『気づけた者』
「そろそろ……かな」
漆黒の血を滴らせる剣を持つ人影が、白い雪を踏みしめる。
森の奥から響いてくる戦いの音と地響きがその凄まじさを物語る。
「もうすぐで、この身体とも……」
その背中には黒い翼。
人影はサッと飛び立った。
『ッハハハハハ!!力ガヨミガエッテクルワ!!』
最初に落ちたのは巨大な巨体を持つ魔眼、黒魔蛇であった。
締め付ける力が徐々にゆるまり、長い胴体が降り積もった雪と溜まり続ける黒い靄に倒れ込む。
未だに捕らえられている二柱の大土竜と金角も神獣としての輝きを弱め苦しそうにしていた。
巨大な爪をもつ大土竜だったが四肢を九頭竜の首に絡め取られ自由に動かせずにいる。
一方普通の馬ほどの大きさの金角はその巨大な九頭竜の牙に首を噛みつかれており、最早首を貫通しているであろうはずなのに必至に雷を放って抵抗する。その抵抗は九頭竜の巨体からしてみれば凄いように見えるがしかし、放つ雷によるダメージはまるで無い。
抵抗しようと、劣勢を攻勢に返せずにいる時点でその力関係はすでに決まっていた。
そして九頭竜は一度首から牙を抜き、一気に小さな身体を飲み込もうと大きな口を開いた。
その首が、真っ二つに切り落とされた。
ごとりと膝をついた金角の横に転がり落ちる。
九頭竜の首を落としたのは小さな人影であった。
「大丈夫ですか?」
『ぐ……ぅ、忝ない』
不思議な魔力を持つ少女に金角は礼を言いつつ、大土竜を見上げた。
その視線の意味を受け取った少女はサッとジャンプして黒い靄の上で再度翼を広げて飛び上がる。
そして大土竜に絡みつく首と胴体の間を根もとからマナを固めた手刀で切り裂いた。
巨大な首がずるりとずれて大土竜ど一緒に地面に落ちる。
『威勢ガイイ嬢チャンダ!』
徐々に片言になる九頭竜の言葉には耳を貸さず、二つの首が再生する前に少女は黒い靄をはき続ける黒い首を狙う。
『我ガ憎シミヨ、我ガ力ヨ、我ガ宝ヨ、何処ダ』
「此奴が欲しいのかい?」
九頭竜の頭上に、一人の影が浮かぶ。
黒い翼のその男は、懐から一つの宝玉を取り出した。
すでに九頭竜の体内に取り込まれた二つの宝玉と同じ、それでいて違う色彩の輝きを放つ宝玉がその手に握られていた。
「君が求める宝玉は全てこの雪降る地に集っているよ。グレゴリア博物館から奪った碧玉」
男が取り出した、まるでのぞき込む者を深海の奥深くに沈めるかのように深く、澄みきった空のように鮮やかなその青色の宝玉を漆黒の首の瞳が捕らえた。
「いやぁ、大変だったんだよ。何だろうね。人間が人間に対してつくった罠じゃないよーあれは。何を想定してつくった仕掛けなんだか。まぁそれでも手に入れちゃうんだけどね。いやぁ、本当に綺麗だ。本当は色々と解析したいんだけど、それよりも面白いものがみられるならそれでもいいかなーって」
「ハチ……ウィーカー」
「久しぶりだねアリス。いやぁ、心が砕けてもなお自我を取り戻すなんて凄いじゃないか。まぁ今の君は主演じゃなくて観客だ。そこで見てなよ」
アリス、安輝早、そして水龍の記憶を共有する現在のアリスは目の前で浮いているハチ・ウィーカーの顔に憎悪の表情を向けた。
