『旅人と旅人』
アリス・メルストンは風の民と呼ばれていた部族の一人であった
少女は風の民の証でもある水色の髪と不思議な紋様の描かれたローブを纏っていた
風の民の集落は大陸南部、アルデリア王国の最南端に位置する海沿いの崖の近くにあり、海の前に横たわるようにして西東へ伸びる小さな山岳にそのぶぞくの集落はあるとアリスは聞かされている
海が近く、海から吹く風が山へとぶつかり上昇気流を生み出す
その為風が強い場所としても知られる
そんな場所でも風の民は昔から風と共に今日まで過ごしてきたと聞く
少女はそんな集落の長であるメルストン家の長女として生まれたらしい
らしい、というのも自分ではその風の民として生活していた頃の記憶が無いのである
記憶喪失という訳では無い
ただ単に、自我を持つより前に彼女は集落を離れて遙か北方の方で生活をしていたからである
グリフォンのミャーとはそこで出会った
自分の身の回りの世話や教育は全てシャン・アルティとルオ・カリオンがしてくれていた
男と女だが、少女はその二人が自分の父親でも母親でも無い事が分かっていた
親の名字はバラバラであり、また自分の名前もアルティでもカリオンでも無いメルストンという名である
分かっていながら、その事を二人に問おうとはしなかった
二人の姿を見ていると、とてもではないが聞く気になどなれなかった
そんな雰囲気を肌で感じていた
気にはなっていた。だが二人が生みの親で無い以上、一体誰なのかという疑問は日に日に大きくなっていく
12歳の誕生日
その頃になってようやく二人はいろいろな事を話してくれた
自分が風の民の長であるメルストン家の長女である事
二人はそのメルストン家の側近であった人間で訳あってそこから逃げてきたこと
決して人さらいなどでは無く両親の決断によるものであること
そして12歳の誕生日、打ち明けて欲しいと頼まれていたこと
いろいろな事を聞いたが、結局何故風の民の集落を抜けて北方の地へと逃げてきたのかを聞くことはできなかった
12歳というのはある程度物事を正しく理解し自分で判断をできる年頃ということらしく、それまではできる限りの事を秘密にしておいて欲しいと頼まれていたらしい
まぁ別に何があって生まれの地から逃げ出さなければならなかったのか
そんな事にあまり興味は無かった
これからもずっとこの三人で此処で過ごすものだと思っていた
だが事態は急変、突如使者が訪れ風の民の集落へと戻るように命ぜられる
実の父からの伝言だという
北の森にあった家を出て、ずいぶんと南へと来たものだと思う
育ちの故郷を出るのにはたしかに戸惑いや不安があった
だがそれよりも家族に、本当の家族に会ってみたいという思いもどこかにあったのだろう
決断を迫られた私はその地を離れることに決め、二人の従者と共にこれまで旅を続けてきた
とはいえ移動の大半をミャーに乗っていたため其処まで辛くはなかった
ルオが時折乗りたそうな眼差しでこちらを見つめてくるが、何分重いのかミャーがルオを背に乗せて飛ぶのを頑なに拒むのでしかたない
そしてその道中で立ち寄ったのがこのイレータ湖
どうせ向かうなら各地の観光名所を巡るのも良いと、こうしてしばしば観光地へと足を運んだりもしてきた
これまでには旧大陸王朝時代の旧王都の古城やアストーン王国の大地の目と呼ばれる巨大な地面の裂け目などを見てきたりもした
