TRACK 5:Born to be Free 3
「バカな奴」
通信が終わり、スクリーンも切れると博士はひとりごちた。
「誰がバカなんですか?」
通信が切れるのに合わせたかのように、隊長が現われた。
「あのクソ総統。衛星落しに私のレッズも協力してやろうと申し出たのに断りやがった」
「博士もシュナードラがクオレ係数20以上の希少コアを確保した事を黙っていたんでしょう。お互いさまですよ」
「ティーボウ少佐も何か掴んだようね」
「あんまり面白くない事実ですけどね。EF開発者をリストアップしてみたところ、ある技術者がシュナードラに入国していた事が分かりました」
「誰?」
「Dr.ジェームズ・リチャード・クラークソン。代表作はダイナソア。戦争が始まる少し前に入国したまま消息不明になっております」
「希少コアが発掘された国に、一流の開発者が入国。偶然かしら」
「本気で言っているんですか? 博士」
希少コアが発掘された国にわざわざ外から訪れた。公的には破棄と発表されたものをである。これが偶然だとは思えなかった。
「クラークソン博士はどの位置にいる人なのかしら?」
「乗り手を無視してまでパワーを追求する狂った博士ですが腕は一流です。例えばダイナソアは乗り手は選びますが相性が良ければ本国の騎体であっても殺られるほどの力を発揮します。渋谷艦隊の山居志穂やNEUのシャフリスタンも乗騎にしているほどですから」
「なら、あのゴミならぴったりね」
博士の言うゴミが誰なのかは気になったが聞いても答えてくれないだろうと思った。今のは博士の独り言のようなものだったから。
「マローダーは最凶のEFを手に入れたようね」
「完成度はともかく、EFを完成させるには充分ですからね」
最高レベルのコアと、癖はあるが一流の開発者の組み合わせ。導き出される答えは最凶、もしくは最強のEF。
あくまでも確率の高い可能性として語っているだけなので本国のEFとは比較はできないが、それに比肩すべき性能を持っている可能性が高いだろう。
そして、最強クラスの騎士の組み合わせ。
EF戦は騎体もさることながらライダーの能力にも大きく左右される。たかが一騎といっても侮ることはできない事は、昨日の戦いで証明されている。EF戦では数よりも質のほうが重要なのだ。
「……鬱になりますね」
レッズのように味方にすれば心強いが、敵に回せば悪夢としか言いようがない。隊長からすれば昨日の戦いでいいように弄ばれたことを思い出す。
一瞬でも手足をもがれ、何も出来ずに破壊されると感じた恐怖と、いつでも殺せるにも関わらず見逃された屈辱と、その屈辱をぬぐいさることができないと分かってしまった絶望。
……こいつにだけは百万回戦っても百万回とも負ける。
それ以上に問題なのは、マローダーが布石でしかないということだった。
更なる増援が来る見込みがなければ、マローダーがこの仕事を引き受けるわけがない。仮に衛星落下作戦が失敗すれば、予測よりも楽に終わるはずだった作戦が、予測よりも長期化する可能性も出てきた。
「でも、いい機会かしら?」
「呼びますか?」
「犬は躾けないと駄犬に成り下がりますから。いいタイミングかしらね」
予測よりも困難にも問題だが、遙かに楽できたからといっていい訳ではない。外れていることは同じなのだから、要は予測通りに行くことが重要なのだ。
この場合は失敗したら彼らの信用が下がるのだが、簡単に勝ちすぎるとクレームがくることも事実だった。
「めんどくさいことになりそうですね」
「楽しいじゃない」
「博士は楽しくても、現場は面倒なんですよ」
その結果。この人物がプレッシャーを受けることになった。
「せっかく朕がいい気分になっていたところを呼び出すとは随分、偉くなったものだな。信」
斉国宮殿後宮の奥深い所、延信が相対している、風呂上がりな雰囲気でバスローブにその身を包んだハゲ頭の男は星団半分を支配している斉国皇帝である。
「シュナードラ関連については信に任せておる。まさかとは思うがクドネルが勝って戦争は終わりましたというつまらぬ報告で呼び出したのではあるまいな」
もし、そうであるのなら速攻で首を落とされかねない雰囲気ではある。
実際、クドネルの全面勝利は確定したような状況である。予定調和なことは公務の時に報告すればいいだけのことで、わざわざ皇帝のプライベートを潰してまで報告するようなことではない。
実は皇帝は報告の内容を察している。
決して善人とはいえないが、着替えの最中に延信が施した仕掛けが見えない暗君ではなく、実際、顔は笑っていた。
「5月9日、クドネル軍はシュナードラ首都シュナードラに侵攻。クドネル軍はシュナードラ軍を撃退、公王及び公王夫人の殺害を確認しました。が、戦闘の最中にカマラのマローダーが突如、大気圏外より乱入。シュナードラ側についたマローダーによってクドネル第3艦隊は壊滅。公女ファリル以下、軍艦4隻、EF50騎以上の逃走を許してしまいました」
「勝つには勝ったが終わらせることができなかったと」
「御意」
「信はマローダーが乱入してきたと言ったが、本当にマローダーなのか?」
「マローダーであるかはこの際、問題ではないかと思われます。彼の力は陛下も充分に堪能されているはず」
延信の仕掛け。
それは皇帝が着替えている最中、BGM代わりにシュナードラで行われた戦闘、クドネル軍の間で交わされた無線交信を垂れ流したことだった。
「生きようと叫びもがきながら、訳も分からず為す術も無く散っていく様は実に愉快、愉快」
一発も当てられずに、マローダーを狙った攻撃が逆に友軍機を落とされるという、クドネルに取っては悪夢の時間帯の無線交信をである。
「この後、NSKはマローダーがうんたんを発動させたのを確認しております」
「信の言うように名前は重要ではないな。名前だけで勝てるほど戦というのは甘くはない。いや、名前だけで退いてくれる相手ばかりではつまらん」
相手が何者であれ、うんたんまでもを使いこなす凄腕が敵軍に参戦してきたという現実には変わらない。
ただ、皇帝なのでハッタリが効かない相手と戦うのは楽しいと言っていられるが、延信としては真逆である。激突すれば多かれ少なかれ人は死に、たとえ勝とうも味方も損害が出る。それがほんの少しであっても、人と資源は無限ではないのだから、その積み重ねはやがて取り返しの付かないダメージへと返ってくることになる。
だから、名前で怯えて退いてくれる相手のほうがやりやすい。本来は威圧だけで退かせることが最上なのである。
「シュナードラ軍はどうしておる」
延信は傍らの巨大多目的スクリーンに地図と座標を表示して説明をする。
「シュナードラ軍は現在、首都シュナードラから南方洋上にあるガルブレズ諸島に潜伏中。NSKからの報告によれば既にガルブレズ諸島は要塞化されているそうです」
「要塞とは随分、手回しのいい」
「シュナードラにも目端の利くものが居たのでしょう」
「あの無能首相に殺人鬼を招く智恵があるとは思えないないからな」
「今後、クドネル軍はガルブレズに衛星攻撃を行う予定です」
「あの殺人鬼が衛星攻撃を食らうのは面白い。でも、殺人鬼のことだから黙って食らう気はないはず。で、朕のお楽しみの時間を潰してまで信が訪れているのは、クドネルの攻撃がうまくいかないと見てのことだろう」
「シュナードラ軍に蒼竜級のEFが配備されているという報告が上がっております」
「ほう」
皇帝の目付きが変わった。
「シュナードラが蒼竜級のコアを引き上げたものの、首相が平和のためにならないといって破壊するという宣言がありましたが」
「あの発言を聞いた時、救いようのない愚物だと思ったがやはり秘匿されておったか。そもそも、オリジナルのコアは破壊できるものではないからな。その蒼竜級のコアがシュナードラに確保されている上に、そのコアを搭載する騎体に乗るのがあの殺人鬼か。面白いことになってきたではないか」
「NSKはシュナードラに更なる増派が来るものと想定しております」
「籠城の準備を整えた上に殺人鬼までも招聘した腕利きが、その程度で終わらせるとは思えない。殺人鬼に加えて増派まで来た日には分からなくなるな。楚王も勝ち寸前だったのに逆転されそうで、歯がゆい想いをしていることだろう」
ここで説明は終わり、いよいよ本題に入る。
「以上のようにシュナードラ側の戦力増強が見込まれることから、現場では更なる増派を要求しております」
シュナードラ紛争は延信が担当しているが、独断で増派することはできない。最終的には皇帝の判断ということになる。
「だから、朕のプライベートを潰してまで、ということか」
「御意」
時間が遅くなればシュナードラ側の増援が間に合ってしまい、増援の量と質にもよるがクドネル及び派兵した戦力での事態の打開は難しくなってしまう。これまで費やした予算を考えれば危急の案件であった。
「あいわかった」
幼少期から仕えていたこともあって、皇帝の意図はだいたい理解できる。
が、次の皇帝の言葉は意外なものであった。
「信よ。貴様なら如何様に差配致す?」
これまで顔色一つ変えずに対応していた延信も緊張する。
皇帝は本気だからだ。
皇帝の機嫌一つで延信の生死が決まる。
延家が斉国屈指の名門だからといって関係ない。返答一つ誤ればいとも簡単に殺される。この国では皇帝の命令こそが絶対の法だからだ。そこには道理もなにもない。ただ、感情があるだけである。
普通に考えれば皇帝の意を酌んだ発言をすればいい。幸いにも、延信は皇帝の性格を熟知している。
「シュナードラと和平を致します。蒼竜クラスのコアと幾ばくかの領土の交換という条件なら、飲まざる終えないでしょう」
「延家の三男坊は優しいのう」
これは決して褒め言葉ではない。
全星団に侵略の手を伸ばす斉において慎重論は臆病と誹られる傾向にある。今回の場合は完全勝利が目の前に迫っているにも関わらず、勝っている側から妥協をして、相手にも救われる余地を残すのだから、許し難い惰弱と受け取られかねない。新領土に住んでいた先住民は絶滅させるのが斉のやり方なだけに。
「これが採算が取れるラインかと申し上げます」
「ほとんど制圧しているのにか?」
皇帝の疑問ももっともである。圧勝しているにも関わらず、辛勝という判断を延信は下している。
一歩間違えばその場で処刑、皇帝の視線も温かいとはいえないにも関わらず延信ははっきりといった。
「マローダーが降りてきた時点で完全勝利の可能性は潰えました。カマラで人民民主主義共和国を勝たせたマローダーですから、今までのシュナードラとは違います。制圧は可能ですが今までのようにたやすくいかないのは間違いありません。想像以上に戦費を費やすことになりましょう。割が合わなくなります」
「うちの民が死ぬわけではあるまい」
「逆に言えば、我々が正面切って戦うわけでありません」
「九分九厘攻め落としながらマローダーに逆転負けされる可能性があると」
「指揮官の優劣ではマローダーに分があります。NSKからは増派を求められておりますが、マローダーも増援を求めることは可能です。状況次第によっては泥沼に引きづりこまれます」
求めに応じて増援を送るのは簡単だが、シュナードラの反撃程度では更に増援を送らなければいけなくなる。大金を費やしながら負けるようなことになれば最悪である。
「それに今ならば楚王様、秦王様の両方にも顔が立ちます」
「義の息子でありながら、如才ないのう、信」
「皇位につくのか誰なのか分からない以上、余計な恨みは買いたくありませんから」
「だが、朕の恨みを買うのは平気というわけか」
「陛下は意にそぐわない意見を述べても、首を刎ねようとはしないお方だと存じ上げております」
皇帝は笑った。
「……試しているのか? 信」
皇帝の意向に沿うような言をしても問題がないにも関わらず、延信は首が飛ぶリスクを無視するかのように平気で皇帝の意に沿わない意見を述べた。
巧言を弄するのは簡単であるが、それではダメである。いくら星団の半分を支配する強国の皇帝であろうとも、思い通りにならない現実は山のようにいくらでもある。目を閉じ耳を塞いだところで現実というのは変わらないし変えられない。真っ正面から見据え、変えようという覚悟を決めない限り。
にも関わらず、気に入らない現実から目を背けるのは暗君の誹りを受けてもやむを得ないだろう。待っているのは破滅だからだ。
「いえ。滅相もございません」
そして、諌言を受け入れる度量があるかどうかを見定められていた。
「まあ、よい」
皇帝は眼光を和らげた。
「信の言はもっともである。性急な感もなくはないが、今が利益を確定させる時というのも理解はできる。が……」
言葉を句切るということは延信の進言が否定されることを意味していた。
「利益を得るつもりなら、この戦いは端から仕掛けてはおらぬ。せっかく、かの殺人鬼が酔狂にも舞台に躍り出たというのに、ここで仕舞いにしてはかの者に申し訳が立たぬではないか」
こういうことになるとは最初から分かっていた。
この戦争は是か非でも起こさねばならないという戦争ではない。むしろ、必然性があるのかどうか疑わしい、この戦いが発生した最大の要因は、戦いを娯楽として楽しむ皇帝の嗜好にある。
「増援については信に任せる。いつまで増派を続けるかも信に任せたいところではあるが、殺人鬼の出方次第によっては貴様にも踊ってもらうかも知れぬな」
「僕は、血を見るのは嫌ですから、なるべくなら前線には出たくはないですね」
「ならば、天巧星を捨てるがよい。延家は名門なのだから、楚王や秦王のように遊んで暮らせるだろうに」
「それを許さない親父であるのは、陛下もよくご存じでは」
「そうだな。その前に義に殺されるか。名門延家の三男坊」
「よしてくださいよ」
この辺りになると皇帝と臣下の会話ではなく、親戚の甥とおじさん同士の会話になっていた。
「それでは下がってよいぞ、信」
「はっ」
伝えたいことは全て伝えたので延信は下がろうとしたが、その矢先に呼び止めた。
「そういえば、信は和平の条件として、領土と引き替えにオリジナルコアといっておったな」
信はそれが妥当だと思った。
というより、シュナードラにはそれしか交渉の材料がない。
でも、皇帝には違う見方があるらしい。
「朕ならそれに、あそこの姫の身柄を付け加える」
延信には意味が分からなかった。
オリジナルコアに加えて最高指導者の身柄というのも一応は考えたが、斉にファリルを手に入れるメリットが見あたらない。ファリルは美人であるが美人ならいくらでもいる。それこそ美人だけで一個師団が編成できるほどに。
精神的象徴を失えばシュナードラの民も分裂するとはいえ、それだけに抵抗も激しく、ましてやマローダーが増援に入った今では受け入れられないだろう。その条件を付け加えるとするならば、あのマローダーでさえも心を折るほどの強い一撃が必要となる。とても割が合うとは思えない。
「諌言の礼として教えてやろう。彼女を手に入れるのが勝利条件なのだ。今回の戦争は」
不意にアラームが鳴り響いて、智機は腕時計を見る。
「……こんな時間か」
いくら楽しくてもスケジュールというものがある。
智機の体内時計ではそれほど時間が経っていないように思えたのだけど、現実ではかなりの時間が過ぎていた。それを知るためにアラームをかけている。
硬くなった身体をほぐそうとティーガーのコクピットの中で背筋を伸ばすと先延ばしにしていた疲労が一気にのし掛ってきた。
けっこう疲れている。
にも関わらず、時間を忘れてしまったのはこの相棒を弄っているのがとても楽しかったからだ。
公務の後、ずっとティーガーのセッティング作業に追われていた。まだ生まれたの真っ新な騎体に智機の今までの戦闘で得たデータを詰め込んでいく。その過程で思い知ったのはティーガーの性能だった。
笑いがひとりでにこみ上げてくる。
こいつと一緒に暴れまくる時が楽しみで楽しみで待ちきれない。それこそ夢精したくなるほどに。
