初恋の猛攻 (通称「冷淡」令嬢ですが、ただの小心者ですみません。sideE)
ご要望がありましたので、エドワード視点のお話を書かせていただきました。本編の裏話のようなものです。
その後の2人も描いておりますので、読んでいただけると幸いです!
たくさんの方に読んでいただけて、本当に嬉しいです。ありがとうございます!!
「殿下のこと、エドって呼んでもいいのですか?……怒られない?」
「エド、エド!すごいです、もうこんな問題が解けるのですかっ!私も頑張らなければ……」
「エドぉぉぉ…お茶会にエドがいて良かったです……。今日は初めてだし、心細くて死んでしまうかと思いました」
おずおずと僕の愛称を呼んでいたのが、目に涙をためながらも信頼の色を乗せ、眩い笑顔まで見せてくれるようになったのはいつからだったか。
*****
僕に彼女が初めて笑顔を向けてくれたときのことは今でも鮮明に覚えている。
兄上の婚約者になった子だと紹介された彼女は、とても可愛らしい少女だった。栗色の髪がふわふわと揺れ、パッチリとした翡翠の瞳に薄桃色の唇が愛らしい。しかし、そんな可愛らしい彼女は始終無表情で。兄上はそれが面白くないようだった。
子供だけで遊んできなさいと両親に言われたときも、兄上は「エドワード、カミーユを頼む」とだけ言って、さっさと自室に戻っていった。
その時に偶然見てしまった彼女────カミーユの安堵したような顔。仮面の下から垣間見えた年相応の少女の姿に、僕は釘付けになった。
仮面を外すことが出来れば、この少女は笑ってくれるだろうか。
そう思い、僕は許された時間の中で、たくさんカミーユに話しかけた。庭園を案内したり、とっておきのお茶を用意したりもした。しかし、カミーユはその無表情の仮面を外すことはなく、幼い僕はついに泣きそうになってしまった。
「あの、エドワード殿下……?」
「エド」
「え?」
「エドって呼んでください」
顔を覗き込んだカミーユに僕は自棄になってそう言った。彼女は眉尻を下げて、困惑した表情を浮かべたので、僕は少しだけ嬉しくなった。
怒られるかもしれないとカミーユは言ったが、婚約者の弟を愛称で呼ぶくらい大丈夫だろう。それよりも、カミーユと僕の間にある見えない壁を少しでも乗り越えたくて必死だった。
「僕もカミーユって呼びます!!…あ、やっぱり年下のくせに生意気でしたよね……すみません」
「ふっふふ……」
しょんぼりと肩を落とした僕は、堪えたような笑い声に、はっと顔を上げる。
そこには、口元を手で覆ってくすくすと笑う、まるで天使のように可愛らしい少女がいた。僕の気持ちが通じたのか、こんな笑顔を見せてくれるだなんて。
嬉しい嬉しい嬉しい!
顔に熱が集まってくるのを感じたが、僕はそれでもカミーユから目を逸らすことが出来なかった。少しでも長くこの笑顔が見たいと思った。
「僕はカミーユの味方です。だから、もっとこんなふうに笑い合いたいと、思っているのですが……」
「ふふ、はい。私も、殿下…エドは大人びていらっしゃるから、気を張ってしまっていて。ですが、エドのしょんぼりした顔を見たらなんだか安心しました」
僕の顔?どんな顔をしていたのか気になるが、カミーユが安心してくれたのだから良しとしよう。
「カミーユ、僕とも仲良くしてくださいますか?」
「はい、よろしくお願い致します」
そう言ったカミーユは、まだ少しぎこちなかったけれど、それでも心からの笑顔を向けてくれた気がした。
その笑顔に、胸がぎゅうっと締めつけられるような気持ちになったが、カミーユは兄上の婚約者だということを思い出し、その気持ちをなんとか押し止める。この気持ちは、絶対に明かしてはいけない。
僕の初恋は、たったの一日で終わってしまった。
*****
愚かだ。見ているだけで、吐き気がする。
「私、フレデリック・ヴァルテーユは、リリバント公爵令嬢、カミーユとの婚約を破棄し、このウアキル男爵令嬢、クラリスと結ばれることをここに宣言する!!」
そうのたまった馬鹿は、頭が空っぽであろう女を抱き寄せ、カミーユに叫んだ。自分に酔っているさまは酷く滑稽だ。
