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ティーガー -Ignition-  作者: ひむろとしつぐ
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TRACk 2:Dark Chest of Wonders 2

 アンカーを切り離し、爆音を響かせて、急速に遠ざかっていくEFをディバインは見つめていた。

 あっと言う間に空の向こうへと消えていくEFのように事態はディバインの想像を超えたスピードで進んでいた。

 クドネルの侵攻が始まってから1ヶ月も立たないうちに首都が落とされるなんてあり得ないだろと誰かに突っ込みたくなる。フィクションとしてでも企画段階でも没にされるような現実にした誰かに。

 本来なら、騎士というエリートになれたのだから金に困ることもなく、人々からの尊敬を集め、いい嫁さんを貰って暖かい家庭を築いて、安穏に一生を終える予定だった。

 でも、生きていくためには受け入れたくない現実を直視するしかない。

 そう、生きるためにも。

 士官学校を卒業して騎士団に入団したばかりのルーキーではあるが公国と公家への忠誠は骨の髄まで叩き込まれており、今回の戦いではノヴォトニーがさんざん叫んでいたように、圧倒的な敵軍を前にしても一歩も引かず、騎士団の誇りを胸にして鮮やかに散華するはずだった。

 騎士とはそういうものだから。

 でも、智機は真っ向から否定した。

 まさか自分よりも遥かに年下な少年から説教されるなんて思いもよらなかった。

 そして、今は戦場のまっただ中にいるにも関わらず、状況を忘れて呆然としていた。

「ブルーノ。シャフリスタン艦隊はともかく、バビ・ヤールはどれくらいの規模だったんだ」

 同じようにヒューザーも呆然としていた。

「バビ・ヤールは名前こそ師団だったが、実際は最大でも旅団程度の規模しかなかった。市街戦の頃に至っては大隊規模で師団を名乗っていた」

 智機の言葉は言葉こそ行行しいが、要は「我々は戦闘を開始する」程度のことしか言っていない。

 部隊名を羅列していたが、シャフリスタン艦隊もウバビ・ヤールもとっくの昔に消滅している。つまり、たった一人であることには変わりがなく、それこそ誇れるものがなにもない子供の世迷い言でしかない。

 にも関わらず、これほど心を踏みつぶす言葉はなかった。

「つまり、一個艦隊と一個旅団…大隊がボク達の味方してくれるということか」

「どうやら、あの噂は本当のようだ」

「なんの噂?」

「カマラを終わらせたのは衛星落しではなかったという話だ。軍団を使うと聞いたが」

 あの時、智機は一人ではなかった。

 あの瞬間、あの場に居たものだちは智機に付き従う複数の人間、それこそ一個大隊はあろうかという兵士たちの存在を感じていた。

 存在しないはずなのに、それは確かに智機と共にあり、そして彼ら1人1人が持つ存在感がディバインたちの心臓を直に踏みつぶした。

 だから、あの場にいたのは智機1人ではない。

「オレ達はライダーだ。士官学校を卒業して力と運で近衛部隊に配属された」

 喉の奥から苦いものがこみ上げる。

「でも……オレ達のやっていたことはライダーごっこだった」

 御給智機について知るところは少ないが、ディバインやヒューザーが平和な生活を謳歌している中で、地獄のような世界で戦い、生き延びてきただけは分かる。それでも知らない人からすれば同じライダーだというのが、ディバインには滑稽に思えてならなかった。

「なに感慨に浸ってるんだよ」

 幼い頃からの腐れ縁であるヒューザーが茶化す。

「もっとも浸りたくなる気持ちもわかるんだけどね。僕だって展開の早さについていけてないんだから」

 智機はディバイン達に生きる道を示したどころか、希望はあるといってのけた。こんな状況でもひっくり返せると思うのはただのバカにしか見えないのだけど、智機は本気でやろうとしている。そんな智機を見ていると根拠もないのにやれてくるように思えてくるのが不思議だった。

「頑張ろうぜ。団長代行殿」

 これからのことではあるが、智機に同調してしまった以上、ヒューザーと共に智機側として行動せねばならない。好むと好まない関わらず。

「そうだな」

 でも、そんな日常も悪くもない。

 何も代わらない日常の繰り返しで一生を終えるよりも、こっちのほうが遙かに面白いとディバインは感じていた。さっきまでは死を覚悟していたが今は違う。力を尽くせる余地があるのなら限界まで出し尽くすというのが騎士の本文でもあり、それ以前に死にたくなんてない。生き残る余地があれば這い上がりたい。

 ましてや、くっそたれなクドネルに一撃を食らわせられるというのであれば。

 負けたままで終われない。

「でも、レッズと代行殿。どちらが強いと思う?」

 しかし、勝つのは容易ではない。たとえ智機であっても。

 クドネルの赤い悪魔たち。

「レッズのライダーと代行殿の技術は拮抗していると思う。ただ……」

「数も多いけりゃ、EFも圧倒的にしょぼいもんな」

「明らかにライダーの技量に追いついていない。代行殿にふさわしい騎体があると思うんだが」

「でも、たった一つだけ言えることがあるぜ」

 ヒューザーは自信たっぷりに言った。

「あいつらは、これから地獄を見ることになる」


 いつでも父の背中は大きかった。

 気が強めな母親に常に尻を敷かれながらも、ファリルの顔を見るたびに優しく笑ってくれた。

 そんなに身体が大きいわけではなく、筋肉質というわけではない。でも、背負ってくれる背中がとっても大きくて、母親に叱られたり、友達と些細なことで喧嘩になって憂鬱になったとしても、父親に頭を撫でられたり背負ったりしてもらっているうちに、いつしか寝入ってしまって暖かさの中で眠ってしまい、目が覚めた時には嫌なことも悲しいことも消え去っていった。

 あったかな父親の背中。

 ファリルは憎しみも哀しみもない幸せな世界にいる。

 ただ、暖かさしかない世界に。

 けれど、身体に何かが辺り、聴覚がかすかな騒音を捉えて意識が覚醒へと向かう。

 瞼が開き、ぼんやりとした画像にピントが合いだしてくる。

 360度に広がる空の風景と、前方にある複数のモニタ。両側に張り出しているサイドスティックというEFのコクピット

「…………」

 父親ではなく、見知らぬ少年に抱きついていることに気づいてファリルの顔が真っ赤に染め上がる。

 心臓が激しく鼓動する。

 初めて会ったばかりの少年を無意識で頼ってしまった罪悪感と自身の情けなさ、そして父親と同じような安らぎを覚えてしまったことによる恥ずかしさが混ざり合って表現しようにないものとなってファリルを責め立てる。

「おはよう」

 その少年……御給智機は片手で書き物をしている。どうやら自動操縦にしているらしい。

「……その、ありがとうございます……」

 心を絞り出すようにして、ファリルは言葉を紡ぎ出す。

 智機には色々言いたいことはあるが、助けられたのは事実だった。特に精神面において、智機がいなかったらどうなっていたか分からない。

 智機といれば安心することができた。

「あと、ごめんなさい……」

 経緯は知らないが智機の行動を束縛していた事はわかる。それだけに申し訳なさが先に立ってしかたがないが智機は笑って、ファリルの頭を撫でた。

「あんまり気にするな」

 その感触がとっても気持ちよかった。

 現在の状況はというと何処かに向かって飛んでいることは分かる。

 いつの間にか戦闘は終了したらしいが、その代わり、砲撃によって破壊された都市の廃墟の背景として浮かぶ空に点在するのは散々、見せつけられてきたクドネルのEFである。これだけ見ている限りではシュナードラ全軍は覆滅してしまって、この広い世界にファリルと智機しかいないような錯覚を覚えてしまう。

 智機がぼそりといった。

「行きたかったんだろ。両親のいる世界に」

 明らかに気をつかっている優しい言葉に、ファリルは逃げ出したい現実を思い出す。

「はい」

 優しくて暖かかった両親はもう、いない。

 その両親を奪い去った世界というのは、少女にとっては余りにも苦い。

 横顔を思い出すたびに泣きそうで、胸を生きながらして切り裂かれそうなぐらいに辛いのに、どうして生きなければいけないのか少女には理解できない。

 何故、こんなにも苦しい想いを味わなければいけないのだろう。

 それほどの罪を犯したというのだろうか。

 世界は自殺はしてはいけないと言う。

 でも、それがどうしたというのだ。

 苦痛から逃れようとして何が悪い?

 この先は地獄しかないのに、よってたかって歩かせようとするのは正しいことなのか?

 ――でも、ファリルは死ねなかった。

 死ぬ機会はいくらでもあったはずなのに、未練たらしく生にしがみついている。

 ファリルの背筋に冷たい汗が流れ落ちる。

 ……見渡す限り敵ばかりというのはとてつもなく恐ろしい。

「今は大丈夫。奴らから見れば、この騎体はまだ味方だから」

 智機が奪ったのはクドネルの騎体であるからクドネルの陣内を横行してもさして問題になることはない。ただ、所定の持ち場から離れているので遅かれ早かれ行動を怪しまれることにはなる。

「しくじったら死ぬだけだ。心配はいらない」

「……それはそうですけど」

 智機の人の悪い笑顔に却って不安を覚えるが、殺してくれと頼んだだけにそれを言われるとファリルは何も言えなくなってしまう。

「智機さんはその……大切な方を亡くしたことはありますか?」

 失礼な質問だと思いつつも、ファリルは言った。それはファリルにとって必要なことだった。

 智機は平然と答えた。

「いっぱい」

 ファリルは息を飲む。

「…いっぱい、ですか」

 どんな人生を辿ったら大切な存在をいっぱい亡くしたといえるのだろうか。しかも、ファリルと智機はそんなに歳が離れていないというのに。

 本当だとしたら想像を超えた人生を歩んでいるといえるのだけど真実なのか、それとも冗談で言っているのかは分からない。

 ただ、そういった時の智機の眼差しが、現在ではない何処が遠い場所を見つめているような感じがした。

「智機さんは……どうしたんですか?」

 もし、智機が本当に大切な人をいっぱい亡くしたというのであれば知りたかった。

「大切な人を亡くされて、どう思ったんですか? 何をしようと思ったのですか?

