『幻想の終わりに陰る虹』
チルは蒼天駆を大きく振りかぶる
目の前で大きく羽ばたく巨大な虹色の鳥はこちらに注目していてその他の事には眼中にないように見える
それがまずチル・リーヴェルトの狙いだった
前回、龍が市街地へと襲いかかってきた―――後に誤解だと分かったが、その時もまず考慮したのは周囲に被害が出ないようにするということだった
騎士として、これだけは最優先事項であると師である父からは何度も言われ続けていたためどうしてもそれが頭に叩き込まれているのだ
フェリーの注意を周囲に向けないためにもまずはこちらに注意を向けないといけない
「さーて、どうしたものかねぇ」
一応フェリーと同じ高度まで登ってきたのは良いんだけど、今フェリーが注目しているのは今自分が最も近くまで来たから興味を持っているだけであり、何もしなければ注意はすぐに逸れてしまう
一応水中まで落とすと言ってしまったが、どうしたものかと考える
フェリーには保護法があり、危害を加えるわけにはいかないのが難点だ
それさえ無ければ力ずくで地上へたたき落とすことも不可能ではない・・・はず
それ以上に問題なのがフェリーがどれほどの魔術を使えるのかだ
これまでフェリーと戦った者など誰一人としていないのは当たり前であり、どういった魔術を使うのかすら分かっていない
分かると言えば先ほど見た幻視の魔術、という事だけだ
本当にあの幻視の魔術を自らがかけたのだとすれば、かなり魔術の力はあるはずである
チルは魔術を使えない
それ故に詳しいことは分からないが、聞いた話では幻視の魔術は今では殆どの人間が使えるような魔術では無いということらしい
思った以上に厄介かもしれないな
何をしてくるか分からない以上、あまり距離を詰めるのは控えた方が良いな
「ま、魔術に当たらないように距離をとって注意を引きつけるだけでいいんだし」
最低自分が水中までフェリーを落とせなくても、だれか魔術師が来るまで持ちこたえれば良いだけである
これ程大きな鳥で魔力も多く蓄えていそうなフェリーである
低級レベルの魔術では無理だろう
実力者が放つ上級の催眠や拘束の魔法を使える者が来るまで耐えれば・・・
「おら、ついてこいよ!」
急に空中で動き始めたチルをフェリーは顔で追った
が、それがフェリーの死角にまで行くとフェリーも大きな翼を器用に使って方向を変える
チルはできるだけ急激に方向を変えてあのフェリーにしっかりと狙いをつけられるのだけを避けながら移動する
予測不能な動きを見せるチルをフェリーは追い続けるが、やがて追うのを止める
追ってこない・・・?
チルがフェリーの視界から出てもフェリーが追ってこないので不審に思い動きを止めた
ゆっくりと、フェリーが上昇していく
追うべきか・・・?
フェリーは上昇しながら迷うチルを眼下に見つめ、そして高らかに鳴いた
その姿は神々しくも見える。がそれはその翼や尾羽の美しさからくるものである
本質はもっと禍々しく感じた
魔力の放出を感じたチルは流石に何か仕掛けてくると読んだ
一気に距離を詰めて発動を阻止するべきか、距離をとって様子を見るか
そう迷う間にも一瞬にして広がった巨大な魔法陣が空に描かれた
ゆっくりとその魔法陣の周囲を回り始めるフェリー
その魔法陣に魔力が注ぎ込まれていく
魔力が魔術という形になるにはその魔法陣を通して変換をしなければならない
力を魔術というものに変換するために
その魔法陣に徐々に周囲を回るフェリーから魔力が注ぎ込まれていくのを感じたチルはすぐさまそれを止めにかかる
空に向かって空を蹴り、剣を空へと突き立てる
魔力を使えば一時的に身体能力を上げることも不可能ではないが、魔力を持たないチルはその身に宿した筋力のみで上昇したフェリーの高度まで一気に詰め寄る
フェリーは回るのを止め、ゆっくりと魔法陣の中心へと移動する
「ちっ・・・」
届くだろうか
フェリーが魔法陣の中心にたどり着けば恐らくその魔術は行使されてしまう
だったらあの場所から遠ざければいいだけだ
それぐらいなら考えが浮かばないでもない
この蒼天駆の力は蒼天を駆ける力
あながち能力で言えば空を駆けるというところに目がいきそうだが事実は違う
空中に己だけの足場を作り出す
一度実験をしたことがあった
己の剣の力がどの程度のものかと調べた時のことである
この剣の力は持つ者の足を空を駆けることができるようにする力か
あるいは踏みたいと思った瞬間のみ足裏の空間に足場を作り出す力なのか
剣自体は良く斬れる、ということしか知らなかったため剣の能力を簡単に調べてみることにしたのだが面白いことが分かった
そのどちらでも無かったのである
つまり足の下に足場を作るわけでも、足の性質を変化させるものでも無かったのだ
聖天下十剣にはそれぞれ特殊な能力が宿っているという
どの剣にも解明されない未知の力が備わっていると言うが、これこそ未知の能力である
もし足の下に足場が在るのならば靴に水をつけても雫が空中に残るはずである
足を退けたときに空中の足場が消えるまではその水は靴とその空間との間に残るはずだと思ったのである
僅かに滴る程度の水をつけ、空へと着地する
すると水は下へと落ちていく
これは足が物体の上に無いということでこの能力は空間の固定化では無いという事が分かった
今度は逆に足に注目した
足の性質が変化しているのならばどのようにして宙に浮いていられるのか
足が空を物体として捕らえていないのならば重力の反発によるものなのか?
