男は私にとって初めての人になっていた。
止めてといっても私の部屋で煙草を吸うこの男は、見た目が良かった。
いつも高そうな服を着て、一緒に出かければ、素敵なバーに連れて行ってくれる。
私の友人たちの間でも、歳上で社会人で、金持ちの彼氏は羨ましがられた。
ある日、男が美術館へ連れて行ってくれた。
パンフレットには、
『特別展示・宇宙人の絵』と書いてある。
絵画に詳しくもなく、見ても分からなかったが、うんちくを傾ける男に合わせて頷いていた。
順路のとおり歩いていくと、広い空間に出た。そこに一点だけ、絵が飾られていた。
その絵を見た瞬間、心をグッと掴まれた気がして、なぜだか泣きそうになった。
題名は『宇宙人の絵』。
とても抽象的な絵だったが、私には分かる。これは女の人の横顔だ。
そこから動かなくなった私に、男はパンフレットを見ながら説明しだした。
「宇宙人の絵、数十年前に発見された絵。作者は不明だが、解析すると、この世界では手に入らない顔料が使われていることから、宇宙人が書いたものではないか、だって。へぇ、宇宙人も絵を描くのか。何描いてんのか、分からないな」
絵から目を離さずに、私がボソッと
「これ、上の方の黄色い波、麺じゃないかな」
というと、男はキョトンとした後、ブフォと笑った。
「麺!?何だそれ!アハハ!
お前に絵画はまだ早かったかな?
よし、今日はラーメン屋に連れて行ってやるよ」
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それから男はセミナーの仲間たちと起業をしたようだった。
私は大学を卒業し、家族経営の会社で働き始めたが、社長は機嫌が悪くなると面倒だし、全然給与は上がらないし、愚痴っぽくなっていた。
弱音を吐くと、男は必ず、
「世の中、勝ち組と負け組がいる。お前は負け組だ。でもお前はラッキーだ。なぜなら勝ち組の俺と付き合っているからな」
と、偉そうなことを言っていた。
ある日、男が早く帰ってきた。
いつもワックスで上げている前髪がバサバサになっている。
私を見るなり、
「俺とお前は運命共同体だよな」
と言い、書類を渡してきた。
細かい字で何やら書いてあったが、署名の欄に『連帯保証人』とある。
訝しげな視線を送ると、男は尊大な態度で
「どうせ結婚するんだから、問題ないだろう?」と言う。
結婚、という単語に舞い上がってしまった私は、男を信じ、書類をよく読まずにサインしてしまった。
…そして、男はいなくなった。
私に残ったのは数千万円の借金だけだった。もちろん、返す当てもない。
急に家に押しかけてきた男たちに連れられ、雑居ビルの中の一室で、縮こまっている。
「返せないとは、困りますねぇ」
目の前の眼鏡をかけた男が言う。
「お金で返すことができないのなら、どうです?実験台になりませんか?」
「実験台…?」
私が伺う様に男を見ると、眼鏡がキラッと光を反射した。
「そうです。実験台です。
依頼がありましてね。
実験台になってくれるなら、この借金が帳消になるほどのお金を約束する、と」
縋る思いで私は身を乗り出す。
「何の実験ですか?」
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説明を聞いてもいまいち分からなかったが、何やら転移装置で行う実験の被験者になって欲しい、ということだった。
さっそく依頼したという学者の元へ、住所を頼りに行くと、思ったよりも立派な建物で驚いた。
これだけ大きな会社だったら大丈夫だろう、と、何の根拠もない安心感を胸に、学者の部屋へ案内してもらった。
学者は、お爺さんで、私を見るなりこう言った。
「やっと!やっと参加してくれる人が来たか!この時を待っていたんだ!」
そう言って、私の手を取り、ぶんぶん上下に振った。
「私がまだ若かった頃、転移装置をとある座標にセットすると、装置からニュッと絵を持った手が出てきてな。絵だけ落として消えてしまった。
それ以来、転移装置の実験は失敗続きで予算も無くなり一度は頓挫した。
しかし、その後、その絵に莫大な値が付き、こうして転移装置を再度作ったのだ」
なんと、その絵というのが、私が見た『宇宙人の絵』だった。
「あの絵は女の人の横顔を描いた絵ですよね」
と私が言うと、学者は嬉しそうな顔をした。
「あの絵に興味があるのだな?
