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◇5

 晩飯が終わって、俺は四番目に風呂に入った。時短だと言っていつも母ちゃんによってアツムが放り込まれる。


 水回りは何年か前にリフォームしたから、古民家にしては綺麗な方だ。まあまあ広いから二人でもいいんだけれど、アツムがシャンプーの泡が残ったまま湯船に浸かろうとするのを俺がいつも防止する。このために母ちゃんは俺と被せてくるんじゃないかと思う。


 さっぱりして風呂から上がり、嫌がるアツムの髪の毛も乾かして、それからようやく自分の時間だ。

 ふぁ、とあくびをして自分の部屋に行く際、縁側を通る。


 すると、そこにはじいちゃんがいた。ぼんやりと暗い縁側で空を見上げている。

 雨の夜空は暗いばかりで星も月もない。そんなの眺めていても仕方ないのにな。


「じいちゃん、おやすみ」


 声をかけてみると、じいちゃんはゆっくりと首を俺に向けた。


「ああ、カケルか。おやすみ」


 そう言ってうなずいていたけれど、俺は何となく訊ねた。


「空に何かあるのか? 明日の天気でも見てた?」


 じいちゃんはかすれた声をかすかに立てて笑った。


「まあ、そんなところだ」


 じいちゃんは村長だし、何かと心配事もあるんだろう。のんびりしているのかと思えば、妙に忙しく動いていることもある。

 無理は利かない年なんだから……なんて言うと怒られる。でも、長生きしてほしいと思うから、無理はよくない。




 自分の時間。

 テレビを観るには居間まで行かなきゃいけない上に、そもそもチャンネル権が勝ち取れない。よって俺はあまりテレビに興味はない。


 寝る前に少しスマホでもいじってゲームをするか、漫画でも読むか。そんなことを考えながら部屋の襖を開いた。和室なんだけど、ベッドを置いてある。あとは机と本棚。


 俺はベッドを背もたれにして畳の上に座った。そうして、カバンからスマホを取り出し、ゲームを始めた。お手軽な冒険だ。

 でも、敵と戦っている最中、不覚にも俺は睡魔に襲われた。単調な操作は眠気を誘う。ゲームの敵は倒せても、この魔物に俺の意識は食われてしまった。


 夕方にうたた寝したのに、おかしい。ってか、少し余分に寝ると余計に眠くなるパターンってなんだろうな。

 そんなことを考えながら、俺はベッドに入ればいいものを畳の上に転がって寝た。


 この季節だから風邪はひかないだろうし、畳って気持ちがいいから――

 そこで俺の意識はプツリと切れた。






「ねえ、カケルちゃん、カケルちゃん」


「なんだよ?」


「これ見て」


「うん?」


「これ、カエルにそっくりじゃない?」


「そだな。どう見てもカエルだ。誰かの忘れ物かなぁ?」


「こんな橋の下にカエルの置物なんて忘れる?」


「よっ! うわ、すんごい重い! 動かせない。おとなでもムリじゃないか?」


「じゃあ、忘れものじゃないよ。最初からここにあったんだよ」


「カエルの置物が? お地蔵さんならわかるけど……」


「カエルのお地蔵さんなんじゃない?」


「そんなのアリ?」


「キツネとかイヌとか、ウシとか、神社によくあるじゃない。カエルもあるんだよ」


「あれってお地蔵さんなのか?」


「あ、見てカケルちゃん。このカエルの置物、後ろ足が変わってる」


「ほんとだ。オタマジャクシのままみたいな……」


「後ろ足が一本だけ」


「作った人が間違えたのかな?」


「変わったお地蔵さんだね」


「うん……お地蔵さん、なのか?」






 ハッと、朝になって目が覚めた。スマホのアラームが鳴るよりも先に起きるなんて、珍しいこともあるもんだと自分でも思う。


 頭を掻きつつ体を起こす。寝覚めは悪くない。

 昨晩の夢をぼんやりと思い出した。

 あれは――夢じゃない。


 昔、アキと遊んでいた時のことだ。ずっと忘れていたけれど、どういうわけだか、今になって思い出した。