いやそうでは無かった
それならば逆さまに立てるわけが無かったのだ
まさか自分でも空中に逆さまに立てるとは思っていなかったのである
結局自分では答えが見いだせなかった
ただそのおかげで一つだけ見つけた能力があった
この剣は足にしかその能力を発揮しないようである
手や頭で空中に留まろうと思っても、どうやらそれはできないらしかった
その代わり、剣の方はイメージさえすれば空を物体として捉える事ができるらしい
まったくもって妙な剣である
そしてその剣は空間を物体として捉え、切り取り、その空間を物体として存在させることができるのである
最も使えるのは何も存在しない空間に限定される
つまり切り崩したものが岩や草、水などでは物体として切り取ることができないのだ
足は物体として認識していないのに、剣の方は何もない空間に限定されるが、空間を切り取ることができるのである
少なくともチルはそう考えている。この剣が空間を切り取っていると思い込んでいる
チルは手早く手首を翻して目の前の空間に正方形の立体を切り取った
聞こえてくるのは剣が空を斬る空しい音だけであり、チルの手にも物が斬れているという感触は伝わっていない
だが其処にはたしかに切り取られたものがあった
その場所めがけてチルは下から蹴り上げた
そして一端この魔法陣の範囲から出ようと真横に飛ぶ
後少し、というところで再びフェリーが叫んだ
それと同時に体にのし掛かるような重みがチルの体を下へ下へと突き落とす
突如足場が消えたかのように感じた
どれだけ踏ん張ろうとしても足の下に足場ができることは無かった
為す術なく落下していくチルはそのまま水中へと叩き込まれた
その次の瞬間にはバシィン!と大きな音を立てて大きくフェリーがのけぞった
チルが蹴り飛ばした切り取った場所がフェリーに直撃したのである
だがそれだけではたいしたダメージにはならない
元々傷つけてはならない存在なのでチルもスピードだけを乗せた一発だった
だが魔法の方は解除された
うっすらと宙へ霞んでいく魔法陣
そしてフェリーをも覆い隠す影が現れた
それに気がついたときにはフェリーは大きく後ろから羽を捕まれ、そして鋭い牙がバチバチと音をたてて体に食い込むのを感じた
それと同時に感じた膨大な熱量が傷口から溢れるようにしてその身を焦がしていくのが分かった
二つの巨体はグルグルと回転をしながら真っ逆さまに落ちていく
そして激突
フェリーの背中がまず闘技場にぶつかる
大きな衝撃がフェリーの全身を駆けめぐり、体が闘技場より下へと沈み込んだのが分かった
今の一撃で闘技場がまっぷたつに割れたのである
落下した地点から大きな水飛沫と闘技場の欠片を撒き散らしながら巨影はユラリと水中へと消えていった
水中に落ちたチルが見たのはそんな光景であった
突如落ちた後、後を追うようにして水中へと姿を見せた幾つもの人の影。それに続くようにして落ちてきたフェリーの背後に巨大な影が見えた
龍だ!