 大好きな人が存在しない世界の中でどうして智機は生きようとしているのだろう。

 ファリルの目から見れば、智機は葬り去りたい現実を受け入れて、何事もなかったかのように生きているように見える。

 どうすれば絶望を受け入れて、智機の境地に立てるのか知りたかった。

 狭いコクピットの中は静かになる。

 さしもの智機もこの件に関しては深く考えてみたことがなかったのだろう。漠然としたものはあるが形にはなっていないので、形にするための時間を必要とした。

「そうだな……オレの場合は悲しいというよりも、そうさせた物への怒りのほうが強かった」

「怒り、ですか」

「人は絶望に直面した時、3つの行動を取る。怒る、死ぬ、諦める、このどれかだ」

 悲しい、とは言っても受け止め方は人によって違う。喪失させるものは運命や寿命といった人知の及ばないものだから大抵の人間は抗うことを諦めるか、あるいは死ぬことを選ぶ。

 しかし、智機はファリルや大多数の人間とは違って戦う道を選んだ。智機には自身や周りを傷つけたものに対して拳を振り上げることができる強さと気概を持っているから出来た。

「……強いんですね」

 今はそんな智機の強さが眩しい。それに比較して自身の弱さが情けない。

 でも、智機は言っていた。

 強いとは思っていない、と。

「人それぞれだからね。オレからすれば姫様が羨ましいし」

「私がですか?」

 自分には誇れるところが何もないというのに、何処にうらやましがられる要素があるというのだろうか。

「正確には境遇。大切なものを奪ったものへの反逆できる力なんて欲しくなかった。そんなものがあるなら、その大切な人々が生きていてほしかった」

 ファリルは公女である。

 国の象徴という立場だから、生活には一生涯困ることなく、周りの誰からも好感と敬意を持って接してくれる。おまけにシュナードラの国柄で王族としての障害を感じたこともなく、従って日々を生きるために苦労をすることもなかった。

 一生部屋の中に閉じこもっていても、食べ物に困ることなく呑気に暮らせるというのは充分に羨ましがられる境遇ではあった。今までは。

 智機の表情は明るいが、秋の風のように白い。

 これが智機の本音なのだろう。

 力も、金も権力なんていらないから好きな人には生きていてほしかった。彼らの姿を二度と見ることもなく、声を聞くこともなく、頭を撫でられることもない。ファリルも改めて失ったものの大きさを噛みしめているだけに、智機の痛みも嘆きも肌身で理解できた。

「智機さんは逃げようとは思わなかったんですか?」

 智機だって、一応は人間。

 大切なものを、人を失ったというのであれば、逃げようとは考えたはずである。

「そういや、そういう選択もあったかな」

 自殺をするというのも一つの選択。

 世間の道徳では禁忌とされる行為だが、消えてなくなる当人からすればどうでもいい話である。ファリルとは違い、智機ならば、逃げると決めたら自身の頭に向かって躊躇いもなくトリガーを引くことができだろう。辛くて強大な現実の壁に立ち向かうよりも遙かに楽なのに。

 それなのに、なぜ逃げようとはしなかった。

「でも、オレは逃げられなかった」

「逃げられなかった?」

「大切な人たちを失ったっていっただろ」

「はい」

「半分は、オレの命令で死んだ」

 その言葉にファリルは絶句する。

「半分は死んだ? オレの命令!?」

「一ヶ月前、オレはある戦場で戦っていた。こんなガキがライダーやっているのもおかしいけど、部隊の指揮なんて任されて大変だった。意味は分かるな」

 指揮というのは、大量の兵器や兵士たちを的確に運用して率いる軍を勝利に導くのが仕事である。目的のために殺しあうのが戦争なのだから、どんなに最良なな命令を下しても、部下たちが死ぬのは避けられない。

「後悔なんてしていない。でも、オレの命令で死んだことにはかわりはない」

 大切な人が死んだ。

 自ら下した命令で死んだ。

 失ったものへの悲しみと怒りで振り上げた拳をどこにぶつければいいのだろう。

 ぽっかりと胸に空いた穴をどのようにすれば、埋められるのだろう。

「どれくらいの人たちがいたのですか?」

「師団とはいうけれど、色々なところからかき集めても3000人切ってた。でも、戦争が終わった時には3人しか生き残らなかった」

 失われたそのものの数にファリルは圧倒される。

 智機が無能だとは思えない。

 にもかかわらず、千単位で失われた人命。

 それはどれほどの地獄だったのだろう。

「言っとくけど、姫様も他人事じゃない」

 智機は釘を刺す。

 ファリルの顔から一気に血の気が引いた。

「姫様は姫様だから姫様なんだ。その両肩に何千何万の領民の運命がかかっている。代わってくれる相手は、もういない」

「代わってくれる人は…いない」

「ファリルはこの国の王なんだ。姫様というほうが好きだから、こっちで呼ぶけど」

 もう、両親はいない。

 ファリルは公家の一員、唯一の生き残り。

 政府首班も全滅してしまった以上、ファリルがこの地の王。

 震えが止まらなくなる。

 国民がどれだけ生き残っているのか、この時点ではさだかではないが責任を負う割合は智機でさえも凌駕している。王である以上、国民1人1人の全ての責任を負わなければならないのだから、旅団単位の数字などほんのちっぽけでしかない。

 ファリルの判断が一つでも間違う、いや、早かったり遅かったりするだけで、たくさんの人間が死ぬのだ。

 いや、既に大量の人間が死んでいる。

 だからといって、全ての国民が死に絶えたわけでもなく、その国民も死んでいいわけではない。

 気が遠くなる。

 それだけの人々の重さを背負える自信が、ファリルにはない。

「逃げられないんですよね」

「今更、逃げられたら困るんだよ」

 智機の瞳に僅かばかりの殺気が灯った。

「指導者どもが、不愉快な現実から逃げ続けた結果が、この有様なんだろうが」

 言い返せない指摘がファリルの臓腑をえぐる。

 翻ってみれば、隣国が突如として攻め込んできたという現実を大人たちは受け止めていなかった。それどころか、一部に至っては存在しないものとして発狂、イデオロギーに逃げて否定していた。

 その結果が、今の状態。

「チーム・アナコンダの騎体に告げる。持ち場を離れているぞ」

 突如、割り込んできた通信にファリルは救われる。もとい、ファリルの意識は現実に立ち返る。

「賭けをしようか」

「賭け?」

 戦闘中だという現実に、自動的にファリルの身体が硬くなる。

「ここで死ぬか生きるか。死んだらはいそれまで、この場を生き延びられたら、オレのいうように生きて貰う。簡単な話だ」

 一騎のクドネル国軍のEFが進路を塞ぐ形で現れた。

 パーティの再開に、智機の瞳は輝き、1人で笑みがこぼれた。

「しっかり捕まってろ」

 一方的にファリルに言うと智機は通信を開始した。

「アナコンダ4、了承した」

「了承したって、何……」

 通信をしながら智機はトリガーを引いている。味方であるはずの騎体が攻撃してくるとは思わず、行く手を塞いでいた騎体は何が起こったのか分からずに爆散した。

 混乱が伝染する。

 味方だと思いこんでいた騎体が前触れもなく発砲してきて僚騎たちを撃破したのだから、平静でいられるはずもない。予想外の事態に混乱が広がっていく。

「いいか見てろよ、お姫様」

 敵軍が動揺している中、ながら作業でEFを撃破しながら智機は言った。

「少しは真面目に戦争してやる」

 確かに敵軍は混乱している。

 けれど、あくまでも一時的なものであって智機の騎体を完全に敵だと認識すれば死んだ事すら気づかされないうちに始末される。突っ込んでいるのは一騎だけであり、数騎は倒したとしても200騎近い敵に囲まれているのだから。

 普通の人間なら死ぬ死なない以前に、このような状況に進んで身を置こうとは思わない。

 智機の視界に、幾筋ものの光が見える。


 視界を埋め尽くすほどの光の糸が走り、その糸は複雑な軌跡を描きながら智機に迫っていく。ただし、そのスピードは虫が這うほどに遅い。

 一騎だけならその動きを読むのは簡単。

 しかし、十や百の動きを同時に読めといわれたら、それは至難の業になる。一騎だけではなく多数の騎体の動きを計算し、刹那の時間で答えを出すのは至難ではなく無理といってもいい。

 実際、這ってくる無数の光を避けようとするたびに爆ぜるような痛みが脳に走る。

 一本でもそれなのに同時に数百本も来るのだから、並みのライダーなら比喩ではなく本当に脳が爆発する。

 しかし、智機は押さえつける。

 脳の爆発を外側から強引に押さえつける。

 永劫にも思える刹那の時間。

 智機の視界の中で光が弾けた。

 

 素人からすれば戦闘中のEFに同乗させられることほど恐ろしいことはない。スクリーンの外から無数の光芒が飛び込み、EFの巨体が頻繁に目前まで迫ってくるからだ。それは蟻が人間によって踏み潰されるのを知覚するのに等しい。それでいて自身ではどうすることもできないのだから、柱に括り付けられて火責め水攻めなどの拷問をフルコースで味わうようなものである。

 気がついたら、というより生物としての本能が狂気の世界への逃避を許してくれなくて、スクリーンに迫ってくるEFに気づくとファリルは反射的に目をつぶった。

 爆発による振動がコクピットに響き、瞼越しに閃光が走る。

 でも、ファリルは死んでいない。

 意識が消えていないことに気づいて、ゆっくりと瞼を開けるがこういう時に限ってEFが迫ってくるかビームライフルの光芒が飛んでくるかのどちらかなので瞼を閉じては小動物のように震えることを二度三度となく繰り返す。そのたびに恐怖の神がファリルの心臓を握り締めて揺さぶった。

 けれど、握りつぶすことはない。

 否、握りつぶせない。

 爆発音が轟き、騎体は揺れて閃光が瞼の上からでも容赦なくいたぶるが、何度繰り返してもファリルを殺すことができなかった。

 一思いに意識を消滅させてくれれば楽だったのかも知れない。

 生きられるという保障もなく、かといって死の世界にも連れて行ってくれない。どちらの世界にもいけず中途半端だから苦しいのに。

 でも、ファリルは生きている。

 死と恐怖をこの身で実感している。

 

 隣では生きようと一人の少年が格闘している。


 何故、自分たちが生きられるのかファリルにはわからない。

 さっきとは違い、今回は高速を出している。下に広がる景色が目にも留められない速度で流れ去っていた。ビームライフルの光芒がシャワーのように降りかかり、四方八方からEF達が殴りかかっている。

 文字通りの孤立無援。

 ドリフトを使うのならば一瞬で死ねる状況でも生き延びることは可能だが、智機はドリフトを使えない。

 ファリルにはどれくらい出ているのかわからないものの、凄まじい高速を出していることは間違いない。にもかかわらず痛覚神経を切断されたかのように伴うはずのGを感じないのは、ドリフトを搭乗者にかかる負荷を減殺するために使っているからだ。