まさか王家主催の場でこんな非常識なことをするとは思わなかったので、一歩出遅れてしまった。
「はい、では今夜は失礼させていただきます。フレデリック様…いえ、今はもう王太子殿下とお呼びした方がよろしいのでしょう。正式なお話はリリバント公爵家からまた後ほど……。皆様もお見苦しいところをお見せして申し訳ありません。では、素敵な夜を」
美しく成長したカミーユは、淡々と言葉を紡ぎ、くるりと踵を返すと優雅な所作で会場を出ていってしまった。まるで、婚約破棄を告げたのは自分だとでも言うように。
凛と背筋を伸ばして歩く姿に見惚れそうになりながらも、僕は後を追いかける。
「カミーユ!待ってください!!」
馬車に乗り込んだカミーユに焦り思わずそう呼ぶと、先程までの感情の乗らない瞳が大きく見開かれ、視線が合う。
不安でいっぱいだと、今後が怖いと訴えるような視線に、申し訳ないと思いながらも、僕には弱いところも見せてくれるのだという幸福感と、あの馬鹿たちへの少しの優越感を抱いた。
馬車に乗り込み、カミーユの愚痴を聞いた。彼女は、自分は小心者だからと卑下するが、僕としては普段から頑張り過ぎているのだと思う。もっと、弱音でもなんでも吐き出して欲しい。…あわよくばその隣には僕がいたらいい。
僕だったら、カミーユを悲しませることはしない。
僕だったら、彼女が安心して笑っていられるように尽力する。
僕だったら、彼女が自分を卑下する隙がないくらいドロドロに甘やかしてあげるのに。
僕だったら、カミーユを袖にしたあの馬鹿共は徹底的に叩き潰す。絶対に。
片想いを拗らせた男の執念をなめるなよ?
*****
「なっ、何故だ!?……父上!リリバント公爵とエドワードが言うことは全てデタラメです!」
「そっ…そうです!私達は、運命の恋なのです!婚前にそんなことは……」
「黙れ。我はもうお前の父ではない。そこの娘、動かぬ証拠を前にしてまだ弁明を続けると?」
圧を感じさせる国王陛下の言葉に、喚いていた2人は青ざめて閉口した。
「お2人の権力を笠に着た行動、婚約者に対する不誠実な行為、侮辱。たくさんの証言者が語ってくれました」
僕は冷えた声で彼らに告げる。まあ、証言者の多くは彼らの元取り巻きだったけれど。清々しいほどの手のひら返しだね。
ここは王の執務室。今行われているのは、王家の権威を貶めた王太子とそれを唆した男爵家令嬢への断罪。流石に公の場ですることはできないので、ここにいるのは僕と国王陛下、リリバント公爵、断罪対象の2人だけだ。
この判断をして本当に良かった。これを公にしようものなら、民からの王家への信頼は地に落ち、貴族達もここぞとばかりに隙を狙って国家転覆を謀ろうとするだろう。
それに、カミーユは絶対に怯える。国を揺るがす大事に巻き込まれたと知ったら、罪悪感で潰れてしまうだろう。
「フレデリック、お前はウアキル男爵家に婿入りだ。王家からの援助など一切ないと考えろ。まあ、あの無能な狸にも灸を据えられるだろうし、このくらいで許してやろう」
「陛下、我が娘への接触禁止もお忘れなく」
「ああ、もちろんだ公爵。というわけだ。……運命の恋が成就するのだから、軽すぎるくらいの処罰だろう?」
国王陛下がにやりと笑うと、馬鹿共は「い、いや…でも……」などとごにゃごにゃ言い始める。
僕達が、そろそろこの茶番を終わらせようと口を開きかけたところで、フレデリックが声を上げた。
「かっ…カミーユは!そうだ、カミーユは私のことを愛している!カミーユの愛に応えてあげなければ…!私はそこの顔だけの女に騙されたのだ!!ああ、早く気づいてあげられなくて済まない…カミーユこそが本当の……」
「なっ、ひどいわ!最初にちょっかいかけてきたのは貴方じゃないの!冷淡令嬢なんかと早く別れて私と一緒になりたいって言ったんじゃない!!最っ低!!!」
「うるさい!私を誑かした悪女め!!……陛下、私は騙されていたのです!罰は全てこの者に!」
