TRACK 4:Born to be Free 2
スクリーン一杯に放たれる無数のレーザーの閃光。
レーザーの割には芋虫よりも歩みが遅いのは、最大限まで再生速度を遅くしているからである。
無数のレーザーが向かうのはただ一点。
分厚い装甲を施したEFメネスに向かって、光のシャワーが降りそそぐ。上下左右、360度の区別なく振りかけられる光の雨の中でメネスは一欠片も残さずに爆発するかと思われたのだが、メネスは変わらぬ姿でそこにあり、代わりに背景の中でいくつかの爆発が起きていた。
全てのレーザーの軌道を読み切った、と言葉にすれば簡単なのだが、そのプロセスがいくら限度一杯まで再生速度を遅くしても見えない。
どんな動きをしたのだろう。
いや、それほど動いているというわけではない。
全高18mは越える巨体を秒ごとにセンチ単位で動かす動作の精妙さと針の穴を潜り抜けられるタイミングを見極める目、そしてコンマ1秒でも早かったり遅かったりすれば全てが終わる重圧の中で、科せられた仕事を一秒の狂いもなく遂行できる神経と集中力の高さ、それらを持ち合わせる相手とどう戦えばいいのだろう。映像をいくら見ても、自分がやられる未来しか思い浮かべなかった。
「研究熱心なのは結構だが、いくら見ても無理だよ」
「隊長」
戦隊長がやってきたので、ライダーは映像を止める。
「録画した意味がないわけではないが、その映像をいくら解析したところで、マローダーに勝てる訳がない」
「……ですよね」
彼らは戦闘の終盤でマローダーと戦い、惨敗した。ほとんどの騎体が破壊されるというあんまりなものだった。
本当の強さを知るためには実際に立ち合わなければ把握できない部分があっての行動であったが、やらなければ良かったと夢でうなされるレベルだった。
生きて帰れるのが不思議。いや、不思議ではないのだろう。
「マローダーとやり合うためには、アレ以上の攻撃的回避を身につけないとダメだ……とはいえねえ」
「ですよねえ」
お互いに苦笑してしまうのは、単に攻撃的回避だけでは片付けられないからである。
隊長も彼も、攻撃的回避自体は可能だ。
けれど、相手が1騎2騎、しかも相手がシュナードラ国軍クラスの格下という条件の下である。マローダーの状況下に置かれてやりきるのは無理だとしか言いようがない。
必殺技のモーションを分析して破るのとは違う。いくら見ても彼らとマローダーでは感覚が違うのだから、同じ動作をしようとしても再現できるはずがない。
マローダーには見えるけれど、彼らには見えないものが多すぎる。
こちらはマローダーの動きを把握できないのに、マローダーは全て見通している。そんな相手の裏を掻くのは無理を通り越して笑うしかない。例えば、それこそ神の掌で踊っているようなものだ。
「あのマローダーは本気を出してませんでしたからね」
彼はコンソールを操作して、画像を切り替える。
メネスの比較画像で、肩と脹ら脛部分が膨らんでいるのが違う。
「まさか、この戦いでうんたんを見るとは思いもよらなかった」
うんたんとは、傷を修復するリペアの発展系で騎体に対して不可逆の変質、つまり、騎体を全く違うものに変化させるというドリフトである。
ライダーの特性に合わせて騎体が自ら変質する事はよくあるのだが、この場合は無意識のうちに行われるのに対し、うんたんはライダーが意図して行う点に違いがある。
うまく行けばフォンセカでさえも、斉の朱雀や白虎といった一流中の一流騎体を改造する事も可能だが、騎体を細胞レベルから作り替えることへの負担は大きい。並のライダーなら完成することすらできずに精神力を使い果たしてドリフト・エンドで死亡する。
仮に成功したとしても変化しただけの事であって、それが正常に作動するかはまた別の話である。材料だけで一から作るのと同義なので、ライダーは設計書を暗記した状態で一瞬のうちに一分も狂いなく作らなければいけない。一流のライダーでもあり、EF開発の素養を持ち合わせた人物は滅多にいるものではない。
従ってうんたんが使えるからといって戦闘に直接、寄与するものではない。しかし、うんたんが使えるという事はうんたんレベルの高度な技術が使えるという事でもある。
「うんたんが使えるのに大尉なんて詐欺ですよね」
「アレがなかったから将官級だったろうけどな」
実のところ、あの相手がマローダーだという確証は得られていないのが問題ではない。
マローダーであろうが無かろうが、うんたんレベルのドリフトさえも使いこなせるのは事実であり、その高レベルのライダーが敵になった事が問題なのである。
彼らレベルでは何万人いようとも、マローダーには勝てない。
彼ら2人が生き残っている事がその証拠だった。
あの時、殺る気になれば殺れたはずなのに、あからさまに見逃したから。見逃した理由も単純明快だった。
"100回やっても、貴様らでは勝てねーよ"と見下されたようなものである。その事を自覚させられたのが切なかった。
「白虎の連中から聞いた話だと、光が見えるそうだ」
「光といいますと?」
「拳を繰り出そうとすると、攻撃しようとする意識が光として発生して相手に向かっていくそうだ。その光から少し遅れて実際の拳が飛んでくるから、その光さえ避けてしまえば実際の拳も当たらない。そういうことだ」
「実際にそういうことってあるんですかね?」
「なら、マローダーはどうしてあの状況から勝利した?」
「……ですよね。でも、あの状況では無数ですよね」
1対3というシチュエーションならまだしも、1対無数である。光さえ避ければ実際の攻撃もかわせるとはいえ、それがシャワーとなればかわせるものではない。
「勝てないなら勝てないでやりようはいくらでもあるさ。別にオレ達で倒せと命令されているわけではあるまい」
マローダーに勝てないのは悔しい。
だが、彼らとマローダーとの間には努力や経験では埋めようのない差がある。それこそ、惑星と衛星との距離に等しいほどの差が。
その差を埋めるだけの労力を思えば、悔しさなんて消えてしまう。正確にいえば消えることはないのだけど損得勘定や化け物と対峙する事への恐怖が押し潰してしまう。
それに彼らの目的はあくまでもクドネルを勝たせることであって、マローダーに勝つことではない。
彼らが矢面に立たなくてもやりようはいくらでもある。謀略でマローダーが粛清されるよう仕向るもよし、それ以前に対強敵用の人員に任せればいいだけの話なのだ。
「マローダーとレッズ、どっちが強いんでしょうね」
「騎体と数ならレッズ、経験はマローダーといったところだな」
「普通の感想ですね」
何の面白みもなければ波乱もない、真っ当な感想だった。
「当然だろう。レッズは最新鋭装備が使えるのに対し、マローダーが使えるのはせいぜいフォンセカの改造騎ぐらいものだな」
「マローダーはうんたんが使えるんですよね」
「使えるのと、まともな物が組み上がるのとはまた話が別になってくるからな。加えて、普通のライダーなら死ぬ技だ。いくらマローダーといえど、何度も繰り返せんよ」
「オレからすれば出来るだけでも、とんでもない話ですけどね」
隊長もまったくだとうなずきかけたが、固まった。
「どうかしました?」
「いや、この戦い。下手したら長引くと思ってな」
「シュナードラに残っているのは戦艦1隻と巡洋艦3隻、EFが50騎前後、そのうちの3分の1は使い物にならないと思いますから、30騎前後になりますよね。マローダーは強力ですがレッズをぶつければいいだけの事。物量はうちが圧倒的に有利ですから押し切れるはずです」
「オレもシュナードラが使える兵力はそれだけだと思うが、考えてみろ。マローダーを呼ぶというアイデア、誰が思いついた?」
「言われてみれば……そうですね。あのお花畑首相に思いつけるわけがない」
上司の危惧が部下に伝わる。
自国の軍備を無くせば、他国から侵略されることがないと思い込んでいた馬鹿に、破壊と殺戮の権化ともいえるマローダーを招聘するというアイデアが思いつけるわけがない。
「誰なんでしょうね」
「オレに分かるわけがないだろ。ただ、頭が切れる奴なのは確かだ」
思いついた奴がたかだか10歳以下の幼女だと知ったら、2人とも絶句しただろう。
「ガルブレズに逃げたのも、前もって示し合わせた結果だと見たほうが、良さそうだ」
シュナードラ艦隊はガルブレズに留まったまま動きはない。
どのような根拠があって留まっているのか彼らには分からないが、ガルブレズが根拠地化されている可能性も考慮に入れておくのは当然である。
「二の矢、三の矢もあると考えたほうが」
「マローダーを差し向けただけで、勝てるとは思っていないだろう。増援についても考えるべきだ」
「でも、シュナードラには金無いですよね」
「シュナードラは資源が豊富だからな。その資源を空手形に食いつく奴はいくら……でも……」
続けようとして隊長の顔色が変わった。
「どうしました? 隊長…」
滅多なことで狼狽しない隊長の顔色が変わっている。殺したはずの相手と遭遇したような変化に部下は戸惑った。
「少尉はこの星の、お宝にまつわる話を知ってるかしら」
そういったのは隊長ではなく、部屋の中に入ってきた40過ぎの白衣を着た女性だった。
女性が入ってきたのに気づいて、隊長と部下の2人は敬礼しようとするが、女性はハンドサインで押さえる。
「お宝、ですか?」
「すぐに気付けないようではまだまだね。少佐は気づいてるようだけど」
「長引きそうですね」
「ええ。公式では破棄したと抜かしているけど、あのマローダーを呼んだのだから、確保されていると想定するべきでしょう。あの総統様は呑気にサルベージ計画を立てているようだけど。でも、今の段階では想定であって確定ではない」
「仕事ですか」
女性は悪党のように笑った。
「貴方たちの騎体が出撃可能なのは確認しているわよ」
アラームの音でディバインの意識が覚める。
気がつくと密閉された空間にいた。吐く息がすぐ壁に遮られる空間、簡単に言ってしまえば棺桶の中に閉じ込められているようで甘い匂いが鼻をくすぐる。
意識が落ちる前の記憶を思い起こしてみる。
頭がうまく働かなくて思うようにいかず、辛うじて思い出せたものの万全ではない。EFを駆って辛うじて戦艦に着艦したことは覚えているのだけど、それから先の記憶が欠落しているからだ。
だけど、記憶が無いのは意識がスリ切れるほどにドリフトを使いまくって着艦した途端に昏倒したと考えれば納得いく。落ちている間に敵の捕虜になっていれば、アラームという生ぬるい方法では起こさない。
息苦しいほどに狭い空間に閉じ込められているのは、棺桶と呼ばれている疲労から早く回復するための特殊なカプセルベッドに寝かされているからである。
いずれにせよ、設定した覚えがないアラームが鳴り響いているという事は自分に何らかの命令が下っているからだろう。
腕時計型の端末にあるボタンを押して、アラームを止めると棺桶の内側にあるボタンを探り当てては押し込んだ。
圧搾空気が抜けると同時に棺桶の蓋が跳ね上がり、ディバインは開放感を味わった。
もちろん余韻に浸る余裕もなかったが。
「こちら、ディバインです」
「おはよ、ディバイン。御給だ」
「おはようございます、代行殿。ご用件は?」
「疲れているところ悪いんだけど、早急に来てくれ」
「至急ですか?」
「急を要する事ではないが、それなりに重要なことだ」
「わかりました」
上司の命令にはそれなりの根拠がある。ましてや智機は無能ではないのだから。
「向かう場所は端末に転送してある。それじゃ」
一方的に通信が切れると、ディバインは部屋を見回した。
辺り一面に棺桶が敷き詰められている殺風景な部屋で目に見えるヒントは特にない。
ヒントは音と感覚。
戦艦の中にいるとは思えないほどに静まり返っていて、揺れている感覚がないところを見ると大地の上にいるのだろう。
加えて、智機からの通信が入っているのだから安全な場所にいると考えるべきだ。
いずれにせよ、見慣れない場所なので思案を巡らせていると棺桶のうちの一つが開いて、中から見慣れすぎている奴が起きてきた。
「おはよ、ブルーノ」
「ああ、おはよう。ハルド」
「ここは何処なんだ?」
「知るかよ」
「ブルーノの辛気くさい面が見られるということは、生きているようだね」
「だったら聞くな」
くっだらない会話ではあるが、聞くと安心できるというのも事実である。それが2人の日常だったからだ。
「さっきのは冗談だとして、ここはガルブレズだろうな」
「その根拠は?」
「捕虜だったら、こんな優雅な朝を迎えることなんてできない」
「優雅ねえ」
高級ホテルで紅茶の一杯と共に迎えるのならともかく、打ちっ放しの壁と天井に棺桶が並んでいるだけの光景は優雅とは言えないが、捕虜にされていたら、落ち着いていられるわけがない。
「でも、ガルブレズって無人島じゃないのか」
「その辺りの事情はあの代行殿が教えてくれるはずさ」
と言ったところで再びアラームが鳴る。
「もしもし」
ディバインは智機が遅れていることを気にしているのかと思った。
「悪い悪い。追加事項を忘れてた……」
途中でディバイン以外の人間が見ている事にきづいたらしい。
「おはよ、ヒューザー」
「おはようございます、代行殿。ディバインを呼んで何を企んでるんですか?」
ヒューザーは露骨に連れていけとアピールしている。
「まあ、いっか。ヒューザーも来い」
「うっし」
「追加の用件とはなんですか?」
「2人とも身だしなみを整えるように。つまらないけど、そんなところだ」