 井鳥川にかかる橋の下の、いつも陰になった真下の部分にカエルの形をした石像があったんだ。

 そこにあった岩がたまたま蛙の形に似ているとか、そんなレベルじゃない。本当の蛙が石になったってくらい、蛙そのものに見えた。


 ただし、どうしてだか後ろ足だけが変で、足が一本しかなかった。オタマジャクシの尻尾みたいに一本だけ足がある。

 大きさは猫くらいあったと思う。重たくて、子供の俺には少しも動かせなかった。今ならちょっとくらい持ち上げることができるかも。


 そうだ、あの地蔵みたいな蛙を見つけて、それからしばらくは珍しくて毎日眺めていたけれど、子供だからすぐに飽きて生きている川の生物に夢中だった。だからすっかり忘れていたのに、どういうわけだか今頃……

 夜になってカエルの鳴き声がゲコゲコうるさかったからかな?


 ふわふわした気持ちのまま、俺は起き上がった。Tシャツの裾をパタパタと動かして湿っぽい空気を肌から遠ざけつつ廊下を歩く。

 こんなに朝早く起きることなんて稀だから、母ちゃんにびっくりされた。


「カケル? え? カケルが一番なの?」


 手にした菜箸を落とした。そんなに衝撃的なのか。


「おはよう」

「どこか痛いの?」


 意味がわかりません。


「なんで?」

「どこも悪くないのに、起きたの?」


 腹が痛いとか言ってあげた方が母ちゃんは安心するのか?

 俺が早起きするなんてことが年に一度、あるかないかだってことくらい、俺も知っているけれど。


「体調は良好。早起きは三文の得。清々しい朝だなぁ」

「それならいつも早く起きなさいよ」


 そ、それは無理。

 母ちゃんは落とした菜箸を拾い、洗い場に浸けて新しい箸を手に取った。そうして、弁当に昨日の残りのひじきの煮物を詰めながら窓に目をやった。


「あら、カケルが早起きするもんだから、梅雨なのに雨が上がったわ」

「それ、俺の早起きと関係あるの?」


 思わず言うと、母ちゃんは笑いながら鼻歌を歌い出した。

 もういいや、顔洗ってこよう。




 で、俺が朝からシャキッとして身支度もちゃんと整えて食卓にいることに家族一同が目を疑っていた。アツムまで目を擦っている。……ちょっと殴りたい。


「カケルにいちゃんの時計、壊れて早くなってたの?」

「壊れてない」

「じゃあなんで起きたの?」

「なんでもクソもあるか」


 しつこいアツムに顔をしかめると、姉貴まで微妙な顔をした。


「あんた本物のカケル? それともカケルに化けたタヌキ?」

「なんでちょっと早起きしたくらいで俺はこんなこと言われるんだ?」


 この家は間違っている。俺の扱いがおかしい。俺にだってそんな時くらいあるんだって。


「キツネよりタヌキだよな、絶対」


 兄貴までひどい。


「もしくは、これはカケルの生霊で、カケルの本体ははまだ寝てるのかもしれない」

「あーっ! もういいっての!」


 しつこい。本当にしつこい。

 親父は食卓でぼーっとしていた。多分、俺たちの会話なんて聞いていない。そして、俺が早く起きたことにも気づいていない。そう、低血圧だ。俺がその血を引いたんじゃないだろうか。


 しかし、それが遅刻の理由にはならない。なんとかして毎朝遅刻のない程度に起きているけれど、スイッチが入るのはどうにも遅い。

 じいちゃんは逆に朝から元気だ。


「そうか、早起きすると気持ちがいいだろう?」

「う、うん」


 じいちゃんは俺よりも早く起きていた。朝から神棚を拝んでから整えて、体操して、神社に参って――じいちゃんは朝が一番忙しい。そのじいちゃんが戻ってきてようやく朝食だ。


 なめこの味噌汁、目玉焼き、塩鮭、ししゃも、ウインナー、ほうれん草とベーコンのソテー、キュウリの浅漬け、朝から母ちゃんは色々出してくれる。でも、いつもは時間がなくてあんまり味わわずに掻っ込んでいる。今日くらいはゆっくり噛み締めよう。




 ――なんて考えているから、結局のところ家を出るのはギリギリ。

 おかしいな? 早起きしたはずなのに、なんで俺は走ってバス停に向かっているんだろう?


