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蛙の神様  作者: 五十鈴 りく


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22/30

◇21

 その次の土曜日は朝から雨が降り続いていた。

 特別な用事があるわけじゃない。テストも近いし予習復習でもしていたらいいんだろうけれど、そういうの、好きじゃない。好きじゃなくても勉強はしろって兄貴には突っ込まれた。


 ちょっとだけ机に向って、そうしたら疲れてスマホばっかり気になった。アキからの返信がまだない。これじゃあ勉強がはかどらないのがアキのせいみたいだ。


 俺はベッドの上にスマホを放り、そうしてまた机に向かう。でもやっぱり十分くらいで嫌になった。気分転換に散歩へ行こうと思う。雨だけれど。


「ちょっと散歩してくる」


 母ちゃんにそう告げて、スニーカーを引っかけ、俺は傘を差して外に出た。

 傘を差すと、太鼓を優しくつつくようなくすぐったい音がする。雨脚によってはそんな優雅なことも言っていられないんだけれど。


 傘の下から、ぼんやりと村を眺めながら土手を行く。雨が心地いいのか、ゲコゲコと蛙の声がした。


 ……蛙。

 そうだ、蛙の神様のところへ行こう。困った時の神頼みばっかりで悪いけれど。

 そうして俺は石段を下り、橋の下へやってきた。そこにはいつもと変わりなく三本足の蛙の神様がいるはずで――


「あれ?」


 確かにそこにいる。それは間違いない。

 間違いないんだけれど、何かが違う。俺は蛙の神様に近づいた。

 俺がこの間置いたぐい吞みがある。その奥の蛙の神様は、いつもなら石なんだから灰色をしている。それがこの日はほんのり色づいて見えた。


 勉強をしすぎた俺の目が疲れているのかと、何度か目を擦ったけれど、やっぱり蛙の神様はうっすらとオレンジに見える。それこそ、夕日に照らされたみたいに。

 でもこの雨の中、そんなわけがない。


「なんでだ?」


 誰かが塗った? でも、蛙なんだから塗るなら緑とか茶色がせいぜいだと思う。


 よくわからない。それでも、供えたぐい吞みの日本酒がなくなっている。これも誰かが蹴飛ばしたりして零したのかな? それでぐい吞みだけ直したのかも。

 これじゃあ、蛙の神様が酒を飲んで酔っ払ったみたいだって、少し可笑しくなった。そう考えたら、今にも蛙の神様がゲップでもしそうだ。


 俺はまた蛙の神様に手を合わせた。棚田村と疋田村の人たちが仲良くなりますように――って。

 そういう願い事はやめろって思っているかな。


 でも、早くアキからの返信が来ますようにって願うのもどうかなって。そこはじっくり待たないといけないんだと思うから。

 そうして、気分転換の散歩を終えて俺は土手に上がった。雨はやまなくて、今日は一日降り続くのかもしれない。


 なんとなく、土手から川を眺めた。いつもの雨の日と同じく水嵩が少し増えている。あんまり川辺まで下りるのはよくない。


 土手を歩いていると、ずっと向こうの方に二つ仲良く並んだ傘があった。あれは子供用の小さな傘。黄色と、黄緑。……あの黄緑の傘、アツムのと同じだ。あれはアツムか?


 紺色の長靴もアツムのものに見える。そうすると、隣の子は誰だろう。園田ばあちゃんの孫の茉優まゆか? 棚田村は子供が少ないから、アツムとそう変わらない背丈だとそれくらいしか思いつかない。疋田村も子供は少ないみたいだけれど。


 兄貴が帰ってきている時に遊びに出るなんて珍しい。先に約束していたのかもしれないな。

 そんなことを考えながら俺は家に戻った。勉強は多分、はかどらないだろうけれど。




 その晩、テレビのチャンネルを変えた途端、速報が流れた。


「大雨警報発令だって……」


 姉貴が不安そうに眉を寄せた。


「今晩から雨脚が強まるみたい。この辺りも含まれているわね」


 母ちゃんもエプロンで手を拭きながらテレビのそばに寄ってくる。


「明日帰ろうと思ってたんだけどな、電車動くかな?」


 コーヒーを飲みながら参考書を開いていた兄貴もテレビの情報を気にし出した。


「こういう時は仕方がないだろう。無理をして何かあってもいけない」


 親父に言われ、兄貴はうん、とうなずいたけれど、極力帰りたいんだろうなって顔を見たらわかった。

 トイレから戻ってきたアツムはよくわかっていない。


「どーしたのー?」


 能天気にそんなことを言っている。そんなアツムに、母ちゃんは言い聞かせる。


「明日は日曜日だけど、雨がひどいんですって。だからアツムも外に出ちゃ駄目よ」

「えー!」


 子供のアツムにとって、外出禁止は拷問だろう。アツムは、トノみたいな特殊な子供じゃない。


「避難まではしなくても大丈夫でしょうけど」


 姉貴はスマホで素早く状況を調べながら言った。


「ほんと、嫌ねぇ……」


 母ちゃんがため息交じりに言う。


「やだーやだー!」


 アツムもぼやいたけれど、それで雨がやむわけじゃない。

 かといって、ご利益のあるてるてる坊主の制作が難しいことだけを俺は知っている。


 俺はふと、じいちゃんがいないことに気づいた。こんな雨の日でも変わらず縁側で晩酌をしているんだろう。


 どういうわけか俺は妙に気になって、居間を抜けると縁側の方へ向かった。そうしたら、やっぱりじいちゃんはそこにいた。濡れるギリギリのところで座っていて、部屋に入ればいいのに縁側で、庇から落ちる雨を感じているみたいだった。酒はいうほど飲んでいなくて、ただじぃっと空を見上げている。