そういって再び通信が切れる。
「代行殿はいったい何を企んでるだろう」
「ハルドの空っぽな頭で、あれこれ考えても仕方ないだろ。行けばわかるさ」
「空っぽって、ひでぇなあ」
「事実だろ」
2人は寝ている同僚達に気づかれないように部屋から出ると、智機に言われた通りに身支度を調えてから、案内されるままにコンクリート打ちっ放しの壁と配管が剥き出しになっている天井の通路を歩いていく。
「……意外としっかりしてる」
「まあな」
「ガルブレズって絶海の孤島だったのに、いつのまにワンダーランドになっているなんて、こんなの驚きだぜ」
「ワンダーランドかよ」
地下らしく、自然の光が見えない空間は軍艦の延長線上であり、ワンダーランドというにはほど遠い「……ワンダーランドだな」
けれど、いつ討たれる恐怖に怯えることなく、安心して休めるのは天国といえるのかも知れない。
「どうしてこうなった?」
「知るか。代行殿に聞け」
「それもそっか」
この事については納得したものの、ヒューザーは話題を変えた。
「マローダー・オブ・サテライトストライク。よりにもよって、カマラの鬼畜が参戦してくるとはね」
「不満なのか?」
「えり好みしていられない事ぐらいは分かっている。でもさ、うまく言えないんだけど、なんつうか色々と感じるんだよ。ブルーノはどうなんだ?」
「……オレも同意見だ」
御給智機という化け物クラスのエースがいる事は非常に心強い。残された唯一の希望といってもいいが、希望と一緒に不安も感じている。
助かるために、悪魔と契約を交してしまったような感覚。
「代行殿って何者なんだろう」
「カマラのマローダーだろ」
「ばか、それ以外だろ。ガキだっていうのに、ボクらを遙かに超える軍歴を持っているなんて、おかしいとは思わないか?」
智機は見た目は何処にでもいるような少年であり、EF数百騎を撃破した勇名と忌み嫌われる悪名を持つライダーというには違和感がある。
「おかしいとは思わなくもないが、あれこれ悩むよりも本人に聞いたほうが手っ取り早い」
実際にその当人が同じ島にいるのである。
「……それもそうなんだけどね」
歩くこと数分で、指定された場所へとたどり着いた。
「ブルーノ・ディバイン、ハルドレイヒ・ヒューザー、入ります」
一礼と共に2人が部屋に入る。
薄暗い照明にたくさんのモニタとキーボードと椅子と机、要は戦艦CICをそのまま地上の建物に持ち込んだような部屋で、おそらくはガルブレズ島の中枢という場所なのだろう。そこに待っていたのは智機とファリル、そして2人の見慣れぬ人物だった。
「おっす、2人とも」
「お、おはようございます。ディバインさん、ヒューザーさん」
20代前半の軍人というよりは、大学生のように見える亜麻色の髪と大きい胸が印象的な優しい美女と、50代過ぎの何処からどう見てもやくざにしか見えない、ふてぶてしい熟年だった。
「こちらはオレ達をここまで運んできてくれた戦艦ロストックの艦長、セシリア・ハイネン少佐」
「セシリアです。よろしくお願いします」
「ブルーノ・ディバインです。ありがとうございました」
「どうも、ハルドレイヒ・ヒューザーです。セシリアさんですか……これから暇でしたら、一緒にお茶…いてっ」
「ナンパするな、ボケ」
タイミングよく、ディバインの拳がヒューザーの後頭部に入ったので、ファリルは吹きかけてしまい、いいのか悪いのか分からない微妙な空気が流れてしまう。
「いつから近衛は軟弱になったんだ」
その空気をぶち壊したのは、やくざにしか見えない熟年。
「軽くも何も、元からそうだったんじゃないのか」
「言ってくれるじゃないか」
「硬かったから、オレの出る幕なんてないだろ」
「それを言われると言葉もないな」
智機と熟年が対等の立場で漫才をやり始めていたのをただ見ていた2人であったが、紹介が入る。
「そこの何処からどう見てもヤクザにしか見えない御仁はジャコモ・ザンティ。こんな事があろうかと私財を投げ打ってガルブレズを秘密基地に改造してくれた恩人。しかも、近衛のOBだ」
「どうも、ハルドレイヒ・ヒューザーです」
どう見ても悪党にしか見えないとは思ったけど、さしものヒューザーも空気を読む。
「ブルーノ・ディバインです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
「そんな訳だから、ザンティはガルブレズの市長という事になる」
「代行殿。どのような理由で私たちは呼び出されたのでしょうか」
勝手に割り込んだくせに、いけいけしゃあしゃあとのたまうヒューザーの問いに智機は答えた。
「簡単に言うと、辞令だ」
「辞令?」
「そういえば、ハイネン少佐と呼んでましたね」
今まで軍隊に階級というものがない国家の中で、セシリアを階級付けで呼んだことをディバインは指摘する。
「今日からシュナードラ軍にも階級制を導入する事にした。聞くまでもないよな」
「多数決で進撃先を決めるなんてあり得ないっすからね」
これにはヒューザーも苦笑するしかない。
「そんな訳だから、まずはキミ達に辞令」
智機に肩を叩かれて促されると、ファリルは緊張で身を硬くし、顔をわずかに紅潮させながら口を開いた。
「ブルーノ・ディバイン卿」
「はいっ」
道理で智機が身支度を調えろといったも理解できる。世の中には格好が大事なこともあるのだ。
ただ、着ているのが礼服でもなく軍服ですらなく、艦内作業着だというのが国王直々に辞令をもらうのに恥ずかしいというのはあるのだけれど、考えてみたら軍服を収めた場所も、帰る家さえも焼けてしまった。
家族でさえも行方が分からない。
でも、今は感傷に浸っている時ではない。
「貴方をシュナードラ軍大佐ならびに、シュナードラ軍総司令官に任命します」
ヒューザーが口笛を鳴らす。
意外というか不思議だった。
昨日まで新米の騎士だったディバインが一夜にして軍のトップになってしまうなんて想像だにしなかった。あまりにも突拍子もなさ過ぎて現実味がない。
ただし、夢のようというより悪夢といった方が正解だろう。
「総司令官といっても傀儡。軍隊ごっこと対して変わらないし」
NEUや斉みたいな大国ならいざ知らず、小さい島が一つぐらいの領土しか持たない国家なのだから、騎士団長や軍司令官といっても、厨坊のごっこ遊びでしかない。
「代行殿が総司令の座に着かないのは意外ですね」
「理由はいろいろある」
何故、ディバインだけが内密に呼び出されたのか理解できたような気がした。いくら、ごっか遊びにしかすぎないとはいえ、まだ歳が若いディバインが抜擢された事に反感を抱くものが現われないとも限らないからである。
「一つは体面。外人が軍の総司令をするのは問題がある」
智機が外国人と言うと、ファリルが寂しそうにしていたのがディバインには気になった。我慢しようとしていたのだけど露骨に出た。もちろん、見なかったふりするするしかないのだが。
「そういうものなの?」
「あくまでもオレはよそ者。この国を取り返すのは、あくまでもこの国の者でなくてはならない」
智機はこの国を取り戻すのは他者ではなく、自分自身でなくてはならないと言っているのだろう。
「もう一つは、オレが表に出るよりも黒幕として動いたほうが都合がいいから。色々と」
人類が地球から飛び出すどころか、誕生まもない頃ならいざ知らず、前線に出る最高司令官などいない。前線に出て闘うのは下っ端の役割であり、その下っ端どもを的確に動かすのが司令官なので、頭脳を失いでもしたら、下っ端どもは何をしたらいいのか分からなくなる。
しかし、今のシュナードラの前線から智機を外す余裕はどこにもない。
で、あるとすれば後方で統括するよりは、智機の裁量で自由に動いてもらったほうが得だということになる。
もっとも、それ以前に経歴が経歴なので智機が表に出られないという事情もある。
「でも、一番の理由はめんどくさい仕事を全部、ディバインに押しつけたいからだろ」
「バレたか」
「バレたかではないですよ」
物資の購入や配備計画を立案するのは重要だとはいえ、やりたくない地味な仕事、出来れば他人に押しつけたい仕事だというのはディバインも同意見だが、どうやら、その類の仕事を押しつけられそうである。
でも、智機のようにシュナードラ国民の期待と責任を一身に背負えるかといえばNoである。
「分かりました。ブルーノ・ディバイン。非才ながらも謹んでお受け致します。我が身命を国のために捧げることを誓います」
だとすれば、ディバインにやれる事は智機の手助けであり、智機を思う存分暴れ回れる環境を作ること。自分たちにも出来る雑務を行う事で、智機をつまらぬ事に煩わせることなく、智機にしかできない領域で100%の力を発揮させることだと割り切ることにした。
「い、いえ、そこまでの事ではないですよ。ディバインさんは自分を大切にしてください」
「ねえねえ、姫様姫様」
「はい、なんでしょうか。ヒューザーさん」
「ボクにはどんな役職くれるのかな?」
「便所掃除」
智機に言われた時のヒューザーの顔といったらなかった。
「べんじょそうじ?」
「ナンパ野郎にはお似合いの仕事だ」
「どうして、そういう結論になるんですか。市長」
「姫を守ることよりも、女をナンパするような奴に騎士なんか勤まるものか」
「そんなぁっ、まだ言いますか」
「安心してください、ヒューザーさん。便所掃除なら私がやりますから」
その一言で空気が凍り付く……というより止まる。
「……あれ、わたし、変なことを言っちゃいました」
「す、す、すいません。オレ、便所掃除でも下着洗濯でも何でもやり……」
また綺麗な突っ込みが入っている。
「ドサクサ紛れに何、言ってる」
「場を和ませるための冗談っすよ、冗談」
「ハルドレイヒ・ヒューザー少佐」
流石にお笑いを続けるのも限界があると思ったのだろう。
戦場で叱責するように智機が言うと、今度は空気が引き締まる。たかが14歳ぐらいの少年だというのに、ヒューザーやディバインには出せない、歴戦の猛者だけが出せる凄みというものが双眸に現われていた。
ここは教室ではない。軍営なのである。
「はっ」
智機に釣られるように、ヒューザーもかかとを打ち鳴らして敬礼する。
智機はちらりと横目でファリルを見る。
温かい眼差しに促されて、ファリルは口を開いた。
「ハルドレイヒ・ヒューザー少佐。貴方をシュナードラ公国統合騎士団団長に任命します」
「ハルドレヒ・ヒューザー、謹んで承ります」
シリアスモードもここまでだった。
「……って、ボクが騎士団長? なんていったらいいんだろう」
「安心しろ。アミダで決めた」
「アミダかよっっっ」
「でないと回りから文句来るだろ」
「そこまで、うちって人材が乏しかったんですか」
「乏しい」
間髪入れずに智機が言い切ったのでファリルは涙目になり、セシリアが慰める構図となる。
「そりゃ、ボクらは何処ぞの代行殿のように強くはないですけどね」
「なら、オレが到着するまで持ちこたえて欲しかった。余裕もったはずだったのにギリギリだったし」
智機が首都攻防戦前に到着していれば、少なくても前公王夫妻も死なずに済んだかもしれないので、洒落になっていない。
「……すみません」
「アミダでもくじ引きでも、乱数でも選ばれたからにはしっかりやれよ。団長殿」
「へいへい。何処ぞの代行殿よりも撃破数を稼いで、モッテモッテのリア獣になってみますからね」
「その意気だ。後輩」
「統合騎士団といいますと?」
シュナードラの騎士団、つまりEF運用部門は通常の部隊配置と、公家護衛担当の近衛に別れている。近衛がエリートという扱いで機材もいいものが渡されているが実力に差がないのは、御覧の有様というものだろう。
「現有の戦力でも定数に足りてないんだから、まとめるしかないだろ」
ディバインは部屋に並べられていた棺桶の数を思い出してみる。
部屋はそこそこに埋まっていたが、騎士団の定数を考えれば到底足りない感じがした。
「代行殿、現在の騎数を教えてください」
「騎士団の生き残りは部品取りも含めて、51騎」
「部品取りですか」
使えるのは35騎程度といってもいいだろう。
「もっとも、市長のところに20騎程度あるから、変わらないけどね」
どういう経緯で一般市民であるはずのザンティが、兵器を手に入れたのかは理解しかねるところであるが気にしないことにした。
「ちょうどメンツも揃ってるから、会議でも開くか」
「会議…ですか?」
「これからの方向性をまとめておこうかと」
戦艦ロストックの艦長兼艦隊司令セシリア・ハイネン、ガルブレズ市長ジャコモ・ザンティ、シュナードラ総軍総司令官ブルーノ・ディバイン、シュナードラ統合騎士団団長ハルドレイヒ・ヒューザーといった具合に肩書きは豪華であるが、その実体はファリルはいいとして、後はやくざと女子大生、大学を出て就職したばかりといった感じの若造が2人に、場を仕切るのが中学生ほどの少年なのだから、笑うしかない。
場所はCICの隣にある会議室。
大きいテーブルを囲む形に全員が座り、コーヒーが行き渡ったのを確認すると智機は前面のスクリーンにシュナードラ星の地図を映し出す。
「周知の通り、我が国シュナードラは大変な危機に瀕している」
瀕しているどころの騒ぎではない。
惑星の大半、3分の2がクドネルを示す黄色で塗りつぶされていて、シュナードラを示す赤はガルブレズ、点でしかない。灰色はシュナードラのクドネルの侵攻を逃れている僅かな地域で、現在は統制を離れた中立扱いになっている。
