TRACK 3:Born to be Free 1
恒星が水平線の下に姿を消し、空が闇色へと変わる頃、戦艦ロストックではEFの収納に追われていた。
出撃した時とは逆になる形で、EFが滑走路に着艦。戦艦から放たれるガイドビームがEFをキャッチする。
ガイドビームを受けたEFは風向きや艦の速度など計算して自動的に速度を調整。後はライダーが手を放しても、お菓子を食べても自動的にゆっくりと速度を落としながら滑走路へと誘導してくれる。
グラスコクピットのディスプレイの表示されている数値の数々が0になったと同時にEFの脚がガイドウェイを捉えて着地。ガイドウェイはEFごと戦艦内へと運び入れる。
ガイドウェイが停止すると数分の冷却作業の後に、ようやくライダーが外に出られる態勢になるが、それでも出てこれるライダーは少なかった。
数分経っても出てこないので、見るに見かねた整備員がタラップを使ってコクピットに寄るとカバーを開けて非常用開閉スイッチを押した。
ボルトが爆砕される音ともにコクピットハッチが開けられる。
「おい。大丈夫か、しっかりしろ」
反応しないのも道理でライダーは気を失っていた。呼びかけにも応じないので整備員数人が気絶したライダーをコクピットから引っ張り上げる。
ドリフトという物理学すら無視した行動を行う代償としてライダーは心身ともに消耗する。今回の戦闘はシュナードラのライダー達にとっては今まで体験した事がなかった激しい戦い故に、ドリフトも連発し過ぎて結果、格納庫に収まる頃にはほとんどのライダーが気絶していた。
でも、帰ってこれただけでも幸運というべきなのだろう。
戦闘自体は終わったが整備員たちにとってはその後が本番。騎体の収納と整備を迅速に行わなくてはならなかった。戦艦ロストックと3隻の巡洋艦に乗せられたEFだけが、シュナードラ公国軍の全兵力なのだから。
しかし、喧噪を極める格納庫内でもそのEFが納められた一角だけは周囲から切り離されたように静まり返っていた。
二人の整備員が静寂の元である騎体を見上げていた。
溶接されていたコクピットハッチをバーナーで焼き切って開けた痕が手術痕のように生々しい。
全身に施された分厚い装甲はレーザーの擦過痕だらけで触れば崩れ落ちそうなほどにまで壊れていた。ここまでくればいちいち直すよりも交換した方が早いと即決できるレベルである。
いずれにせよ、ロストックに戻ってきたEFの中でもぶっちぎりに損傷がひどい騎体で、それがこの騎体が体験してきた戦いの激しさを物語っていた。
「どう見ても廃棄……ですよね」
若い整備員が40過ぎの油染みがしみこんだ作業着がよく似合うベテランの整備員に向かって言った。
見た目には直すよりも使える部品ははがして、後は廃棄したほうが早い。若い整備員が言うことももっともなのだけど、ベテランの整備員は渋い表情を浮かべた。
「でも、あの代行殿が一応は見ろというからな」
「どう見ても使い物になるとは思えないんですけど」
EFというよりは、もはやガラクタ。
「ま、代行殿の言い分もわかるけどよ」
「どこがわかるっていうんですか」
「だから、お前の目は節穴なんだよ」
ベテランの整備員は持ちこんでいたタブレットを操作すると画面にEFの画像を表示した。
角ばった分厚い装甲が印象的なシルエットはネ
メスである。ベテランの整備員はタブレットと目の前にある騎体を見比べてみた。
目の前にある巨大なガラクタは一見するとタブレットに表示されたのと共通するデザインを持っている。
しかし、よく……見なくてもいくつかの面で違いがある。
肩と脚がメネスよりも大きく盛り上がっており、バックパックの形状もより大きいものへと変化している。特に脚は他から脚を持ってきてくっつけたかのように膨らんでいる。
その整備員は楽しそうに笑った。
「まさか、うんたんを使う化け物が現れようとはな」
「うんたんってなんですか?」
ベテランの整備員は一旦は呆れはした。しかし、理解はした。その技術は星の数ほどいるライダーの中でもできるのはほんの一握りのトップだからである。斉やNEUといった大国ならともかく、とるにたらない国では目にかかることなんてありえなかった。
それら全ては戦闘だけの技術であり、平和にのんびりと過ごしていた小国には必要なかったからだ。
でも、今は違う。
「うちの代行殿はそれほどの化け物だっていうことさ」
……眠れない。
ひどく疲れているはずなのに、眠らなければいけないはずなのに意識は無意識の世界へと落ちていけず、瞼が自然に開いてしまう。
ファリルは瞼を閉じては開くを繰り返しては寝ることを諦めると起き上がり、電気をつけた。
明かりが点ると部屋の全景が広がる。
広さは30平方メートルほど。ファリルが伏しているベッドの他には執務机とソファと椅子。それにシャワースペースがあるだけの簡素な作りで公王を迎えるのには役不足ではあるが、この船は客船ではなく軍艦である。個室が与えられるだけでも贅沢であり、戦艦ロストックにこれ以上の広さがある居室はない。
おそらく艦長室なのだろう。
布団に染みついた匂いが気になって、どうしてもファリルは寝ることができず、結局は起きることにした。
だからといって、ファリルには特にする事がない。
とりあえず戦闘は終わったのだろう。機械の作動音がかすかに響くだけで基本的に静かといってもいい。
ファリルは今の自分に何ができるのか考え、すぐに何もないことに気づく。
智機みたいに一人で何とかしてしまう戦闘力もなければ、妹分のマリアほどに頭がいいという訳でもない。あくまでも普通に暮らしていた少女だった。
智機だったら何を言ってくれるのだろう。
いや、既に言っていたような気がするのだけどファリルは思い出せなかった。
いずれにせよ、ここで一人で悩んでいても答えが出るわけでもなく前には進めない。
早い話、退屈でもある寂しくもあるのでファリルは立ち上がると部屋から出たのだった。
天井を見れば軍艦らしく配管が剥き出しになっている廊下を歩いて、ファリルは隣の部屋のドアの前に立つ。
そこは智機の部屋。
ファリルはドアをノックするが小さくて軽い音は軍艦自体が放つ騒音に飲み込まれてしまったようでしばらく待っても反応はなかった。
もちろん、ドアの傍には押しボタンがあり、そこを押せばチャイムが鳴り、智機が起きて相手してくれるだろう。
ファリルは公王なのだから智機をどんな内容で呼び出しても問題ない。たとえくだらない用件であったとしても。
でも、ファリルは押すのを止める。
智機はロストックに至るまで戦い続けてきた。
ファリルというハンデを背負いながらEFを強奪し、雲霞のごとく大量にいる敵軍に単騎で特攻、攻撃的回避という脳が焼かれるほどの高等技術を駆使して無数の敵を撃破。敵旗艦を撃破して敵中突破という常人では不可能なことをやってのけたのだ。一人で。
ファリルは何もしていない。
ドリフトの連発で衰弱死をしていないのは流石ではあるがいくら智機といえど疲労は避けられない。特にロストックに入る直前の戦闘ではファリルでもわかるように消耗していた。
ガルブレズについたら激務が待っているのが確実である以上、心細いというファリルのわがままで智機の休息を邪魔するわけにはいかなかった。
ひとつわかったことがある。
ファリルが強くなければならないということ。
智機みたいに卓越した技術を身に付けるということではない。ありとあらゆる困難が押し寄せてきても怯むことなく立ち向かえる心の強さがほしかった。心の強さは凡人でも手にいれられるものであり、公王という立場にいるからにはファリルは強くなければならなかった。
だから、強くなろう。
智機は数々の少しでもタイミングがずれたら地獄に落ちるプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも跳ね除けてきたから。ファリルだったら気が狂いそうになるそれを智機は涼しい顔で乗り切ってきた。
智機ほどの胆力はないとはいえ、その領域には近づけるとは思う。
いや、近づかなければならない。
ファリルは智機の部屋から離れると宛もなく艦内をさまよい始める。
当然のことながら軍人ではない人間が軍艦内に立ち入れる機会なんて滅多にないので見るもの聞くものが新鮮でファリルの心も浮き立った。
そんな中、あるドアの存在のひとつが眼についた。
「食堂」と書かれたドア。
食堂というからにはお水も飲めるだろうし、小腹も満たすこともできるだろうと思うとファリルは何の考えなしにドアの前に立ってはセンサーに手をかざしてドアを開けたのだった。
その瞬間、好奇心によって浮ついた気分はぶっ飛んだ。
食堂のカウンターは一斉にシャッターが下ろされてその役目を放棄していた。けれど、人々が全ての椅子に座りきれなくて床に腰をつけるなどスペースというスペースが埋め尽くされていた。
小さな子供もいれば、頭が白かったりし禿げ上がったりしている老人もいて老若男女、着ている服も統一が取れていないが一応に死ぬほど疲れきった顔をしているという点は胃が痛くなるほどに共通していた。
ファリルは大量の一般人が軍艦の中に収容されるている理由を悟った。というより理解できなかったら白痴だろう。
彼らは避難民。クドネルの侵攻から命からがら逃げてきて、この戦艦によってすくわれた人々である。
彼らに漂う絶望しきった空気と死んだような眼に脚が凍るが何とか震え立たせて解凍すると回れ右して食堂から出て行こうとした。
ところが機先を制するかのように声が飛んだ。
「こいつ、姫様だぞ」
公家への尊崇なんてないトゲトゲしい声にファリルの足が釘付けにされ、あっという間に若い男4人に取り囲まれてしまう。
「こらっ、逃げんなよっっ」
「わかってるのか。オレ達が家失ったのは全部てめーのせいなんだぞ」
「オレ達の人生を滅茶苦茶にしやがって、どう責任とってくれるんだよっっっ!!」
「す、すいませんっっ」
ファリルは一瞬で追い込まれてしまい機械のように謝るしかなかったが酒が入った連中が素直に許してくれるわけがない。
「ごめんで済んだら警察なんていらねーんだよっっっ!!」
「ひぃっ」
「てめぇがいくら謝っても、オレ達の家や家族が帰ってこないんだぞっっ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「だから、責任の取りようがないって何度言えばわかるんだよ。このバカ女」
「すみませんすみません」
「ごめんなさいとすみませんしかいえねーのかよっっ このバカ女はっっ」
嘲笑がわき起こる。
心ない罵倒を一心に浴びてファリルは立ちすくむ。智機もきついことを言うが考えていてはくれた。けれど、この男たちにはただファリルをだしにしてウサを晴らすことしか考えていない。けれど、ファリルには言い返すことはできない。ファリルは公家の人間であり、この国の破滅に対して責任を取らなくてはいけないのだから。
「せめてさ、オレ達のウサでも晴らさせてくれないかな」
「……ど、どういうことでしょうか」
嫌な予感がするが逃げられない。盗むように回りを見ても周りの人々は見てみぬフリするだけで助けてなんてくれない。
「気が済むまでぶん殴らせてくれないかな」
「お前ってとことん暴力的だな」
仲間から哄笑がわきおこる。
「この場合は思うままにやらせてくれというべきだろ」
