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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ぼくは公園にいる

とびらの先生主催「人街短編企画」参加作品

 ニュータウンと呼ばれる古い団地群に囲まれた場所に、近所の子供たちからマルヤカ公園と呼ばれている小さな公園がある。

 ぼくはずっとそこにいた。

 大雨が降って砂場の砂が流されたときも、台風の日に固定されたブランコがギシギシと悲鳴をあげているときも、太陽が照り付ける休日の昼間に、子供たちが遊んでいるときも。


 ある年の春から、一人の女の子が公園に来るようになった。

 最初のころは母親に連れられて、見知らぬ子たちの中におっかなびっくり混ざって、時には泣かされて帰ることもあったけれど、気づけば砂場の常連となっていた。

 彼女の名前はみゆき。

 苗字は知らない。呼ばれていないから。


 ぼくは公園の外のことはよく知らないけれど、子供たちを見守る親たちの会話から少しずつは知ることができる。


「最近、夫の帰りが遅くて……」

「家事をちっとも手伝ってくれない」

「ようやくおむつを卒業したんですよ」


 母親だけじゃない。

 父親たちが話していることもある。


「子供の学費を考えるとなかなか贅沢は……」

「たばこの値上がりを機に、いよいよやめようかと」

「だから、習い事は三つくらいはやらせておくべきじゃないかな、と」


 家庭のこと、子供のこと、深刻な話やどうでもいいような話。

 ぼくは公園でたくさん聞いた。

 たくさん聞いたけれど、聞けば聞くほど、公園の外が怖くなってきた。

 公園の外には、恐ろしい病気や事故があって、いつも誰かが命を落としている。だって、そういう話が数日に一度は出てくるから。


 そう、ぼくはずっと公園にいる。

 公園にきた子供たちを見ている。見守っている? いや、公園には何も怖いものはない。

 だから、ぼくはみゆきちゃんを最初に見た時から、彼女がどんどん大きくなって、きれいな黄色いランドセルを背負って、砂場で遊ぶことから離れてブランコに座って友達と遊ぶようになってからも、ただずっと見ていた。


 話しかけることもしない。

 だって、ぼくには……。


「?」


 考え事をしていたせいか、気づけば公園の隅にいるぼくの目の前に、みゆきちゃんがいた。

 ぼくはびっくりして何もできないまま、ただじっと見上げていたんだ。

 そうしたら、首をかしげていた彼女は、何かを思いついたように花が咲くような笑顔を輝かせ、手に持っていた小さな花をぼくの上にちょこんと載せた。


「うん、似合うよ」


 ぼくはまだ動けなかったけれど、彼女はそんなことはお構いなしに満足したようで、友達に呼ばれて走り去っていった。

 ぼくは、このとき決めたんだ。

 公園で何があっても、彼女を守るんだ、と。


 その日はすぐに訪れた。


 小雨が降っている公園の入り口にみゆきちゃんの姿が見えた。

 かと思ったら、一歩踏み込んだ彼女を後ろから知らない男が抱きかかえて、四角い車の中に連れ込んでしまったんだ。

 その男は、断じて彼女のお父さんじゃない。


 彼女は驚いた顔をしたけれど、すぐに恐怖の顔に変わったのを見た。ぼくは彼女が見せる表情を全部知っているんだ。

 久しぶりにお父さんと公園で遊んだときの嬉しそうな顔も、大事なおもちゃを壊されて滝のような涙を流す顔も、彼女にとって大きな悩みを頭のなかでこねくり回しているときの思案顔も。


