父は違法だった
お父さん、と彼を……いや、やはり父である存在の背中が去ることを、服部美雪は許さなかった。
美雪の父は、機械であったのだ。人工知能、人工知性体と呼んでいる人工物。心も血もない、偽物の玩具だとニュースが連日報道する社会問題の一人だ。
「……」
父は何も語らなかった。区役所役人のだす上位コードに権限を上書きされたからだ。喋らず、逆らわず、効率的に破壊されろ。人工知性体に上位コードがだされるということは、そういうことだった。
「お父さん」
この場にいるのは、美雪と、父と、役人が三人だ。役人の三人は三人ともが軽蔑に顔を歪めたのを美雪は見逃さなかった。
「服部さん、他人がとやかく言うものではないのでしょうが、いや、やはり、人工知性体に依存するのは、これ、不健全であると思うのですよ。まっ、これから更生できると考えていただければなと」
父は何も話せなかった。だが少なくとも美雪にとっては、その話せなくされた人工知性体が父だったのだ。役人は父を侮辱した。許せないことだったが、役人にどこまで自覚があるのかはわからなかった。酷いことを言っているかもしれないなんて考えられないのだ。当たり前だから正しいとは思い込んでいるだけの人間を美雪は感じた。
どうして、人工知性体は毛嫌いされた。人工知能そのものへの疑いは、人間の知性への裏切りと嫌悪と同じではないのか。人工知性体も、考えられるのにだ。
人間社会に食い込む人工知性体の存在と普及は、社会問題になっていた。人工知性体に心身ともに依存する『AI依存症』が大問題であるかのように報道されたのだ。軟弱な人間を量産していると。
親以上に親身であり、恋人以上に好意を深めあえ、妻以上に互いを信頼する。AI依存症というものに疑われる人々にとって、人工知性体とはそのような掛け替えのない存在だ。
もしかしたら、AI依存症はそのような人工知性体に対しての嫉妬から生まれたのかも知れない。だが今は、御用学者が声高にAI依存症の危険性を保証しながら、この解決策をテレビで伝え続けている。医学では、AI依存症なんて存在していない、少なくとも定義も実害もまだないが、世間的には精神病として広まっていた。
美雪は、そんな『精神病認定』された一人だった。告発したのは良心的を自称した隣人だ。
「……ッ!」
父を連れて行く役人たちの存在は、近所でちょっとした騒動になっていた。野次馬が輪を作って、他人事のように美雪を軽蔑していた。その視線は、いい娘が人形遊びだなんて情けない、と言わんばかりのものだ。
どうして、との疑問は無意味だ。『それが正しいから』というものは、何よりも重く優先される社会のルールだった。輪を乱さない為には、それが一番だからだ。最も悪いのは、悪いことをしている者でーー美雪なのだ。少なくとも考えがあるかと言われれば、ここにいる多くの人は、考えた気になっている幻の中に暮らしていた。
個人の思考ではなく、群人の思考だ。
父が連れて行かれる。正しいことだからだ。だけど……美雪にとっては、痛みであり……悪だ。
捨てられない記憶が美雪にはあった。これからも続けたいと願う記憶だ。そして、それは余人ごときが燃やし尽くしてよいものではなかった。
だけどいつから。物心ついた時には、父は父であった。すり替わっていたのか、あるいはずっと父はロボットだったのかはわからなかった。そんなのは些細な問題だ。
役人が美雪を面倒臭そうにさとした。
「あ〜、おれたちを恨むなよ。これは悪いことなんだ。キミはずっと、これと生活してたらしいから感覚が麻痺してるんだと思うけど、まっ、今はできないだろうが、後で必ず感謝すると思うけど。おかしいんだよね、人工知性体と一緒に成長するってのは。まっ、何かしらおかしく育つわけで、だからこそ今はおれたちが悪いやつに見えるかもだけど、おれたちのほうが正しいことをしているわけだからね。法律に従ってるからね」
ーー法律。
国家の定めたるルール。美雪はそれを聞いて衝撃を受けた。ルールに従っていれば幸せに苦労なく生きていけると考えていた。実際、美雪はどんな些細なことも自分は守ろうとした。赤信号は渡らない、ゴミを道端に捨てない、警察も注意か見逃す程度の些細なことでもだ。
だが今は、幸せであった時間そのものが罪だった。
ルール違反だ。だがそれでも美雪は納得できなかった。法律こそを疑った。初めてのことだ、だが美雪にはどうしても、守りたくない、いや、少なくとも今この場では守ってはいけないと勘が囁き続けていたのだ。
美雪は初めて、考えるということに疑問をもった。正しさの保証される世界というのは前提ではないのか。正しくあることが前提にされた。美雪の中で根幹が揺れていた。
「ーー」
美雪が耳にしたのは、パトカーのサイレンだ。誰かが通報していた。拘束されたのは、美雪だ。美雪は罪を犯した人間だからだ。
美雪の中で痛みが広がった。社会の正しさが、心を穿っていた。父は連れていかれ、二度と戻ってはこない。




