『神話の者』
長く鞭のようにしなる巨大な胴体がうねりながらダイヤレスを狙う。
それをかわすとすぐさま横からチル・リーヴェルトが斬りかかる。
俊敏な動きでそのチルの一撃も難なくかわす白蛇は、ぐるりと空中に螺旋を描くようにして二人から距離をとった。
「魔術が使えるようになったみたいだね。さっさとけりをつけよう」
魔術を封じていた黒い雲が晴れた事で、テンを倒したカイの強力な魔法を感じ取ったダイヤレスは腕を広げて魔法陣を浮かび上がらせた。
その巨大な氷の柱を目にしたチルはその言葉に頷き、魔術に合わせて飛び出す構えをとって白蛇を睨み付ける。
その瞬間だった。
ガキッ
ガチッ
「ん?」
「なんだ?」
突如、目の前の白蛇と距離を置いて戦う玄虎から何かの音が聞こえてきた。
まるで何かが切り替わったような、そんな音であった。
『警告。警告。危険魔力ヲ感知。コレヨリ対象ノ排除二ウツリマス。警告。警告。危険魔力ヲ感知。対象魔力レッド。』
『一、号機ヨリ警告感知。二、号機。三、号機反応無シ。魔力パターンに切リ替エマス。……反応無シ。破壊、又ハ魔力妨害ノ可能性ガアリマス』
『反応無シ。ヨッテ一、号機ト四、号機ハコレヨリ対象ノ殲滅ヘトウゴキマス。』
突如動きを止め警告なる音声を流し始めた絡繰りに、相対していた四人はぎょっとして動きを止めた。
雲が払われ、突然の事に戸惑うが2つの絡繰りは向きを変えて九頭竜と向かい合う。
『対象確認、形状、データニハ確認デキナイ対象ガ確認デキマス。音声ニヨルデータノ更新ガアリマセン。ヨッテ初期命令二ヨリ本機ハ対象ノ殲滅ト人体保護ヲ最優先二オコナイマス。付近ノ無関係人物、ハ、スミヤカニ』
そこまで音声を流していた黒い四足の絡繰りは粉々に砕け散った。
何かがぶつかったわけでもなくず、突如として見えない空気に押し潰されるかのようにして砕けた絡繰りの成れの果てが、雪の僅かに積もる地面にバラバラに散らばっている。
それを行ったと思われる九頭竜は一歩も動かずただ全員に、『五月蝿いぞ』と念波ともいうべき声で脳内に語りかけた。
「何を、したんだ?」
もはや、この雪の窪地では神獣、九頭竜、宝玉など様々な要因が入り乱れ混沌としたマナが溜まっている。
いかに魔女とはいえこのなかで魔力の流れを感じるのは難しい。
様々な色が混ざった水のようになったこの状態ではマナを取り込む事よりも、それぞれのマナを感じ取る事の方が格段に難しくなっていた。
しかし、確かに魔力の大きな動きを二人の四天王は感じ取っていた。
圧倒的な圧力。
まるで魔力の塊で押しつぶしたかのような様子を見て、四天王の二人は恐怖した。
風のマナで風を操る。水のマナで水を操る。それが魔術だ。
だがこれは魔力そのものの圧力だ。
「うっひゃぁ、これはまずいなぁ」
空中で翼を広げるイチ・アッカーもその光景に戦慄を覚える。
あんなもの、生物に直撃したらどうなることやら。
横からゆっくりとロクが上昇してきたのを確認して、イチは横にいるホッとした顔のヨンを見下ろした。
「撤退、かなこれは」
隣でゴを抱きかかえるヨンがそうイチに提案する。
イチもこれ以上この場に留まる必要は無いと判断し、その提案に乗る事にした。
「正直、僕らをボコボコにした人間に仕返ししたいところではあるんだけどね」
「アホか。ニールに敵と宣言しておいて、これ以上面倒事を増やす気か?生きてりゃ上等」
「そうなんだよねぇ。死んでた扱いの人に言われると説得力あるようなないような。ま、しょうがないか」
イチはそういうヨンから視線をチラリとレミニアへと向けた。
ニールは計画を押し進める。
当初の予定とはレミニアや魔獣の変異など想定外が幾つかあったものの、展開としては問題ない。