湖で対峙しただけのアリスの感情以上に、吸鬼の実験に付き合わされた水龍と安輝早の怒りがアリスの身体を支配する。
「それを許す気は無いよ」
にじみ出る魔力を感じ、ハチは笑みを浮かべながらも一歩分後ろへと下がった。
「おお、恐い恐い。グレゴリア博物館の碧玉、商人トルロイン邸の紅玉、豪農バジル邸の黄玉、トイトール樹海の茶玉、エステルタ城の翠玉、イレータ湖の水玉、ジャンジャック海賊団の桃玉、盗賊の黒玉、そして神獣一角天馬の持つ白玉。全て揃ったんだ。ここまで、ここまで揃えて――――ここまで揃えて君たちに阻まれたら、笑えないよ全く」
ガスッと鈍い音が響く。
「っ……!!」
強烈な打撃を首の裏から当てられたアリスは信じられないとでもいうかのような視線を後ろに向けようとして仰向けになりながら地面へと落ちていく。
身体を強化していなければ、首の骨が折れていたであろうその一撃を加えたのは黒い翼を広げた少女であった。
見た目はハチと同じくらいの歳に見えるが、その瞳は細めのハチに比べて鋭いつり目である。
「ナナ……ラトリ……」
それだけを呟いてアリスは地面へと落ちていった。
ナナ・ラトリと呼ばれた少女は手の上で茶色の宝玉をコロコロと転がした。
強く光を輝かせた宝玉は光を弱める。
「土のマナは他のマナを吸収するんだよ。神獣や神子はマナの動きなんかでも行動を察知できるらしいからね」
土の魔力を司る宝玉を指の上で回転させ、そしてグッと掴んだナナ・ラトリは落ちていくアリスを尻目にハチに手渡す。
「吸鬼迫害の歴史は忘れない。絶対に。だから強力してあげるわあんた達の計画に。最後まで悩んだけどね。絶対に、絶対に人間共は許さない」
「そうか。じゃぁ受けとろう」
茶色の宝玉を受け取ったハチは二つの宝玉を九頭竜に向かって落とした。
「そして受け取れ最古の魔獣よ!!これが求めていたものだろう?」
『我ガ宝!我ガチカラ!』
『ヨコセ!ヨコセ!』
二つの首が下から天へと登るようにして近づいてくる。
そうして大きく広げた口の中に二つの宝玉が消えていった。
瞬間、黒い靄は九頭竜から放たれた波動によって全て吹き飛んだ。
その剣は風を奏でるタクトの用に、その剣は水が生きているかの用に、幾度も交差する。
弾け飛ぶ水飛沫と風の刃がお互いの肌を切り裂く。
力任せに振るわれているように見えて、実は幾つものフェイントを織り交ぜる両者の太刀筋を見切るのは常人では難しいであろう。
時折蹴りや頭突きを織り交ぜるカイに対し、背中の羽で上下左右にスライドして避けたり攻撃のタイミングをずらしながらテンは生流水を振るう。
「前より強くなってるな!!」
「努力したんだろうなぁ!!」
「その努力、俺が奪ってやるよ!!」
前回の戦いから確実にカイの実力は上達している。
何度目かのつばぜり合いの末、テンが仮面を剥ごうと行動に移す。
相手の力を奪うにはその目を見る必要があるテンは、その仮面を剥ごうとつばぜり合いの最中腕を伸ばした。
村の守り神をモチーフにした氷鳥の仮面に伸びるテンの腕を、カイもまた腕で払いのけた。
そのまま風王奏を両手で持ち、押し切ろうとする。
しかしテンはまた翼を動かし後方へとスライドしてそれを受け流す。
ダンッ!!
