『足止めする者達』
にらみ合う二人
片眼を長めの前髪で隠し、もう片方の目には額から頬にかけて縦の傷跡が残る男の吸鬼テン・ティニート
そして吸鬼と同じ白髪に、パラソルを持って微笑む四天王の一人、西の頂シェリア・ノートラック
シェリアは湖上に広がる氷の上から空を見上げる
翼を広げ、高みより見下ろす吸鬼を視界に捉える
「あなた、早く逃げないと死ぬわよ?」
「その声・・・まさか、女の口からその言葉を聞くことになるとは思わなかったな」
仮面の男はゆっくりと膝を立てる
冷気に耐性が出来るのか、それとも別の何かをしていたのかは分からないが倒れていた仮面の男に凍傷の気配はなさそうである
とはいえ深いダメージを負っていることは見れば明らかである
この場をあの吸鬼が知っていたという事は、あの吸鬼とやり合ったのだろう
さて、この氷の台座を作ったのはどちらなのか
どちらにせよなかなか強力な魔術によって作られたのは確かなようである
もしこれをこの仮面の男が作ったのならば、あの吸鬼はかなりの手練れということにも取れる
「寒いわ。逃げるなら早くして欲しいわね。巻き添えにしない自信は無いわよ?」
「その声・・・もしや、シェリア・ノートラックか?」
「あら、今更気がついたの?それともこの場合は私を知っていることをほめるべきなのかしら?まぁどちらでも良いわね」
くるくるとパラソルを回して吸鬼を見上げているシェリア
その後ろで、ふらふらになりながら立ち上がるカイはゆっくりと仮面を外す
「俺を覚えていますか?」
「あら・・・久しいわねカイ。大きくなったわね。ということはこの氷の台座はあなたが?ずいぶんと成長しているみたいね」
回っていたパラソルがぴたりと止まる
ちらりと振り返ったシェリアの言葉には僅かに懐かしみを感じさせられた
「お陰様で。あなたのおかげで今でも何とか生きてますよ」
「それは何より。それで、負けたの?」
その言葉に、カイは視線を落として沈黙する
思い出すだけで悔しさがこみ上げてくる
握った拳に入る力さえ、今では心許ないくらいに弱々しい
「そう」
その上にいる吸鬼はというと、苛立っていた
イライラと吸鬼は眼下の様子を窺う
なんだかよく分からないが、あの二人はどうやら知り合いらしい
「まだかよ!?おっせぇなぁ!!」
だが、その会話が終わるまで待つ気にはならない
二人に聞こえるような苛立ちのつぶやきを聞かせる
その声に反応したシェリアは再びパラソルを回し始めた
「なら、負けたあなたは早く帰りなさい」
「っ・・・でも――」
「聞こえないのかしら?早く岸へと戻りなさいと言っているの」
「!・・・分かりましたよ」
吸鬼の方からは、渋々戻っていくカイの姿を見てやっと邪魔者が居なくなったと口元をほころばせた
にやりと笑った吸鬼は腕を組んで早く戦いたそうにウズウズしているのが目に見えて分かった
カイの方はというと、最初の言葉は邪魔だから戻れと言われたように感じた
普段なら察せたことにも気がつけなかった
いくら何でも、あの吸鬼は強すぎるので出来ることなら加勢をとも考えていた
だが、あの吸鬼に負けたという事に少々心を乱されていたのだろう
二言目に言葉の意味を知った
岸には何がある?
俺の剣が守るものが!!
