『見誤りの交渉』
「おー、でっかいグリフォン。面白いじゃん」
少年は漆黒の翼を羽ばたかせて遠くの様子をうかがう
湖の上から眺めるその光景はとても面白い事になっている
笑顔を浮かべる少年は背後の朝日を体に浴びてその温かさと湖の冷気と匂いを感じていた
マナが異常なまでに豊富なこの湖でなら何時まで戦っていても良いと思うくらいだ
まぁすぐにこのマナも無くなると思うとそんなことはどうでも良いかと思い直す
要注意人物を発見したり、何故か普段は人になつかないグリフォンが女の子と行動を共にしていたりと興味をそそられる
が、その興味を押さえつけ、少年は一人湖の上で情勢をはかる
「テン、行方不明。ゴ、順調。まだしばらくかかると思われる。件の少年、グリフォンと少女は町に向かった。起きた彼は潜っちゃって浮いてこない。んー・・・どうしよっかなぁ・・・お?」
ハチは遠くを眺めながら僅かばかりに高度を上げる
視線の先には先ほどの少年が湖の方へと引き返してくる姿があった
別にこちらを見つけた様子ではないが、それにしても一人で戻ってくると言うことは一緒にいた女性はそのまま町へと向かったのだろう
一人・・・一人?
ここでやっとハチはこれが好機なのだと手を打った
ニッと口元を上げて背中の翼を二度三度羽ばたかせる
湖に波紋が浮かび上がり、ハチの体が高度を僅かに上げた
「テンにどやされなきゃいいんだけどっ」
そのまま白髪の少年は湖の岸の小屋めがけて一直線に飛んでいった
少年は小屋で両腰に剣を携えた
一本は短く、もう一本は長く、それでも大した重さは感じない
元々軽い二本の刀だが、これまでの旅でずっと持ち歩いていたのだからその重さにも慣れてきた
彩輝とシャンが町の目前までたどり着くと、そこで二人は魔獣に襲われる村を見た
それを見て俺は一度この小屋に引き返した
様子を見に行っただけだったが、俺は風王奏を帯刀していなかった
かろうじてソーレだけは所持してのだが、流石に短刀でやり合うには少々無理があると流石に俺は思った
魔獣相手に接近戦を持ち込めるほどの自信と余裕は俺には無い
そりゃ確かに魔獣と戦ったこともあるし、人外の吸鬼という存在とも戦った
だが、今思えばあのときに俺の命が消えていてもおかしくなかった
こんな小刀、そう言ってはソーレに悪いのだが、それを完全に使いこなせるほど俺は強くないと分かってはいるつもりでいる
かといって魔術を自在に使えるかと言われればそうでもないのだ
結局俺はただの高二の学生なのだ
だからこんな事に首を突っ込むものではないと思うのだ
だけど・・・・
「本当に行くの?アーヤん・・・」
「行きます。後悔はしたくないので」
「またそれ・・・」
結局、俺を動かしているのはその後悔したくないという思いだ
呆れ、悲しい顔をする一条さんの顔を見ていて、これは間違いなのではないかと一瞬俺は思ってしまう
本当は一条さんと千尋ちゃんとここで大人しくしているほうが良いのだとは分かっている
「だけど、これが俺なんです。大丈夫です。たぶん。右腕も戻ったんです」
嘘をついた
確かに腕の傷は癒えた
自由に動かせるようになった右腕
だが、内側はまだ完全に癒えたとは言い切れない
何故だろう
感じるのだ。この右肩に渦を巻く何かを
「でも・・・」
「一条さん。心配はいりません。ただ、ただ俺が戻ってくることを祈っていてくれれば俺はとっても嬉しいです」
「・・・うん」
「戻ってきますよ。死ぬために行くんじゃないんです。助けるために行くんです。今の俺に後悔はありません」
だから、躊躇う理由は何もない
俺は勢いよく扉を開けて飛び出した
キラリと朝日が小屋へと差し込んできて俺は朝の太陽を腕で遮る
すぐさま湖に背を向け町へと向かって走り出そうとした俺はその足をピタリと止めた
俺は前屈みになったまま、ジッと地面を見つめている
「やぁ、初めましてだね」
吸鬼の影が俺の影を覆い隠している
スッと高度を降ろして着地した吸鬼は翼を折りたたみパンパンとローブの埃を払いのける
小さな林の手前で止まった俺はゆっくりと真っ直ぐに立ち、振り返る
そこには一人の少年がいた
見かけで言えば自分より僅かに小さい、ちょうど中学生ぐらいにあたる容姿をした少年が立っていた
ローブを身に纏い、やはり髪は白くニッコリと笑って少年は近づいてくる
