救いとは知らぬこと
先程まで月を望めていた窓が、今は分厚いシールドが降りきった。テロ活動で発生したデブリ散塊が接近しているからだ。サラザールは帽子をかぶりなおしながら、ベンチに改めて体を沈めた。
場所は宇宙エレベーターから連結されている枝ステーションの一つ、ノルド1。五万トン級の標準的ステーションだ。ノルド1には爆雷攻撃によるデブリ攻撃システムも、対デブリシールドも備えられている。しかしそれは完備された高確率で攻撃を無力化できるシステムであるということを意味してはいない。寧ろ、最適な自爆点でのデブリ散塊の展開を許せば、高確率で破壊されるのはノルド1だ。
ノルド1は混乱の極致にあった。取り残された客が、ノルド1から脱出しようと『全てが終わるまで絶対に開かない』ロックされた気密門に殺到しては叩いていた。
無駄なことを、とサラザールは冷たい視線を外した。
混乱する中で、騒動から残されている人間が目についた。若い者の体力についていけないのか、あるいは達観した心を持ってしまったか。無理を押してまでノルド1から脱出しようと動かない連中だ。
サラザールの目に、老婆の姿が引っかかった。サラザールの老婆に少しだけ似ていた。
「婆さん、死に場所を見つけたか」
「ふん。死ぬなら醜態を晒さず死ぬよ」
口の悪い老婆だ。
「ジオテロリストて奴かい。迷惑な連中だ」
「婆さんの時代は、ジオテロリストの理想的な時代らしいが」
「失礼な。私の祖父母連中の時代だよ。便利な道具なんて幾らでも転がってたさ。機械なんてものは、寧ろもっと便利になって欲しかった」
高度な科学力がなければ、今の地球は現段階での人類には生存が厳しい環境だ。食料の一つ、水の一滴に至るまで科学を通さないと死に繋がる。だがそれこそが、逸している延命処置としてジオテロリストに狙われた。不必要性では宇宙エレベーターも同じだ。母なる星をでてどこに行くのだ?どこにも行かせない、母と共に死のうがジオテロリストだ。
「でも地球が、ここまで悪くなるとは考えなかったよ」
「婆さんの時代からもう、異常気象が多発していたのにか?」
「そうだよ。地球がおかしくなってるてのは知ってたけど、まっ、大丈夫だろうて思うよりも、考えもしなかった。地球が住めなくなるかもしれないなんてね。変わらない明日てやつを信じてたのさ」
サラザールは、顎をさすった。
「他人事だったのか」
「そうだね。でもあの時代でも、地球のことを考えている人間なんてほとんどいなかっただろうね。営利組織が金をせしめる為に環境保護活動を派手にやっていたが、それくらいだった。金を考える活動だけはあって、声もあったけど、具体的な地球を救う活動は大したことないものばかりだ。そりゃそうさ、ボランティア以上は何もなかったからね」
「ゴリラの保護、森の保護、クジラの保護はあっても、地球そのものに対する保護活動は何もなかったわけか」
「そも、地球という目線に立っている人間を知りもしなかったし、声を聞いたこともない」
悲しいことだ。
「兵隊さんは、こんなところでのんびりしていいのかい?」
サラザールは肩をすくめた。彼の制服と勲章を見れば、知っているものはすぐに軍人と気がつけただろう。それでもサラザールはわずかな可能性として、老婆が彼を軍人と知らないことに賭けたかった。
「おっと、警戒が解除されるぞ」
サラザールが言ったとおり、ノルド1の非常隔離は解除され、押しとどめられていた者たちが我先にと外に飛び出していった。あっという間だ。
「よくわかったね」
「軍人だよ」
サラザールは頭を指で叩く。
ジオテロリストの自爆攻撃が発生させたデブリ散塊は全て撃破したのだろう。成功したから、サラザールはまだ生きていた。失敗していたなら死んでいた。
サラザールは……戦いの激化を肌で感じていた。