「それもそうか」
男の一人がファリルの細い手首を掴むと耳元でささやいた。
「やらせてくれるんだろ」
「それは……」
「てめぇがこの国を滅ぼしたんだろ。哀れなオレたちに身を捧げるしか責任の取りようがないんだよ」
ファリルの目にうっすらと涙がにじむ。
そう、ファリルが全て悪いのだ。
ファリルがしっかりしていれば戦争にならずに済んだ。戦争で町や建物が破壊され、たくさんの人々が生活基盤を破壊されて路頭に迷い、かけがえのない人を失って身を引き裂かれるような悲しみを受けることもなかった。
だから、罪悪に対する責任をしっかりとろう……そう決意した矢先、男が不意に手を放した。
正確には離させられた。
「レイプするぐらいの能がないから、家も家族も失うハメになるんだよ」
男の手首を見た目とは裏腹に強い力で握りしめて解放した相手を見て、ファリルの表情が喜色に染まった。
智機は慣れた手つきで男とファリルの間に割って入るとファリルをカバーするように立ちふさがる。小さい背中はとても頼もしかったが、ファリルは不安になる。危機が去ったわけでもなくましては智機はやる気だったからだ。
「なんだてめぇ」
「そいつがやる気になっているんだから手前の出る幕はねえんだよ。恋を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねってな」
男は仲間たちと一緒に嘲笑するが智機は平然としている。
「因縁つけて強姦するバカが、恋なんてつかうなよ」
「強姦だって!?」
男は智機をにらみ付け勢いと怒声で智機を脅しにかかる。
「こいつのせいでオレ達は家と家族を失った。何されても文句はいえねーんだよっっ ボケっっ」
関わったのが撤退直前だとはいえ、シュナードラの防衛に責任を持つ組織に所属しているのだから責任を問われるのは免れない。だからこそ、ファリルは何も言い返せずに屈するしかなかった。例え相手に否があっても言い返せない気の弱さがあったことを割り引いてもだ。
「こいつのせい?」
智機は男達を冷ややかに笑い飛ばす。
口元に浮かぶ肉食獣のような危険で楽しそうな笑みが浮かぶのを見て不安が増幅する。
「いや、貴様が家を失ったのも家族を失ったのも全ては貴様のせいだ。恨むなら貴様の愚かさを恨め」
空気が凍り付く。
ファリルも凍り付く。
戦火に巻き込まれ、平穏な日々と家族を奪われ、明日が見えない恐怖と不安に悩まされる人々に対してあんまりにも無慈悲すぎる言葉だった。強姦された相手に、強姦の責任を押しつけるようなものである。ファリルから見てもひどいように思われた。
「てめぇ、ふざけるんじゃねぇっっっ!!」
4人の男達が一斉に襲いかかる。
が、相手は無数のEFの動きを予測して、ギリギリの回避行動を行うことによって同士討ちで落としていったという化け物である。100人いるわけでもなく、銃を撃つわけでもなく、EFに比べたら芋虫よりも遅い。
結果として彼らの突撃やパンチの軌道を予測し、当たるか当たらない肌すれすれのところでほんの軽く身体を動かしただけでパンチは空を切り、智機に当たるはずだった仲間の突撃を食らって床に崩れ落ちることとなる。
でも、状況は全然好転しない。
智機の言葉は男だけではなく、この場にいる非難民たちに向けられたもので、当然のことながら周りの空気はヒートアップ。一つ間違えば水蒸気爆発を起こしかねないほどの危険な状況になっていた。
「女の子一人も助けられないくせに、たった一人をよってたかってリンチすることだけはできるか……ほんと、クズの集まり」
殺気だった群衆に囲まれていても平然としているのは頼もしいのだが、火に爆竹を投げ込むような真似はファリルとしてはやめてほしい。間違えなくファリルにまで影響が来るから。けれど、言って聞くような智機ではない。
「君に何が分かるというのかね」
中年の男性が殴りかからんほどの目線でにらみ付ける。
「分かるよ」
智機は涼しげに。
「カスが家を失って路頭に迷うのも、大切な何かを失って嘆き悲しむのも誰のせいでもない。カス自身の愚かさから招いたということだ」
爆弾を爆発させる。
更に空気がヒートアップする。巻き込まれたファリルは顔面が蒼白になるが事態は願いとは裏腹に悪化するばかりである。
「名を言いたまえ」
「人に名を聞く前に貴様から名乗れと……と言いたいところだけど自分で何も考えないカスの名前なんか知りたくもない」
「なんだとっ……」
中年の男性は殴りかかろうとするが、智機のダイモンドです真っ二つにするような冷たくて切れ味鋭い眼差しに沈黙させられてしまう。
考える能もない奴とは言い過ぎだけど平凡に日々を送ってきた男性に比べて、智機はEF100機と戦艦数隻の軍勢に涼しい顔で突っ込んでいった化け物である。男性と智機には戦術で埋めることのできない絶望的な差が存在していた。
この男は化け物。普通ではない。
100騎を越える軍勢に単騎で突っ込むなんて常人なら行うどころか思考するはずもない。例え考えても生存本能が脚を止める。にも関わらず、不意にボールペンが必要となって近所の商店で買い物に出かけるような気安さで殴り込みをかける神経は狂っている。生存本能とか恐怖を感じる感覚が麻痺しているとしか思えない。
そして、恐ろしいのは生き残っているという事。思考だけではなく100騎以上の大群に突っ込んでも生き残れる能力を持ち合わせているということだろう。
場は智機への殺気に満ちているが爆発しないのは氷の塊のように冷たい眼差しで威圧しているに他ならない。
仮に彼らが暴発したとしても智機は何事も無く生き残れるだろう。彼らはEFではなくただの一般市民だからである。比べたら動きが芋虫よりも遅い彼らの動きを読むのは非常に簡単だ。そして、勝利するのだろう。
ファリルも生き残るだろう。あの時と同じように。
でも、気分はあまり良くないというよりも悪い。
住み慣れた家や世界を失い、ただ戦艦に乗せられて訳の分からないところに行く先の見えない不安。
母親や子、愛した恋人たちを失った悲しみ。
それらの全てがバカな自分にある言われたら誰だって激怒する。ファリルだって怒る。溜まりに溜まった行き場のない怒りとストレスがガスのように充満しているのも理解できる。男たちがファリルに因縁をつけにきたのもそういったものなのだろう。
何故、智機は彼らに喧嘩を売っているのだろうか。
常軌を逸しているがバカではない。単騎で100騎以上の陣営に乗り込んだ時も無謀なように見えて智機なりの計算があった。だからこそ、ファリルも生きている。今回もストレスを晴らしたいとか電波に命じられたというのではなく、智機なりの考えがあって敢えて挑発していると考えたほうが自然だろう。
ファリルが命じれば智機は挑発行為をやめるだろう。けれど、智機の真意を確かめてからでも遅くはない。
決して、智機が怖いから黙っているというわけではない。理由も聞かずに一方的に押しつけるのはよくない。ただ、それだけなのだ。
「一応、名乗っておいてやるけどオレは御給智機。姫様付きの騎士だ」
「騎士だとぉ?」
智機が名乗ると空気が沸き立った。
「てめぇが悪いんじゃないんかよ。人のせいにするんじゃないよ」
「戦いに負けたおめーが悪いんじゃないか」
「騎士殿の活躍でオレ達は家族を失ったんだぞ。わかってんのか、こらぁっっ!!」
「こういう時のために飼っておいたのにこの役立たず、税金泥棒っっ!!」
「おまえらが負けたのが一番悪いんだろ。人のせいにするなっっっ!!」
何かが違うとファリルは思った。
「パパ、ママを返せ!! このバカっっ!!」
智機が責められるいわれはない。
騎士団に加入したのがつい数時間前。首都攻防戦の最終段階においてなのでそれ以前の事象についての責任はない。もちろん、それより以前に智機が加入していれば無残な敗北を喫することもなかったと思うがそれは無いものねだりというものであり、シュナードラが智機を有効活用できたかどうか疑わしい。
ファリルはそこまでは気づきはしたものの、騎士という理由で何故、そこまで智機が責められなくてはいけないのか疑問だった。
「無理言ってるんじゃねーぞ」
まさに吐き捨てるという口調。
ファリルはとっさに身構えた。
「NEUがいれば戦争すら起きなかったんだけど」
智機が見た目とは裏腹に、浴びただけで死にそうなほどの眼光で周囲を威圧する。
が、群衆を黙らせたのは眼光だけではない。
「諸君らが家を失い、家族を失い、明日がどうなるか分からない不安に怯える原因。何故、シュナードラがクドネルの侵攻を受けて首都を落とされた理由は極めて簡単だ。兵力が足りなかったからだ」
「それでも勝つ……」
ブーイングを殺意を込めた視線で智機はストップさせる。ファリルの見立てでは本気ではないものの怒っているように見えた。
「「それでも勝つのが騎士だ」ってか。気合いだけで勝てれば苦労はしない」
想いを物理的な力に変えるドリフトがあるおかげで気合いさえあれば性能や技術を凌駕できるが、根性万能論を唱える奴に限って、敵もドリフトを使うことを忘れている。性能や技術のみならず魂でさえも凌駕されているのであれば、勝てるはずがない。
戦局を一人でひっくり返せそうな智機に言われても説得力がなく、量よりも質が重要視されるEFではあるが、数を揃えること。揃えた数を最高のタイミングで送り込むことの重要性は今も昔も変わらない。ましてや、智機がいなければ軍隊の体をなしていないシュナードラに質を期待するのは間違っているを通過しておこがましい。
「無理だと思うから無理なんだ。途中で諦めるお前達が悪い。鼻血を出そうがブッ倒れようがお前らは全力で全力で戦い続けるべきだったんだっっっ!!だから、てめえらのせいなんだ。最後まで頑張れば勝てたはずなのに、諦めた弱虫のせいだっっっ!!」
ファリルでもこれはないと思った。
「何を笑っているっっっ」
嘲りを隠そうともしない智機に男はコメカミに血管を浮き出させながら怒鳴りつける。
「そりゃ笑いたくもなるさ。あんたの脳味噌のめでたさ加減に」
「無能に笑われたくないっっっ」
「なら、あんたが有能だって証明してくれないかな」
男は反論しようとしたが、智機に流し目でにらみ付けられてあっさりと沈黙させる。
「あんたが言いたいことをまとめると途中で諦めるからダメなんだ。最後まで全力で戦えば勝てたはず……じゃあ、今から戦ってきてくんない?」
表情は笑っているが殺意の籠もった眼差しで智機は男を脅しにかかる。
「EFを用意させるから、それに乗ってクドネルの連中を皆殺しにしてくれよ♪」
笑いながらも拒否を許さない智機の態度に男は蒼白となる。
「…私にそんなことが出来ると……」
「無理だと諦めるからできないんだろ? 全力で死ぬ気でやればこの戦争にも勝てるといったのはあんたなんだろ。できないはずなんてないよな。頑張れなんでもできるって、そういったのはあんたなんだから」
迫力があるというのもあるのだけど、男の使った理論でカウンターされているのだから反論できるばずがない。結局のところ、物事には限界というものがあり、精神論で限界値を上げることは可能だが、限界を超えたことはできない。
戦争において軍と軍が戦う戦闘が何かと重要視されがちではあるが、実は物量を揃えて、何処に投入するかという前提条件を造り上げることのほうが重要なのである。