一番の問題は目に見えないところにある。
「シュナードラ再興が我々の大目標だが、一番の難題はクドネルが敵ではないということだ」
智機は反応を見る。
ファリルが分からずにきょとんとしているのは、いいとしてヒューザーも同じような顔をしているのが痛い。
ディバインとザンティは分かっているようで、セシリアはディバインとヒューザーの中間といったところだろう。
「どういうことですか? 代行殿」
「クドネルにバックがついているということだ。バカ」
あっけらかんと質問できる神経は羨ましいかも知れない。わからないことをわからないと言うのは意外と難しいのだから。
「クドネルだって元々はシュナードラと似たりよったりなんだ。侵攻するのはともかく短期間で圧倒するのは、単独ではできない」
戦争を自ら放棄しましょうというお花畑なシュナードラとは違い、クドネルは内乱に明け暮れていた国家だった。そんな国家が統一を果たすならまだしも、他国の大半を占領できる力なんてあるなんて不可能だとしか思えなかったのだが、現実に起きている。
「クドネルが主体となって攻めてきている、いや、そのスポンサーがクドネルを代理にして攻めてきている、そう考えてもいいかな」
「オレも同意見」
「ど、どうして、何故、私たちが狙われるんですか?」
ファリルが早くも涙目になっていた。
「それは分かるような分からないような……」
と言ったのはセシリア。
「国境付近の海底で希少金属の鉱脈が見つかって、それで揉めたのが始まりなのよね」
乗り物の動力源やEFのコアなどに使われる希少金属の鉱脈が見つかり、しかも莫大な産出量が見込まれたので、戦争に至る動機としては充分である。
「あるにこした事はないから、侵略されるのも無理もないとは思うんだけど……」
「その辺りが謎だ」
「どういうことなの?」
「クドネルの背後にいるのが、斉である可能性が高いからだ」
斉という単語を持ち出した瞬間、場の空気が固まった。
ディバインやザンティは言うに及ばず、脳天気なヒューザーでさえも重圧で固まっている。
「斉って、あの斉です…よね…」
ファリルが現実から逃げたがっているのが明らかだった。ファリルだけではない、智機以外の全員がそうだった。逃げだすことは責められない。それほどまでに巨大で絶望的な存在だった。
「そうだ。あの天下無敵のDQN国家の斉だ」
智機は現実を突きつける。
「ちょっとちょっと、クドネルに斉がついているなんて、根拠はなんですかっっ」
「意味がなさそうに見える侵略行為を仕掛けてくるのはあそこしか思い浮かばないからだ。こういう場合は最悪を見積もったほうがいい」
最悪を見積もった場合、思ったよりも大したことがなければそれならそれで喜べるのだけれど、希望的観測で物事を見て、外れた場合は悲惨だ。圧倒的な現実の前に蹂躙されるしかなくなる。
「クルタ・カプスといいカマラといい、NEU近辺で短期間のうちに立て続けに争乱を起こっているのも偶然ではないだろ」
「儂も代行殿の意見に賛成だ。希望的観測に任せた結果がこれだからのう」
人の善意なんていう宛にできないものを宛にした結果、国が崩壊したのだから自嘲うしかない。
希望というのはあくまでも可能性があるというだけの話で、期待するものではない。持つなとは言わないけれど勘違いするようになったら終わりだと智機は思っている。
「斉がバックについている証拠はないですけど、代行殿の見方は正しいと思います。少なくても、レッズの技量と騎体はクドネルには用意できないものですからね」
「はぅぅ~ 斉か……厳しいよぉ」
セシリアが素に戻っているようだったが、仕方がないだろう。
大斉帝国、通称、斉。
星団の中で、最大の版図と軍事力を誇る国家であり、星団制圧を国是としている姿勢から周辺国家からは恐れ、嫌われている存在だった。
その力は大国数カ国でようやく相手に出来るほど。特にEFの技術では他国を圧倒している。良くも悪くも斉が中心となって星団を動かしているといっても過言ではない。
そんな大国がバックについている国に立ち向かえというのだからファリルやヒューザーが絶望するのも当たり前である。むしろ、慣れていると言わんばかりに平然としている智機のほうがおかしい。
「代行殿には、対抗できる策はあるのか」
「ないこともない」
智機は人々を見つめた。
ファリルは絶望的な状況から解放されると力が入っている。
が、それ以外の人々は苦笑いをしている。各人の個性が出ていると感心するが自分自身のことなので笑えない。
読まれている。
マローダーの意味を知れば簡単に答えが出ること。先読みしないのが慈悲なのかも知れない。
つまらない、むしろ場を寒くさせると知りつつもギャグを言わざるおえないことに自嘲しながら智機は言った。
「表向きはクドネルであって斉が戦争しているわけではない。クドネルの首都に衛星なりコロニーなり、落とせるものを落として都市ごと首脳を抹殺すれば、この戦争は終わる」
智機の仮説が正しければ、あくまでも戦争をしているのはクドネルであって斉ではない。クドネルの政治家連中全てを抹殺すれば、斉であっても大義名分を失って戦争継続不可能になり、この戦争はシュナードラの逆転勝利に終わる。
「そ、そんなのダメですよっっっ!! 絶対にダメです」
ただし、途中の過程をすっ飛ばして勝利を得る代償として、無数の一般市民も巻き添えにすることになる。
「今の時期ならチャンスですよ」
「ダメです」
「姫様に代替となる策はあるんですか?」
無いことがわかって言ってみると、ファリルは泣きそうになる。
「智機さんは人の命を…」
ファリルは言いかけて絶句し、言い直す。
「……ダメです。たくさんの罪のない人が死んじゃうじゃないですか。そんなのダメですよ」
「大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なんですか」
普段なら論拠もなく、すり替える事もせずに泣き落としと落とそうとするなぞ聞く耳もたずに粉砕するところなのだが、智機を見る回りの視線は冷ややかなものだった。
勝つ事と引き替えに、罪もない人々の命を少なく見積もっても数百万単位で奪うことに耐えられる人間はそう多くはない。耐えられる存在がいたら、それは人間ではない。
大量殺戮を提案する鬼畜を温かい眼差しで見られるわけがない。それでも踏みにじるように無視できる智機であったが、立場は弁えなければならない。
「……了解しました。別の策を考えます」
ファリルの権威を借りて上に立っているのだから、ファリルの意向を無視することはできない。
「どんなアイデアがありますか。代行殿」
「まずは現状把握。ガルブレズに備蓄されている食糧で今の人口だと、どれだけ持つ?」
「だいたい1年間だ」
「1年間って凄いなあ」
「民政については儂に任せておけ。代行殿が思い煩うことがないよう完璧にこなしてみせる」
「頼もしいなあ」
「でも、肝心の戦力がアレだよねえ」
50騎あまりのEFで何が出来るというのだろう。更に言えば、EFだけでは戦争はできず占領には歩兵も必要なのだが、そちらの方が深刻なぐらいに足りていない。
「出来れば、早めに残った土地を抑えておきたいところなんだけど」
「それは無理です。兵力が足りなすぎます」
「だよなあ」
智機としてはクドネルが再編中の間に手を伸ばしておきたいところではあるが、無いものねだりであることも知っている。
「強いて言うならクドネルよりもEF稼働率が高いということか」
智機の目の色が違ってくる。
「腕のいいメカニックがいるのか」
「それなりにね」
ザンティが自信ありげに断定するのだから、信用していいだろう。
いくらEFといえど母艦に帰ってから、即出撃という訳にはいかない。損傷を負っているのであれば修理しなくてはならないし、無傷であっても各部のチェックが必要だ。運が悪ければ空中分解する。
再整備の時間を縮めることは重要で、その意味では朗報といえた。
もちろん、補うというには戦力差がありすぎるのだが。
「とりあえず、応援が来るまで防戦。つまらないけど、しょうがないか」
「その応援、来るんですか?」
智機は答えようとしたが、遮るように警報が鳴り響いた。
「どうした」
智機は顔色一つ変えずに、CICからの報告を受ける。
スクリーンにオペレーターの顔が映し出される。
「クドネルのEFが迫っております」
「数は?」
「2騎だけです」
「なら、偵察だ。慌てることない。暇な奴ら一個小隊、クーガーで迎撃。ただし、深追いはするな。騎体を保全することが第1目的だ」
「了解しました」
通信が切れると同時に緊張も切れて、場に落ち着いた空気が流れる。
「当然と言えば当然の反応だな」
衛星偵察が発達しているとはいえ、強行偵察でなければ獲られない情報というのもある。
「総攻撃まで、あと何日ですかね。代行殿」
「再編までせいぜい3日ところ。クドネル全兵力では無いけれど、一部だけでも押し敗れる力がある」
「条件は首都攻防戦よりも悪化してますからね」
「一発目は耐えられるかも知れないけど、二発目は無理。それまでに援軍が到着できるかが鍵だな」
「代行殿がいても?」
「あっちにもレッズという切り札があるから。実際に見てないから何とも言えないけれど、少なくてもオレだけでレッズを圧倒できるとは思えない。だとすれば単純に引き算の問題になる」
現有戦力では何とか守り切れるが攻めに出て、領土を回復することが出来なければお話にならない。
「援軍なんて来るのかよ」
ザンティとブルーノと智機、そしてセシリアののやりとりに、ヒューザーはようやく口を挟む。
「可能性は遙かに高い」
「その根拠は?」
「一つは奴らの戦略。この戦いにおける斉の目的は分からないけれど、強いて推察するなら、奴らなりに戦略を模索した結果だと思う」
「その心は?」
「斉といえど無制限の侵略活動が不可能になっている」
「親斉勢力に政権を取らせて実権を握り、その国に斉国民を入植させることによって斉に併合してしまおうということですか?」
「ディバイン、正解」
「ふざけた話だね。まったく」
「ふざけてるもクソも、弱ければ玩具にされるしかない。腹が立つんだったら殴り返せ」
これまでの話を黙って聞いていたファリルが、涙目でにらんできたが、智機は見なかったことにする。
「これを成功させると他国にも波及する。だから、他国としても助けるしかない」
他国も一枚岩ではなく、独立した国家を無理矢理、併合したケースもあるので、斉の支援の元に一斉に独立運動をやられたら溜まったものではない。初動を誤ればボヤが、街全体を埋め尽くすような大火になってしまう。
「危ういところで助かったというわけ、か」
「正確には恥をさらさずに済んだ、だ。まだ、助かってない」
「ヒューザーのそういう脳天気なところが羨ましい、というべきか」
「褒めてくれて恐縮です」
「褒めてない」
「見込みがあるのは分かりましたが、問題はどれだけの代償を支払う事になるかですね」
「他国がシュナードラのためにタダで働いてくれると思っているのは、おたくらの前首相だけだからね」
外交というのは、他国はあくまでも自国の国益を最優先に動いているという事実を弁えることが大前提である。自国よりも他国の国益を優先して働く政治家なんていない。いるとすれば無能か売国奴のどちらかだろう。
如何にして、自国と他国の利害を一致させる事が基本なわけで、他国が自国のために動いていると勘違いすると大失敗する。自身だけではなく大勢の人々さえも巻き込んで。
「あの人のことを持ち出すのは……お願いだから勘弁してください」
結論を最初に決めていて、結論に結びつかない現実は無かったことにするバカを国の代表にしてしまったことを智機の皮肉で思い出させられてしまい、智機以外の人々は落ち込んでしまう。
「レアメタル権益の全てを要求されるのはまだ、いい方。場合によってはうちらを助けずに、傀儡政権を樹立しにかかる事も考えられる」
「それって助けになってないじゃん」
「クドネルからすれば攻撃目標が分散するから、今よりは生存確率が増す。あるいは結局、シュナードラは何処かの保護領になるか、だな」
「つまり、シュナードラは消滅ということ?」
「確かにシュナードラは消滅するかもしれない。でも、国は滅んでも、それ以上に守らなければいけないものってあるだろ? 姫様」
いきなりふられて、つっかえつつもファリルは答える。
「……私にとっては国民が大事です……なら、クドネルに降伏という手もあったのでは」
「僭越ながら、それは間違っていると思います。バイクスやサンザルバジオンでの惨劇はお忘れですか」
智機に反論を試みるファリルであったが、ディバインの反論の前に沈黙してしまう。
「クドネルのバックが斉だったら、待っているのはシュナードラ人の絶滅だけ……決めたんだろ、生きるって」
逃げ出す機会はいくらでもあった。
でも、ファリルは生きている。
「儂としては姫様に死なれたくない」
「ボク達は国民もそうですが、同時に公家にも忠誠を誓っているんですよ。姫様に死なれたら、ボクらに生きている価値はありません」
「近衛のくくりはなくなっていますが、公家の楯であり槍でもある立場には変わりません」
智機の強烈な指摘を受けた後に、ザンティ、ヒューザー、ディバインから温かい言葉を貰って、ファリルは泣きそうになってしまう。
