『龍の子ともう一人の彼』
唯は思い切り、扉の上を飛んだ
無数に浮いている扉にはそれぞれ足場がついているため、そこに着地する
そして息つく暇もなく、手短な扉に向かって飛ぶ
―――あなたがすべき事は、その彼が持つ後悔や自責の念を取り払う事。それが分体に力を注いでいる源―――
そう言った虹魚の話が本当ならば、私が目指すべき扉は一つしかない
今、遠くに浮かんで見える火の玉はユラユラと一つの扉の前で漂っている
いや、漂っているというよりかは扉の中と炎の触手で繋がっている状態にある
火の玉から伸びるそれは触手というよりも、尾と呼んだ方がしっくり来るような形状をしている
その扉は他の扉と違い、扉に沢山の錠前がついているのが遠目でも分かるほどである
しかしその扉に空いた巨大な穴を通して火の玉と扉の中は繋がっている
切り取ったというよりかは、壊したという表現が合いそうな壊れ方をしている
魔獣の分体とは何かなんて聞く暇は無かったが、それはアーヤんの後悔を源として活動しているらしい
ならばそのエネルギー源となる場所はあの扉の奥しか無いと確信した
そしてその扉こそ、私が向かうべき場所だと
彼の後悔や自責の念を取り払えと言われたが、具体的にどうすればいいかは分からない
ただ、手渡されたその鍵を手に、一心不乱に扉から扉へと飛び移る
アーヤんっ!!
距離が縮まる
と、突如飛び移ったとある扉の前で唯は立ち止まる
無数に浮かぶ扉はどれも同じ風貌、という様子ではない
扉はいずれも同じ形をしているが綺麗な扉から古びた扉まで様々である
今真横にある扉はその古ぼけた扉のなかでも、割と古い方の扉である
その台座の上で次の扉へ飛び移ろうと数歩下がって助走をつけようとした瞬間だった
―――こっち!!―――
「え?」
どこからか、声が聞こえた
バタンと扉が開きその扉が唯の顔面に直撃する
「ぶぇ゛っ!?」
完全に意表をつかれ、うら若き女子大生とは思えない声を出して私はうずくまる
鼻や額がジンジンと痛い
顔を押さえてうずくまる私の上の方から、声が聞こえた
今度は先ほどよりもしっかりした声で
「あれ?居ない・・・あ」
恐らく扉の裏にいる私をのぞき込んで見つけたのだろう
その声は少女の声だったが、なんというか少年っぽい低さの声だった
え?え?何?
未だに理解できていない私は顔を押さえながら見上げた
そこには一人の少女が立っていた
紅い服、紅い髪、紅い瞳、背中には紅い翼が生えているという全身真っ赤な少女が私を見下ろしていた
私は未だに理解出来ずに、彼女が魔獣か!?なんて軽い脳内パニックを起こした
が、何となく私は彼女を知っているような気がした
どこかで会っているような、そんな雰囲気を感じて私は再び頭を抱える
誰よこの子!?
まぁもちろんこんな背中に紅い翼が生えてる少女なんかとは記憶の中には有るわけがなかった
「あぁ、御免御免。まさか扉の前に居ると思わなくって。とりあえず、こっちに入って。ささ」
顔を押さえていた片手が少女の手に引っ張られる
その肌は確かに少女のような柔らかな肌触りだったが、一つだけ違うのはその指先の爪だけが人間のような薄っぺらいものではなく獣のような逞しいものだった事だ
と、突如ぐんっと凄い力で引っ張られ私は顔の痛みを忘れた
振り回されるような形で私は扉の中へと引き込まれた
「いやぁ、無事合流できてよかったよかった~」
少女はそう言いながら鋭い爪で頭をぽりぽりと掻いた
私はそっと押さえていた手をどかし、周囲を見渡した
!?