 異なるドリフトを同時に発動させることは基本的にはできない。ライダーの意思を母体として発動するからで、運転中に携帯を使っていたら事故るのと同じである。

 智機がわざわざGを減殺するためにドリフトを使っているのは言うまでもないことであり、自分の存在が足かせになっていると思うと申し訳なく思う。

 もっとも、ファリルが死ねば負けが決まってしまうのだから、ファリルの命を最優先にするのが当然で、むしろ一対百の戦場に連れて行く智機の神経がおかしいのだが、ファリルは気づいていない。

 クドネルのライダー達がドリフトの使用をためらうはずがない。実際、5体や6体に分身して襲いかかる手練れもいる。

 とっくの昔に騎体ごと蒸発しているほうが自然なはずなのにファリル達は未だに生きている。

 それどころか攻撃しているはずのクドネルのEFが次々と撃破されている。

 ただ、逃げているはずなのにクドネルのEFが次々と爆発音と共に光の球に変わっていた。

 死神の代わりに、驚愕の神がファリルに舞い降りる。

 理解できない。

 生き続けていることさえも奇跡、というよりも悪意の偶然としか思えないにもかかわらず生きていて、敵を撃破しているというのが理解の範疇を超えていた。

 また至近距離で爆発が起きる。

 ……どんな魔法を使っているのか、智機に聞ける状況ではない。

 智機はあくまでも余裕を保っているように見えるが、素人目にもはっきりとわかるぐらいに激痛に襲われている。それでも、左右のスティックを動かし続けるのをやめない。数センチ程度の細かい動きで素人目には動かしているように見えないのだが、その代わりに回数が半端でないので両腕が痙攣しているように見える。

 ファリルには智機が何をしているのか理解できない。

 理解しようとして、ますます混迷が深まる。

 なぜなら智機は攻撃してないから。

 いくら智機といえど、数で圧倒されていて、騎体がそれほど優秀でもなく、ドリフトさえもつかないのだから攻撃を切り捨てて、移動と回避に集中しなければいけないのはわかるのだけど、攻撃もしていないのに、EFがバタバタと虫のように落ちていくのが理解できない。

 ただ、確実に言えることはひとつある。

 智機がすごいということ。

 戦闘よりも他のことに集中している態度でありながらも完勝することも凄ければ、無数のEFや飛び交う弾幕をギリギリのタイミングを見計らって潜り抜け、なおかつEFを撃破していく手管は神業の一言につきた。

 EFというのは奇跡の機械

 意思を触媒にして、周囲にある物質を自分の力として利用することによって要塞砲すらも防ぎきれたり、その要塞すらも一振りで粉砕できる件を作り出したといった具合に想像力次第で何でもできる。

 でも、便利なドリフトに頼るのは本当の奇跡ではない。

 奇跡というのはドリフトすらも凌駕したところにある。自分の技量だけでドリフトに勝てるのがこれこそ神業というものだろう。

 その証拠であるかのように、智機は笑っている。

 頭が割られるほどの激痛に苦しみながらも課せられた責任を放棄することなく、おびえることなく笑っている。獲物を駆るティラノザウルスを思わせるような不安にさせる笑みではあったけど、身体に重い負担をかけている苦しい状況であるにもかかわらず、楽しんでいることがわかる。

 痛いのに楽しめる、その神経がファリルには理解できない。

 その直後、ビームが被弾して激しく騎体が激しく揺さぶられる。

 ファリルは悲鳴を上げかけるが智機の表情を見て悲鳴でさえも凍りつく。

「…くっそたれが」

 騎体にも痛覚があるのなら、神経が智機ともつながっているような反応ではあったが激痛に悩まされているというよりは凄惨の一言につきる形相にファリルは恐怖を忘れて息を呑む。

 智機でさえも完璧ではない。

 ごめんなさい、と謝りかけたが智機の見つめただけで人が殺せそうなぐらいに鋭い眼差しに言葉が凍りつく。

 私がいるから智機は地獄に巻き込まれているのだと思ったけれど、すぐに間違いだと気づく。智機は強制ではなく自らの意思でこの地獄に踊りこんだのだ。苦しんでいるのにも自業自得でありファリルが責めを負うことはない。そうだと割り切れないのもまた事実ではあるが。

 意図はどうあれ、ファリルを生かすために戦っている智機にファリルは何をしてあげられるのだろう。何がためになるのだろう。

「大丈夫」

 地獄にありながら、目的を達成するために苦痛を強いられているのにもかかわらず、智機はファリルへの気遣いを忘れていない。

 ファリルはただ乗っているだけだというのに。

「負けるかよ」

 根拠はないけれど、力強い意思表示にファリルは何もかも忘れて安堵を覚えた。

 前方に3騎、上下左右から一騎ずつ、後方に3

騎と一気に攻め寄せてくる。

「騎体の反応が遅すぎて完全回避は不可能。とすると、多少の被弾なら受けたほうが妥当。問題は騎体へのダメージを正確に把握できるかどうか。しゃあない、やりたかないけれど同期するか」

 智機はあわてず騒がず、かといって冷静ではなく気楽な態度でスティックを激しく動かした。

 脳を破壊するほどの苦痛に晒されているにも関わらず、ファリルのことを気遣い、しかも敵騎を撃滅するなどきっちりと結果を出している智機。

「痛覚同期開始」


 ――そんな智機をファリルはかっこいいと思った。


「おいてめぇっ、ちゃんとよけ……」

「このへたくそがどこ狙ってやが……」

「くそがっっ、あたれあたれあたれあた……うがっっ」

「なんなんだよ、あのメネスっっ!! 中身は朱雀じゃねーかっっっ!!」

「相手は何者なんだっっ」

「ばかやろう、オレにあて…」

「この無能が!! 味方を殺す気か!! ちくしょうっっっ」

「レッズはこないのかよっっっ 肝心な時にぃぃいっっ!!」

 旗艦のブリッジ内にライダー達の断末魔の叫びが響きまくっていた。

 自分の存在が消えていくことを知覚せざるおえない恐怖よりも、怒りが先に立つそれは地獄の悪鬼どもが消えてゆく時の怨嗟の叫びのように消えていた。

 さきほどまでの試合が終了したような和やかな空気は掻き消えて、胃を締め付けるような恐慌と緊張がブリッジ内を支配していた。

 戦争の帰趨は前の戦で決まっており、今回の首都攻防戦も決定を確定に変換させるものに過ぎなかった。

 傭兵軍と国軍との混成艦隊は最後の抵抗を続けるシュナードラ国軍をあっさりと打ち払い、市内中心部も制圧。公宮にもEF隊がなだれ込み勝利は既に確定。そのまま公主一家の死亡が確認されて終了というのが見えてきた。

 IFF反応を発してきたEFが突如として味方に向かって発砲した時点でも確信は変わらなかった。狂ったか何かはわからないが不意打ちで倒せるのはせいぜい一騎か二騎、よっぽどの幸運があれば五騎といったところで一騎が暴れたところでたかが知れる。

 ……ほんの数分前までは。

「防衛ラインD突破!!」

 前方に配置してあった巡洋艦の前部を極太のビームが飲み込み爆発。残された後部も黒い煙を上げながら地面へと落下、その途上で爆発する。

 その有様を見ていた指令官がうめいた。

 1対多数の不利を物ともせず、本陣まで突っ込んでくるそれに恐怖を覚えるのはターゲットが指令官が座乗している旗艦にあるのは言うまでもないからである。

 普通なら、勝敗以前の問題。

 不意は撃たれたとしても数分で撃破されるだけなのににも関わらず防衛ラインを突破している。

 それどころか、戦艦からの猛烈な対空射撃と数個小隊のEFからの射撃に挟み込まれても、猛烈なシャワーを触れる触れないのギリギリのところで回避しきっていた。

 数センチ程度の変化で躱しているだけに、戦艦やライダー達の腕が悪くて当たられないかのように見える。

 そして、結果は最悪。

 EFのビームライフルから放たれた火線は一直線にターゲットが背景にしていた戦艦の側面に炸裂。大きな穴を穿ちながら次々と誘爆、EFもターゲットの身代わりとなって戦艦の対空砲火を浴び、怨嗟の叫びを上げながら次々と爆発していった。

 味方の誤射を浴びた戦艦も中間部を失い、残った前部と後部も地上に落ちて爆発する。

 常識では考えられない、あり得ないことが現実として起きている。

 そんなことが出来るのは……化け物。

 指令官は恐怖に心臓を鷲づかみにされている事をおくびにも出さないように勤めながらも指示を出す。

「全艦、対空砲撃を密にしつつ後退。EF隊も射撃中心でターゲットを攻撃。ただし、ドリフトは使うな。繰り返す、ドリフトは使用禁止だ」

 たかが一騎、しかも大国の精鋭騎でもない量産型の改良型に本気の逃走命令を下すのは屈辱ではあったが、留まっていれば殺られる危険が高いのも明白である。感情は置いておいて現実は現実として処理しなければ死ぬ。

 指令官は脳裏に赤いEFの姿を思い浮かべた。

 友軍である12騎のEFは指揮系統に問題があるとはいえ、シュナードラのEFと艦隊をそのEF達で屠っていた。指揮官やその他の傭兵部隊もそのEFをサポートするかあるいは見ているだけの簡単な作業だった。

 無数のシュナードラのEFを屠っていく連中はとても頼もしい存在だった。

 けれど、この戦場には赤いEF達はいない。

 その連中がいない現実が腹立たしく、そして、シュナードラの将兵たちが味わった絶望を今度は自分たちが味わされている現実に打ちのめされる。どう考えても目の前の敵は連中に匹敵するエースとしか思えなかったから。

「それとこちらに回線を回してくれたまえ」

「了解しました」

 オペレーターより通信回線が回されるのを確認すると指令官はマイクに向かって語りかける。

「アナコンダのライダーに告げる。何故、我々を攻撃する」

 相手はUMAといった化け物ではない。EFとそのライダーである。交渉で停戦できるのであればそれに越したことはない。

 スピーカーから機械的に嗄れたような声が流れた。変調を掛けているのだろう。音声だけで映像は流れてこない。

「我はアナコンダのライダーではない。シュナードラの兵士である」

 予想通りの反応である。

「なら我が軍に投降しろ。今なら貴官を捕虜ではなく客人として迎え入れる。クドネル共和国第二艦隊指令官セバスチャン・フリードリッヒの名で保証する」

「悪いが断る」

 クドネルに投降するつもりならば最初から戦いを仕掛けてはいない。

「貴官も分かっておろう。戦争は既に終わっておる。シュナードラは既に負けた。仮に我が艦を潰したところで本国艦隊など無数の戦力が控えている。貴官にはどれほどの戦力があるというのかね。そのメネスだけでレッズに対抗できるはずもなかろう。よって貴官の抵抗は無意味である」

