『古今の異邦者』
「素晴らしい!なんと素晴らしい神の力だ!この私にたてつく者は皆消えてしまえばよいのだ!!死を受け入れれば、苦しまずに消してあげますよ?」
九人を捕らえ、高笑いするニールの前に人影が現れた。
「それがニールの望んだ力かい?」
「ハチ・ウィーカー。そうだ、この神の力こそ俺が長年恋い焦がれてきた神の力だ!」
「魔力、神獣、吸鬼を産み出した力がそれなんだね」
「そうだ。この絶対的な力があれば、私は全てを支配できる」
「本当に、近寄るだけでも苦しくなるほどの魔力密度だね」
「なれるまではまだ液体の肉体だが、馴染めばやがて人を象るはずさ」
「へぇ、興味深いね」
「だろう。だから体に馴染むまでお前、盾になれ」
「どういう意味だいニール?」
「襖蜉蝣」
瞬間、ハチは浮遊感を感じた。
体がニールによって投げられたのだ、と理解する頃にはすでに体が勝手に動いていた。
パンッ
そしてハチの肉体は真っ二つに切り裂かれるように二人は誤認した。
その肉体はまるで襖のように左右に開き、そこから彩輝が飛び込んでくる。
「!!そんな武器では私を倒せぬよ」
「!!ぬかす!しっかり止めてやがるくせに!」
「まぁ脅威ではあるけど、ねっ」
刀を止めたその腕で振り払われた彩輝は、周囲の状況を見渡し一度距離をとった。
あの男はまだ九つの触手を一度に操る術は身に付けていない、あるいは捕らえた九人を脅威に感じているか殺せない状況にある。
わざわざ生かしている事にはなにか理由があるはずだ。
「あっぶない!殺す気だったねニール!?」
「おや、生きていたのですかハチ?」
「ありえない。あれだけ協力させておいて、研究させずに殺すとか侮辱もいいところだ」
「貴方の認識をずらす力は厄介ですから。まぁこの神の力の前では無意味ですけど、念には念をとね」
「いいさ、そっちがその気なら勝手にやりたいことをやらせてもらうよ。同意なんてとるのも馬鹿らしい」
ハチは怒っていた。殺されそうになった事ではなく、研究者として侮辱された事をだ。
同じ研究者というよしみで尊敬していたのに、協力してきたのに、裏切られた。
「ハクダ、リリースコントロール!」
「ほう?」
ニールの声に、唯一残った四神絡繰の白蛇が警戒、ニールの改造した支配下から解除され、同時に敵の情報収集待機モードから排除モードへと変更された。
ハチは初めて四つの絡繰を見た時、心をうたれた。
これ程までに感動した事は後にも先にもその一度きりだ。
人は様々なものを作ってきた。
文具、服、建物、そして武器。
全ては人が扱うものであり、人が自らの意思で動かす補助の道具だ。
これまで、道具といえば補助という概念があった。
しかしこれは命令に従う道具。命令を果たすため、自ら動きを計算し動く自立型の道具だったのだ。
衝撃的だった。
心以外の全てを兼ね備えたそれを生物と呼ばないのであれば、これは一体何なのだと研究者としての心が震えたのだ。
興味に耐えきれず、能力で格納庫の認識を消して忍び込んだ。
大まかにではあったが製造目的とその構造を理解するぐらいには除き見た。
「流石に制御解除コードを探すのは難しかったけどね。これでこいつは規制に縛られず当初の目的のためだけに動く」
バンバンッと二度と手をうつハチ。
「と、なると。対象は力を取り込んだあたしとなりますね」
ドロドロだったニールの肉体はゆっくりと固まり始めている。
枷を外された絡繰の制御盤には、自身の存在価値である当初の命令が流れた。
「対象ヲ、封ジマス」
白蛇はこれまで以上の速度でニールに迫った。
無駄のなくなった白蛇の絡繰は、九頭竜を封じる為だけに動いた。
そして尾の先が割れ、パタパタと広がり巨大で純白の檻が出来あがった。
「魔封陣か。確かに邪の神には有効だが、蛇の神には効かぬ」
腕をかざし、そこから放出された魔力の塊が白蛇の絡繰をバラバラに吹き飛ばした。
僅かに躊躇ったが、未練を残さず壊した。
最早、神となった私には意味のない遺物だ。
