『壊れる心』
私は、誰?
君の名前は・・・アリス。
アリス?
そうだよ。綺麗な響きだろう。
それが、私の名前?
そう。君の名前だよアリス。その魂に刻み込まれた、君だけの名前だ。
その声はいつまでも心の中で響いている
水のように心に波紋をたてながら―――
「さて、ずいぶんと長い滞在になってしまったわね」
シャンがそう言うと、アリスはそんなシャンを見上げて笑顔で答える
「そうだねー。でも割とそうでも無いんじゃないかな?あれから二日しかたってないし」
にっこりと笑って背中に旅の荷物を担ぐアリスのリュックには食料などが詰め込まれている
同じようにシャンも食料や旅のお供グッズが詰め込まれたリュックと、町中でも異様に目立つ大きな鎌を背負っていた
二人は町の噴水の横を通り抜けながら、町の出口を目指す
魔獣の襲撃によって大きな被害を受けたこの湖の畔に位置する町から南の土地へと向かおうとしていた
そのための準備として立ち寄ったのだが、そこで思わぬ出来事に巻き込まれてしまった
シャンはその事によって思った以上に滞在してしまったかのように感じたのだったが、アリスに言われてみるとそうでも無い事に気がつく
「それもそうね。いろいろとあったから長く感じていただけだったのかしらね?」
「そうだよきっと。私も長く感じたもん」
「しかし、本当にいろいろありましたね。まさか本当に吸鬼が生きていたとは思いもしませんでしたが・・・」
シャンは二日前のあの事件を思い出す
吸鬼の首謀によって引き起こされたイレータ湖の事件の噂はすでに町を飛び出して各地へと拡散している事だろう
南の方でも吸鬼が大会で暴れたという噂を耳にしてシャンはこれは確実だと確信した
吸鬼は未だにこの大陸で生き続けている
これまで姿を隠していたが、何かを切っ掛けに活動を再開させているらしい
その目的は定かではないが、共闘した何人かが話すにはどうやら宝玉を集めているらしいという情報が手に入った
他にも、吸鬼は最強だとうたわれていた四天王のシェリア・ノートラックと互角に戦えるほどの実力を持っているらしいという事だ
今回の件には四天王のシェリアも関わっており、その脅威の危険度はよりリアルになった
ボロボロになった最強の存在を目にし、シェリアは吸鬼の実力を恐れたのだった
もしこれからそんな連中がこのアリスを襲ったとき、私は彼女を守れるだろうかと不安になったのだった
護衛としてアリスと旅を続けているが、自分の実力に自信がない訳では無かった
そこらの野党やギルドなどに比べれば割と強い方だと自負していたし、事実これまで対人戦で負けたという事は無かった
「うん。確かに、強かったっていうか、こう、私じゃ勝てないなって・・・」
「アリスが気にする必要は無いよ。私でさえ、勝てないよ恐らく。四天王で五分五分か本気を出さないといけないくらい強いのなら、私なんて足下に及べば良い方じゃないかな」
「謙遜することないよシャン!シャンは三人の中で一番強いんだよ!」
「・・・そうですね。頑張って貴方を守れるように精進します」
シャンとアリスは雑談を交わしながら町の外へと出た
ある程度離れた場所でアリスは上空を旋回していたグリフォンに指示を出して降下させる
そんなグリフォンにリュックから干し肉を一つ取り出して食べさせるアリスはグリフォンの黄土色の毛を撫でる
一本一本の毛が太くしっかりとしたその毛が柔らかなアリスの手に触れると、僅かながら柔らかくなったような気がした
「おいしい?」
そう言って毛を撫でるアリスのもう片方の手に持っていた干し肉を嘴をならして狙うグリフォン
「だめだよ~。そんなに食べるとご飯すぐ無くなるじゃない」
アリスはその干し肉を葉でくるんで食材用のリュックへと戻す
悲しそうな声を出して潤んだ瞳でアリスを見つめるグリフォンにアリスはたじろぐ
「しゃ、シャン~」
「はいはい。特にかわいくもないのによく同情できますね・・・ってか言葉分かるんですかこのグリフォン?とても睨まれている気がするんですが・・・」
いくら知性が高いグリフォンとはいえ、流石に習ってもいない人の言葉を理解しているとは思えないが
シャンはその強烈な眼力に後ずさる
と同時に、よくこんな生物をアリスは手名付けられるものだと関心した
アリスにだけは心を許すこのグリフォンもまた、絶対の信頼を寄せているのだろう
私やルオのように
髪を撫でてシャンは風を感じる