今すぐにでも出撃したいところではあるが、回りの準備が整っていないので待つしかない。
もちろん嬉しくないのだけど、世の中というものはそんなものであり、待ち時間の間にやるべきことはいくらでもある。
とりあえずは寝ること。
本音をいえば、いつまでもいぢっておきたいところではあるが、寝られる時に寝るのも仕事である。特に今回は出撃してしまえば一日ぐらいは寝たくても寝られない状況になりそうだから。
問題は何処で寝るかということである。
希望はコクピット。
智機が最高権力者なのだから、そのままコクピットで寝ても問題はないのだけど、記憶の中で声が囁いていた。
「コクピットは寝床じゃねえ」と。
智機からすれば、アラートが鳴ってもタイムラグ無く戦闘準備できるので合理的だと思うのだが、言い返すたびに怒られていた。拳固つきで。
コクピットはあくまでも戦闘する場所であって、休む場所ではないというのが、その人の持論であったが智機には理解できなかった。自殺がいけないことがわからないように。
ただ、不快ではなかった。
懐かしいだけで。
智機は思う。
あの人は、この限りなく詰んだこの状況に対して、どのような手を打ったんだろうかと。
笑えてしまう。
人は万能ではないし、全知全能を尽くしたところで無理なものを無理矢理に押し通すような事はできない。
いくら努力したところでも、前提自体が間違っていれば無駄だからだ。
仮に"あの人"の策が100%の確率で成功するのだとしたら、智機はずっと昔に死んでいた。
バカなことをしていると智機は思う。
コールドゲーム成立の点差で、走者無し2アウト、2ストライクの場面で勝利をしなければならないという無茶な状況に首を突っ込んでいる。誰にも頼まれたという訳でもないのに。
ティーガーを得られたとはいえ、割に合わないと思わなくもない。
その気になれば楽に生きられるというのに何故、進んで地獄に片足を突っ込むのか智機自身も理解できない。マゾかよとツッコミを入れたくなってしまう。
いずれにせよ、どのような立場に置かれても迷うことなかった。目標達成に向けてありとあらゆる感情を廃して突っ込むしかなかった。
今までも。これからも。
端末から着信を知らせるアラームが鳴って、智機は出る。
「ディバインです。少し、お時間よろしいでしょうか?」
「何の用だ?」
「今後について、代行殿と少々話し合いたいと思いまして」
「悪ぃ。オレ、ホモじゃないから」
「……オレもホモではありません」
「冗談だ」
「不快な冗談です」
「わかった。少し話し合おう」
これから長い間、智機はここから離れることになる。
いつ戻れるのかは智機でも明言することはできず、下手をしたら戻れないのかも知れない。
いずれにせよ長時間離れるのだから、残る人間たちと徹底的に話し込んで意志統一を図ることが重要だった。
智機にすればへたれた彼らが、いつ背後から刺しにくるのか分かったものではなく、彼らからしても智機に全幅の信頼を置いていいのかどうか疑問に思っていることだろう。
知れば知るほど、不信感を抱かれる智機の経歴だけに。
ファリルには不満なことだらけだった。
「姫様、お願いしたいことがあります」
ファリルが智機が決めたスケジュールによって、島内の各地を巡って、島内各地を巡回して兵士や非難民たちに慰労の言葉をかけていると、高校生ぐらいの少年少女たちに詰め寄られた。
側で警護しているヒューザーの顔色が変わる。
「オレ達も戦わせてください」
黒人の少年の言葉にファリルは戸惑ってしまう。
「戦わせてって……」
「クドネルの侵略に我慢できないんです。家を追い出された恨みを晴らさせてくださいっ」
「だめですっ」
ファリルの大声に周囲はあっけにとられる。
「学徒動員になっちゃうじゃないですか。そんなのダメです」
彼らはどう見ても学生。子供を徴兵するのは禁忌中の禁忌である。だから、いくら頼まれたところでも受ける訳にはいかない。
「僕たちが子供だから、ダメだと言うんですか?」
「そうです」
「でも、代行殿だって、僕よりも子供じゃないですか」
「いや、あの人は規格外だから基準にするな」
智機がEFに乗って戦っているのだから説得力がないどころか、論理が破綻しているのでヒューザーがフォローする。
「何故、学生が戦ってはいけないのですか?」
髪を極端に短く切った、静かな雰囲気を持った女子学生が質問する。表情は平静ではあるが、目が怒っていた。
「それは……」
ファリルは答えられない。
学徒出陣は禁忌であるが何故、学徒出陣がいけないのか分からなかった。
「姫様は学生だから戦ってはいけない。つまり、学生は黙って殺されろと仰るのですが」
そこまで言うつもりはないのだけれど、静かに切れている彼女の勢いに圧されてファリルは反論することができない。
「そこのキミ、落ち着けって」
ヒューザーが助け船を出す。
「シュナードラを助けたいと思うキミ達の気持ちには感謝する。でも、戦闘経験のない素人をすぐさま戦場に投入できないというのは分かるよね」
彼女も熱くなりすぎているのを自覚したのか、眼光を和らげる。
「経験者なら大歓迎だけど、新人をいくら投入しても役に立たない。教育する手間も考えたら、却って足手まといなんだ」
兵士というのは技術職である。単純に数が多ければいいというものではない。素人を投入しても無駄に死なせるだけ。バイトを一人前にできるほどの余裕もない。ヒューザーの説明には理があり、従って彼らも黙らざる終えない。
「でも……」
それでも不満そうな彼らのために、ヒューザーは救いの手をさしのべてみる。
「一応、念のために代行殿に聞いてはみるけど」
すると、彼らの表情が再び明るくなる。
「代行殿って、あの代行殿ですよねっっ!!」
問題がないとはいえないけれど、シュナードラでは憧憬に値する武功を立てたことに間違いない。
少なくても彼らにとっては智機は英雄だ。
「ちょっと待ってね」
ヒューザーはタブレットを取り出すと智機と通信を試みる。
「どうした?」
すぐに出た。
「高棒たちが軍に志願したがっているんだけど、どうする?」
「普通なら拒否する」
「まあ、そうだろうね」
智機の反応が否定的だったので、周りの学生たちは落胆する。
「でも、今は幸か不幸かライダーが余っているから、育成できる余裕はある」
脱出できたEFのうち、3分の1が使用不能になったからといって、その相棒であるライダーが再起不能になったわけではない。
騎体よりライダーが多いので、騎体運用に余裕ができるとも言えるし、新人を入れても教育することができる。
「入れる気があると」
「適性試験は受けさせる。全員外れでも何の問題もないし、当たりが出ればめっけもの。ライダーは多いにこしたことはない」
「了解しました。代行殿」
ヒューザーはタブレットから外すと学生達に向かって高らかに宣言する。
「というわけでみんなには適性試験は受けてもらうぜ。落ちたら恨みっこなし、当たれば晴れて花のライダー。で、OK?」
「オッケーですよーっっっ!!」
学生が戦うこと自体が無茶なので、智機の提案は最大限の譲歩といえた。
しかし、納得できないものが1人いた。
「どうして、彼らを戦場に出すのですか?」
ファリルはヒューザーから端末を借りると、端末越しに文句を言った。
「出すも出さないも、今は戦争中。みんなで団結しなければ生きていけないし、遊ばせておく余裕もないんだ」
「だからといって、学生たちを戦争に出すのは間違ってます」
「なんで学生たちを戦場に出してはいけないのか、その理由を口で言える?」
その理由を引っ張りだそうとして……ファリルはなにも言えなかった。
なぜ、学生たちを戦場に出してはいけないのか。
その答えは探せばいくらでもあるだろう。
「学生連中を戦場に出したくない気持ちも分からなくもないし、納得させられるだけの理由も見つけられるだろう。でも、ファリルが学生達を戦場に出すのを嫌がるのは、単に周りの大人が学徒動員反対といっていたから、それを無条件に信じ込んでいただけだろ」
全くの図星なので、ファリルは言い返すことができなかった。
間違いだと周囲の大人たちが言っていたから、そう思っていただけで、何故、いけないのかその理由を考察することもしなかった。
「素人を戦場に送り出しても死ぬだけだから迷惑だというのはある。でも、姫様」
「……はい」
智機は言った。
「この腐れた国でも、守りたいという彼らの気持ちを踏みにじる権利が姫様にはあるのか?」
忘れようとしても忘れられないぐらいに、まざまざと蘇ってくるのはファリルが間違っていて、智機が正しいからだろう。
だからといって、一方的に打ちのめされるのはファリルも嬉しくはない。
たまには言い負かしたいとは思っても、勝てる要素が全く見あたらなくて落ち込むというのがファリルの現状だった。
やってきた智機はディバインの目からは、とても上機嫌なように見えた。玩具を買ってもらったガキのようだった。
「楽しそうですね。代行殿」
「楽しいに決まってるじゃんか」
ディバインの目の前にいるのは年相応の少年。ただ、手に入れたものは子供が扱うには余りにも危険すぎるものだった。
「あのクソジジィは無茶苦茶だけど、いい仕事しやがる。初めてだよ、オレについてこれるEFに乗れるのは」
「今までどんな騎体に乗ってきたんですか?」
「フォンセカ、フォンセカMKⅡ、メネス、ロック、ヘレフォード、アルバコアなどなど。ボウタにも乗った」
「NEUの最新騎種?」
「センチュリオンズにいたことは知っているだろ。もっとも、反応が鈍すぎるダメダメな騎体だったけど」
騎体が悪いのではなくて、智機の要求する水準が高すぎてついて行けなかったのではないかとディバインは思う。メネスによる戦闘データを見たが、智機の反応に騎体が追随しきれていなかった。
「そんなことを聞きたかっただけなのか?」
智機と戦術や戦略のことを尋ねると教授に質問するように緊張する。キャリアがケタ違いだからだ。
そのような相手であっても言わなければいけないことを言わなくてはならない。そのためにディバインは智機と対峙する。
「代行殿は本気で、クドネルに衛星を落とすつもりですか?」
「必要なら落とす」
智機は変わらない。
いつもと同じように、自身をひっくるめた世界の全てを嘲笑いながら外道な事を平気で口にする。
その一言がもたらす意味を理解していない子供のように。実際、智機は何処にでもいるようなただのガキにしか見えない。
「無辜の民が何千、何百万人と死ぬのですよ。貴方は分かっているのですか?」
衛星を落とせば一気に決着をつける事は可能だろう。だけど、その手軽さの代償として罪もない人が何百万、下手をしたら何千万人も死ぬことになる。
「ディバインはオレのあだ名を知っているよな。言ってみろ」
喉元に切っ先を突きつけられたような気分になる。
「……マローダー・ザ・サテライトストライク」
衛星落しの襲撃者。
「そうだ」
口元を軽くゆがめて笑う智機は地獄の悪鬼だった。
「何千人万人も死ぬも何も、既にカマラでは二千万も殺してる。今度は三千万、下手をすれば一億は殺すのかも知れない。でも、それがなんだ? たかがスコアが2千万から1億2千万に跳ね上がるだけだ。衛星を落とさなくても、カマラの死者たちが生き返るというわけでもない。何億人も殺さなければ勝てないというのであればいくらでも殺戮する、それだけだ」
意味が分からないというのであれば可愛げがある。あくまでも比較の話ではあるが。
智機は数千万人単位の殺戮がもたらす意味を分かって上で、確信犯で大量殺戮をしようとしている。その方が救いようがないほどにタチが悪い。
思わずディバインは叫びかけたが、壁が鳴る渇いた音がした。
ディバインでも、智機のものでもない。
振り向くと、そこに歯を鳴らして震えるファリルがいた。
見てはいけないものを知ってしまったと言いたげなファリルを見て、熱くなった心が冷えてくる。
「その話、本当なんですか?………智機さんが数千万人も殺したなんて、嘘ですよね」
ディバインは知っている。
ファリルが語りかける少年が、平気で罪もない何千万人もの人々を手にかけた外道であることを。
にも関わらずディバインは期待した。智機が否定してくれることを。主君と仰ぐ少女の心のためにも。
「本当だよ。カマラで衛星を落として、勝利のために2千万人も殺した」
智機は爽やかでありながら邪気もある笑顔で少女の幻想を打ち砕いた。
ファリルの大きな瞳から勢いよく涙が迸ると、そのまま勢いよく走り去っていった。
通路の向こうにファリルが消え去るのを確認してから、ディバインは呟いた。
「……気づいてましたね」
「バレた?」
「不自然なまでに仰々しかったですからね」
「何千万人も何も…」の下りのセリフが大仰で、ディバインではなく盗み聞きをしている人物に、わざと教えているような素振りだった。
「いいんですか?」
智機の過去は知られたくない過去である。
「調べれば分かることだ。どうせ亀裂が入るのなら、早いほうがいい」
智機の経歴はデータベースを調べれば分かることである。現にディバインやセシリアもそうして智機のパーソナリティを知っている。簡単にバレるようなことを隠し通しても意味がない。
「とはいっても、堂々と「オレは殺人鬼だ」とは言えないから、ちょうど良かった」
ただし、知らないほうが良かったというあまりにもショッキングなネタではあったが。
「いいんですか?」
いずれ知ってしまうのであれば早めに教えておいたほうがいいネタであるとはいえ、ファリルが智機に不信感をもたれるのはまずい。
「かまわない。姫様はオレに妙な幻想を持っていたから、そんなものはぶっ壊す。距離は置いたほうがいい」
智機の言葉には理があるように見える。
ディバインの目から見ても、ファリルは伝説の勇者を見るような憧憬の念を持って見たような気がする。勝手に期待しておきながら後で裏切られたと逆ギレをされるぐらいなら、最初からぶち壊しておいたほうがいいのだろう。平時ならともかく、戦時では幻想で目を曇らすのは死ぬようなものだからだ。
ただ、ディバインはファリルのことが気になる。心配もする。姫というだけでもなく、一人の少女として。
ひとりぼっちにさせていいだろうか。
「もしもし。セシリアさんですか? 智機です。お休みのところ、申し訳ありません」
智機は携帯を取りだして、セシリアと通信をつなげていた。
「オレの過去が姫様にバレちゃいまして。フォローをお願いします」
ファリルとの亀裂を放置するのは智機も問題だと思ったらしい。傷ついた女の子を癒すにはセシリアが適任だろう。その原因を作っているくせに飄々としている智機の態度には文句がないというわけではないのだが。
しかし、どういう会話の流れになったのか智機は苦笑する。
「分かりました。この際ですから、仕方がないですね。この埋め合わせはいつかします」
部下に命令をする上官ではなく、部活の先輩に無理矢理な頼み事をする後輩のような会話を終わらせると、智機は憮然とする。
「どうしたんですか?」
今の智機を見て、邪気が涌かないといえば嘘になる。
「セシリアに「姫様のことを愛しているから」と言ってもいいですか?」と聞かれた。姫様をなだめるためには手段なんて選んでいられないから、了承するしかなかった」
セシリアはファリルを説得するに当たって「恋人」の論法の使用を求めて智機も了承した。ひどい目に合っている、あるいは合わせている女の子に対して「オレがお前を愛しているから」という言葉は最強の殺し文句になる。
「ひどい話ですね」
智機がファリルが好きなのであれば、わざわざセシリアが許可を取ることもない。
「ひどい話だ」
「一番ひどいのは代行殿ですけど」
「……それを言うな」
この時の智機はディバインから見ても面白かった。年頃の少年らしいとも言えるが。
「実際、代行殿は姫様のことをどう想っていられるのですか?」
公務というよりは、個人的な興味である。頭から爪先まで堅物な人間というのは何処にもいない。
「好きだよ」