私は君に、あの座標の世界へ行ってほしいのだよ!それこそが私の依頼した内容だ」
「それはどこの国ですか?」
「どこの国かは分からない。そもそも、この世界ではないかもしれない。それから、帰って来れるかも分からない。
この座標自体、誤差もある。あの絵が出てきた世界から、位置の誤差も、時間の誤差もある。つまり、過去に行く可能性もあるってことさ」
帰って来れるか分からない、という言葉に私が沈黙すると、学者は困った顔をして言う。
「…だから今まで誰も被験者になってくれなかったのだよ」
そりゃそうだろうな、と私は思った。大金を貰えたって、帰って来れないのであれば使えない。でも、私は違う。
「私は、いただいたお金は借金で帳消しになるので、戻って来れなくても損はしない…かと」
自分でも危ない依頼だということは分かっていた。しかし、あの絵の時代に行ける(かもしれない)、
あの絵を描いた人に逢える(かもしれない)。
逢わなければならない、そんな気がしていた。
私が実験に了承すると、学者は喜んだ。
「転移装置は、こちらから転移はできるが、呼び寄せることはできない。
しかし、以前、絵を持った手が出てきたことから、あちらから意思を持っていれば、こちらへ転移することも可能だと推測される。君には是非、またこちらの世界へ帰ってきて欲しいのだ。また、研究費が尽きる前に…」
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それから数ヶ月後、私は実験に参加した。
結果だけ伝えると、転移は成功した。振り向くと、空間にできた亀裂が小さくなっていき、完全に消えた。
ここはどこか分からないけれど、取り敢えず、どこかに転移した。
そして、知らない言葉を話す、知らない人たちに囲まれ、保護された。
そこから数年かけて、この国の言語を習得した。
どうやらここは私がいた世界とは違うところで、小さな国のようだ。
地図を見せてもらうと、いくつかの国と隣接しており、人種も様々なのか、私の見た目でも浮くことはなかった。
小さいながらも資源が豊かな国で、だからこそ大国である隣国から侵略を受けていた。隣国との国境近くに住む人たちの多くは国外に逃げたり、私の住んでいる、隣国とは反対側の街に居を移していた。
数年間、この小国で過ごしてきて、知り合いもできたし、この国に愛着が湧き始めていた。けれど、この国の人たちの愛国心には、ついていけないときがあった。
この国の民の多くは訓練を受け、それぞれの特性を活かし、軍に従事している。
私も外国人(異世界人?)ながらも、何かできることを求められたが、こちらの世界の人たちに比べて体力が無さすぎた。
皆、国のために何かしている環境で、何の役にも立っていない私は、少し浮きつつあった。そんな時、世話になっているパン屋の主人が、手紙を書く仕事を紹介してくれた。
手紙は、この国への侵略を進めている隣国と同じくらい大国で、平和の国と呼ばれる国へ送るらしい。
大した説明もなく、平和の国の言葉を即席で教えられ、さっそく言われたとおりに手紙を書く。言語は小国と大きく違わなかったので、すんなり頭に入った。
印刷技術が無いのか、それとも予算がないのか、全て手書きで、大量に書かされた。
とにかく必死で書いているうちに、ふと、この手紙の意味を考えた。
手紙は、貴族から貴族へ宛てた何の変哲もない内容だったが、貴族の名前と住所が載っている一覧を元に、宛先はとにかくランダムで書いている。
なぜこんな手紙が必要なのか、代筆業なのだろうかと思いながら手を動かした。
しばらくすると、手紙の内容に変化が現れた。
返ってきた手紙に、返事を書くよう指示されたのだ。
手紙の差出人は、以前、ランダムに私が書いた、あちらの国の貴族からだったが、送り先もあちらの国の住所になっている。その手紙がなぜここにあるのだろうか。
手紙の返事のほとんどが、
『宛先を間違っていますよ』