その残骸の合間を縫ってハチが鋭い檻の欠片を掴む。
何をする気だ?そねようなもので神である私の体は傷つけられぬというのに。
足掻く虫は、煩わしい。
ニールはハチを余興を見るつもりで生き残らせていた。
絶対なる高みに居るからこそ生まれる隙だった。
ただ在って認識をずらす能力。
対象は一つだが、ある対象の認識をずらすことができる。
発動の条件は、認識をずらしたい対象に柏手を聞かせること。
対象が物であれ人であれ、その音が聞こえる範囲ならばその対象の認識をずらせる能力だった。
そこにいると認識させたり、そこには何もないと認識させる。
この能力は誤認の能力。
そしてもう一つ。相手の認識をずらすと同時に、その逆で注目させる事ができるのだ。
これは賭けだった。
だが、それ以上にニールに腹がたった。
僕は何事に対しても慎重な性格だった。
外に出向く時も戦いは出来る限り避け、情報収集を行ってきた。
研究というのは発想、閃きも大事だ。そしてそれ以上に積み重ねる事が大事だと考えていた。
積み重ねれば小さなものでもいずれは積み上がる。
その事が嬉しかった。
一を知り、二を知り、やがては百を、千を、万にたどり着く。
全ては積み重ね。技術、知識、そして人生。
人は死に向かい生きている。
生物は皆違う道を歩みながら、始まりと終わりは平等に与えられる。
生まれ、死ぬ。
それだけは不変だ。
溜め込んだ全てがその終わりで消えてしまうのに、生物は学ぶ事を止めない。
いずれ死んで無くなってしまうと知りながら、生きるために学ぶのだ。
不思議なものだが、生きるものにとって学びを積み重ねる事は特権なのだと僕は思っている。
伝え、残し、託し、誰かの為に生きる。
「神の力。確かに興味があったのは確かだよ。けど、研究者として神の力を求めた貴方だから僕は慕ったんだ。今の貴方は学び、求めるという生きるものとしての本質を忘れていないかい?」
「何を知る必要がある?何を求める必要がある?全てを手にいれる力を既に手にしているというのに、これ以上求めるのは無意味だろう?」
それを聞いてニールは確信した。
「……研究者だった頃の貴方には尊敬したが、神の力を手にし、生きる事に重きをおかぬ貴方は死人だ。人は人に憧れる訳じゃない。人は生み出す答えに名を与え、その名の主として憧れ、慕う。技術、数式、名誉、功績、生きざま。それに後世に残す名を与えた存在に憧れる。だのに、貴方は最も尊ばれるべき死を軽視した」
「死も、生もくだらなくなる。この力を手にすれば、な」
固まりだした腕を見つめ、ニールは笑みを自信に満ちあふれた笑みを浮かべた。
「理解したくないね、力に溺れたそんな気持ち。生き物は死に向かっているからこそ生きているんだ。生きているから死ぬんじゃない。死ぬために生きているんだ」
「死ぬ為に、生きる?」
「だってそうだろう。死がなければ、人は一体何のために頑張って生きればいいんだい?」
「何のため?己の為だろう」
僕はずっとこんな奴と一緒にいたのか?
「目的じゃないさ。失われるのに何故生きる事に努力するのか。期限があるからさ。生まれ、積み重ね、死ぬまでに成そうとするから人は努力する。期限がないなら、それはやらない事と同意義さ。だって、伝える必要も、残す必要もない」
「死なないなら生きる事に価値は無い、と。まるで死ぬことこそ生物としての本分のように言うね。なら今すぐ殺してやろうか?」
「生き物は生きようとして初めて生き物なんだ。終わりがあるから、生きる事に初めて意味がある、というより生きる意味ができるんだ。ただ、限りある命を縛る事は許さない。生きようとする生き物に死を受け入れさせるような事は許されない。それだけは神にも譲れない」
「成る程。貴方のスタンスは理解しました。ですが、それは生きる者への思想。愚者の思考。神の力を従え、生死を超越した俺には関係の無い思想です」
「はっ、神を従えた?よく言うよ」
思わず鼻で笑ってしまった。
神を従え、全能にでもなったつもりか?
