宇宙への高い一歩
ーー高いなぁ。
宇宙まで続いてる宇宙エレベーターを見上げて、八島は目を細めた。雲を貫き、地球をひょいと飛び越えて宇宙を跨ぐ宇宙エレベーターの存在は、宇宙というものを隣近所にしたのかも知れない。隣国に行くよりは手軽で、隣町感覚ではあるのだ。一世代前なら、宇宙と言えばロケットが必要だった。それに比べれば、エレベーター一本で何でも宇宙に持ち込めるのは、身近ではあるのだろう。
しかし、八島はそんな身近の筈の宇宙が昔から何よりも、やっぱり遠い世界に感じた。暑い夏の日差しを遮断してくれる断熱ガラス越しにそびえ立つ宇宙エレベーターは、八島にとって縁も関わりも無さすぎる建築物だ。
八島は着ていた学ランを脱ぎ、椅子の背もたれにかけた。どこかの窓が開いているのか、蝉の鳴き声が騒がしい。教師が団扇を片手にもうじき教壇に立つだろうが、それまで教室は世間話で賑やかさを花開いた。
どうして遠いのだろうか?
八島はぼんやりとする頭の中で、その理由を宇宙エレベーターを眺めながら考えた。宇宙エレベーターに行くまでは、そう難しくない。自転車でも、何時間かこぎ続ければ入り口まではすぐだ。売店に、宇宙エレベーターお土産を買えるし、宇宙エレベーター記念の顔出し看板で写真だって撮れる。
だけど、宇宙エレベーターに乗ることは、できないのだ。宇宙への切符に手を伸ばそうと思えば、ちょっと無茶すれば手に入れられる。ただやはり宇宙エレベーターを動かすのは、普通の家庭では高すぎるし、もっぱら国の大型トレーラーやコンテナが何十トンものあれこれを積み込むのを見られるだけど。
誰もが宇宙に行ける時代!
そんなものは一番初めの宇宙エレベーターが完成して、その宇宙エレベーターを利用して何十本ものさらなる宇宙エレベーターが、さらにさらに宇宙エレベーター同士を横に繋ぐネットワークが進みつつある今でも、誰もが宇宙に行けるわけではなかった。
いや、宇宙エレベーター一回に五〇万円を払えれば誰でも宇宙には行けるんだ。五〇万円、宇宙行きのお金は、アルバイトと学業の両立の中では難しかった。
「それでさー」
宇宙への入り口は遠くないけど、遠い。そもそも誰も宇宙を考えてはいなかった。宇宙とはくだらない話しなのだ。今盛り上がってる話題は、コンタクトタイプの液体コンピュータだ。何でも、目薬のように目にさすだけで、ヘルメットマウントディスプレイのような真似ができるらしい。宇宙よりもずっと重要な話題だ。
宇宙は昔よりも行きやすくなっていたが、相変わらずの遠い世界なのだ。遠い、と言うよりは『関係のない世界』だ。宇宙に何があるかって、環境負荷の高い工場などの施設がある。あと、研究所とか、望遠鏡と、各国の宇宙艦隊用の軍港とか。でも、それだけだ。
どうして、宇宙に行くんだ?その質問に宇宙が好きだから、と答えられるのは山登りの趣味人みたいな人間だけだ。
宇宙にあるのは、政治家や国家にとっては大切なものばかりなのだろう。だけど普通の、八島には魅力がないものばかりだ。
宇宙はもっと、わくわくするものだと思っていた。物心がついたばかりの頃、父が興奮したように宇宙時代がくる!と鼻を荒くしていたのを八島は印象深く覚えていた。父が死んで、父の見れなかった宇宙時代を絶対に見ようと思う程度にはだ。
現実は、宇宙の実感なんて欠片もないものだった。SF小説は、とても上手く宇宙の魅力を大衆に騙せてたんだなと感じた。
「うーす、席につけお前らー」
やる気のない教師が、予想通りの団扇姿で教室に乗り込んできた。
「じゃ、前々から言ってた進路表だせー。後ろの席のやつ、回収してくれ。ほら、さっさと進路表をだした、だした」
今日は、進路表を提出する日だ。八島も進路表をだすが、その紙は白紙のままだった。筆箱からボールペンを取りだして適当に、先生受けがよさそうなものを書いた。進路表に書いたのは、可もなく不可もない、大卒主義の社会でも今から狙い易い企業への就職だ。
最後列の人が、八島の書いた進路表を持っていこうとした。女の子だ。三つ編みで丸い眼鏡、スカートは膝下というどこかレトロな娘だった。
最後列ということは、進路表は一番下にあった。彼女の進路表には、『航空宇宙士官』とあった。八島は少しだけ笑ってしまった。それは、宇宙の仕事だ。
「あの……」
最後列の人は、進路表を集められなくて困っていた。八島は「ちょっと待って」と自分の進路表に横線を引き、新しく書き殴った。
ーー航空宇宙士官。
宇宙は相変わらずの遠い世界だ。だから自分から会いにいこう。宇宙には本当に何もないのか、それを確かめる為に行くんだ。昔から、数多くの宇宙飛行士がそうだったように。




