『邪魔者』
「これいいですね」
「だろ?」
今、湖の上には水面を滑る二人が居た
一本の氷の道の上をカイが慣れた足捌きでリクを背負ったまま滑っていく
氷の道を造りながらカイはそのまま湖の中心部となる場所へとリクの指示で向かっている
成人男性とほぼ変わらぬ体重のリクを乗せたまま滑るカイは足にも氷の板をつくってまるでスキーのように滑っていく
「このまま真っ直ぐか?」
「はい。間違い有りません」
リクの中にはやはり戸惑いがあった
これまで神子という存在を隠して生きてきた先代や自分だったのに、呆気なく神子だと言うことがばれてしまうなんて事は初めてだった
それを見破ったのがこれまた自分も神子だという謎の仮面の旅人
自分が呼び止めて泊まらせた旅人というのがまた奇妙な巡り合わせだ
旅人を小屋へ泊めた事なんてこれまで一度もなかった
あのときはこんな事になるなんて予想もしていなかった
よもや泊めた旅人が自分と同じ神子だなんていったいどれほどの偶然と確率なのだろうか
ただ、何となく悪い人では無い気がした
妙な仮面を付けているが、その下の瞳を見つめたとき分かった
信用できる、と
神子であったときの力は失ったが、生まれ持ったこの自分自身の力は失われなかった
神子として生まれた者には悪しき者とそうでない者を見分ける瞳が宿るというが、神子の力を失った今でもこの瞳は健在である
ということはこれは神子の力では無いのだということになるのかもしれないが、正直今はそんなことはどうでもよかった
「結界が張ってあるなんて全然気がつかなかった。湖の中央に社があるなんてな」
「そりゃまぁたぶん知っているのは俺ぐらいしか居ませんからね。先代の母は死んでしまいましたから」
「そうか。でもまぁこれで二人になった訳だな。どちらかが死んでも秘密は受け継がれるわけだ。二人とも死ななければの話だが」
「またまたそんな!演技でも無いことを言うものじゃないっすよー。あ、あと少しです」
「・・・・見えるのか?」
「勘っすね」
「・・・・そうか。一応信じておくとしよう」
カイは僅かにスピードを上げた
今こうして二人が湖の中央にあるという社に向かっているのもリクが感じた異変からだった
何者かがリクが張った結界を抜けた事を感じ取ったリクは一人湖の中央に隠された社へと向かおうとしていたのだった
そこにカイが合流、同じく神子だというカイと共にその社へと向かっているのであった
先ほど見た巨大な水柱と影の巨大な影の事も気に掛かるためカイは湖の水を直線上に凍らせて移動する事にした
足に氷の板を付けて滑るのだが、やはり足が冷たくなってきたためにカイは仮面の下に冷たさに耐える表情を隠してリクを背負って湖上を滑る
「ここです」
「んっ・・・ここか」
冷気を一気に放出して湖上に円形の氷の台座を浮かべる
一応陸から作った一本道と円形の台座は繋がっているが、風に揺れる水面に台座は揺れる
不安定な足場の上から二人の青年は周囲を見渡す
まだ靄がうっすら掛かっているが、それでも先ほど少女が少年に戦闘を吹っ掛けてきた時に比べればかなり晴れたと言っても言い
「本当に此処に社があるのか?何も無いように見えるのは俺の気のせいか?」
「いえ、間違い無いっすよ」
自信満々にリクが言うのを見てカイは冷気の放出を止めて台座を広げるのを止める
直系十メートルくらいの氷の台座の上でカイは腕を組んで隣のリクを見る
「其処までの自信があるってことは何かしらの根拠が――――」
「んっ!!」
一瞬、リクが力んだかと思うと突如目の前の空間が歪んだ
立ち込めていた靄ごとまるで空間が入れ替わるような
カイはゆっくりと浮かび上がる目の前の光景にただ驚愕してた
「一応その剣、抜いておいてくださいね」
「!!」
そうである、この結界を抜けた奴がまだ中にいる可能性もあるのだ
カイはスッと剣を鞘から抜き放つ
風王奏をアヤキに譲ってからというもの、腰に提げた剣は確かに重くなっているというのに、どうしてこうも軽く感じてしまうのだろうか?