まぁ一番驚いたのは死人が生きていた事だが、それも今となっては関係ない。
2つの宝玉は彼らの手から魔獣に渡り、残る宝玉は一つ。
魔獣がそれを手に入れるまで、空から高みの見物といこう。
そう思ったニールだったが予定変更だ。
ニールは飛び去ろうとするイチ達に興味を無くし、気まぐれに地面に降り立ち小さな少女に語りかける。
「君はこの力を前に何を思う」
「悲しみと決意」
「何に悲しみ何を決意した」
「闇に飲まれた彼に。救って見せるという決意を」
その小さな少女から放たれた大人も気圧される程の強い決意の言葉を、ニールは鼻で笑った。
片腕となったニールは左手で死角から放たれた槍を握って受け止める。
「気が強いな」
「ちっ」
アリスが舌打ちしながら更にもう片方の手に虹色の槍を作り出す。
水のように揺らめく槍を握り、アリスはためらうことなく心臓を狙う。
その突きを体を捻って皮一枚で避けたニールは槍を離し近づいたアリスの胸ぐらを掴み一気に引きに寄せる。
顔が触れそうになるほどに両者の瞳が接近し、アリスはニールの細い瞳を睨み付ける。
「フッ、母親に似てきたな……」
「!!」
その思いがけない一言に動揺したアリスは慌てて距離を取り、その様子にニールは再度軽く笑みを浮かべた。
「気の強さも似ているよ。アリスはやはり母親似だ」
「お前なんかに似なくてホッとしたよ!」
「まぁ、それも今となってはどうでもいいけどね」
何処を見ているのか、その瞳は目の前のアリスに向けられているようでそうではない事にアリスは気がついた。
自分を見ているが、私ではなくどこか遠くを見ているかのようで……。
「千尋ちゃん!」
「止めろ!」
その叫び声にアリスが気を取られて振り返る。
いつの間にか侵攻していた九頭竜、そして異世界から来た黒髪の集団との間に立ち塞がる小さな人影。
「っ!!」
アリスは翼を広げ、地面の中へと溶けるようにして消える。
そしてサッとその翼を広げた龍の影が九頭竜の足下まで移動する。
地中から飛び出したアリスが槍を構えて九頭竜の背後から襲いかかる。
側面から薙ぎ払うようにして迫り来る尾を避け、九頭竜の上をとる。
その瞬間、アリスに不可視の力が加わる。
押されているのか、引かれているのか、その小柄な身体は瞬く間に地面に落とされていた。
視線を彷徨わせると、その力はアリスだけに欠けられているわけではない事に気がつく。
その力はアリスも、目の前の黒髪の人達も、吸鬼も四天王も魔女も、全員を地面に縫いつけていた。
「な、んだこりゃぁ!?」
「動けんっ……!?」
「身体が重い……っ!?」
『我が力の前に跪け弱小なる者共。我はこの世界の唯一神なるぞ』
「くそっ、なんなの!?」
「ちっ!?」
「ぐっ、空気がのし掛かってるみたいだ……」
『我が力、神より授かりし重石の力』
「なんだ……寒さが……増している?」
「風が止んだ?」
「な、何が……」
『我を打ち倒した憎きスサノオと天羽々斬剣も、我が身体を封じ込めた忌々しき 泰澄、あまつさえ甦った我が身を我から奪った剣で切り裂き、山に閉じこめたあの神も、我の剣を奪い神無き地に封じ込めた上総広常も……憎い、憎い、憎い憎い憎いっ!!儂は神をも従える大神ぞ!!ここにはあの五月蠅き菊理媛神もおらぬ……我はこの世界の唯一神、禍津日九頭竜 なるぞ!!大地の龍脈に住む我をあの高天原から追放された男如きに殺され、我が領地を失いながらも失った肉体と魂を取り戻すのに神から人の時代まで待った。更に力を蓄え首を増やした。だのに復活した俺は日本武尊に敗れ、我が魂は首と共に九つに切り裂かれ、中津国の各地に逃げた我が同胞と同じように逃げる恥を捨て、私は葦原中津国の人よりつかぬ霊峰を目指した。