『とどいたよ』
嫌だ
嫌だ
来るな
来るな来るな来るな!
走っても
走っても走っても終わりが見えない
いつまで自分は追いかけられなければいけないのだと、神原は恐怖する
神原仙は己の恐怖に追いかけられていた
何が追いかけてきている訳でもない
ただただ恐怖を感じて走っているのだ
それはつまり、恐怖に追われているようなものだ
捕まれば、奈落の底の闇までこの身が引きずり落とされてしまうような気がしてならない
一体いつまで走り続ければいいのか、自分にも分からなかった
天地は闇に覆われ、真っ暗な世界故に、神原の白い息は黒いままである
「なっ!?」
空中で早苗を見下ろす彩輝
早苗も彩輝と同じように魔力の翼を大きく広げている
だが、彩輝と違い、次第に早苗の炎の翼の火力がが増していくのが分かる
大きな衝撃波と共に、何度も何度もその翼の炎は大きく燃え上がり成長していく
「こいつが、私の本気よ。技には名前と命を吹き込むと本来の威力を出せるんだね。命を操る力があるからか、なんか分かるんだ。そうね、じゃぁちょっとだけ恥ずかしいけど叫んでみようか格好良くっ!不死鳥紅蓮炎天衝ーーっ!!」
神子化した彩輝ですら恐れるほどに、膨大な魔力の渦を作り出す早苗
炎の渦の中心にいる早苗は、炎の渦を翼に纏わせ回転しながら大きく飛んだ
炎の鳥が巨大な翼を広げ、こちらへ突っ込んでくる
あんなもの、いくらなんでもくらえばタダではすむまい
避けるか?いや、避けても何にもならない
特訓なら、ぶつかり合ってこそだろう!
避けたくなる衝動を抑え、彩輝はソーレを鞘に収めた
「頼ってばっかじゃ、悪いもんな。うおおおおっ!」
炎の翼と風の翼がそれぞれ自己主張するかのように大きく広がった
名前?そんなもの無いけど、名前があった方が強くなる?命を吹き込む?
じゃぁ試してみようじゃないか!あれだけ強力な技を出せるなら、試してみても悪くは無い!
彩輝は両手の握り拳に力を込める
「風と、水を・・・」
炎は効かない。ならば、次に自分が扱えるのは風と水だ
彩輝はこちらの世界に来てまだ間もない頃に、ディアグノの小枝で魔力を試した時の事を思い出す
いや、どうせなら全部出しちまえ!
彩輝はイメージを足に集中する
彩輝の右足に六つの魔法陣が重なり合う
「風、火、雷、土、風、氷!六天墜脚!!」
七色には足りないが、それでも虹色を思わせる美しい輝きを放つ風が彩輝の右足を包み込む
龍の本質としての風がどうやら他の属性の魔力を束ねたようだ
「う、お・・・おおおおおっ!!恥ずかしいぜえええええ!!」
ちょっと中二病的な発言をして顔を隠したくなるのを堪え、背中の翼を畳み、一気に加速する
炎の渦を突っ切って、天を貫かんばかりの勢いで舞い上がってくる炎の鳥
「いっけえええええ!!」
ガカアアアンと大きな音を立てて彩輝の翼が力を込めて空を切る
早苗の纏う炎と彩輝の足を包み込む七色の風がぶつかり合う
と同時に、赤色が早苗を照らし、虹色が彩輝を照らし出す
「うりゃああーーー!!」
「うおおおおおおっ!!」
早苗は彩輝の足を炎を纏った腕で横からはじき返し、それと同時に彩輝の脚力が勝り、早苗の体を纏った炎の鎧ごと地面に押し返した
体勢を崩して墜落する早苗は最後に、弾き飛ばされた彩輝が壁に激突したのを見て自分も地面に叩きつけられた感触を味わった
その間に、魔女が現れる
「見事でしたお二人とも。無事サナエさんは神子化した貴方だけが持つ力を操る事ができましたね。生と死を司る君の力は駒のように物に命を与えるだけでないという事も実感できたでしょう。命を与えるという力を、たとえば技なんかにも名前を、命を吹き込めば意味を持った力を手にするでしょう。その力は存在そのものに本来の力を引き出す言霊を授ける力もまた、貴方の力なのです」
「そしてアヤキさんも、見事です。私の剣を使うという助言に囚われること無く、己の力のみで新たな魔力の使い方に自ら至りました。本来、風とは自由であるもの。貴方は自由であるという事を常々お忘れ無きよう。型に囚われぬ事こそ、貴方の強みなのですから。さ、では、もう一戦お願いしますね」
ドガァアァンと、巨大な部屋の片隅に申し訳なさそうに存在していた扉が何の前触れも無く吹き飛んだ
そこから白い冷気がぶわっと漏れだした
その冷気の尾を引いて現れたのは、氷の獣のような
彩輝は目をこらして見つめた
いや、あれは・・・
「仙!?」
「えっ、神原さん!?」
「お二人には、彼の氷を溶かしていただきます。彼の氷が溶けたら、私の元へいらしてください。私は隣の部屋でお待ちしていますので」
魔女はそう言い残して、姿を消した
が、それ以上に二人の視線は神原に釘付けであった