譲ったその時にも後悔や心残りは無かった
何だろうなこの感覚は
カイはゆっくりと目の前に現れた社へと足場を作る
「扉がっ・・・・」
隣でリクが息を呑むのを感じた
無惨に壊された扉の破片を踏み越えて中が丸見えになったその社の中へと駆け寄るリク
その後ろをカイが追う
気をつけろと警告したのはリクの方なのにリクの方が逆に落ち着きを失っている
「そんな・・・」
膝をついて崩れ落ちるリク
内部には荒らされた痕跡が無い
だがリクの様子からして何かしらの変化があったのだろう
恐らく此処に捧げられていたものが奪われたりでもしたのだろう
とはいえそんなに時間は経っていない
どうやって逃げた・・・
そこでカイは大事な事に気がつく
もし手こぎ船で来ているとしたらここに来るまでに確実に視界に捉えていたはずだ
うっすらと靄がかかっていたとはいえ、かなりの視界は確保できていた
そしてもし水の魔術を使って船を高速で動かしているのならばマナや魔力の動きで察知ができたはずだ
それが無かったと言うことはまだ近くに居る可能性もあるが、それなら犯人は何処に居ると言うのだ?
「君たちは、一体誰を捜しているんだい?」
「!!」
「!?」
突如背後から聞こえてきた声に二人は同時に振り向いた
「これだけじゃぁ退屈だと思ってたんだよ正直ね」
クルリと剣を逆手に持ち替え、もう片方の手で水色の玉をお手玉のように操る
黒い翼が印象的なその男は満面の笑みを浮かべていた
「嬉しいなぁ。強者の臭いがするねぇ」
これは本当に厄介なことになったとカイは心底思った
こんな短期間にまさかまたこの種族と出会うことになろうとは
カイは静かに仮面の奥から男を見つめ、ぎゅっと剣を握る力を強めた
「どうします?」
「そうだな・・・。とりあえずいろいろと聞きたいこととかはあるんだが、その髪・・・何処の出身だ?」
んー、やっぱりそうくるかー
旅人と説明しても流石にこの黒髪は異様に感じるのだろう
黒って善か悪かと聞かれると悪って答えちゃいそうな色だしね。まぁ関係ないんだけど
恐らくただ単に同行する見ず知らずの人間の身元ぐらいは割っておきたいのだろう
とはいえ別世界から来たことは伏せておいた方がいいのだろう
ってどういえば良いんだ?
「遠くです。えっと海の向こう?」
「何故に疑問系なんだ。まぁ、そうか。海の向こうか・・・」
この大陸はある意味一つの島と言って言い。まぁ島という大きさでは無いので恐らく大陸となっているのだろう
この世界の人達はこの海よりも向こうに別の大陸があるのかどうかすら知らない
誰も大陸の外の世界を知らないのである
それ故に俺たちも他に大陸があって人が住んでいるのかどうかは知らない
ある意味都合が良かったのだろう
海の向こうから来たと言えばそれはそれで彼らは確かめようがないから俺が海の向こうからやって来たと信じるしかないのだ
事実この大陸には黒髪の人間など俺たち以外に居ないのだから
「海の外の世界か。いろいろと気になる事もあるし確かめようは無いが・・・信じるほか有るまい」
案の定シャンさんはある意味はぐらかされたような気もしているのだろう。まぁはぐらかした訳だが
とりあえずそれで納得して貰っていても今は別に問題は無い
どうせ今回のこと以外では殆ど関わらないだろうからと俺は考えていたからだ
「私としてはこの異変を解決するまでお嬢様の機嫌は良くならないであろうから、早く解決して旅を続けたいところなんだが・・・」
そのお嬢様はまだぐっすりと寝ている
先ほどの巨大な水しぶきの音で起きてきそうになったが、瞼を擦って再び眠りに落ちていった
それよりも湖から何人か先ほどの音を聞きつけて見物人が集まりつつあった
目立つ行為は避けたいというのに
「原因が分からないのではどうしようもない。数日間は滞在する予定だが・・・果たして手がかりが掴めれば良いのですが」
関係があるのかどうかは分からないが俺たちの旅の目的は神獣である
もしかしたら神獣関係なのか?
とはいえそれは人に言えるような事じゃないしなぁ
なんて考えているとスッとシャンさんが立ちあがって湖に向き直る
どうしたのかと思って俺も湖の方向を眺めた
「どうしたんですか?」
「いや・・・何か湖の中央で魔力を感じたんだが・・・。小さなマナの動きが湖の中央まで続いていって・・・」
シャンはカイの放っていた氷の魔術の魔力を感じ取っていた
ただそれがカイの放っているものだとは知るはずもない
「遠すぎてよく見えないが、人がいるようには見えないな。魔獣か?」
試しに俺も魔力を感じてみようと瞳を閉じると、遠くの方からよく知った魔力の動きを感じた
「あ、俺も感じた。カイさんじゃないかな?」
「先ほどの仮面男か?湖の上だぞ。どうやって移動しているんだ?」
「氷の魔術で凍らせてるんですかね?」
「氷の魔術師かなるほど。腕が立ちそうだ」
何を考えているのかよく分からないが、とりあえず俺はカイさんの魔力に集中する
先ほど席を外してから何処に行ったのかと思っていたが、まさか湖の真上に居るとは思わなかった
何をしているのだろうか?