あっさりだった。いつものすまし顔、内心では動揺しているかも知れないが、外面では動揺しているようには見えないあたりはただの中坊ではない。
「それは「好き」か「嫌い」かの好きですね。オレが聞きたいのは「Like」か「Love」のどちらかですが」
「Likeだろうね。それは」
「やっぱり代行殿は外道ですね」
ファリルは騙されることになる。
ディバインはファリルの全てを知っているわけではないので、騙されないことも否定できないが、いずれにせよ悪意を持って接されていることになる。臣下として、強いていうならディバイン個人の感情としてディバインは気の毒でならない。
「勝つためなら、衛星を落とす奴が善人だと思っていたのか?」
そんな善人などいない。
いや、善行として行っているのなら救いがない。悪人だという自覚があるだけマシなのかもしれない。レベルの低い話であるが。
「こんな外道に好かれても、姫様には困るだけの話だろ」
この少年は一体何者なのだろう。
「代行殿は……姫様のことを心配なされているのですか?」
「心配するよ。この戦争は姫様にかかっているから」
家族と言うよりは、道具に不具合が出ると困るからというような言いぐさにディバインは不満を持つ。
「代行殿は何が目的なんですか」
「この国を私したいなどとは思っていないから安心しろ。この国に私するほどの価値があるとでも思っているのか?」
ある訳がない。
ちっぽけな島一個と、辛うじて50騎も寄せ集めただけの吹けば飛ぶのような国なんて欲しくない。
「言いたいことは無いこともないんだけど、充分な報酬を貰ったんだから、報酬分の働きはしないとね」
「ティーガーか?」
「青龍や朱雀に匹敵するほどのEFだ。シュナードラ一国よりも全然価値がある」
国よりもEFのほうが価値があるのは奇異と思えるかも知れないが、智機はライダーである。ライダーはEFがあればこそライダーたりえるわけで、EFの性能に執着するのは自然なことだった。
「宇宙最強の存在になって何がしたいんですか?」
あるいは敵国首都に衛星を落として、大量殺戮鬼の汚名を背負ってまで。
「流石にそこまでは言えない」
ディバインにも親友のヒューザーに話せないことがあるように、智機にも話せないこともある。ディバインには話したくないことを喋らせる権限はない。
「ティーガーをもらったからには、オレにはシュナードラを再興させる義務が生じるわけでオレは逃げようとは思わない。いや、逃げられない。ぶっちゃけ人命よりも契約が大事なんだ。人から裏切られることがあっても、こちらからは裏切ることはない。裏切るつもりなら……端っから衛星なんて落とさなかった」
智機は外道だ。
勝利のためなら大量殺戮も涼しい顔をして行えるほどの鬼畜ではあるが契約、もしくは約束に対しては真面目だと言えた。
忠実に履行はしようとしたが故に大惨事になった
ともいえるわけで、ここまで来ると誠実とさえ言えた。バカがつくぐらいに。
「随分とめんどくさい生き方をしてますね」
智機の歩いている道は茨の道、修羅の道でありその先に続く先は地獄。智機ほどの才能ならば楽に生きられるはずなのに、大金を叩いて苦労を買っているような智機の生き様には呆れるしかない。
「本当はもっと楽に生きられるはずなのに、どうしてこんなに苦労するのか、ほんと、分からない」
「ひょっとしてマゾですか?」
「否定できない」
ディバインはこの少年をどう見たらいいのか迷っている。
表面だけ見るなら、この少年は許されないことをした外道で。
「場所、変えるか」
情報が遮断されているとはいえ、傭兵協会から提供される傭兵の個人データは公開されているものである。平和ボケしていたシュナードラ軍とはいえ、傭兵データは採取しているし定期的にアップデートされてオフラインの領域に保存されている。
セシリアはモニタにある傭兵のデータを表示させている。
その顔写真は子供っぽさが残る……というよりまだ子供のもの。
「……マローダー…か」
経歴を見れば殺人鬼としか思えない凶悪傭兵が上司になり、あまつさえフォローを頼まれるとは想像の埒外だった。
面倒なことに巻き込まれたと思うが、智機の経歴は簡単に調べられることなので避けられないことだったのかも知れない。ファリルの精神を落ち着かせることができるもセシリア以外にはいないことも理解していた。不本意ではないといえば嘘になるけれど。
本人が近くにいるのだから聞くのが一番手っ取り早いとはいえ、経歴を辿るだけでも見えてくるものがある。
そして、言えることが一つある。
ブザーが鳴り響いた。
「あの……ハイネンさんはいらっしゃいますか?」
声だけでも深く沈みこんでいるのが分かる。セシリアは苦笑しつつも立ち上がった。
智機に案内された場所はEFハンガーだった。
「感想は?」
ディバインの目の前には、ティーガーの巨体がそびえている。
「実際に見ると禍々しいですね」
EFの平均よりも2割ぐらい大きい巨体を分厚い装甲で包んだその姿は無骨そのもの。大きく張り出した肩と蟹爪のような巨大な右腕が異形的イメージを増加させる。
「こいつが高速で動くところを想像したくないですね」
「分かるか」
視覚にまで重さが伝わってくる騎体ではあるが、ディバインには騎体質量を上回る出力を備えていることが分かる。見た目の鈍重なイメージとは裏腹に想像を超える速さで動けるということである。
それにもう一つ、気づいたことがある。
タブレット越しに見た初見からの変更点として、左肩にマーキングがされていた。黒地に赤抜きで、盾状の枠の中にБと書かれている。随分とシンプルなインシグニアである。
「バビ・ヤールですか」
それが恐怖の代名詞であることをディバインは知っている。
「それがオレのアイデンティティみたいだから。忘れたくもないし、忘れさせやしない」
「バビ・ヤールは白ではなかったのでは?」
黒抜きといえば白であり、第72装甲騎兵師団バビ・ヤールの師団章も同様なのだが、この師団章に使われているのは白ではなく黒ずんだ赤である。
「そのままだと差し障りがあるし、何よりも芸がない」
「そうですか」
バビ・ヤールの名前自体、堂々と出せるものではなく、民主主義共和国に所属していないのに違いを出したいという気持ちも分からなくもない。
「で、衛星落しの件ですが」
ディバインは忘れかけていた本題に戻ることにした。
「そういう話もあったっけ」
智機は分からないところばかりの人間であるが、ただ一つ言えることは倫理に訴えるのは無駄ということだ。口先だけの正義では止められない。
ディバインは穴を突くことにした。
「代行殿の提案には問題点があります」
「へぇ~」
智機の不貞不貞しさは変わらない。
「政府首脳の所在がつかめないのに落とすなんて意味があるとは思えません」
衛星落しは諸刃の剣である。
国の中枢である政府首脳を一瞬で抹殺できるから逆転することが可能な訳で、逃げられてしまえば終わりになる。大量虐殺を行った国家なんて誰も支持しないからだ。一瞬で殺しきる必要がある。
しかし、智機は変わらない。
動揺を隠しているというより、それぐらいの反論はされても当然だろう。
いや、智機のことだから恐ろしいことを考えているのかも知れない。
勝つために首都に衛星を落として数百万の人々を殺戮した男である。大陸全てを滅ぼさなくてはならなければならないとしても智機はやる。単純にスコアが増えるだけ。1度記録されたスコアは抹消されず、既に大量のスコアを得ているのだがら、いくら増えてもどうということはない。
想像するとディバインの首筋が急速冷凍される。
「言っただろ。必要があればって。読解力ないなあ」
幸いにもすぐに解凍される。
「代行殿の言葉が足らないだけです」
必要ならやるということは、裏を返せば必要がなければやらないということでもある。
「カマラの時はうまく行ったけれど、二度目は警戒される。加えてあっちの総統はカマラと同じように臆病くさいから首都にいない可能性は高い」
「何故、提案したのですか?」
「提示することは無駄ではない。実際、外からの助けが期待できなければ、衛星を落とすぐらいしか勝ち目がない。もっとも「軍団」を展開させればそれだけで事足りるともいえるが」
それは恐るべき情報であった。
「やはり、代行殿は「軍団」を……」
「使えるけれどなるべくなら使いたくはない。軍団を展開するというのは、大量虐殺と同じ意味だから」
「そこまでひどいんですか?」
「ディバインはドリフトの理屈を理解できると思うが」
「周りにある物質をライダーの思考、精神力を引き金にしてエネルギーに変化させる」
「その通り。軍団の維持にはとてつもないエネルギーが必要となるし、加えてあいつらは斉人並に貪欲だ。と、ここまで言えば想像もつくだろう」
「アヴァロン防衛戦の再来、ですか」
「それ以上。手心を加える必要性が全くないから」
ディバインは智機がシュナードラは地獄ではないと言った意味を理解した。
確かに都市は灰燼と化し、大勢の人々の命が失われた。
でも、破壊したのは智機ではない。
智機であるのなら、それこそ灰すら残らない焦土と化している。そこには人々が生存する余地もない。生命の一分子でさえも残さない徹底した破壊になるだろう。
ディバインには想像もつかない。
「言っておくけど好きで殺戮やっているわけじゃない。ただ、宛が外れればやるしかなくなる。それだけだ」
智機は外から助けがくると言った。
可能性は高いというが、来ない可能性も否定はできない。50騎程度の戦力と4隻の艦艇だけで大量の軍勢と戦うことも想定せねばならない。
そのような地獄であっても勝とうするならば人工衛星でも小惑星でも落とされなければ勝ち目がない。
クドネル本土全てに落としてでも。
失われる人命と罪の重さ。
ディバインからすれば吐き気のする現実であったが、嫌だからといって無視することができない。どんなに不快なものだったとしても逃げることになんてできない。
目の前にいる少年は逃げ出したくなるぐらいに不快な現実と対峙していたのだということを。
「負けたらどうなるんですか?」
現実を受け入れるのか、それとも勝つのか。
勝つことよりも降伏するほうが遙かに楽だ。
「まず、クドネル側の非道は無かったことにされ、代わりにシュナードラが無辜の大虐殺を行ったことにされる」
ディバインの血液の温度が瞬時に高まった。
「オレたちだってオレ達なりの正義があるように、クドネルにもクドネルなりの正義がある。正義と正義がぶつかって負けた側が滅ぼすべき絶対悪になる。ほんと、この国の連中は負けることを気楽に考えてやがる」
「代行殿は負けるとは、どのように考えておられるのですか?」
「昨日、いやそろそろ一昨日ぐらいになるのかな。オレ達は脱出するに当たってたくさんのEFを落としたけれど、落とされたライダー達はどうなった?」
「どうなったと言われても」
「そういうことだ」
ストレートに言えるはずなのに、智機は回りくどい言い回しを使う。考えさせるように。
「つまり、死んだ」
撃墜されれば脱出ポッドが動いて助かることもあるが、死ぬこともある。
「オレは負けるという本質はそういう事だと思っている。そして、負けたら死ぬのは動物やライダーだけだと思っている奴らが、どれほど多いことやら」
「国も殺されるというのか?」
「野郎は殺されるか強制労働で野垂れ死に。女子は強姦されまくって、クドネルのDNAが混ざり合って50年後ぐらいにはシュナードラ人は絶滅、といったところか。素晴らしいじゃないか」
「何が素晴らしいんいですか」
智機のバカにしたような言葉によってディバインは思い出す。クドネルの侵攻によって破壊された町並みと大量に死んでいった人々のことを。
自身の無力さ故に死んでいった人たちのことを思えば、瞬時に怒りが涌く。
「戦争というのは価値感が異なるから起きるんだ。なら淘汰して一つにしてしまえばいい。もともと、オレ達は地球という星からやってきた一つの存在だった。シュナードラという存在が無くなっても世界が平和になればいいことじゃないか」
「ふざけるな」
「サリバン首相なら、望んだことじゃないのか。身を守って相手を殺すぐらいなら、黙って殺されろと。それがシュナードラの国是だと思ったんだけど、違ったか」
あのお花畑首相の主張を思い出して絶句する。
智機が揶揄しているのではなく、この国の首相が実際に演説していたことなのだから、ディバインも反論できない。
「負けるということはそういう事だ。ディバインも軍人なら分かることだろ。最悪な事態を想定して動け。間違っても強盗や人殺しの慈悲に期待するな」
「………それが嫌なら勝て、と」
「そういうこと」
どんなに絶望的な状況でも。
「クドネルの人々を皆殺しにしてでも」
「そういうこと」
クドネルの政府首脳の所在がつかめなくても、衛星を落とすことに意味がないわけではない。所在がつかめないのであれば、大地ごとクドネルを抹殺すればいいだけの事である。
クドネルの大地に衛星、下手をすれば小惑星でも落とせば、問答無用でクドネルは消滅する。
その余りにも危険過ぎる思考にディバインは震える。クドネルが憎くないとは嘘になるが、民族まるごとジェノサイドをしたいわけではない。
でも、目の前の少年は虐殺しなければ勝てないのであれば、虐殺しろという。
が、現実はもっと過酷だった。
「でないと、姫様が大変なことになる」
敗者の扱いが地獄になるというのであれば、その頂点に立つ姫もそれ以上に地獄になるのはわかっていた。
でも、智機の口ぶりではディバインが想像しているのよりも遙かにハードになりそうな気配であった。
「大変というと、輪姦や性奴隷など?」
「姫様は可愛いからな」
しかし、智機は首を横に振る。
「公衆便所扱いされるとは思うが、便所なら便所なりに可愛がってくれるから、その分だけマシだ」
毎日二十四時間耐えまなく性欲処理させられるのも地獄だが、智機はそれ以上の地獄があるという。
「死刑ですか?」
「いや、姫様は実験体として扱われる。人ではなく、研究対象として、物として取り扱われる。パラシュートもなしに生身で1万回も成層圏から突き落とされるようなことを体験させられることになる」
ディバインの血液の温度が2度上がった。
「生身で落とされたら死ぬでしょうが」
「物の例えだ」
公衆便所にされるのは非道ではあるが、雌としては扱ってくれる。希望さえも見られるかもしれない。
でも、実験対象に救いはない。
あるのは仮説の実証のために、身体を好きなようにいじくり回される人生だけ。いや、人生というのも怪しい。もう人ではなくネズミでしかないのだから。
「何故、実験動物になるといえる」
「ディバインはEFの声を聞いたことがあるか?」
ディバインとしては意味不明な方向転換のように思えたが問いかけて言うのをやめる。智機のことだから合理的な意味があってのことなのだろう。
「……ありません」
EFの意志らしきものは感じたことはあっても、明確な声を聞くことはディバインにもなかった。
「オレだってない。変態やシャフリスタン提督でさえも聞いたことがないだろう。でも、姫様はオレがうんたんをした時にメネスの叫び声を聞いたといった。それが何を意味するのか分かるか? ディバイン」
意図が見えてきた。
「姫様には特別な力がある、と?」
もちろん、ファリルの錯覚という可能性もある。
「こればっかりはオレにも何ともいえない。あるかも知れないし無いかもしれない。ただ、斉もファリルに特別な力があると見ていると思う」
どんなに不確かなことであれ、戦争に置いては有りとあらゆる状況を想定しなければならない。根拠も無しに想定しなかった結果が今のシュナードラだからだ。
「そういうことであれば、斉の動機にもある程度、説明がつく、というのもある」
「動機?」
「姫様にはひょっとしたらこの世界のあり方を変える力があるかも知れない。姫様を知ることで世界を手に入れられるとすれば、どんな手を使ってでも手に入れようとするだろ」