という内容だった。
指示通りに、謝罪の文言と、これも何かの縁なので、仲良くして欲しいという旨を書いた。
次第にそれぞれに合わせた返事を書くようになったが、返事が来る人は、当初出した手紙の一割にも満たなかった。
「これ、ほとんどの人は返事がありませんでしたけど、いいんですか?」
私が聞くと、取りまとめをしている男が真面目な顔をして言った。
「それでいい。数打てば当たる。当たればそこから広がるさ」
長い時間をかけてやり取りを行い、最後は、とあるパーティーへの参加を促す手紙を書いて、私の仕事は終了だ。
ここまで来ると、なんとなく私の仕事の意味が想像できた。
あちらの国の貴族に、宛先を間違えた風に装って手紙を送り、返事をしてくれた優しい人たちを信用させ、パーティーに呼び寄せ、何か小国のためにするのだろう、と。
『これ、いわゆる闇バイトでは?』
自分がしたことで、文通を続けた彼らがどうなるのかを考え、今更ゾクっとしてしまった。
「このパーティーに来た人たちはどうなるんですか?」
怖々聞いた私に男は答える。
「なに、我が国に協力をしてもらうだけだよ。何も傷つけたりしない。我々は隣国のような野蛮な人間ではないからな」
我が国こそ正義と言わんばかりの男に、私はどうしても違和感が拭えずにいた。
『そうは言っても、正しいこととは思えない…』
これも隣国が小国を侵略しなければ起こらなかったことなのかな、と思うと、隣国を恨む気持ちが芽生えて、自分で驚いてしまった。
『私まで隣国を恨み始めている。そりゃあ、隣国がこの国を侵略しているのは許せないし、お世話になった人たちが困っているのは私も悲しいけれど…。でも、この国がやっていることも、正しいとは思えない。
戦争ってこうやって起こるんだ…』
それから、私は自分がやっている仕事についての疑問が付きまとい、かといって辞められず、ズブズブと闇に足を突っ込んでいるような、そんな気持ちで毎日を過ごした。
ある日、勇気を出して男に聞いた。
「この国と隣国の争いは、平和の国には関係のないことですよね。私たちがやっていることが正しいとは思えないのですが…」
怒るかな?と思いビクビクしていると、意外にも、男は悲しそうな顔をした。
「…分かっているよ。
私にも、平和の国へ嫁いだ親戚がいる。我が国と隣国の争いに、かの国は関係がない」
ため息をついた男は窓の外を見ながら続けた。
「我が国は小さく、隣国は大国だ。隣国からの侵略行為に、我が国だけでは対応しきれない。
手紙の宛先である平和の国は、憎き隣国と同等の力を有しているから、隣国を諌めるよう、我が国からお願いしたこともある。
平和の国は経済制裁を加えたりして隣国を諌めてくれたが、結果はこれだ。
隣国は、平和の国とは良好な関係を保ちつつ、小国は手に入れたい、という考えなのさ。
かくかる上は、国ではなく、権力を持つ貴族を取り込み、支援してもらいたい。そのために手紙以外にも様々な活動をしている。
我々だって、騙すような真似はしたくない。
しかし、”正しい“ことばかりしていても、我が国は侵略される一方だ。
そうだろう?全ては隣国が悪いのだ」
自分に言い聞かせるように話した男は、今日の仕事はこれで終わりだ、と言って、どこかへ行ってしまった。
私は何も言えなかった。
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仕事からの帰り道、ぼーっとしながら、人気のない道を歩いていた。
この道は、二階を借りているパン屋への近道だった。
すると、目の前に男が現れ、挨拶された。どこから現れたんだろうと驚いていると、手紙を取り出してこう言った。
「失礼ですが、この手紙を書かれたのは貴方ですか?」
私は思わず、あっ!と声を出した。私がせっせと書いた手紙だった。手紙は持ち出し禁止だと、口酸っぱく言われていたのに、間違えて持ってきて、どこかで落としたのだろうか。