 だからぼくはすぐに分かった。

 彼女はとても怖い目にあっているし、これは彼女の意思とは無関係に行われた誘拐なんだ、と。

 そういうことがあるのを母親たちの会話で知っていたし、連れ去られた子がどうなるかも聞いた。

このままだと、彼女はもう公園に来ない。


 ぼくは、もう枯れてしまった小さな花を取り出してぎゅっと掴んだ。

 公園の外は、こわい。

 でも、みゆきちゃんはもっと怖い目に遭っているんだ。


 ぼくは生まれてから自分が自分だと気づいてから、ただの一度も出たことのない公園を出た。

 一瞬だけたじろいだけれど、そうやっている間にもみゆきちゃんが遠くに行ってしまう。

 錆びた鉄の柵を潜り抜けて、側溝を越えて道路に出る。

 びゅんびゅんとうるさい車の音を初めて間近に感じて、ぼくは悲鳴をあげたいのを堪えて、みゆきちゃんを乗せた車を探す。


 心を落ち着かせて、よく見れば難しくないんだ。

 ぼくはくるまのタイヤの模様を覚えていたから、道路にうっすらと残ったタイヤの痕跡を見ればわかる。

 それをなぞるように追いかける。

 道路の材質が違っても、タイヤの臭いだってあるのだから、間違えようがない。


 たくさんの人々が歩いている場所は、そっと道路の隅を通っていく。

 犬や猫に出会ったけれど、そんなもの無視してやった。こちらを見ても、相手なんてしてやらない。

 ネズミはうっとうしかったけえど、少し脅したらどこかへ逃げていった。


 そうして、静かな場所にたどりついた。

 灰色で、大きな建物は中身がすかすかで、人が住んでいる普通の家や、たくさんの家族が入っている高い建物とも違う。

 鉄の臭いがひどくて、ところどころさび付いた建物は隙間だらけだから、ぼくは難なく中に入れた。


(見つけた)


 心の中で安堵する。

 車と一緒にその横で話しているさっきの男と、その友達らしい他の男。そして車の中にはみゆきちゃんが縛られた状態で寝かされているのが見えたからだ。

 見た感じ、みゆきちゃんは無事だった。

 彼女の鼓動は早くなっていたけれどちゃんと脈打っていたし、涙を流していたけれど、身体はちゃんと残っている。


 何年振りかにお漏らしをしているのが、ちょっとだけ懐かしかった。

 でも、思い出は思い出。

 ぼくは、彼女がこれからも成長していくのを見たいんだ。

 そして、ぼくも成長していつか彼女に花のお礼を言うんだ。


「電話は夜になってからだ」


 男がそんな話をしていた。


「夜遅くなって、不安になったところで連絡してやった方が親も動揺して言うことを聞きやすい。警察の動きも鈍いからな」


 冗談じゃない。

 みゆきちゃんは8歳の時に、四葉のクローバーを探すのに夢中でうっかり門限をやぶったことがあるのだけれど、その時はひどく怒られて何か月も公園に来なかったんだぞ。

 それでぼくは思い出した。まだ彼女には門限があって、決まった時間には家に帰らないといけないんだ。

 あの門限破り以来、ぼくはいつも夕方になると公園の時計を見ながらハラハラしていたのに。


「始末は交渉が終わってからでいいだろ」


「なあ、本当にやるのか……?」


「お前が顔を見られたからだろう」


 一人は怖いくらい静かに話していたけれど、みゆきちゃんを抱えて車に乗せた方の男は、うるさいくらいに心臓をどきどきさせて、空気が漏れるようないやな声で怯えている。

 ぼくは壁伝いに天井に上って、無数にある鉄骨の一つから二人を見下ろす。

 ここなら、彼らの声も、心臓の音も、衣擦れの音も、全部聞こえる。


「だけど……」


「心配するな。隣県の山の中に埋めてしまえば、まず見つからない。もし見つかったとしても、あっちの管轄なら大した捜査もできずに行き詰るのは目に見えている」


「そ、そうかな……」


 怯える男は、少しだけ心臓の音を落ち着かせたけれど、ぼくは逆に腹が立ってきた。

 山に埋めるだって?

 みゆきちゃんを?

