『折れた刀を携えて』
雪が積もり、台地になったような森の外れ。
三つの人影がその雪に落ちていったのはほんの少し前の事だ。
突如彩輝と唯を抱えて飛んでいた早苗が正体不明の重さに耐えきれず、二人と自分を雪の上に落としてしまう。
降り続いていた雪のおかげで、地面に比べればだいぶ衝撃は和らげられた。
それでも重くなった身体が強い重力に引かれ、雪とはいえかなりの衝撃を感じた早苗はそのまま意識を手放してしまう。
◆
ここは…………
「フフッ、やっと目覚めたか」
その、声は……
彩輝がぼんやりとする頭で状況を飲み込もうと周囲を見渡す。
周囲は闇に包まれていた。
闇の中にあるのは自分、そして目の前に立つ少女だけ。
鮮やかな紅の髪が近寄る彼女についてくるように流れ、紅蓮の瞳が彩輝の漆黒の瞳と交差する。
その瞳を、俺は知っている。
その燃えるような瞳を、確かに俺は知っている。
「ソーレ……」
短刀に宿った真紅の龍子の魂。
人の姿であったが、なぜか俺はこの少女がソーレだと悟った。
一面真っ白な雪に埋まっている唯と早苗を目にして、目の前の少女が幻ではない事を再確認した。
瞼の裏の幻は今、目の前に現実としてあった。
「この姿は初めてだったかなご主人様。改めて、僕はソーレ」
そう言って彩輝の腰に寄り添う短刀に手を伸ばす。
その刀は間違いなく龍の子自らが宿る依代である。
「僕はご主人様に会わせないといけない人がいるんだ。けど、僕はその人を会わせたくない」
何故?彩輝の腰から手に取った短刀から、視線を彩輝に向けて答えた。
その表情に彩輝は少し驚いた。
悲しみとも、侮蔑とも違う、眉をしかめ落ち込んだ表情がそこにはあった。
「その人のせいで、ご主人様がまた危険に飛び込む事になるから。また僕を使うことになるから」
「それってどういう……」
「こういう事だよ、サクラアヤキ君。久しぶりだね。全く、何のために私が君に加護を与えたと思っているんだ。頼ってくれればいつでも出て行けたっていうのに、この子が呼んでくれなかったらどうなっていたことやら」
視界の隅から、青く長い髪が風に揺れる。
まるで深紅のソーレに対するかの用に真っ青な髪がそこにはあった。
薄い衣、そこには、一人の女性が立っていた。
「あな……たは、水の精霊……」
久しく彼女の事を見ていなかった。
それはアルデリアで見た水の精霊であった。
しかし、改めて彼女を前にするとなにやら覚えのある空気がただよった。
「それに察しも悪いなぁ。水の精霊、水の魔力を溜め込んでいて虹魚の神子に選ばれた少女の肉体、そして私が彼女の肉体を切りはなしたって話し。……気付くと思ってたんだけどなぁ。まぁいつものように呼んでくれればいいんじゃないかな。ちーちゃんって」
「――――っ!?」
それは、あの少女の――――名前だ。
「何が……え、どういう……」
「驚いて言葉が出ないって感じだねぇ』
千尋の魂は、水の精霊。
他ならぬ彼女自身が言っていたではないか。
――うむ。精霊だけは特別だがな。あぁ、勘違いしてもらっては困るが、あの精霊台が特別な訳ではなくて精霊が特別という意味だ。そもそも呼び出しさえされれば精霊台でなくても出ることができるからな――
そして巨大な虹色の龍の言葉が脳内に木霊する。
――あやつはこちらの世界に穴が空いたとき、こちらの世界に放り出された一人だ。水の精霊台の魔力の膜を通り抜けられるのはあやつのみ。他にも穴が空いた場所から放り出された人間がいたようだが――
そう……だったのか。
「まぁ一番最初に君と会ったときは夕日ちゃんの身体から出ちゃったから、ちょっとした騒ぎになっちゃったんだけど、もうその心配は無いからね」
その心配が無い?