EFは感じられることはあっても、叫んだりしない。
それが常識なはずだった。
「あるかどうかも分からないのですが?」
「でも、確かめる価値はあるし、斉ならそれだけで戦争を起こせる余裕もある」
ディバインは智機の言葉を理解した。
冷気と殺意に襲われる。
もし、ファリルにこの世界を変える力があるとして、世界征服を狙う組織がファリルの身柄を確保したら、その身は細胞の一片まで調べに調べ尽くされることだろう。そこには人間の尊厳も愛情も何もない。ただ、徹底的に物として扱われるだけである。
智機の言うことは誇張でも脅しでもなんでもない。
そして、ファリルが実験動物として貶められるようなことがあればディバインは生きていけないだろう。
公家を守護する近衛なのだから。
国を守るため、この可愛い姫を守るためならディバインはなんでもする。
「どうした?」
ディバインは我に返る。
「いえ、なんでもありません…」
寒気がする。
守るためにはなんでもやる。
そのためには平気で人を殺せる。
何百人何千人も殺せなくては姫が守れないというのであれば、何百何千も殺す……
いつの間にか智機と同じ思考になっていた。
「なお、この件は他言無用。ヒューザーにも喋るな」
「あいつ…いや、ヒューザー少佐にもですか?」
「信頼していない訳ではないけれど、機密保持の基本だからだ」
機密保持の基本は、秘密を知る人間を可能な限り最少に抑えることである。
「そこまでなものなのですか?」
「こればっかりはオレにも分からん。ファリルも気づくかも知れない。ただ、出来ることなら人間のままで終わらせてやりたい。それが人情って奴だろ」
「人権やら尊厳やらを平気で踏みにじれるような代行殿から、人情という言葉が出てくるなんて驚きです」
「言ってくれるじゃないか。という訳で後で調査頼む。姫様の経歴を調べてほしい。恐らく、過去に斉の興味を引く、何らかの事件があったはずだ」
「姫様?」
話に聞いたが、目の前にいるファリルの目には涙が浮かんでいた。
付き合っていた彼氏の浮気現場を目の当たりにして、逃げ出してきた直後といった感じだった。
「どうぞ、こちらに」
セシリアが促すと、ファリルは重たい足取りでセシリアの自室の奥へと向かう。個室とはいっても軍施設なのでそれほど広くはない。机に付随する椅子にファリルは座り込んだ。
「今、お茶を入れますからね」
ファリルの反応はない。
相当ショックなことだったのだろう。
困ったことになったと思うが、今のファリルを立ち直らせることができるのはセシリア以外にはいないというのも明白だった。
セシリア自身、饒舌という訳ではないのでストレートにいってみることにした。
「代行殿となにかあったんですか?」
効果てきめん。
見事なまでの驚きっぷりにセシリアは微笑ましいとは思ったが笑ってはいけないところだったので抑えるのに苦労した。
「だって、代行殿の後に可能な限りついてたじゃないですか」
「………」
真っ赤にしているところをみるとファリルはバレていないと思っていたのだろう。
無論、他人からすれば一目瞭然だった。
ファリルは目を閉じ、思考を巡らせる。
目を開けると、高飛び込みをするような緊張っぷりでファリルは口を開いた。
「智機さんがいっぱい人を殺したって本当ですか?」
「代行殿は傭兵ですもの。姫様もご存じの通り、一流の傭兵ですから、シュナードラの全軍など及ばないほどの実戦経験があるかと」
それを言ったらおしまいである。
「でも、姫様が思われているように代行殿が過剰に、しかも一般市民まで手にかけているのも事実よ。代行殿が雇っていた軍と率いていた部隊をご存じですか?」
「わからないです」
「代行殿はカマラ人民民主主義共和国第72装甲騎兵師団バビ・ヤールの師団長でした」
「バビ・ヤールって、あの……」
ファリルの表情が恐怖に染まる。
「カマラ戦争において軍民問わず無数の殺戮行ったうえに、敵国の首都に衛星を落として数千万規模の民間人もろとも政府首脳を抹殺したあの殺戮大隊の指揮官、彼こそがマローダーと呼ばれる殺人鬼なんです」
「代行殿は何故、カマラにおいて殺戮に関わったのですか?」
「命令されたから」
命令に背くようでは何も成り立たない。それが非人道な命令であったとしても。
それだけで終わってしまうのであるが、ディバインは食い下がる。
知りたかった。
敬愛する姫が慰み者にされる未来を回避するためには、他者を殺さなくてはいけない。
そういうことがわかっていてディバインはライダーになったとはいえ、限度というものがある。敵国とはいえ民間人を数千万単位で殺せるほどの神経はディバインにはない。
でも、状況次第ではやってのける覚悟も必要になる。過酷なまでの現状に目の前が真っ暗になるが、目の前にいる少年はやってのけた。
「代行殿は上に命令されただけであっさり従うほど従順だったのですか? 命令がもたらす結果について想像が出来ていたはずです。抵抗や良心の呵責など、何も感じなかったですか?」
無条件に従うのと、命令を理解した上で従ったのでは様相が異なる。特に最後の作戦に関しては、指令を下した上層部に全ての責任を押しつけているのではないかとディバインは疑っている。被害者ぶるには手にかけた人々の数が余りにも大きすぎたから。
「カマラに降下して、最初にカマラからオレに下された命令ってなんか分かるか? ディバイン」
「わかりませんが」
「パルチザンが潜んでいると思われる村落を、一村も残らず掃除」
その言葉の意味に気づけないほどディバインは愚かではない。
「確かな証拠があったわけではないけど、かといって抗命の余地もなかったのは分かるだろ」
疑惑だけであって、確証があって行ったわけではない。それは軍の命令で民間人を殺戮したことの告白。
「あの時、衛星を落としたのは勝たなければ吊されるからだ。衛星落しに至るまでに数え切れないほどの民間人や捕虜を殺害してきたから降伏したところで認められるわけがない。なら、吊そうとする奴らを1人残らず殺るしかないだろ」
「どうして、智機さんは衛星を落としたんですか?」
「命令されたからなの」
「命令されたからで、それでいいんですか? 命令されたからといいって無数の民間人を巻き込んでも構わないんですか?」
「ファリ……姫様…」
セシリアのファリルを見る目が痛々しいものになる。
「それが戦争なの」
「それが戦争……」
「正直、私たちだって他人事じゃない。展開次第によってはカマラを繰り返すかもって代行殿も言っていたけれど、たくさんの民間人を殺すぐらいなら、代行殿は裏切ってもいいということになる。それでもいいの?」
セシリアの問いにファリルは絶句する。
大量の敵国民を殺すよりも、智機が裏切ってくれたほうがいいというのであるのなら確かに敵国民の被害はないが、その代わりにガルブレズに逃れてきたファリル達が救われない。ファリルが犠牲になるのはまだしも、シュナードラの国民たちを巻き込むのは許されない。
「代行殿がカマラで衛星を落としたのは、そうするしか勝てなかったから。敵国の軍勢によって首都を包囲されるぐらいに追い詰められて、どうすることもできなかった。勝つため、生きるためには首都ごと敵国首脳を抹殺するしか方法がなかった」
「そんな……」
これが平時なら、智機のことを殺人鬼だと罵っているだけで済んだ。
智機に言わせれば甘いとのことだが、それでも予断を許さない状況に陥っていることには違いない。
「……落としますよね」
「やる時はやる。そういう人ですよね」
数日程度の付き合いだとはいえ、智機のパーソナリティはある程度つかめている。冷酷なまでに躊躇うことがない。
ふと、ファリルにアイデアが思いつく。
シュナードラの国民も、クドネルの国民も救われる最適な方法を。
……ファリルだけが地獄を見るが、それで何もかもが救われるのならそれでいい、はずなのに震えが止まらない。
「それはだめです。姫様」
何も言っていない。
「なにがダメなんですか?」
「クドネルに降伏しようと思っていたんでしょ」
ファリルの顔が真っ赤になる。
「ど、どうして!?」
「……バレバレですから」
考えていることが、すぐに出てしまうという自覚はファリルにもある。
「降伏すれば私たちは命だけは助かるかも知れない。でも、命が救われるだけ。死ぬと奴隷になるのとどっちがいいの?」
降伏後のシュナードラ国民の扱いについては聞かされていないが、智機と敵指令官とのやりとりを聞いていたから過酷になるだろうとは想像できる。降伏というのは負けを認めたということであり、敗者側の扱いは勝者に全てを預けるということになる。上下があるとするならば上になるということはありえない。
命さえあればいい、というのは簡単だが、セシリアを見たらいえなかった。
「生きているだけでは幸せなんていえない。姫様がいてくれなかったら私たちに生きる意味なんてない」
感動が胸の奥からこみ上げてくる。
「そんな。私なんてどうしようもありません。情けないしヘタレだし、弱いし、いいところなんてぜんぜんありません」
シュナードラ国民にとってファリルが大事な理由は、ファリル本人ではなく、長きに渡ってシュナードラ公室を抱いていた歴史にあるのだが、ファリルにはそこまで考えが至っていない。
だからといって、ファリル自身に魅力が全くないというわけではない。
「代行殿だって、姫様がいなくなったら悲しむ」
「智機さんが?」
信じられなかった。
勝つためなら、大量殺戮の躊躇わない戦闘マシーン。それが智機である。従って、ファリルにとっての智機というのは雇い主と傭兵といった関係でそれ以上でもそれ以下でもないはずだった。
「代行殿の今後の見通しは?」
カマラの件については、突っ込めば突っ込むほど心が折れてくるので、当面の問題に切り替えることにした。今は智機の昔話よりも、クドネルの来襲のほうが遙かに重要である。
「本当はとっくの昔に戦争なんて終わっていたはずなんだ。クドネル側からすれば」
「どっかの殺人鬼が酔狂にも乱入してきましたからね」
「シュナードラの完全制覇は難しくなった。半ば遊びで起こしている戦争なんだから、まともな奴なら、ここで和議を入れると思ったんだけど、姫様を差し出さなければ許してくれそうにないな」
クドネルとしては、大した被害もなくシュナードラを併呑できる予定だったのが、智機の乱入によって計画が狂いに生じた。まともに当たってもクドネルはシュナードラに勝てるのかも知れないが、これまでとは違い被害が莫大なものとなる。
展開によっては計画から根底から覆されることを考えれば、シュナードラ領のほとんどを占領しているので、和議に応じても収支的には問題がない。むしろ、株式で言うなら今が利益を確定させるちょうどいい機会だろう。少なくてもそれ以上の儲けは智機がさせない。しかし、ファリルの身柄も確保が条件となると話が違ってくる。
ファリルを売り飛ばすつもりは全くないのだから、諦めてもらうまで抗戦しなければならない。問題は諦めるラインである。
「斉にしてみたところで、ここで負けても、それほどの痛手にはならない」
スポンサーの斉にしたところで、本土を攻め込まれているとか、皇族が殺されたという話ではないので負けた大した被害はない。金銭的に損をするかもしれないが取り返しの付く額である。
「他人の戦争ほど面白い娯楽はないから」
「腹が立つ話ですね」
「一番面白いのは参加することなんだけど」
「もっと最悪ですね」
「でも、愛憎が絡まないから楽。カマラなんざ、どっちかがどっちかを根こそぎ殲滅しなければ収拾のつけようがなかった」
自分たちの命を娯楽として見られていることには腹が立つが、逆に言えば感情が絡まないということでもある。憎悪のレベルにまで達してしまうとどうしようもない。智機が言うと説得力がある。
「我々からすれば、許し難い話ですが」
ディバインの口調が刺々しいのは、クドネルの侵攻によって大量のシュナードラ国民が死んでいるからである。軍人ならまだしも、緒戦で民間人が都市レベルで大量に虐殺されているのだから我慢できるものではない。
「クドネル側の民間人もぶっ殺せばカマラ同然の泥沼になる。オレがいっても説得力はないんだけど」
報復は報復を呼び、結果として取り返しのつかない泥沼と化す。世の中は納得できない事、理不尽な事だらけであり、時には我慢して飲み込まなければならないことも良くあることなのだ。
「雇い主は共存がお望みだから、できる限りの要望は叶えてやるのがプロっていう奴だろ」
「カマラで衛星落した、外道の言葉とは思えないですね」
「ディバインは、クドネルにどれだけの増援が来るか予想できるか?」
強烈な皮肉も関わらず平然とスルーされてしまった。
「大兵力で圧倒するのが基本ですが」
和平という話がない以上、クドネル側にも増援が送られることが決定的となっていた。そうでなければ、せっかく得た成果が無くなるのが目に見えているので否が応でも送らなければならない。
問題はその数。
ディバインが言うように大兵力で攻めるのが常識である。智機でさえも諦めるほどの物量で押せば、戦わずに降伏してくれるので結果的には支出も最少で済む。逆に逐次投入はやってはいけない愚策である。投入する兵力、兵力が潰されてしまっては投入した意味がない。金と命を投げ捨てるだけである。
「ディバインの言う通りだけど、行けるかどうか難しいのが救いというか皮肉というべきか」
「希望的観測ですか?」
「シュナードラごとき小国を料理するのに、牛刀はおろかEFを持ち出す意味があるのか、ということ」
国境でレアメタルの厖大な鉱脈が発見されたことが戦争の原因になったとはいえ、鉱脈程度なら斉領にいくらでもあるので、わざわざ代理戦争を行ってまで取る必要もない。そもそも有人惑星一つだけの星系を得るのに斉全軍を投入する意味はない。
ディバインは最初の会議での内容を思い出す。
さしもの斉とはいえ、無制限の侵略行為は困難になりつつある。現状を打破しようと様々な試みを行っており、クドネルの侵攻もその一つの可能性だといえた。
比較的に小規模な国家に働きかけを行って、親斉政権を樹立。連合を造り上げて各大国を圧倒していくという作戦なようで、NEU周辺で起きている様々な争乱もこの計画に基づくものと言われている。
つまり、これまでの斉とは違い大兵力は出せない。
更に、もう一つの要因がある。
「斉の一連の働きは楚王の差配によるものと言われている」
「楚王。次期皇帝候補者の1人ですね」
「皇太子亡き後、秦王と共に最有力候補と称されているが、評判は両方とも余り良くない」
「悪いの間違いでは?」
「そうとも言う」
百人は下らないとされる斉国皇帝の子の中でも、正后の嫡子で最年長にあたることから有力候補と目されているがどちらかに決めきれないのは、似たり寄ったりの愚物という評判で、決め手に欠けるからである。とすれば実績を積み立てるしかない。
どの勢力もある程度に成長すれば、内部に派閥ができて対立がおきる。斉も例外ではなく、むしろ、無いほうがおかしい。
勝てば銀河最強国の皇帝、敗者は下手すれば処刑なのだから、その争いは激しいものになる。こうなると外敵よりも憎くなるので、一方が計画を発動させれば、その対立側は失敗を願い、妨害もする。
「まとめると斉国内の諸事情から、大兵力を出す見込みは低いということですか」
「斉からすれば、他国に揺さぶりをかけることができれば成功なんだから、シュナードラが取れようが取れまいがそんなものはどっちでもいい。外したら外したで、その時はその時だ」
つまりは落とすことになるのかとディバインは思った。
躊躇うことはしないが、かといって無制限に落とすという訳でもない。全ては智機に委ねるしかない。
「問題は、オレよりもお前ら。現状では、増援呼ばなくても叩きつぶせるだけの兵力がクドネルにはある。オレとティーガーなら持ちこたえる事は可能だ」
ディバインは胃が締めつけられるような痛みを覚える。