そう大きな音が聞こえてきそうな踏み込みを見せたのはカイだった。
後ろに引く。それを読み思い切ってテンに向かって踏み込んだ。
それに反応仕切れなかったテンは、後ろに動きながらも持っていた剣でカイを狙い剣を振った。
剣を振る。という行為を意識しない状態からその行動に移す事自体、ある意味反射的な行動である。
それでもそれをただ振るで終わらせるのでなく、斬るという意思で行わなければそれは攻撃にはならない。
つまり、テンはその反射的行動を斬るという行動へと途中から転換させたのである。
通常ならばあり得ない行為だ。
カイもそれに気がついていながらも、思いきって飛び込んだその行動を止めることは出来ない。
カイはそのまま風王奏でテンを斬りつけ、そして顔面すれすれを裂きながら生流水が横切っていく。
風王奏の刀身はテンの右肩へ食い込み、そのまま骨と肉を絶ち、切り落とした。
その腕と一緒に切り裂かれた仮面が地面に落ちていく。
「貰った!!」
「貰った!!」
風王奏の刃が再度テンを狙い、テンの目がカイを捕らえた。
同時に叫んだ両者の狙いは、間に入った人影に遮られた。
「お控えくださいなテン。死ぬのは自由だけど、その宝玉を渡してからにしてもらいたいのですが」
「なっ……!?」
「てっ、てめぇ、キュウ!!邪魔すんじゃねぇ!!」
カイの刃を掴んで止め、その身でテンの視線を遮って現れたのは翼を広げたキュウ・リッツアであった。
「あなたに目的があるように、私にも譲れない目的があるのですから」
尻餅をついた状態のテンに向かってそう言うキュウであったが一度視線をカイへと向けた。
「私はお前と戦うつもりはないので。一分時間をくれ」
それだけを一方的に言うと風王奏からリッツアは手を離し再度テンを見下ろした。
その様子に、カイは戸惑いながらも何が起こってもいいように距離をとる。
「邪魔、といったか。ではお前の奪ってきた紅玉を渡して貰おうかな。それで私はさっさと消えてあげますので」
「あ?んなことで俺の楽しみを止めたのかてめぇ!?」
ちぎれた腕から流れ落ちる血は収まりつつあり、驚異的な回復力だとカイはその言い争いを剣を構えながら眺める。
「悪く思いなさるな。お前にあるその衝動と同じように、私にも引けぬ思いがあるので。私はお前の戦いが終わるまで待つ気は無のですから、今すぐ宝玉を渡せばいいのですよ」
「っち、一度に奪われたら困るからってバラバラに持たせておいて結局それかよ?あん!?」
「愚問。私はニールではない故にその考えには反対だったのだが――――」
「ああそうかよ!んならさっさと持って行けクソ野郎!」
テンは懐から深紅の宝玉を取り出し、キュウの顔目がけて投げつける。
「もっと丁寧に扱え」
大事そうに受けとったキュウはそれだけを言い残して翼を広げると飛び去ってしまった。
まるで急いでいるかのようだ。
そしてカイには今、目の前でキュウが持っていった宝玉に見覚えがあった。
それを目にし、カイは思い出す。
何故自分がこの地に戻ってきたのかを。
そしてカイにしか見えない光景が割れた仮面から覗く瞳に映った。
九頭竜を背後にしているテンからは見えないその光景が。
「おい、続きやるぞ」
そう言ってテンが振り返ると、カイは何故か剣を鞘へと戻していた。
「あん?」
不思議に思い、首を傾げたところで小さくカイの声が聞こえた。
周囲の戦闘の音によってかき消えそうなぐらいの声になっていたが、確かにそれは目の前の男の声だ。
「…………」
「何ボソボソいってやがる?っぐ!?」
不審に思ったテンがカイに近づこうとした時だった。突如空気が震える。
巨大な波動が窪地の中心から外に向かって放たれた。
壁となる雪が巨大な雪煙を巻き上げ、その波動に乗って黒い煙も吹き飛んだ。
「なにが――――」
「雪化粧、染める花弁風に舞い」
「あ?」
「染み渡るは心の虚」
そこでテンは気がつく。
――――呪文か!!
今の波動が何かを確認する必要は無い。
ただ、今魔力を封じ込める黒い靄が吹き飛んだという事だけが現実としてある。
そいて男が魔術の呪文を唱えている。
「あ……?」
テンには不思議なものが見えた。
まるで、カイの身体を氷の獣が嬉しそうに駆けずり回るような、そんなマナの動きが見えたのだ。
「溶けぬ氷は天地を埋める」
巨大な魔法陣が、一瞬にしてテンを飲み込むほどの大きさへと広がった。
瞬間、テンは我が目を疑った。
魔法陣が大きすぎる。
九頭竜の波動によって舞いあがった雪が二人を包み込む。
使うつもりは無かった。
テンはそう思いながら心の中で舌打ちをし、前回湖で四天王相手に使った力を開放する。