我は今度こそ復讐を果たすために三千の鱗を蛇として千切り、力を分散し悟られぬよう蓄えた。だのにだのに!忌々しき泰澄め!!身体を千切り支配力の薄れた俺の身体を二千も開放し、残った千の身体も斬り殺して封じおって…………九つの大蛇となりあの重く苦しい封印から逃れるのに百五十年以上も掛かったのだ!!その上逃れた私を忌々しき菊理媛神め、再度身体を括り川に封じ込めおった!あの忌々しき神をくらい損ね、逃げ出した儂が九尾の狐と呼ばれるようになり、今度は力ではなく政を乱し人を破滅に導く手はずだったものを、あの者め……またしても私を、あの剣で……』
その九頭竜の語りに、何人かの黒髪の人が反応した。
「中津国?それって日本の事?」
額を上げることも出来ず、湊実は呟いた。
葦原中津国といえば日本神話の時代、神の住む高天原と死者の住む黄泉の国との間にある人の住む世界の事であったはずだ。
今では使われない言葉ではあったが、日本人としてそれぐらいの言葉は聞いたことがある。
異世界でまさかそんな言葉が聞けるとは思っていなかった実は驚きながらも、突如身動きが封じられた事に戸惑っていた。
「菊理媛神って……もしかして白山のか?」
それに加えて他にも知っている単語があった。
地元民としては多少なりともなじみのある言葉だった。
特に、その神を祀る神社の近くが出身の佐竹には特に馴染み深い響きだった。
日本国土を創世したイザナミとイザナギ。
そのイザナミは最後に産んだ火の神カグツチを産むと、火の神を産んだことによる火傷で死んでしまう。
そのイザナミに会いに黄泉の国まで行くイザナギだったが、覗くなと言う約束を破り腐敗した自らを見たイザナギに怒って追いかけたのは有名な話だ。
中津国と黄泉の国を繋ぐ黄泉比良坂を岩で塞ぎ、岩越しにイザナミが『お前の国の人間を1日1000人殺してやる』というと、『それならば私は1日1500の産屋を建てよう』とイザナギが言ったのもまた大変有名な話である。
そのさい、言い争う二人の間をとりもったのがこの菊理媛神である。
この菊理媛神は石川県にある霊峰白山の神、白山比咩神と混合されている。
どの段階で両者が繋がったのかは定かではないが、ククリすなわち括り。二人を仲直りさせた事から縁結びの神様として有名な神である。
そして白山には確かにそのような逸話が残っていて母からよく聞いたのを佐竹は今でも覚えている。
まず二千の蛇を諭し、千匹を千蛇ヶ池という池に入れて上から万年雪で蓋をして出られないようにした。
もう千匹を刈込池という場所に入れ、池にうつるように大岩に剣を突き立て鉄に恐れた蛇が出られないようにした。
そして言うことを聞かない千匹を穴に埋めて多くの石を積み重ねた蛇塚という場所に封じたのである。
歴史好きな稲田健次郎もその事に気がつき、いくつかの話がそれぞれ別々の伝説である事に気がつく。
それが一つにまとまっているのだとしたら。
福井の九頭竜川、神奈川の箱根、奈良の吉野山、長野の戸隠山、滋賀の三井寺の霊泉、熊本の阿蘇山の宝池、大阪兵庫の猪名川と五月山の二頭の九頭竜、各地に伝わる伝承が鹿野山の九頭龍の切り落とされた首が逃げてきた地に繋がっているのだとすれば――――
「出雲スサノオの八岐大蛇伝説、千葉鹿野山の日本武尊の九頭龍伝説、石川の泰澄の白山開山、福井九頭竜川の九頭竜伝説が繋がって……上総広常の九尾の狐討伐?」
復讐の為に各地に散った鹿野山の九頭竜の首が霊気のたまり場を目指した。
確かに日本の三霊山である霊峰白山や霊峰立山にも蛇や竜の伝承がある。
地元白山の伝承では三千匹の蛇だったが、奴はその後川に封じられたと言った。恐らくこの川というのは福井の九頭竜川では無いか?