いずれにせよ、自分に出来ないことを他人に強制するのは卑怯だった。
智機はそんな男に目をくれずに説明を始めた。
「兵力が足りなかった原因はNEUとの安全保障条約を破棄してNEUの駐留軍を撤兵させた事。撤兵した駐留軍の補填をしなかった、この二点。NEUが今まで通りにいたらクドネルは侵攻しなかった」
智機が言い終わると静寂がやってくる。
そうだった。
シュナードラは過去の経緯から星団を代表する強国の一つであるNEU(新ヨーロッパ連合)と安全保障条約を結んでおり、シュナードラ本土にNEUの軍隊が駐留していた。数ヶ月前までは。
もし、駐留軍がいたのなら戦争にはならず、人々が家と家族を失い、宛もなく追われることもなかった。
「何故、安保を解約してNEUの軍隊を撤兵させたのか。答えは駐留軍への経費を社会保障費に転用させるためだ。確かに経費の節減にはなった」
駐留してもらうためには莫大な経費、つまり思いやり予算がかかる。それをなくせば経費は削減できただろう。ただし、シュナードラの民は忘れていた。
何故、NEUがシュナードラに居た理由を。
「それがどうした?」
「そんなこと言っているようではバカだ。もっとも最初からこの場にいる連中全てがバカだけど」
そんなにバカと言ってほしくない。
智機には分からないかも知れないが、彼らはファリルの同胞である。同胞をけなされると身を切られるように痛い。バカというからにはそれなりの論拠があるからとはいえ。
「国家の防衛よりも目先の経費削減を優先したのは時の首相がそのように決定したからだ。駐留軍を撤兵させたのに関わらず防衛予算を増やさなかった……高くついたよなあ」
確かに減ったことは減ったが、クドネルの侵攻から今に至るまでの被害額に比べればほんの僅か、1セント2セント程度の取るに足らないものでしかない。おもいっきりバカにされているが、結果として目先の利益に目を奪われて大事なものを失っているのだから、嘲られても仕方がない。
「さて、ここで始めて諸君らの責任問題になる」
場が一気に静まり帰る。
ようやく本題にきたのだから、ファリルは固唾を飲んで見守った。
場の空気が殺気立っているのに智機は空気を無視したかのように平然としている。涼しげに群衆を嘲り笑っていた。
……こういう態度だった。最初の戦闘の時は。
会話に集中しているにも関わらず、敵騎を落としていった。
智機はニヤっと意地悪く口元を歪めると言った。「駐留軍の撤兵の意味を知らず、補填も行いせず、結果として国を失った無能を首相を選んだのは何処のどいつだ?」
冷ややかに笑う眼差しが周囲を睥睨するが声はない。
「軍隊をなくせば平和になる。無防備であれば誰にも襲われない。武器を自ら率先して捨てれば世界はきっと平和になるといった頭の中がお花畑のカスに天下をとらせたのは何処の誰なんだ?」
……誰も答えられなかった。
ファリルは智機の真意をようやく理解した。
シュナードラは立憲君主制である。
公国ではあるが公王以下の公族は象徴、つまりお飾りであり、実際には国民が選挙で議員を選び、最大勢力の党首が首相となって政治を運営としていくという方法を採っている。
国の舵取りをするのは議員であり、その議員を選ぶのは国民1人1人の票である。
選挙でまともな政治家を首相に選んでいたら、経費削減でNEUの駐留軍を撤兵させることなく、従ってクドネルの侵略される隙を与えることもなかった。
しかし、現実に侵攻を受け、首都すらも陥落した。
答えは簡単で、不景気で借金も出来ず、かといって税金も上げられない社会情勢の中で軍隊の大切さを知らない阿呆が政権を握ってしまったからで、その阿呆を王にしたには………つまるところ、シュナードラの民の選択。
家が焼けたのも、優しい父母や目に入れても痛くない子、自分よりも大切な彼女が目の前でなすすべもなく焼かれたり、EFに踏みつぶされたりするのも、そして、先の見えない明日に怯えるのも全ては票を投じた国民の誤った判断の帰結なのである。
シュナードラは民主主義を標榜しており、国民は主権者で最終責任者なのだから、その意味では智機の言うように全てを失ったのも騎士団でも誰もでもない自分たちのせいなのだ。
かけがえ無いの人を死なせた、いや、殺したのも自分たちのせいなのだ。
それだけに彼らは沈黙してしまう。
「それがどう……」
「サルは黙ってろ」
「猿って貴様は」
「話が理解できないんだろ」
優しい笑みが怖い。
「理解したくないのをごまかすのに「それがどうした」なんて使うな」
事ここに至ってもなお開き直るのは理解できないというよりも認めたくないだけなのだろう。何もかも失ってしまったのが誰のせいでもなく、自分たちである事に。智機が殺意の籠もる一にらみで黙らせるとどうしたらいいのか分からない重苦しい沈黙が続く。
「オレ達はあの女に騙されたんだ」
男の1人が言った。
「あの女に入れれば無駄が削減されて税金が安くなる。消費税も上がることがない。景気も上がってみんな幸せになれるんだって、そう言ってたからオレ達はあの女にいれたんだ」
「騙される奴が悪い」
戦闘時と同じように容赦がない。
「騙される奴が悪いって、あんまりな言い方じゃないの」
「てめぇには血も涙もないのか」
「先の首相は無能だった。無能な事ぐらい選挙始まる前に調べれば分かる事だった。資料と言動を分析すれば税金を減らすという主張に根拠がまるでないことが見えていた。でも、貴様らは首相の政策が実行可能か調べることせず、ただマスゴミの宣伝に乗せられるままに首相を当選させた。何度も言うけれど、その結果がこの様だ」
智機の言葉が一言一言、この場に集まった人々の心をえぐっていく。
智機がシュナードラの国情を調べあげていることにファリルは驚いていた。智機はつい数時間前にシュナードラに降下した異星人である。にも関わらずシュナードラの政治について的確な指摘をしている。シュナードラの星系に入る以前にマリアから聞くなり自力で情報収集するして学習してきたということなのだろう。
異星人の智機でも指摘することができたのだから、シュナードラの国民が前首相の政策に無理がある事がわかったはずである。
にも関わらず、掲げた政策が実行可能なのかどうか調べようとも知ることもせず、ただマスゴミの宣伝に乗っかって政権は握らせていない人に政権を握らせてしまった。
確かに智機の言うとおりだとファリルは思う。
でも、何かが違うとも思う。
けれど、感覚の部分で違うといっているだけであって何が違うか明確な形することができていない。曖昧模糊なままでは智機に反論しようとしても無慈悲に叩き潰されるのがオチである。
「……国王が悪いんだ」
かすれたような呟きは怒声混じりの大合唱となる。
「やっぱりてめえらが悪いんだろうが」
「国王が首相を止めなかったのが悪いんだ」
「そうだ、そうだ国王が無能だからオレたちが苦しんでいるんだろうが」
「王が悪いっっ!! 公家が悪いっっ!!」
「この能なしの人殺しっっ!!」
公家を罵倒する人々の声にファリルは怯え、悲しみと罪悪感が胃にこみ上げてきては胃壁を破りそうで気分が悪くなった。
シュナードラには公王がいる。
公王は国の象徴であり、象徴でしかないのであるが、非常時には責任を取らなくてはいけない。何故なら名目だろうが何だろうがこの国の王だからである。しかも、選挙で選ばれた実質的な最高指導者である首相がいないのだから、全ての責任がファリルの小さな肩にのし掛る。
その重たさに早くも身体ごと壊れそうになる。
責任があろうとなかろうとも国王になったからには亡国の咎を一身に背負わなくてはいけない。
だから、責任を取らなくてはいけない。
民衆達によって殴られたり、輪姦されたり、殺されたりしても受け入れなくてはいけないのだ。
身体が震えている。
それはどんなに恐ろしいことでも、嫌なことでも、痛いことでも。
そっと肩に手を当てられる。
それだけで、智機の手の温かさが伝わっただけでファリルは落ち着いた。
ファリルは1人ではない。
「……いい加減にしとけよ。この能無しども」
言葉はそれほど大きくなかったが、それだけで場は静まった。
怖かった。
身体こそ小さいが、EFを放り込んだようなものである。無力な人々はなすすべもなく蹂躙されるしかない。智機の身から発散されてる迫力が周囲を封じていた。
「人の話はちゃんと聞きなさいと父ちゃん母ちゃんから教わらなかったのか」
瞳には軽蔑。
「いや、都合の悪いことだけは聞こえない、おめでたい脳味噌をしているんだろうな」
口元は侮蔑。
「王がいようがいまいが、貴様らには選挙権というものがあって最高指導者を決める権利をもっている以上は貴様らの責任が消えることはない。貴様らの最大の罪は、自分がこの国の最終責任者だという知ろうとしない無知と自分は決して悪くない、この期にまで他人のせいにするその性根。権利だけを言い立てて義務と責任を負わない奴らに選挙権なんかいらないんだよ。残念だったな。斉帝の奴隷ではなくて」
星団の大勢力の一つである斉は帝政なので国民に選挙権がない代わりに国政に責任を持つということもない。皇帝の命令に従っていれば生きていられる。もちろん、生殺与奪の権も握られている牧場の肉牛だったりするのだが。
選挙権を持ったがための末路がこの様だというわけで。
「……どうすればいいんだ」
その男はどちらかといえば助けを求めるようであったが、智機の反応は激烈だった。
みんな一応に言葉を失った。
表情すらも失った。
智機はその男の襟首を掴むとそのまま片手で持ち上げていた。表情こそ変わらないが、下手に激情されるよりも恐ろしかった。
「オレはあんたじゃないし、あんたはオレじゃない」
掴まれている男もわなわな震えるだけで言葉もでない。
ファリルも言葉を失っている。
表情こそ涼しいが実は智機もキレているのではないのだろうか。あり得ない話ではない。彼らは一般市民であることをいいことに様々な暴言を浴びせていたのだから。
奮戦ぶり間近で見ていただけに、ぶち切れたら恐ろしいことになるのは予想がつく。
ファリルとしては止めるべきなのだけど、身体が動かない。声も出ない。汗が流れ落ちるのを拭うことすらできない。
殴ったらおしまいなのだけど、どうすることもできない。
けれど、智機の行動は予想の斜め上を行っていた。
手から力を抜いて、男を落としたのはいいとしても、その男の前に小さい塊のようなものも落とした。
「どうしたい?」
智機が落としたのは小型のブラスターだった。
「なら、そいつで決めろ。このどうしようもなく残酷で惨めな状況から逃げ出したかったら、それで自分の頭を貫け。それとも撃つか? ……撃ちたいんだろ」
智機が口元をゆがめて笑う。悪魔みたいに。
「憎いんだろ? 貴様らの愚かさを明るみにしたこのオレを。だったら、撃てよ」
空気が一気に凍り付いた。
ファリルには智機のことが分からない。
その過去も、好きなものも、嫌いなものも分からない。けれど、一つだけ分かることがある。
自分を撃てよとけしかける奴なんて見た事がなければ、理解もできない。
智機にも自殺願望があるのではないかと思ったのだけど、傲然という言葉をそのまま人にしてにしたような智機からはとてもではないが自殺願望があるようには見えない。
でも、何故?