これ程の規模の魔術を単身で使うとなれば、この人に比べれば強力な身体でも耐えきれる保証はない。
命がなければ何も出来ない。
吸鬼からは戦闘狂とまで言われる程に戦いを好むテンではあったが、それでも過信をしない存在であった。
父から奪った弾く能力で、あの魔術を防ぎきる。
そう思いながらテンは雪煙に隠れたカイを睨み付けた。
雪煙がサッと晴れ、互いの視線が交錯する。
「我が埋めよう、染める天地を無の地へと」
「来いよ!!」
スッと腕をあげ、そしてカイは自身最強の魔術を行使する。
身体を駆けめぐっていたマナが魔力となって振り上げた腕で渦を巻く。
使うつもりはなかった。
魔術の詠唱には無詠唱、欠如詠唱、完了詠唱の三つがある。
それぞれ詠唱を行わない魔術、部分的な詠唱を行う魔術、そして完全な詠唱を行う魔術だ。
魔術というものは人が生み出すものであるがゆえに、完全なものは少ない。
言うなれば、部分部分を省略しながらたどり着いた数式の答えと、全ての行程を略さずたどり着いた答えという違いになる。
だが数式自体を解くことは誰にでもできるが、数式そのものを作り出すのはまた別の難しさだ。
またその数式が完全にあっているかと言われても、またそれは疑問が残る。
一+一は二という反論も出来ぬほどに完璧な数式ならともかく、これは答えのない魔術の分野である。
もしこれを魔術を問題に表すなら、マナから生み出された魔術は答えではなく、式なのである。
正解などない。一つのコップに一定量の水があり、それを別のコップに入った二つの水を混ぜれば同じものができる。しかし二つのコップに入っている量が多くても少なくても、同量ならば結果同じものができあがる。
その二つのコップの水の量を決めるのが魔導師が見つけた詠唱であり、それが式となるのだ。
故に、世の中に出回る魔術の殆どが欠如詠唱と呼ばれているのだ。
完了魔術という、それ以外に存在しない数式を読み解いた魔術など、この世界には指の数も無い。
「強すぎるからな。だれも探そうとしないんだ」
と、何時かの時代、何処かの魔導師が言ったそうだ。
それを見つける者も、使う者も最早、人ではない。
完了したそれは人にとって禁断の叡智なのだ。
でも俺はそうは思わない。
「染める心を無の地へと」
「長い――――完了詠唱!?馬鹿な!!」
弾くつもりでいた。それしか考えていなかった。
それ故に、詠唱の長さという欠点をテンは見過ごしてしまったのだ。
「そんなもの……お前なんかが……っ!!」
テンは咄嗟に生流水をカイに向けて投擲した。
しかし、もう詠唱は紡ぎ終わった。
テンはカイの努力を奪おうとしたが、たった一つだけ見落としていた。
それはカイの努力によって生み出された結果を見ていなかった事だ。
努力とは結果の為にある。
無駄な努力など、有りはしないのだ。
努力をしている事をしりながら、その努力の矛先が何であるか。その努力の結果生み出されたものがある事を見落としていたのだ。
もしかしたら、心の何処かでは気がついていたのかもしれない。
すでに持っているものに努力を後付しても、それは持っているものに対しての努力では無いが故に心の隙間は埋められないのではないかと。
そして、本当に求めていたものは努力じゃないのかもしれない。
父と母から奪った力とこの身体。それだけが親との繋がりだった。
本当は、一緒に過ごし、一緒に笑い、一緒にご飯を食べ、一緒に勉強して、一緒に鍛錬して、一緒に寝て、起きて、そうして積み重ねる日々を求めていたのかもしれない。
ぽっかりと空いたその虚無を、努力だと思い込んでいた。
そうしてそれを埋めようと、ありとあらゆるものを求め、奪った。
それを忘れようと、戦いに没頭した。
望めば手に入る。それでも手に入らないものがたった一つだけ――――
見たこともない、父と母の顔がテンの脳裏に浮かび、微笑み手を伸ばす無邪気そうな子供。
小さな真っ白な花弁が、三人の人影を埋め尽くした。
求めていたのではない。憧れていたのだ。
それに気がつけただけでも、よしとするか――――――
「フリージア」
テンは吹雪の竜巻に飲み込まれ、天地を繋ぐ巨大な氷の柱がそびえ立った。
弾き飛ばすことも出来ず、一瞬にしてテンの肉体は氷となって生物としての役目を終えた。
テンの足下に突き刺さった生流水をカイが抜き、そして砕けていた残りの仮面が顔から剥がれ落ち地面に転がった。
氷の柱は徐々に下から花弁が広がり、それが雲を突き抜けたあたりで氷の肉体となったテンと共に、柱は砕け散った。
まるで花弁が散るように、氷の欠片は風に乗ってどこかへと消えていった。