怪我の痛みなど吹き飛んだ
「さて、邪魔になりそうな雑魚も居なくなった事だし、始めるとしますか!」
開始の合図は無かったが、そう言い終えるとすぐに吸鬼は急降下してシェリア目掛けて突っ込んだ
腕を大きく曲げ、そして殴るようにして突き出す
その拳をスッと避けたシェリアはその吸鬼の勢いを利用して氷の上でダンスをするかのようにクルリと一回転
吸鬼の腕を片手でつかみ、そのまま振り回す
振り回され、投げ飛ばされた吸鬼は先ほどのカイとの対戦時に出来た巨大な氷柱へとぶつかった
砕ける氷と冷気に飲まれてその姿はシェリアの視界から消えてしまう
折れた氷柱は大きな音を立てて氷の台座を割って巨大な水飛沫を上げた
同時に揺れる台座に足を取られるシェリア
目を細め、そして大きく右足をあげ、足下の氷へと踏み落とす
「ッはがっぼ!?」
瞬間、その足下の氷を割ってから飛び出してきた吸鬼が再び水の中へと押し戻された
「女性の足下から襲いかかるなんて、吸鬼とはいえあなたも男でしょう?少しは礼儀を知りなさい」
頭にシェリアの足蹴りが直撃した吸鬼は水の中でもがくが水上へと出れないのを悟ったのか、一度水中へと沈み込んだ
その隙に脆くなった足場から離れる
すると再度勢いをつけた吸鬼が先ほど出来た穴から飛び出してきた
ぐるりと回転して翼を広げた吸鬼の服は水を含んで重そうにしているのが分かる
「て、てんめぇ・・・溺れるかと思ったじゃねぇか・・・」
「あら、スカートを覗こうとしたあなたが悪いのでは無くて?」
「誰がするか。お前のなんか覗いたところで俺が興奮する訳ないだ―――!!」
「あら、あたしには色気が無いとどの口がほざくのかしら?」
シェリアは飛んできた
文字通り、地面を蹴って吸鬼の居た地上から5、6メートルの距離を飛んできたのだ
「嘘だろ・・・」
「この口ね」
一瞬にして距離を詰めたシェリアに、呆気にとられたテンは反応することも出来ずに強烈な蹴りを顔面に食らう
我に返ったテンだったが、次の瞬間には再び台座の氷を割って水中へと沈んでいた
すぐに湖から飛び出るが、見渡しても何処にもシェリアの姿がない事に気がつく
「何処を見ているのかしら?」
真上!?
声を追ってテンが顔を上げた瞬間、その眼前に広がったパラソルが映る
視界の殆どがそのパラソルで覆われ、周囲の様子が分からない
咄嗟にそのパラソルを右手ではじき飛ばすがそこには真っ青な空が広がっていた
ぐっ、パラソルの影だとっ!?
シェリアははじかれたパラソルの影に隠れ、着地した後パラソルを閉じてテンの脇腹にその先端で突き飛ばす
またしても意表をつかれたテンの体は気がつけば二、三度氷の上をバウンドして氷の台座から離れた水面へと落ちた
「思ったより遅いわね。服が重くて動けないのかしら?」
余裕をみせるシェリアは再びパラソルを開いて太陽の光を遮る
離れた場所から飛び出してきた吸鬼は僅かに荒い息をたてているのが遠目でも分かった
「っはぁ・・・っはぁ・・・さすが四天王の一人。その名は飾りじゃ無いって事か。少し舐めてたぞ」
「ほめられてるのかしら?」
「あぁ、予想以上だ。これなら・・・」
「?」
吸鬼はゆっくりと水を吸ったローブを湖へと投げ捨てた
「本当は使いたくないんだよ。だが、一方的にボコボコにされることを快感としているわけじゃ無いからな。ここからは、俺も全力だ。死ぬなよ?」
「あら、やっぱり全力じゃ無かったの。少し歯ごたえがなさすぎると思っていたのよ」
「その減らず口、ここらで噤ませてやるぜ」
「やってみなさい。四天王の名はそう安いものじゃ無い事、肌で感じなさい。あなたこそ、簡単に死なないでよ」
その笑みを見て、つられて笑う吸鬼は翼を広げる
「ハッハハハハ!!上等!!」
「さて、邪魔な二人はいなくなったし、回収して帰るとしますか」
もう一人の吸鬼、ハチは湖の方へと移動した二人を見送った後、すぐにその巨大な魔獣を見上げて呟いた
そして魔獣に触れて能力を行使しようとした
「吹っ飛べ!」
「っ!?」
その瞬間、ハチの体は突然大地からはじき飛ばされ、湖の上まで吹き飛ばされた
回転する体を翼でバランスを取り直す
「今・・・何をした?」
女の声が聞こえ、それと同時に自分の体が何かによって吹き飛ばされた
その現象に、理解が及ばない
訳が、分からない
自分は一体何をされたのだ?