だが今回訪れたイレータ湖
まずシャンがその異変に気がつく
湖の周囲のマナが薄く、逆に湖に溜まる膨大なマナとのバランスがとれていない
マナの実りが巡ってくる前だとしてもこれはおかしすぎる
もしかしてこの土地では当たり前だったりするのかと思ったが、湖に近づけば近づくほどそのマナは減少しているような感じである
育ちは北の森であるため、アリスは小さな頃からそういった自然環境に良くないことはすぐさま察する人間だったのである
またその異変について調べてみようと言い出したのもまたアリスでありシャンは頭を抱えた
急ぐ旅ではないので立ち寄ってはみたものの、恐らくこの妙な異変を自分で納得できる形で解決させないと梃子でも動かないといった雰囲気のアリスを見てシャンは少しばかり長居になるかもしれないなと思った
あのお嬢様は良くも悪くも強情な性格でもあるのである
ルオは私たちが戻ってくるまでに切れかけていた携帯食や道具の買い換えなどを行っておくと言っていた
早朝ということでなかなか宿を見つけるのが大変だったが何とか町の外れの宿を見つけて其処にチェックイン
とりあえずはお嬢様に合流だとルオを宿に残して湖へと向かおうとした
ピィィィィィィィィィ
「この音は・・・」
ポケットの中からお嬢様に渡された笛を取り出す
これが吹かれる時は、私が用事を済ませてお嬢様と合流するため
そしてもう一つ、お嬢様に何かがあったとき
別れ際の言葉を思い出し眉をひそめる
グリフォンと同行しているため滅多なことでは魔獣に襲われたりすることは無いだろう
となると何かを見つけたか、それとも・・・
何にせよ、何かあったから笛を吹いたのだ
ならば従者である私が遅れてはお嬢様の機嫌を損ねてしまう
従者としてできればそれは控えたい
まぁ気分を損ねたとしても半日もあれば異国の食べ物や名所に釣られて忘れているだろうが
町の静かな路地を女性は静かに駆けだした
「悪人め!しらばっくれたってそうはいかないわ!」
空から声が聞こえてくる
あの獣に乗った少女の声が
「悪人って・・・お前何かしたのか?」
疑惑の目を向けないでくださいよ!仮面で見えませんけどそんな目をしている気がする
「してませんよ!ただここで良い景色だなーって思ってただけです!」
そんなカイさんに反論する
まぁカイさんなら俺の無実を信じてくれてもおかしくは無いと思うが、あちらの少女はどんな勘違いをしたのだろう?
人を襲うなんて勘違いをさせたような事はしたつもりは全くない
相手の少女は何かの魔獣に乗っているようである。その魔獣は大きな翼を持っていた
その魔獣は逞しい四肢を持っていた
「な、何なんですかあれ!?」
「グリフォン。A+ランクの魔獣だ。滅多にお目にかかれないぞありゃ。お前達の世界には居なかったのか?」
「居るわけ無いでしょあんな生物!」
そういって指を朝靄の中へと向ける
そこには白い靄のおかげで相手の姿は全く見えない
てゆーかグリフォン!?でかくね!?
子供とはいえ人を乗せて楽々飛ぶなんてどんな筋力をしてるんだあの翼!?
「兎に角、あちらの誤解を解かないとな。湖とは丁度良いな。魔術が使い放題だ」
カイさんがそう言うとその足下に巨大な魔法陣が浮かび上がる
しかし一体何をしようというのか彩輝には全然分からなかった
相手の姿が見えず、大きいとはいえ空を飛んでいる魔獣をどうするつもりなのか?