「斉ほど常識がない国はないから、それ以外なら保護領として大切に扱ってくれる可能性はある。姫様だけを考えるなら、それもアリだと言えるかも知れない。国を治めることなく、死ぬまで何不自由のない年金生活を送れるんだ。最高じゃないか」
「そしたら、国民はどうなるんですか?」
「知らね」
「知らね、ってそんなの無責任じゃないですか」
「だったら闘って、シュナードラの地からクドネル共を追い出せという話になるね。何処に獲られるにせよ、他人に運命を委ねることに変わらない。なにされようが文句は言えないんだ」
「……あ、あの~代行殿。姫様をいじめないでください」
殺伐とする空気に耐えきれずにセシリアが言うと、空気が一気に沈静化する。
「確かにやりすぎたかも」
「どの道、国債を大量に発行しなければならないと思いますが、そのためにはある程度の成果はあげないといけないですね」
「利回りが恐ろしいことになりそうだ」
たかが、3%では手を出してくれない。
「出資を募るだけ募って、トンズラっいうのも面白そうだな」
「いや、先輩が言うと洒落にならないんですけど」
ザンティがまんま、やくざにしか見えないだけに。
「あからさまに高い配当に手を出してくれるほど………」
どう見ても、払う気ゼロとしか思えない高配当にも関わらず手を出す人間がいくらでもいるのは、巨額詐欺事件が一向に絶滅しないことでも分かる。
都合がいい事だけしか見えない人間を、騙すのは簡単だ。
「みんな性格悪すぎですよ……」
「騙すことばかり考えないでください」
主に智機とザンティの黒さについていていけず、女性陣は苦笑するしかない。
「ネズミ講でも原野詐欺でも絵売りアンでも結構ですが、説得力のある嘘がつけなれば付いていきませんよ。あるんですか?」
助けが来る可能性があるとはいえ、実際に来るかどうか分からない。また、間に合うかどうかも分からない。智機がいるとはいえ、レッズで相殺されると考えると良くて2波、悪ければ第1波で終わり。残された時間もそう長くはない。
「あるよ」
でも、智機は落ち着いていた。
「あるんすか?」
「良く考えてみろ。どうしてオレはここにいる? 何故、無人島と思われていた島がこんな要塞に改造されていたんだ」
ザンティは悪党のような笑みを浮かべ、ファリル以外の人間はあっけにとられ、そして、ファリルは両親に隠していた0点のテストを見られたような表情を浮かべる。
「何故、代行殿はここに来られたのですか?」
「ある詐欺師に騙された」
「詐欺師?」
「ここに来れば、思い通りの戦争が出来て、望みのものが手に入ると聞いたんで乗ってみたんだが、来てみたら御覧の有様だ」
流し目でファリルを見る智機の眼差しは、あまりいいものとは言えない。
「…だから、姫様を余りいぢめないでください」
「その詐欺師っていうのは誰なんですか?」
「マリア・ファルケンブルク。姫様付きの侍女なんだけれど」
智機はドッグタグをテーブルにあるセンサーに当てて、保存してあるデータを端末に読み込ませると指先を軽く動かして、目的のデータを前方のスクリーンに表示する。
「どっかの銀行の残高みたいだけど、いちじゅうひゃくせんまんじゅうおくひゃくおくせんおく……兆??」
表示されたデータの金額にヒューザーが驚愕していた。
「これ何処の口座?」
「公家の隠し財産の口座。最新ではないから、金額は正確ではないことは言っておく。あと、20社ぐせらいは支配下においてあるそうだ」
「うそ……」
心臓を弾丸でぶち抜かれたように、ファリルは唖然とする。
「うちってこんなに金持ちだったんだ……お小遣い、上げてほしかったなあ………いえ、なんでもないですなんでもないですっ」
思わず本音が出てしまい、ファリルはうろたえる。
「ボクだって、実家がこんな金持ちだったらフェラーリを要求したくなります」
「涎出てるぞ、ハルド」
食うや食わずやの生活を送っているところに、実は国家予算に匹敵するほどの預金があると知ったら、どんな事に使おうかと妄想するのは自然な事である。
「私だったら、スィートをいっぱい食べまくりたいなあ……」
「その気持ち分かりますっっっ!!」
ファリルが少女らしく同意したが、その時についセシリアの大きな胸にいってしまい……固まってしまう」
「セシリアさん……大きい、ですよね」
「おっきいは正義」
ボソリと呟かれた言葉が空気を止める。
セシリアの顔がほんのりと赤い。
この場にいる全ての人の視線が一点に集中した。
――智機だった。
「代行殿って、もしかしておっぱい星人?」
「おっぱい好きで何が悪いっっ」
「あ、開き直りなおりやがったっっ!!」
「……やっぱり、胸があったほうがいいんですね。代行殿」
ファリルの智機を見る眼差しは、さっきとは違った意味でトゲトゲしい。
「姫様はまだ若いではないですか。成長しますよ」
あからさまに傷ついている少女を、ザンティがフォローする。
「……本当ですか?」
それでも、まだ疑わしいようだった。
「女性の身体については何とも言えません。成長するとは保証できませんけれど、しないとも言い切れませんからね」
「そっか……代行殿も男の子なんだね」
「いえ、まあ、その…オレはただの鬼畜なんですけどね」
「とかいいつつも少年の眼差しは、撓わに実った乳房に釘付けだった」
「そこ、勝手にナレーションするな」
「……いい加減、本題に戻してくれませんか」
ディバインの一言で閑話休題となる。
「公家の財産はともかく、原資は何処から調達したんですか?」
「公王が宮廷費の一部を分けてくれたと言ってた。嘘はついていないだろう。あいつの事だから、絶対に了解は得たはずだ」
「それでも流用はいけないことですよね」
公室費は結局のところは、税金から出ているわけで、その一部を流用する事は違反に当たる。
「大当たりしかいいけれど、外したら悲惨なことになってたぜ」
公金を流用しての株式投資はロクな事にならないのが常なので、ヒューザーの危惧ももっともなのだが。
「問題はない」
「どうして?」
「マリアが公室費流用で大損こいていたら、おまえらは今頃、生きてない」
マリアが株投資で荒稼ぎして、ある程度の活動費を獲たからこそ、智機がシュナードラに来られたわけで、仮に失敗していたら智機が来ることもなく、従って首都攻防戦でザンティ以外の人間は死んでいた。
智機の身も蓋もない指摘に、回りの人間は引いていた。
「という訳で、じいさん」
「じいさんとは失礼な、小僧」
「オレが如何にして、あの詐欺師に騙されたかという話をしたんだから、今度はじいさんの恥ずかしい話を聞かしてくれ」
ヒューザーもディバインもこの事が聞きたかった。
絶海の孤島がいつのまにかに秘密基地に改造されていた顛末は非常に面白いし、言い逃れできる話ではない。
回りからの期待を一身に受けて、ザンティは語り始めた。
「きっかけはサリバン政権の発足だった。あの女は耳障りのいい事を吐いて当選したけれど、儂は信用なんてしなかった。根拠が全くなかったからな。NEU撤兵という話になってこれは危険だと思ったがどうする事もできなかった。その当時は左前で国よりも、儂たちを喰わすことに必死だった。その時だった、あの詐欺師が現われたのは」
「マリアちゃんの言葉を、良く信用する気になれましたね」
「あのクソ首相よりも根拠はあった。それに前公王陛下からのお言葉があったからのう」
「父様の!?」
「6歳の女の子がじいさんを動かそうとしても門前払いにされるだけだから、権威を借りるのは正しいやり方だ」
智機のフォローにヒューザーが反応。
「ちょっとまて、6歳!? そのマリアというのはチビっ子なのか!?」
「はい。私にとっては妹です。私なんかよりも遙かに頭が良くて凄いと思っていたのですが…」
ヒューザーの眼差しが膨れあがった公家の隠し口座の金額に注がれる。
「凄いってもんじゃないだろ、これは」
大人でもこれだけ稼げないというのに、幼女の年代で国家予算に匹敵するほどの儲けを出しているのだから、天才というより他ない。
「儂の企業も詐欺師のアドバイスでたちどころに持ち直したからのう。そんなわけで、この市を建設したというわけだ。首都が陥落した時、避難できるようにな。もっとも、儂としては無駄になったほうが良かったのだがな」
戦争にならなかったら、こんな設備はいらなかった。
「代行殿の根拠は分かりました。ですが、戦費としてはいささか心細いのでは」
「確かに。あと一桁ぐらいは欲しいね」
ディバインの言うように、一家が遊び暮らすには充分だが、戦費となるといささか心持たない。
「何もかも足りないことは、言われなくてもあいつにも分かってる。ちゃんと対応してくれるさ」
ガルブレズ島北西200kmの空中を二騎のEFが飛んでいた。騎種は外見的にはステケレンブルクのように見える。
「これでいいんですかね」
EFに乗った部下が、同じくEFに乗った隊長に話しかけてきた。
「これでいいに決まってるさ。無理して死ぬこともないだろ」
「こんなところで死ぬのもアホらしいですからね。で、どうやら基地になっているみたいですね」
「こんな島がいつの間にか基地に改造されているなんて思いもよらなかった」
二人は偵察任務を受けて、ガルブレズ島の偵察を試みた。結果はガルブレズから迎撃部隊が出て退散せざるおえなかった。無理をすれば撃退する事も可能であったのだが。
偵察というよりは散歩みたいなものではあったが、情報は得られた。
島の中に艦船は見られず、レーダーの範囲内に踏み込んでから数分も経たないうちに迎撃のEFが現われた。
「1日や2日で戦艦を収納できるほどのバンカーが建設できるとは思えないですから、計画があったのでしょうか?」
「そういう事だな。シュナードラにも切れる奴がいるらしい」
と言ったところで隊長は溜息を漏らした。
「それほど切れるのならば、当然、アレは確保されていると考えるべきか。なあ、ティムよ」
「はい」
「この戦、下手をすれば長くなるぞ」
時間は少し、遡る。
シュナードラから遠く数光年は離れた惑星の、会社の応接室に彼女はいた。
少女というには余りにも幼すぎる彼女は、応接室のソファに座って天井を見上げている。
ソファ、テーブル、照明、スクリーン。モノトーンの色調にまとめ上げられた調度は派手ではないものの、ソファの座った感触で上質なものが使われていると分かる。
一見すると豪奢ではないが、粗末ではない。目に見えないところでの気配りが計られている。
応接間というのは客人を出迎える場所である。従って、調度一つによって出迎える主の性格というものが見えてくるものなのだろう。
主が来るまでの間、マリアは智機との会話を思い出していた。
「これからどうする?」
「スポンサーを募ります。増援は期待しておいてください」
「なかったらなかったで、衛星でも落とすなり軍団を展開させるなり、いくらでもやりようはある」
「大丈夫ですよ。智機さんがシュナードラに行ってくださりますから」
智機でさえも口説き落とせたのだから、企業や私設軍も口説き落とせないわけがない。
マリアは言う。
「この後、レオニスグループに行きます」
「レオニスグループといえば、変態を動かせるからというのは分かるけれど、行ったところで無駄足に終わるぞ」
「なぜですか? トモキ・カザマツリ=シャフリスタンさん」
智機はビールを飲んだつもりで小便を飲まされたような顔をする。
「その名前で呼ぶのなら、オレとあそこの会長との間にどんないきさつがあったのか分かっているだろうに」
「そんなの話してみなけば分かりません」
「キャラが違っていないか? それともオレの見立て違いか?」
「どういう意味ですか?」
「やるなら100%勝てる算段をしてから行う。少なくても行き当たりばったりで事を進めるタイプにはみえないんだが」
「利害が一致する、儲かるのであれば犯した相手であっても手を組むのがビジネスだと思いますから」
智機は言った。
「おまえ、周りの大人どもから生意気だって散々言われていただろ」
「ええ。でも、私には陛下と姫様がいました。それを言うなら智機さんも似たような体験をしてきたと思われますが」
思い出してみると、おかしかった。
あの時ばかりは智機も熟練の傭兵ではなく、どこにでもいるような少年の顔であったから。
気の毒だったと思わなくもない。
なにを言われてもしかたがないことを智機がしてきたことは事実であるが、いささか礼に欠いた対応でもあった。
「……お待たせいたしました。商談が長引いてしまって、申し訳ございません」
自動ドアが開いて、現われたのは彼女よりも年上だけれど、それでも14歳ぐらいの少女だった。
烏の濡れ羽色な黒髪をストレートに膝ぐらいまで伸ばした、精巧な人形を思わせながらも鋭いナイフの切れ味も併せ持った美少女。ただし、学校の制服やラフな私服、あるいは豪奢なゴスロリ系のドレスではなく、タイトスカートにビジネススーツを隙無く着こなしているところに少女の性格と立場が現われていた。
「いえ、こちらから押しかけてきたようなものですから。忙しい中、わざわざお時間を割いて頂きありがとうございます」
「ビジネスですから、どんな立場の方であろうとも礼儀正しく迎えるのは当然のこと」
少女は微笑んだ。
「貴女とは一度、会いたいと思っておりました、商談抜きで。マリア・ファルケンブルクさん」
「こちらこそ。風祭世羅会長」
「飽きたかも知れませんが、お茶はいかがしら?」
「それでは、オレンジペコを頂きます」
「貴女の商談の内容を検討させて頂きました」