ちょっと待て、今目の前に夕日ちゃんの身体に入っていた彼女がいるのだとしたら、今彼女の肉体は――?
「さて、君には感謝してもしきれない程の恩がある。その上、また君に頼まないといけないことがある」
叫びたかった。
沢山、沢山言いたいことが、聞きたいことがあるんだと。
「どこから話そうか……カイが持つ刀は風王奏ではなく、地開花。君も握ったあの刀は地開花という。奴を封じた風王奏――――天叢雲剣は一度折れているんだ」
「……?」
「その代わりとして地開花は打たれた。しかし、オリジナルの刀を越えることは出来なかった。性能を似せるため、土のマナに大量の風のマナを蓄えさせた。全ての聖天下十剣は全て土のマナにそれぞれのマナを吸収させたもの。その最初の一本がこれ。地開花が風の魔力を蓄えているのは天叢雲剣の代替品として打たれたから」
「代替品?何で代替品なんて必要なんですか?」
「オリジナルの天叢雲剣は九尾の狐を封印するので手一杯だった。封印は長く続かない、それを兄は悟っていました。そのため新たに地開花を天叢雲剣の模造品として打ちました。風の力を持つ天叢雲剣に似せるため、風の魔力を詰めた。故に土の刀でありながら、その刀は風王奏と勘違いされた。そして、本来風の力を持っていた刀は封印の役目を終え力を失った」
「その力を失った刀が、僕の事だ」
「!!」
ソーレは小さく髪をかき上げ、手に持った自らの依代を見つめた。
「刀は真っ二つに折れ、それを再度打ち直したのが僕。この力を失った僕……っていうのは刀の事だけど、刀に宿ったのが、僕の心。うーん、上手く説明出来ないけど、刀と龍の歴史を共有したのが今の僕だから言葉にするとこんな感じになっちゃうんだ。分かりづらいだろうけどね。天叢雲剣という名も、風王奏というこの世界での名も失った僕に、新しく名前が出来た。龍として喜んでいるのか、刀として喜んでいるのかなんだか曖昧なんだけど、そんな気分なんだ。まぁ、新しく主が出来たという点では僕とこの刀は共通しているか」
「…………あまり長く説明もしていられませんね。君には言いたいことや聞きたいことが沢山あるだろうし、私にも語りたい事が沢山あります。ですが、今はそれよりも大事なことがあります。分かって、いますよね?」
それはきっと、あの魔獣の事。
それ以外にあり得ない。
「皆さん頑張っていますがそれでも倒すまでには至らず、寧ろ力を増していくばかり。最後の宝玉ももう長くは持ちません。あの禍津日九頭竜なる厄神を止められるのは、最早神の力しか、その刀の持っていた力しかありません」
「で、でも、この刀の力はさっき失われたって……」
「さっきこの刀の力は、っていったよね?全く、大事な話なら起こしてくれたっていいじゃない。ってて……」
「早苗さん!」
首を押さえながら早苗が雪から這いだしてくる。
その様子を見てホッと安心する彩輝。
会話に夢中になりすぎていてすっかり二人のことを忘れていた。
そもそも、自分が一体今どこにいるのかも、何故早苗と唯と雪に埋まっていたのかも気を失っていた彩輝には分かっていなかった。
ここは森に積もった雪の上のようだが、戦場からはそれなりに離れているのか戦いの音は雪に吸収されているのか遠くに感じる。
「いやぁ、気を失った君と唯ちゃんを戦場から運んでたんだけど、途中で変な力で落とされちゃって……怪我無い?」
「は、はい。一条さんは?」
「呼吸は乱れてないし出血も無いから見た目的には多分大丈夫だと思う。下が雪で助かったよ。それより、話し続けて。時間無いんでしょ?」
その早苗の催促に、精霊――千尋は頷いた。