今のシュナードラは智機がいるから形になっているだけであって、仮にここで智機が殺されたらクドネルは無条件降伏するしかなくなる。智機は危ない橋を渡っていることを自覚しているのだろうか?
自覚している。
分かっていてもなお死地に踏み込むのが智機であり、智機には智機なりの計算があることも分かった。
彼らには智機を撃てない。
ファリルと同じだから。
先のことを考えることもせず、だらだらと生きていていたから急に目的を見つけろなんて見つけられるわけがない。
ただ、迷うだけ。
闇の中に置き去りにされた牧場の羊たちのように
右往左往するだけでどうすることもできない。
決断するひとすらできずに、ただ流されるだけ。
「なら、死ぬか?」
智機はつまらなそうにブラスターを取り上げると銃口を男に向ける。死神が人に憑依すればこうなるという見本のような智機に男は固まってしまう。
でも、ファリルには分かる。
「な~んてな。決めてなんかやらない」
智機は強姦した後のような爽やかな笑顔でブラスターを下げた。殺気が消えて場に落ち着いた空気が流れるがファリルは複雑だった。
「諸君らの当面の安全は騎士、御給智機が保証しよう。ただし、あくまでも当面であって永続的ではない。せいぜい身の振り方でも考えろ」
智機が言い放つと一気に静まり帰る。
現実が重たすぎる上に智機に迫力で勝てる奴なんていないから何も言えないのも当然である。
去るには充分、いや、むしろ去るほうがこの場にとってはいい事なのだろう。
合図とばかりに肩を叩かれたが、それと同時に思いもかけがない言葉が飛び込んできた。
「なにをいってるんだい」
言葉がした方向に視線を向けると、車椅子に座った太めの老婆だった。周りの人が驚きの目で見ており、車椅子を引いている孫娘とおぼしき少女が居たたまれなさそうな表情をしている。
その少女の気持ちがファリルには分かったような気がする。
せっかく落としどころを見つけたというのに爆弾落としているのだから空気読めよと言いたくなるし、智機にしても邪気たっぷりな笑顔で引くつもりはまったくない。
これ以上のトラブルはごめんこうむりたくないのにと思いつつ、事態は最悪な方向に向かっていく……かと思われた。
「あんたたちだよ。騎士様と姫様にじゃないよっっ」
が、展開は予想外のところに向かっていく。
老婆の怒りが智機ではなく自分たちに向かっていることに一瞬、殺気が涌くが智機の迫力の前にボコボコにされただけに静まり帰る。
「姫様が何をしたって? クドネルの連中を引きつけて私たちを助けてくれたんじゃないか。いいかい。姫様が頑張ってくれなかったら、私たちは死んでいたんだよ。バチ当たりなこと言うんでないよっっ!!」
老婆の一言にファリルは血の気が引いて、その次に目頭が熱くなってきた。
周りの空気も後悔めいた雰囲気に包まれる。
王家に問題がないわけではない。彼らを生かすためにファリルは戦ってきた。ファリルとしては戦ったのは智機であって自分はただついてきただけと力説したいところなのだけど、ファリルが前線にいたということは事実であり、囮になったからこそたくさんの人たちが救われたのも事実である。
場がざわめきだすがファリルを責めるものではない。ファリルを責めるものを責めるものへと変わっていた。
「姫さま、ありがとうございます。おかげで私たちは助かりました」
「いえ、そんな。当然のことです」
褒められることを期待していたわけではない。
流石に責められたくはなかったけれど、ファリルとしては無我夢中で国民のことなんて全く考えていなかった。
褒められることを期待していたわけではないから、純粋にありがとうと言われるのは嬉しい。それだけに全部、自分の力でやったことではないので後ろめたさを覚えてしまう。
智機ならどう対応するのだろう。
案の定というか、智機も素知らぬ顔をしている。オレには何も関係ないよ、と言いたげに。
「姫様が頑張ってくれているのは私がよく知っているよ。姫様は姫様らしく頑張っておくれよ。私も影ながら応援するからさ」
「はい、ありがとうございます」
「文句は気にしなくていいからね。言う奴は私が懲らしめてあげるから」
「だ、だいじょうぶです」
非難する代わりに「姫様万歳」なんていう言葉も飛んできたから現金なものである。
「そこの騎士様も姫様を助けてくれてありがとうね」
老婆にお礼を言われても智機の態度に変化はなさそうに見える。
「いえ、騎士として当たり前のことをしたまでですから」
「それでも一国民としてお礼を言わせてもらうよ。こんなことしかできないんだけど、これからも姫様のため、頑張ってね」
「当然のことです」
智機は相変わらずのポーカーフェイス。
いや、本当にそうなのだろうかとファリルは思った。
口ではうまく説明できないけれど、何かが違うような気がした。
けれど、背中を軽くさすられて退出の合図だと悟るとファリルは動き出す。
「はい」
智機が人混みをかき分け、ファリルがその後を続いていく。
智機がさんざん脅したのと老婆の言葉もあって何ともいえない空気を浴びながらもすんなりと外に出ることができて、ようやくファリルは一息ついた。
……つくなり全身から力が抜けてしゃがみ込みそうになった。辛うじて支えることに成功。壁によりかかるとゆっくりと膝の筋肉を伸ばして立ち上がる。
「どうした?」
「……疲れちゃいました」
この船についてから色々なことがあった。
食堂に入ったら入ったでレイプされそうになって、その後で智機が助けに入ったのはいいのだけれど、智機の対応であわや暴動が起きかける雰囲気となって、群衆もろとも智機に威圧された。
最後が一番怖かった。
そのプレッシャーからも解放されて、ようやく落ち着ける状態になってきた。
「あ、ありがとうございました」
智機が介入していなかったら悲惨なことになっていただけにまずは礼を言った。
「騎士だからさ」
智機の態度は素っ気ない。恐らくはこれくらいは当然だと思っているのだろう。騎士といっても意味は色々だがシュナードラの騎士は要人の警護も兼ねているので当たり前な話ではある。仮にファリルが強姦されようとしたら大変な失態になっていただろう。
それでも、ファリルの表情は暗い。
「…身体はいかがですか?」
「流石に疲れは残っているけど問題ない。戦える」
信じられなかった。
「戦える……んですか?」
「この状況なら、それで充分だろ」
智機が言うようにあくまでも自然体。
強がっているようには全然見えない。
あれだけ激しい戦闘をやらかしたにも関わらず、戦闘できるという智機が信じられなかった。
危惧するはクドネルの襲撃。
智機の活躍と最後の総攻撃でクドネル艦隊もかなりの被害を被った。クドネルの方も戦力の立て直しを図るほうが先で襲撃どころの騒ぎではないとは頭は分かっていても、どうしても不安になる。
噂のレッズはともかく通常のEF相手なら、何騎いようとも智機がいれば問題ないとはわかっていても。
智機が怖いのかもしれない。
……さっきの市民たちとのやりとりを思い出す。
確かに智機は正しい。
完膚無きまでに正しい。
でも、智機の言葉はあんまりも酷すぎる言葉のように思えた。親兄弟が死んだにも関わらず、自業自得だと言っているのである。理屈は正しいのかも知れないのだけど、街を破壊したのも愛する家族を奪ったのもクドネルである。責任はあるのかも知れないが、同時に被害者でもある。少しぐらい、本来はいたわれるべきなのに。
「……納得いかないという顔してる」
心の声を読まれてファリルは口ごもる。引っ込み思案でしかも智機相手なのだから、言いたいこともいえない。
「キツかったとは思う」
なら、何故言ったのかと聞きたい所ではあるが、ファリルよりも早く智機が口を開いた。
「でも、誰かが言わなければいけないことだった」 そういうものなのかと疑問に思うところであったが、智機が追撃を入れてきた。
「ここで自覚させないと同じ失敗を2度3度も繰り返すから。でないと死んでいった奴らに申し訳が立たない」
ファリルは言い返せなかった。
智機の言っていることは全くの正論で、付けいる余地がまったくなかった。
母親に叱られているような気分になってしまう。
言い返したいけれど、相手の言い分が正しいことが分かっているから感情論をぶつける気はなれなかった。
不快ではあるけれど、はね除けるにはきっちりと論拠を構成しなければならない。思ってはいるけれど形にできない今のままでは子供のワガママでしかない。
子供のワガママでは勝てない。
何故なら、智機は不快すぎる現実と向き合い続けてきたのだから。押し潰しにきた現実に勝ってみせた智機に、現実を直視できない子供が勝てるわけがない。
何処が智機と違うのだろう。
歳もそんなに離れていないというのに。
「ファリルも大変だな。ゴミみたいな国民ばっかりで」
笑われているのか慰められているのか分からない言葉を掛けられて、ファリルはいっそう複雑になる。
賞賛が欲しかったわけでもない。
慰めの言葉を期待していたわけでもない。
でも、待っていたのは想像以上に過酷な現実だった。
ファリルを責める眼差しと疲れ切った表情が、だいぶ時を経っても針のようにファリルの心を痛めつける。
考えてみれば、責められることを覚悟するべきだったのに。
智機はそんな彼らを自業自得と切り捨てられるのだけど、ファリルは智機のようにばっさりと思い切ることができずに悩んでいる。
苦しんでいるのも責めているのにも、ファリルたちが愛してならない国民たちなのだから。
それだけに辛い。
ファリルを責める国民たちはお世辞にも美しいとは言えなかった。むしろ、自分たちの責任を忘れて他人に全てを被せても恥じることのない態度は醜悪以外の何物ではなかった。
ファリルの知っている国民はそんな汚い人々ではなかった。そうではないはずだった。
にも関わらずさっき体験した現実が妄想の世界に入ることを拒絶する。
何がいけなかったのだろう。
何を間違えていたのだろう。
何故、愛するシュナードラの人々はそのような人を思いやれない人々になってしまったというのだろう。
「……人間なんてそんなものさ」
智機があっさりと答えを出す。
「目の前のことしか見えていないし、先のことなんて考えない。自分さえよければ他人なんかどうでもよくて、悪いことがあったら……悪いことしても何でもかんでも他人のせいにして被害者面をする。そんな奴らでこの世界は成り立っているのさ」
人間はそんなものだとフォローしているつもりなのだろうけれど、ファリルとしてはあまり嬉しくない。
でも、人間とはそんなに自分勝手な生き物なのだろうか。
人とはもっと優しい生き物ではなかったのだろうか。
少なくても、亡き父親と母親とはファリルに対して優しかったし愛情を持って接してくれた。
だから、必ずしも自分勝手ではないと反論したいところなのだけど、現実を目の当たりにしてきたばかりである。
智機に論戦で勝つ自信なんてあるはずがない。
「ここにいる奴らは幸せすぎたんだ」
それについては同意せざる終えない。