衛星落しとタイムラグをつけて侵攻してくるであろうクドネル軍に、智機抜きで立ち向かわなければならないという厳しい現実が待っていることである。
「ディバインたちは、姫様のために狂戦士化する覚悟はあるのか?」
厳しさがナイフとなって内臓をえぐる。
狂戦士化とは、ライダースキルの一つで、自身が撃破されて即座に再生、眼前の敵を殲滅するまで戦い続けるという技である。ただし、自身の命を引き替えにしての発動となる。
国を守るため、姫を守るため、ディバイン達には命を捨てる、人間ではなくなる覚悟があるのかと問われている。
特に智機に問われるとハンマーで全身を叩きつぶされたような痛みを覚える。
「……そんなのは最初から分かっている」
「アヴァロン攻防戦は終わりだったから玉砕してもよかったけれど、今回は終わりというよりは始まりだから死なれたら困る。いざとなったらやってもらわなければならなくなるけど」
予想されるクドネルの攻撃を乗り切ったとしても、これで終わりという訳ではなく、ある程度の目処をつけるまで戦いを続けなければならない。途方もない道のりになってしまうが、バーサークしなければ守れないというのであれば否が応でも実行しなければならい。
「バーサークしようと思っても簡単にやれるものじゃないけれど。手伝ってはやれるが、結局は騎士団次第だ」
ショックだった。
「バビ・ヤールって、どんな部隊だったんですか?」
旧カマラ人民民主主義共和国第72装甲騎兵師団バビ・ヤールは一般には虐殺師団や殺戮大隊として名高いが、イメージだけが一人歩きしていて、詳しい事は知らない。
一週間前まではそのバビ・ヤールの関係者を雇うなんて思ってもみなかった。
「元々は懲罰部隊だったの」
「ちょうばつぶたい?」
「戦争の後期になって劣勢に立たされたカマラ共和国が、兵力の穴埋めに刑務所に入っていた犯罪者や軍法会議に掛けられた軍人、それに敵国の捕虜たちを集めて作ったのがバビ・ヤールの始まり。だから、軍隊とは名ばかりの犯罪者の集まりで、敵軍の戦闘よりも民間人の殺戮や略奪に夢中になっていた。もっとも、軍のほうでも捕虜や民間人の殺害、更には楯といった、汚れ仕事を請け負わせていたから、どっちもどっちよね」
「どうして、智機さんが、その部隊の中に」
「単純に見込まれたから?」
「見込まれた?」
「代行殿は、カマラに来る前はセンチュリオンズにいたのよ」
「センチュリオンズって、すごいじゃないですかっっっ」
センチュリオンズとはNEU内における主力騎士団の一つでエリート中のエリートと呼ばれる部隊である。
「でも、なぜ辞めたんですか?」
センチュリオンズの一員になったということは何一つ不自由のない人生を約束されたということを意味する。にも関わらず捨ててしまったことをファリルには理解できない。これは一般的な反応というものだろう。
「色々あったの」
「色々、ですか」
「そう、色々」
智機のことなので、色々で片付けるには嫌な事も黒い事も血生臭いことなど多すぎて片付づけられないのであるが、あまりの濃さに二人とも耐えられそうにないので、色々で片付けるしかなかった。今は。
「なにはともあれ、代行殿が指揮官となった部隊は寄せ集めの犯罪者集団から精鋭集団へと変わることになる。虐殺師団や殺戮大隊とか言われているけれど、半分は褒め言葉なの」
智機が来ただけで、シュナードラ軍の雰囲気がガラっと変わった。クドネルの攻撃に右往左往するだけで何もできなかった軍隊とは呼べない素人の集まりが、ほんの数時間だけでまとまりのある行動が取れるようになった。
経歴も人種もバラバラな連中が、一つの強烈な個性によってまとまっていく様をファリルも体感している。
「でも、バビ・ヤールの奮闘も空しく民主主義共和国は、稚拙な戦略もあって追い詰められていき、最終的には首都を包囲されることになった。そこまで言っちゃえば分かると思う」
「はい。分かります」
そして、智機は衛星を落しにいき見事、政権を衰滅させた。首都ごと皆殺しにして。
「バビ・ヤールの人たちはどうなったんですか?」
智機は言っていた。
生き残ったのはたった3人だけと、
でも、でも死んでいった兵士たちの様子は、あの言葉だけでは伺い知ることはできない。
「バビ・ヤールは、代行殿が衛星を落しに行っている間、彼らは何十倍もの兵力で攻めてくる敵軍から首都を守った。そして、敵軍の殲滅と引き替えに彼らは玉砕した。狂戦士化してまで首都を守ったの」
「狂戦士化…」
命を捧げることとによって、眼前敵を全て沈黙させるまで戦い続ける禁断の秘技。
技量を問う以前に、命を捧げられるほどの思い入れがなければ発動することはできない。
絶対絶命の境地に追い込まれて、彼らはどのような想いで命を捨てて、首都を守ろうとしたのだろう。想像するに大した恩恵も与えていない街を。
「話はこれで充分か?」
これから起こるであろうクドネルの襲撃について、話はまとまった。
智機にしてみればする話はないのだが、ディバインにはある。
「代行殿は何故、カマラ戦に参戦したんですか?」
兵士とは違い、傭兵には戦いを選ぶ自由がある。智機が参戦した時期には旧カマラの敗北が決定的になった頃で、この段階で旧カマラに参戦をするという事は宝くじの一等賞金を狙うような博打か、あるいは悲惨な敗北に快感を味わうためのどちらかとしか思えなかった。
智機は気持ちがいいほどの爽やかな笑みを浮かべて答えた。
「戦争が大好きだからだ♪」
言葉とは裏腹に、邪心の欠片さえも全くない態度が見ていて頭が痛くなる。
「……ほんとに戦争が大好きなんですね」
予想通りではあったが。
「クルタ・カプスから2週間後にカマラだからさ、我ながら血に飢えているとしか思えない。でも、この話に教訓があるとするならば心の隙間を埋めるために戦いを求めてはいけないということ。更なる絶望を生むことになる」
2週間程度なら休んでいるとは言わないので、普通なら連戦することはできない。普通なら神経が持たないし、ディバインが智機の立場に立たされても拒否する。それでも連戦し続けるのは自身が語るように智機は戦闘狂なのだろう。
「代行殿は初めての任務が、パルチザンが潜伏していると思われる村落の一掃と言いましたね」
「ああ、言った」
「その任務。絶対に拒否はできなかったのですか?」
強制されたのであれば同情の余地はある。
「いや、逃げようと思えば逃げることもできた」
智機はあっさりと答えた。
つまり、民間人殺害を伴う任務については拒否することもできたわけで、こうなってくると話しが違ってくる。智機が殺人が好きであれば、裁かれるのも自業自得である。
「でも、あの状況では避けようがなくて、オレが逃げても他人がやらされるだけだった。なら、オレがやっるほうがよかった」
「なぜ、よかったんですか?」
「いくらでも憎んでくれていいから」
まだ、無抵抗な人間を虐殺したくて、上司の命令をダシにしたというほうがマシだったかも知れない。少なくも、わかりやすい。
「憎まれて、嫌われて、それでも構わないですか」
「ああ、全然かまわない。火をつけたいのなら放火魔に、強姦をしたいのであるなら性犯罪者に。詐欺をしたいのなら詐欺師に。虐殺をしたいのであれば殺人鬼に。適材適所っていう奴。オレがこの手の仕事に向いているから引き受けた。合理的だろ」
人は他人から好かれたい、嫌われたくないという生き物である。なぜなら、一人では生きていけないから。周囲を敵に囲まれているという状況に耐えられないから。
それなのに、この目の前にいる少年はいくらでも憎まれても、好かれなくても構わないといっている。
世界の全てに憎まれても平気だと宣言している。
冗談なのかも知れないし、あるいは強がりであるのかもしれない。
しかし、智機の経歴が、それを否定する。
人に憎まれ続ける結果を積み上げて、今に至っているのだから。
でも、意味が分からない。
「人から嫌われて、憎まれるようなことを引き受けて、代行殿にはどんなメリットがあったんですか?」
「カマラについた瞬間、オレが権力を握らなくちゃいけないと思った。上の連中がバカばかりでうかうかしていたら奴等の作戦で殺される。そのためには信用っていう奴が必要だけど、オレには姫様みたいなカリスマなんてないから、他人がやりたがらないことを進んでやるぐらいしかなかった」
「その結果は?」
「蔑まされはしたが、そんな奴等はどこぞのお花畑首相並の無能だからどうでもいい。それ以上に立派な漢たちの信望を集めることができたから、やって良かった」
その漢たちは、智機の配下についたバビ・ヤール達の兵士たちなのだろう。
恐ろしいのは、憎まれても構わないということは裏返せば、どんなに鬼畜外道なことでも平気でできるということである。他人の感情を斟酌する必要がまったくないからだ。
遠慮や配慮や考慮といったものを一切阻害した時、この男がどんな地獄を造り上げるのかと思うと戦慄が走る。
「実際、勝ったからな。勝ってしまえばどんなに悪業を働いたところでも無かったことにできる。だから、オレ達は勝たなくてはいけない」
ただの悪党、と切って捨てることができるのなら、どんなに楽なのだろう。
「思えば、良かったよ」
「……何がですか?」
脈絡もない話題の展開にディバインはついていけなかった。
智機は言う。
「ファリルが衛星を落とすことに反対してくれたから、オレは心置きなく衛星を落とすことができる」
さりげなく落とされた爆弾。
ディバインには智機が何を言っているのか理解できなかった。
落とすことに反対してくれたから、落とすことができるとは矛盾している。
でも、智機のことだから矛盾に気づいた上での発言である。
「独断専行ですか?」
すぐに理解はできた。
「カマラでは前総統の命令だから責任を前総統に被せることができた。シュナードラではファリルが反対したにも関わらず、部下が命令違反をした。全てはオレの責任でやることであって、他の誰にも責任はない」
「代行殿はどうするんですか?」
「流石に責任被って死刑になる気はないから、トンズラこくけれど、それでいい」
「何がいいんですか」
「みんなが泣くのも苦しむのもオレのせい、オレ1人を悪いものにして呪えばいい。オレはなんだってやれる。罪もない老若男女を嘲笑いながらぶっ殺せる鬼畜だ。いいことじゃないか」
「なぜ、そこまでするんですか」
智機の覚悟は自分1人が犠牲になってでも世界を救おうという覚悟だ。いくらティーガーが報酬だとはいえ、度を超えている。ティーガーのためにそこまでする義理はない。
「誰彼もが呪えば呪うだけ、憎めば憎むだけ、オレは強くなれる。そんなところかな」
智機は用は済んだとばかりに、ディバインの前から歩き出す。
その小さな背中が完全に消え去るまで、ディバインは動けなかった。
恐れ、怒り、様々なものが胸の奥で渦巻いて、形にならなかった。
それらがようやく一つになった時、ディバインは壁を殴っていた。
「ふざけるな!! 御給智機っっっ!!!」
ディバインは連続して壁を殴る。壁は僅かに震えるだけで壁は壊れず、むしろ殴る手に痛みが走るが
痛みを怒りが上回っていた。
「この厨二病がっっっっっっっ!! 殉教者を気取るのもいい加減にしろっっっっ!!」
「珍しいなあ」
呑気な声がして、我に返って振り向くとそこにはヒューザーが立っていた。
「ブルーノが吠えるなんて。槍でも降るんじゃね。いや、だから衛星が落ちてくるのか」
「縁起でもないこと言うな」
無礼なようにも聞こえる親友の軽口で、ディバインは冷静さを取り戻す。
「格納庫に入る前に、代行殿とスレ違ったんだけど、何が?」
「あの人とオレ達の価値感が余りにも違い過ぎてて、ショックを受けているところ」
「フラれたと思った?」
「……殺すぞ」
「アメリカンジョーク、アメリカンジョーク」
「ところで、ハルドはなぜここに?」
「一仕事終えたんで寝るところ。その前に最新鋭騎を一目見たくてね。いっぱいやるか?」ブルーノも休憩取ったほうがいいぞ。休んでないだろ」
ディバインはヒューザーの右手に中身の詰まったビニール袋がぶら下がっている事に気づく。
「ほらよ」
ヒューザーがビニール袋から中身を取り出すと、ディバインに向かってぶん投げる。
キャッチするとそれは缶ビール。
いつもなら、ふざけるなと言いたいところではある。
「……休むか」
ディバインはプルタブを引き抜くと、口をつけて一気に飲み始めた。
今は自棄酒したい気分だった。
「……なんだよ、これ」
舌に感じたのはアルコール独特の熱さではなく、やや苦みのあるアップルサイダーの味。
よーく見るとラベルに表記されていたのは「こどもびぃる」
もちろんアルコール度数は0
「酒飲みたいのはやまやまなんだけど、数日後に隕石落しされるかも知れないのにアルコール飲めないだろう」
「で、探した結果がこれか」
ノンアルコールビールですらない、子供向けアルコールテイスト飲料であるが、ヒューザーの真っ当な言い訳に沈黙する。智機が必死こいてティーガーの調整を行っているのに、いい歳こいた大人2人が2日酔いというのは様にならない。
「あの……お願いがあります」
「どうしたんですか? 姫様」
「その…プライベートの時は姫様というのは遠慮してほしいのですが……」
セシリアはクスリと笑った。
「あの……いけませんか……?」
気分を害してしまったと思ったのか、怯えるところが可愛くてたまらない。
「じゃあ、ファリルちゃん」
セシリアは力一杯ファリルを抱きしめる。
「……はい」
「わたし、ファリルちゃんみたいないもーとがほしかったのー。よろしくねー」
その時のセシリアは至福意外の何物でもなかった。
「あの人と色々と話をした」
「どうだった?」
「圧倒された」
「代行殿を見ているとナイフが喋っているみたいで落ち着かない」
「あの人は言っていた。「いくらでも憎んでかまわない」と」
「どんな地獄を見ているんだろうな。代行殿は」
いくら尽くしても、いくら愛しても報われることはなく、世界の誰からも憎まれる。
世界の全てが敵。
助けてくれる者は誰もなく、少しで油断していれば殺される世界。
それはどれだけの地獄なのだろう。
「恐らく、あの人に見えているのは劫火で焼き尽くされた後の何もない砂漠」
誰にも愛されない、味方などいない孤独。
そんな孤独にディバインは耐えられない。一瞬後には銃で頭を撃ち抜くだろう。
でも、智機は憎まれてもいいといった。
「いや、死体で覆い尽くされた荒野なんだろうな」
憎んでくれても構わないとは言ったが、憎まないとはいっていない。憎まれるべきだが、智機から憎むなといったら最後、その口に銃を突っ込まれ、ニタニタと獣のように笑う智機の眼前に見ながら、頭を吹っ飛ばされることだろう。
どうせ、1人なのだから人がいようがいまいが関係ない。ならば憎い人類を1人残らず一掃したほうが気持ちいいとエスカレートしても不思議ではない。
「どうやったら、あんなのができるんだか」
「考えてみろ。あの歳でカマラを経験しているんだ。どうかしないほうがおかしい」
智機の憎まれてもいい発言は、青二才が粋がっているのではなく、人間の醜悪な面を見せさせ続けられてた人生の中で得た答えである。
小学生ぐらいで民間人の大量処刑をやらされてきた。既に地獄を生き延びてきたのだから歪まないほうがおかしい。黙っていれば普通の少年と変わりがないだけ奇跡なのかもしれない。
「代行は、カマラが初陣だったのか?」
「違う。公式で確認される最初の軍歴はNEUのシャフリスタン艦隊だ。ガートルード・シャフリスタンの従兵をしていたそうだ」
「あの鬼エースのね。確か、クルタ・カプスで反乱起こして戦死したんだっけ」
「代行殿に倒された」
さしものヒューザーも絶句する。
持っていた中身入りの缶ビールを取り落とし、地面に接地するスレスレでキャッチする辺りは無駄に器用であるが。
「従兵ということはいつも付き従っていたんだろ」
「そういうことになるな」
「どういう想いでぶっ殺したんだ?」
「清々した」