町の外は静かで風の音しかしないため、先ほどまでの喧噪が嘘のようだ
町の方角からは人のざわめきや再建の音が聞こえる
「にしても遅いねー」
「そうですね。デブのくせに、いつまで支度に時間を掛けているのですか」
「どうも、こんにちは」
突然声をかけられた二人は後ろを振り返る。するとそこには一人の男が立っていた
ローブを被り、顔は見えないがその風貌から旅の人間という風にも見えた
方向からしてこれから町へ向かうという様子だが、この人間が一体いつからここに居たのかが分からない
先ほど見たときは、見渡す限り誰もいなかったように思うのだが・・・とシャンは首を傾げた
「こんにちはっ!」
元気よく手を挙げてその人間に挨拶をするアリス
それに続いて戸惑うシャンもとりあえずお辞儀をした
「どうも、良い天気ですね」
「そうですねぇ。暑くてローブを脱ぎたくなるくらいだ」
晴天
その言葉がとてもよく合うほどに、空は透き通った色をしていた
「脱いだらどうですか?」
「そうですねぇ・・・そろそろその頃合いですかね」
男はローブを脱ぎ、その顔をシャンとアリスに見せる
「ふぅ、やはり、風にあたると気持ちがいいですね。たまには外に出るのも悪くない」
真っ白な単発が太陽の光を跳ね返す
「・・・?シャン?」
真っ先にシャンの異変にアリスが気がついた
目を見開き、まるで信じられないものを見ているような顔で、シャンは男を見ていた
「!?・・・何故ここに・・・」
「誰か分かった途端にその台詞は無いんじゃない?」
「お、お久しぶりです、頭領!ご無事でしたか!」
シャンはそう言って頭を下げた
「頭領?」
頭の上にはてなマークを浮かべるアリスを余所にシャンはその頭領と呼んだ男に駆け寄った
「無事?」
男はそこで暫し考え、あぁ、そういえばそうだったねと呟いた
「あの後・・・私たちがどれほど辛い思いをしたか」
「すまないね。君たちには面倒なことを押しつけてしまった」
「そんな事無いです!」
叫ぶようにシャンは男に向かって言い放つと、男は目をぱちくりと丸くする
シャンの脳裏には思い出が渦巻いていた
まだ小さな彼女を抱えてルオと森を駆け抜け、気がつけば大陸の北へ北へと逃げていた
いつまでこの逃避行を続ければいいのかと、思う程、長い長い旅だった
大陸を縦に横断し、やっと見つけた北の森に三人で住み始めたあの頃を懐かしむ
緑豊かな森へとルオが樵として働きに出て、森で狩りをして食料を調達する
私は家事をしながらアリスの世話や教育をして小さな小屋で過ごし、生きてきた
彼女が村の祭りで仮面を被りながら同世代の子供達と遊ぶ姿を見て、自分を責めながら生きてきた
いつまで彼女をだまし続ければいいのかと
嘘をついて私が嘘の母親を、ルオが嘘の父親を演じて彼女を育ててきた
ルオとはそんな間柄では無かったが、懸命に彼女を騙し、家族を演じてきた
しかし、いつの間にか当の本人には私たち三人が誰一人として血の繋がっていない嘘の家族だと気がつかれていた
それを知った私とルオは全てを話した
それでも彼女は私たちを家族だと思ってくれた
私たちをお父さんとも、お母さんとも呼ばなくはなってしまったが、それでもそこには不思議な絆というものがあったのだと思う
少なくとも私はそう思っている
偽りが消え、対等になった三人の旅路もしかし、今日限りなのかもしれないとシャンは心の中で覚悟した
なぜなら目の前に居るのはアリスの―――――アリスの―――――――
「ねぇ、その人誰?」
「え?」
シャンはそのアリスの言葉で我に返る
誰?そうか、説明しないといけない
この人が誰なのかを。アリスの何なのかを
「こ、この人は・・・」
つげて、良いのだろう
そうシャンは男に目配せする
男はゆっくりと、頷いた
「この人は、アリスの・・・アリスの・・・・・・・・実の父親だ」
「初めまして、では無いが、君の記憶に私は無いから初めましてで会っていると思う。シャンの言う通り、私は君の父親だ」
「・・・・そうなんだ」
アリスはシャンが思っていたよりも大きな反応を見せなかった
心のどこかで常に覚悟でもしていたというのだろうか?
それにしては唐突な再会に、あまりにもアリスは無表情である
まじまじと男を見上げるアリス
そして呟く
「ずいぶん若いね。お父さん」
あれ?
そこでシャンはふと気がつく
何かがおかしい
私とルオがアリスを連れて逃げ出した時から何年経っている?