「すみません!拾ってくださってありがとうございます!私のです」
そう言って素早く手紙を受け取り、来た道を戻ろうと振り返った。
いつの間にか、もう一人の男が目の前に立っていた。
そして、取っ捕まった。
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男二人に連れられ、見た目は普通の一軒家に入った。しかし中には家具がなく、がらんとした暗い部屋だった。
「つまり、貴方は手紙を書いていたことは認めるが、何も知らないと?」
私はこくこくと頷いた。どうやら男たちは、私が書いた手紙の宛先の国、幸せの国から来た、スパイのような人たちらしかった。悪いことをしている自覚があった私は、気が動転して、この国へ転移してきた理由から全てを話した。
そんなアワアワ喋る私を見て男たちは顔を見合わせた。
「どう思う?」
「嘘を言っているようには見えない」
「一種の洗脳か?」
「いや、こういう妄言を繰り返す症例を見たことがある」
「精神的なものか?」
「ああ。彼女の頭の中では、異世界にいたことも本当のことと認識しているのだろう」
そして私は、手紙の宛先であった幸せの国へ連れていかれた。
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「療養所…?」
この国へ連れてこられた後、様々な人に色々なことを聞かれ、正直に答えていたら、療養所へ入れられた。
最後に会った人からは
「無理やり連れてきて悪かったな。しかし小国へは戻してやれない。療養所で静養してくれ」とだけ言われた。
広々とした丘の上に建っているこの建物は、この国の王妃が設置した、精神的に休息が必要な人たちの療養所らしい。
ここにいる人たちは、ある程度のスケジュールはあるものの、それぞれに思い思いの時間を過ごしていた。
そして、たまにカウンセリングを受けた。室内の砂場で、沢山の木や動物の小さい置物を好きに置いてくださいと言われ、子供のおもちゃみたいだなぁと思いながらやってみた。
私がやり終えると、カウンセリングしてくれる女性から、
「この中に、あなたはいますか?」
などと質問され、素直に答えると、女性は笑顔で静かに頷いていた。
療養所での暮らしにも慣れた頃、いつも同じ場所で外を見つめる、まだ若い男を見つけた。彼の手元には紙が一枚置いてある。
暇を持て余した私が、そっと男の紙を覗くと、何も書いていなかった。
私が覗き込んだことに驚いたような顔をして、こちらを見た男は、無精髭を生やしていた。
「何か書かないんですか?」
私がそう聞くと、男は紙に視線を落とした。そういえば、紙があるだけで、ペンが見当たらない。
「描かないんじゃない。描けないんだ」
そう言って、私に隣の椅子を勧め、また外を見た。
それから毎日のように私たちは隣に座って外を眺めていた。
なんだか、今まで色々あってゆっくり考えることもなかったが、改めて、異世界へ転移したんだなぁと感じた。
なんだか、元の国にいたのは遠い昔のことのように思える。
細く伸びる雲を見ていると、ふと、『ラーメンが食べたいな』と思った。
「らあめん?」
男がこちらを見て聞いた。
思わず口に出ていたようだ。
私は彼に、私がいた世界のこと、そしてラーメンのことを話した。
それから会うたびに、男は元いた世界の話を聞きたがった。
私の話を聞きながら、彼は
「それはどんな色をしているの?」
だとか、
「その時の気持ちはどんな色だった?」
などと、やたらと色を気にしていた。
私が話すようになってしばらく経つと、彼も自分のことを話すようになった。
「僕は画家だったんだ。両親も応援してくれていた。貴族の中で肖像画を描くのが流行ってね、僕も多くの依頼を受けて忙しくしていた。
ある時、女性の裸体を描いて欲しいと頼まれてね。その絵がとても好評で、評判になったんだ。
それから僕に来るのは裸体の依頼ばかり。どんどん際どいものになっていったよ。