「この刀は核です。風王奏、天叢雲剣を核とし、九つの宝玉と剣で飾り、その矛でもってあの災いを退ける役目があります」
「それをすれば奴を封じる力は戻ってくるって訳ね」
「しかし、宝玉は九つのうち八つが取り込まれ、刀もまだバラバラ。災厄を封じつつあなた方を元の世界に戻す為の祭壇は何とか準備しましたが」
「戦況悪そうだねこりゃ。ってか、え、帰れるの私ら?」
「天沼矛を作り出せれば、それを鍵として帰還させられます」
「天沼矛とはまた大層なものが出てきたなぁ。日本作った槍じゃんそれ……十本の剣と宝玉で、そいつを作ればいいんだな?」
「簡潔には、その通りです」
「っし、行くか!!」
そう言って早苗さんが立ちあがる。
その顔に、恐怖は無かった。
「恐く、無いんですか?」
「あそこにはフィアンセを置いて来ちゃってるしね」
早苗は笑みを浮かべながら彩輝を見下ろした。その表情を見て彩輝はハッとする。
そうだ。あそこには、あそこにはまだ沢山の人達が……。
そう、依然カイさんに訪ねられた事があったっけ。
――よく、そこまで出来るよな。お前達、この世界の人間じゃないだろう。なのにここまでする義理がどこにある?――と。
その時、自然に出たあの言葉が、きっと今の自分を奮い立たせている己の芯なのだ。
――――そうですね。確かにこの世界の人間じゃないですよ。でもいろんな人に助けて貰ったっていうのには凄く感謝してます。強いて言うなら元の世界に帰る可能性、希望がまだあるからですかね。それと人として他人事として見過ごせない……ってうのもあります――
気を失う寸前、駆け付けた沢山の人達が今も戦っているのだ。
行かなくてはいけない。先に進む為に。進める為に。自分のためでも、誰かの為でもない。
みんなの為に!
決意の瞳を確かめた早苗、千尋、そしてソーレが同時に頷く。
「仲間はずれなんて、ちょっと酷くないですか?起こしてくれたって良いじゃないですか」
「一条さん!」
二人の背後から、掠れた唯の声が聞こえてきた。
それに驚きと喜びの表情を浮かべた二人が振り返った。
頭に積もった雪をパタパタと落として唯がは雪の上を這ってきた。
「起きたね。フフ、私と似たような第一声だね」
「あら、図らずもキャラが被っちゃいました?」
「いやいや。でもそれだけ口が軽いなら、身体の方も大丈夫そうだね」
にかっと笑みを浮かべた早苗に対抗するように、唯は立ちあがって笑みを返す。
「寒いですけどねー。まぁ、動くっちゃ動くよ」
手足をぷらぷらと動かしながら、その瞳は戦場の方向へと向けられた。
「さぁ、僕を受け取って――――」
空中で回転しながら弧を描く短刀も、今や彩輝にとっては刃に触れる恐怖も感じないほどにゆっくり回転しているように感じる。
剣を受け取り、そして鞘に収める。
すでに目の前には紅の少女は消えてしまっていた。しかし、剣を携えた腰にはほんのりと暖かみを感じる。
やってやる。
不思議と恐怖は無い。
向かう場所に絶対的な力の壁が立ちはだかっているはずなのに。
勝てる保証は全く何もない。
倒せる技の一つも知りやしない。
不思議だな。
左手を静かに動かし、触れるは短刀の柄。
それは、俺を守る唯一の武器。
名もない短刀をアルレストさんに譲り受け、これまでずっと旅を共にしてきたもう一つの相棒。
でも、これまでとは違う。
もっと、これまでとは違う、大きなものが自分の心に宿っている。そんな気分だ。
「――――その瞳に、安心したよ。もう、私の加護はいらないようだ」
パンッと乾いた短拍手が、彩輝の身体に染み渡る。
身体に巻き付いた鎖が、音を立てて崩れていく。そんな感覚を彩輝は感じ取った。