 正論である。

 仮にこの場を切り抜けられたとしても、クドネルに与えられるダメージはほんの些細なものであり、蟻一匹が象の大群と戦うような世界が待っている。普通ならばそんな絶望的な状況を選びはしない。命を惜しむのは生命なら当たり前のことだからだ。

「いや、有害である。この戦いで我がクドネル共和国が勝利することによって戦争が終結するからだ。貴官の行為は無意味な殺害行為にすぎない。平和を愛するものなら今すぐ我々に降伏すべきだ」

「シュナードラの人民を殲滅して平和を歌うか」

「この星は我々クドネルの物。シュナードラなぞただの害虫にしかすぎん。害虫を駆除して何が悪い。当然のことだ」

 間が開いた。

 もちろん静寂が訪れたのではない。

 濃密な対空射撃とEFの射撃によるビームの雨を敵騎は小刻みなステップで、当たる当たらないのギリギリを見極めながら突き進み、この時になって始めて攻勢に出た。

 鳥の翼のように右腕を広げ、その手に握られたビームライフルからはビームが迸る。

 迸ったビームがそのまま射出されるのではなく、棒状に固定。そして、戦艦を飲み込むほどの巨大な刃になったのは敵騎がドリフトを発動させたからである。

 巨大な剣を煌めかせ、敵騎は前方にいる僚艦へと突っ込んでいく。

 僚艦は艦内に搭載されたEFからドリフトによって、防御フィールドを展開しつつ必死になって後退するが、もちろん敵騎から逃れるはずがない。

 巨大な光の刃がドリフトのフィールドをあっさりと粉砕し、戦艦の後方、エンジン部分に食い込んだ。

 敵機は戦艦と平行するように前進して行く。引きずった光の刃がその戦艦をバターのように引き裂きながら。

 敵機が通過し終えた後、遅れたように僚艦が爆発してその姿を光の球へと変えた。

「戦艦ブラックプール撃沈っ」

 オペレーターが平静さを装うとして半分は失敗しながら僚艦の撃沈を報告した後に再び敵機からの通信が入った。

「いいこと教えてやろう」

 声に掛けられたのは怒りかそれとも嘲笑か。変調が掛けられているので伝わらなかった、それはそれで幸いだったのかも知れない。

 敵騎は光の刃をしまうことなく、旗艦に一直線に突っ込んでくるからだ。

「他人をゴミ扱いする奴は、ゴミのように殺してもいいんだよ」

 敵騎は艦橋前面に広がっているスクリーンに迫るように大きくなる。

 騎種はメネス。ベストセラーのフォンセカのカスタマーで、装甲を強固にしだけの取るに足らない騎体なはずなのにレッズのEFや伝説の斉国製のEF群よりも凶悪に見えた。

 指令官のみならず、艦橋に入れる全員の表情が恐怖に染まる。

 EFや対空砲座の射撃は当たらない。

 後退しようにも間に合わない。

 そして、彼らは

「ゴミとして、死ね」

 運命に叩き潰される。


 首都シュナードラ、ヴィーキンギト地区。

 広大な森が展開する公園エリアに、あちこち被弾した痕が見える戦艦が着地していた。

 ハッチは開け放たれ、続々と焼け出された非難民たちが疲労困憊な様子で乗り込んでいく。

 その上空を三隻の巡洋艦と15騎ほどのEFが警戒している。戦争のまっただ中であるにも関わらず、空気が落ち着いていた。

 周りに敵影はいない。

「敵騎の騎影なし。避難民の収容続行しますか?」「続行してください。限界まで」

「了解しました」

 セシリア・ハイネンはCICでオペレーターからの報告を受けながら、思考している。

 胸が100はあると思えるぐらいに大きく、ボリュームと癖のある亜麻色の髪を膝ぐらいまで伸ばした、軍人というよりは、短大卒業したての優しい保母さんにしか見えない彼女が戦艦ロストックの指揮を執っている。理由は艦橋が破壊されたこと、副長が心臓発作で倒れたこと、そして、艦内で一番の人気を集めていた女性軍人だからである。

「艦長。いったいなにがおこっているのでしょうか?」

「…う~ん……」

 何度となく繰り返されるやりとり。

 敵に襲われる心配をすることなく、難民収容に専念できるのはパシラ地区にいる敵本体に異変が発生したからである。

 敵艦隊と直援の騎体群に入った敵の一騎が突如として、破壊行動に移り、敵は狂乱したとおぼしき騎体を破壊することができず、逆に次々と撃破される始末で、艦隊自体にも損害が出始めているというのが掴んだ情報だった。周辺に敵騎がいないのもそのアンノウンを破壊するためである。

 シュナードラ側からすれば一息つくことができたのだが、現時点では暴走した敵騎の正体を掴んでいないので、どうしてこんなことになったのかが分からない。

 それより、セシリアの最大の関心事は未来にある。

 一隻の戦艦と、3隻の巡洋艦と付随するEFと、戦艦に非難してきたたくさんの人々。

 これら全ての戦力がセシリアに集中しているのだが、それは集まってきた人々への責任を負ってしまったことを意味していた。

 今ならば首都を脱出するのは簡単だろう。

 問題はその先

 どこに逃げればいいのか、どうしたらいいのか分からない。

 初めて戦闘に参加して、成り行きで艦長になってしまい、意外にも才覚を発揮して、どうにか机下の将兵たちを生き延びさせていたが、その先の答えを導き出せずにいた。

 命さえ保証してくれるのであれば、降伏も視野に入る。

「陛下は?」

「わかりません」

 上位にいる人物に判断を委ねようにも居場所も生死さえもつかめていない。他人の人生を含めた全てを自身で決済しなければならない現実に、打ちのめされたかけた時、スクリーンに五騎の騎体が現われた。

「近衛騎士団の騎体です」

 CICの空気が一気に弾けたのも、プレッシャーに押し潰されてかけていたのはセシリアだけではなかったからである。

「こちら、近衛騎士団のブルーノ・ディバイン。艦長とお話がしたい」

「戦艦ロストック艦長代行を勤めます、セシリア・ハイネンです」

 スクリーンに映ったディバインは艦長の代行の若さに戸惑ったようだった。智機ほどでないにせよ、インパクトは大きい。

 しかし、表情が曇ったのはだいたいの事情を察したからなのだろう。艦橋部分の破損は一目で判別がつく。

「シュナードラ公国公女、ファリル姫様から全軍への命令を伝えます。アンカーを出しますので」

 セシリアは緊張する。アンカーを出すというのは傍受されないための秘密の会合を意味するから。そして、あまり表沙汰にはできない内容になる。

「了解しました。コネクターカバーオープン」

 ディバインの騎体とおぼしき騎体からアンカーが射出されると同時に、戦艦側もスリットが開閉し、アンカーが磁石で引き寄せられるかのように素早く接続される。

「まず、最初に陛下にならびにお妃様は崩御なされました」

 予想されたことだったとはいえ、敬愛する両陛下が亡くなったのだからCICの空気がまた重たくなる。

「現在の元首はファリル姫ですが姫様は現在、戦っておいでです」

 間が開き、少し遅れて事情が飲み込めるとCICにどよめきがおきた。

「姫様が戦ってって、どういうこと!?」

 セシリアも素に戻ってしまう。

「現在、姫様はパシラ地区で敵艦隊と交戦中。姫様の命令は可能な限り、戦力を集めてガルブレズに逃走せよ、とのことです」

 男性のCIC要員が叫んだ。

「パシラで暴れている敵騎って姫様なのか!?」

 CICに動揺が広がる。

 一番死んではいけない人物が、こともあろうか前線で戦っているのである。単騎で。

「どうして止めなかったんですか?」

 セシリアの言葉も当然である。足止め、もしくは囮要員はディバイン達の仕事であって、ファリルがやっていい仕事ではない。

 無茶にもほどがある。

 ファリルが死んでしまえば、終わりである。

「問題ない」

「なにが問題ないんですか」

 セシリアからすれば頭が痛い問題である。

 その一方でCICに詰めている要員の何人かはある事実に気づく。

「でも、状況を観察するにあたって、姫様は生きてますよね」

 そう、EF単騎で無数の敵に突っ込むという無茶なことをしているにも関わらず、逆に敵を蹴散らしている。

「普通だったらあっという間に殺されている」

「うちの姫様って無双できるタイプだったのか?」

「いや、絶対にそうは見えない。可愛いけど」

「諸君らの危惧はもっともであるが心配はいらない。むしろ、私と一緒にいるよりも生存率が高い」

 意味不明なディバインの言葉であったが、セシリアは突っ込む前にディバインの表情に気づいた。

 ……ディバインも呆れているのだ。

 今、目と鼻の先で行われている事象に。

「現在、姫様はカマラのマローダーによって守られている。よって、問題ない」

 事実が爆弾となって、CICで爆発した。

「カマラのマローダーって……あのほんとにカマラのマローダーなんですか?」

「本当にカマラのマローダーだ。カマラ人民民主主義共和国を勝利に導いた、あのマローダーだ」

 マローダーというのは略奪者という意味の言葉で、語感と意味のかっこよさからコールネームに使うライダーは後を絶たない。が、カマラのマローダーといえば、たった1人しかいない。