「クアッ!」
「ん、どうしたグリフォン?」
ちゃんとグリフォンには名前が付いているらしかったのにこの人は種族名で呼ぶのかと違和感を感じた
グリフォンは主である少女を乗せたまま湖を背にして町の方向を見つめた
まだ朝が早いとはいえ、すでに日が昇り始めたので人々が活動し始めているのだろう
昨日は露店なども多かったが、あれは朝は市場として機能するらしい
朝は市場、昼から夜は屋台という何とも不思議な仕組みだ
とはいえどうしたんだろう?
グリフォンはジッと身動ぎ一つせずに町の方向を眺めている
町とこの湖との間には海にあるような小さな防風林のようなもので区切られている
区切られているといってもその木々の隙間からは向こう側にある町は丸見えであるのだが
「ふむ・・・・僅かに毛が逆立っているな。警戒や警告をしめしているんだよこれは」
「へ、へー。でも一体何に警戒しているんですか?湖の方に向かって警戒するならまだしも町に警戒するものなんてあるんですか?」
言われてみればその黄土色の毛がちょっとピンと立っているように見えなくもない
「んっ、んー?おはようシャン・・・」
「え、あはい。おはようございますお嬢様」
「なんかミャーがつんつんするぅ・・・シャンが二人いるぅ・・・」
そう言って寝ぼけて起き出す少女
目を擦りながら意識を覚醒させていくがそのなかでゆっくりと意識が途切れる前の出来事を思い出す
俺の顔を見てピタリと動きを止めた。目を擦っていた手も止まってジッと俺を見つめている
思考を整理しているのか、ラグっているのか
俺が咄嗟に思ったのは、あー説明してないなー。という事だった
「お、お前えぇぇぇ~!!」
「人を指さすなコラ」
目をぱちくりと見開いて俺を指さす少女
「ミャッ、ミャー!あいつ!あいつだ!こ、こら・・・!なんで言うことをきかん!?ほら、あーいーつー!!」
バンバンと少女は乗っているグリフォンの背をバンバンと叩くがグリフォンは依然として町の方向を見つめている
丁度その頃、湖の上からその一行を眺めるハチがいた
翼を羽ばたかせるハチは顎に手を添えて首を傾げる
「やっぱり殺気の音で寄って来ちゃったかぁ。こっそりやりたかったのに・・・」
ぽたぽたと滴る水が湖に小さな波紋を作る
全身ずぶ濡れの吸鬼は翼についた水滴を振り払う
「でも、興味深い人間がいるね。どっかでみたぞー?」
どこかで見た。そんな気がした
霧が晴れて湖の様子を見に来た人間の中になんだか違和感を感じた
ハチはそう呟きながら懐をがさごそとまさぐる
数枚の用紙を取り出す
「どこで見たんだっけなー・・・」
これも違う。これも違うとその用紙に目を通していく
そしてピタリと手を止める
そして用紙と陸地に立つその一人の少年の姿を見比べる
「・・・・ゎおー、ビンゴビンゴ!嵩張るし置いてこようと思ったけど間違いだったね。あーテンの言うこと聞いておいてよかったー」
ハチの手元にあるその用紙には一つの似顔絵が描かれていた
以前グレアント王国に寄ったイチが持って帰ってきたものであった
彼曰く、張り出されていたであろう張り紙はお尋ね者の部類に入るらしく、見つけた者には賞金が出ると書かれている
まぁ恐らく張られていたものではなく、落ちていたものを拾ってきたのだろう
よれよれになり、皺が沢山ついたその張り紙には大きな足跡が付いている
まぁ書かれていた賞金の方には興味はなかったのだが、彼が以前黒龍の実験の時に邪魔をされたうちの一人にとてもよく似ているのだそうで一応持ち帰ってきたらしい
邪魔者はもちろん排除の対象だが、こいつはその対象だと前回のアルデリア奇襲の後で言っていた
その時にもこの似顔絵の人物が居たらしい
テンが何故この用紙を持って行けと言ったかと聞かれれば、ただ単に彼は戦いたいだけなのだ
あの年頃は誰にでも有るらしいが、とにかく戦いたい衝動にかられるらしい
イチなどはもう過ぎたらしいが、やっぱりああはなりたくないものだとハチは常々思う
何故そんなに自ら厄介事に首を突っ込むような体質になってしまうか
吸鬼という種族であるせいでできる限り世間にその存在を悟られてはいけないのだが、彼を単なる殺戮者に堕ちていないのはそのせいだ
その枷が外れてしまえば彼はただ殺しを楽しむだけの獣となるだろう
やっぱりいくらなんでも其処までなりたくないと彼を見て思ってしまうのだ
その枷を唯一外せる方法がこの紙なのだ
外出時には彼はいつもこれを持ち歩く
つまり、ゼロの命じた“邪魔者は消せ”という命令がその枷を一時的に外せる効果があるのだ
その命令に従う事はつまり、戦って殺せという事に繋がるからだ
戦いを生き甲斐とするような彼はつまり、このお尋ね者や邪魔者のリストを常に持ち歩いているのだ
戦いを探しているといってもいいだろう
とまぁ少し話はずれたが、それにしても偶然にしてはできすぎているんじゃないか?