当たり前だと思っていたものが、実は当たり前ではなかった。どうでもよく流していた日々のありがたさというものを骨の髄まで思い知らされている。
「オレだってそうだし」
「智機さんがですか?」
智機はその世界のことが見えるただ1人だと思っていただけに意外だった。
「前にもいったと思ったけれど、オレは正義の味方ではないよ。シュナードラの民が何万人死のうがそんなのはどうでもいい。ここでの戦いがこれからのキャリアにプラスになるから戦っているだけだ」
「キャリアにプラス?」
「どこをどう見ても詰んでいる戦局をひっくり返すことが出来ればオレの名前は大いに上がる。そうすれば次の戦場ではオレを高く雇ってくれる。それだけだ」
「そんなことで……それだけで戦っているんですか?」
「同じことを何度も言わせるな」
わかっていたとはいえ、改めて念を押されるとショックだった。
英雄だと信じて疑わなかった存在が実は人間のクズだと思い知らされるのに似ている。
これもまた現実。
人というのは見返りがあって動くものであり、損をするにも関わらず動く奇特な人間などいない。
ファリルも人のことをとやかく言えるほど高邁な人物ではない。目で見える範囲でのことしか頭になくて世界なんて見ていなかったのはファリルも同じである。
ファリルは改めて智機を見てみる。
そこにいるのは何処にでもいるような扶桑系の少年であり、あくまでもファリルよりも年上なやんちゃさを感じさせる少年でしかない。
何百騎を単騎で圧倒した化け物のようには見えないが、その強さはファリルが身をもって体感させられている。
どこをどうしたら、こんな化け物が出来上がるりだろう。
そう年も離れていないというのに。
だとしたら歩んできたルートによるものなのだろう。
考えて見れば14でライダーをやっているのはおかしい。ライダーの養成課程に入るのは大抵の国では18を過ぎてからであり、一線に立てるようになるまで少なくても2年はかかる。
けれど、目の前にいる智機はライダー。しかも、ルーキーではない、百戦錬磨の風格すら漂わせているライダーだ。
智機が天才だからといっても普通の家庭に生まれて、普通に育ったのであればこうはいかない。
智機の年頃であるならば中学校に通い、テストの点数とお小遣いの無さにぼやきながらも友達や家族に囲まれた脳天気な生活を送っているはずだ。
つい、こないだまでのファリルのように。
でも、智機はライダーである。
EFに乗って、精神力を削りながら戦場を跋扈し、その手を大量の血で染めてきた戦士。
だとするならば智機は普通に育ってこなかった。
人並みの幸せを引き替えに、過酷な経験を積み重ねることによって化物になった。
だいたい智機だって、ファリルの境遇をうらやましがっていた。つまりはそういうことなのだろう。
「どうした?」
あまりにも見つめすぎたせいで気にされてしまう。
「いえ、なんでもないです」
「そういう時に限って、実は何でもあったりするんだけど」
図星なので声が出ない。
智機の過去を聞くのは怖いような気がしたので、別なことを聞いてみることにする。
「智機さんは人が嫌いなんですか?」
「なんでそんなことを?」
「なんとなくですけれど……」
智機の人間観を聞いてみたいと思ったのは、この戦争を生き抜くためにも重要なことだと感じたからである。なんとなくであるが。
「どうでもいい」
「どうでもいいって……」
人類を嫌っているように見えたから意外だった。
「好きでもなければ嫌いでもない、かな。付け加えるなら人類皆平等に価値がない」
「価値がないんですか?」
「姫様もオレも平等に。分かりづらいのなら懇切丁寧に教えてあげてもいいんだけど、ヒス起こすから言わない」
「……私がヒス?」
「オレは外道なんだ。報酬は愚か感謝すらないのに助ける気にはなれない。それだけ」
感謝といったところで引っかかった。
最悪な食堂での時間だったけれど、最後に救いがあった。
車椅子に座った老婆が助けてくれてありがとうとファリルのみならず智機に感謝してくれた。
「智機さんは感謝されて嬉しくはないんですか?」
「感謝されて不機嫌になるほどの変態ではないけどね」
ファリルは勢いこむが次の一言によって封じられてしまう。
「でも、感謝でお腹はふくれない」
それこそ、現実というものにぶん殴られたようなものだった。
感謝される事は嬉しいことではあるけれど、だからといって空腹が満たされることとはまた、別である。それでいいという人もいるかも知れないのだが、智機はそういうタイプの人間ではない。
「本当に感謝しているのなら、言葉だけではないものをくれるだろ。口先だけじゃ感謝じゃない。てめぇの都合通りに他者が動いてくれて喜んでいるだけだ」
ファリルとしてはそうではないと思いたいのだけど、
「姫様は飢えることの怖さを理解していないんだよ」
「智機さんは体験した事があるんですか」
「いっぱいね」
「いっぱい……ですか」
智機は相変わらず笑顔だったけれど、その眼差しは遠く、額面通りには受け取れなかった。
体験した苦労というのがひしひしと伝わってくるような気がする。
タイプは違うけれど、父親に似ているような気がした。
「考えて見れば、姫様にとっても他人事ではなくなったんだっけ」
「……ですよね」
現状を思い出すとファリルは打ちのめされる。
生きながらはしたものの状況はいいとはいえない。死刑執行が延期されただけで、無罪放免になったわけではない。
軍艦の中に大量の難民を詰め込んでいるのだから数日も過ぎれば食料も何もなくて飢えることになる。それこそ、智機の言うように他人事ではない。
遠い世界の事象で現実味がなかったものが、刃となって喉元に突きつけられている。
自分1人だけでシュナードラの民を餓えから救え、なんて命令されたら気が狂う。自信も方策も何もないのだから最悪の結果しか想像できないわけで。
悩んでも狂っても突きつけられた現実は変わらないわけで、ぶっ壊すしか道はない。
幸いなことにファリルは1人ではない。幸か不幸か飢えたことがある人間がいるのは心強いかも知れない。
「智機さんには何か策があるんですか?」
過酷な現実を前にして共に悩んでくれる頼もしい味方がいる。
「オレの策というより、姫様の侍女の策」
「マリアちゃんが?」
「あの詐欺師が姫様を救い出したらガルブレズに行けって指示出したんだ」
ガルブレズには何があるというのだろう。
あそこは何の資源もない群島で、根拠地を作るには持ってこいなのかも知れないのだが、1から作るほどの資材はあるのだろうか。
あったとしても補給の問題は解決されるのだろうか。
最新鋭の兵器と優秀な将卒を揃えたとしてもエネルギーが無ければ意味がない。弾丸が無ければ銃も撃てず、食料がなければ戦えない。EFなら気合いだけでも動かすことぐらいはできるが、それで勝てるのはシュナードラの中では智機だけ。智機がいくら強いといっても1人で勝てるほど甘くはない。
「……大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫じゃね」
智機はあっけらかんとしていた。
あまりの楽観ぶりに不安になる。
けれど、智機には智機なりの根拠があるらしい。
「あの詐欺師の事だから、何かしらの策があって指示出したんだろうと思う。先は先のこととして当面は落ち着ける」
「マリアちゃんを信頼しているんですね」
詐欺師と言っているが、なんやかんやといいつつ従っているのだから認めているということなのだろう。
「ファリルはあいつを過小評価している」
「わたしが過小評価ですか?」
マリアとは幼い頃から実の姉妹のように育った仲で過小評価した覚えなんてなかった。
「可愛い幼子が何の計画や報酬も無しに頼みごとをしてきても断っていた。でも、オレは来ている。この意味が分かるだろ」
智機の人間像を全て掴んでいるというわけではないが、見返りもなしに動く人間ではないという事はさんざん思い知らされている。つまり、智機の琴線に触れるものをマリアが用意できたということ。
いくらファリルでも智機ほどの凄腕を雇うとしたら莫大な金額が必要となる事ぐらいはわかる。今のシュナードラの予算では払えないだろう。
……にも関わらず智機は来た。
「その様子だと、あいつの凄さが分かってきたよう
だな」
見返りが無ければ動かない相手を動かした。
どんな魔法を使ったのかは分からないが情ではなく、国家予算級の代物をちゃんと用意できた。
それは明らかに小学生以下の子供できる真似ではない。
「攻撃的回避とかうんたんが使える奴だけが化け物だと思うな。ドリフトは使えないけれど、あいつも化け物なんだ」
化け物である智機が化け物というのだから、マリアも化け物なのだろう。
でも、マリアはファリル付きの侍女という存在であって、それ以下でも無ければそれ以上でもないという役割に閉じ込めてしまう事になる。侍女という枠に収まる存在ではないのに。
だから、智機は過小評価という言葉を使った。
マリアの事をただの妹としか見ていなかったから。年の割には自分よりも頭が回る子だと思ってはいたけれど、それの持つ意味に気づいていなかったから。
「ったく、ガルブレズにオレの求めるものがあるから頑張ってるというのに無かったら後でぶっ殺してやる」
この時ばかりは普通の14歳の少年らしく見える。
「そんなことは言わないでください」
「出来もしない約束をして騙した報いは受けてもらはないと」
しかし、智機は配管が複雑に這い回っている天井を見上げた。
「でも、あの詐欺師をぶち殺すためには、さしあたって宇宙にでないとなあ」
天井を隔てた向こう側にある空、そして、その先に広がる宇宙。
当然の事ながら制空権をクドネルに支配されているので逃げ出すにしても防空網を突破しない事には始まらない。いくら智機といえどこの星の大気圏を突破するのは大変なことなのである。
「その時は私を殺して投降しようとは思わないのですか?」
「しないよ」
信じられなかった。
「そんなに驚くような事か」
「智機さんは自分で外道と仰られていたではありませんか」
シュナードラの人々が何万人死んでもどうでもいい。面白いから戦うとのたまった人間を外道ではないとしたら、何を外道と呼んだらいいのだろう。
「裏切るしか能がない、無能だと思われるのは心外だ」
「ご、ごめんなさい」
「裏切るつもりなら、ファリルの望み通りに殺してるって」
「……そうですよね」
出会った時のやりとりを思い出すと苦笑してしまう。
泣きながら殺してくれと頼んだのに殺してくれなくて、巻き添えを食らう形でEFに乗せられ、絶望的な戦闘を潜り抜けて今に至っている。数時間前の出来事なのに、遠い昔のように思えてくるから不思議だった。
そう、あの時の事も。
「だいじょうぶ」
父親と母親の顔がフラッシュバックは視界の全てを埋め尽くそうとしたが全身を包み込むぬくもりがすぐに消してくれた。
智機が抱きしめてくれたのである。
「す、すみません……」
痛みも恐怖も、もう感じない
温もりと彼らしくない優しい声が揺れて壊れそうな心を落ち着かせてくれる。