今度は派手に吹き出した。
必死に咳き込むところを見るとこどもびいるが気管に入ったらしい。
「ハルドは従兵と上官の関係を親子のように見ていたようだけど、そうだとは限られないだろ。奴隷のような関係だったら、ぶち殺したくなるのも自然だろう」
本当のところは知らない。
憎む関係なら説得力はあるけれど、ヒューザーの言うように信頼関係を築いたことも否定はできない。
一番いいのは本人に聞いてみることであるが、
「いや、ハルドの言うように信頼関係に結ばれていたんだろうな」
「なんだよ、その言いぐさは。吹いたビール返せ」
「代行殿と初めて出会った時、離れる時に何を言ったか思い出せるか」
「忘れた」
「バビ・ヤールとシャフリタン艦隊が参戦する、と言っていた。艦隊にいい思いがなかったら、わざわざ含めたりはしない」
嫌な記憶しかなければ、存在そのものを最初からなかったことにする。所属していた事を誇りに思ったからこその言葉だったのだろう。
……それだけにこどもびいるがやけに重い。
「あの人、生きていて楽しいのかな?」
「さあな」
どのような経緯があったのかは定かではないが、それなりに思い入れのあった場所を自らの手で消し去ったら、どれほどの痛みが来るのか想像もできない。
仮にディバインがそのような局面に遭遇したら恥も外聞もなく逃げる。死ぬ事さえも辞さない。
でも、智機はそれをやった。
そして、今もなお生きている。
ディバインの予想が正しいのであれば、意識にそれこそ肉親を失ったような空白が空いているはずである。
「ハルド、おじさんたちは?」
ヒューザーは無言で首を横に振ると、ビールをあおった。
「……生きているとは思うけどね」
「よく楽観できるな」
「そうと考えなきゃ納得できないでしょ。つうか、どっかの誰かさんのおかげで悲しむ暇もありゃしない」
「そうだな」
軍職についていなかったら肉親が見つからないことへの悲しみに浸っていることができただろう。しかし、2人とも軍職で、何の間違いか司令官職に抜擢されてしまった。こうなってしまえば悲しみに耽溺することはできない。2人が判断を誤れば2人だけではなく、多数の人々が死ぬことになる。課せられた責任の重さに耐えられるのかどうか気を抜けば不安になるが選択の余地はない。全身全霊の力で持って最大限の努力をするしかない。
「この戦いが終わったら、ボク。セシリアたんのおっきな胸で慰めてもらうんだ」
「ハルド、それ死亡フラグ。というより、いつからハイネン少佐はお前の彼女になったんだ?」
「なる予定。ばりっばりっのエースライダーに惚れない女などいない!」
「なれるといいな」
「ファリルちゃんは、代行殿……智機くんのことはどう思っているの?」
「どうって……?」
「まずは裏切られたと思っている?」
それは否定できない。
軍人だから人を殺しているのは仕方がないとしても、殺害範囲が民間人にまで及んでいるのは弁護が不可能だった。再び出会った時にどんな顔をしたらいいのかわからない。
「嫌いになった?」
反射的に首を横に振る。
智機がいなかったら、ファリルの人生はクドネルの首都侵攻で終わっていた。
意図はどうあれ、智機がこの星に降りてきてくれたからファリルは生きている。この地にいるみんながシュナードラ再興の希望をつないでいられるのも智機のおかげである。
ティーガーという報酬を与えたとはいえ、過去のことで智機を拒絶するのもおかしいとファリルは思う。 大量殺人鬼よりはマシだとはいえ、ひどい恩知らずになったような気がする。
外道な過去があったとはいえ、智機には様々な恩を受けている。
「最初はどう思った?」
「怖かった」
生身だけで、このシュナードラの地に墜落しながらも平気で立ち上がり、ファリルの求めに応じて銃で撃ち殺そうとしたけれど、撃ち殺されず、ただ震えているだけのファリルに立ち上がることを強制した。その有様はまるで悪魔だった。
その後の行動はもっとも悪魔。
ファリルを背負って、事もあろうに2体のEF相手に生身で喧嘩を挑んだのである。巻き込まれたファリルはたまったものではなかった。
ビームが掠っても死ぬし、智機が足場を踏み間違えても死ぬ。
翼やエンジンもなく、ただ跳躍力だけで飛んでいる浮遊感には恐怖しかなかった。
止めに……お漏らしまでさせられてしまった。
顔が真っ赤になってしまう。
でも、その怖さというのは強さの裏返し。
智機が起動しているEFを乗っ取りに行く課程や、その後の無茶な戦闘の数々は怖かったけれど同時に凄かった。
特に無数のEF群に単騎で突っ込み、ほとんど何もしていないのにも関わらず敵騎が勝手に落ちていく様は神業としか思えなかった。
後で攻撃的回避という高等テクニックをやっていた事を知らされて、驚いたが。
そんなことを、たやすくやってしまえる智機は単純に凄いと思った。
見とれてしまうほどにかっこよかった。
だから、次のセシリアの一言が信じられなかった。
「もし、智機くんが死んだら、ファリルちゃんばどうする?」
それは信じられないことだった。
死神その物しか見えない智機に、人の命を奪うことはあっても、奪われる図なんて想像もできなかった。
「智機さんが死んじゃうなんて、嘘、ですよね」
セシリアは首を横に振る。
「ファリルちゃん。世の中には絶対ということはないの」
数日前までは、シュナードラが他国に攻め込まれるなんて想像もしなかった。リアリティに乏しい夢物語だと思っていたけれど、いつまでも永遠に平和でいられるというのが、何の根拠もない思い込みでしかなかったということに気づかなかった。あるいは目を反らしていた。
高いところに立っていて、でも、支えている柱が針のように細いものだったら、その事実を忘れたくなる。
智機は充分に強いライダーである。
でも、強いライダーがより強いライダーに敗れる、もしくは運などの要因によって弱いライダーによって敗れ去ることもある。
そもそも、智機に出会ってからロストックに収容されるまでが綱渡りの連続。
智機は確信を持って行動をしていたが、読みが少しでも外れていたら死んでいた。冷静に考えてみたら、智機とファリルが生きているのも奇跡だった。
智機が死んだらどうなるのだろう。
目の前が真っ暗になる。
ファリルは気づいた。
智機が死んでしまったら、胸にぽっかりと大きな穴が空いてしまうことに。
怖くなる。
そのまさかが現実のものとなれば、立つ大地ごと崩れて、永遠の闇へと落ちて行きそうで。
「なあ、ハルド」
「どうした、ブルーノ」
2人の周りには大量の空き缶が転がっている。
「クドネルに負けたのはオレ達のせいだ。そして、バカを首相に選んだ国民のせいだ。でも、代行殿にはクドネル戦については何の責任もない。これはわかるな」
智機が憎まれても構わないことをいい事に、身内にも非道を働くようなことするような輩であったら、ディバインも遠慮無く智機を憎むことが出来ただろう。
しかし、智機が民間人の処刑を行ったのも衛星を落としたのも、誰もがやりたくない嫌なことを代わりに、進んで引き受けただけのことである。
誰かの身代わりになって憎悪を買っている。
智機は憎まれれば憎まれるほど強くなれるからと語っていたが、ディバインはどこにメリットがあるのか理解できない。
ただ、便所掃除程度なら、多少の後ろめたさは持ちつつも「そういう奴だから」ということで流すこともできただろう。
でも、まだ警戒心もなく、無邪気に笑う赤ん坊の頭に銃を突きつけて引き金を引くような役割を押しつけておいて、自己を正当化するような真似はできない。
「仮に代行殿が衛星なり隕石をクドネルに落として戦争を終結させたら、オレ達騎士団全員は腹を切らねばならない」
「智機くんは必要なら自らの意志で、クドネルの人達全てを皆殺しにできると思う。智機くんは自らの意志で引き金を引いたというとは思うけど、本当は違う。私たちの無能と悪意が、智機くんに無理矢理引き金を引かさせるの」
セシリアの一言はパイルバンカーの切っ先となって、深々とファリルの胸に突き刺さる。
「私たちの無能……」
それはさんざん智機が指摘していた。
政治に置いて判断ミスさえしなければ、そもそも戦争にはならなかった。その罪と責任は何処かで果たさなければいけない。少なくても、降伏するというのは責任を果たした事にはならない。
たとえ残虐な結果になったとしても。
「智機くんに問題がないとはいわない。でも、カマラ戦において一番醜いのは、智機くんじゃなくて汚い仕事を押しつけた大人たちよ」
ファリルは初めて見る。
セシリアが怒っているところを。
「この先どうなるかは分からない。でも、最悪な手段で勝ってしまったら、私たちの罪さえ代行殿に背負わせてしまう。首都を落とされたのは智機くんのせいじゃないのに」
この戦争の結末は見えないが、汚い展開になるのは避けられないだろう。
本来ならば責任としてすべきシュナードラ国民が行う仕事を、何の責任もない智機に押しつける。
そして、期待通りに汚い仕事を完遂した智機を汚れた騎士だと嘲り笑う。
……初めてだった。
「姫様お願いします。どうか、シュナードラの国民を卑怯者の民にしな……」
「そんなことは絶対にさせませんっっ!!」
こんなにも血が熱くなったのは。
「……ひめさま……」
言葉を遮られたにも関わらず笑顔になるセシリアを見て、ファリルは恥ずかしくなってしまう。
やりたくない仕事、汚い仕事を何の責任もない人に押しつけてふんぞり変えるのは最低。それこそ、智機が言うに存在する価値もないのだろう。
弱いのは仕方がない。
でも、命がけで自分を守ってくれて、なおかつ責任を背負うとしている人を殺人鬼だと罵倒する卑怯者にはなりたくない。誰にもそうはさせない。
ファリルは気づいた。
自分にはそうさせるだけの力があるということを。
「ったく、しょうがねえな。わーったよ。セシリアさんを口説けないのは残念だが、そん時は一緒に腹切ってやるから、安心しろ」
「……すまん」
「いいってことよ。昔からだからな。でも、死ぬつもりはないからな」
「そうだ。俺たちは絶対に死なない。死ぬものかよ」
「ああ。モッテモッテのリア獣になってやるからよ」
「落ち着いた?」
「はい」
セシリアと話したことによって落ち着けた。
「とりあえず、智機くんと会って話してみること。それが一番」
全てが納得行ったわけではないが、歩くべきルートは定まった。後は突っ込むだけ。玉砕するかも知れないが、突っ込まなければ変わらない。
「ありがとうございます。お礼は……」
「いいの、いいの。ファリルちゃんのおねーちゃんになれるだけでも嬉しいから」
セシリアの表情が少しだけ変化する。
嫌な予感がした。
ちょっとだけ、智機っぽかったから。
「ファリルちゃんは智機くんのこと、好き?」
少しは予想していたとはいえ、顔が真っ赤になってしまう。
冷静に考えて見ると、好きなのかも知れない。
嫌いであれば、智機の外道すぎる過去を聞いてもショックはうけない。
何よりも智機が死ぬかも知れないと聞かされた時には絶望を覚えた。それこそ、大地ごと闇へと崩れ落ちるようだった。
智機が死んだらどうなるのか、想像ができない。
その意味では他人ではない。
でも、ファリルの命令でその人を死地へと向かわせている。
智機は平気、慣れているともいうが、だからといって、ファリルも平気でいられるわけではない。
「じゃあ、ファリルちゃんは智機くんに幸せになってほしいと思う?」
「欲しいです」
即答だった。
命がけでファリルを護ってくれた智機だからこそ、地獄を歩いてきた智機だからこそ、そして、嫌なことや辛いことをたくさん経験した智機だからこそ、幸せになってほしかった。
幸せは人の数だけある。
「でも、快楽殺人するのが幸せというのはダメですよね」
セシリアも答えられない。
人は誰にでも幸せになる権利はある。しかし、他人を傷つけてまで幸せを追求する権利はない。
しかし、智機はライダー。
戦場に出るのだから、基本的には誰かを殺さない限り帰ってはこれない。智機が殺した人々も同じ人間であり、幸せになる権利があった。
踏みにじる権利はない。
でも、踏みにじらなければ生きて帰ってはこれない。
その矛盾の前に、ファリルはどうすることもできなかった。
「市長、偵察ポッドとウィルスポッドの在庫はあるか?」
智機は端末ルームにいて、携帯越しにザンティと会話をしている。
「多分あるだろうと思うが、探してみる」
「半々の割合でティーガーに搭載してほしい」
「了解したが、何に使うんだ?」
「局面次第では使用する事になるから」
「局面ね……何を企んでいる?」
武器弾薬とは違い、両方とも戦闘に使えるものではない。局面によっては使えるかも知れないが、逆を言えばただのゴミにしかならない。
「武器ならドリフトで代用が効くけど、偵察とウィルスポッドの代用はドリフトではできない。それだけ」
「てっきり代行殿なら、殺戮やむなしだと思っていたんだが」
「出来る限り、顧客の要望に応えるのがプロだから」
「なるほど」
「あと、協力者の中からプログラマーと映像作家をリストアップ」
端末の向こうで、ザンティが笑顔を見せる。年寄りだというのに悪ガキのような笑顔である。
「随分と面白そうなことを企んでいるじゃないか。ライブなんていうのも面白そうだが」
どうやら、智機のやりたいことを理解したようである。
「本音をいっちゃえばやりたいところなんだけれど、流石にそんな余裕はないのが残念」
「作家は必要ないのか」
「文章は自分で考えたい。だから、映像作家は2時間後でいい」
「まあ……がんばれ」
「それじゃ」
智機は通信を切ると、目の前のディスプレイを確認する。
通信だけならどこでもできるが、なぜ、端末ルールに踏み入れたかといえば、手頃なものならなんでも製造できてしまう多目的3Dプリンターは、この端末ルームぐらいにしかないからである。
ディスプレイを見て、完了の表記が出ているのをプリンターのトイレを開けると、ワッペンが複数枚できていた。
いずれも、ティーガーにマーキングされていたのと同じ、盾状の枠に赤に黒抜きでБと書かれた師団章である。
智機はそのワッペンをじっと見つめる。
遠くを見るような目で。
「……行くぞ。お前ら」
寂しくも猛々しいその呟きは、誰にも聞かれることなく消えていった。
・・・・・
智機は目の前にいる3人の人物を見た。
黒人の少年と気が強そうな少女。
この2人はタブレッド越しではあるが見たことがある。
更に、2人よりも年上な男は、大柄にも関わらず3人の中で一番緊張しているようで、落ち着いていない。パンティでも盗んでいて発覚を恐れているかのように見える。
無論、察しはつくが。
「テスト合格おめでとう。これで君らも騎士団の仲間入りだ。もっとも、それが君らにとって本当の幸運かどうかは分からないが、頑張ってくれ」
彼らは、EFの適応テストに合格、つまりライダーとしての適性が認められた者たちである。テストは盛況だったが、合格したのは3人だけ。でも、確率で考えれば3人でも多いといえた。
「君がジャスティン・マンジールくん」
「…はい」
智機よりも遙かに上背があり、智機よりも遙かに強そうに見えるのに妙に落ち着きがない。
「姫様にあんなことをしようとしたのに志願とは、どういう風の吹き回し?」
死体のように身体が硬直する。
そう、ガルブレズに向かう道中で食堂に訪れたファリルに乱暴を働こうとした連中の1人である。
「こんなオレでも姫様の役に立ちたいと思いまして……」
「姫様は過去の経緯を気にしないし、きっと貴様の身を親のように案じてくれるだろう。オレも過去の経緯は気にしない」
智機の口が獲物を見つけた肉食獣のように歪んだ。
「でも、姫様を裏切ったら……分かっているんだろうな」
もし、そうしてしまったらどうなるか、智機の表情が物語っていた。
相手がどこにいようが追い詰める。
そして、生きながらにして無限の地獄へと突き落とす。
「……気にしないといいながら、気にしているじゃないですか」