 その疑問を突き詰めて考える間もなく、俺は走った。今日はアキの姿も見なかった。息を切らせてバスに飛び乗った俺に、園田のばあちゃんが笑いながら言った。


「おや、カケルちゃん、今日も朝寝坊かい?」

「違うし!」


 でも、俺のそのひと言に説得力がまるでなかったことは火を見るよりも明らかってヤツだった。




 結局、朝の清々しさを味わったような、慌ただしさを味わったような一日のスタートになったけれど、バスに揺られて学校に向かうのは同じだ。教室に入ってすぐ、場違いなくらいに静かなトノが本を読んでいた。こいつはいつも変わらないな。


「おはよ、トノ」

「うん、おはよう」


 俺の方を向きもしないで答えた。一度、本を取り上げて窓から放り投げてやりたいような気持ちになるけれど、それをしたら多分友情が終わる。許してくれなさそうだ。


 こんなに本ばっかり読んでいるから、トノは頭でっかちなんだ。小難しい考え方をするし、並の大人よりも博識なんじゃないかと思う。扱いにくい子供だな。


 そこでふと、俺はそんなトノに訊ねてみたくなった。もしかすると、トノなら何か知っているんじゃないかって。


「なあ、トノ」

「うん?」

「蛙の足が三本ってなんだと思う?」


 夢に見た、蛙の石像。あの三本足の意味を疑問に思った。子供の頃のようにただの失敗作で片づけるのもスッキリしない。

 俺の、なぞなぞみたいな問いかけに、トノは少しだけ興味を持った様子だった。手元の文庫本を閉じる。


「なんだ、急に?」

「いや、ちょっと昔そういうのを見たなって思い出してさ……」


 トノは小さく何度かうなずいてみせた。いっぱいに詰まった頭の引き出しから答えを探すようにして。

 そうして、ぽつりと言った。


「三本足の蛙は神様だ」

「へ?」

「青い蛙って書いて、青蛙せいあっていう神様だよ」


 神様って、もっとこう神々しいものじゃないのか?

 蛙って……ピンとこない。

 多分の俺の顔にそれが出ていたんだと思う。トノは眼鏡を押し上げて続けた。


岡本おかもと綺堂きどう先生の作品に『青蛙堂鬼談』ってのがあるんだけど、青蛙は三本足だって書いてあった」


 岡本綺堂って作家を俺はよく知らないけれど、それはファンタジーな存在なんだろうか。


「それ、その作家が作ったキャラクターってこと?」

「いや、そういうわけじゃない。もともとは中国がルーツらしいけど。金華将軍とか呼ばれたりもする。酒と一緒に祀ると青から黄、赤に色が変わって――とか、そんな内容だったな」

「それ、実はカメレオンでしたってオチじゃないよな?」

「そんな内容だったら、さすがに僕も本を投げただろうな」


 まあ、文豪が書くオチじゃないか。


「ついでに言うと、古事記にも多邇具久たにぐくって蛙の神様が出てくる。蛙の神様は他にもいるんだ」

「ふぅん」


 サラッと古事記とか語る高校生。トノは変わっている。おかげで助かるんだけれど。


 ――それにしても、蛙の神様か。

 あの蛙の石像は神様だった。あんなところに寂しく置かれていて、なんとなく申し訳ない。


 今日の帰りにでもちょっと覗いてこようかな。あれから七年くらい経つけれど、まだあるのかな――?


岡本綺堂(おかもと きどう、1872年11月15日(明治5年10月15日) - 1939年(昭和14年)3月1日)

※Wikipedia、コトバンクより

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