そう理解するのは早かった
少し前に出会ったのと同じ種類である
ただ以前出会った龍は腕を切り飛ばされており、いくら生命力がある龍といわれても流石に腕までは生えてこないはずだ
つまりこれは自分が出会ったのとは別の龍という事になる
その龍はフェリーの羽をしっかりと押さえ込み、水中へと沈めようとしていた
対するフェリーは大きく翼を羽ばたかせて水上へと逃れようとしているがそれを龍が阻止している
そして水中だというのにもかかわらず龍は大きく口を開いて炎をはき出した
どばぁん!!と大きな音を立てて水上へと大きな水しぶきが上がったのが水中からでも分かった
「ふふ、此処なら誰にも見つかるまい・・・」
一方会場の裏手に一人の男が居た
若干小太りな中年であり、周りから見ればどう見ても一般人である
男は大きな音が会場から響いているのを耳にして計画は順調に進んでいると確信した
あとは分かれて会場へと戻った彼が王女を拉致したことを盾にして要求をのませるだけだ
もっとも、生かしてはおくつもりはないがな・・・
要求が通っても通らなくても、自分だけは絶対にこの二人を許すつもりはない
「はっ、何が王女だ。人を散々見下した罰だ」
小太りの男はそう吐き捨てて担いだ二人の小さな王女を武器庫へと放り投げた
どさりと音を立てて放り込まれたリリアとルアはぴくりとも動かない
男ですら寝息が聞こえていなければもう死んでいるのではないかと不安にはなる部分はある
この命を奪うのが己の使命なのだ
男がこの武器庫に二人の王女を拉致した場所に選んだのは会場の入り口から最も遠い場所だからである
混乱しているはずの市民は普通、こんな場所に現れるはずがないと踏んだのである
男はがら空きになった会場入り口から鍵を拝借して鍵が掛かっていた重い武器庫の鍵をあけて王女を放りこんだ後は彼の交渉終了の合図を待つだけである
それまでは決して手出しをするなと言われているからだ
まぁそれも時間の問題だと男はニヤリと笑った
かたづけられていた古びた椅子を引っ張り出してきて武器庫のドアを閉めた
小さな燭台に火を灯し、綺麗なドレスを着た二人の王女を見下ろす
整った顔立ちで将来が楽しみではあると男はふと思った
が、それでも殺すのを躊躇う気は微塵も起こらなかった
それまでにこの小太りの男は二人を憎んでいた
理由は知らないが残りの三人も同じ事を思って集った仲間
其処までしようとするくらいだから国への恨みは半端な物ではないだろうと予想する
まぁ、あいつ等の復讐したい理由はしらんが、自分には関係の無いことだ
「お前等には悪いなぁ。その肉体に罪はないが、その名に罪がある」
「そうか。理由は聞くまでも無いな」
「な・・・にっ!?」
ガラリとと重い扉が開いた
小太りの男は咄嗟に腰に携えた剣を抜いた
抜いた剣は蝋燭の光りと太陽の光を同時に反射させた
「証人になってもらうぞ」
「だ、だれだっ!?」
急激に入ってきた光が男の目を眩ませた
その一瞬でその男は剣の鞘で男の首を薙ぎ払い、小太りの男も男の動きに反応して剣で防ごうとした
ただ目で見た情報が脳へと届き、体が反応するまでの僅かな間
その僅かな間に男は後頭部に強い衝撃を受け、地面へと倒れ込む
脳がぐらぐらと揺れている感じがしてうまく立てない
立とうとして男はふらつき、そして武器庫と外の地面との段差で躓き、再度地面へと倒れ込んだ
「く・・・そっ・・・・」
「ふん。そこで寝てろ」
男は再度鞘で男の頭を叩いた
男はがくりと意識を失った
「さて・・・・どういうことだこれは・・・」
ホーカーは倒れ伏す二人の王女、リリアとルアを見て顔をしかめた
そこに倒れるのは紛れもなく本物のリーナ聖王国の王女二人
気を失って倒れる王女と謎の男
何故こんな場所に?