ある時、依頼を受けた絵を描かなければならないのに、筆がのらなくなってしまって、描けなくなってしまったんだ。だんだん家の中に閉じこもるようになって、一人でいると不安という塊がゴロゴロ坂を転がって、次第に大きくなっていくような、逃げ場の無さを感じたよ。
母はよく僕の話しを聞いてくれた。でもある日、母が言ったんだ。
もうやめて、もう聞きたくない、って。
今なら分かるよ。母は僕の気持ちを分かろうとしすぎた。
僕の気持ちを理解しようと、寄り添っているうちに、心が疲れてしまったんだ」
彼は辛そうな表情でしばらく黙った後、私を見て自嘲気味に笑った。
「見かねた父が、この療養所を紹介してくれたってわけさ。実は僕の両親はお金持ちでね。この国で化粧品と言えば、我が家の会社の物なんだ」
彼が言うには、この療養所で過ごすには、それなりのお金がかかると言う。私はそんなお金払った覚えが無かった。
一体誰が払っているのだろう。もしかして、あのスパイの人たちだろうか。
そうだとしたら申し訳ない。
さっそくいつもカウンセリングしてくれる女性に聞いた。
「あの、私、この施設にいるのにお金を払ったことがないのですが…」
すると女性はにこやかに微笑みながら答えた。
「それは私がお答えできることではありませんね。今度、その問いに答えてくれる人と会えるよう、伝えておきます」
そう言いながら女性は丸いボールのような物とランプを用意し、今日は光と影について考えてみましょう、と言った。
カーテンを閉めた、暗くした部屋で、女性はボールに光を当てる。
ボールの片側だけ、明るくなった。
「この球体は明るいですか?暗いですか?」
女性が私に聞く。
「光が当たっている部分は明るいですが、当たっていない部分は暗いですね」
私がそう言うと、女性は微笑み、カーテンを開けて部屋を明るくした。
「そのとおりですね。光が当たっている部分は明るく、当たっていない部分は暗い。表と裏、どちらが表で、裏かは、見る場所によって異なります。貴方は今、どこからご自身を見ていますか?」
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その日も画家の彼と話しをした。話題は私の今日のカウンセリングだった。
「そんな話をしてくれたんだけど、私は答えられなかったよ」
そう言った私に、彼は頷いた。
「答えられなくてもいいんだよ。
そうだなぁ、僕はその話を聞いて、少し安心したかな。
きっと僕は暗い場所から球体を見て、これが僕の全てのように思っていた。
反対側に明るい部分があるなんて、分からなかったんだ。
でも、君と出会って、君の面白い異世界の話を聞くようになって、少しずつ見方が変わってきた。向こうのほうに明るい部分が見えてきたような、そんな気分だよ」
また絵を描きたいな、と呟いた彼は一筋の涙を流した。
「…またそう思える日が来るなんて、思わなかったよ…」
それからしばらく日が経ち、私は知らない男と面会をした。
私が、この施設へお金を払っていない件について、答えられる人だろうか。
男は私を見てこう言った。
「元気そうですね。あ、そう言ってもいいのかな」
チラリと私の後ろにいる男性の医者に視線を向ける。医者がこくりと頷くのを見て、男は続けた。
「お金の件でしたね。ええ、貴方の分は全額補助しています。
貴方の扱いは少々…特殊でして。我々が勝手に連れてきたということもあって、様子を見るためにもここへ…。ハッキリ言うと、ここへ閉じ込めていたのです」
申し訳なかったと頭を下げる男を、私は止めた。
「謝らないでください。でも、もうここから出て、自分で働くべきだと思うのですが、それは無理ですか?」
男はチラッと医者を見た。
医者はまた頷いたようだった。
「分かりました。その手続きを行いましょう。仕事はあまり選べませんが、何か希望はありますか?」
私は、怪しい仕事でなければなんでも、と言った。