「僕はハチ。よろしくアヤキ君」
「!?どうして俺の名前を・・・」
驚きのあまり、咄嗟に俺はそう口走っていた
自分が本人であることを確定させてしまう発言だったことに気がつくが、そのことに気がつくには遅すぎた
「いやぁ、ちょっと調べさせて貰ったんだよ。君は要注意人物のようだからね」
「よ、要注意人物?」
そう言われて俺は少し考えてみる
吸鬼とは二度関与している
そのどちらともに居たのは俺と一条さんだけだ
ということはもしかすると彼女の方も・・・
「そ。イチの報告では二回も実験を邪魔してくれたらしいじゃないか。いやまぁそれは終わったことだしいいんだよ。それでね、一つ聞きたいんだけどいいかな?」
「俺は別に注意されるような人間じゃないんだけどなぁ。まぁ関与はしたし、そうとられても不思議ではないのか」
「そうそう。まぁ危険かどうかを決めるのは僕じゃないからね。じゃぁ率直に聞くけど、君は僕たちの敵なの?」
思い切った真っ直ぐな質問だなぁと思った
言い回しも何も無かった
吸鬼はそう聞いてきたが、当たり前だ!と自信を持って返せるわけじゃぁなかった
俺個人には別世界の吸鬼に恨みがあるわけではないし勝手に俺が敵対宣言をしてしまうのもまずいと思って口をつぐんだ
今思えばこの吸鬼には恨みは無いが、利害が完全に一致していない事がこの対立の原因だろう
その主たるものは宝玉であると俺は踏んでいる
宝玉の取り合いで今俺たちはもめている
っていうか理由とかぐらい聞かせてくれれば各国のお偉いさんも多少は話を聞いてくれると思うのは俺だけか?
「・・・少なくとも、俺は人種で人を差別している訳じゃない。何をしているかで区別する。だって俺にはこの世界の人種なんて関係ないんだからな」
一瞬、吸鬼が目を丸くしたようにもみえたが、気のせいだったのかすぐに吸鬼は返答を返してくる
「ふんふん。なるほど。別に僕たちには恨みはないけど、やろうとしている事は許せないと」
「そうだ。今回の湖の異変もお前達のせいなのか?」
「そだよ。まぁ邪魔はしないで欲しいっていう希望なんだけど・・・黙って見ていてくれないかなぁ?別に君たちに対して害がある訳じゃないし加えるつもりもないんだけど」
「・・・まずお前達の事を信用できないのにその要求をどうやって信じろと?」
「まぁごもっともか。そりゃぁそうだよね。じゃぁ条件を付けよう」
「条件?」
頷いた少年はニッと笑って指を三本彩輝に向ける
「足止め料相当分の情報の開示。どうしてもっていうの以外なら3つまで聞いて良いよ。それでどうかな?」
俺は悩んだ
そりゃもちろん町を助けに行くべきなのだと分かっている
カイさんがどこかへ行ってしまっている以上、できる限りの戦力を町の防衛に当てた方が良いとは思っている
それが例え俺みたいな弱者でも力になることができればと思って町へと行こうと考えていた
が、それと同時にもしここで情報を引き出せれば今後の展開が楽になると思ったのも確かだ
こう短い期間に三回も吸鬼に関する事件に巻き込まれている俺としてはこの先、彼らの目的ルートからはそれて行動すれば旅はなお安全なものとなる
確かになにか良くないことをしようとするならばもしかしたらいずれ刃を交えることもありえるだろうとは思う
だが俺がまず第一に優先すべきものは一条さんと千尋ちゃんの命だ
保護者ぶってる訳じゃないが、一条さんにああ言った手前、というか言って無くても俺はあの二人を守らないと行けない
それにここで情報を引き出して本当にこの事件に対処できる組織に渡せば結果的にも状況はよくなるだろう
だが、目の前の人達の事を見過ごしてもいいのか?
こうしている間にも、一人、また一人と魔獣に襲われ命を失っているのかもしれない
「町へ行くのも駄目なのか?」
「・・・本音としてはどっちでもいいかな。確かに魔獣を町に差し向けたのは僕だよ」
「!!」
風を切る
「っ・・・さっすがぁ、間合いの詰めが上手いね。いつの間に踏み込んだんだい?」
今、ハチの喉元に突きつけられた風王奏の刃が皮膚に触れるか触れないかの部分で止まっている
逃げる様子もなく、寸止めしようと考えていなければこの男を殺せたかもしれない
だが俺は今この刃を振り、殺しても良かったのか?