「……大雨警報出てるよ。閉めた方がいいんじゃないか?」


 俺がじいちゃんの背中に声をかけると、じいちゃんはゆっくりと振り向いた。


「そうだな。もう閉めよう」


 じいちゃんは俺が声をかけたのを区切りにして、雨戸までちゃんと閉めて部屋の中に入った。そうしたら特に薄暗いから、俺は電気をつけた。その間も、雨のザーザーいう音がよく響いた。

 じいちゃんが俺を見ていて、俺はなんとなく目をそらした。そんな俺に、じいちゃんは言う。


「この辺りは雨が多い地域だ。梅雨の時分はいつも安心できんな」

「うん……」


 それでじいちゃんはよく縁側で空を見ているのかな。

 じいちゃんは続けて俺に何かを言いかけたけれど、結局何も言わずに苦笑したみたいに見えた。まあ、色々と言いたいことはあるんだろうけれど……

 そうしてその日、夜通し雨は降り続いた。




 翌朝になって、雨は一時小康状態になったかと思うと、またひどく降り始める。せっかくの日曜日なのに外には出られない。


 仕方がないから兄弟四人そろってテレビゲームをした。終わったら勉強しろと言われたけれど、こう四人そろってってのは兄貴が大学に入ってからはめったにない。

 四人が入り乱れてプレイするんだけれど、兄貴がやっぱり上手くて、姉貴が一番ヘタ。だから兄貴の動かすキャラクターが俺の姉貴への攻撃を庇っている。


「あ、ずりぃな!」

「お兄ちゃんはあたしの味方なのよ」


 なんて、姉貴は勝ち誇ったようなことを言う。


「アツム、加勢しろよ!」

「えー、僕、高いよ?」

「お前な!」


 そんなやり取りに笑いが零れる。俺もなんか久し振りに何も気にせずに笑った気がする。

 この雨に感謝かな……なんてことを少し思った。


 でも、そんな悠長なことを言っている場合じゃなかったんだ。そのことに、この段階ではまだ気づけなかった。

 異変に気づいたのは、そのゲームが終わって、勉強しなさいって母ちゃんに部屋へ追い立てられてしばらくたってからのことだ。


 いつものごとく集中力のない俺は、机に座っているだけのことだった。足をブラブラとさせていると、不意に部屋の戸が開いた。

 戸を開けたのは兄貴だった。


「カケル、アツムを知らないか?」

「アツム? こっちには来てないけど?」


 兄貴はうーん、とちょっと唸った。でも、ちょっと見当たらないだけで捜すのもどうなんだろう。一人にしてほしい時ってあるだろうに。例えば――


「トイレで気張ってんじゃねぇの?」

「トイレはいなかった」

「蔵の中で昼寝とか」

「蔵も見た」


 兄貴って心配性だな。普段、家から離れて余計にそうなったのかな。

 俺がそんなふうに考えたせいか、兄貴はぽつりと言った。


「ちょっと嫌な予感がしたというか……。雨もひどいし、外には行くなって言われたはずなんだけどな」


 外? まさか出ないだろうと思うけれど……

 子供っぽくても、小学校一年生だ。言い聞かされてわからない年じゃない。


 でも、ふと昨日見た光景を思い起こした。アツムと、もう一人。二人仲良く並んで歩く。

 昨日、明日も遊ぼうって約束をして、その約束通り遊びに行った?


「そういえば昨日、アツムが子供と一緒に歩いていた。傘を差していたから、顔とかよく見てないけど、あれくらいの年だと園田のマユくらいしか思い浮かばないな」

「園田さんの?」


 兄貴は少し考えて、それから言った。


「もう一度軽く表を見てきて、それでも見当たらないようなら電話してみようか?」

「うん。母ちゃんたちはどうしてる?」

「じいちゃんと親父は一応、村のあちこちを様子を見に行ってる。必要があれば避難させるって。母ちゃんとヒカルは台所にいる」


 じいちゃんはまだ元気だし、村長だから責任もある。親父もじいちゃんが行くのに家でのんびりしているわけにはいかないんだ。


「じゃあ、ちょっと外を見てくる」

「俺も行くから!」


 兄貴の後ろに俺も続いた。

 玄関に来ると、アツムの傘と長靴はなかった。やっぱり外へ出たのか?