その後、画家の男にも事情を説明した。すると男は慌てて、どこかへ行ってしまった。
それから、1ヶ月後、住み込みで働けるところが見つかったので、この施設から卒業する日を迎えた。
荷物を持たない私の隣には、なぜか画家の男が付いてきた。
「僕もこの施設を卒業することになったんだ」
そう言った男の顔には髭がなく、ニコッと微笑んだ。
あれから私は化粧品を売る販売員の仕事に就いた。
私自身がこれまで化粧をしてこなかったため、一から勉強した。
化粧一つで自分の顔が少し好きになれる、化粧を施されたお客さんが笑顔になる、そんな小さな幸せの積み重ねが、私には合っていたようだ。
先輩は新色の口紅を試しながらこう言った。
「化粧はさ、誰かのためじゃなく、自分のためにしてもいいと思うの。
口紅一本引くだけで、気分が上がるでしょう?そうやって、自分で自分の機嫌を取るの。どう?素敵でしょう?」
そう言って私に唇を見せてくれる。
私たちは、発色や、塗り心地についてあれこれ話し、お客様にどうやってお勧めするか意見を出し合った。
あれから、画家の男とも頻繁に会っていた。というのも、私が働いている会社は、彼の家の会社だったし、社長は彼の親だった。
彼の家に遊びに行くと、優しそうな両親がおり、母親は私の手を取って話しかけた。
「貴方ね、この子に光を当ててくれたのは。ありがとう。本当にありがとう…」
そう言って、涙を流した。
父親は、私にだけ聞こえる声で、
「うちの息子に取っ捕まったな。逃げるなら今のうちだぞ」
と、イタズラな笑みを浮かべ言った。
画家の男は、絵を再開していた。人物はまだ描けないそうだが、植物や、施設から見ていた風景等を描いた。
また、元々好きだったと言う抽象的な絵を好んで描いた。
「人それぞれ、感情の一つ一つに色があると思うんだ」
そう話す彼は、嬉しそうだった。
描いた絵は、施設へ寄贈し、施設を利用する人たちの目を楽しませた。
売らなくていいのかと聞いたことがある。男は真面目な顔をしてこう言った。
「金が絡むと描きたいものが描けないだろう。僕は、お金が欲しいんじゃない。描きたいものを描く、それが僕の芸術さ」
私は、金持ちの道楽とはこういうことを言うのだろうか、と思ったが、口には出さなかった。
彼の両親も、そんな彼を応援しており、すねかじり息子とその親…と思ったが、それも口には出さなかった。
辛い思いをしてきた彼ら家族が幸せそうにしている。
それでいいのだと、私は思った。
ある日、彼の抽象的な絵に注文が入った。なんと、この国の王女様が彼の絵を気に入ったらしい。
どこで彼の絵を見たのか分からないが、一つ売って欲しい、と王宮からの遣いが来たと聞いて、私はびっくりしてしまった。
彼は新たに注文は受けないが、既に描いた絵なら売ってもいいと言い、相手の言い値で売ったという。
それがとてつもない値段だった。
彼や両親は、王女様はお目が高いな〜なんて喜んでいるが、懐に入った莫大なお金のことは大して気にならないようだった。それどころか、その大半を施設に寄付していた。
それから彼の画家としての活躍ぶりは素晴らしかった。相変わらず人物画は描かないし、新たな依頼も受けないが、彼が描きたい時に描いた絵を、少しずつ売っていた。それでも、絵一枚に、私が働いて稼げる数年分以上の値が付いた。
ある日、彼は私に見せたいものがあると言って、街の中でも自然が豊かなエリアに連れてきてくれた。
門から入り、手入れされた素敵な自然公園の中を進むと、小さいながらも可愛らしい家がポツンと建っていた。
誰か知り合いの家かな?と思い、彼に促されるまま中に入ると、こじんまりとした家具が並ぶ中に、一枚の絵が立て掛けてあった。
その絵を見て、私は、あっ!と思わず声を出した。
抽象的なその絵は、あの時に見た『宇宙人の絵』だった。
驚きのあまり固まる私をよそに、彼は照れたように言った。
「君の絵を描いたんだ」
私はハッとして彼を見た。
「貴方が?