外から紅茶の入ったティーポットと、サンドイッチとスコーン、指サイズのケーキが置かれた三段トレイが運ばれてきて、応接室は優雅なアフタヌーンティーの様相を呈してきたが、会話の内容は優雅とはほど遠いものだった。
「貴女の資産や所有株式の提供、希少金属鉱山や復興開発の独占権、更にはオリジナルコアの譲渡。悪くはない話ですね」
「ありがとうございます」
「ですが、シュラードラが今から逆転するのは至難なのでは。斉が介入しているという話もありますから、成功する見込みのないビジネスにお金を掛けても無駄なのでは」
「会長の仰る通り、成功は至難だと思います。手は打っておりますが私が思った以上に早く進んでおります。タイミング次第では最悪の事態になるかもしれません」
「実現不可能な夢を見るのは、やめたらいかがですか?」
「至難ではありますが不可能ではありません。石橋を渡るのにも慎重になるのも悪くはありませんが、時には思い切った勝負に出てみてはいかがでょうか。歴史に残る大商人は思いきった勝負に出て、勝ったからこそ、その名を残せたのでは」
「その誘惑に乗って勝てたのはほんの一握り。後は無残に砕け散りましたね」
「会長は勝てる自信がない、という訳ですか」
「勝負するのは貴女ですもの。私からすれば不思議ね。どうして、そこまでの自信、いや最悪の事態にはならないという確信が持てるのかしら」
「……会長は知っていますか?」
「何が?」
「カマラのマローダー。別名、衛星落しのマローダー。カマラ戦争を終結させた鬼畜のエースが何処にいるのか、を」
会長の表情が変わる。
一瞬ではあったが顔に赤みが増し、怒りの色に染まる。普通の人間には分からないほんの一瞬であったが、マリアには見えた。
14歳にしていくつもの大企業を手中に収めた天才企業家ではなく、普通の何処にでもいるようなただの14歳の少女に戻ったのを。
マリアの一言が、会長の心に大きな波紋を広げたのを。
「あのマローダーを雇用したのですね」
「彼ならばある程度は持ちこたえることが出来ます。ただし、持ちこたえられるだけです」
「いえ、マローダーなら勝てます」
「その代わり、カマラの惨劇が繰り返されるとも言えます。あの人ならやるでしょうね」
二人とも笑おうとして失敗し、渇いた空気が流れる。
「……勝つためには会長、貴女の尽力が必要です。私では株投資で資金を稼ぐことは出来ますが、軍関係に働きかけることは出来ません。せいぜいマローダーに働きかけるのが精一杯でした」
「まだ、貴女は6歳じゃない」
マリアがいかつい傭兵連中と交渉し、命令している姿が想像できない。
「それを言うなら、会長もマローダーも14歳ですよね」
「まったく、おかしい話ね」
存在している場所が似つかわしくなくて、視覚の異常を疑いたくなるという点では会長も同じ。妄想か、3流小説家の書く安っぽいフィクションが現実として再現されている事には変わらない。
会長は懐から携帯端末を取り出して、二言三言通信を交わすと通信を切った。
「少し待ってください。時間も有限ではありませんから、削れるのなら少しでも削ったほうがいいでしょう」
「……会長」
「私に声をかけてくれたのは私の資金力と外交力、そして「変態」のスポンサーだから?」
「その通りです」
実はもう一つの要因があるのだが、マリアは言わなかった。無用な火種を投げ込むべきではない。
「「変態」に貴女の計画の可否を判断してもらいます。それでよろしいですか?」
「かまいません」
会長は眉をひそめる。
一通りの結論が出たようで、忌々しいけど仕方がないといった具合に肩の力が抜ける。
「あくまでも判断は任せますが、あの「変態」なら貴女の姿を見れば間違えなく可を出しますね。それも計算に入れたのかしら?」
「それはどうでしょう?」
「その代わり、貴女は生きながらにして地獄を体験する事になるのね。どうして、損な道を歩くのかしら。貴女の才能なら一人でも生きていけるのに」
「私は1人ではありませんから。大切な故郷も失いたくない、家族も失いたくない。そのためには喜んで地獄に落ちます」
「………そういうのは良くないですね」
「どうしてですか?」
「否定するつもりはありません。大切なものを守りたい気持ちは人として当然です。でも、自分の身を犠牲にしても、というのは間違っている。私の知り合いにそういう人がいるから、彼の真似はしてほしくありません」
「でも、会長はその方のことが嫌いではないのでしょう」
「どうでしょうね」
会長ははぐらかすが、半分は自白してしまっているようなものである。
この時、スピーカーから部下の声が流れる。
「渋谷提督がお着きになられました」
「通しなさい」
「かしこまりました」
間髪入れずにドアが開くと、そこには部下に案内されて1人の男性が現われる。
「こんにちは、会長」
見た目は20代後半から30代半ば。人の良さそうな先生を思わせる人物で、敏腕のビジネスマンには見えないが、6歳と14歳の少女たちに比べれば遙かに場に合っている。
「ご足労をかけました。渋谷提督」
「会長は我が渋谷艦隊にとって大切なスポンサーですからね」
渋谷艦隊司令官、渋谷達哉は視線を会長から、マリアに向けた。
「貴女が株式市場を賑わしている天才少女、そして、あの御給智機を引っ張り出したマリア・ファルケンブルクさんですね」
「初めまして。渋谷提督」
「ボクが好条件を提示しても入ろうとしなかった、あのマローダーをどうやって引き入れたのか興味があります」
「聞きたいですか?」
渋谷はマリアを見つめる。
脚の爪先から、頭頂部の天使の輪っかが浮かぶ髪艶までじっくりとなめ回す眼差し。
しばらくの間、新種の昆虫を確かめる科学者のようにすみずみまで観察をすると渋谷は口を開いた。
「まとめると助けがくるから、それまで死守、という事でよろしいでしょうか」
会議も終盤にさしかかって、ディバインがまとめに入る。
「勝利条件は旧領回復。いや、旧領よりも国境沿いの資源地帯を抑えることが最低条件か」
智機の国民よりも資源のほうが大事だと言わんばかりの態度に、ファリルはむっとする。
「報酬として、最低でも鉱山地域の独占開発権は要求してくるだろう」
「世知辛い話だ」
「世の中なんてそんなものさ。若造」
「だから、反逆するんだろ」
ザンティとの会話を楽しんだ後に、智機は話題を切り替える。
「一つだけ忘れてはいけないことがある」
いくら歳が若いとはいっても、年齢不相応な実績を積み上げているだけに、全員に息を飲ませるほどの迫力がある。
激しい戦争を生き延びてきたという点では、ザンティですら勝てないのだから、智機の一言一言には一般市民を踏みつぶすEFの踏み込みのような重さがある。
「それは姫様がおられるということだ」
「わ、わたしですか!?」
その様な重さで自身が言及されたので、ファリルは緊張する。
「仮にクドネルの総統と、姫様が大統領戦に出馬するししたら、どちらに入れる?」
「そんなの姫様に決まってるじゃないですかっっ!!」
予想通りのヒューザーの反応。
「当然、だな」
「私も姫様に入れます」
「言うまでもないですよ」
「そ、そんな、私は大したことではないです」
「その謙虚さといい、敵国の市民にまで気にかける優しさといい、オレ達が担ぎ上げるには申し分ない。クドネルに勝っているところはそこだ」
だからこそ、命を賭けるに値する。
ファリルは頼りないかも知れないけれど、真剣に国のことを想っていることには間違い無く、だからこそ、守りたくなる。
「オレ達は一つにまとまれる。クドネルはそうではないという事ですか」
「利権やら意見やらが絡むんだ。あっちの総統には姫様のように強引に押さえつけられるほどのカリスマ性はない」
「具体的に言えば親斉派と反斉派の対立ですか。うまくいけば立ち回れるとは思いますが、そうそううまく行きますかね」
「だいたい、斉が関与している証拠なんてあるんすか?」
「今のところはね」
「そんなことはどうでもいいんですよ」
セシリアにしては、意外だった。
「敵が何者だろうとそんなの関係ありません。私たちは私たちで頑張るしかないんです。頑張って頑張って頑張れば、きっと道は切り開けます」
「頑張っても報われるとは限らないけれど、頑張らなければ何も得られない。最低条件なんだよ」
言葉こそ辛辣ではあるが、顔は笑っていた。
「代行殿はどうして、ネガティブなんですか」
「悪い。経験上、そういう物の見方しか出来なくて」
「そんなのはダメです」
「了解っと」
智機は手を中央に向かって付き伸ばす。
「合わせるんだ。代行殿にしては珍しいなあ」
ヒューザーが意図を察して、手を伸ばす。
「形も重要なことって意外とあるんだぞ、後輩」
ザンティも手を伸ばす。
「へいへい」
「こういうのは高校以来で、照れ臭いですね」
ブルーノも手を伸ばす。
「ばーか。お高くとまってんじゃねーぞ」
「まあまあ。こういうのも悪くはないですね。というより大好きです」
セシリアも手を伸ばす。
最後にファリルだけが残される。
「私も……いいのですか?」
「いいも何も、姫様が音頭とってくれないと始まらない」
「私が取るんですか?」
「たりーめだろ。トップはファリルなんだから、こういうのはファリルが仕切らないとダメだよ」
「わかりました」
ファリルも手を伸ばして、みんなの掌が一つにまとまる。
「それはでは行きます」
ファリルは息を飲んで覚悟を決めた。
「目指せ、シュナードラ復活っっ えいえいおーっっっ!!」
「えいえいおーっっ!!」
一発で綺麗に揃った。
「ちょっと緊張しまいました」
「良かったですよ、姫様」
力がほどよい感じで抜けたファリルとセシリアを見ながら、智機はこれからの事を考える。
食料事情など住民問題はザンティに任せられるとはいえ、軍事面ではディバイン達に丸投げというわけにはいかない。作戦や戦略を考えるのは楽しくないとは言わないけど、状況が無理ゲーすぎる。
衛星落しは面倒なことをすっ飛ばせる手段であったわけだけど、流石に拒否されたので別の案を考えなくてはならない。
あの人なら、どう考えたんだろうと、智機は思ってしまう。
純粋に興味本位として。
考え込みかけた智機であったが、アラームの音が思考を中断した。
「代行殿、大変です」
相手はオペレーターだった。
「どうした」
「通信が入ってます。相手はクドネル人民共和国総統テオドール・ロンバルディからです。姫様との直接会談を望んでいます」
オペレーターからの報告に、場が一気に緊迫する。
「受けるしかないよな」
「何処にいくんですか?」
智機が立ち上がったのを見て、ファリルは焦る。
「オレは裏方だから表に出るのはまずい」
「……」
それでも、ファリルが悲しそうな顔をしているのを見て、智機は苦笑するとファリルの頭をぐりぐりり撫でた。
「そんな顔をするなって。ディバインに任せておけば、この場は問題ない」
「オレですか?」
「おいおい、最高司令官殿もそんな顔をするな」
全権を委任された格好になって、ディバインまでもが不安そうになるのを見て、智機は呆れた。
「首都を脱出する時に比べれば、遙かにマシだろ。オレは使えない奴に任せたりはしない」
「……了解しました」
ディバインが敬礼したのを確認すると智機は出て行った。
ファリルが唾を飲み込んだのに合わせるかのように、巨大なスクリーンにクドネルの軍服を着た50過ぎの人物が現われる。
「お初にお目にかかる。ファリル・ディス・シューナドラ公女」
「初めまして、ロンバルティ総統」
「まずは、前公王陛下並びに公妃殿下が薨去なされた事をお悔やみ申し上げる」
総統からすれば儀礼上、当然のことではあるが、この場にいる人間たちが一瞬にして激怒したのは言うまでもない。
ディバインも激怒しかけたが、智機からこの場を任されたことを思い出して心を静める。
智機なら、どのように処理したのか気になるところだが、考えている余裕はない。
「姫、落ち着いてください」
ファリルの様子がおかしくなりかけていた。
必死になってこみ上げてくるゲロを押さえ込もうとしているのだけど、抑えきれずに苦闘しているように見える。
セシリアが抱きよると少しは落ち着くものの、それでも苦しみは続いている。
「御覧の通り、姫様は会話できる状態ではない。代わりに私、シュナードラ国軍総司令ブルーノ・ディバインがお相手する。よろしいか?」
「構わない。総司令は貴公か。マローダーではないのだな」
「総統も、わざわざ弔辞を述べるためにきたのですか」
「違うな。単刀直入に言おう。姫様を我々に捧げて降伏せよ。ならば、それ以外の命だけは助けてやろう」
「断るといいましたら?」
「この地に衛星を落とす」
「ふざけ…」
「落ち着け」
その言葉を聞いて、ヒューザーが憤激するがザンティが強引に押さえつける。
役割的に制御する側に回っているが、ザンティでさえも激怒している。
ディバインも叫びたいのはヒューザーのように叫びたいのはヤマヤマなのだが、立場上、激昂する訳にもいかず、どのように対処すればいいのか模索する。
とはいっても、それほど難しく考えることでもなかった。
「私の一存では決定出来かねないので考えさせてください。後ほど、お返事いたします」
「いいだろう。ただし、期限は3日後、12時までだ。いい返答を期待しているよ。それでは」
通信が切れて場に沈黙が訪れる。
「ちきしょう…ざけやがって!」
ヒューザーが机を激しく叩いた。
ディバインにも怒りがこみ上げるが、怒りに浸るには立ちふさがる現実があくまでも過酷過ぎて呆然としてしまう。
ファリルを引き渡して降伏しろと言っている。