人殺し
左手をソーレに添え、右手に握る風王奏の刃が朝日を反射する
キラリと光ったその刃を見て流石に吸鬼の男も苦笑いをしている
「おーおー、恐い恐い。優しそうな顔してなかなかに強いじゃないかぁ」
ハチはその刃の冷たさを感じて一滴の汗が喉を伝ったのを感じた
さーて、次はどうしようか。そう考えていたハチは少年を見返して考える
(足止めの為に町に魔獣を放ったけど、結局は僕が足止めしているみたいじゃないか)
(でも本当にどうしよう。僕でも多少は戦えるけど、数分持てば良い方かな。流石にあの初速は早いよ)
できれば、この少年と一対一の戦闘には持ち込みたくなかった
戦闘は専門外なのだから
とはいえ―――
「それで、いきなり斬りかかってくるってことはそれが返答だと考えていいのかなアヤキ君?」
「お前的にはいったいどちらがいいんだ?」
ふぅむとのど元に剣を突き立てられたままハチは考え込む
「そうだね。僕はそこまで強くないから君を倒すってことは難しい。でも君を止めるっていう足止めをしなくちゃいけない。もし僕たちの任務遂行中にそれを邪魔する者が現れないように目を町の方へと向けたかったから魔獣を向かわせたんだ。とりあえず邪魔をしないでほしいっていうのが一番だね」
そうはいうが、彩輝はまだ判断しかねていた
殺す気は無かったが、それでも男の翼や足を奪うぐらいはしても良かったのではないかとも思う
人の五体を奪う事などしたことは無いが、今ならそれが出来てしまいそうな気がする
そんな俺はどうかしてしまっているのだろう
結局、こいつ等のしていることは俺には分からない
善なのか、悪なのか
そもそもこいつらが悪だと誰が決めた?
俺か?
俺だろう
なんだ、そういう事だったのか
自問自答して俺は剣をおろした
そんな俺の様子を見て不審に思った吸鬼はゆっくりと警戒しながら俺から距離をとる
「それが、返答なのかい?」
「・・・俺はどうもお前達を勝手に悪だと決めつけていたらしい。根拠もないのに・・・さ。すまない。でも、それとこれとは別だ。だってお前は関係のない人を巻き込んだ」
ちらりと俺は後ろの町を見つめた
町からは未だに火の手があがり、人々の叫び声が聞こえる
そこでその姿を見たハチはしまったと感じた
「・・・失策だったかな」
「理由も聞かずに斬りかかったことは詫びる。だが、もうそれは関係ない。俺は後悔しない道を進むだけだ」
もう一つの剣を鞘から抜き放つ
紅みを帯びた刀身が男の姿を映した
俺は踵を返して小さな林へと飛び込み町へと急いで駆けだした
そんな彩輝の後ろ姿を見つめながらハチは白髪を左手でわしゃわしゃと引っかき回した
「こりゃ見誤ってたね。案外話し合う気はあったらしい。敵対関係・・・にしちゃったのかね」
そのことだけが気がかりだった
彼自身こちらに恨みは無いと言っていたじゃないか
差別もしないと言っていたじゃないか
結果的に任務は遂行できたわけだが、これで良かったのかと何故かハチは悩む
どうも僅かにしこりが出来ているような
些細に感じた程度だが、これで彼は敵となってしまったのだ
先ほどまでは違っていたのに、邪魔をしてきたことや斬りかかってきた事からそう軽率な判断をしてしまったことが悔やまれる
上手くいけばこちらの身方に引き込めた可能性も無かったわけでもないというのに
「でも、一つだけ面白い事を言ったね君。俺にはこの世界の人種には関係ない・・・か」
とりあえず、ハチはもう一つの仕事をするためによみがえらせた魔獣を探すことにした
「ってかいつまで潜ってるんだよ!」
湖に向かって叫んだ
返事なんて帰ってこなかった
「こ、これは・・・!?」
湖上より氷の足場を伝って戻ってきたリクはまず小屋へと向かおうとした
言われた通り、吸鬼のことを伝えようとした
だが、それよりも先に気になることがあった
戻ってくる最中、小屋の奥の町から登る黒い煙
「リーチェの町が・・・」
火の手の上がる町
人々の逃げまどう声が四方八方から聞こえ、足がピタリと林の中で止まる
その原因は目の前にあった
魔獣グレイ
人々を襲うその姿を目にした時、リクの頭には吸鬼の事などすっかり消え失せていた
小さな頃から育ってきた町だ
知り合いだって沢山居る
それなのに、なんなんだこれは?