人の絵は描けないって…」
「君のことは描きたいと思えたんだ。僕のミューズ、どうか僕と結婚しておくれ」
そう言って男は膝をつき、手を差し出して、私を見つめる。
この目だ。
私はこの目に救われてきたのだと、じわじわ胸が温かくなった。
流されるままにここへ来た。異世界転移し、闇バイトをしてしまい、取っ捕まって…そして、私を必要としてくれる人が現れて、愛の籠った目で、見つめてくれる。
胸が詰まって言葉がでない。
胸から広がった熱は耳たぶまで届き、私の目から熱い涙が流れた。
彼の手を取って、私の流浪の旅は終わった。ここが、私のいるべきところだと、やっと思えた。
その後、この絵と、この家も君のものだと言われて、涙も何も引っ込んでしまった。
「え?この家って…どこまでが敷地なの?」
「門があっただろう?そこからだよ」
なんと公共の自然公園だと思っていたのは庭だった。驚きの事実に私が目を見開いていると、彼はもう一度膝をついて行った。
「君の家に僕も住まわせてくれないか?」
私は笑いながら聞いた。
「もちろん。あなたがいないと意味がないもの。それにしても、断られたらどうするつもりだったの?」
「うーん、そこまで考えていなかったな。君の絵を描いて、それを渡す。
そうしたら、君は笑ってくれると思ったんだ。その通りだっただろう?」
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その後、彼の絵を見ながら二人でくっついて話をした。
「この絵の私、幸せそうだね」
「そうだね。僕といる時はいつもこんな顔をしているよ」
「そうなの?」
二人でクスクス笑う。
「ねぇ、この絵の上の方、私の髪の毛になるのかな?これって…」
「そう、君が話してくれたラーメンだよ。あの話から、僕たちは始まった。ラーメンの麺とやらは、黄金色をしているんだろう?」
「そうだけど、頭に麺って、面白いね」
「これは君の頭の中を表しているんだ。あの時、君の頭の中にはラーメンがあったはずだ」
「当たり!」
そんな話をしていると、突然、目の前の空間に亀裂ができた。
私はハッとして言った。
「転移の亀裂だ!」
私の言葉に、彼は私の手をギュッと握って言う。
「なんだって!?これが?
君は帰らなければならないのか?」
驚いた彼の顔を見ながら、私は冷静だった。
「いいえ、帰らない。
私の居場所はこの世界にある」
とはいえ、元の世界から、帰るよう呼ばれているのかもしれない。
どうしようか迷ったが、私はこの世界で幸せに暮らしています、とメッセージを送って、諦めてもらおうと考えた。
私は、目の前にあった絵を掴んで、空間の切れ目に突っ込んだ。
腕まで突っ込んで、絵を手放すと、絵だけが無くなった。
「私、この絵のとおり、こちらで幸せにやってますので、これで勘弁してください!!!」
そう叫ぶと、空間の裂け目が小さくなり、最後には消えた。
ずっと私の反対の手を強く握っていた彼は、裂け目が消えたのを見て、ドッと座り込んだ。
「絵、せっかく貰ったのに、ごめんね」
私が息を切らしながら、そう言うと、彼はゆるゆると首を振って私を抱きしめた。
「君さえいれば、何もいらない。
この世界に残ってくれてありがとう」
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その後、男は『異世界』と題して、空間の亀裂をモチーフにした絵を描いた。その禍々しくもエネルギーに満ちた絵は人気を博したという。
男は妻となった女性を一途に愛し、人物画は彼のミューズである妻の絵しか描かなかったという。
彼の妻は、夫の稼ぎに頼らず、働けなくなる日まで、化粧品の販売員をやり続け、慎ましい生活を好んだ。
男が絵を売って得られたお金の多くは妻に渡していたようだが、妻は、その大半を、戦火を逃れてきた難民の受け入れ支援に充てた。
男の絵は、没後、王都美術館に展示された。彼の代表作は二作品あった。
一作目は、国境に押しかける難民に手を差し伸べる女の絵であり、題名は『僕たちの女神』。
もう一作は、禍々しい光に手を入れる女の抽象的な絵であり、題名は『私、幸せにやってますので!』だった。
シリーズ内の作品は、全て同じ世界観です。
ぜひ、他の作品も楽しんでください。
次は変わり者の王女の話も書きたいな。