「……マジかよ。あの変態殺人鬼がうちに来たのかよ」

 それは悪意と軽蔑、そして恐怖を持って語られる名前。

「ひょっとして姫様。危なくない」

「食われるかもな」

「守られているじゃなくて人質にされているの間違いじゃないのか」

 その一言にCICの空気が固まる。

 そして、セシリアは見た。

 ヘルメット越しに、ディバインも固まって汗を1滴2滴垂らしていたのを。

 マローダーについては悪い話しか聞かないのだけど、問題はそこではない。

「その、マローダー…さんは信用していいんですか」

「マローダーがどのような思惑で、オレ達に味方しているのかは知らない。でも、マローダーがオレ達に味方して、ありとあらゆる手段で勝とうとしていることだけは確かだ」

 智機がクドネル側の人間ならば終わっているので、

 寝返る心配もない。

 今のシュナードラに裏切るだけの価値もないから。

「ありとあらゆる手段で……」

 その言葉が意味するところに、CICの空気が沈黙する。

 勝つためなら、外道という言葉でさえも生ぬるく思える所行さえもやる覚悟。

「マローダーは言っていた。希望があると」

「希望……?」

「オレ達はまだ負けてはいない。今からでも遅くはない。この戦いは…勝てる」

 誰もが負けると思っていた。

 絶望しかないのと思っていた。

 生きるか死ぬかではなく、いつ死ぬのかの問題かと諦めていた。

 それを否定する者がいた。

 詰んでるとしか思えないのに、それでも勝てるという奴がいた。

「そりゃ、勝てるでしょうね」

 オペレーターが呟いた。

「クドネルの首都に衛星でも隕石落として、住民ごと首脳陣を抹殺すれば勝てるでしょうね」

「そして、オレたちはあのバビ・ヤールみたいに全滅するんだ」

「いいかげんにしなさいっ」

怒鳴り声がCICの中に響いて、詰めている全ての人間が一点に向かう。

 セシリアが怒っていた。

「マローダー? だから、なに? 彼が初めて私たちを助けにきてくれたんだよ。経歴はどうあれ助けにきてくれた人なのに、感謝するどころかバカにするなんておかしい!! 恥を知りなさい」

 穏和だと思われていた人物の暴発以前に、正論であるためオペレーター達は一言も言い返すことができなかった。

 経歴はどうあれ、彼はシュナードラの人たちを救いに来てくれたのである。困難な仕事になるのを承知の上で。

 たった1人の救い主を歓迎するどころか嘲笑するのは、笑えないギャグでしかない。それこそ、シュナードラの民が救いに値しないことを証明していていた。

「なに贅沢ぬかしてんの」

 セシリアと歳が近い女性のオペレーターが捕捉を入れる。

「人格に問題がないとは言えないけど、マローダーは超一流のライダー。どれだけふっかけられたかわかったもんじゃないけど、本来なら頼んだって来てくれない存在。うちらはいつから偉くなったのかしら」

「私たちに勝てる可能性があると思ったから来たんでしょう。その超一流の傭兵が勝てるって言っているんだから、私たちは勝てる。助けに来てくれた人が頑張ってくれるのに、私たちが頑張らないのは間違ってる」

 セシリアの叱責と励ましによって白けていた空気が変わり始める。

 絶望から希望へ。

 熱気が高まり始めていた。

「へぇ~ やってくれるじゃん」

 捕捉を入れた女性オペレーターが、空気を読まずに口笛を吹いた。

「やってくれるって、どういうこと?」

「あっちの通信を傍受してみたところ、旗艦が落ちたって大騒ぎしている。やるねぇ、マローダー。いい仕事してくれる♪」

 一つ間が開いたあと、歓声が爆発した。


 空に一際大きい光の球が爆音と共に生まれ、それを構成していたものと一緒に消えていく様を彼らは眺めていた。

 戦艦一隻とEFが10騎の小規模な傭兵艦隊である。この空域にいて他の艦隊から攻撃を受けないということはクドネル側の艦隊には違いないのであるが、戦闘には関わらずに傍観している。

「これで本国艦隊は全滅か」

 リーダー格のライダーが戦艦のオペレーターから残ったクドネルの艦隊の一隻が落とされた事を知らせて呟いた。残っているのは傭兵艦隊のみである。それでも数は多くて戦闘を続行できる能力はあるが、クドネル艦隊を潰されて彼らを指揮できるものがいなくなった。頭がいなくてはどれだけ数があっても無意味である。

「この星はクドネルの物か。奴らの言葉は間違ってますね」

 部下のライダーが皮肉っぽく言った。

「この星を含めた全宇宙は陛下の物。それを知らぬ反逆者どもは星ごと駆除する……って本国の連中なら言いかねませんね」

「洒落にならないからやめろ」

 リーダーは苦笑してしまう。

「しかし、あのライダーは凄いですね」

「現在の被害は?」

 リーダーの求めに応じて、違う部下が答えた。

「戦艦3隻、巡洋艦5隻が撃沈。いずれもクドネル本国艦隊所属です。EFは50騎が撃破、35騎が大破しています。いずれも同士討ちです」

「同士討ちねえ」

 戦場での誤射は日常的に起こることであり、各軍はその対策に追われている。しかし、同士討ちで失われるのは5騎がせいぜいといったところだ。同士討ちはあくまでも偶然の産物だからである。それが50騎にものぼるということは偶然ではなく必然である。もちろん、同士討ちしたもの同士が狙っていたということはあり得ない。

 ――つまり、ターゲットである敵騎が誤射を意図的に誘発させたということ。

「ちゃんとデータはとれているか?」

「ばっちりです。ただ、見終わったら気持ち悪くなるかも知れません」

 狙われた敵騎が相手の機動を読み、緻密なポジション取りすることによって同士討ちを誘発させる。具体的に言えば味方Aが撃ったビームが外れ、代わりにに射線の先にいた味方Bに当たる、この業界では攻撃的回避と呼ばれる高等テクニックである。相手の攻撃をギリギリのところで躱しつつ、その攻撃を近くにいる相手の友軍に命中させるのには最低でも相手と相手の友達、つまり二騎以上の動きを読むのが前提となる。相当な実力差が無ければ読む事は難しく、カウンターで自身の攻撃を当てるのはまだしも相手の攻撃を相手の友達に当てるのは至難といってもいい。

 しかも、1対10なら何とかなるかも知れないが今回のケースは1対100以上の戦力差である。

 リーダーは100騎以上の騎体の動きを全て読み、なおかつコンマ単位の世界で的確な行動が取れるのかどうか自問する。読んだだけではダメで予測を行動に反映させなければならないのだが、この戦力差では数ミクロンでも行動が早かったり遅かったり、座標が狂っていたら死んでいる。

 ドリフトという手もあるが、ドリフトはライダーに負担をかける。加速する、攻撃を増幅させるのとは違い、脳の処理能力を増大する方向にドリフトすることになるので負担がより重くなる。これだけの戦力差でドリフトをかけるのは自殺行為といってもいい。脳が爆発することになる。

 背筋に冷たさが走る。

 ……自分にはこのような常軌を逸した真似ができない。

「よりによって、とんでもない化け物が来ちゃいましたね」

 ゲームに例えるなら、激戦の果てにアイテムもMPも気力も使い切り、ヒットポイントも一桁代に減らされた激闘の末にラスボスとの戦いに勝利して、いざエンディングといったところで、更なるラスボスが来たようなものである。

 退屈な任務に予想外な出来事が起きたことに喜ぶというよりは憂鬱になるところではあるが桁外れの実力差に部下Aとしては失笑するしかない。

 一方、部下達は正体不明の敵騎について雑談をしている。

「レッズとどっちが上なんだろう」

「どう考えてもこいつだろ。乗っている騎体がヘボくて助かったぜ」

「っていうか、あれってアナコンダの騎体だよな。まさか、アナコンダのライダーな訳……ないよな」

「なら裏切るタイミングが遅すぎるだろ」

「いくら奴らでもサボることはありえないから……」

「途中までは楽勝モードだったんだから、戦闘よりもレイプに夢中になることもありえるだろ」

「それは妄想の飛躍じゃないのか」

「オレだって無理があるのは重々承知している」

 メネスが強奪された経緯を知ったら、彼らはそのありえなさに絶句していただろう。アナコンダのライダーが仕事をサボって女子供を強姦することを優先してしまい、騎体を放置することになって乗り逃げされたというほうがまだ説得力がある。

「いい加減、現実から逃げるのはやめたらどうだ」

 リーダーが部下達の雑談に加わった。

「現実って……やっぱり、あのライダー。本当にカマラのマローダーなんですかね」

 ライダーの正体はシュナードラ軍の通信を傍受すれば容易に知ることができた。ある時期からそのライダーのコールネームを連呼するようになったからである。

 そのライダーが本物なのか、偽物なのは断定することはできない。

 本物のマローダーなら、EF操縦のみならず部隊指揮にも定評があるが、そのライダーは単独で行動しているので指揮官としての力量は見えない。

 もっとも、シュナードラ軍のライダーとのレベル差がありすぎるので、あえて単独行動しているのかもしれない。

「相手がマローダーであるかどうかは問題ではない。操縦においてマローダーに比肩すると思われる力量があることが問題なんだ」

 戦争は名前で勝てるほど甘くはない。

 相手が本物なのか偽物なのかは関係なく、否定しようが逃げようが、マローダーレベルと推察されるライダーが敵側に参戦してきた事実が問題なのだ。

「……考えてみれば、マローダーとは目の付け所がいいですね」

 マローダーだと仮定すれば階級は大尉。

 カマラ戦の働きぶりからすれば将官待遇されてもおかしくなく、平時であってもシュナードラのような小国の総司令を務めても不自然ではないにも関わらず、査定が低いのは、そのカマラ戦が異常な形で終わったため、傭兵ギルドとしても評価が難しいからである。 大尉というのも、一応は功績を挙げたからで暫定的なものに過ぎない。

 傭兵ライダーの格付けは傭兵ギルドが行い、その格付けに従って雇用主が報酬を定めるという取り決めになっている。ただし、格付けと実際の能力の釣り合いがとれているかどうかについては疑問視されており、マローダーはその好例だといえた。

 つまり、将官クラスの一流を比較的、格安な報酬で使えるということである。その意味ではまさにマローダーはお買い得物件だとも言えた。

「でも、平気なんですかね」

 傭兵ギルドがマローダーを評価しきれていない、もう一つの理由は査定が完了する前に実戦に出ているからでもある。

 実はカマラ戦が終結してから1月しか経っていない。

 戦の規模に応じて、ライダーには休養が必要だというのがこの業界の常識である。カマラ戦はその激戦ぶりから最低でも3ヶ月の休養は必要と裁定されていた。

「クルタ・カプスでも、2週間後にカマラだからな」

「元気ですね」

 戦の規模や凄惨さに応じて休養が必要なのは、それだけ消耗が激しいからである。特にライダーはドラフトを多用する都合上、精神の消耗が激しいため適切な休養を取らなければ、そう遠くない未来に廃人かドリフトアウトかの末路を迎えることとなる。

 それ以前に普通のライダーならば、ある程度の日数を置かなければ疲労で戦いにはいけない。

 にも関わらず、マローダーは間をおかずに戦場に立った。

「そうかな?」

 その事は、必ずしも健康であるとはいえない。

 いくらマローダーとはいえ、心身へのダメージは免れず、明らかに回復しているとは思えない。完全な健康状態の時よりも死のリスクが高まっているにも関わらず戦場に出るのは、心身が消耗している事に気づいていないか、あるいは消耗よりも闘争本能が上回ってしまっているのか、恐らくはその両方だろう。

