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残菊は彼岸に散った 復讐篇  作者: ドロミズ
第一章・秘密結社日本残菊党
2/3

墓参

挿絵(By みてみん)


「ほら、なにかお話しをしてあげたら」

 隣で合掌している吉岡先生が瞑目したままで言う。

「話、ですか。いや特には何も」

「しばらくはこんな事も出来なくなりますよ」

「あるいはこれで最後かも」

「そうですよ。ほら、何かお喋りなさい」

 言われて、改めて墓碑に目を向ける。

「いや、大丈夫です」

「なにを恥ずかしがってるの?」

 吉岡先生が苦笑している。

「馬鹿みたいじゃないですか。墓に話しかけるなんて」

「誠一郎さんはそういう現実主義的な所がありますね」

「こうして合掌していれば、それでいいでしょう」

「生きてる人間だって、口に出さなきゃ伝わらない事があるんですよ」

「なら、せめて死んだ人間くらいは言わずとも分かってもらいたいもんです」

「本当にいいのかい? 慶子さんが寂しがりゃしませんかね」

「それを恨んで、いっそ枕元にでも立って欲しいくらいですよ」

 人間なんて呆気ないものだ。死んで、骨になって、後にはもう何もない。

 せめて夢の中でくらい、とそう願ってみても、見るのは決まって悪夢ばかりだ。いや、まともに眠った事さえも、この二ヶ月の間は滅多になかった。

「誠一郎さん。わたしは何も、慶子さんだけを気の毒に思ってる訳じゃないんですよ。むしろ心配なのはお前さんだ。

 そうして気を張って生きるのは大事だけれども、仏さんの前でくらい素直になったってバチは当たりませんよ」

 合掌していた手をほどき、吉岡先生が気遣わしげに言う。こういう時の先生の、まるで母親のような諭し方には全く、いつになっても慣れずにいる。

「馬鹿馬鹿しい。墓石に縋り付いておいおい泣けとでも言うんですか? 勘弁して下さい」

「・・・・・・そうですか。なら結構なんですがね」

 ポケットに手を突っ込んでふて腐れてみても、きっとこの人にはお見通しなんだろう。

「そろそろ行きましょうか。タクシーの運転手さんが待ちくたびれてる頃合いだ」

 先生は水桶を手に取るといつもの少し跛を引くような足取りで砂利道を歩き出した。

「先生、俺が持ちます」

 吉岡先生を呼び止め、まだ四分ほど中身の残っている水桶を強引にひったくる。ぼちゃりと跳ねた水が砂利と靴のつま先に引っ掛かった。どうも入れ過ぎたらしい。

「ありがとう」

 別に気にしなさんな、とでも言いたげな顔で先生は微笑んだ。この人はむかし大きな怪我をして以来、右足を悪くしているのだ。とは言っても、歩くにも何するにも、日常これと言って支障はないという。

「ときどきね、筋肉が引き攣るような感じになっちまうんだ。まあ半日も続かないから心配はしないでおくれよ」

 隣を歩く先生の足取りは、端から見れば何も問題とは思えないほど確かなものなのだろう。この些細な変化に気が付けるほどには、この人との付き合いも長くなってきたようだ。

「いい風が吹くねえ。たまにはこんな所でのんびり過ごすのも悪くはない」

「ええ、まったく」

 山上の小さな墓地には、砂利を踏む音と、どこか遠くの空で鳶が一声鳴いたのみの静寂が広がっていて、あとは肌を撫でるような柔らかい風が時折吹いては梢を揺らすだけだった。



 墓守りの婆あに桶を返して車の方へ戻ると、吉岡先生は運転手と遠くの山を眺めて何か談笑している最中だった。

「では、あっちが烏帽子山ですか」

「いや、あれは太郎法師(たろぼし)山だよ。烏帽子山は向こうさね」

「へえ、名前の割に低い山なんですな」

 運転手は煙草を吹かして、車のボンネットに寄りかかった。

「そうさね。確か、元はもっと大きな山だった筈でしたよ。ねえ、誠一郎さん」

「ええ。何だったか、安政の大地震で山体崩壊を起こしたとか聞いてます」

「へえ、地震でねえ・・・・・・」

 運転手は感心したように頷いて、それから大きく伸びをした。

 いま我々の眼前に広がっているのは奥十津野にそびえ立つ奥十津野連山の峰々だ。

 標高二千四百三メートルの御正体ヶ峯(おんしょうたいがみね)を中心にして烏帽子山・鶏冠山・太郎法師山・百舌鳥嶺(もずみね)山・菩提山・法華山の七峰が屏風の如く広がっている。この壮大な光景は十津野市中からでは一部しか望む事ができない。


「まあ、この子ったら。ずっと中にいたの?」

 車のドアを開けた吉岡先生が心底呆れたように言う。

「・・・・・・・・・・・・」

 中では、黒髪のお下げをした小柄な少女がぽつねんと座って文庫本を読んでいた。

「まったく。せっかく遠出してきたんだ。お前さんも少しは外の空気を吸ったらどうなんだい」

「特に興味はありません。それに、せっかくの墓参りに水を差す訳にもいかないでしょう」

 少女は顔を伏せたまま文庫本を捲っている。

「いったい何しに来たのやら・・・・・・。無理について来なくても良かったんですよ」

「ツネ一人だけにする訳にもいきませんよ」

「構うことはないのに」

「私の方もお構いなく。これで結構、気を抜かせてもらってましたから」

「やれやれ、お前さんも心配性だね」

 ため息をついて、吉岡先生が車に乗り込む。

「・・・・・・もう用事は済んだのですか?」

 サスペンションの利いた車の揺れでようやく顔を上げたお下げの少女が、その朱い双眸を俺に向けた。

「あ、ああ。もう大丈夫だ。待たせて済まなかったな、赤目」

「別に退屈はしませんでした」

 ただそれっきりで、彼女は素っ気なく視線を文庫本に戻してしまった。

 この少女は、特徴的な見た目の通りに「赤目」と呼ばれている、吉岡先生の付き人だ。

 何でも先生が大陸へ渡った時に拾った孤児であったというが、素性についてはまだ詳しく聞かせて貰っていない。

「可愛げのない子だろう? こんなんだが、これから仲良くしてやっておくれよ」

「は、はい」

「誠一郎」

 呼ばれて振り向くと、赤目は相変わらず顔を伏せたままで「ネクタイが曲がってます」とつぶやいた。

 確かに愛想のない女の子だが、これで結構気を回す質で、興味なくしている様でいて、その実いろいろなものに注意を向けていたりする。

 会うのはこれで三回目だが、取っ付きにくい所はあるものの苦手な相手ではない。それに――。

「乗らないのですか、誠一郎?」

「ああ、すまん。ありがとう」

 それにこの子は、目を伏せた時の横顔や佇まいが何とはなく、死んだ妹に似ているのだ。

「おいで、誠一郎さん。わたしが直してあげますよ」

「い、いや、このくらい大丈夫です」

 俺はネクタイを直しながら観音開きになっている自動車の中に乗り込んだが、それでも吉岡先生は強引に「ほら、まだちょっと」と俺の襟元に手を伸ばす。

 赤目はそんな俺達にちら、と横目を向けたものの直ぐに興味を失ったようで、さっきから読んでいる漱石の『彼岸過迄』の頁を捲り出した。


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