神原の彼女である早苗に至ってはもはや動揺を隠しきれないのか、舌も上手く回っていなければ、指がよく分からない動きをしていた
「え、は?どどっ、どどどどどういいいいうう!?」
「氷を溶かす?もう一戦・・・って彼と戦えって?え?神子化・・・してるんですか神原さん・・・?」
彩輝も驚いていたが、早苗よりかは冷静でいられたため、目から入る情報を即座に判断していた
彼の体は氷で覆われており、手足に纏った氷は獣の四肢を思わせる形状をしている
神子化している、といえばしているのであろうが彼の様子は何かがおかしい
何というか、人の意志を持った動きをしていないのである
挙動が、獣の用で彼が人である事に違和感を感じるのだ
「えっと、戦えば良いのかなー・・・?」
「らしいですね」
彩輝はソーレを抜いて腰を低くすると迎撃体勢を取った
一方、まだ困惑している早苗さんは神子化こそ解いていないものの、そろそろ現状を理解して欲しい
「う、ガアアああああああ!!」
そう思った瞬間、人とは思えないほどの絶叫が部屋を揺らすほどに響いた
氷と氷の牙の間から、彼が叫んでいるのだ
叫び終えた彼は体をグッと縮ませ、まるで獣のように敵意を剥き出しにしてこちらへと駆け寄ってきた
「ぐっ!」
巨大な氷の右腕の一振りをソーレで受け止める
すかさず左手を振り上げる神原
その手を炎の腕で受け止める早苗
しかし、氷の腕は溶ける気配を見せない
「ちょ・・・強っ・・・きゃっ!?」
「なっ!?」
両腕を受け止められたにもかかわらず、神原は早苗を氷の腕で押し飛ばした
そこに生まれた彩輝の隙をついて彩輝を蹴って宙返りをする
「ぐっ・・・!!」
全身をバネのようにさせて再度彩輝に飛びかかってくる
彩輝は神原の宙返りの時足場にされた重さで体勢を崩していたがすぐに立て直した
「なめんな!!」
腕の軌道を読んで、ソーレで腕を弾いて弾きまくる
神原はどういう動きをしているのか、両手両足を巧みに使って氷の重撃を彩輝の体めがけて打ち込んでくる
それを弾くたびに、火花が散って氷を閃光で染めた
「いい・・・かげんにっ!」
ガンッと振り下ろされた右腕を弾き、掬い上げる蹴りを避けて足払いをかける
ふわりと神原の体が浮いた
「しやがれっ!!」
体勢が崩れた神原の横っ腹に、ジャンプして高さを合わせた彩輝は神速の回し蹴りを叩き込む
ガツンという衝撃と共に、ビシリと氷にヒビでも入った感触が足に伝わってくる
そのまま大きく回し蹴りを振り切ると、神原の体は一度地面に大きく叩きつけられ、その反動で再度宙に浮く
その神原の頭を鷲掴みにし、大きく翼を広げる彩輝は思いっきり神原を地面に擦りながら壁に叩きつけた
またも大きく部屋が揺れる
バックステップというより、後ろに大きく飛んで距離を取る彩輝
「まさか、神原が早苗さんにまで手を出すとは思わなかった・・・」
彩輝は荒げた息を整える
どうも様子がおかしい
今彩輝と早苗も神子化をしているが、自我が無くなる変化では無い
しかし、あの神原の様子を見ていると、完全に彼女の不意をついて殴りにかかっていた
確かに彩輝も先ほど彼女と本気でぶつかりあったが、あれは両者が技を出してぶつかっていた
殺すつもりで、と彼女は言っていたが本気ではない
そこにはやはり越えてはならない一線というものがある
だが、今の攻撃は隙をついた殺傷を確実に狙う一撃だった
いくら神子化しているとはいえ、相手も神子化しているので条件は同じである
彩輝とてゾッとする殺気を帯びていた一撃だった
だが彩輝は知らない
自分も似たような状況に一度陥っている事を、覚えていないのである
あの時、湖に居た時彩輝は自らの中に潜む獣の影に体を乗っ取られていた
しかし、今回の神原の豹変はそれとは全く違う能力の象徴とも呼べる力と戦っていたのである
己の内に潜む、災厄という名の力の前には、氷の世界に閉じこめられた彼はただ逃げるしかできなかった
氷で閉ざされた壁の内をただひたすらに
彼の世界は、熱を失っていた
彼の世界は、熱を欲していた
この世界を溶かす、失われた熱いそれを、無意識に求めていた
「なんだってんだよ!?どこだよここ!?」
氷の世界はどこまでも続いている
世界に出口が無いように、この氷の世界にも出口は無い
そう思わせる程に、雪と氷の原がどこまでも、地平線の果てまで続いているのを見て神原は嘆きたくなる
何故自分がこんな場所に居るのか、どうやれば元居た場所へ、あの無機質な部屋へ戻れるのかを模索していた
魔女の言うとおり、椅子に座り、目を瞑る
たったそれだけの事なのに、魔女が何かを唱えたかと思うと一瞬にして世界は反転した
座っていたはずなのに、気がつけば自分は仰向けに倒れていた