アスファルトの大地
並ぶのは木々ではなく電柱
聞こえるのは動物の声では無く、車の走行音
そう、そこは紛れもなく私の居た世界の・・・
「どっ、どういう・・・」
「だから虹魚から聞いたんじゃないの?っていうか一度彼の記憶は見てるんでだよね?ここは彼の記憶の中だよ」
あっ、と、よく考えればそうである
私は先ほど彼がまだ幼い頃の記憶を見ていたはずだ
ならば恐らくここも、彼の記憶の中の一つという事になるのだろう
「でも・・・」
そこに通行人の姿はない
今私が居るのは住宅街の十字路の中心であり、路地を抜けた先はどうやらもう少し大きな道路になっているようなのだが、それもおかしい
車の音は聞こえるのに、肝心の車がぼやけている
確かにそこに車は走っているのだが、一台一台をよく見ようとすると、急にその車の認識が消えてしまうのだ
「ここが彼と君の住んでいた世界なんですね。私が見てきた世界とはずいぶん違うんですねー。この平らな地面も、岩とはなんだか違うみたいだし、全く同じ形をしたあの石柱ってまじないか何か?って訳でもなさそうだね。まぁいいや」
少女はぴょんっと石垣の民家の石垣の上に飛び乗る
翼は使わず、脚力だけでは恐らく同じマネは一条には出来なかっただろう
少女は振り向いて私に手を伸ばす
差し出された手にぼけっとした私に少女はにこっと笑う
「彼を助けるんでしょ?一緒にいこう」
私は迷わずその手を取った
私の体は、一気に地面を離れた
見上げると彼女の背中の大きな真っ赤な翼が広がっていた
ぐんぐんと高度が上がり、先ほどまで立っていた地上が遠くなっていく
「ね、ねぇ、どこに向かってるの!?」
私は手の先に居る少女に向かって聞いた
彼女は振り返ることなく、飛びながらそれに答える
「扉って言うのは思い出す切っ掛けになる場所の入り口なんだ」
「それは何となく分かるけど・・・」
確かに何か記憶を思い出そうとするとき、ある地点から切っ掛けに、徐々に思い出していく
それは思い入れの強い事柄で有ったり、衝撃的な瞬間だったり、時にはどうでもいい事だったり
そういう場所があの扉なのだ
記憶に入るための入り口
「そして記憶と記憶は中でも繋がる。この記憶は彼がもっとも閉ざしたくも閉ざせない、あの扉の記憶に繋がってる僅かな記憶の一つ。だから君がこの扉の前を通りかかったのはとても運が良かった」
「そう。・・・一つ確認して良い?」
「ん?なんだい?」
「君は、ソーレだよね?」
「―――そうだよ。僕は彼の使い魔であり、剣であり、そして龍だった存在さ。生まれてずっと、彼が僕の主であり、育ての親さ。ずっと見てきた。だから、君は信用できる」
一度、翼を大きく羽ばたかせる
ぐんと、再度上昇するスピードが上がった
「いいかい?僕は手助けしか出来ない。君がやらなければだめなんだ。鍵は僕じゃなく、君が持ってるから」
私はぎゅっと、もう片方の手に持つ鍵を握りしめた
「すうっ・・・・はぁっ!!」
そう強い意志を込めた声と共に、彼女が巨大な火の玉を生み出した
此方もかなりの速度で上昇を続けるが、上方に向かって打ち出されたその火球は二人の遙か頭上目掛けて飛んでいく
それは突如、見えない壁に当たって砕け散った
火の粉が降り注ぐ中、ソーレはさらに加速していく
火の粉と煙がはれると、先ほどまでは無かった扉がそこにはあった
「他の場所から入れないように扉の位置を変えられた上に見えないように細工するなんて、用心も良いところだよあいつ。だけど、あいつよりずっと先に私はここに居たからね。だから、分かった。さぁ、君の出番だ」
扉の前でその大きな翼で風を受け、急停止する
私はしっかりと彼女の手を握ってもう片方の手に握る鍵を扉に向かってのばした
不思議とこんなに高い場所でぶら下がっている状態なのに、不安や恐れは無かった
私はその金色の鍵を鍵穴に差し込んだ
「開け!」
ソーレが叫んだ
私は鍵穴をめいいっぱい回した
ガチャリ、と音を立てて鍵が開いた
「さぁ、あいつも扉を開いて気がついたはずだ。急ぐよ!」
私は鍵を手放しドアノブに手を掛ける
鍵がついたままのドアを開こうとドアノブを回してドアを引く
蝶番の擦れる音がし、そして中を覗く
と同時に一気にソーレが加速した
扉の中の空は、真っ暗だった
まるで色が反転したかのようになった世界を二人は紅い線を引きながら飛んだ
空は暗い。夜なのだろうか?
そして下に見える無数の小さな明かりの集まりは町であろう
ぼんやりと月と街頭に照らされた無機質な町並みが浮かび上がる
そこから少し離れた場所に、帯のように連なる小さな明かりが続いている
「あそこだね。しっかり捕まっててよ!」
その灯火の帯に向かってソーレは呟いた
翼をたたみ、一気に急降下する
明かりに近づくにつれ、それが何の光なのかが私は分かった
祭りだ!