その暖かさに何時までも浸っていたいと思うのだけど、ファリルは離れた。
「すみません」
「いや、謝ることではないだろ。両親が死んだところを見たんだろ。しょうがないさ」
「でも、私は強くならなくちゃいけないんです……私は公王なんですから」
ファリルは公王なのである。
公王であるからには何よりも強くならなければならない。
「気負ってるんじゃねーぞ」
智機の手がファリルの頭を撫でる。
「ファリルのくせになまいきだ」
「ファリルの癖に生意気って何ですか……」
仮にも公王と続けようとして止まってしまう。
「そうですよね。生意気ですよね」
「どうして、いちいち沈没すっかね」
「ごめんなゃはいごめんにゃはい」
両頬を引っ張られて遊ばれてしまう。
「先は長いんだからそんなに気張るな。マラソンを短距離のペースで走ってもすぐにブッ倒れるだけだぞ」
「それはそうですけど」
頭では理解できるのだけど、身体が走ってしまう。
せめて、この人にだけはと一分一秒がもどかしい。
「心配するな。環境がハードだから生きてるだけでも成長できる」
「そういうものなのでしょうか?」
「そういうもんさ。嫌というぐらいに」
「悪人面で慰めないでください」
「悪い。性分なんで」
「ったく、ひどいですよ」
こんなに厳しい状況ではあるけれど、ファリルも笑えるようになってきた。一秒先の未来すら見えないのだけど、これはこれでいいのだろう。
「ところで、ディバインさんたちは?」
「あいつらなら無事。そうでないと困る」
「良かったです」
語尾をあくびが彩った。
ついでによろけたので寸前のところで智機はファリルを支える。
「だいじょうぶ……な訳はないか」
「大丈夫です。安心したらちょっと眠たくなってきました」
力なくファリルは笑う。
「でも、起きないと……」
「ファリルが起きていても寝ていてもクドネルが消えないから」
「ひどいで……な、何をするんですか?」
ファリルの小さい身体を抱え上げてお姫様抱っこすると予想通りにファリルの顔が紅潮して、上がったばかりの魚のように慌てる。
「何って、普通に抱っこだけど」
「抱っこって恥ずかしくないんですか……」
「ぜんぜん。つべこべ言わずにとっとと眠れ。ガルブレズについたらやる事がいっぱい待っているんだから、休める時に休まないと」
「でも、頑張らないと……」
本人はそれでも頑張るつもりだったのだが、開いていた瞼が激しく開閉を繰り広げ、しばらくすると両腕にかかる過重が増すの同時に緩慢に、閉じている時間のほうが長くなり、やがては完全に閉じられた。
戦艦が動くことによってもたられされる様々な雑音の中に、少女の安らかな寝息が混ざる。
「やれやれ」
智機は苦笑の中に優しさが混ざった笑みを浮かべると歩き出したのだった。
智機が艦橋ではなく、CICに向かったのは先の戦闘で艦橋が潰されていたからである。
CICはスクリーンとコンソールに埋め尽くされており、艦橋よりも狭苦しく、片付けられない人間の自室のように雑然としている。照明も意図的に暗く落とされており、気温も肌寒い。
CICの席はそこそこ埋まっていたが、ファリルをお姫様抱っこした智機が現れると、全員が立ち上がり、敬礼で出迎えた。
「姫様の席を作ってくれ」
「……艦長室では不満なのですか?」
「1人では寂しくて寝られないようだ」
「了解しました」
空いた席にファリルを座らせると、智機は艦長に向かって話しかけた。
「艦長。時間がありましたら姫様の相手、お願いできませんか?」
「私で……よろしいんですか?」
その艦長とは、膝下まで全身を覆うように伸ばした亜麻色の髪と巨乳が印象的な、軍人というよりは女子大生にしか見えない女性だった。
気を抜くとはきちれんばかりに大きい胸に目線がいっていまう。
セシリア・ハイネン。
元は艦長付の副官であったが、シュナードラ攻防戦で艦橋が潰されて艦長以下のスタッフが全滅したが、たまたま場を離れていたので難を逃れ、その直後に副長が心臓発作で倒れたところ、一部の推挙によって艦長代行になってしまった人である。
「艦長をやっているよりも、両親を亡くした女の子の話し相手をやっている方が似合っていると思いまして」
「そう言われるのもなんだか複雑ですね。私もそう思いますし」
実際に艦長をするよりも話し相手をしている方が似合うだけにセシリアは苦笑を浮かべる。
「わかりました。でも、姫様の相手なら代行殿のほうが勤まるのではないのでしょうか?」
「どうだろう? オレは人殺しだから」
智機の両手は鮮血にどっぷりと染まっている。
「マローダー、だからですか?」
見るからに癒し系で小春日和の日差しのようにほんわりとした雰囲気を持つ彼女だけど、頭はそれほど悪くはない。
「マローダーを目の当たりにして、どう思いました?」
セシリアは考えこんでしまう。殺人者に対して抱く感想は一つしかないのだけど、そんなのが上司であり、見た目同様に人がいい彼女は智機に気をつかってストレートには言えないのだろう。
「……ちょっと信じられないかも。こんなに可愛いのに凄腕の傭兵さんなんて」
無難といったところだろうか。
実際、何処にでもいそうな14歳の少年といった外見と持っている技術と歩んできた経歴の整合性が全くといっていいほどとれていない。三流小説で良く見られるような現実性がなくて矛盾だらけの設定が、服を着て歩いているのが御給智機だった。
「私は代行殿はいい人だと思うんだけど」
「オレがやってきたことは知っていますよね」
智機のコードネームを持ち出してきたということは、智機の経歴を知っているということに他ならない。
「善悪はおいておいて、代行殿は私たちの国には必要な人だと思うの」
「俺個人の都合で回りに迷惑をかけているとも言えますけどね。素直にクドネルの奴隷になっておけば楽なのでは?」
シュナードラが降伏すれば、この戦争は終わる。
戦わなくても済むし、殺す罪も殺される恐怖を味わうこともない。智機のやっている事は本来ならば体験する必要もない苦難を智機個人の欲望のために、無数の人々に背負わせているともいえる。
「それは違うと思うの。確かに降伏してしまえば助かるかも知れない。でも、その後はどうなるの? そこに明るい明日なんてあるの?」
ただし、その代償として自分自身を失うことになる。生きることは愚か自殺することさえも許されず、家畜としての明日を生きるしかなくなる。家畜としての人生を送ってでも楽な道を選ぶか、たとえ死ぬかも知れない厳しい道のりであったとしても自由を求めて戦うのかは、人それぞれだろう。
「私はそんなの嫌だし、それに代行殿には借りがある」
「借り?」
「代行殿と姫様が頑張ってくれなかったら、私たちは死んでいた。夢を見ることさえもできなかった。だから、振り回されてもいいかなーと思うんだよねー。そうでしょうー、みんなーっっ」
セシリアが声を張り上げるとCICに詰めているスタッフから賛同の歓声が沸き上がる。寝ている奴がいるのにと智機は思ったが、ファリルは爆睡モードに入ったらしくて目覚める気配はない。
艦長と副長がほぼ同時に離脱して、指揮官不在の危機に陥ったロストックの艦長にセシリアが選ばれたのは彼女が艦長を凌ぐ人望を持っていたからに他ならない。
「みなさん、よろしくお願いします」
CICに詰めている全員の好意に智機は謝意を示した。戦争はライダーだけでやるものではない。ブリッジに詰めている要員や整備班、食堂のコックでさえも同じように戦っているのである。
智機の一礼に答えてブリッジから同意の歓声が沸き上がる。
「ただし、言いたいことは言うし、やらせたいことは殺してでもやらせるので覚悟するように」
ブーイングが来るのもこの艦と智機ならではだろう。
実際、シュナードラ軍の練度は最低レベルだった。
シュナードラが崩壊した原因は半分は現実無視の政策を採ったことであるが、半分は軍がダメだったからである。戦うことで糧を得ているのであれば智機も彼らもプロといえるのだが、智機としてはこいつらの同類とは思われたくなかった。軍隊ごっこをしているようにしか見えない連中と。
でも、智機はそんな彼らを面白おかしく見ていられるのではなく、彼らを使いこなさなくてはいけない立場にある。
援軍のあてがない事もないとはいえ、当面は彼らだけで持ちこたえなくてはならない。質の無さを補う量もなければ時間もないという無理ゲーとしか思えない状況であるが、出来ないから無理ではなく、出来なくてもやるしかない状況には智機は慣れている。幸か不幸か。
「現在、使える騎体は?」
「クーガー1騎可動状態にあります」
「まあまあ、だな」
「代行が確保したメネスですが、残念ながら修理不可能だそうです」
治ったら儲け物程度しか思っていただけにダメージはない。
問題なのは。
「残存戦力は?」
「戦艦ロストック、巡洋艦リューゲン、ヒッデンゼー、ウーゼドムです。各艦とも小破以上の損傷を受けています」
「EFは?」
「ロストック収納が47騎、リューゲンが2騎、後はそれぞれ1騎ずつで計51騎になりますね」
「撤退時における喪失騎、およびライダーは?」
「撤退時に3騎喪失、およびライダーが1人、ドリフトエンドで亡くなりました」
「…足りないな」
戦死者を悼むどころかバカにするとは言わないでも、死んだことを責めるような智機の態度によって、CICに不穏な空気が流れる。
「これまでならともかく、あの状況では全員が生き残るのが普通だ」
「生き残るのが普通…ですか?」
「そうだ。第1は姫様を助けるということで士気が最高潮に盛り上がっていたこと。第2はオレが敵の指揮系統を潰したおかげで相手がバラバラになっていたということだ」
特に後者はクドネルに雇用された傭兵団が、雇用主であるクドネル艦隊を智機によって撃破された事によって統一された行動が不可能になっていた。いくら数があっても統制が取れなければ無意味なので、智機としては行けると思ったのだけどシュナードラ軍の練度の低さは想定よりもひどかった。
とはいっても悔やんでも仕方がないことなので、過去は過去の事して割り切るしかない。死者のことすら忘れるぐらいに問題が山積みだった。
「現在、稼働可能な騎体は?」
「電池が4騎。それ以外は3騎です。ガルブレズ到着予定時刻には6騎が稼働可能な見込みです。ですが、全艦の資材で稼働可能なのは3分の1程度。あとの3分の1は修理不可能です」
つまり、使える騎体は大甘に見積もって20騎前後といったところになる。厳しいというよりは過酷だけれど、予測の範囲内でもあった。
「人生ハードモード。そっちの方が面白いか」
「ハードではなくて修羅か地獄。それで楽しめる奴なんて少ないですよ」
男性のオペレーターがツッコミを入れる。ゲームをするのなら大半の人間はイージーモード。場合によってはチートを入れてくるだろう。特典がつくからハードモード以上を選択するわけであって、時間を費やしてまで解けない不快感を味わいたくないという人間の方が大半である。
「人事評価書類は?」
「代行殿のアカウントに既に送信しております」
「そっか」
「ガルブレズは何があるんですか?」