自分が居なかった僅かな内にここまで町が酷いことになっているなんて
何かが起こっている、いや起こされたのだ
魔獣が町を襲ったところで此処までの被害にはならないはずである
魔獣とはいえグレイごときにひけをとるような自警団の人達ではない
吸鬼!!
湖を振り返りたかった
だが、目の前に突如躍り出てきたグレイのせいでそれができなかった。一歩、いつの間にか自分は後ずさりしていた
グレイ程度、これまで仕事中に何度も山の中で見かけてきた。時にはにらみ合い、襲ってきた時には戦いにもなった
魔術を使えず、武器も持たず、そんな小僧一人が皮膚を切り裂く爪と喉をかみ切る牙を持つ相手にどう戦えというのだ
無力さを思い知った
逃げ出したい衝動にかられる
せめて武器を
そう思ったのは確かだ
だが背を見せた瞬間リクの負けは確定してしまう
理由は分からないが、普段山で見るグレイよりも気が立っているように見えるのは気のせいだろうか?
牙をむき出しにして唸るグレイの口からヨダレがぼたぼたと落ちるのが見える
一歩、また一歩と近づいてくるグレイの姿
「ふっ!!」
ぎゃんっ!
「・・・え?」
突如悲鳴と共にリクの正面から消え失せたグレイの姿
一瞬その体が右へとぶれたようにして、そのあとすぐに視界から消えてしまったグレイを追って右へと視線を向けた
木に打ち付けられたグレイ
そのグレイの腹に吸い込まれた拳
「しぇ、シェリアさん!?」
「あら?」
そこには右拳をグレイの腹へと殴り込んだ西の頂、シェリア・ノートラックが意外そうな顔をして立っていた
「久しぶりね、元虹魚の神子さん」
ごりっ
にこりと笑ったシェリアはもう片方の手で気絶したグレイの首を折った
「っはぁ・・・っはぁ・・・」
再度、湖上
ゆっくりと翼を上下させる吸鬼が余裕の表情で腕を組んで浮遊している
その眼下の湖にはまるで大地と呼べそうなくらいにまでに展開された氷の足場が広がっていていた
冷気が立ちこめる中、氷の柱が乱雑するその湖上の氷はゆっくりと日光によって溶けていく
「そろそろ潮時だと思うぜ」
そう氷の上で膝をつく男に声を投げかける
荒い息をあげているその男は折れた剣を湖へと捨てる
刀身の方はすでにまっぷたつに蹴り飛ばされているためもはや剣としての機能は殆ど失われたと言っても過言ではなかっただろう
だが、仮面の奥の瞳にあきらめはの色は無い
所々に怪我を負っているようにも見えるその男が立ち上がるその姿を見て吸鬼はため息をついた
もう飽きた。そんな顔をして男に言い放つ
「諦めなぁ。お前じゃ俺には勝てない。分かってんだろ?俺も今お前を殺そうとは思ってねぇんだよったく。本音はもっと強くなって欲しいと思ってるんだぜ?せっかく見つけた玩具なんだからよ」
ググッと一気に急降下して吸鬼はカイの顔に強烈な蹴りを入れる
それを避けきれずにカイは氷の上を二度三度とバウンドして転がっていく
その度に氷で切れた傷からにじみ出した血で氷が血に染まっていく
「が・・っ・・・はぁっ・・・待ち・・・やが・・・っく・・・」
とどかなかった
俺の剣が、届かなかった
俺の力が、届かなかった
「だからさ、諦めな」
もう少しでとどくんだ
俺の場所へと届くまで
俺の力へとたどり着くその時まで
「待っていろ!」
「待ってやる!」
吸鬼はそのままスッと上昇する
徐々に小さくなるテンを見上げ
徐々に小さくなるカイを見下ろし
互いに思うは喜びと悔しさ
「次こそ・・・倒す・・・絶対・・・にぃ・・・」
「次の機会を楽しみに待ってるぜ。精々強くなっていてくれよ」
互いの相反する思いを乗せて
「っああああああああああああああああああああああ!!」
「っハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
二つの叫びは湖上の空へと消えていく
この日カイは一度もテンに決定打を入れることが出来ず、完敗を喫した
その氷の下を、ゆっくりと巨大な影が動き出す
町へと向かって動き出す