 雨の音がうるさいから、小さな物音くらいは聞き逃す。アツムも音を立てないようにして出ていったのかもしれない。

 兄貴も俺と同じところに気づいた。


「アツムの長靴、ないよな?」

「うん。傘もない」

「やっぱり……」


 俺と兄貴は連れ立って外に出る。傘は雨を受けて重たいばかりだった。ちょっと外に出ただけでスニーカーはすぐに水を吸ってぐちょぐちょだ。でも、長靴とか出すのも面倒だからもういいや。

 ドドド、と雨の音が傘に当たってうるさい。耳がおかしくなる。


「アツムー」


 軽く呼びかけてみた。玄関からぐるりと庭先へ回る。でも、アツムはいない。

 手のかかるヤツだな。ああいう年頃って、なんでやるなって言われたことをやるんだかな。……お前も同じだって母ちゃんには言われるかもしれないけれど。


 庭の木々が可哀想なくらい雨に打たれている。俺はそれを横目に玄関先に戻った。兄貴は通りまで出てアツムを捜している。

 でも、見当たらなかったみたいですぐに戻ってきた。傘から滑り落ちる雨の量がさっきより増えたように見えた。


「いない?」


 俺が訊ねると、兄貴はうなずいた。


「園田さんの家に電話してみる」

「……じゃあ、俺はもうちょっと表を捜してる」

「ああ、頼む」


 そう言って、兄貴は家に戻った。

 ポツリ、と雨の中で一人。兄貴が家に戻る背中を見送ってから、俺はもう一度通りをうろついた。雨がひどいから、視界にもやがかかったみたいになる。こんな中、出かけなくったっていいのにな、アツムのヤツ……


 ふと、川の水がかなり増えているだろうと思った。どれくらい増えたか見てみたいような気がする。これだけ降ると、橋の下――蛙の神様の辺りは水の中だろう。しばらくはあそこへ下りられない。


 まさか、アツムまで増水した川を見に行ったりしてないよな?

 フッと、その考えにぶち当たった時、急に怖くなった。ちょっと土手まで行ってみようかな。


 こんな中、日曜日とはいってもすれ違う人もいなかった。いてもこの雨じゃあよくわからなかっただけかもしれないけれど。


 土手まで出ると、そこから川を眺めた。やっぱり水は増えて流れも速い。泥を含んだ茶色の水が荒れ狂ったみたいに流れている。この水音は普段のせせらぎとは別物で、心がかき乱される。


 川の流れに圧倒されながらそこにいると、親父の傘を差した兄貴が来た。隣には姉貴までいる。……二人の強張った顔を見ればわかる。アツムは園田家にはいなかったんだ。


「カケル、お前までフラフラするなよ」

「え、あ、うん。ごめん」


 兄貴に叱られた。姉貴は不安そうに、そんな兄貴のそばにいる。


「マユちゃん、アツムと約束なんてしてないって。アツムが小学校に上がってからは顔を合わせる機会も減ってるみたいで……」


 じゃあ、昨日アツムと一緒にいた子供は誰なんだ?

 頭の中が上手く整理できない。色んな情報がグルグルと回り出す。でも、パニックになっている場合じゃなかった。兄貴は冷静につぶやく。


「アツムはいつもならどこへ行くか言い残してから出かけるはずだ。それを無断で出ていったのは、やっぱり今日は駄目だって反対されると思ったからだろうな」

「ねえ、でも、約束してしまったとしても、電話で断ればいいじゃない。また今度って約束し直せば済んだのに」

「そもそも、誰かと約束があったのかもわからない。一人で思い立って出かけたのかもしれないし」


 二人が話し込む中、俺はゾクゾクと胸騒ぎだけが大きくなっていくのを感じた。


「とにかく、急いで捜さないと! アツムが行きそうなところってどこだろ?」


 兄貴も姉貴も少し考えた。


「佐久間さんの家は? アツム、あそこの柴犬とよく遊んでたし」


 姉貴がそんなことを言った。


「じいちゃんと神社に行くことも多かったから、神社も見てくるか」


 兄貴はそれから自分のスマホを取り出すと、時間を確認した。


「三時半になったら、それぞれ一度家に戻れ。もしそれまでにアツムが見つかったら電話しろ」

「わかったわ」

「ヒカルもカケルも気をつけろよ」


 俺と姉貴は大きくうなずいた。

 そうして、土砂降りの雨の中、アツムを探して徘徊するハメになった。あいつはどうしてこう勝手気ままなんだかな……


 でも、アツムの行きそうなところに心当たりがあるわけじゃない。こう雨が降っていたら、公園の遊具も何もかも用なしのはずなんだ。ひと昔前の人だと、こういうの神隠しとかいうのかなって、なんか嫌なことを考えた。


 大丈夫、アツムはそのうちに戻ってきて、家族にこっぴどく叱られるっていう役目があるんだから、戻ってくる。戻ってくる――


 それを心の中で何度も唱えた。それは俺の不安の表れだった。


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