智機でさえ、ガルブレズに何があるのか分からないのだから、艦長以下のスタッフが不安になるのも無理もない。
「まず、ガルブレズの土地所有者は?」
「その事についてですが、調べてみました」
オペレーターが端末を操作して、ブラウザをいくつか立ち上げる。その一つに初老で小太りだが眼光の鋭い男性の写真があった。
「まず、ガルブレズの土地全てがジャコモ・ザンティ氏によって買い占められています」
「どんな人物だ?」
「近衛騎士団に所属した経歴を持つ実業家です」
「実業家ねえ……職種は?」
「不動産と建設業です」
「完璧なまでにパターンだ」
「パターンですね」
真っ当な実業家として見るには悪相すぎる。偏見なのかも知れないがどう見てもギャングの親分にしか見えない。実直さよりもふてぶてしさの方が強い。
「多分、開発を始めたのは1年前?」
「よく分かりましたね。代行殿」
「サリバン政権になったのが、1年前だと思ったんだけど」
自ら軍備を捨てれば平和になると言い放って同盟を解消した結果、惨劇を招いた張本人の事を無理矢理思い出させられて、CICに詰めている人員のほとんどが犬のウンコを踏んだような表情になる。
「偶然ではない、代行殿は言いたいの?」
「どうなんだろう」
偶然の一致というには不自然さはあるけれど、かといって判断するには不確定要素が多すぎる。
しかし、基本的にはどうでもいい事である。
ぐだぐだと悩んでいるよりも行けばいいだけの話だからだ。行ったら行ったでそのザンティ一党が刃向かうようであれば叩き潰せばいい。負けが決まった戦況をひっくり返そうとする事に比べれば遙かに簡単だ。
本当にバカなことをやっている。
このシュナードラの戦いはクドネルの勝利が確定している。智機のやろうとしていることは悪あがきにしか過ぎない。勝ち目がないイコール採算の取れない仕事を請け負うのはただのバカだ。
……1年もあれば充分か。
でも、智機のやることは悪あがきではない。この状況からでも勝つつもりであるし、回りもそのように動いている。
勝ちが確定した戦争に加わるのは儲かるのかも知れないが、それはただの作業と同じ。誰でもできる仕事だ。
「…ったく、もうちょっと楽な戦争がしたいなあ」
「その割には楽しそうですね。代行殿」
「そう見えるのであれば眼科にいったほうがいいですね」
他人から見ればセシリアのほうが正しいと思うだろう。
「オレの予想だとそのザンティグループはその1年前を境に急速に勢力を拡大しているのではないかと思う」
「代行殿の勘ですか」
「そんなところ」
「代行殿。ご機嫌のところ恐縮なのですが」
1人の男性オペレーターが、おずおずと割り込んできた。
「何かな?」
「食堂での事なのですが……言い過ぎではないのでしょうか?」
「へえ~ 君らは姫様が強姦されてもかまわないというわけか」
「いえ。そういうわけでないのですが」
食堂でのファリルが暴行されかけた一件が蒸し返されて空気が重たくなる。
「ただ、言い過ぎではないのでしょうか?」
「事実を指摘して何が悪い」
「それはそうですけど、彼らは家を失い、大切な家族を失っているんですよ」
「だから、いたいけな少女を強姦してもいいとでも? 現実から逃げてもいいとでも?」
正論過ぎる正論に彼らは言葉を失ってしまう。
すっかり静かになってしまったCICの中で、智機は言葉を続けた。
「首都を落とされ、前公王を初めとして大量の人々が殺された事について君らに責任がないとは言えない」
これらの事態を招いたのはシュナードラの軍隊が弱かったからである。智機の指摘に全員が一様に下を向いてしまう。
「でも、今回の事態は君らだけが責を負うものではなく、非現実な選択を選んだ国民全ての責任。にも関わらず、被害者面して背負うべき責任を一方に押しつける奴らに生きる価値なんてあるのか?」
声自体は落ち着いていたが、言葉が持つの意味の重さと、予想される答えの重さにこの場にいるファリルを除いた全員が頭をぶん殴られたような衝撃を受けて立ち尽くす。
智機はそっと立ち上がった。
「空いている騎体の鍵は?」
「C-103号騎になります」
EFのキーを渡されると智機は歩き出す。
「オレはこれから騎体で作業している。ガルブレズまで200キロ圏内まで迫ったらコールしてくれ。先行する」
「わかりました」
「姫様はよろしいのですか?」
智機が出るという事はファリルから離れることを意味する。セシリアの問いに智機は少年らしい苦笑を浮かべた。
「いつまでも一緒にいるのは無理だろ。物理的に」
子供とか大人を云々する前に、それこそ肉体が融合していなければ永遠に一緒にいる事は不可能だ。けれど、セシリアは続けた。
「私でも姫様のお友達になれると思う。でも、姫様が一番安心できるのは代行殿だけ。その事は忘れないでほしいの」
智機はそれには答えず、黙って消えていった。
智機が消えると重苦しい空気が消えて、ほぼ全員が一息ついた。
「……代行殿は何者なんですか?」
「怖い人なのは確か…よね」
オペレーターから問われてセシリアは苦笑してしまう。セシリアからすれば弟みたいな年代の少年なのに、その威は彼らを圧倒している。無数のEFに一騎で立ち向かいながら生き残った、しかも、それらの全ての機動を読み切るという化け物である事実がいっこうに見た目に被さってこないのだが、怖い存在である事には間違いない。
智機が投げかけた「責任があるにも関わらず、被害者面して他人を責める連中は生きていていいのか?」という問いはシュナードラを守る彼らに深く突き刺さっている。
智機みたいに遠回しに死ねとはいえないけれど、理解はできる。そして絶望する。責任がある事を分かっていなければ反省もしないし、従って変わろうともしない。何が悪かったのすら分かっていないのだから、仮にシュナードラが復興したとしてもまた同じことを繰り返すことが目に見えた。
感謝してほしいとは言わないけれど、命を賭けた結果を無意味にされたくない。
「何がいけなかったんだろう」
「ほら、やっぱり。誰が首相になっても同じというのがまずかったんじゃないのかなー」
智機の言葉を受けて、あちこちで今までのことを考える会話が交される。
「私が思うに、これだけは言えるんじゃないかなと思うの」
セシリアも会話に参加した。
「どんなことですか?」
「これは私たちだけではない、シュナードラに住む1人1人全てにとっての問題なの。だから、私たちだけでは勝てない。全ての国民が一つにまとまらなくては勝てないと思うの」
セシリアの言葉にCICの中が静まり変える。
苦笑一色に染まったといったほうがいいだろう。
「今から思えば他人事みたいでしたからね」
「あのマローダーに比べれば真剣さが足りないですよね。オレら」
政治なんて深く考えたこともなかったし、それが重要になってくるなんて思っても見なかった。
「でも、悪い子ではないと思うの」
「マローダー……なんですよね」
独り言だったはがなのに、自然に口に出してしまいセシリアの顔が赤くなる。
「それでも」
にも関わらず、セシリアの笑みは苦笑から優しいものへと変わっていた。
一騎でも多く、稼働騎体を確保すべく戦場のような喧噪と忙しさに包まれている格納庫の中に入ると、智機は指定された騎体を探す。
とはいっても整備終了だと一目で分かる騎体はほんの僅かなので、視線を軽く振っただけで指定のC-103騎が見つかる。
すぐさま指定の騎体に近づくと、今度は正規の手続きでコクピットハッチを開けてコクピットに乗り込んだ。
キーをコンソールに差し込むとブラックアウトしていた計器類全てに灯が点り、コンソールとシートを包むように広がるコクピット内壁にもEFのカメラから見た、格納庫内の全景が投影される。
BYF-003クーガー。
名前こそ大層な名前であるが、フォンセカをシュナードラ仕様に改装しただけの代物で、逃げる時に強奪したメネスとさほど違わない。ただし、智機としては量産騎で無双できるかどうかが重要だと思っている。特別騎で無双するのは誰でも…というわけではないけれど容易だから。
グラスコクピットの多目的スクリーンに騎体の情報を表示させて異常がないか、一項目も逃さず入念にチェックしていく。
システム・オールグリーン。異常無し。
ただし、今すぐ出撃というわけではない。
ハッチを締め切って外界から遮断すると智機はタブレットをケーブルでコンソールにつなげ、内壁に投影されているスクリーンに複数のウィンドウを立ち上げた。
ウィンドゥにはタブレットからのデータが映し出されている。それは艦の乗組員たちのデータで性別や身長体重、勤務内容といったパーソナルデータの他に勤務査定の内容も表示されている。
智機はデータを切り替えながら、乗組員たちのデータを脳にインプットさせていく。
「流石にあいつはいないか。そう簡単に見つかるわけないか」
……欠伸が出る。
整備員からコックまで軍の職種を一通りこなした事がある智機にとって一番面倒臭かったのは書類整理などの事務作業だった。
出来れば避けたい作業なのだが、この手の作業というのは非常に重要なのである。前線でEF駆って戦うことよりも。
まずは手駒の確認。即ち、部下となる乗組員やライダーの能力や性格を把握しなければ始まらない。質も量もまったく足りていないのだから、限られた資源を有効に回転させなければならない。
おまけに査定という要素が加わるのが面倒だった。
実はシュナードラの軍隊に階級などない。
階級をつけると非民主的になるからという理由で廃止されたそうなのだけど、民主的な軍隊なんて智機からすれば笑止としか言いようがなかった。上から下までの意見を拾って最大公約数を拾っていくという手法は戦場では全く通用しない。秒単位でめまぐるしく変わる戦況に対応できないからだ。
現実から逃げる奴に勝利はない。
否応でも自分から合わせていかなければならないのに、都合を押しつけるのは愚劣の極みというより他ない。
階級のない弊害は艦長と副長がそろって倒れた時に現れた。誰が指揮をとったらいいのか分からないという阿呆すぎることが随所に起きたからである。艦長の副官でありながらも、セシリアが艦長になっているのもCICのスタッフの熱烈な支持があった事と、誰も責任を取りたがらなかったからである。
智機が囮になったとはいえ、無事に生きてこれたのだからセシリアは有能だと思う。
そんなわけで1人1人に階級を設定して、上意下達で動く組織に再編せねばならないのだが、普通の軍隊ならこんなことをする必要がないでめんどくささいことこの上なく、結局のところは査定といっても何もすることもない。
現状の役職を追認して、そこから該当する階級を割り当てるだけである。
最初のうちは律儀に行っていた智機であったが、しばらくすると集中力が切れてきた。
単調な仕事に飽きてきたのかなと思ったけれど、それは間違いで単純に眠たくなってきたらしい。
人に比べれば頑丈な智機だけれど、それでも休息は必要であり、取れる時に取るのが鉄則である。
「……流石にいるわきゃないか」