「邪魔者は消せ・・・ねぇ・・・」
その少年がこの湖に居る
もう少し彼の魔術や実力の事を聞いておいてもよかったかもしれないなぁ・・・。
そう思いながらハチは用紙を懐にしまう
「テンを呼んでも良いんだけど・・・」
ちらりと湖の中央を向ける
テンの姿は見えないが、水獣を解放したという事はもう隠された社へはたどり着いているはずだ
その場所に結界でも張ってあるのだろう。ここからでは見ることができない
つまり教えられない
「まぁ教えて騒ぎにするのはまずいし・・・。でもなぁ」
黒龍の実験とアルデリア王国の襲撃。その両方に関与した吸鬼とあの少年
そして今回のこのイレータ湖でまたしてもその少年と吸鬼が居合わせている
まさか事前に自分たちの行く先がばれているとも思えない
未来でも見ているのかと疑いたくもなるが、見た目からしてまだそう年を取っているようには見えない
周囲に何人か人の姿もあるが、実力が分からない以上ここで攻めていいものかどうか迷うところだ
一般人ぐらいなら問題ないのだが、一度目は神獣や龍族を身方に、二度目は各国の優秀な騎士が居合わせていた場であった
実験に使った黒龍は息絶え、こちらの実験を成功させるための揺動とはいえ、宝玉奪取の為に念を入れて若年混じりとはいえ吸鬼が4人とこちらの味方についた男も会わせれば五人、それに加えて復活させた魔獣も送り込んだというのに、それでも失敗しているのだ
アルデリアの襲撃には裏でハチも動いていた
あの巨大な魔獣を後ろで操っていたのはハチなのである
操ったと言ってもそう指示しただけなのだが、それでもまさかあんなにボロボロになって戻ってくるとは思っていなかった
それにまさかのイチとサンという成人の吸鬼が二人もやられて来るとは完全に予想外だった
とはいえ揺動は成功。実質各国から出された使者やらが吸鬼の復活を南方で耳にしてアルデリア等に向かっている頃合いであろう
黒龍の時の事もイチが目撃されていることから吸鬼が大陸南方で活動している事を予想しているだろう
せいぜい油断しているが良い
本当の目的は北だ
目的は宝玉と実験
実験はゴが行っているが正直あれだけ無口だとちゃんと理解しているかどうかが不明だ
まぁちゃんとマナの動きは感じているので恐らく現在進行形でその実験を行っているのだろうが
おしゃべりな僕と無口なゴに挟まれてテンも大変だなぁと今更ながら思った
さて、あの少年、どうしたものかな
南を攻め、次は西と来たわけだが、イチが南で出会っているその少年がなぜ此処にいるのか
まぁ正直どうでもいいが、これより北に向かってもらうのは困るのだ
ただよりにもよってこの作戦当日に吸鬼と出会すほどなのだ
どちらの運が良いのか悪いのか
テンは何処にも居ないし、せっかくの相手を僕なんかに消されたらそりゃぁ激怒して僕が微塵に消し飛ばされる可能性もあるんだけど・・・さ
「・・・・うん。ばれなきゃおーけーでしょー。厄介の種は早めに詰んでおこう。芽を紡ぐのは簡単だけど、大木になって貰っちゃ切り倒すのも大変だからね」
ハチはゆっくりと翼を広げた
やることはやったし、一応水獣にも命じてあるからこれ以上面倒にはならないでしょう
少なくともあのメンツが増えることはない。上手くいけば減ってくれるね
後少し、後少し待とう
「待ってる間にテンが戻ってきたら・・・あ、どうしよう。僕死ぬ?あっ、譲ればいいのか。うん、そうだよね。別に僕がわざわざ戦わなくても良いんだし」
真っ黒な翼を羽ばたかせ、とりあえず見つからない位置までハチは上昇する
そして眼下を見下ろす
湖、そしてゆっくりと潜ってぼやける影、小さな緑の向こうに見える町、その裏手に広がる標高は低いが木々が生い茂る山々
湖の方へとマナが搾り取られたその木々はやや緑が鈍っている
声が聞こえた
牙を研げ
爪を研げ
肉を食い千切れ
肉を切り裂け
本能のままに息を潜めよ
囲み、追いつめ、狙った獲物は逃さない
それが お前達だ
カサカサカサッ
町の裏手に広がる小さな山から、幾つもの影が下りてくる