その光は人里から少し離れた小さな林の中、帯のように連なっていたのは屋台の光だったのだ
どうやらお祭りをしているようで獅子舞や和風な音色が小さな山に木霊し、人々の小さな喧噪が近づくにつれて大きくなっていく
ちょうど10メートルほどまで近づいたところで翼を開いてソーレは急停止する
現在浮いている場所はちょうど光の帯の真ん中あたりである
「随分と、賑わっているね。こりゃ彼を捜すのは大変そうだ。僕はここから上を探してみるから、下の方は頼んだよ」
つまり、手分けしようというのだ
その方が効率は良さそうだと判断して私は近くの茂みに降ろして貰う
「見つけたら魔力を放出するから、追ってきて。君の魔力は覚えているけど魔力は扱える・・・よね?」
「うん。大丈夫。ありがと。じゃ」
「おっけー」
すいっと木々を掻き分け上空へと戻っていったソーレを見送り、私は屋台のあった方向に向かって駆けだした
「はぁ、はぁっ、えっと、後ろの方だから・・・こっちか!」
一つ問題があるとすればこの時代の彼が一体今何歳なのか分からない
容姿が分からないのだ
現代の彼の容姿に近ければ分からなくもないかも知れないが、先ほどまで若くなってしまうとさすがにこの人混みで見分けるのは難しい
「ん?」
私はふと彼を捜していた視線を、落ちて転がっている新聞に目を向ける
新聞紙・・・・・新聞の日付欄!!
私はゴミになりそうなほどグチャグチャな新聞紙の日付を見る
「20××年・・・・・えーっと・・・・若っ!ってかさっきと同じくらいの歳じゃないか!。いいなぁ、私も若返りたい・・・い、いかんいかん」
じゃなくてじゃなくて
私は頭を振って邪念を振り払い、彼を捜す
人混みを掻き分け、少年の姿を探すが、全く分からない!
その時だった
ガシャァンと大きな音が近くから聞こえてきた
まるで何か硬いものと硬いものがぶつかりあうような、そんな音が夜の祭りに響き渡る
なんだなんだと人混みができはじめるのを見て、一条も何事だとその場に駆け寄る
「あっ!」
人混みのさらに奥、まるで人混みから煙が立ち上る
そして人混みを掻き分けると、そこには巨大なトラックが屋台を巻き添えに木に突っ込んでいるという一条がこれまで見たことが無かった光景だ
いや、見たことがある
これは、新聞や、テレビで見た事がある事件だ
どこか記憶に引っかかるその出来事が今、目の前で起こっている
確か、居眠り運転した屋台を詰んだトラックが、小学生を2人を巻き込んで――――
「アーヤん?」
トラックから少し離れた場所に倒れている少年が居た
意識はあるようだが自力で立つことは
しかし、間違いなくそれは彼だった
目立った外傷は無さそうだが、もう片方は酷かった
どうやら彼とは別に、誰かがこの衝突に巻き込まれているらしい
「・・・!!」
女の子だ
先ほど見た記憶の中に居た、あの女の子だ!
酷い・・・・っ!!
私はそれ以上直視することが出来ず、視線を反らした
これなの?彼の枷って?
だとしたら・・・・こんなのって・・・・
「そう。これが俺だ」
「!!アーヤん!?」
振り向くと、其処には彼が立っていた
桜彩輝が立っていた
だけど―――
「え?」
私は戸惑った
何かが違うと
「本当に、君はアーヤんなの?」
こんな彼の心の奥底まで来て、目の前に現れた彼に対して私は一体何を言っているのだろうか
彼が彼以外であるなんてあり得ないのに
だけど彼は目を丸くして嬉しそうに言う
「へぇ、わかるのかい?俺はあいつで、あいつは俺。でもあえて言うなら俺はあいつの裏にあたる存在って所かね。もちろん、あいつと記憶は共有してるよ。だって俺は桜彩輝だから」
彼はどうやら桜彩輝ではあるようだが私がいつも話す彼とは違うようである
確かに口調も違うし、何となく違うように感じられる
あえて表すなら、別人格、という解釈が正しいのだろうか
「じゃぁ、アーヤんはどこなの?」
「アーヤんと呼んでる表の俺は今は眠ってるさ。ここには居ない」
「じゃぁどこに居るの?」
「どこでもないさ。ここでもあり、ここじゃない。というか、俺がわざわざ言う訳無いじゃん」
「どうして?貴方は桜彩輝なんでしょ?」
「理解できないって顔するなよ。簡単な事さ。たしかに俺は桜彩輝である。と同時に、あいつの敵でもある。俺は裏であいつは表。だから敵だ。もっとも俺はあいつを知っているが、あいつは俺の事を認識できないんだけどな」
そう言って自らを裏という桜彩輝は両手を広げて天を仰ぐ
「やっと手に入れた自由だ。表が居なくなってやっと俺は自由になれた。なのに、わざわざ教える訳ないじゃん」
どうやら私の知っている彼とはずいぶん違うようである
記憶は共有しているらしいが、その価値観については全くの別なのだろう
さて、私は一体この屋台の前でどうすればいいのかな?