 そのような状態は健康だとは決していえない。事実、その手の戦闘狂は戦死かドリフトエンドのどちらでロクな末路を迎えない。

「よくやる気になったよな。勝ち目がないのに」

「いや、勝ち目ならあるんじゃないのか?」

「確かに…そこまでシュナードラは憎まれてませんからね」

「落とす衛星もないというのに」

「……しっかし、素直に末期色に入ればいいものを」

「変態とは思われたくなかったんだろうよ」

「ちげぇねえや」

 仲間のぼやきに苦笑がわき上がる。

「しかし、妙ですよね」

 マローダーを追っている部下が口を挟んできた。

「何故、マローダーはドリフトを使わないのでしょうか?」

「自慢したいからじゃないのか?」

「お前みたいな芸人じゃないから」

 ノリツッコミが入るが、その部下は冷静に言葉を選んだ。

「正確に言えばドリフトを使用しています。ただし、ライダーにかかるGを軽減させるためにです」

 使用不可と同じである。Gへの耐性がなければライダーはつとまらない。

 EF戦においてはドリフトが使えないというのは死んだも同じ。それでも勝てるのが化け物であり、マローダーもその眷属という事ができる。この兵力差で攻撃的回避という成層圏から裸で飛び降りるような真似をしているのはパフォーマンスではなく、それがドリフトに対抗できる唯一の選択だからだ。数十手先の敵の機動を読めるのはドリフトではなく経験と才能がなせる技で、攻撃と防御で同時にドリフトするのは至難だから意図的に誤爆を起こさせるというのは極めて有効である。

 友軍が敵になるなんて読めない。しかも、

 敵の動きを読み、初動が遅れているにも関わらず相手よりも先んずる、いわゆる後の先をマローダーが有効に使えていることは意外ではあったが、それがトップライダーである。けれど、ドリフトが使えていればもっと楽に戦闘が出来ているのも事実である。

 ドリフトを操縦者のG軽減に使っている理由。可能性があるとすれば一つである。

「……まさか、本当に姫様を乗せているのか」

 それはGに耐えられない同乗者がいるということ。

「アナコンダって、確か王宮付近に行ってたよな」

「そういえばそうだ…な」

 空気が急速に熱を帯びてくる。

 同乗者がVIPであるのならば、マローダーを落とすことによって戦争を終結させることができる。それを考えればマローダーが暴れるのも灯火が消える前の最後のあがきにしかすぎない。

 洞察が当たっているのだとすれば、バカなら何も考えずに突っ込んでくるだろう。マローダーの搭乗するメネスは無傷ではない。あちらこちらにビームの擦過痕がついている。ライダーの技量に騎体がついていけていないのだ。加えて同乗者の存在も激しい機動を行う上での足かせになっている。倒すには絶好の機会……というよりこれを逃したらあり得ないというほどのチャンスのように見えてくる。

 けれど、それで落とせるようであれば苦労はしない。

 マローダーからすればピンチではあるが逆境を力に変えてみせるのが一流である。今だってそうだ。1対100という無茶な戦闘バランスであるにも関わらず圧倒している。

 リスクと効果を天秤にかけているところにメインチャンネルから音声が流れてきた。

 か細い女の子の声だった。


「武器を捨てましょう」

 とその人はいった。

「軍隊なんていりません。武器を持つ手を優しさに変えればこの世界は平和になるのです。武器の代わりに愛を説きましょう。相手は人間、私たちの想いが彼らに伝わり、彼らも武器を捨ててくれるはずです。さあ、その一歩、素晴らしい一歩を踏み出しましょう」

 ……でも、その言葉が戯れ言だというのは眼下に広がる無残にも破壊された大地を見れば分かる。

 ある人はいった。

「この星は我々クドネルの物。シュナードラなぞただの害虫にしかすぎん。害虫を駆除して何が悪い。当然のことだ」

 そして、ある人は言う。

「ゴミとして死ね」


「納得してない、っていう顔をしている」

 智機に指摘されてファリルは我に帰る。

 どんな顔をすればいいのか迷った。

「……ゴミのように死ねって、ひどすぎます」

 取り繕ったところで智機に見透かされてのが明白なので、正直に言った。

 どうせ、智機のことだから嘲笑うのだろう。

 殺される側が、害虫と呼んだ敵を同情、心配するのはファリルとしてもおかしいと思う。

「ファリルの言いたいことも分からないでもない」

 意外だった。

「人っていうのは色々、賢い奴もいればバカな奴もいるし、優しい奴もいれば冷酷な奴もいる、善人もいれば外道もいて、人を大切に思う奴もいれば、ゴミとしか思っていない奴もいる。ファリルはいいご両親に恵まれたみたいだから、人をゴミみたいに扱うオレに不快感を持つのも理解できなくもない」

 智機は言う。

「人をゴミと思ってもいい、その代わり、他人からゴミと思われることも覚悟しなければならない」

「人を傷つけるのなら、人から傷つけられても文句は言えない」

「それが戦場の仁義っていう奴かな。目的達成のため、殺すために進んで戦場に出ているんだから殺されたって文句はいえない。でも、それならまだいいんだ」

 智機がファリルから見て、非常に恐ろしい存在になる。

「あいつらはオレ達を見下していた。自分は他人を好き勝手に中傷していいが、他人が事実を指摘するのは許さない。そんな奴に生きる資格なんてないだろ」

 恐らく、智機にゴミのように殺されたあの艦隊指令官は、自分たちもゴミだという自覚も覚悟もなかったのだろう。

 ファリルには言い返せない。

 世界は善意に満ちあふれてはいない。

 無償の善意なんてさらけ出してしまったが最後、自分たちのことしか考えていない連中に骨までしゃぶられることになる。こういう善意のことを語る連中というのは人間というのが動物の一種だということを忘れているのだ。動物というのは目先の欲を満たすためだけに生きているものであり、そして、弱肉強食、弱者は強者に頭の先から爪先までがりがりと食われて栄養分として吸収されない分を糞尿という形で排泄されるのが現実である。

 人間としての見えや外聞がかなぐり捨て去られ、弱いものは強いものの餌になる動物の論理が横行する世界でファリルはどのように生きたらいいのか迷う。

 それこそ、死の世界に走っていってもいい。

 死んでしまえば、これ以上は何も感じなくても済む。生きていれば刺されるように痛いようなことも気にせずに済む。

 そして、側にいる智機の操縦を軽く邪魔するだけで願いは叶えられる。智機が凄いライダーであることはわかるが、同時に針の上で片足立ちしているような危ういバランスを保ちながらの操縦であることも分かる。

 しかし、敵戦艦を落としてから攻撃が落ち着いてきたような気がするのは何故なのだろう。

「そりゃ、1騎なのに全然落とせなくて逆に旗艦が落とされているんだから、慎重になるのも当然だろ」

「そういうもの……なのでしょうか?」

「斉でトップ張れる連中なら、一掃できてる」

 智機だったら斉でもトップは張れるのではないかと思う。できない理由は本人の資質よりも騎体の性能だろう。

 智機の反応に騎体がついていけてないのだ。

 斉の騎士団で使われている騎体に智機が乗ったらどういうことになるのか想像してみる。

 それはとても恐ろしいことなのだろう。

「お身体のほうは大丈夫なんですか?」

「どうして?」

「先ほど、痛覚同期とかって言ってませんでした?」

「ああ、言ったっけな。そんなこと」

 いくら素人であったとしても、智機が戦闘中に行っていた言葉は理解できる。

「スティックを通して、オレはこいつの痛覚とリンクしている」

 あまりにも自然な口調だったので、ファリルは聞き流してしまいそうになった。

「リンク?」

「姫様にも理解できているとは思うが、こいつはオレの反応についてこれない。完全に回避するのは無理そうだから、ある程度はダメージを許容するつもりだけど、そのためには装甲の耐久度を知る必要がある。つまり、EFとリンクしたほうが手っ取り早い」

 騎体のデータはモニタに表示されているが、戦場では見る前と見た後では状況が激変している。せっかく認識したデータが過去のものとして役に立たないのだ。視覚で認識するというステップを挟むというよりも、EFと感覚を同期させたほうが早く認識することができる。

「それって痛いのでは…」

「痛いよ」

 智機はサラっと言ったけれど痛覚を同期させるということはEFが受けたダメージが智機にも伝わるということでもある。実際に智機の身体にもダメージを受けたり、下手をすれば死ぬこともあり得るが本人は至って平然としている。

「成層圏から、生身で突き落とされることに比べれば平気だから」

 そういう問題ではない。

 ファリルは聞かなければよかったと思った。

 敵も迂闊に攻撃することができなくなって、かといって智機から行動を起こすこともないという膠着した時間の中で智機は言った。

「姫様。演説をお願いします」

「え、えんぜつですか?」

 たくさんの人の前で自分の意志を表明することなんてやった事がないだけに戸惑ってしまう。

「望んだことではないとはいえ姫様は王なんだから、王には終わらせるケジメがあるだろ?」

「そ、そうですよね……」

 智機の言っている意味は分かる。ファリルは公女だからだ。そして、両親が死んでしまった今は最高権力者なのである。実体はなくても。

「封筒の裏に草稿をメモっておいたから、それを参考に」

「はぁ……」

 やる気というよりも大勢の人を前に喋るというプレッシャーに打ちのめされるが拒否することもできず、仕方なくファリルは封筒の裏を見た。

 そこに書いてあるのは草稿ではなかった。

 短い時間で戦闘をしているのに完璧な草稿を書けというのは無茶であるが、書いてあるのはプロット程度のメモ書きではなかった。


「好きなこと、思ったことを自由に喋れ

 後戻りはできないが、全力でサポートしてやる

 ただし、金の切れ目が縁の切れ目という言葉を

 忘れるな」


 自由に話せというのが難しい。

 これが指定されていれば指定された通りに話せばよかった。それが自分の運命を決めるものであっても従うつもりだった。その方が楽だったから。

 しかし、智機は自分の意志で動けと言っている。安易に時勢に流されることを許しはしない。

 なんていう人なんだろうと思う。

 ファリルはこれからに思い巡らせる。

 どんなことを目指していても怖いことは怖い。それはビルの屋上から何も見えない闇の中に飛び込むようなものだ。

 足がすくむ。

 でも、飛び出せないことはなかった。

 ファリルは1人ではないから。

 側に智機がいる。

 周り見渡しても敵ばかりで四方八方からビームのシャワーを浴び続けていても生存し続けている事実がとっても心強かった。

 だから、怖くない。

 彼が助けてくれるといったから。

 それは何よりも勝る力となる。

 ファリルは言いたいことを頭の中で簡単にまとめるとおすおずと口を開いた。

 智機がドリフトでメッセージを増幅させる。


「は、初めまして。シュナードラ公国公女、ファリル・ディス・シュナードラです。敵の人も味方の人もき、聞いてください。よ、よろしくお願いします」

 演説している途中に襲撃という事はない。手詰まりになっているだけに取りあえずは聞いてやろうということなのだろう。

「まず最初にこの戦争で亡くなった人々に哀悼の意を捧げます。シュナードラの人たちもそうですがクドネルの人たちもそうです。やっぱり人が死んじゃうのは悲しいです」

 シュナードラはともかくクドネルの人たちにまで哀悼を捧げたら、シュナードラの人々に怒られるかなと思ったけれど、両親のことを思い出したらどうでもよくなった。やっぱり人が死んだら悲しい。当人だけはなく、家族にとっては永遠に埋めようのない空虚を抱いて苦しむことになる。痛いのだから、そのような苦しみを他人に与えたくはない。