そうだとしたら、ろくでもない神だな。
「何がですか?」
「気づいてる?口調や一人称がバラバラだよ」
「!?」
「どっちが従ってるんだろうね、この場合?」
ハチの問いに、ニールは焦りを感じた。感じざるを得なかった。
私は神の力を手に入れ、屈服させ、故に自我がある。
飲み込まれる危険性はあったが、それ以上に私の意思は強く、奴の力は弱まっていた。
あり得ない。
「まさか、私が呑み込まれ……て?いや、俺の一人称は僕だった……!?まて、バカな!儂はこいつを従えたからニールとしての人格を……っ」
「あの人間は積み重ねを失う事を恐れていたよ。貴方はどうだい?それは同調かい?それとも馴染むまで残されているだけかい?」
完全にニールはハチの術中に填まっていた。
自らのみを認識させるという危険な賭けは、ハチの身を常に危険にさらす行動であった。
それでも尚ニールの意識を自分に向け続け、結果的にニールの認識を自分自身に向けさせた。
油断してくれていて助かった、というべきか。
本来なら、力そのものを操るニールの能力は僕の能力を押さえ込み、打ち消していた。
しかしそうはしなかった。
ニールは初めから力で僕の能力を押さえ込んだと誤認していたのだ。
能力を押さえ込んだと誤認した事。
それと同時にハチ自信を認識させ続ける事。
ある種矛盾したかのような、ギリギリの瀬戸際でハチは競り勝ったのだ。
ハチは湖での事、そして今回の事を思い出す。
結局は僕は時間稼ぎ、足止め。そんな存在なんだな、と。
戦闘は専門外だ。
こんな危ない橋はもう渡りたくないね。
湖で彼に切っ先を突きつけられた事を思い出した。
やっぱり君は要注意人物だったね。それだけでも僕の正しさがちょっとは報われた気がしてハチは微笑を浮かべて空を見上げる。
「時間は稼いだよ、サクラ・アヤキ君」
決めろ。そう思って空を見上げた。
ゆるんだ!
そう思った唯は全力で触手を振り払った。
何故かは分からないが、今こそそのときだという直感はあった。
触手にはうっすらと宝玉のような輝きが埋まっているように感じた。
黒く汚れた宝玉の輝きを感じた唯は、咄嗟にそこ目がけて刀を振り下ろした。
そうしろと、まるで刀が叫んでいるように身体が動いた。
宝玉は、容易く貫かれた。
同時に九所で、玉が砕かれた。
逆流する力の奔流がニールへと向かって殺到し、それぞれの後ろに現れた神獣が高らかに吼えた。
宝玉という器を壊され、主の無い膨大な魔力は神獣の咆吼で使役された。
ニール自身も宝玉が砕かれた事に気がついていたが、それ以上に自らの身体に渦を巻く九つの頭を持つ龍を押さえ込もうとする事に気を取られすぎていた。
その様子を、同じく触手を振り払い宝玉を貫いたレミニアが見て、あぁと声を漏らした。
この光景は、彼が残したあの巻物と同じだ。
脳内の巻物と、眼のうつす世界とが重なりあっていた。
九つの宝玉を貫く九つの宝剣。
その中心に、一本の剣。
闇から生まれ、闇を貫く、唯一のオリジナル。天叢雲剣。
そして全てを知るダイヤレス・セブンリッチが歌を歌う。
過去幻の書に記された創世の歌を。
精霊達の歌が聞こえる。
大地と魂に刻まれた歌が聞こえる。
黒翼の堕天使は光を放ち、世界に黒光を産みだし暗き世界を生み出す。
白翼の堕天使は清き心と世界を照らし、世界を潔白で照らした。
響翼の堕天使は心を響かせ、世界に自然と生命という旋律を奏でる楽譜を作り出した。
赤翼の堕天使は争いと憎しみを生み出し、炎禍の中に生と死を生み出す。
水翼の堕天使は雨を降らせ憎しみの炎を消し、虹は心と体を制止させ癒した。
黄翼の堕天使は生命を笑わせ、生きることに楽しみを与え歓喜と成長を教えた。
緑翼の堕天使は風を巻き起こし、世界に新たな希望という名の烈風を吹かせた。
