『湖の畔にて』
「やっと出てきたか」
一度湖の上に戻って辺りを見渡していたハチは、やっと姿を現し上陸した魔獣を見てそろそろ動こうかと考えていた
結局自分の今の役目は魔獣が出てくるまで邪魔者の足止めなのだ
そのため湖の上にいた方が視界も良く、都合がいいのだ
「お前、まだ仕事終わってなかったのかよ」
突如後ろから声をかけられ、ハチが振り向くと其処にはゆっくりと近づくテンがいた
自分の仕事を終わらせたようでこちらに合流したのだろう
「あぁ、うん。解放ご苦労様。あれ?どうしてその服切れてるわけ?」
「ん?」
ハチに指摘され、テンは服の裾を見る
すると指さされた其処には小さな斬り跡が残っていた
もしかして誰かと戦っていたのだろうかとハチは予想する
「何その意外そうな顔。あ、もしかして斬られたことに気がついてなかったの?」
「・・・どうやらそうらしい。やってくれるなあの仮面野郎・・・」
「はいはい。さってと、やっと湖から出てきてくれた事ですしさっさと連れて帰りますか」
ハチはゆっくりと上陸した魔獣へと近づく
こうしてみるとやはり大きく感じる
急がないと行けない
できる限り介入されないうちに
ハチにはそれだけが気がかりだった
だが、ハチもその異変に気がつく
「何だろう・・・マナの収縮が各地で起こってる。ゴの所だけじゃないねこれは」
「ん?どういう事だ?」
「分からない・・・けど、もしかしたらそう予想外のことでも無いのかもしれない」
マナの収縮は5カ所
一カ所はゴの所だからそれは問題ない
ただ残りの4つが問題だ
どれもこれも結界を埋め込んだ場所なのだ
結界と言っても何かを防ぐものではなく、むしろ出てこないように押さえつける蓋のようなものだ
通常人が使うような符術や魔術師による結界ではなく、ヨン、ゴ、ロクの技術メンバーが作り出した対神獣用の結界だ
とはいえまさか神獣で実験するわけにも行かないのでぶっつけ本番だったわけなのでどのようなことになるかは予想がつかなかったのは確かだ
一瞬にして破られる可能性も、神獣が一生出てこられなくなる可能性もあったわけだ
神獣を押さえ込むなんて普通出来ることではないのだから、そう考えるとこれまで持ちこたえてくれたことの方が奇跡に近いのかもしれない
過信はするなと言いつけられていたのであまり期待はしていなかったが、これはこれで十分役目は果たした
少なくとも魔獣を解放して宝玉を手に入れた様子のテンは仕事を終えている
それに加えて聖天下十剣のような剣も持っている
後は自分の最後の仕事、あの魔獣を連れて帰る事とゴの仕事だけだ
結界が破られるより先に、できれば終わらせたかったがそれでも十分楽にはなった
後でお礼にヨンとロクにもお土産に何か買っていこうかと考えるハチはとりあえずあの魔獣を止めることにした
一応は足止めされてくれた少年にも言ったように、礼儀ぐらいは返しておきたい
自分で言ったように、情報の開示だ
この際別に言わなくても良いのだろうが、自分の中ではなんというか言っておきたい。そういう気分なのだ
「こんなのだからいっつもみんなに異端だって言われるんだよなぁ・・・」
「何か言ったか?」
「いやぁ、なんでもないよ」
スッと翼を羽ばたかせてテンから離れる
キッと自分は周りから見たら裏切り者のように見えるんだろうな
そう思いながら翼を再度羽ばたかせる
それに正直、湖の上に居てはよくなさそうな雰囲気がする
まぁ勘なのだが
動きは無かった
魔獣の容姿はまるで亀のようだった
だが硬そうな、暗い青を地とした民族的な服を羽織っている
腕を前で合わせており、片目にはモノクルをかけている
体からはごうんごうんと決して近くからでは小さくない音が聞こえてくる
「無事でしたか!?」
その巨体を見上げていた時、リクが戻ってきた
後ろには何故かパラソルを差した女性も一緒だ
「あっ、リク君!うん・・・でも何これ?分かる?」