「ミャー、上昇!」
朝靄の中から声が聞こえてきた
「む、悟られたか。どうやらマナの流れを読むくらいはできるらしいな」
どうやらカイさんが発動させようとした魔術のために湖のマナを魔力に変換していたのがばれたらしく、警戒して更に距離を取ったらしい
こちらからは相手が見えないがそれはあちらも同じであり、むしろ靄の中で視界が悪く不利なのは相手側の方である
靄の天蓋を破って雲の尾を引きながら一匹の獣が上空を目指す姿を俺は捉えた
「あれがグリフォン・・・」
朝日を浴びて霞んでいた影が一気に色を濃くする
靄を振り払うようにして上空に待機したグリフォンの上には人影が見える
嘴を持ち、黄土色の毛並みに二枚の逞しい翼
四つの四肢の途中からはその黄土色の毛が消えて鳥のような手足をしている
「その短刀は仕舞っておけ」
「・・・はい」
まずはこちらに戦意が無いことを示さないといけない
ふむ、なるほど
納得してそっとソーレを鞘へと戻す
昔から自分は目が良いと少女は自負している
だからあいての一挙一動を離れた上空からでもしっかりと見る自信があった
小さい方の男が手にしていた武器を鞘へと仕舞う
「距離を取ったから魔法を使う気?」
当の本人とは全く逆の解釈をして警戒を強める少女
それも先ほどのマナの収束に気がついていたからこそ、相手が魔術師で警戒する必要があると判断して距離を取ったのだ
少年は予想通り武器を鞘に収めていた
恐らく魔術を発動させてくるだろう
水か氷か雷か
いずれにせよこの間合いが有ればいくらでも回避はできる
「早く来てくれシャン・・・ッ」
少女は従者の名前を呼ぶ
「どうします?」
「知らん。というかあれは何者だ?グリフォンを操っているように見えるがおサクラより若く見えたぞ。気性が荒いグリフォンをあそこまで完璧に手なずけるとはな・・・信じられん」
その少女は空中で制止して攻撃を仕掛ける様子も逃げる様子も見せない
ただただその場から見下ろしているだけだ
辺りにはグリフォンの羽音と静かな水音しか聞こえない
最初にしびれを切らして動いたのは少女の方だった
膠着状態の静けさを無理矢理終わらせるかのように少女はグリフォンに向かって命令を飛ばす
「ミャー、一気に降下!」
グリフォンはふわりと一度浮き上がり、その後羽を畳むようにして一直線に立ち込める真っ白な靄へと突っ込んだ
靄を切り裂き、正面から少女が現れた
その間僅か3秒
呪文を唱える暇も与えず少女は二人の目の前に現れた
それでも手の届かない位置でグリフォンを停止させている
なんだか彩輝はジッとこちらを見つめる少女の瞳はなんだか年相応ではない不釣り合いな気がした
「君は誰だ?」
カイさんが口を開いて少女に問う
「お前達こそ何者だ」
カイさんの質問には答えず、少女は逆にこちらが何者かと聞いてきた
「旅人だ」
間髪入れずにカイさんはそう答えた
間違ったことは言っていない
少女は瞳を僅かに細めたが次の質問に移った
「この湖で何をしていた?」
「何をって・・・立ち寄っただけだが?」
とりあえず本来の目的は誤魔化したカイさん
世間一般には神獣の事や神子の事は秘密だかららしい
「こんな朝早くから旅人が湖の畔に立ち寄るのか?魔術が使えてこの異変に関係しているお前達を見逃すほどこの私は甘くないぞっ!」
「そうは言うがなんで俺たちがこの妙な異変に関係していると思うんだ?見ず知らずの旅人を襲うぐらいだから何かしらの根拠は有るんだろう?」
カイさんはそれを聞く
俺も正直襲われた理由ぐらい聞かないと納得いかない
「そんなのそこのお前がコソコソと異変の起こっている湖で何かしてたんだ。お前意外に怪しい奴が何処にいる!」
自信たっぷりに少女に指をさされ
「納得いくか!!」
思わず俺は叫んだ
「問答無用!言い訳なんて聞かないよ!ミャー、二人を捕まえて!」
「話し聞けー!!」
「クカアァッ!!」
巨大なグリフォンが後ろ足で立ち上がり大きく翼を広げて叫んだ
明らかに攻撃態勢に入っている少女とグリフォンの目を見てこれは身を守る方が先決だと短刀を抜こうとしたそのときだった
「ぎゃんっ!?」
少女が悲鳴を上げ
黒い風が彩輝の首元を駆ける
刀身を半分ほど抜きかけたところでその腕はピタリと止まる
一瞬にして血の気が引いた
「双方剣を引け」
喉元には巨大な鎌があった
漆黒の鎌が俺の瞳を映している
ごくりと唾を飲もうものなら反射でこの首が霧飛ばされてしまうような殺気を当てられる
女だ
若い女性が俺の喉元に巨大な鎌を向けている
細めた冷たい視線が俺を見つめる
「剣を、引け」
ゆっくりと抜きかけたソーレを鞘へと戻す
チンと小さな音を立てて剣を収めた俺は視線で少女の行方を追う
少女はいつの間にかグリフォンの背から女性の持つ鎌の棒の部分に引っかかってぶら下がっていた
「そこのお前もだ」
背後にいるカイさんもどうやら剣を抜いていたらしい
が、背中に目がない俺はそれを確認することはできない
カイさんでも反応できなかったのだろうか?