恐らく、その何かをしたのはあの黒髪の女
だが自分との距離から考えても物理的に何かをしたという訳ではないのだろう
むしろ考えられるのは魔術などの類
だがマナの動きを感じなかった事をハチは不可解に思う
「カウントダウン開始っ!」
「!!」
再び女が叫んだ
何かが起こるのかと身構えるが、数秒たっても何も起こらない事に戸惑う
その間にも女は動きを止めなかった
振り向き、森の方へと走りながら腰のポーチから何かを取り出しているのが見える
あれは符術に使う札
それを理解した時、陸で巨大な爆発が起こった
砂煙が辺り一帯に広がり、魔獣の姿も半分ほど隠れてしまうほどの威力だった
「な、なんだってんだよ!?」
そういえば、とハチは懐に手を入れて紙の束を取り出す
そしてバラバラとめくり、その顔を見て目を細めた
「こいつもか・・・」
あの少年と同じように、この女も二度吸鬼の前に現れている
報告書には不可思議な符術を使うと書かれている
追記で要注意人物とも書かれている
「っていうかもう少し具体的に書いてくれないと困るんだけどイチ・・・」
とはいえ、イチに要注意とまで言わせる人間なのだから侮ってはだめだ
とにかくここにもう長居する必要は無い
自分はもう役目を終えている
あの少年には少し悪いことをしてしまった気もしたが、まぁ別に今無理にあう必要も無いかと判断してハチは逃走の準備にかかる
再度巨大な魔獣に近寄ってその羽織った服に触れようとした瞬間、またしても横やりが入った
間に割って入ってきたのは巨大なグリフォンと、そのグリフォンに乗った少女
「あんた何者!?」
「・・・あーもーめんどくさいっ!」
髪の毛をわしゃわしゃと引っかき回して空中でしゃがみ込むハチの姿を見て、グリフォンに乗った少女は僅かに油断する
何・・・こいつ?
背中から翼を生やした白い髪の男を見てアリスは首をかしげる
どうやらこの魔獣や湖の異変とも関係ありそうな人物にも見えるが
最初はこの背後にいる巨大な魔獣の意識を引く為に来たのだが、全然動く気配がない魔獣に不気味な気配を感じる
体からはゴウンゴウンという重い音が聞こえている
そんなとき、突如起こった湖の畔の爆発
そして現れた謎の男の背には翼が生えていた
「えぇいっ、もういい!強行突破!!」
なんでこんなに邪魔が入って足止めばかりされるのだとハチは目の前のグリフォンを睨みつけた
足止め係の自分が何故足止めされているのだと思いながらこうなったら無理矢理にでも今すぐこの魔獣を連れて帰る事を決意した
待っていてはなんだかまだまだ増えそうな気がしてきたのだ
「ちょっとごめんよ」
「ミャー!!やって良いよ!」
突っ込んできた吸鬼に対し、迎撃する構えを見せるグリフォン
その様子を見てハチは手を一度パンと叩く。すると、突如バランスを崩したグリフォンに慌てる少女
「クァ!?」
「きゃんっ!?」
「邪魔だッ!!」
体勢を崩したグリフォンの頭に着地し、そのまま頭を蹴って一気に魔獣に近づく
一方バランスを崩したグリフォンだったが、すぐに体勢を立て直して魔獣の方向へと振り返る
アリスも何とか振り落とされずにしがみついており、その目で吸鬼を捉える
「な、何をしたの・・・?」
クァーと首をかしげながらも、吸鬼を威嚇するグリフォンはアリスの指示を待つ
そのグリフォンを見てハッと気がつく
「・・・!追わなきゃっ!!」
最初にシャンに言われたことや目的をすっかり忘れたまま、アリスは吸鬼を追うように指示を出した
波が揺らめく
ざわめく木々の葉
湖の中央にある祠が姿をユラリと現す
湖の東西南北の畔に埋められた結界を張っている機械全てに、亀裂が走る
亀裂は徐々に広がり、ネジや部品が弾けていく
光を目指し、水を掻き、上を、上を、上を上を上を目指す
そして光が体を包み込んだ
水面に亀裂が走った