「いえ・・・魔獣の類と見てもいいんっすかね?シェリアさんはどう思います?」
シェリアと呼ばれた女性はおおよそ一条よりも僅かに大人びて見えたが、それでも若さをも感じさせる女性だった
ふわりとした短い髪がパラソルの影に隠れて彩度が落ちているが、綺麗な白髪である
「そうね・・・。壊しても良いのかしら?」
一歩、パラソルを折りたたんで片足を前に出した瞬間
「あっと、それはご勘弁願いたく思いますね」
地面に新たな影が増えた
どこから来たのか、そこには翼を生やした人間がいた
あの大会の時にもいた吸鬼という人種なのだろうという答えに一条は行き着く
「あなたが噂の吸鬼?」
「そうだよ。なんだばれてるのか。なら話が早いね」
スッと降りてきた吸鬼の少年はニコニコと笑いながらこちらへと歩いてくる
警戒を強めるリクを、シェリアは片手で制する
同様に、シェリアの表情も笑みを浮かべている
「こいつは回収させて貰うので壊しては欲しくないですね」
「あら、私は壊したくてウズウズしているのだけれど、あなたが代わりに壊されたいのかしら?」
「あはは、ご冗談を~」
「マジよ」
目が笑っている
吸鬼の笑みが苦笑いに変わった気がした一条とリクは互いに顔を見合わせた
「・・・・えっとですね――――」
「ははははは!!見つけたぜーーー!!」
さらに一人増えた
今度は少年とは違い、成人男性ほどの背丈に前髪が長い吸鬼が湖上より飛来した
剣を片手に急停止した吸鬼はハチの目の前に落ちるような勢いで着地する
「ちょっとテン!まだ話の最中なんだけど笑いながら割り込んでこないで欲しいな」
呆れた顔で突っ込むハチを睨みつけた
「うるせぇ!これが喜ばずに居られるか!おい女!名前を聞いても良いか!」
ビクッと一歩後ずさったハチから視線を戻して、シェリアの顔を嬉しそうにマジマジと見つめる
明らかに面倒くさそうな顔をしているシェリアもテンの瞳を見つめる
「五月蠅いハエが増えたわね。私はシェリア・ノートラック。同じ匂いのするあなたのお名前は?」
「やっぱり匂うか!俺はテン・ティニート!さぁ、勝負だシェリア・ノートラック!!」
「ちょ、シェリア・ノートラックって『西の頂』じゃん!四天王の一角だよテン!本気!?」
「あら、私の名前も吸鬼さんには知れてる程度には有名なのね」
「四天王の一角と殺りあえるなんざぁ、こんな幸せは二度とねぇ!!」
大きく翼を広げ、テンは高らかに笑い声を響かせる
端から見れば狂っているようにも見える
「その勝負。喜んでお受けいたしましょう」
長いスカートの裾を持ってお辞儀をするシェリア
「よし、なら湖の中央に氷の足場が出来てる。そこなら誰の邪魔もはいらねぇぜ」
「いいでしょう」
「って、シェリアさん!?待ってくださいよ!」
そんな狂った奴の言うことをきこうとするシェリアにリクは待ったをかける
弱いリクからしてみれば実力者であるシェリアをこの場から遠ざけようとしている風に思えたのだ
不安に思うのも無理はないと一条は思った
実際自分も不安である
どうやら彼女は相当の実力者なのだと直感で一条は感じていたし、一般人二人が吸鬼と巨大な謎の魔獣の目の前に置いて行かれると思うと不安は増すばかりである
すると、そのシェリアが一条の方へと歩いてきた
耳に顔を近づけられ
「安心していいわ。あの吸鬼はそれほど強くないわ。まぁ成人男性ぐらいの力はあるけど、所詮はその程度よ」
と、こっそりと耳打ちをした
「あなたの力なら、問題ないはずよ。自信を持ちなさい」
「それって・・・」
「あと、もし何か合ったらこれを使うと良いわ。閃光符、まぁ目眩まし程度には使えるでしょう」
一条は戸惑い、どういう事なのかと聞こうとしたがその時にはシェリアはすでに踵を返して後から乱入してきた吸鬼の方へと歩いていく
一体貴方は何処まで見抜いているのか
自分が符術の使い方を知っているからこれを置いていったのだろうか?