それに他の王女達は・・・?避難をしていたはずでは・・・
異変に気がついたホーカーが何故こんな武器庫まで来たかというと、まず武器を取りに来たのである
つまり先ほどの男の誤算は此処に選手達の武器が保管されていた事だった
此処へ来る途中、幾人かの名を知った魔術師が居た
だが彼らは自分と同じく大会に参加している選手であった
故に杖がない状態で魔法を使うのは相当な鍛錬が必要である
杖が無い状態で魔法を行使すれば、狙いが上手く定まらないのである
それ故に杖を探そうとしたのかも知れない
が、それが武器庫にあるなどとは一部の人物にしか知らされていなかった
もしもの為の時にと主催者のエフレル殿に聞いておいて良かった
預かられた各自の武器は全てここへ集められる
だがこれは一人では運べる量で無いのは見る前から分かっていた
とりあえず今会場へ集まっていた一部の人間の武器だけ持って行ければそれで良いと思っていたがどうやらそうもいかなそうだ
それよりもまず、この王女たちの事をどうにかしないと行けない
これはホーカーの予想であるが、絶対拉致である。と断言できた
「不味いな・・・」
今偶然二人の王女がいた場所に居合わせたから良かったものの、残りの三人の王女の中には自国の王女も混じっている
そして男がわざわざこうして王女を拉致して隠していたということは・・・
恐らく他の三人も別の場所に拉致、監禁されていることだろう
早急に他の騎士達にも知らせないと行けない
とりあえずホーカーは己の愛用している槍は後回しにすることにしてあの場に居たリリッド、そして自分と対戦していた男が所持していた剣を見つけた
対戦の前に一度あの男を遠くから見ている
仮面をして会場へ現れたときは何者かと思ったが、その印象が強かったおかげであの男が持っていた武器も覚えていたのである
あの男も自らの剣が何処に保管されていたかは知らなかっただろう
あの男も何か考えがあって俺に観客の避難を命じたのだろう
俺が指示するまでもなく、騎士達は皆観客を避難させていたおかげでこうして武器を手に入れ王女を守ることができたのだが・・・
ここに男の剣があるということは剣を取りに行った訳では無いようである
そしてあの男がもしこの倒れている男と仲間だったとしたら・・・合点がいく
フェリーの乱入と同時に姿を消した男
そして恐らくその避難中に拉致された王女達
自分に観客の避難を命じさせたのは、勝手に騎士達が会場内に動き回って欲しくないからか
なるほど全てつじつまが合う
だが・・・あの男の瞳はそんなものではなかったと思う
あの仮面の奥に見た瞳は、とても純粋に見えたのである
あれは俺たち騎士が宿すのと同じ瞳の色だ
それを疑いたくも無いとういう気持ちがホーカーには合った
もしあの男に武器を渡して、それで戦いになったら相手に手を貸したことになる
そうでなくても武器無しと武器有りの違いは大きい
あの男・・・信じていいのだろうか?
いや、それよりも先に王女だ
ホーカーは見つけた男の剣を小太りの男が座っていた椅子の上に置き、リリッドの剣だけを腰に差した
そして逃げられては不味いと自らの武器である槍を手に取り、男の服の袖に向けて地面ごと突き刺した
滅多なことでは取れない・・・はずだ
二人の王女を担ぎ、そして武器庫を後にした
水飛沫は収まることを知らないかのように水上へと水柱が何本も吹き上がった
水中で龍が火球を飛ばしたのは一度だけだったが龍がフェリーの体を何度も底へと叩きつけるため大きな水柱があがっていたのである
周囲の水を沸騰させるかの如く零距離で放たれたそれは大きくフェリーの背を焼いた
時折水面から飛び出す尾が水面を叩く
その光景を見ていた彩輝はなんと凄まじい光景だろうと水中であったにもかかわらず目を閉じようと思うことは無かった
そんな矢先、心の中へと龍の声が聞こえてきた
(ここに居る者達は何故この魔獣に対して戦意を向けぬ?)
何故だろうか
確かにこの魔獣は綺麗ではあるが、会場を襲撃しようとしたのは目に見えている
この魔獣をたたきのめしたところで誰が文句を言うものか
ただ、もしかしたら保護の対象になっていたりするのだろうか?
もしかしたらそういう位置にある魔獣なのかもしれない
この状態で、手を出さない方がどうかしている。んらば手を出せない理由が何かしらあるのだろう
それが相手の能力に関係するのか、希少な存在で保護をされているからなのかは知らない
そんな俺の心の思考を読みとった龍が語りかけてきた
(そうか。ならば幻術を打ち破って見せよう)
幻術を打ち破る?なんの事だろうか?
龍はグッと顎に力を込め、そして翼を水中で大きく羽ばたかせた
水面がグッと盛り上がり、フェリーを捕まえた龍が空へと飛び出した
その瞬間、龍が噛みついている部分からフェリーの周囲に文字通り亀裂が入る
視覚でも捉えられるその亀裂はフェリーの周囲を覆うようにして広がっていく
そして龍が思いっきりその部分をかみ砕いた
ばきんと音を立てて顎が噛み合わさる
滴り落ちる水がキラキラと太陽の光を反射しており、風を受けて空へと散っていく
紅の翼が大きく羽ばたき、虹の翼に亀裂が走る
虹の幻がバラバラとこぼれ落ちる
そして亀裂がフェリーの周囲を覆い尽くす
水中へと逃げ込んだ騎士達も水面へとあがってきてその光景を目にした
七色の虹は空には無かった
虹が消え、代わりに現れたのは歪な翼であった
その眼下に、滴る水が反射させた虹が現れた
美しいはずの虹はその歪な翼が陰らせる
だが誰もその虹を美しむ目で見ることは無かった