不思議そうに自らの手を眺める彩輝に、彼女はクスッと笑いながら語る。
「君に渦巻く魔力、その使い方を覚えた今、魔力を押さえる必要は無くなった」
この世界に来たばかりの事を思い出す。
押さえつけられていた魔力が、身体の内側で暴れだそううとするのを押さえつける。
そうか。確かにこんな力、あの時の自分じゃ扱えなかったな。
なんだか、成長したというのを実感する。
三人は互いに顔を見合わせた。
そして同時に頷き、迷い無き瞳を戦場へと向ける。
そして三人同時に叫んだ。
「オーバーアビリティッ!!」
一本の角が生えた仮面が現れ、それを付けると同時に広がった純白の翼。
その隣では巻き上がる紅蓮の炎が肩胛骨の辺りから一気に吹き出し、そして巨大な炎の翼と尾羽が雪を照らす。
そして最後に雪を吹き飛ばす風と雪を溶かす炎と風の翼を広げ、両手足に纏った魔力は鋭い鉤爪を象る。
唸った一本の長い尾が雪を振り払い、そして見上げた彩輝は先陣を切って飛び上がった。
その後ろに純白の光が帯を引き、最後に空気を焦がして炎が雪を溶かしながら森の上を飛び去った。
「がんばれ……」
その後ろ姿を見送った半透明の千尋はバタリと雪の上に転がった。
小さな涙が頬を伝った。
長かった。
この世界に来て、精霊となり、ずっとずっと気が遠くなるほどに生き続けてきた。
沢山のものをこの目で見て、この手で触って、長い時をこの足で歩んできた。
それは、無駄では無かった。
消えようと思えばいつでも消えることは出来た。
それでも今を生きる彼らに、道しるべを残してあげられた事が、私はとても嬉しい。
ずっと、ずっとずっとお兄様の後を追いたいと思っておりました。
それでも言われたように、九尾の狐の封印の行く末を見守っておりました。
そして、今宵その長き使命を終えます。
終わりを願っていた私が、その終わりを見届けられないのは心苦しいですが……それでも私は確信しております。
あの少年の決意は、迷わずに進むべき道を意思を秘めた瞳でした。
元々半透明だった身体も、今や消えてしまいそうなほどに薄れてしまっている。
精霊となってまで、私は一体何をしているのかと思った事も何度もあった。
それでも、それでも同じ世界の同郷の方々を少しでも助けられたのなら……それはとても喜ばしい事です。
きっと、もうすぐ私は消えます。誰にも見られることなく、一人で消えていくのでしょう。
ですが、寂しくはありません。
お兄様、ここしばらく私は人として生きていたのですよ。
久しく、自分が人であったことも忘れてしまいそうなくらい精霊として長きを生きた私にとって、それはとても言い表せないほどの歓喜でした。
これが自分の身体だったら、きっと何時までも自らの身体を抱きしめた事でしょう。
ですが、あの肉体は借り物。私のものではありません。
本来あるべき魂が元に戻り、彼らがお兄様の使命を成し遂げようとしている今、私は精霊の力も、精霊でいる理由も無くしました。
それでも、きっと彼らの未来が明るいものであると思うと、私の心は不思議と満たされているんです。
ありがとう彩輝くん。シロ。みんな。
私の使命を押しつける形になっちゃったけど、でもその先には君たちの世界が待っているわ!!だから、
行って!振り返らないで!頑張って!楽しかったよ!そして――――
「ありがとう!!」
少女の姿と、少女に寄り添う小さな子狐が雪の白さに溶けていった。
あけましておめでとうございます。
小説が書けることに、読んでくださっている方がいる事に、無事新年を迎えられた事、全ての事に感謝しつつ、今年もよろしくお願いします。