一条はいつの間にか握らされていた三枚のお札を見る
なんかどこかでこんな昔話が合ったような無かったような・・・
でも、あの大きいのはどうすれば・・・
気がつけば、シェリアと呼ばれた女性とテンと呼ばれた吸鬼は消えていた
シェリアは確かに一条の実力を見抜いていた
そしてその実力があれば問題なくあの吸鬼を倒せると判断した
それにあの場にはリクも居た
神子の力を失っているとはいえ、あれも天才だとシェリアは二人にあの場の足止めを任せた
何となく、まだ実力者が何人かこの場に居るような気がした
大きいデカブツを見て場所は分かるはずなので、少なくともその実力者が来るまでの足止めはできるだろうと踏んだのであった
だがシェリアは知らなかった
吸鬼はそれぞれ戦闘能力とは別に、特殊な能力を持っているという事を知らなかったのだ
「っ!!」
見上げれば、そこには巨大な亀のような魔獣の顔が見えた
建物の影になって全体は見えないが、それでもかなりの大きさがあることは一目瞭然だった
咄嗟に瓦礫を押しのけ、飛び出す俺
町は静けさを取り戻し、殆どパニックを起こした人の声は聞こえなくなっていた
グリフォンは倒れたボスグレイの片割れの肉を啄んでいる
奥の方では最後に残ったグレイを槍で仕留めていた
村の静けさからして恐らくこのグレイが最後の一匹だったのだろうと予想した俺は剣を鞘に収めて湖の方向へと走り出した
「落ち着け」
「っ!離してくださいシャンさん!」
だが勢いつく前に、俺の肩に手を置いて止めるシャンは落ち着いた目で俺の瞳を見つめていた
とはいえ、俺も落ち着いていられる状況じゃない
あの方向はちょうど小屋のあった場所
あそこにはまだ一条さんと千尋ちゃんが居るのだ
「察するところにお前の連れが心配なんだろう。
「それが分かっているなら離してください!」
「出来ない。離せばお前は一人で行くだろう。策もなく突っ込んだところで、どうやってあれを倒す?」
分からない。そんなことを考える余裕すら無く、俺は咄嗟に飛び出していた
だが、どうだっていい
今大事なのはあの巨大な生物を倒すより先に、あの二人の安全を確かめる事の方が俺にとっては大事なのだ
「倒さなくてもいい。ただ安全が知りたいだけだ!」
「だとしても、何故一人で行こうとする?」
「え・・・」
鎌を構えた女性はコクリと頷く
つまり、自分も連れて行けというのだ
「お前一人で勝手に動いて迷惑なことをしてもらっても困るからな。アリス、ルオ!」
シャンはアリスとルオにも声をかける
その呼び声に答えて二人もこちらへと走ってくる
ルオと呼ばれたその男は長い槍を持っていた
その槍はグレイの血を浴び、俺もそうだが服には返り血を浴びている
「なんだってんだよあのでけーのは」
どすどすと音をたてるようにしてやってきたルオは身動き一つ取らない巨大な魔獣を見上げた
「しらん」
シャンがそう返すと今度はアリスが
「それで、どうするの?」
「一応、あの下にある小屋まで行ってこいつの連れの安全を確かめるのが大事かと」
「うん。そうだね。私が囮になろうか?」
「っそれは・・・」
不安げな顔をしたシャンだったが、そうか確かシャンはこのアリスという少女の従者なんだったけか
大事な人なのだろう
それが進んで囮をやるなんて言い出したらそりゃ困るかと彩輝もアリスという少女を見下ろす
だが当の本人は全く気にする事無く、大きく胸を張って握り拳を胸で叩く
「大丈夫だよっ。ミャーに任せておけばさ」
「・・・確かにグリフォンの飛行速度はドラゴンに継ぐ早さと言いますし小回りもききますが・・・」
「もうっ、心配しなくてもいいって。いくよミャー」
するといつの間にか近くまで寄ってきていたグリフォンの背中に飛び乗るアリス
嘴がボスグレイの血肉を啄んだおかげで紅く染まっている
主を乗せたグリフォンは後ろ足二本で立ち上がり、大きく翼を広げると高らかに雄叫びをあげた
そして大きく羽ばたいてその巨体は宙へと舞う
「出来るだけの事はやってみる」
「・・・分かりました。危険だと思ったらすぐに後ろに下がるように。良いですね?」
「りょーかいっ!!」
グリフォンは高度をどんどんと上げ始めた
「では私たちも行こうか。何かあったら私とルオが盾になろう」
「なんだよそれ。なんで俺の許可無くしらん奴の盾にされなきゃならんのだ。っていうか何だよこの黒髪のガキ」
ため息をつきつつも「はいはい分かりましたよ」と、シャンさんに睨まれて渋々了解を承諾するルオ
「とりあえず私が前衛、次に君。その後ろをルオが守ってくれ」
「了解。調子乗って出しゃばるなよガキ」
「分かりました。ガキですから」
三人は顔を見合わせ、頷く
まだあの巨大な魔獣に動きは無い
誰の目にも、動きは無かったように見えた