あのとき赤ん坊だったアリスは今や立ち、喋り、グリフォンを手懐けるほどにまで成長している
10年は経っている
なのに、私の記憶にあるアリスの父親である男の顔と、今目の前にいるアリスの父親の顔が、あまりに同じすぎる
時でも止まっているかのように、彼の顔が昔のままなのである
面影があるならまだ分かる
しかし、今目の前にいるアリスの父親は、10年という月日を無視したかのような若者なのである
「ははは、君が生まれてからまだ10年しか(・・)経っていないからね」
アリスの父親はニッコリと笑いながらアリスから視線をシャンにうつす
「シャン」
「は、はい!」
「今日まで、長く辛い事をさせてしまった。連絡を取れなかったのも悪かった。本当にすまない。そして―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ありがとうは飛ばして、さようなら」
え・・・・?
何が起こったのか
それを理解するまでにどれほどの時間を要しただろうか
それすらも分からない
何故私の視界は真っ赤なのか
何故私の脇腹から血が流れ出ているのか
何故アリスが叫んでいるのか
何故アリスの父親の右手が私の体を剔っているのか
何もかもが分からない
「なにが・・・・・え・・・・?」
「何が起こったか理解していない、そんな顔をしているねシャン・アルティ。その割にはしっかりと反射で体を僅かにずらしているじゃないか。その反応速度は人間にしては称賛に値するレベルだよ。うん」
「しゃ、しゃんっ!!」
私の服の裾を握り締めるアリスが視界に映った
「でもまぁ、理解する必要は無いんだよね。君の役目はもう終わりさ。これ程に上質な肉体へと成長したのだから研究材料としても良いのだろうけど、人間の体はもう見飽きたからね、別にいいや」
そう言ってアリスの父親はシャンの血で染まった腕を引いた
そこでようやく思考が回復する
あぁ、私――――
膝をつき、虚ろな目でアリスの父親を見上げる
「シャン!シャンッ!!」
「貴方は・・・・本当にアリスの・・・」
血を吐きながらシャンがそう苦しそうに声を出す
そのか細い声が耳に届いたアリスの父親は細い目でシャンを見下ろした
「父親だよ。別に化けたり操られてる訳じゃない。正真正銘、アリスの父親」
「なら・・・何故・・・」
「さっきも言ったと思うけど、もう君は用済み。必要ないんだよ。君はしっかりとアリスを育ててくれた。僕の目に間違いは無かった」
「何を訳の分からない事をいってるんだ!」
そこでアリスが父親に向かって吼えた
アリスにしてみれば訳の分からない事だらけだろう
突如父親が現れ、シャンを傷つけた
シャンにしても、自分が何故こんな事をされているのかが分からなかった
「分かるように言ってるつもりなんだけどな。じゃぁこれを見れば多少は理解できるのかな?」
そう言ってアリスの父親はニッコリ笑いながら腰に手を当て、そしてローブが背中側から盛り上がる
ローブを跳ね上げて現れたのは、二つの黒い翼
その黒い翼をアリスとシャンは少し前に見ていたが故に、言葉を失った
アリスの父親が何者であるかを知ってしまったが故に、目の前の光景を信じることが出来なかったのである
「そう言えばアリスにまだ僕の名前を教えていなかったね」
吸鬼の男はそうニッコリ笑い、自らの名前を明かした
「僕の名前はニール。ニール・メルストン。正真正銘、君の父親さ」
その瞬間、アリスの心が砕けた
目がうつろになり、足下がおぼつかない
そしてぺたんと地面に腰を打ち付ける
「よし、無事精神崩壊も起こしたことだし回収しますか」
「これであんたへの恩は無くなったも同然だな」
ニールは静かに振り向く
其処には槍をニールの首元に突きつけるルオ・カリオンが鬼の形相で立っていた
両手を上げて薄ら笑みを浮かべながらニールはルオが本気である事を確認する
自分を本気で殺す気だと思わせるような強烈な殺気を飛ばしてくるルオはピクリとも槍を動かさない
「しばらく見ないうちにまた太ったんじゃないかい?」
「かもな。旅の途中でいろんな美味い物たらふく食べたからな」
「へぇ、何が美味しかった?僕にも教えてくれよ」
「やだね。あんたへの恩や感謝はもう精算するどころかマイナス突き破って怒りや恨みになってるんでね」
「つれないなぁ。シャンやアリスにケチって言われなかった?」
「デブって言われていたが、まぁ気にはしていなかったな」
「あはは、手厳しいねぇ、シャンは。相も変わらず」
「・・・なんでだ」
「ん?」