「やっぱり戦争はだめです。いけないと思います。ダメだと思います」

 ファリルは拳をぐっと握りしめる。

 戦争はなくなってほしい。

 大切な人たちがなくなってしまうのだから。

 でも、口で言ったらといって戦争がなくなるわけではない。

 智機は鼻で笑っているのだろうか?

 表情では分からない。

 智機という人物はよく分からないのだけど修羅場を潜り抜けるテクニックと時折見せる凄みのある笑みから地獄を渡り歩いてきたことだけは分かる。

 今の惨状のまっただ中に居れば首相の言っていることなんてただの戯言に過ぎなかった。言葉は綺麗だけど現実が伴っていないから理想というのは美しく聞こえるのだ。

 だから、智機は恐ろしく写るのだろう。

 ファリルは生きている。

 夢とか空想の世界ではなく、この現実の中で。

「でも、平和のために一つを民族を滅ぼせというのは間違っています。同じ人間ならわかり合えるはずなのにどうして殺し合わなければいけないのでしょうか。だから、私たちは戦います。話し合い、みんなが分かってくれるその時まで、私たちは決して諦めません!!」

 ファリルは勢いに任せていいきると、そのまま俯いた。

 顔が赤く染まっている。心臓が熱く、いつもの何倍よりも早く鼓動している。

 締め付けられるように痛くなった。

 悪い子だとファリルは自己嫌悪に刈られる。

 戦争が終わることが望みであるのならばここで降伏したほうがいい。自国民にどのような惨禍が降りかかる分からないが戦争を忌避しながら、戦争を続行をするというのは矛盾しているような気がした。

 それ以前に今言ったことは全て嘘っぱち。

 本当はただ、智機を見たかっただけ。

 智機が飄々とした態度でその実は悪魔のように笑い、炎と硝煙の煙がたなびく世界に降り立って何処に向かうのか、過程の中で何を生み出し、何を壊し、無慈悲なまでの暴力で敵も味方も善人も悪人も区別もなく殲滅した果てにどんな世界が広がるのかこの目で見たかった。

 ……いや、そこまで鬼畜ではないとは思う。

 いずれにせよ、ファリルには希望が生まれていた。

 捕まることは地獄。

 生きていくことも地獄。

 かといって、死ぬこともできないのだから生きるしかない。

 この世界には優しかった両親はもう、いない。

 でも、生きていける。歩いていける。

 寂しくないといえば嘘になるし、怖くないともいえば嘘になる。

 何故なら、この先も戦争による犠牲者を増やし続ける道を選んだのだから。

 そう、この手は智機と同じように血にまみれることになる。直接、殺すことがないとはいえ、殺すよう命令するのだから人殺しと同じ。ファリルはこれから業を背負って生きていくことになる。なぜならばそれが姫の、いや王が負うべき責任なのだから。

 小さな肩に背負わされた重い業。ひょっとしたら生き続けることよりもここで死んだほうがよかったのかも知れない。

 目眩がする。

 でも、死ぬには死ぬで勇気がいる。

 たとえ、その生が血塗られたものであったとしても生きたかった。ファリルが何を望んでいるのかは自分でも分かってはいないけれど、少なくても望まない生き方や死を強いられられたくはなかった。

 殺すことでしか生きられないというのであれば、それでも生きてみたいとファリルは思った。

 智機が自分にどんな評価を下すのかファリルとしては気になるが恥ずかしさで死にそうなる。

 おそらく智機の評価は最低だろう。少なくても為政者としては最低ランクだとファリルは思っているから、自分の言っていることは支離滅裂で地獄を生き延びてきた智機からすれば歯牙に掛けないか、嘲笑されるのがオチだろうと思ってきた。

 それだけに智機が頭を乱暴に撫でてきたのは予想外だった。

「よくやった」

 しかも、合格点は取れたといわんばかりにねぎらってくるのは埒外だ。

「上出来だ」

 智機の何処の琴線をくすぐったのかは知らないが、とにかく褒められたことにファリルは嬉しくなった。しかし、図に乗るなといわんばかりに肩を叩かれる。

「……わかっているよな」

 もう、死ぬなんて言えない。

 智機が言ったように後戻りはできない。

 死んだほうがマシな厳しい旅が待っているが、それでも進まなければいけない。

 怖いといえば怖い。

「はい」

 でも、歩いていける。

 1人ではないから。

「でもさ、生きようと思った時に限ってあっさりと死ぬんだよな」

「そんな縁起でもないこと言わないでくださいっっ!!」


「やっぱり戦争はダメです、か」

 他の傭兵たちが勢い勇んでマローダーに向かって突っ込んでいくのを遠巻き見ている傭兵団のうちの1人のライダーが呟いた。

「それなのに戦争を続ける、なんて鬼畜な姫様なんでしょうね」

「言ってやるなよ、それは」

 ファリルの言っていることは矛盾だらけなのかも知れないが、かといって人の心を引きつけないというわけではない。人というのは矛盾の塊だからだ。

「人が死んじまうのは悲しい、か」

 傭兵といえど彼らも人の子である。

「そういやお前に家族はいたっけ?」

「妻や子供がいたけどみな死んだ。お前は?」

「……故郷にお袋がいるけどあんまりいい想い出なんてないな。あったらこんな因業な商売なんてやってないだろ」

「でも、おまえの心はオレの心。オレの心はこう叫ぶ。親孝行してえと」

「バカいってんじゃねえよ。戦場を忘れちまうところだったじゃないか」

 彼らにだって親兄弟はいて、人によっては妻や恋人、子供もいる。彼らは家族の存在を思い出されては、愛しき人々から遠く離れた場所にいるという事実を再認識させられていた。

 好んで修羅の道に入ったとはいえ家族を想う気持ちは残っているだけにファリルの言葉は忘れかけた、意図的に忘れようとしていた感情を刺激されていた。それは傷口にナイフを突き立てられたようなものである。でも、痛いよりは懐かしかった。

 彼女は敵の味方の区別もなく死者を悼んでいた。

 懐かしいからこそ、心地よいからこそ封印していた。

 言っていることは矛盾ばかりで指導者としては稚拙なのかも知れないが、人としての純粋な想いが籠もった言葉であるだけに政治家の言葉よりも心を揺さぶった。

 それだけに複雑だった。

「オレ、シュナードラに寝返っちゃおっかな」

「下らない冗談はよせよな」

「バレたか」

「でも、その気持ちはわかる。有権者としては何処の国の総統よりなんかよりも姫君のほうに票を入れる」

「オレもだ」

「てめぇと気が合うなんて……こりゃ、死ぬかな」

「なんだと、てめぇ」

 彼らはファリルを殺さなくてはならない立場にある。雇い主よりも遙かに好感を持てる存在を消滅しなくてはいけないので気分は複雑だった。もっとも、やれといえばやれるのが傭兵というものであり、戦い終わって酒飲めば綺麗さっぱりと忘れることできる程度の複雑さではあったが。

 しかし、姫を殺すのは重い障害が立ちふさがっている。

「リーダーはどう思います?」

 一時は意気消沈したクドネル側ではあったが、相手騎体に姫が乗っていると分かっては掌を返したがごとく息を吹き返して再度、マローダーを責め立てていた。

 相手はたかが一騎。しかも、傷ついた量産型。

「……倒せるわけないだろ」

「自分もそう思います」

 その程度で倒せるのなら突っ込んだ時点で消滅している。さんざんかき回されたあげくに旗艦が撃沈されるという阿呆な事態になってない。

 相手は200騎以上の騎体や艦艇、無限に近いほどの量のビームの軌跡を全て読み切って、自らの手を汚さずに多数の騎体を落とした化け物なのである。

 あちこちに損傷が見られ、ドリフトが使えないとはいえ、だからといって殺れる相手とは思えなかった。

「どうします? 撤退しますか?」

 指令系統は全滅に近いのだから独断で撤退しても問題になる事はない。しかし、リーダーは首を横に振った。

「戦わずして退くことは陛下がお許しになるまい」

「下手したら一族もろとも死刑ですからね」

「軽く突くだけでいい。スズメバチに刺されて死ぬなよ」

 戦いが終わらないことが確定した以上、彼らは敵となるマローダーの力を計らなくてはいけない。これまで遠くからマローダーの戦いぶりを観察してきた彼らではあったが、見ているだけでは分からないこともある。森の中で素手だけでヒグマと戦うような危険を冒してでも確かめなくてはいけない彼らだった。

「了解っと」

 部下達の間で軽く笑い声が起きる。


 ある部下がリーダーに向かって言った。

「具申したい事があります」

「なんだ? 言ってみろ」

「小官はマローダーを攻撃するよりも、残存勢力を叩いたほうがいいと思いますが」

 それはリーダーも思っていたことだった。

 マローダーが危険を冒してまで単騎突撃しているのは、自らを囮にすることによって友軍を一騎一隻でも逃すことにあるのは言うまでもない。

 その目論見は成功しており、マローダーにひっかき回されて注意を公国軍残存兵力に向けられないでいる。指令系統を破壊されて、残りの傭兵部隊は功名に逸っていて、残存兵力を叩こうという物好きはいないだろう。