その捲し立てられた妄言に、僕は体の芯から冷えていくのを感じた。一度は兄と慕ったものが、今はただの愚者にしか見えなくなった。
「お2人の痴話喧嘩は、男爵領にお戻りになってからお願いします。そしてカミーユは、次期王である私の婚約者となりましたので。彼女は私の前ではとても愛らしく笑ってくれますよ。冷淡令嬢だなんて、誰が言ったのでしょうね?」
怒りを抑え、あえて笑顔でそう言うと、フレデリックは声にならない叫びを上げ、女は「王妃になるのは私よぉぉ!!」と膝から崩れ落ちた。
リリバント公爵が指示を出し、半狂乱になった2人は騎士たちによって連行される。
これで全てが終わった。
あとは、カミーユに会いにいくだけだ。
僕は胸ポケットに入れられた刺繍入りのハンカチをそっと撫で、2度目の失恋に覚悟を決めた。
まさか、2度目の失恋のつもりが、成就するだなんて、思ってもみなかった。
*****
リンゴーン、リンゴーン。
教会の鐘が鳴る。これは、国を挙げての祝い事が始まる合図だ。観劇のモデルとなった1組のカップルが結ばれる様を見ようと、多くの人々が教会の前に押しかけていた。
「うわあ、すごい人ですねぇ…カミーユ様、心労で倒れませんかね?」
「ユース、有り得そうな冗談を言うのはやめろ」
洒落にならない冗談を言った側近は、なんとも言えない生ぬるい表情で僕を見る。
「いや、殿下。そわそわしすぎですって。カミーユ様のドレス選びには参加したのでしょう」
「それとこれとは話が別だ。今日、史上最高に美しいカミーユを見られるんだぞ?それも、絶対に手が届かないと思っていた彼女の隣で」
「ああ、確かに殿下はかなり拗らせてましたもんね……」
「………」
失礼な側近を無視して、新婦の控え室に目をやる。
「新婦様のご支度が整いました」
その声とともに、ガチャりと控え室のドアノブを回して中に入った。ドアを閉めてゆっくり振り返ると、そこには純白のドレスを身にまとった、妖精のように可憐な女性が居た。細いウエストからふんわりと広がった光沢のある生地の上には、何枚もチュールが重ねられており、光に透けると淡い金に輝いているようにも見える。自分の髪の色を身に纏わせているようで、胸の奥の独占欲が満たされた。
「え、エド……」
「どうしたんですか?」
美しい花嫁は、表情を固くしながら僕の服の袖をそっと掴む。
「……人が、たくさんいます」
「そうですね」
「やっぱりあの演目の影響でしょうか!?…ああ、皆さんはあの女優さんのような美しいお姫様を想像しているでしょうに。私が現れてガッカリされてしまわないかしら……」
花嫁───カミーユは、世間の印象とは反対の、気弱で心配性女性だ。今もこうして、自分が受け入れられるかどうか心配している。様々な状況を柔軟に考えられるのは場合によってはいいことだが、自身の結婚式で発揮するものではない。
それにカミーユは自分の美しさを正しく把握していない。……僕がどれだけそんな彼女に焦がれていたのかも。
「僕はカミーユが1番美しいと思いますけど?」
「へ!?いえ、それは……身内贔屓で…」
「身内贔屓で結構。僕が何年貴方に恋焦がれていたと思っているのですか。ねえ、カミーユ。僕は、僕の隣に立つ貴女を見せびらかしたいと思う反面、こんなにも美しい貴女を誰にも見せないで囲ってしまいたいとも思っているのですよ」
そう言って彼女の紅色の頬から形のいい顎へと手を滑らせる。顎を少し持ち上げれば、僕とカミーユの顔は数センチの距離へと近づく。
「あ、あの?え、ど……」
ちゅっ
軽いリップ音を鳴らして、2人の唇が重なる。閉じた目を開いてカミーユを見ると、彼女の顔は耳まで真っ赤だった。しかし、先程までの強ばった表情は和らいだので、良しとする。
「ふふっ、顔が林檎みたいに赤くなってる。……この可愛らしい顔だけは絶対に他の人には見せてはいけませんよ?」
幾度となく繰り返した言葉を耳元で囁けば、カミーユは更に顔を赤く染め上げて、涙目になりながら、僕を睨む。……その表情があまりにも可愛くて、もう一度口付けしたいくらいだ。
「もっ…エドだって!そんなかっこいい顔、他の女の人には…見せないで……?」