真っ白な世界に、有彩色がぽつりと浮いている
周囲を見渡した神原はある異変に気づいた
地平線の彼方から、空間が凍り付いていくのである
離れているにもかかわらず、ミシリミシリと世界が凍りついてゆくのが分かるのだ
まるで、自分の心が端から止まっていくかのように感じたのだ
逃げた
神原は逃げた
逃げて逃げて逃げた
真っ白な雪の上に定規で引いたかのような真っ直ぐな足跡が延びてゆく
どれだけ走ったのだろうか
目の前に、小さな人影が見えた
すれ違う瞬間、真っ黒な髪の少女が居た
背は160センチ後半ぐらいだろうか。スラッとした体型の女性がいた
女性は動くことなく、神原が彼女を追い抜いた瞬間その顔がチラリと見えた
一条唯だった
パキンッ、と空しい音を立てて彼女の体は冷気に包まれた
一瞬にして氷の像となってしまう彼女をその目で見てしまう
「う・・・・わあああああああああああああ!!!」
恐怖を感じた
目に見えない
それ故に、恐ろしい
すると、またもや人影が見えてきた
真っ白な世界に、一人の少年が立っている
その少年は、桜彩輝であった
動かぬ彼を置いて、神原は走った
すれ違って何秒経っただろうか。ふと振り返ると、彼も先ほどの一条と同じように氷の像となってしまった
そして、前方に見える人影
「やめろ」
愛して
「やめろ」
愛して
「やめろやめろやめろ」
愛して愛してやまない人がそこに居た
ピクリとも動かず、まるで人形のように神原を見つめる彼女
彼女に向かっているのか、それとも彼女の向こう側に向かって走っているのか
自分が彼女に近づくにつれて、その心情は複雑なものへとなってゆく
せめて、動いてくれ。逃げてくれ。振り向いて、走ってくれ
でなければ、さっきの二人みたいに・・・彼女も・・・小田原早苗も氷に閉ざされてしまう
自分が彼女に向かって走るにつれ、その距離は縮まっていく
氷の世界の牙が、彼女に迫ってゆく
そして
流れるような、それでいて止まっているような、互いに体の向きを違えながら、二人はすれ違った
足が、止まらない
振り返って、彼女の手を取りたい
なのに何故、俺は涙を流しながら走っている?
見捨てるのか?早苗を・・・俺は・・・見捨てるのか?
―――俺はお前の彼氏なんだからさ、それぐらい受け止めてやるって言ってるんだよ―――
「やめろおおおおおおおおおおおお!!!!」
その瞬間、神原には自分が、見えてしまった
気づかなかったから、俺は大切なものを失う
気づきたくなかったから、俺は目をそらしていたのだった
それに気づいた自分は、どうしようもなく、弱く、醜く、嘘つきな人間だったのだと気づかされたのだ
だからこそ、自分自身に向かって叫んだ
今思えばどうかしていた
何故こんな世界で革命を起こそうと企んだ?
何故知りもしない世界の人間達を庇おうとした?
何故俺は、あの国から逃げ出した?
「誰だ・・・・・誰なんだ・・・・」
この体に宿っている醜い魂は
何かが変わると思ったのか?
それは偽善では無いのか?
それはお前が弱いからでは無いのか?
そんなお前に、本当に早苗が頼ったとでも思ってるのか?
拠り所にしたと思っているのか?
だとしたら、俺はとんだ笑い者だ
神原の瞳から、ぽろぽろと涙が落ちてきた
「俺は・・・本当は・・・本当はっ!!」
何も出来ない
したことも意味がない
ただいたずらに、迷惑な人間
火種を悪化させただけ
運が良かったのではない
自分が居なくても、革命軍が居なくても、二つの軍がガルトニール軍と戦っていたはずだ
自分さえ居なければ、ウーリィンも森を出る事は無かった
自分さえ・・・・自分さえ、居なければ
「もう・・・」
ならば、俺は、何の為に・・・・・
「いやだ」
そう
「いやだいやだ」
こんな自分が
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌なんだああああああああああああ!!」
無性に嫌だったのだ
思いっきり振り下ろした拳は、雪に埋もれるばかり
叫んだ声は闇に溶け、溢れた涙は止まらない
渦巻く感情はただ空しく行き場を無くした
そうして心は閉ざされていく
闇という名の氷に、世界は凍て付いてゆく
誰にもその叫びは届かない
絶望と、疑惑と、嫌悪と、自虐とが渦巻く闇の雲が地平線まで続く
感情を受け止める事も出来ない雪がどこまでも続く
それが彼の目に見えぬストレスを溜めていく
自分でも気づかぬ程の闇を抱えていた、彼の心に
見上げれば、雪
黒い世界に、唯一自分以外の白という色を持つ雪が、まるでダイヤモンドダストの用に降り注ぐ
彼を暖かく包み込むように
「とどいたよ」
氷に閉ざされた世界に、その言葉が亀裂を入れた