灼熱の処刑場にいるような雰囲気に居たたまれなくなったのか、黒人の少年が空気を和らげるべく口を挟んだ。
「悪い悪い。姫様は素直でいい子だけど、人を疑うということを知らないから、どうしても心配性になる」
「僕らからすれば、代行殿ほど信用できないような気がするんですが」
智機は少年を見つめる。
「えっと、バーキビアス・シュアード君だっけ」
人が良さそうで、頼りなさそうにみえる。
肌の色は違うが、目の前にいる少年と似たような雰囲気を持った友達がいた。
「はい」
そいつが側にいれば、智機としても非常に楽ができるのだが、あいにくとそいつは智機から数光年も離れた場所にいる。
そいつは今頃、どうしているのだろう。
シュアードもそいつと同じような運命を辿るのかと心配にはなった。
「まあ……がんばれ」
でも、100%同一な人間というのは存在しない。
「それだけですか?」
「お前らはまだライダーのひよっこだ。戦闘はおろか操縦の仕方も知らない。それをこれから知る段階だから、今は生死なんて気にしなくてもいい」
「でも、すぐに気にしなくてはならなくなるんですよね」
クドネルが明日には攻めてくることは、民間人の間でも周知の事実になっていた。智機たちが情報統制を強いたところで、クチコミは止められない。
「控え目に言っても厳しい戦いになるのは目に見えている。勝つにしろ負けるにしろ死人が出るのは避けられないから、訓練課程が終わらないうちにお前らが実戦を体験することになるだろう」
仮に次のクドネルの攻撃を乗り切れたとしても、半数は死亡する。つまり、3人の初戦は早くも次の次になる可能性が高い。
でも、明日予定される戦いに勝てるかという保証は智機もできない。
衛星落しは智機とティーガーで防ぐ算段がついたとはいえ、問題はその後のクドネルの攻撃である。智機がいない状態で、騎士団だけでガルブレズを守り通さなくてはならない。
それこそ、レッズが登場しようものなら今度こそ終わりかねない。
腹立たしいのは、今は騎士団が守れるよう祈りを捧げることしかできない現実。自分自身の力ではどうにもならない現実。
「だから、自分の出来ることを精一杯頑張れ」
「自分の出来ることって?」
「それはディバイン達からおいおい指示がある。どうせ、死ぬなら死ぬで見苦しいほど足掻いて死ね。それだけでも違うぞ」
シュアードに対する言葉はこれぐらいにして、今度は少女に視線を向けた。
「君が西河芽亜さんか」
一見すると少年にしかみえない。
理由は髪をバリカンにでも掛けたように刈り込んでいるからである。ベリーショートを通り越して坊主頭といってもいい。
彼女の眼差しは鋭い。
殺気立っているといってもよく、顔から「今すぐにでも戦わせろ」というメッセージが伝わってくる。
少女なのにマンジールよりも短い坊主頭や、憎悪に彩られた表情に、智機は芽亜の事情を察した。
年齢に反比例して濃密な経験を積んだ智機だから、芽亜を見ただけで理解できたが、ファリルでも彼女の出身地を聞けば察することもできる。
この手のタイプは難しい。
悔やみや励ましの言葉をかけるのは簡単だが、どれだけいっても口先だけでは届かない。身体に刻みつけなければ意味がない。
「……どうしたんですか?」
芽亜は笑われたと思ったのだろう。
実際、智機は苦笑したくなったが芽亜を笑いたくなったのではない。
まるで、智機自身を見ている気がする。
「西河に言いたいのはただ一つ、仲間がいることを忘れるな」
「仲間、ですか?」
「やる気があるのは結構なんだが、先走ると墓穴を掘る。自分1人で自爆ならまだしも、仲間まで巻き込むなっていう話だ。いくら西河でも自分だけが生き残って、助けに来た奴が死んだら寝覚めが悪いだろう」
それでも平気であれば、様々な意味で見所があるといえるのかも知れないが、そこまでの神経はなかったようで芽亜も押し黙ってしまう。
「これはみんなにも言いたいことなんだが、過去も大事だが、それ以上に今を大事にしろ」
「代行殿にとって過去は取るにたらないことなんですか!?」
一旦は大人しくなった芽亜であるが、何かを刺激したのか芽亜は激しく詰め寄る。
「そうはいっていない。ただ、過去というのは終わったこと。出てしまった結果は変えられない。死人を生き返らせるためにはどんなことでもするが泣いても喚いても不可能だ。だから、今を大切にするしかない。西河は友達はいるのか?」
毒気を抜かれたのか、芽亜は途方に暮れたような顔をする。
年相応の幼さが垣間見えて、親とはぐれた子供のような芽亜は智機も可愛いと思う。
シュアードが芽亜に視線を向ける。
向けられたことに芽亜が気づくと、シュアードは微笑んだ。
すると恥ずかしそうに、芽亜はそっぽを向く。
芽亜は大丈夫だろう。
まだ、踏みとどまれているから。
「いなくなった後で後悔しても遅い。だから、オレは今を護るために、シュナードラを終わったものにしないために戦っている。みんなもそうであってくれればうれしい」
そう、あいつは決して過去ではない。
……絶対に"今"なのだ。
少し遅れてから、3人がバラバラのタイミングでうなずく。
「でも、お前らも過去になるな」
智機の口元が気持ち良さそうに歪んだ。
「でないと、姫様が泣くことになる」
近くにあるドアを開けると、ファリルが態勢を崩しながら、飛び込んできた。
控え室の床に転びそうになるが、辛うじてバランスを保つに成功する。
「驚かさないでください。物理的な意味で泣きそうになったじゃないですか」
「すみませんでした。姫様がいらっしゃっていた事に気づけなくて」
「本当ですか?」
「本当です」
ファリルは疑わしいそうに智機を見ているが、この程度でポーカーフェイスを崩す智機ではない。
「それでは、期待の新人たちへのお言葉。よろしくお願いします」
今日の予定は新入りへの訓辞。
同時刻にディバインが既存騎士団員に向けて演説をぶちあげ、それにファリルが同席した後、今度は新人に向かってファリルが声をかけるというスケジュールになっていた。
遅れたのはディバインの演説が長引いたのだろう。
ファリルが新人達に訓辞を終えると暇な時間ができる。
長い時間休めるというわけではないが、暇であることには間違いない。
「ティーガーの調子はどう…でしょうか?」
「やっとトラブル地獄から解放されたところ」
本来なら、昨日のうちに衛星迎撃に出ていたばずだったのだが、新型騎にありがちなトラブルシューティングに悩まされていて、ようやく解決の目処がついたところだった。
「スゲジュールを考えると……ギリギリで出撃できるか」
智機がいくら疲れて見えるのは、ティーガーのトラブルに忙殺されていただけではない。
「大丈夫か、ファリル」
「大丈夫ですけど、国を作るのって大変だったんですね」
「まさか、オレもこんなところに来て国を作るとは思わなかった」
ザンティ以下、助けてくれる大人が大勢いたとはいえ、政務軍務においての体制作りは大変な作業だった。
騎体設計から事務処理まで一通り叩き込まれている智機とはいえ、あくまでもライダーが本業であり、組織構築はあくまでもオマケである。でも、不得手だからといって人がいないのであれば率先して働くしかない。
「ほんと、シュナードラって頭数が多い割には使える奴が少ないのな」
「面目ないです」
ガルブレズに脱出できたシュナードラの首脳陣はファリル1人という有様なので、仕方がないといえば仕方がない。
「でも、やっとこれでストレス発散ができると思うと、嬉しくって嬉しくってたまらないぜ」
全てが終わったというわけではないが峠は越えた。今まで貯まった鬱憤を敵兵共にぶつけられると思うと楽しくてたまらない。その意味では智機は幸福である。ファリル達は衛星攻撃を受けるプレッシャーに耐えなければならないのだから。
「騎士団との間で嫌なことでもあったのか?」
新人達に訓話をしたファリルであったが、お世辞にも明るいとはいえなかった。明らかに数分前の出来事を引きずっていた。
更にいえば、西河にも突っ込まれて涙目にもなっていた。公王としての威厳がまるでないがファリルなのでしょうがない。
「いえ。なにもありません。なにもありませんでした」
「大方、ディバインが「姫のために死んでこい」と演説して、ファリルとしてはそんなこと止めさせたかったんだけど、騎士団連中からは笑って拒否されたと見た」
「わかってるじゃないですかっっっ!!」
ファリルはいぢめっ子を見るような目付きで、智機を見つめた。
ファリルの性格や想像うんぬんというより、智機がディバインを焚きつけたので自作自演もいいところである。
「……どうして、みんなは死にたがるのでしょうか。国なんかよりも、皆さんの命が大事なのに」
「誰だって死ぬのは怖いよ」
智機はわざと語気を荒上げる。
「自分の命よりも大切なものを見つけたんだから、主君であるファリルは、その気持ちを酌んであげくちゃだめだ」
ファリルであっても他人の生き方を強制する権限はない。だから、止めるよりも応援してやるべきなのだが、それはそれで逃げたくなるのだろう。これから逝くであろう人々の想いを背負ってこれからの人生を生きていかなければならないのは大変な重圧である。
でも、それは仕方がないこと。
「実際、あいつらだけでここを護らなくてはいけないんだから、死ぬ気で頑張ってもらわなければ困る。でないとみんな死ぬ」
彼らに死ねという命令を下しているのだから。
「あの……西河さんはどうして怒っていたのでしょうか?」
ファリルはうなずくと話を切り替える。
シュアードとマンジールは素直に話を聞いていたのだが、西河だけが国よりもライダーの命を優先させるファリルの軟弱ぷりに怒っていて、智機が止めに入るほどだった。
智機は答えを言う。
「西河はサンザルバシオン出身なんだ」
サンザルバシオンとは今回の戦争で真っ先にクドネルの侵攻を受けた都市である。
その当時の市長は無防備都市宣言を出して真っ先に降伏したのはいいのだが、待っていたのはクドネル軍による虐殺だった。
ファリルもそれだけで事情を察したらしく、叱られたように落ち込んでしまう。
「そりゃ、親兄弟をぶっ殺されているんだから復讐のするなって言われても無理な相談だろ」
どこかの首相なら「殺すぐらいなら殺されろ」とのたまうところなのだが、そんな事を言おうものなら主張を自らの身で実践してもらうだけの話になる。
「この戦争で死んでいった連中は多いからな。デイバインやヒューザーの家族も見つかってない。誰だってクドネルの連中をぶっ殺したくなるだろ」
ファリルも、父母を殺されている。
「でも、智機さんは単純にいいとは言ってませんでしたよね」
「聞こえていたのか?」
「はい」
実はファリルが途中から、ドア一枚隔てた場所に近づいていたのに気づいていた。
「西河には確かに復讐の権利はある。が、理不尽なのを我慢しなくてはならないのが世の中だ。あいつには強姦した相手とも共闘するようなことでも飲んでもらわなれければなくなるかもしれない」
ファリルに理想があるとすれば、シュナードラとクドネルの区別なく仲良くといったところだろう。それは憎しみの心に駆られる、あるいは因果応報の論理でサンザルバシオンでやられたことをやり返すというのは相反する。
耐え難いことでも我慢しなければならないのは、とっても辛いこと。
でも、それが現実であるのなら戦うにしろ逃げるにしろ、無いことにする事だけは許されない。
「この先、どう転ぶかは分からないけれど先走って死にそうだから、あいつ。流石にオレだって味方には死なれたかない」
「だから、今が大事だとおっしゃったのですね」
「まあね」
ファリルの視線が、智機の左肩に注がれる。
「どうしかした?」
「智機さん。その師団章…」
智機が着ているのはシュナードラ軍の軍服。少年ながらも歴戦の軍人に見えるが、左肩に貼り付けている師団章はシュナードラには存在しない師団の物だった。
黒と赤で、盾状の枠の中にБというシンプルなインシグニアは侮蔑と恐怖の証。
「それ、バビ・ヤールですよね」
バビ・ヤールはシュナードラの師団でもなく、アヴァロン防衛戦後に解散していて消滅している。
「たった1人だけど、オレが死なない限り、バビ・ヤールは終わりじゃない」
たったひとりなのに大隊だの師団を名乗るのは滑稽ではあるが智機は真剣だった。師団に所属していた人々がいたからこそ今の智機がいる。彼らのおかげで生きていられるようなものだから、それは決して忘れてはいけない記憶だった。
薬でも、飲み過ぎれば毒となるように全ては適量を護ること。
終わったしまったことでも、時には力となる。
「智機さんにとって、バビ・ヤールは大切だったんですね」
「だったんじゃない。過去系で語るな」
智機にしてみれば終わっていなくても、他人からすれば過去の存在なのだろう。
「あの、智機さん」
ファリルがなにかを言いたそうにしていたが、途中で口ごもってしまう。
心拍数と脈拍が限界まで上がっているのが端から見ていても明らかで、少女が少年エースに告白しているようだった。実際も見た目の印象とそう遠くはない。
槍のような眼差しに気圧されるファリルであったが、それでも必死の努力で言葉を紡ぎだす。
「こうやって話のは久しぶり…ですね」
「そうだな」
「……智機さん……この後の予定はありますか?……?」
「女の子とデート」
智機は即座に後悔した。
一瞬で、ファリルが涙目になっていた。
「いや、冗談だから」
「冗談…ですか?」
「本当に冗談ですか?」
「本当に冗談だって」
ファリルにとっての地獄はここからだった。
やりとりの意味に気づくとファリルの顔が一気に赤くなる。
智機に気がなければ、智機が誰とデートをしようが心を動かされることも、一喜一憂として慌てることも赤面することもない。
まさしく自爆。
「……智機さんの…バカ」
ファリルにできることはそっぼを向きながら悪態をつくことだけだった。
智機としては笑いがとまらない。
いや、笑いをこらえるのに苦労する。
「デートなどセックスなんかやっている余裕があればいいんだけど」
「……そうですか」
智機が先頭に立って働いていることがわかっているだけに、ファリルはしょんぼりする。泣いたり怒ったり落ち込んだり、表情がころころ変わるのは面白い。でも、遊んでいられる余裕があまりないのも事実である。
「実は、後は寝るだけだけ」
寝るだけとはいっても、起きた後は寝るどころか休憩さえもままならないので、就寝といっても重要の仕事になる。衛星落しをたった1人で阻止しなければならないのだから。理解しているだけにファリルも落ち込む。
「話があるなら付き合う」
「ほんとですか!?」
ファリルは一旦は喜ぶものの、迷惑をかけているのではないかと思って落ち込んでしまう。
「いいよ」
ファリルが言うように、差しで話し合う機会がなかなか無かった。忙しかったというのもあるが、ファリルから接触を避けられていたというのもある。経歴がバレてしまったことが原因であるのは明白で、戦場に出る前に話し合っておきたかった。
「どこで話す?」
廊下の立ち話で済むような話ではない。話をするなら飲み物を自由に調達できる食堂が理想である。
ファリルは笑顔になった。
「実は、いい場所があるんです」
冷たい風がファリルの頬や髪を荒々しく撫でていく。
「考えてみたら、久しぶりだ」
ファリルが案内した場所は外。
ガルブレズの居住区は全て地下にあるので、耐爆ハッチを開けた先にあったのは砂浜だった。
波の音が静かに響く。
日はとっくの昔に暮れ、世界は黒一色に塗られていて陸と海と空の境界線が曖昧になっていた。
空に浮かぶ無数の星々の光が、ほのかに砂浜と海を照らしている。
「いかがでしょうか?……」
環境としては人工的に管理されている地下のほうがいいに決まっているのでファリルは不安になる。
「いや、ここでいい」
智機も満更ではなさそうだったのでファリルは安心する。
2人は波打ち際をただ歩き始める。
なにを話せばいいのだろうか?