自分で言って恥ずかしくなったのか、カミーユの言葉はだんだん小さくなっていったが、僕には一言一句聞き取れた。
「なんだこの可愛い生き物……」
つい声に出てしまった。カミーユには聞こえていなかったようで首を傾げているが、傍に控えていた侍女のメアリーは、にこにこと嬉しそうに僕たちを見ている。
上目遣いでじっと見つめるカミーユがあまりにも愛おしくて、もう一度口付けをしようと彼女の腰に手を回す。
2人の唇がまた近づいて────────
「殿下、ただでさえ紅が取れてしまっているのですから、これ以上はおやめ下さい。髪も崩れてしまいますわ」
先程と同様、にこにこと笑うメアリーからストップがかかった。……顔は笑っているが、圧がすごい。
「……ぁ」
なにかに気づいたカミーユが僕の口元を見つめた後、赤面して固まる。その意味に気づいた僕は、自分の唇をぺろりと舐めた。
「今日は最高のカミーユを見せたいので、これ以上は我慢しますよ。ですが、可愛いカミーユは僕だけのものですから。頼みましたよ、『冷淡令嬢』?」
少し挑発的にカミーユに微笑む。普段はこんなことを言わないので、カミーユに驚かれたかもしれない。こんな僕は嫌だろうか。
こんなとき、僕は柄にもなく不安になる。だって、ずっと想い続けてきた女性なのだ。彼女にハッパをかけるためだとしても、嫌な感情は抱かれたくない。
不安げにカミーユを見ると、彼女はすっと背筋を伸ばし、凛とした美しい声を響かせた。
「ご心配には及びませんわ。私、場数だけは踏んでおりますので。今日を『冷淡令嬢』と『優秀な王太子殿下』の完璧な結婚式にして差し上げます」
声も震えておらず、凛々しく美しくそう発するカミーユの瞳は、何も知らない者には何を考えているのか分からない、冷たいものに見えることだろう。
だが、僕は知っている。僕のことを想って演じてくれている仮面の下で、本当はとても緊張しているということを。
僕はそんなカミーユに嬉しくなって、また抱きしめようと手を伸ばした────のだが、
「ですから、お式の前にドレスにシワをつけるのはおやめくださいませ」
言い含めるように言うメアリーに気圧されて、僕はカミーユをエスコートすべく、腕を差し出した。
カミーユの歩幅に合わせて、彼女の父である公爵が待つ、教会の扉の前に向かう。
僕が10年以上抑えてきたこの恋情は、長い長い遠回りを経て、やっと届いた。
きっと後ろから見るのだろうと思っていた愛しい人の花嫁姿を、今僕は隣に立って見ている。
それがただただ幸せで、しかし、ここで満足できるほど僕はできた人間ではない。
今まで抑えてきた気持ちをもう我慢しなくて良いのだから、これからはカミーユを愛して愛して、これ以上ないくらいに甘やかして、僕なしじゃいられなくしてあげる。
これが、初恋を諦めきれなかった男の猛攻だ。手加減をするつもりはない。
自分で言うのもなんだけれど、僕は面倒くさい男だ。でも、カミーユはそんな男をその糸で絡めとってしまったのだから仕方がない。
初恋を奪った責任は、しっかりとってもらうよ?その一生をかけて。
*****
後に『稀代の賢王』と呼ばれる若き王太子の結婚式は、長く語り継がれることになる。
曰く、今までのどの結婚式よりも厳かで美しい式ではあったが、幸せそうな雰囲気ではなかったと。
曰く、王太子妃である美しい花嫁の表情は酷く冷静で、その瞳は冷たさすら感じさせたと。
しかし王国史に記された内容によると、その王太子は側妃を娶ることもなく、愛妾を囲うこともなく、ただひとり、その妃と共にあったという。
そして、妃も常に淡々としながらも夫に寄り添い、支え合って国を繁栄に導いたのだと。
2人きりになると、厳格な王は蕩けるような笑顔を浮かべ、冷淡な妃は、羞恥と喜びで顔を真っ赤に染めていたことは、歴史にも残されていない、秘密の話である。
読んでいただきありがとうございました!
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