確か福井の九頭竜川には白山権現が関わっていたはずだ。
神仏習合において白山比咩神は白山大権現だったはず。そのあたりの事は詳しくないが大まかな辻褄は合うはずだ。
となれば、先ほどあげた九頭竜の伝承もまた、各地の蛇や竜の伝承と繋がる可能性がある。
そしてその始まりはかの有名な八岐大蛇に九尾の狐の話まで飛び出した。
こいつはとんでもない大物だ。
今更ながら、目の前の九頭竜の強大さに稲田は戦慄を覚える。
『今度こそ我は力を取り戻し、そして全てを支配する。その為に――――最後の宝珠、返して貰うぞ』
ズダンと音を立てて地面に倒れ伏す一角天馬。
「あと少しだって時に……」
祭壇は作り終えた。
後は全ての材料が集まれば……ここまで来ているのに。
稲田達の後ろには不思議な模様の描かれた魔法陣のようなものが雪の上に描かれている。
足跡を付けて紋を崩さぬよう作り上げたその魔法陣の周囲には、宝玉を収める台座と聖天下十剣を収める台座ができあがっていた。
剣を回収しに行った神原は戻ってこず、宝玉の殆どは九頭竜の体内である。
そんな状況でも、諦めず祭壇を作りあげたのだ。
ズルズルと引きずられる一角天馬が抵抗を見せるも、立ちあがることも出来ず翼は大地に押さえつけられている。
最後の宝玉は一角天馬の胃の中にある。
抵抗を続けながらも引きずられる一角天馬と九頭竜の間に、小さな影が立ち塞がる。
「ごめんね。みんなありがとう。ここからは私の役目」
決着をつけられなかった兄の役目を、今度は妹の私が受け継ぐ時。
それはこの身にあるべき正しき心を取り戻すため。
それは長生きしすぎた自分自身に引導を渡すため。
そして、未来に襷を繋ぐ為。
ここで私はお別れだけど、それは頼れるみんながいるから。
ずっと、ずっとずっとこの瞬間を待っていた。
刀と、宝玉が集い、そして後を託せる人達がいるから。
そしてそっと振り向き、この身の母親を見つめた。
不安そうな、今にも泣いてしまいそうな表情を浮かべたその女性に、千尋は安心させるため優しく微笑みかける。
「大丈夫。貴方の娘を、今お返しします。それと、私が居なくなった後のこと、よろしくお願いしますね」
そうして彼女は唱える。
「剣を持って相手への勇気を奮い立たせ、鏡を持って己が無智を映し、勾玉を持って人の仁愛を忘れるなかれ」
ボウッと空中に鏡と勾玉が浮かびあがる。
小さな少女の周囲に不思議な魔力が渦を巻き始め、その事に九頭竜も気がついた。
火や水の魔力とは明らかに違うその神聖な魔力に九頭竜は覚えがあった。
『この……匂い……』
そう。先ほど目覚めたときにも嗅いだ忌々しき匂いだ。
己を切り裂いたあの神聖なる霊気を帯びたあの剣と同じ匂い。
『そう……三種の……』
そして輝きを増す二つの神器に呼応するかのように、最後の神器が光を放ちはじめる。