2人きりになってみたのはいいものの、特に話すネタが見つからない。かといって智機を前にして無言でいるとプレッシャーを感じてしまう。
こういう時はしばらくすれば、智機が話を振ってくれそうな気がしないでもないが、それではいけない。
その時、風が髪を撫でていく。
「あの…智機さん……」
「なに?」
顔が真っ赤になり、心臓が激しく鼓動、脈拍も加速するがファリルは気にしないことにした。
「……智機さんは…髪が長い子…と…短い子、どちらが好きですか?」
ファリルの髪はとても長い。
いくらかボサボサ気味の蜂蜜色の髪が全身を包み込むようにして伸びている。
物心ついた時からロングヘアであり、この姿の自分がとても気に入っているファリルではあるが、この非常時にこんなに髪を長く伸ばしているのは非常識なのではないかと思ってしまう。
でも、いざ切ろうとすると怖かった。
今までの自分ではない、違う何かに変貌してしまうのは大げさなのだろうか。
「長いほうがいい」
だから、意外だった。
「短いほうがいいのでは?」
「決めるのはファリル次第だけど、自分の好みではなく状況で髪を切らせてしまうのは、辛い」
なにがあったというのだろうか。
トラウマとはいえないまでも、完全に無傷という訳ではない。何かあったのか知りたいところであるが、多分、教えてくれないだろう。
「わかりました。絶対に切りません……でも、前髪は切ってもいいんですよね……」
「お前の髪だろ」
智機は苦笑するが、いつもと違って毒はない。
智機を見るたび、話しかけるたびに胸がときめく自分がいて、彼の好む姿になりたいと願っている。
……そういうことなのだ。結局
智機は本来なら許されない罪人である。
「なんだよ。その顔は」
この胸のうち、智機は知っているのだろうか。
「智機さんは、何が幸せなんですか?」
「なんだよ、幸せって」
ファリルは少し考える。
口に出すのは簡単だけど、正直にはいえない。
「戦友というのは、戦友の幸せを望んでいるものですよね」
ストーリーを組み立てる。
「へぇ~」
智機はいぢめっ子の顔をする。
ファリルは小動物の本能で思わず身構える。
「カマラで大量殺戮したオレを、戦友として認めてくれている訳か」
智機の皮肉に正視することが出来ず、あさっての方向を向く。
両手を組み、動かしながら懸命に言葉を紡ぎだす。
「そんな貴方を雇っているのですから、雇っている……雇ったからにはどんな人間であれ家臣です。家臣を大切に思わない王様なんていません」
無茶苦茶な論理に智機は笑いをこらえるような事はしない。
「そうだな……」
ふくれかけるファリルであったが、智機の眼差しが遠く見ていることに気づいた。
「やっぱり、戦うことかな。カマラから一ヶ月しか経っていないのに、また戦闘やっているんだから我ながら戦狂いとしか思えない」
「そうですか……」
智機の幸せを願っているとはいえ、快楽殺人が認められるわけがない。
「もちろん、快楽殺人が好きっていうわけじゃない。ライダーとして、戦場で戦うことが楽しいだけ」
懸念は回避されたものの、心は晴れない。
戦うことを求めて戦場を渡り歩く。
当然、敗者と勝者がいて、敗者は死ぬ。
戦争というのは、戦争するだけの目的があってそれを叶えるために相反する陣営が戦うだけであって、手段でしかないのに、智機は手段が目的になっている。人を殺すために戦っていることに空しくならないのだろうか。合法になっているだけで快楽殺人とは違わないのだろうか。
「智機さんは死ぬのが怖くないんですか?」
ファリルは怖い。
認めたくない現実を認めざるおえなくて、その現実から逃げるため、拒否するために死のうとした。でも、それ以上に死ぬことを恐れる本能が強くて、結局は死ねなかった。
でも、智機は違う。
ファリルなら足がすくんで一歩も動けない死地へと平然と突っ込んでいった。
ネジがダース単位で外れているのではないかというぐらいに狂っていた。
死に対する恐怖なんていうのを感じていなかったように。
「怖いと思わないことはない。でも、その瞬間がとっても楽しい」
「楽しい?」
ファリルにはわからない。
殺されそうになっているにも関わらず、楽しめる神経が理解できない。
「死にそうだな、って思う時、生きているって感じている。普通の生活も遅れないこともなかった。でも、戦場で生きている時間のほうが遙かに充実していて生きているという感じがする」
「でも、残された人はどうするんですかっっ!!」
ファリルの目からは涙がにじみ出していた。
「智機さんが死んじゃったら……わたし、どうすればいいんですか!!」
父や母を失った時のように、智機が死んだら大きな穴が開いてしまう。そうなってしまえば、ファリルは生きていけるかどうか自信がない。
いや、父母が死んだ今でも生きているのだけれど、智機まで死んでしまったら、どういうことになるのか想像ができない。
智機はファリルの頭を軽く撫でた。
「だから、オレは戦うんだ」
智機はファリル達との契約に基づいて戦っている。
「幸せっていうのは、すぐ側に転がっているのかも知れない」
「どういうことでしょうか?」
智機は満天の星が瞬く空を見上げる。
「今が幸せなんだろうな」
「今が、ですか?」
「まだ誰も死んでないから」
両親が生きている時は幸せだなんて思わなかったけれど、今となれば生きていて欲しかったと痛感する。
日頃の何気ない一日こそが幸せだった。でも、気づいた時は既に遅かった。
智機は何度、喪失を繰り返してきたのだろう。
この戦いの行方は見えないが、犠牲者が出ることは間違いないからである。智機も危険だが、危険の度合いではディバインもヒューザーもファリルも大差はない。
それこそ、ファリルが死ぬかも知れない。
「そうだな……やっぱり、今が幸せなんだよ。景色も良くって可愛い女の子もいて、何よりものんびりできるこの時間が。酒がないのは残念だけど」
「酒って、智機さんは未成年でしょうがっっ」
「それがどうかした?」
「どうかもクソもありません。未成年はお酒は禁止です」
「酒は食い物だからオッケー」
「ダメですっっっっ」
生きるか死ぬかの重い話をしていたのに、ズレていくのがおかしかった。
「智機さんは幸せですか?」
「幸せ不幸せでいうなら、幸せかな。すっげぇEFを手に入れて、これから楽しい戦場が待っているんだと思うと居ても立ってもいられない。股座がいきり立ってくる」
欲しい物を与えられたガキのように目を輝かせている智機は見ていて微笑ましいが、背景を知っていれば笑顔も凍り付く。仕方がないとはいえ、これから起きる破壊と殺戮を想像するとファリルとしては肯定できない。
智機は戦争を楽しんでいる。
「言っただろ。オレは弁護も弁解のしようのないクズなんだって」
目の前にいる人間を、人間以下のクズとして断罪することができれば、どんなに楽だったのだろう。
でも、しかたがない。
その人に今までファリルもみんなも護られてきたのだから。
「あの、智機さん。お願いがあります」
「どんなお願い。報酬次第でやれることならやるけれど」
ただで人は動かない。
現実という名の刃を突きつけられて、ファリルは怯むが、それでは話にならないでファリルは一歩、前に出た。
「智機さん。この国を好きになってもらえませんか」
そして、笑った。
「わたしたちは智機さんに対して出来ることはあまりありません。でも、智機さんが護ってくれるに値するよう素晴らしい国にしてみせます。智機さんがバビ・ヤールを誇りに思うように、シュナードラに助けてくれたことを誇りに思えるようになったらうれしいです」
「上から目線だな。だから、王族は嫌いだ」
ショックを受けるファリル。
「うそうそ。冗談だって」
「……冗談だったんですか。嘘ばかりの智機さんなんて……」
「オレがどうかした?」
「……ばかぁっ」
気がつくとファリルはぐったりとしていた。
死んだという訳ではない。
適当に歩いたり、波打ち際ではファリルがはしゃいだりなどしていたが、いつか安らかな寝息を立てて眠っていた。
お姫さま抱っこをしているので、ファリルの質量がそのまま智機の両腕にのし掛るが、満ち足りたようで幸せ全開な寝顔を見られるのだから、これはこれで損ではない。
この土地を好きになってくれ、か。
智機は空を見上げる。
闇夜にぽつりぽつりと瞬く無数の星。
ファリルが言うように、この浜辺に来てよかったと思った。これから智機が護ろうとするもの、命を賭けるものの姿をこの目で確認しておきたかった。
少なくても嫌いではない。
いくら智機であっても、他人から向けてくれる好意を無碍にすることはできない。こんな自分に熱い想いをかけてくれるのだから、それに応えるしかない。
もっとも、口先だけになってしまうこともあるので、油断はできないが。
智機の眼差しが空を射る。
星はすぐそこにあるように見えるけれど、手を伸ばしても届かない。
自分ではなく、智機の幸せを願ってくれる人は本当に有り難い存在。
「悪いけど、オレは幸せなんかなんていけないんだ」
「……なないでください」
決めたつもりだったのだが、語尾にファリルの呟きが重なった。
ファリルには聞かれたくなかっだけに一瞬、焦るが寝言だったことにすぐに気づく。
「……しなないでください……」
波の音にファリルの寝言が重なった。
「ともきさんがしんじゃったら、ファリル、かなしいです……ひとりにしないでください……」
死なないよ、と言いたいところではあったが確約できないことはいえない。死ぬ可能性はどこにでも転がっている。格上でも格下でも倒されることもあるし、それ以前に何かの拍子でティーガーがトラブルを起こしたら、智機といえど一溜まりはない。
幼子のように無邪気な顔をするくせして、悲しいことをいうファリルを何とかしてやりたいと智機は悩む。
まるで、家族みたい。
あくまでもクライアントでしかないのだから、ファリルの心情なんてどうでもいいはずなのに、悲しい顔をしていたら、力になってやりたくなる気分になるのが不思議だった。
それがファリルの魅力なのだろう。
「死なないよ」
結果は読めないが、玉砕するつもりはない。
「オレは嘘つきだからさ、オレが死んだような映像を見せられたとしても、作戦のために死んだふりをしていると思え」
いよいよ、この時がやってきた。
智機の正面に展開されているモニタには、ティーガーのデータが各種データが映し出されている。
「フリマ炉の出力、チェック。エネルギーバイパス、チェック、補助ロケットブースター、チェック」
智機がモニタに表示される項目を確認し、異常がないことを確認するとすぐに項目が切り替わる。メネスを乗っ取った時は行えなかったプリフライトチェックであるが、今回は出撃なので当然行う。まだテストも行っていない騎体なのだから、いつも以上に入念なものとなる。
一箇所でも赤点取れば作戦続行が危うくなるが、組織構築と平行してトラブルシューティングに追われていただけのことはあって、これまでの苦労が嘘のように快調に進んでいく。
「システム・オールグリーン」
異常がないことを確認すると、モニタから全ての文字が消えて、ティーガーのコクピットに静寂が訪れる。
それも一瞬のこと。
「こちらティーガー、システムチェック終了。いつでもどうぞ」
「こちらミツザワ了解した」
智機は今、ガルブレズから10000メートル以上も離れた高空にいる。
ティーガー含めたEFや艦船、空中戦車などの有りとあらゆる機械はフリマニウムという元素を燃料としたフリマニウム原料炉、略してフリマ炉で動いている。これは今までの歴史の中で燃料として使われた物質の中で一番の高出力でありながら安定性も高く、汚染の危険性も低いという夢のような物質である。
フリマニウムの発見によって石炭や石油、プルトニウムといった物質を過去の遺物にしてしまったが、重力のくびきから逃れるには出力が足らないため、使い捨ての補助装置を別途装着することになる。その用途には旧世代のロケットエンジンが多用されることが多い。
衛星軌道上にあるクドネル軍を迎撃するために、今回は艦艇から空中発射という方法を選択した。
ティーガーのパワーなら補助ロケットを増設せずとも宇宙へ飛び出せるが、代替が効くのであればそれに越した事はない。
智機とティーガーが乗っているのは仮想巡洋艦ミツザワ。
シュナードラ軍所属ではなく、元来はザンティ所有の商船をEFを運用するために改装したもので、EF輸送と発着させるためだけの能力しかないが、智機にはそれだけで充分である。
これから後は出撃するだけだが、智機に緊張感はなくリラックスしている。
「姫様から通信が入ってます」
「了解。つないでくれ」
出撃前にファリルからの通信が入るのは想定内である。
「おはようございます、智機さん」
スクリーンにファリルの顔が映し出される。
いくらか緊張している。
「おはようございます」
「智機さんはヘルメット、被らないですか?」
保護スーツは着ているけれど、ヘルメットは被っていない。
「ヘルメットがもたないから」
「……もたない」
ティーガーが想定通りのGを出すのなら、ヘルメットシのウィンドゥ部分が間違いなくもたない。
ちなみにティーガーのライダーに数百Gがかかる問題への対策として、メイがリミッターをかけていたがメネスに毛が生えた程度までに性能が低下してしまうため、智機がリミッターを解除していた。
「智機さん。お話があります」
智機と呼んでいる事はプライベートなのだろう。
「ディバインさんから聞いたのですが、もしもの時は独断で衛星を落とすと……いってましたね」
「ああ、言った」
「わ、私が命令していないのに、独断でそういうことをするのは……許しません……」
ファリルの言うことはもっともである。
へたれとはいえ、ファリルが主君なのだから主君の命令に背いて好き勝手をやれば指揮統率が成り立たなくなる。智機がファリルの臣下の中で一番偉いが、それだけに率先して遵守しなくてはならない。
釘を差しにきたことは評価しつつも落胆する。ファリルは「シュナードラを気に入ってほしい」と言っていたが、ファリルの言葉は智機の行動を制限するもので、明らかに真逆だった。
「ですが……」
間が空いた。
プライベートからオープンへと切り替えているのだろう。恐らく軍や避難している民間人全体に向けての会話になる。
「私は代行殿に全権を委ねました。代行殿の意志は公王の意志、代行殿の声は公王の命令、代行殿の行動は公王の行動です。全ての責任は私が持ちます。だから、心置きなくやっちゃってください」
そんな事を言われたら、心置きなくなんてできないだろうが、と智機は心の中で毒づいた。
マリアは言っていた。
「貴方の望む戦争をしてみませんか?」
望む、とは言われても、はっきりとした形が見えてているわけではなかった。
性能の高い騎体に乗れる、上司が無能ではないが条件であり、シュナードラではその2点を叶えている。と今まではそう思っていた。
この年齢にして様々な戦い経験している智機であるが、今までの陣営は必ずしも理想的にはいえなかった。それこそ芽亜に語ったように理不尽なことを受け入れさせられることの連続だったといっても過言ではない。
でも、シュナードラでは泣くのも笑うのも罪に塗れるのも全ては智機の意志なのだ。
智機の口元が歪む。
望む戦争には人それぞれの形がある。地位や名誉、それに忠誠。
誰かに忠誠を誓うというのは智機の柄ではないのだが、シュナードラのライダー達がファリルに命を捧げるほどの忠誠を誓って戦う心理を理解できた。
君主としてはファリルはまだまだ未熟。しかし、それは大した問題ではない。
足りない分はみんなで支えればいいだけの話。
智機は表情を引き締めると、極めて真面目に口を開いた。
「――了解しました。陛下」