静かに剣が鞘に収まる音が聞こえた
「それでいい」
女性がそう言って彩輝を再び見つめた
綺麗な女性だったがその視線は冷たく冷静だった
なんだってんだよ全く!?俺が何をした!?
「さて、二、三質問させて貰おうか」
湖の対岸にて
早朝、静かな朝靄を眺めていた男はゆっくりと腰を上げた
情報によれば今日は絶好の日であるだろうと男は判断していた
だから作戦の決行は今日にしようと決めた
「起きろ、ゴ、ハチ」
男が後ろの木の上で眠る同胞に声をかける
が、起きてくる気配は全くない
苛っと来た男はその木を思いっきり蹴る
結構大きな木だったが、その男の一蹴りで木は大きく揺れた
数枚の葉と共に二つの影が折り重なるように落ちてくる
「ぎゃっ!?」
そして先に落ちた方は地面に落ちた衝撃と上から落ちてきたもう一人の仲間に押しつぶされて悲鳴をあげた
そして後から落ちてきた方は下がクッションになった為、何もなかったようにゆっくりと起床した
「どけよーゴー!」
「おら、さっさとそこの湖で顔洗え」
二人纏めて男は片足で蹴り飛ばす
ドボンと音をたてて二人は湖へと頭からダイブした
「目が覚めたか」
「寝起きの時点で覚めてたよテン・・・。うぇーびちょびちょだよ」
水を滴らせながらゴとハチは上陸する
「さっさと起きない奴が悪い。おら、今日やるぞ」
「え?あー、ほんとだ。朝靄で真っ白だねぇ。雲の中に居るみたい」
ハチは辺りをキョロキョロと見渡す
「雲もない。うん、条件としてはピッタリだね。後は朝日なんだけど、夜明けまであとどれくらい?」
「数分だ。そろそろ湖上に展開しておいた方がいいだろう」
男がそう言うとするりとハチが翼を広げた
黒く艶のある翼が大きく羽ばたくとハチの体が宙に浮く
若い少年であるハチに続くように子供のゴも後を追って翼を広げて飛び立った
ハチは南へ向かい、ゴは北へと向かった
最後にテンがふわりと空へと飛び立つ
靄の中へと消えていく二人を見送って湖靄へと消える
そして夜が明ける
朝の日差しと共に、その社は湖上に現れるらしい
虹魚の月に近づくとその社の目撃情報は増えるらしく、その時期にのみこの湖では湖一帯に靄が立ち込めるそうな
まるで誰かからその社を隠そうとしているように
言い伝えによるとその社は虹色の膜を纏っており、ある一定の条件が満たされた時にのみその姿を視覚で確認することができるのだそうだ
その社には宝玉と宝剣が収められ、湖の主を祭っているのだそうな
朝靄に 隠れる 社は 虹纏い 夜明けと 共に 目を 覚ます
湖の畔に、誰が立てたか小さな石碑がたっていた
そして湖の中央
水に浮かぶ小さく真っ赤な鳥居の向こうに小さな社があった
「見つけたぜ・・・虹魚の社・・・」