「見ろよ。表の奴はずいぶんとこの記憶を引きずってるようだが、俺にしちゃ何ともねぇただの記憶だ。ガキ一人死んだところでずるずると引きずりやがってよ」
うん。彼は私の知る桜彩輝とは別物だ
口調だけじゃない。彼ならそんなこと、言わない
「あぁ、あいつ言っていたな。お前を守るって。重ね合わせてんだよ。あいつはお前とあそこで死んでるガキとをな」
「・・・え?」
「あー、鈍いなぁお前。だーからぁ、あいつがあの子を守れなかったから今度はお前を守ろうとしてんだよ。後悔しないように過ごしてきたのもこの記憶が原因さ」
目の前の彼は屋台に突っ込んだトラックを指さした
「あそこで表の桜彩輝はあの子の手を掴み損ねたんだ。まったくバカな事を考える。いや、実際にあそこで手を掴んでいたら俺の体もお陀仏だった訳だからあのガキには感謝だな」
「どういう・・・こと?」
「あぁ、一部始終見逃してたか。やり直して見せるってのも可能だけど、面倒だ。あのガキは表の伸ばした手を自らずらした。するとトラックはガキ一人を正面からはね飛ばし、俺の体を掠らせて屋台へ突っ込んだ。掠っただけだったがそれなりにスピードが出てたんだろうな。この体ごと茂みに突っ込んだんだが、まぁ運良く助かったわけよ」
「つまり、はね飛ばされそうになった女の子はわざと彼が伸ばした手を避けて―――死んだの?」
「おうよ。あのスピードなら掴んでたら確実にこっちの体も巻き込んで二人で死んでたな。だから感謝感謝。なのに表は勝手に勘違いして自分が掴み損ねたって思って、それで勝手にトラウマになってんでやんの。ザマァねぇな」
何となくの流れは掴んだ
彼の右腕が上がらなくなったのはその事による精神的な物である事。いや、それに加えてとばされた時の衝撃も恐らく入っているだろう
彼が彼女を掴めなかったことによる後悔
だからあれほどまでに、後悔したくないと言っていたのか
「ちなみにあそこにも扉があるんだが、その先はもう一つの後悔の扉と繋がっている。お前、ソーレと一緒に入ってきたな」
「それが・・・何?」
「こいつはもう一度同じ後悔をしている。伸ばした手が届かなかった。お前もその光景を見ているはずだぜ」
私にはそれが彼女の事だと分かった
つまり、ソーレの事だと
「ま、俺にとってもあいつはイレギュラーな存在だったよ。なにせ交友があるのは表だけだからな」
「まーね。僕は君のことは認めないけど、彼の一部であることは確かそうだね。だから今は手は出してないけど、それ以上僕の主をバカにしたらいくら君が主の一部だとしても怒るよ」
私は突如上空からかけられた声につられて見上げた
そこには翼を広げたソーレが居た
その言葉を聞いて彼はハンと鼻で笑う
「ハッ、逆だっつーの。あいつが俺の一部なの。これからはな。現に今は表のあいつが消えてる間は俺がこうやって活動出来てるんだからな」
「僕の主は君みたいに弱くはない。だからすぐにきっと戻ってくる」
「何を根拠に?」
「僕の主だから」
じっとにらみ合う両者を見ていてふと私は思い出した
私がすべき事とは何なのか
私がすること。それは彼を助けること
―――あなたがすべき事は、その彼が持つ後悔や自責の念を取り払う事。それが分体に力を注いでいる源―――
なるほど。そういう事か。
「いいよ。なら、私が今度は君の手を探して掴んであげる。君はもちろん、離したりはしないよね。私はもちろん、離さない」
「あ?」
「唯さん?」
私は叫んだ
かつて一角天馬から直接聞かされたとある言葉を
――この言葉は君を支えてくれる人が近くにいる時だけ使うように――
まぁ、いいか
もう面倒くさいのはこりごりだし
君が籠もって出てこないというなら、私から探してやる
使うのは初めてだけど、何とかなるよね
「オーバーアビリティッ!!」