拒否すれば、衛星を落とす。
占領ではなく、破壊を目指した脅威に抗うには、明らかに兵力が足りなすぎる。状況は銃弾を頭に撃ち込んでしまいたくなるぐらいに絶望的だった。
「姫様……大丈夫です……」
「はい……すみません」
ようやくファリルが落ち着いてきて、ディバインは安堵するが、その代わりに罪悪感がこみ上げる。ファリルが両親の死にショックを受けていた事を知っていたはずなのに、気配りが足らなかった。
「辛気くさい面してるなあ、みんな」
智機が再び現われる。
「姫様寄越せ。嫌なら衛星落とすで機嫌が良くなるわきゃねーだろ。ボケ」
智機は軽薄だったが、落ち込んだ態度を取られるよりはマシだ。
「回りには何もないから、衛星でも隕石でも落とすにはもってこいだ」
おかげで環境被害が起きない。絶海の孤島という環境がここではマイナスに働いてしまった。
「でも、衛星落とすって……どうすりゃいいんだよっっ」
「どうするもこうするも対処するしかないだろ。オレが迎撃に行って、残りの戦力で防衛」
「代行殿だけで平気なんですか?」
「平気というつもりはないけれど、オレについていける奴が、この軍にいるのか?」
それを言われると言葉もでない。
「それよりも大切なのはクドネルよりも、姫様だろう」
間違っているかも知れないが、間違ってはいない。
「す、すみません」
気分の悪さを引きずっていたけれど、それでもさっきよりは回復していた。
「お恥ずかしいところを見せてしまって」
確かに、政治家として見るならファリルの対応はまずいどころではなかった。
「いや、ファリルの体調を失念していたオレの失態だ。悪い」
「そんな、悪いだなんて……困りますよ。こんなに頼りなくても王なんだから、しっかりしないと」
「気張るなっつーの。ファリルはPTSDなんだからさ」
「ぴーてぃーえすでぃー」
「目の前で家族が死んだんだから、誰だってそうなるって。本当は病人に無理はさせたくなかったんだけど。時間はかかるかも知れないけど、ゆっくり治していこう」
「…はい」
「で、確認だけど徹底抗戦でいいかい?」
「徹底抗戦…ですか?」
ファリルは急に現実を突きつけられてしまう。
「拒否すれば、この島に衛星を落とされてしまうんですよね」
「飲めば、ファリルの身がどうなるかは分からないぞ」
「それでも、この島の人たちが助かると言うのなら」
智機は不意に笑顔を浮かべる。
一見すると優しそうな笑顔だったが。
(なら、初めて会った時に死ねばよかったんじゃないのか)
ファリルが生きているから、誰も彼もが地獄に巻き込まれている。
……ひどく不安になる笑顔だった。
「何やったんだ、代行殿は」
「……想像もしたくない」
アイコンタクトで最初に出会った時の頃を思い出させられ、ファリルが引きつったの見て、ライダー2人組が小声で話し合う。
「あくまでも徹底抗戦ということで、問題はどう立ち向かうか、だ」
強引にまとめたところで本題に入る。
「上空の敵兵力は、代行殿がいちばん良く知っておられると思われますが」
「上空にいるのはクドネルの第二艦隊と禁狼血刃衛星落しはこいつらが中心だろう。第二艦隊はともかく、禁狼血刃は厄介だ」
「禁狼血刃は空母持ちですからね」
艦隊は基本は戦艦、金がある場合には巡洋艦、無い場合は駆逐艦であり、空母が使われる例は少ない。他艦種とは違い砲撃力がないので、EF抜きでの砲撃戦では不利に働くからである。従って、空母を運用するのは大国などの大艦隊に限られており、禁狼血刃もそのうちの一つである。
「クドネル第2艦隊は戦艦3隻と巡洋艦12隻、禁狼血刃は空母2隻、戦艦4隻、巡洋艦12隻。ここから導き出されるEFの数は大凡で550騎、か」
「いくら代行殿でも500騎は厳しいんじゃないんですか……いや、変わらないか」
同じような数を相手にして、回避だけで勝ってきた化け物である。
「いくら何でも禁狼血刃をクドネルやその手の連中と比べるな。もっとも、変態を相手にするよりはマシ」
「へんたい?」
変態といったら普通に変態なので、軍関係者でないファリルが唐突に思ったのも無理はない。
ヒューザーがフォローを入れる。
「変態というのは渋谷艦隊ですよ。数ある傭兵騎士団の中でも最強と知られる存在……ただ、色々と問題があって、つけられたあだ名が変態なんですけどね」
「その渋谷艦隊というのは強いんですか?」
「強いよ。仮に、クドネルに渋谷艦隊が参入していたら依頼を断ったぐらいに強い」
「………」
「せんせーっ」
ヒューザーが手を上げる。
「なにかね、ヒューザー君」
「代行殿はどれに乗って行くんですか?」
重要な問題だった。
「普通にクーガーに乗るしかないだろ」
「普通にクーガーって……あっさりっすね」
「しょうがないだろ。奪ってきたメネスが使い物にならないっていうんだから、ある物で我慢するしかない」
「また、うんたん使うというのは?」
「そう使えるものでもないだろう。出なければ、普通にうんたんメネスで出撃する。違いませんか?」
「その通り。使えるといっても動かせる程度で、実戦で使えるレベルではない。とりあえずはクーガーでやってみせる……と言いたいところなんだけど」
何故か智機は言いよどむ、というよりは溜めた。
「そこの変態市長」
智機が視線を向けたのは、会話に参加していなかったザンティだった。
「誰が、変態だ。何処ぞのロリコン司令と一緒にするでない」
「これは失敬。オレ達が深刻な会話をしているというにニヤニヤしているものだから、どこぞのロリコン司令のような妄想をしているのではないかと」
「……どういう会話だよ」
「ほう、気づいたか。小僧」
黒さ100%オレンジジュースのような濃い会話にヒューザーが突っ込むが、ザンティは平然と無視する。
「何か、面白いネタを見つけたか思い出したんだろ。言ってみろよ」
「……2人ともいい笑顔、といってもいいのかな……」
「見ているだけで胃が痛くなるような笑顔ですよね」
どう言いつくろっても、2人は悪党にしか見えなかった。
ザンティは端末を操作して一言二言言ってから着る。
すると間髪入れずに会議室のドアが開いて、1人の男性が現われた。
「やあやあ、みなさん初めまして」
「紹介しよう。この御仁はジェームズ・リチャード・クラークソン博士。EF開発者だ」
「どう見ても博士に見えないんだけど」
年齢はザンティと同年配であるが、身長が高く筋骨隆々。ザンティほどではないが頭が禿かかっていて、チン毛を頭皮に移植したように見える異相はヒューザーが言うように博士には見えなかった。どちらかといえば肉体労働者である。
「ジェームズ・リチャード・クラークソン…何処で聞いたことがあるような名前だな」
「何故、EF開発者の人が出てくるんだ?」
「……まさか」
ディバインの表情が静かに驚きへと変わる。
「知っているのか、ディバイン!?」
「どうやら、後輩も気づいたようだな」
「ジェームズ・リチャード・クラークソンって何処で聞いたことがあると思ったら、ダイナソアの作者か」
数分後、ファリルと智機は廊下を歩いていた。智機が想いだしたように呟くと、先導していた肉体労働者にしか見えない自称博士が反応する。
「ほう。私の作品を知っていたとはね」
「一回、整備した事があるんだけど複雑っぷりに泣いた。その後にフォンセカ整備したら簡単で簡単で、こいつを作った奴に出会ったらぶっ殺そうと思ったことを思い出した」
「殺す気になったかね」
「さあね」
ノリがいいのか、殺伐としているのか分からない2人を余所に、ファリルは何故、歩いているのだろうと戸惑ってしまう。
「私たちは何処に向かっているのでしょうか?」
「よそ者のオレよりも、ファリルのほうが詳しいと思ったんだけど。シュナードラに眠っているお宝の話」
「お宝?」
答えになっていない。
「国境地帯に希少金属の鉱脈が発見された事が、戦争の原因になったのは置いておいて、一緒にコアも発掘されたのは覚えている?」
「コアって、エレメンタルフレームのコアですよね」
コアというのは、ドリフトを発生させる動力源であり、機ではなく、騎と表現されるEFの根源ともいえるパーツである。極希に発掘されるオリジナル・コアを元にコピーが製造されるもので、従って製造には制約がある。オリジナルは作れないため、いかなる大国ともいえどコピー元であるオリジナルを所持しなければ、EFを自国生産する事は不可能なのだ。
「クオレ係数20という素晴らしいものでありながら、あいにく時の政権はサリバン(バカ)だった」
「クドネルの侵攻を防げたかも知れないほどのブツなのに「戦争を誘発させる恐ろしいものは、この世界にはいらない」なんて抜かして、破壊を命じるんだから、ほんとお花畑にもほどがある。罪深いほどに」
クオレ係数とはオリジナルコア自体の強さを示す指標であり、数値が高いほど優秀である。一般的に使われているフォンセカが7なので、それを考えると星団随一といってもいい。
来ると思っていないというより、存在すら知らなかった人物が来ているのだから、ファリルでもその先の展開が読めてくる。
「実は捨てられてなかった」
「そういうことです。姫様」
智機まで招聘することに成功したマリアなのだから、資源を無駄に捨てるわけがない。
「そのオリジナルコアを基にEFを一騎試作しました。これから行くところはそのEFのあるハンガーです」
「……楽しそうですね」
「そりゃねえ」
もはや、智機はこみ上げてくる歓喜を隠そうとしない。ファリルには智機の歓喜を止める権限なんてないのだけれど、可愛い猫を見つけては抱き上げるような笑みではなく、仕掛けた罠に引っかかって無残な姿になった猫を見て喜んでいるような笑いなので、胃が痛くなってくる。
「クオレ係数が20って言ったら大国の旗騎クラスじゃないか。センチュリオンズでひたすら媚び売ってなければ乗れないんだぞ」
まだ、貴方の所有物と決まったわけではないと突っ込みかけて、ファリルは気づく。
ライダーを雇うには金がかかる。しかも、智機クラスのエースであればどれだけの額になるのか見当もつかない。
マリアが想像以上に資金を稼いでくれたとはいえ、金だけで動かすにはこの戦況は余りにもリスクが高すぎる。
大国の旗騎クラスの騎体が手に入るとならば、この厳しすぎる戦況に命を賭ける価値がある。いくら金を積んでも手に入るというものではないからだ。
やがて、3人はハンガーの中に入る。
それは異形の巨人。
水色の装甲に身を包んだEFはクーガーよりも2割増しほどに大きかった。
膝ぐらいまで伸ばした黒髪を後ろで三つ編みにまとめている女性メカニックが作業しているが、張り付いている虫のようにしか見えない。
「これが現在制作中のEF、JCF-001Cです」
「……これがEF…」
そのEFはお世辞にもかっこいいとは言えない。
「アニメに出てくるような主人公機を想像して、宛が外れたというような顔ですな」
「い、いえ、そんな……」
「胸部はフォンセカからの流用に間に合わせの増加装甲、ジォネレーターはEFではなく、軍艦か」
ジェネレーターはEFよりも宇宙船の物が手に入り易く大出力ではあるが、サイズも大きいのでEFのフレーム内に収めるには工夫も必要で何かと効率も悪い。
「コア自体は実に上質なものを使用することが出来たのですが、フレームの素材自体はあるものを活用するしかなくてね」
大国が莫大な資金を投じているものではなく、個人が限られた資金で細々と作っていたものなので、手に入る素材も限られたものになる。
ここまで仕上げられたのが奇跡というものなのだろう。
「ガワのほとんどは寄せ集めだが、設計は一応新規だ」
「当たり前だろ」
ファリルは仔細にEFを確認してみる。
フォンセカの流用パーツに、やっつけ感丸出しの増加装甲をつけた胴体が膨らんでいるのは、クラークソンが語ったように宇宙船用のジェネレーターを搭載しているからだろう。
何処をどう見ても異様だ。
騎体は巨体であり、更に背後には肩からお尻までを覆えるほどのバックパックユニットが取り付けられている。
肩のパーツが不自然なまでに大きい。詳細は分からないが恐らくはエネルギータンク、もしくは武器の搭載スペースなのだろう。
その肩から腕とは別に、二つの細い副腕が伸びている。
極めつけは右腕。
左腕は副腕を除けばクーガーとそれほど違いはないデザインなのに対し、右腕は倍以上の太さがあり、殴ったら殴られた方よりも殴ったほうが骨折するほどに頑丈な装甲で覆われている。巨大で鋭い5本の格闘クローを装備したその形は人類というよりは甲殻類のもの。EFの持つ汎用性を斜め上の方向に投げ捨てていた。
掌には巨大な穴が穿たれており、上腕部が畸形なほどに膨らんでいるのは、火器を搭載しているからであろう。
「どのようなコンセプトで作られたのでしょうか?博士」
「今まで数々のEFを扱ってきましたが、もっとも最高のコアを素材にすることができましたので、理想に走ってみました」
「理想?」
「二高一重」
ファリルには何のことだか、さっぱり分からないが智機が意味を教えてくれた。
「高機動、高火力、重装甲。要は最強のEFということ」
音よりも早く動けて、自然災害にも匹敵するほどの火力があって、どんな攻撃にも耐えられる装甲。この三つの要素を兼ね揃えられれば最強ともいえるが、実現困難とも言える。
見ているだけでも吐き気がするぐらいに、これでもかといわんばかりに頑丈だし、火力にも気が配られているのは分かる。
「……これで動けるんですか?」