「なんでシャンに手を出した!」
「ルオ君?君は先ほどの僕の話を聞いていなかったのかい?最初から説明しないといけない無知なのかい?」
「あの会話から何を察しろってんだ。お前が俺達を何らかの形で利用していた位にしか思わなかったね」
「そうそう。よくできました。君も、シャンも、利用していたよ。そして僕の思惑通り、アリスを立派な人間へと育ててくれた。いや、この場合は吸鬼なのかな?どっちか分かんないしまぁ人間でいいか。そしてこの状況、これこそ僕が作りたかった状況だとなんで気がつかないのかな?」
「この状況を・・・作りたかった?」
ニールは楽しそうに語り始めた
「そう、これもまた過程の一つだが、僕の研究には欠かせない行程なのだよ。発想という開始点から始まり、結果という終着点へとたどり着くためには、その道中を歩かなければならない。まだここは道中。しかし、君とシャンはその道中に出てくる大事な大事な扉の鍵だったんだよねこれが。しかし、鍵は開けてしまえば無用の品。あってもいらない。邪魔なだけ。なら、壊したって別にいいよね」
「いいわけあるかああああああ!!」
ルオが思いっきり槍をニールの喉へと突き出した
吸い込まれるようにしてその槍はニールの残像へと吸い込まれた
「君たちは僕が壊せない扉の鍵だったのさ。その点欠かすことの出来ない存在であった事は認めよう。君たち無しでは彼女の心を壊すことが出来なかった。ありがとう、ルオ・カリオン。そしてシャン・アルティ。彼女を絶望させる事ができる人間に育て上げた君たちに、もう一度心からのお礼を申し上げよう」
「黙れええええええ!!」
再度槍を振るうが、これまた棒が残像を切り裂いただけであった
「この後は僕が彼女を育てよう。父親である私が、アリスを育てるのさ」
そう言ってニールはアリスの片に手を触れる
ピクリとアリスが反応したかのように見えたが、しかしアリスは未だ放心状態のままである
そんな男に向かって再度槍を突く
次の瞬間にはアリスとニールの姿が消えていた
「君たちがもし僕の研究成果を見たいと言うなら、北に向かうといい。そこで僕は最後の実験を行う予定だ。あぁ、君たちは知らなかったね」
突如上からニールの声が聞こえ、上空を見上げる
そこには真っ黒な翼を広げたニール、そしてそのニールに担がれたアリスの姿があった
「僕は研究者だ」
その言葉を残してニールは北の方角へと、アリスを連れ去っていった
その場に残ったのは僅かに意識を保って倒れているシャンと、虚空へ向かって泣き叫び続けるルオの姿だけであった
前話よりも先に出来てしまった作品。こっちはすらすら書けたのに・・・。そしてこれにて間章は終わり。次は第四章です。やっと第四章に入れる・・・一ヶ月か二ヶ月で間章終わらせる予定だったのに、気がつけばもう6月。月日が経つのは早いですね。大事な時間、無駄にしないようにしたいです。
さて、この辺りからちょっとだけまとも(?)な後書き。ネタバレ嫌な方などは飛ばして下って構いません。どうせ大したことは書いて無いのd・・・(殴
この間章は当初予定されていなかったのですが、三章の内容自体予定されていなかったものなので四章とのつなぎとして急遽書くことにしました。必要だったかと言われると必要なかった事を書きつづったような章ですが、時系列的にどうしてもスムーズに四章に入るには必要な気がしたのです。何か天命のようなものが海乃に落ちて書けよ書けよとそんな気がしたのです。話の視点は神原仙、小田原早苗、そしてアリスやシャンたちの3つです。が、短く終わらせたいという気もちが強かった為か少々内容には多少納得の行かない話があります。話の展開的に次の章に関わってくるのは・・・大体分かりますかね。アリスです。次の章は一部のクライマックスにして二部へのつなぎとなる大事な章です。予定としてはいくつかの段落に分かれる予定です。所々伏線も回収していかないといけないので・・・wwプロットとはいえ多少ネタバレですが、次章のキーワードとしては、『蘇リシ太古ノ魔獣』『会議』『作り者の魂』『過去』『古今の異邦者』といった感じの構成になると思われます。吸鬼、魔獣、地球異世界組、四天王、旧神子、各国の主、そしてアリス達など、いろいろと入り乱れてごっちゃごっちゃの話しにならないといいなぁ、なんて脳内の妄想に思いを膨らませながら、あまりネタバレしてもあれなので、どうかこの辺で。烈風のアヤキが続いているのも読んでくださる皆様のおかげ。では第四章、“古今の異邦者”もお楽しみに。それでは