氷翼の堕天使は生命に冷笑と冷傷を与え、孤独と冷たさを教えた。
土翼の堕天使は大地に根を張り、岩の壁と土の床、そして木々の屋根を創造した。
剣は空を裂き、玉は空に架け橋を繋いだ。
その先、闇を照らす架け橋の光りは絶えることなく輝き続ける。
空へとかかる架け橋を登り消えよう古の精霊達。
あぁ、我ら尊き人の子らよ。
大地の実りと天地に見守られ、生きよ。さあ生きよ。
歌と、叫びを切り裂いた烈風が、ニールの頭上から吹き付ける。
「私は……俺は……儂は……僕は!神だあああああああああああああっ!!」
「誰からも信仰されない神なんて――」
彩輝は刀を振り上げた。
短い刀を振り上げた。
「神じゃない」
光り輝いた天叢雲剣を天に向けて振り上げる。
かつて折れたその刀は、ゆっくりと姿を変えていく。
束と刀身に埋め込まれた鮮やかな九つの宝玉に飾られた、美しい矛が彩輝の手に握られていた。
クルリと矛を回して構え直し、下に見える真っ黒な男をしっかりと捉える。
ダイヤレスの歌に乗せて、自然と沢山の出来事が脳裏に浮かんでくる。
突然この世界に現れて、天井からはチルさんが落ちてきた。
夢物語でしかありえなかった魔法に触れて、感動した。
ドラゴンに攫われて、山を駆け下りて、ツキさんたちと出会った。
唯さんと再会し、火山を、空を登り、虹色の龍に出会った。
ソーレの魂が短刀に宿り、黒い龍を倒した。
ユディスさんと特訓して、大会にも出た。
千尋ちゃんと出会い、カイさんと出会い、大きな湖にも行った。
グリフォンに乗った少女と出会ったり、吸鬼と戦ったりもした。
湖では大きな花火も唯さんと見たっけ。
森で迷って、魔女と出会ったりもした。
なんだかんだ色々あったなぁ。
まさかこんな大冒険になるなんて正直思わなかった。
けど、これが俺の歩いてきた道だ。
俺が自分で選び、歩んできた俺の足跡。俺だけの異世界譚。
風のように大地を駆け抜け、そしてここが風の終着点。
「終わりだ。全部終わらせる」
かつてこの世界に来た人達の思いも、託した未来も、全てここで終わらせる。
今の異邦者の俺が、昔の異邦者の残したこの刀に、ありったけの思いを乗せて、俺はこの矛を振るう。
全てを終わらせる。
これが、古今の異邦者の願い。
それが俺の役目。あの少女から託された思いも、俺と一緒に来たみんなとも、思いは一つ。願いは一つ!
「お前を倒して、帰るんだ!みんなでっ!!」
「神は絶対だ、神は絶対だ、神は絶対だ、神は絶対だ、神よ、俺は神で、僕は神で、神は神で、それは僕じゃ……ない……?」
ニールの体から漏れだした穢れた魔力が敵意を剥き出しにして彩輝に襲いかかる。
物質的な触手とは違う、言うなれば九頭竜の怨念が飛び上がってくる。
九つの魔力がねじれ、束なるそれを正面から衝突した鏡が分散させた。
砕け散った鏡の隙間からうねる蛇のように飛び出してくる魔力を勾玉が吸収してしまう。
黒く染まった翡翠の勾玉は砕けるが、怨念をしっかりと吸収したためか魔力が溢れ出てまた九頭竜の怨念となる事はなかった。
風が吹いた。
最後まで錯乱し続けたニールの身体に、一本の槍が脳を貫き、心臓を貫き、股下を貫いて地面に突き刺さった。
血は一滴も出なかった。
真っ黒な人型のそれは、伸びた触手がゆっくりと石化していく事に気がついた。
神となったニールに死は無い。
それはかつて九頭竜だった時にも同じく、死は与えられなかった。
神とは概念であり、存在そのものである。
誰かが覚え続ける限り、存在し続ける。
死ぬことも消えることも許されない。
その因果を、ここで断ち切る。
こんな事を、二度と起こさないように。だれも苦しまないように。
「頼む、ソーレ」
宝玉が光り輝き、やがてニールと彩輝を眩い光が包み込んだ。