第一印象は鈍重の一言。
二つまでなら出来なくもないのだが、三つも兼ね揃えるのが難しいのは高機動と重装甲が相反するからだ。
装甲を施せば施すほど重くなり、高速からかけ離れていく。その矛盾する難題を解決するために幾多の技術者は挑戦してきた。具体的にいえば馬力の増強や軽量且つ頑丈な素材、抵抗を受けにくい形状などであるが、ファリルの目の前にある騎体は軽量化の努力を端っから放棄していた。
この騎体が目にも止まらぬ早さで動くところなど想像もできない……というよりも、怖い。
「普通、高速と言ったら限界まで重量を削って、大出力のジェネレーターといったところなんだけど」
「それでも構わないんだが、面白くない」
「面白くない……」
「そういや、アンタは業界きってのPOWER厨だった」
「POWER厨?」
「こいつには2基のジェネレーターを搭載している。EF用の物ではない、水雷艇の物を極限までチューンしたものだ。これがもたらす意味を代行殿なら理解できるはずだ」
この場合の水雷艇とは、もちろん水中で動くものではなく、軍艦の中でも一番小型の艦種のことを差す。戦闘力は最低レベルである代わりに、速度は最速だ。
「なぜ、EFのを詰まなかったのですか?」
「残念ながら都合のいいのが見つからなかった」
「ほんとかよ」
水雷艇でもEFの速度に勝てないのはパワーウェイトレシオ比でEFが凌駕しているからであって、ジェネレーターの出力は軍艦の方が高い。しかし、軍艦用の搭載しているEFが存在しえなかったのは単純に詰むには大きすぎるからである。
「高火力、高機動、重装甲を追求したと言ったよな」
「ああ言った」
「嘘とは言わないけれど、言い訳だな、それ。チューンしたとも言ったけれど、どれくらいの出力になった?」
クラークソンは悪びれもせずにいった。
「戦艦クラスの出力まで増強した」
「戦艦クラス!??」
そして、ファリルが驚く。
「新型ジェネレーターの設計もできていたのですが、新規に作る時間の余裕も資金もなかったので既存品の改造ということになりました」
そういう問題ではないだろうとファリルは思った。
目の前にそびえる、知らない間に作られた騎体はEFとしては大型ではあるが、戦艦レベルのパワーを受け止めるには小さすぎるということぐらいはファリルにも理解はできる。
「せっかくクオレ係数20の高純度のコアを手に入れたんだ。ここでPOWERを追求せずにいつ追求するというのかね」
高機動の追求には二つの方向性がある。一つは軽量化、一つは出力の増強。大抵の軍や企業などでは極限まで騎体を軽くして常識の範囲内での高出力のエンジンを詰むのが、高速系騎種の基本である。あくまでも、非常識なまでに高出力という真似はできない。過剰なパワーにフレームがもたなくなる。
ドリフトなら空中分解を防ぐことも可能だが、ドリフトの常時発動を前提に入れての騎体設計をする開発者はいない。
「バカみたいに高出力のジェネレーターを搭載するために装甲も兼ねて頑丈にしたというわけか」
そこで出てくるのが重たいフレームに、高馬力のエンジンを乗せ、エンジンの力だけで高機動を実現するという発想である。
たとえ1BOXであっても、宇宙船用のジェネレーターを搭載すればスーパーカーを楽々とぶっちぎれるのと同じ理屈である。
目の前にいる騎体がフォンセカ系よりも大きいとはいえ、水雷艇に比べれば小さい。にも関わらず宇宙船用のジェネレーターを搭載するのだから、パワーウェイトレシオ比は大半の騎体を凌駕する。
ただし、小規模ながらもザンティがEF部隊を編成できていることを考えると、必ずしもEF用のジェネレーターが必ずしも手に入らなかったというわけではない。
「こいつの出力はベルリン級よりも1割ぐらい増している」
「ベルリン級といいますと?」
「NEU圏内で広く使われている戦艦。ひらたく言えば、ロストックの同級」
「ちょっと待ってください」
目の前にあるEFと首都からガルブレズに来るまでに乗った戦艦とほぼ同じ出力なんて信じられないことだった。法螺を吹いているとしか思えない。
「つまり、最初から高火力、高機動、重装甲を狙っていたわけではなくて、EFにどれだけ高出力のジェネレーターを詰めるかどうか実験したみた結果、高火力と重装甲も実現したっていうことだろ」
ジェネレーター出力が常軌を逸しているので、下手に軽量化をしようものなら、速度を出した瞬間に崩壊する。自転車にスーパーカー用のジェネレーターを積んでも動かした瞬間に崩壊するのと同じだ。それ以前に積めないともいうが。
智機が最初に殺してやりたいといった気持ちが、ファリルにも理解出来たような気がした。
「装甲があったほうがストレス無しに戦えるだろう。むしろ、代行殿は高機動とは真逆の戦い方が得意のように見受けられるが」
「好き好んで楯ばかりやってたわけじゃないんだけど。でも、戦術の幅が広がることにこしたことはないか」
重量を抜きにしてひたすら馬力を追求する方法の利点は出力に余裕があるということである。高機動特化型の騎体は装甲が薄いので防御戦には向いていないが、この騎体は過大すぎるジェネレーター出力にも耐えられるよう騎体が強化されているので、誰かを守って被弾することが要求される防衛戦でも対応できる。
もちろん、規格外の大型ジェネレーターを搭載しているのだから欠点もある。
「燃費は?」
「少し悪い」
直後の智機を見て、ファリルは物凄く悪いんだと解釈することにした。
「回せなくもないが、基本的には騎体のエネルギー全てを騎体制御に回す仕様になっている」
ビームライフルなどの光線系兵器は本体から無線で供給されるのが基本である。にも関わらず、自粛して欲しいというのは稼働事情が厳しいのだろう。
「バックパックがコンテナになっているのは、そういうことか」
「???」
「火器系全てをエネルギーカートリッジで賄っている」
よく見れば上腕部の肘付近に細長いくぼみがついている。そこにカートリッジを差し込む仕様になっているのだろう。
また、副腕が装備されているのもカートリッジの交換を円滑にするためだろう。
「弾薬庫背負って戦闘か。ぞっとしないなあ」
「だからそこは一番頑丈に作っている。一発当たればおしまいなのは、どのEFも一緒だろうが」
騎体の動力源の傍にコクピットがあるのだから、脱出装置があるとはいえ、当たれば一発で死ぬのはどの道、同じである。
「固定武装は頭部に60mmバルカン砲が2門、右腕は見ての通り格闘専用になっていて、クーガー程度はドリフトを使わなくても握りつぶせるほどの握力がある。また、戦艦主砲を搭載する予定だ」
「予定ということは、まだ搭載されていない」
「流石に戦艦クラスとなると入手が難しくてね」
「そういうことだったら昨日、戦艦を何隻か沈めてきたから、パーツを手に入れてくればよかったかな」
いくら智機であっても、そんな余裕はなかった。
「肩部に装備にしているのはカートリッジコンテナだが粒子砲ユニット、ベアリングランチャーに交換することができる」
「高火力なのは間違いない。予定通りにいけばの話だけど」
「感想はどうかね。代行殿」
「かっこいい」
ファリルは智機の感性を疑ってしまった。
目の前にあるクラークソン博士が造り上げた騎体は一言で言えば鈍重。右腕を除いたパーツは適当な騎体から適当にツキハギして、ゴテゴテ増加装甲をくっつけたという外見は良くて無骨、悪ければダサいという代物であり、視覚いっぱいに広がる圧倒的な質量がもたらす恐怖感はあっても、爽やかなイケメンのようなかっこよさはない。
でも、智機の騎体を見る目は最初と変わらない。
気持ち悪ささえ感じられるグロテスクな見た目であっても、智機の士気が下がることなく、むしろ、燃え上がっている。この時ばかりは年相応の少年のように見えた。やっぱり、男の子は戦闘マシーンを見ると燃え上がるのだろう。
「なんか文句でもあるのか、こら」
「い、いえ。文句なんてありません」
ただ、ファリルからすれば獲物を見つけた野獣のような凄みのある笑みを浮かべるのはやめて欲しいと思う。どう見てもファリルは捕食される側だから。
「姫様を脅してどうする。それはそうと、気に入ってくれたようでよかった」
「量産化は無理だけど、これなら充分に戦える」
いくら試作とはいえど、このままで量産するのは不可能だ。
ファリルはおそるおそる、クラークソンに質問してみることにした。
「この騎体に乗れるのは?」
「この国では代行殿だけだ」
EFの性能はクオレ係数の高さに準拠していて、係数が高ければ高いほど性能を高めてくれるが、その代わり、コア側も乗り手を選ぶ傾向にある。
レベルが高ければ高いほど、ライダーにも技量が必要とされ、シュナードラ軍のライダーのように極端にレベルが低いと騎乗拒否されてしまうこともある。
「JCF-001Cが量産の暁にはクドネルを圧倒して、シュナードラを再興できるぞ」
「乗れるライダーがいなければ、話にならないだろうが」
それ以前に、バランスを度外視してまで強大なジェネレーターを搭載したピーキーすぎる代物を制御できる変態がごろごろしているとは、ファリルにも思えない。
「こんなこともあろうかと、実は量産計画を立てているのですよ」
「量産計画ってちょっと待ってください」
乗れない騎体を量産しても無意味だ。EFに関しては門外漢であるファリルでさえも言いたくほどだったが、それを解決したのは騎体から降りてきた整備士の少女だった。
「JCF-001Cはあくまでもコアの性能を確認するための試験騎です。量産騎の計画は別にあります」
「だろうな。早急に仕様をこちらのアドレスに送ってくれ。後で詳細を検討する」
重要な案件ではあるが、クドネルの侵攻が72時間後に迫っているのだからそれ以上にやらなければならない事がいっぱいある。
「貴女は?」
想像はつくのだけど、敢えてファリルが素性を尋ねるとクラークソンが紹介する。
「彼女はメイ・ハモンド。私の弟子だ」
「弟子ではありません。部下です」
却下したくなる気持ちも分からなくもない。
「だから、同情の目でみないでください」
「す、すみません」
「代行殿も変態を見るような目で見ないでください」
智機のほうがひどかった。
「JCF-001Cの完成度はどれぐらい?」
「平然とスルーしないでください……で、現時点の完成度は20%といったところです」
「20%?」
ファリルの目やクラークソンの口ぶりからは既に完成しているように見える。武装のいくつかが取り付けられていないだけで20%だけというのはおかしい。
「この騎体には欠陥があるんです」
「欠陥?」
「この騎体が加速をすると最大で200Gがライダーにかかるんです」
「200Gって……」
普通の人間にはその言葉の意味するところが分からない。
「人間が耐えられる最大の重力加速度は180Gです。通常動作でライダーを殺しかねないほどの騎体に搭乗なんて認められません。だから、いかにしてGを抑えようと模索しているのですが、なかなかうまくいかなくて……」
ファリルとしては、色々な意味で唖然としてしまう。
現状最大級の出力をたたき出すジェネレーターを搭載するために堅牢なフレームになったのだが、問題なのは出力過剰なジェネレーターから生み出されるパワーを騎体のみならずライダーも受けてしまうという点にある。つまり、耐えられないのだ。
出力追求のためにはライダーの命も考えない設計も平気で行えるクラークソンの変人っぷりには唖然とするしかない。
200Gの重力加速度がかかれば人は生きていけない。原型さえも留めないだろう。メイのいうことは100%と正しい。
「それだけ?」
しかし、智機の前では考えに考え抜いたギャグが滑ったような雰囲気になる。
「……それだけって、それだけですけど……それだけで止めるには充分ではないですか」
でも、ファリルは見た。
目の前にいるこの少年がパラシュートも無しに生身で落ちてきて、地面に高速で激突しながらも何事もなかったかのように立ち上がったのを。
「なら、問題ない」
200Gだろうと智機には耐えられる。そよ風程度でしかない。
「問題大ありです。だ……」
悪魔のような笑みを浮かべて強行しようとする智機に、開発に携わる者の良心として止めようとするメイであったが、張り上げた声が途中で止まった。
空気が絶対零度の領域にまで凍り付く。
メイはおろか、ファリルやクラークソンまで動くことが出来ない。
……智機が地獄の魔王のように怖かった。
短いのかも知れないけれど永劫のように感じられる一瞬。
メイの顎の鳴る音で、ファリルとクラークソンの硬直が解ける。
「いいな」
「……はい、わかりました……」
「いい子だ」
智機の言葉に何故かファリルの背筋が凍り付いた。
立っていられずにメイの身体がハンガーの床へと倒れ込み、両手をつく。さっきまでの勢いは何処へやら、恐怖で泣きじゃくってしまっており地面に2種類の液体を垂れ流してしまっていた。
両目から絶え間なく迸る涙……股間からあふれ出る生暖かくて妙に黄ばんだ液体。
「……いかんなあ、代行殿。無駄に凝りまくるところは気に食わないが、これでも大事な弟子なんだ」
智機があの一瞬の間に何をしたのか、分かってしまうだけに言わざるおえない。
「智機さん。後でメイさんに謝ってください」
端から見ていたファリルでも、裏路地で背後からいきなりナイフを首筋に突きつけられたように怖かったのだ。直接、殺意をぶつけられたメイにとってはそれ以上であるのは言うまでもない。恐怖のあまりに漏らしてしまうのも当然だ。