 そんなことをしたら、彼女はもう公園に来ないじゃないか。

 もう二度と。

 絶対に。

 そんなの、耐えられない。

 ぼくは耐えられない。


 そんな真似、ゆるさない。


「……あ?」


 気づけば、ぼくは冷静な男の上に覆いかぶさっていた。

 間抜けな声を上げたのを最後に、ぼくの身体が彼の鼻と口を塞いだことで、もがき苦しむ声はまったく聞こえなくなった。

 そのまま、心臓の音が聞こえなくなるまでじたばたともがいていたけれど、力が抜けてしまうまで大した時間はかからなかった。


 もう一人も同じようにしてしまえばいいのだ。

 そうすればみゆきちゃんは門限までに帰れる。


 そう思っていたのだけれど、気づけば怯えた男は悲鳴を上げながら走って逃げていた。

 逃げたなら仕方がない。もういいや。

 ぼくは車のうしろ側にあるドアを大きく開くと、みゆきちゃんを縛っているビニールのロープを手足の分まとめて切った。それくらいなら、ぼくの身体をうすく伸ばせば簡単にできる。

 たまに暇なとき、木を削って遊んでいたときに思い付いた方法だけれど、憶えていてよかった。


「た、たすけて……」


 口のテープをはがすと、みゆきちゃんの第一声はそれだった。

 自由になった両手で、目を覆う布を外そうとする彼女をそっと止める。

 ひたり、とぼくの一部が手に触れると、彼女はびくっと身体を震わせた。


「だ、い、じょう、ぶ」


 ぼくは、自分の身体を震わせて声のような音を出した。

 今できる精いっぱいのことだった。

 姿を見られるのは、まだ恥ずかしい。もっとちゃんと、彼女と話せるように成長したら、そのときは……。


 ぼくは、彼女の手に枯れて茶色く変色した花を握らせた。

 これは特別な花で、ぼくの心を明るくしてくれたのだから、きっとみゆきちゃんも元気にしてくれるはずだから。


「ゆっく、り、じゅう、かぞえ、て、から、かえって」


 ぶさいくな音にみゆきちゃんが頷いた。

 言葉と呼ぶには汚すぎる音だったけれど、通じたのがうれしかった。


 それから、ぼくは公園に戻る途中でさっきの男を見かけた。

 身体中からいやな汗のにおいを放ちながら、小さな機械に向かって話している。ぼくはその機械を知っている。電話という、誰かと話す機械だ。


「本当なんだ。あいつは、何かよくわからない茶色のねばねばに包まれて……嘘じゃない! あんな化け物がいるなんて……!」


 化け物?

 とんでもない失礼な話をしているのを聞いて、ぼくはとても腹が立った。

 構うものか、とぼくは電話ごと男の身体を包み込んだ。

 電話からよくわからない振動がぶるぶると伝わってきたけれど、それ以上に男の心臓の音の方がうるさい。


 でも、その音もすぐに止んだ。


 ぼくはたしかに茶色のねばねばで、自分でもなんだかよくわからない何かだけれど、化け物じゃない。

 ぼくは公園に住んでいる……なんだろう?

 やっぱり何かはわからないけれど、化け物じゃない。

 ぼくは知っているんだ。みゆきちゃんや他の子供たちが話している化け物、お化けってのは、もっと怖くてどうしようもないやつなんだぞ。


 何も知らない奴だ、とぼくは動かなくなった男を放って、公園に帰ってきた。

 ああ、みゆきちゃんは次にいつ来てくれるかな?

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― 新着の感想 ―
[良い点] ……さすがだなぁ。起承転結の配分が完璧だ……(作家メタ視点) たいへん面白かったです。 児童書のような綺麗な作風で、物語の流れ自体はとてもありきたりです。私はこの「ぼく」の正体が、最後に…
[一言] 「ぼく」は公園にいる木か遊具だと思ったら、まさかの正体不明の物体。 ハラハラさせていただきました。
[良い点] 最後までなにかわからないという不気味さがすごく素敵に思いました。人外らしく、人の考えの外にある存在というのがとても魅力的だと思いました。 [一言] 素敵な話をありがとうございました!
2020/10/13 12:02 退会済み
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