14歳程度で軍籍についている者を検索したのだが、検索結果は0件であった。当たり前である。
なのでタブレットの電源を落とすとそっと眼を閉じる。
コクピットは寝床ではないと誰かに怒られたような気がするけれど、その言いつけを破っているのは何かがあった時、タイムラグをおかずに殴れるからに他ならない。出撃できるからに他ならない。コクピットのシートも本来は寝床に使うようなものではないのだが、狭いシートピッチと急な角度にも慣れた。
だから、あっという間に意識は闇へと落ちていった。
落ちていた。
ただ、ひたすらに空を落ちていた。
高速で、風の壁に叩きつけられながら地面へと堕ちていた。
どうする事もできなかった。
立つべき場所がないことに違和感を覚えながらも、指をいくら動かしても何もつかめず、数秒先に待っている未来を変えることはできなかった。
視界に広がるのは一面の蒼。
何もないのに、まるで見えない壁があるかのように押しつけられて、指先ぐらいしか自由にもなれないのにも変わらず智機は足掻いた。
かすかに首が曲がる。
すると、一緒に生身だけで堕ちていく仲間たちが見えた。
そう、彼らは仲間だ。
地面に生身で叩き落とすためだけに作られ、一回こっきりの使い捨てで死んでいくためだけに作られた生命体。それが彼らであり、智機であった。
にも関わらず智機は疑問に思う。
墜死という現象はこの段階では発生しない。発生するのは地面についた一瞬。瞬きよりも短い時間で生が無に帰す、決定的な破壊が起きる。
だから、地に落ち行くこの段階では彼らは生きている。にも関わらず、彼らは死んだように一様に意識を失っている。
それが当然である。これから確実に待ち受けているであろう死に意識の方が耐えられないのだ。墜死が楽だというのも堕ちていく間に意識を失って死の痛みを感じないからである。
にも関わらず、智機は感じている。
通り過ぎていく風の音も、視界一杯に広がる青も、身体にまとわりつく冷たい汗も、固体化した風邪に押し潰されていくような感触も。
そして、五感の全てで感じている意識も。
どうして、生きているのだろう。
彼らには意識がなくて、智機にはある理由が分からなかった。
生身で突き落とされるだけの生命体。
それ以外の目的しかないはずなのに、あるとしたらそこにどんな意味があるというのだろう。
智機はところどころ糸のようにほつれながらも原型を保っている意識の中で智機は考えるが、答えは出なかった。
生きるのではなく、生かされる生にどんな意味があるのか智機には理解できなかった。
視界が暗くなる。
そして、衝撃が体内で爆発する。
激痛という言葉では生ぬるい痛みが智機を襲った。
激痛という言葉がやけに空疎に響くのは、成層圏から生身で突き落とされて生き延びた人類なんていないからだ。
その痛みを感じて生き延びた人間がいない以上、どんなに言葉を費やしても空虚なものにしかならない。何故ならそのような体験を人に伝える存在がいなかったからである。死んだら何があるのか分からないのと一緒である。
他人に理解させることができない痛みを智機は知覚させられている。
全身が爆発しそうになり、それが寸前のところで止まり、また爆発しそうになっては止まるという繰り返しが延々と、何十回何百回何千回何万回何億回何兆回何京回と続いた。それこそ世界が終わるまで続くのではないのかと意識ではなく、本能で思った。
その痛みに気が狂うことができれば、どんなに楽だったろうか。
智機は死ぬことも狂うこともできず、身体の中で暴れまくる痛みと衝撃に耐えるしかなかった。
永劫とも思える時間の果てに痛みから解放されて静寂が訪れる。
気がつくとそこには青空がひろがっていた。
さっきまでは包んでいた空が、手を伸ばしても届かない遙か彼方へと広がっていた。
そう、常人なら耐えられるはずもない破壊に智機は耐え抜いたのだ。
だからといって勝利の余韻も何もない。
ただ、真っ先に考える、いや真っ先に動いたのは身体の確認だった。
視力、聴覚、感覚に以上なし。
指先から徐々に可動域を広げていって筋肉や骨に異常がないことを確かめる。
内臓も特に損傷はない。
それらの事を一瞬に判断してわかった事。
戦える。
生きているよりも早く、戦える、普段通りに身体が動いて普段通りに戦えることを智機は実感する。
でも、それがどうだというのだろう。
敵はおろか、回りには誰もいないというのに。
そう、そこにいるのは智機だけ。
真っ赤に染まった岩盤の大地が水平線の果てまで広がる世界には智機しかいないように見える。
確か、大量の人間と一緒に堕ちていったはずなのにそれらの仲間たちの姿が見あたらない。
不思議に思うと手の甲が傷もないのに真っ赤に染まっている事に気づく。べったりとついているというよりは塵よりも細かい飛沫を全身に浴びたという感じの染まり具合で、その赤から漂う鉄錆臭さが何処か懐かしかった。
全身を染めた赤と同じ臭いが、大地からもしていて、やがて智機の口から笑い声がこぼれた。
おかしかった。
傷もないのに全身が赤く染まっているのも、大地が資格にひりつくように赤いのも、全ては彼らの血だった。
あまりにも高度が高すぎたから、命どころか身体すら墜落の衝撃に耐えきれずに爆発して、分子レベルまで粉々になってしまったのだ。1ミクロン程度の細胞の欠片すら見つかるわけもない。ただ智機と大地を染めた真っ赤な何かの正体が、彼らが存在していたという証だった。
彼らは死に、智機は生きている。
でも、それが何だと言うのだろう。
智機はただ生かされているだけであり、生身で空から突き落とされるためだけに製造された生命体にしか過ぎないのだから、また、同じことが繰り返される。
智機は生きている。
けれど、何のために生きているのか分からない。
だから、分からない。
だから、おかしい。
何故、生きる意味を問いかけるような意識を備えて、この世界に製造されてしまったのかが分からない。コンピューターみたいにある目的のために生み出され、人格もなくただ目的を遂行するだけの存在であればよかったのに。
……コクピット内に鳴り響くアラームの音を捉えた瞬間、智機の意識は一瞬で覚醒する。
夢の余韻に浸る間もなく、智機は腕時計型通信装置のボタンを押すと、空間に気体状のディスプレイが投影される。相手はオペレーターだった。
「おはようございます、代行殿」
「おはよ」
智機はスリープモードに入っていた機器のスイッチを入れるとグラススクリーンに光が灯り、表示される内部データを高速で切り替えながらチェックしていく。
システム、オールグリーン。以上無し
「マローダー準備完了。これより出撃する」
「こちら管制、了承した。誘導を開始する」
コクピット全体に鈍い衝撃が走った後に騎体が自動で動き出す。格納庫に収められている時点で台車に乗っており、滑走路までは自動で動く。
着艦しようとする騎体もなく、出撃する騎体もないのでスムーズに滑走路まで進んだ。
滑走路といっても戦艦なので実体はトンネルである。数km行った先に四角く切り取られた開口部から景色が見える。
夜間の時間帯なので外は真っ暗であり、海と空の区別がつかないが星の光が明るく届いており、それなりに良好な天候だった。
「マローダー、出る」
スロットルを押し出すと騎体はフルスピードで加速、戦艦内から外へと飛び出していった。
智機は騎体と艦隊の現在位置とカルブレズ島までの距離を確認する。この時点で200kmを切っているのでEFの足なら一瞬である。
レーダーを確認するが敵影の姿は確認されない。
ガルブレズ近隣に到着するまでは、特に深刻になるということはないという事である。戦闘を考慮しなければそれこそオートパイロットに任せても構わないわけで万が一に墜落という事になっても、智機なら平気だった。
夢を見る。
毎日というわけではないけれど、かなりの頻度で夢を見る。
天空から生身だけで放り出されて、遙か彼方の地面にサッカーボールのように叩きつけられる夢。
「……むかつく」
思い出すたびに腹が立つのは、あの暴虐を前にしてあの頃の智機は無力だったからだ。
いくらたっても、あの時の痛みは覚えている。
夢の中でさえも激痛に襲われている。
あの夢は智機が覚えている最古の記憶であり、衝撃で身体が生きながらバラバラに爆砕されるのを延々と繰り返す苦痛が智機の原点だった。
結局のところ、記憶に捕われているわけでそれがいいのか分からない。
ただ、一つ言えるのは腹も立つけれど、役にも立つということだろうか。
迫り来る大地の色と追放された蒼穹の蒼、そして繰り返されるどんな表現ですら陳腐なものに変えてしまうほどの苦痛、それらのそれらの一つ一つが御給智機の原風景であり、帰る場所でもあったからだ。
言うなれば故郷。
たとえ、地獄であったとしても。
どんなに否定したい場所であったとしても、そこから智機は生まれたのだ。
レーダーに複数の機影が確認されて、智機の神経が警戒モードに入る。
ガルブレズ島まで50km圏内に入っており、そこからEFサイズの敵影が智機の騎体に接近しているのが確認できた。
いくらEFといえど長距離の運用は無理なので、即ちガルブレズ島が基地化されているという事に他ならない。
「こちら、ガルブレズ市。そこの騎体、応答せよ」
市を名乗っているところに吹きかけた。
「こちらはシュナードラ公国軍である。ガルブレズ市といったが、何処に所属しているのか教えて欲しい」
「我々は公家に忠誠を誓う者なり」
「我は公女ファリル・ディス・シュナードラを抱いている。なら、話は分かるな」
智機が言い放つと場に沈黙が満ちる。
心地よい緊張……とまではいかない、ぬるい風呂に浸かっているようなかったるい沈黙。
迫ってきたのは五騎で、機種もフォンセカ系の改造機で統一も取れていない。ファリルと一緒に敵軍に突っ込んだ数時間前と比較すれば質・量共に比較にならない。この程度なら簡単に制圧できる。
それこそ、ハンデとして片腕を使えない状態にしてもだ。
やがて、スピーカーから唾を飲み込むような雑音がこぼれた。
「こちらガルブレイズ市。市長と代わる」
相手の声が緊張でうわずっているのは智機がプレッシャーをかけているからである。この程度の相手ならライフルを撃たずともプレッシャーをかけるだけで勝てる。
それから少ししてスピーカーからこぼれたのは、重々しい男の声だった。
「こちらはガルブレズ市市長のジャコモ・ザンティ。貴公は?」
通信スクリーンに出たのは、事前に見た資料に載っていた老人だった。海千山千の経験を重ねた、市長と言うよりもやくざの親分にしか見えない面構えに寸分とも違いはない。
「こちらはファリル・ディス・シュナードラ公女代行騎士、御給智機だ」
「貴公があのマローダーか。思ったよりも若いな」
初対面の人間にはかなりの確率で言われる言葉である。違った反応を期待しているだけに軽く失望する。
「そんな貴公にぜひ伝えたい言葉がある」
「ほう?」
自称市長は厳しい表情を崩すと、同類を見つけた悪ガキのような笑顔を浮かべた。
「マリア・ファルケンブルク被害者友の会にようこそ」
智機は大爆笑した。