「これは代行命令。逆ら……」
「なら、姫様命令です」
考えてみたらファリルも智機の行動に付き合わされて漏らしていた。だから、他人事とは思えなかった。
「了解しました」
智機が受け入れたのが意外。
「それではビジネスの話をしましょうか。姫様」
しかし、話をすぐに切り替えてしまうのが智機らしいといえばらしいのだけど、丁寧な言葉使いをするのが不安でもあり、痛かった。
「ビジネスですか?」
「何度も言いますけど、ボランティアで来たわけではありませんので」
智機は傭兵である。
正義の味方をやりに来たわけではないので報酬を払わなければいけない。正当な報酬が支払われなければ智機に拘束されて、ファリルの身柄を手土産に投降されても文句は言えないのである。
今までそういう話がなかっただけに、いきなり現実を突きつけられてファリルは緊張をする。
「報酬ですが……」
ファリルは唾を飲み込み、どのような報酬が要求されるのかと判決を待つ囚人のような気持ちで聞いた。
「まずはこのJCF-001C。および活動に際しての必要経費および小遣い。これが基本報酬。成功報酬は宇宙船一式と追加の金銭。でも、これは戦争が終わった時でいいでしょう。ファルケンブルク女史を代理に立てても結構です」
思ったよりも穏当で胸を撫で下ろす。
「小遣いっていくらぐらいなんですか?」
「姫様と同じぐらいで」
普通の一般家庭の子と同じ程度しかもらえなかったことに感謝する時がくるなんて思いもよらなかった。
「わかりました。それでお願いします」
仮にJCF-001Cを渡さないのだとしても、智機以外に乗れるライダーなんていないのだから、なら渡してしまったほうがいい。智機からしても、大国の旗騎クラスのEFを手にいられるのだから取引としても悪くはない。
「後で文章にしておきましょう。それでは握手」
今更、求められることもないと思うのだけど拒絶するのもアレなので握手をする。
「そうだ。一つ条件をつけてもいいですか?」
「オレが受け入れられるものであるのであれば」
「では言いますね……」
言おうとしてファリルは言えなくなってしまった。
とても、恥ずかしい。
火が出るくらいに恥ずかしい。
「いいえ、なんでもないです。後で気が向いたらでいいですか?」
「了解。JCF-001Cの件についてですが、後で文面に起こしますのでサインを下さい」
「わかりました。
突っ込みがなかったことに安堵する。
こうして契約があっさりと成立すると智機は当面の問題に取りかかった。
タブレットから投影式のスクリーンを立ち上げると、会議室につなげる。
「こちら、智機だ」
「代行殿、新型騎はどんなものですか?」
ディバインの問いに智機はタブレットを持ち上げて、カメラに新型騎を映し出してみる。
数十秒間続けた後、タブレットを下ろして画面を見ると、ザンティ以外の人間があっけにとられていた。
「なんていうか……その……可愛くないですよね」
セシリアの言うことも最もである。アレを可愛いという人間は視神経か脳のどちらかがおかしい。
「いや、可愛さは必要ないとは思うんだけど、絶対、主役機ではないよね。あれを主役機というなら、スポンサーから文句が来て絶対に変えられるよ」
ヒューザーはらしいといえばらしい。
「……使えそうですか?」
見た目は抜きにして性能を問うてくるのはディバインらしいとも言える。
「ああ、充分に使える」
横目で弟子を介抱するために離れていたクラークソンが戻ってきたのを確認すると本題に入った。
「これより、今後の作戦の概要を伝える」
その一言でタブレットの向こう側が一気に緊張する。
一斉に血の気でも引いたかのように静まるのに対し、智機は変わらない。いつもの人生を舐めきった緩さを保っている。
「一言で言うなら、敢えて釣られてみる」
「あの騎体に乗って落下物の迎撃ですか」
「そういうこと。大量の敵相手に単騎でドンパチするのは始めてではないから、落下物の迎撃は何とかなると思う。問題なのはお前らだ」
単騎特攻が初めてでないと言い切れるのが智機らしくて頼もしいのだけど、ディバインとヒューザーがわかり安いほどに重くなるのは、智機がいない状態での戦闘を強いられることを理解しているからだ。
敵の作戦は宇宙からの落下物攻撃と陸地からの侵攻と二正面になることが予想されるからで、衛星攻撃は、智機で対応できるものの問題は陸地からの攻撃である。
10倍の物量、圧倒的な質、そして智機がいないというシチュエーションで守りきらなければならないのだ。
「代行殿が地上で迎撃するというのはどうかな。クオレ20の化け物なんでしょ。地上でも落とせるとは思うんだけど」
「ヒューザーのくせに、いいアイデアじゃないか」
「ヒューザーのくせにとは何ですかっっ」
「あの代行殿に褒めて貰えているんだ。光栄に思え」
そのアイデアは智機も考えた。
智機と新型騎の性能なら、落下物が島ぎりぎりまで落ちてきても欠片も残さずに粉砕する事が可能だろう。同時に地上から侵攻されても智機なら対応できる。当座を凌ぐためにはこれがベストだろうと思われる。
「ヒューザーのアイデアは悪くないんだけど、それでも敢えて釣られにいく」
「その訳は?」
「今がチャンスなんだ」
智機の返事にディバインは訳が分からないという顔をする。
「オレ達も援軍が期待できるのと同じように、クドネルにも援軍が期待できる。むしろ、クドネルのほうが多い。わかるな」
「ええ、分かります」
クドネルの指導者ならともかく、斉から派遣された人間なら増援を呼ぶだろう。智機なら迷わずにそうする。
「でも、現状ではクドネル側の援軍は来ていないし新型騎の存在すら知らない。そこに攻勢に出るチャンスがある」
「攻勢ですか……」
「わざわざ宇宙に出るよりも、地上ぎりぎりで落とした方が安全だというのはわかりきっている。でも、それではダメだ。攻勢に出る時に出ないと一生、受け身のまま。いつかは殺られる」
智機がライダーとしては有能であり、EFも未知数ではあるが強力といえど限界はある。
「賭けになりますよ」
「そういうセリフは戦争になる前に言え。今のオレ達は危ない橋を渡りまくるしか勝ち目はない」
ちっぽけな孤島と僅かな戦力で強大な敵を相手に逆転しようというのだから、壮絶な無茶をしなければならない。安全策を採るには何もかも足りなすぎた。
「……了解しました。出撃はいつになりますか?」「博士。大気圏の外に出るとしたら、どんな方法がある」
ドライブの力によって翼のある無しに関わらず、反重力で飛ぶことができるが、EFといえど何の追加装備も無しに重力の枷から外れて、星の外に飛ぶことはできない。
「JCF-001Cなら普通にロケットに括り付けるだけでいい。6時間ほど準備が出来る」
「3時間で準備しろ」
「無茶抜かすな。が、努力はしてみる」
「データとのインストールと操縦系統は?」
「フォンセカには合わせている。一応は」
スタンダードともいい騎種に合わせているとはいえ、フォンセカとは全く違う騎体なので相違点も山ほどある。
テストもなしにぶっつけ本番とは無茶な話だが、やるしかない。
「劣化コアの用意は?」
「3つぐらい用意してある」
博士の言葉にヒューザーが喜色を浮かべる。
EFの性能は6割から7割はコアによって決まるので、単純に換装しただけであってもEFの性能は格段に上がる。ライダーとしては心強い。
けれど、ヒューザーの期待は木っ端微塵に打ち砕かれる。
「コアを載せ替えるのは簡単だが、マッチングテストに時間がかかる。騎体、ライダーともどもだ。それこそブースターを準備するよりも時間がかかる」
コアは意志や相性があるので、単純に載せ替えたところで機能するとは限らない。そこがEFの難しいところである。
「どれくらいですか?」
「3日間、いや二日と数時間あって1騎換装できれば御の字といったところだ」
「ちぇっ」
ヒューザーが残念がるが仕方がない。
「では、今から10時間…いや、12時間後に作戦を開始する」
「急ぎすぎじゃないかなあ……」
セシリアが珍しく疑問を唱える。
「時間をかければクドネルが有利になる。奴らの応援が来る前に可能な限りの戦果が欲しい」
「分かりました」
「というわけで、今後の予定は決まり。じいさんは民政。ディバインは軍政、ヒューザーはディバインの補佐という形でよろしく頼む。セシリアもといきたいところだけど、艦長は休養が必要だ」
「それをいうなら、代行殿も必要だと思うの」
「オレはまだまだ働けると言いたいところなんだけど、やるべきことやったら、ある程度は永眠してる」
「死んでるやんけっっ!!」
智機のわざとらしいボケにヒューザーがツッコミを入れた。
休める機会があれば可能な限り寝るのが傭兵としての鉄則である。次、いつ休めるかは分からない。下手をすれば次の休息が永遠の休息にもなりかねない。
「わたしは…どうすればいいのでしょうか?」
「姫様にもちゃんと仕事がありますからご安心下さい」
みんなが忙しく働いているのに自分だけ働かなくていいのかという顔をファリルがしていたので、智機は慇懃無礼にフォローを入れる。
「どんなお仕事ですか?」
「みんなを励まして回るだけの、簡単なお仕事です」
「みんなを励ますって……難しいです」
「でも、姫様にしか出来ない仕事です」
ディバインもフォローに入る。
「わたしにしか出来ないおしごと」
「そりゃそうだろ。この島で一番偉いのはファリルなんだから、姫様以上の演説なんてオレにはできない」
「うう…緊張します」
「姫様なら出来ますよ」
「と、まとまったところでオレは当分の間、こいつのセットアップにかかり切りになるからよろしく」
「だめです」
智機の発言力なら通るはずなのに、ディバインが待ったをかける。
「どういう事だよ」
「代行殿が黒幕に徹するのであれば民衆の前に出る必要はありませんが、軍内部の人事については代行殿自らの説明が必要になるかと思われます」
「そうそう。アミダで騎士団長になっちゃった訳だし」
「多分、旧国境騎士団の連中から苦情が出ると思われます。顔見知りをトップにするのではないと」
「知己で固めるのは当たり前だろうが」
ディバインとヒューザーをトップにつけたのは智機の独断である。騎士団新人の2人がいきなりトップになってしまったのだから、その判断基準が見えないと不平不満を漏らす奴らが必ず出てくる。ので、その意図について説明しなければならない。
しかし、ヒューザーはともかくティバインも楽しそうに見えた。
「ったく、使えない癖して地位だけは要求しやがる。だから、負けるんだよ」
ぼやいたところで始まらない。
「というわけで以上、会議は終了。これより作戦を開始する」
「了解しました」
ディバインの返事を聞いて、智機はタブレットのスイッチを切った。
「博士。こいつの設計図を早急によこせ。どうせトラブルが出まくるんだから、うんたんで補正する」
「了解」
テストでいきなり実戦である。考えてみれば恐ろしい話である。戦っている最中にトラブルでいきなりジェネレーターが停止してしまえば死を意味する。智機だから問題がないといえるが。
「それでは、戻りましょうか」
「はい」
「ちょっと待った」
やることは終わったので、次はみんなの元に戻るところなのだが、クラークソンが呼び止めた。
「こいつの名前はどうする? 形式名だけでもいいが味気ないだろ」
製造元やベースのフレーム名で型式番号が自動的に決まるとはいえ、クラークソンの言うようにそれだけでは味気ないのも事実だった。
やはり、自身の騎体なのだからちゃんと名付けてやりたい。
「ハンマーヘッド・I・スラスト・イーグルというのはどうだ? クールだろ」
「長いから却下」
とはいっても、いざネーミングとなると特にアイデアが浮かばない。
「姫様が名付けてください」
「私がですか?」
せっかくなのでファリルのふることにした。
「この騎体は公室費で作られたものですから。姫様がこの騎体で得られる権利というのは名前をつけることぐらいです」
この騎体は本来はファリルのものであったにも関わらず、一度も乗らずに智機に譲渡されることになる。持っていたとしてもファリルには操縦できないのだから意味はないのだけれど、それでもこの騎体からファリルが得ようとしたいのであれば、それは名前をつけることである。
「わかりました」
「モーリス・マリーナという宇宙一おぞましくて恥ずかしい名前にしてやれ」
ファリルはハンガーにそびえ立つ異形の騎体を見上げる。
二重三重の装甲に覆われたその騎体はEFというよりは、金属の塊。鉄塊を尖らせたような爪を五本伸ばした右手は破壊だけに特化されており、禍々しさをいっそう引き立てている。神話で言うなら魔を打ち払って人々に平和を与える英雄神ではなく、その英雄神に殺される魔物だった。
ファリルにしたところで名付けの引き出しがあるわけではない。
ただ、名前だけはかっこいもののにしたいと思った。
「……ティーガーというのは、いかがでしょうか?」
「虎といえば、斉の白虎だろ」
クラークソンが反対したように感じられて、ファリルは怯む。
「それでいいんじゃね」
「智機さん?」
「せっかく姫様が名付けてくれたんだから、有り難く拝領しておきます」
「異論はないが、被ってるぞ。いいのか」
「だったら、白虎を超えばいい」
智機は見上げる。その視線の先にはティーガーと名付けられた騎体、新しい相棒の姿が映っていた。
「こいつにはその力がある」