 ただし、戦局全体を見れば残存兵力を潰しておいたほうがいい。たとえマローダーとはいえたった一騎で戦争を行うのは不可能だからだ。

 数が多いとはいえ、マローダーに比べれば蚊以下の強さしか持っていない公国軍残存兵力を叩くほうが気が楽である。

「言っただろ。軽く突くだけでよいと」

 リーダーは拒絶する。

「我々に与えられた任務は共和国を勝たせることではない。無益な戦闘で無駄に死ぬこともあるまい」

「分かりました」

 部下が了解したのを見て、リーダーは付け加えた。

「それに公国軍を甘く見るな」

「奴らをですか?」

 部下の口調が呆れたものになるのは、ひいき目に見ても公国軍が弱すぎたからである。赤ん坊に殺されるかも知れないからと注意されて呆れるのも無理はないが、リーダーは真剣だった。

「計算できない力こそ、怖い物はないよ」


 戦局がひとまず落ち着いたところで、ディバインは集合した兵力を把握してみた。

 集結させた戦力はEFが40騎と戦艦が一隻に巡洋艦が3隻。船は中破レベルのダメージを負っている。一個艦隊にも満たない戦力ではあるが数十分前の状況を考えるとこれでも集められた方だろう。

 それというのも智機の暴れっぷりが凄まじいからだ。たった一騎で敵旗艦を撃滅するなど大混乱に陥れていて、その結果、シュナードラ各軍への警戒が緩くなっていた。

「……わかっちゃいたけどすげーよな。代行殿は」

 詳しいことは傭兵団よりも把握していないが、悲鳴よりも味方の無能ぶりを罵る怨嗟と激怒に満ちあふれた敵軍の通信を傍受していれば智機がどんなことをしでかしたのか理解できる。シュナードラの兵が練度不足だとはいえ流石に誤射誤爆の異常なまでの多さを偶然の一言で片付けるアホはいない。

 誤射を偶然ではなく意図的に発生させる。

 それも無数の敵相手にやれるのは大国のエースぐらいだろう。少なくてもディバイン自身には無理という自覚がある。

 一歩、いや数ミリ歩間違えただけでも死ぬプレッシャーの中で躊躇いもなく行える智機の神経が信じられない。

 それだけに智機が騎士たちを邪魔だと言ったことも理解できる。

 智機の戦術は視界に広がる物全てを攻撃対象にする事によって成立するもので、そこに撃破されてはいけない友軍機を混ぜたら敵の攻撃を敵友軍機に当てるという処理に加えて、味方機には当てないという処理も強いることになる。智機ならば友軍機の存在を計算に入れられるのかも知れないが、本来なら必要のない無駄な負荷をかけることになってしまい、オーバーフローを起こして落とされることになる。また、智機が処理しきれたとしてもシュナードラのライダー達の技術が卓越しているわけではないので落ちたら元もこない。

 攪乱は智機に任せて、残りは集結に勤めるという戦術は今のところ上手くいっている。

 クドネルの旗艦は落とされ、現在は雇用された傭兵艦隊が好き勝手に戦闘行為を継続している。彼らはファリルの乗った智機騎を落とすことに集中している。シュナードラ艦隊は眼中にないので今ならば逃げられるだろう。

 でも、ディバインの心にファリルの声が響いている。

 幼児のようにたどたどしい口調だけど、一生懸命に世界に向かって自身の決意を伝えていたファリルの声が良心を刺激している。

「騎士団長殿、大隊長。済まない」

 親友であるヒューザーが珍しくシリアスな表情をしていた。

「ハルドレイヒ卿。何処へいくつもりだ」

「代行殿から副団長なんていうものを拝命したわけなんだけど、そういうのってやっぱ僕の柄じゃないや」

 ヒューザーは笑っている。表向きには。

「王国騎士ハルドレイヒ・ヒューザーはこれより代行殿の支援に参ります」

 それは死地に向かうことである。

 智機ほどの腕前もないのに一騎で突っ込むのは自殺行為でしかないのだが、ヒューザーはいつものように爽やかだった。

「ハルドレイヒ卿。どういうつもりだ」

「どうもこうもないでしょう。代行殿がたくさんの敵を相手に戦っている。なのにオレ達は……」

「代行殿の命令は戦力を可能な限り保持して撤退する事にある。卿も貴重な戦力だ。勝手は許さない」

「バカ者っっっっ!!」

 ノヴォトニーが一喝した。

「我らはなんぞや」

 立場はディバインが上なのだが、数時間前では上官であった人物の迫力にディバインは押されてしまう。

「我らは騎士であります」

「騎士の務めとはなんぞや」

「騎士は公家の剣でもあり盾でもあります。公王が手を振り上げられば先陣を切って突っ込む者であり、退かれる時には身を挺して守るものであります」

「その公王は何処におられる」

 戦場をまっただ中にいる。

「本来ならば我らが盾となって逃がさなければならぬのに、実際には安全地帯にある。公王を危険に晒しておきながら惰眠を貪るとは何たる恥辱ぞ」

「しかも、その公王を守っているのが、よりにもよってカマラの殺人鬼だからねえ。僕らは首くくって腹切るしかないよね」

 2人の言うように、本来ならファリルを近衛として守護すべきなのに戦場に置き去りにした形になり、自分たちは安全地帯にいるのだから面目丸つぶれである。ヒューザーの言うように全員自決せねばならないほどの恥だろう。全員が騎士団員というわけではないが公家に忠誠を誓っているのは全員同じだ。

「去りたい奴は去れ。儂は姫様を助けに向かう。あの若造に大きい面をさせてたまるか」

「……まさか、大隊長殿と意見が合うとは思わなかったっす」

 智機と出会った時は喧嘩していただけにヒューザーも苦笑する。

 ただし、一見駆るそうなヒューザーの双眸に覚悟の光が宿っていた。

「そういうわけだから、ブルーノ。地獄で合おうぜ」

 さんざん遊び倒した後に我が家へと帰るような自然さでヒューザーは死地へと踏みだしかけたが、ディバインは冷酷に押しとどめた。

「貴官のやる事はただの無駄死だ。代行殿も言っていただろう。無駄に死ぬことは許されない、感情に逸って死ぬ場所を間違えるな」

「死ぬ場所を間違えるな、だと?」

「騎士としての務めを果たすことが出来ず、ただ生きながらえている事に不甲斐なさを覚えているのはハルドと大隊長だけだと思ったら大間違いだ」

 このまま逃げれば命だけは長らえることができる。しかし、引き替えとして大切な何かを失うことになる。それでは生きている意味はなく、ブルーノ・ディバインはただの肉袋と成り下がる。

 人が生きている理由というのは人の数ほどにあるがディバインの場合は簡単明瞭である。それが失われる事の方がディバインにとっては嫌だった。大切だと認識する心と身体よりも。

 だから……


 智機が言ったことは別に冗談でもない。

 演説前は落ち着きを見せていた戦局であったが、ファリルも搭乗していると知ってからは再び敵の攻勢が活性してきた。この騎体が落としたら戦争が終わるだけでなく多額の報償間違いなしなので誠に持って現金な連中である。もっとも、智機も現金という意味ではどっこいどっこいという自覚はある。

 仮に演説をしなかったら敵は撤退をしていた可能性が高いので余計な感もある。いや、戦術的に

は全くの無意味である。

 しかし、戦略の観点で捉えればまた違ってくる。

 今の演説は敵だけではなく味方にも届いている。

 この戦争を続けるにせよ終わらせるにせよ、最高指導者であるファリルの意志表示は必要不可欠であり、終わらせるのならともかく続行するとするならば味方のモチベーションを上げておくことが重要になってくる。そのためには危ない橋を渡ってでも演説をする必要があると智機は判断した。

 再び無数のビームが騎体に向かって降りかかってくる。

 前、右、左、後ろ、そして上からも。

 それは第三者が見ればシャワーをあらゆる方向から浴びせる、もしくは光の網を被せられたように見える。普通ならこれで終わったと思われるが智機はこのような状況をさっきから幾度なく繰り返してはそのたびに生き延びていた。

 これだけ数が多ければ全てが同じタイミングで発射されているように見えるがそうではない。同じ部隊から一斉に射撃されたそれであっても遅い早いのズレはある。ほんの僅かなズレではあるが智機からすれぱ充分であった。

 無数の光が触手となって取り囲むように智機に向かって伸びていく。

 数は数えるのバカらしくなってくるぐらいに多いが、どうという事はない。

 毛虫が這う速度とどっこいどっこいだから。

 複数どころではない光の軌跡と敵の現在と未来における位置を瞬時に計算しながら智機は小刻みに左右にあるスティックを小刻みに動かし、騎体もライダーの命に応えてほんの数センチ程度の距離を激しく移動する。

 このほんの僅かな動きの繰り返しが奇跡を生む。

 結果、騎体を狙ったビームはことごとく、騎体をかすめて通り過ぎ去り、そのうちのいくつかは射線の先にいた友軍に炸裂して爆発する。

 何も知らない人間が見れば、ビームが意志を持って外したかのように見えるかも知れない。無論、そんなことはないが。

「奴らもバカではないか」

 確かにビームが当たっで爆発した騎体もあったが、ビームが当たる直前にフィールドを張れたことによって爆発を免れた騎体もあった。これは智機の行動がだいぶ読まれていることを意味している。攻勢の際にドリフトをかけるを自重すれば、友軍のビームから身を守ることもできる。

 それよりも騎体のほうが深刻だった。

 智機のイメージでは完全に躱し切れていたはずなのに、現実ではあちらこちらに掠ってしまい、無視できないダメージになってしまっている。

 これは言うまでもなく、智機の能力に騎体が追いついていないからである。それがズレとなって現実に反映されている。ほんの僅かではあるが蓄積される事によって大きなものになるのは貯金と同じだ。

「私のことなんか気にしないで下さい」

 ファリルが恐怖に震えながらも言った。

 その意味するところはファリルの身を気遣うことなく、おもいっきりドリフトを発揮して欲しいということであるが智機は首を横に振った。

「それはダメだ」

「どうしてですか?」

「200Gに姫様が耐えきれるとは思えないから」

 ライダーに200Gの衝撃を要求するほどの加速力を発揮すれば一瞬で脱出することは可能である。しかし、智機はともかくとしてファリルが耐えられないのは言うまでもない。

「200Gを受けたらどうなっちゃいます?」

「まあ、ミキサーに掛けられたような感じになるかな」

「生きながらにですか?」

「そう」

 予想通り、ファリルは言葉を失い、少ししてからそっと呟いた。

「………空から落ちてきたんですよね」

 聞かれてはまずいと思ったからこそ、ファリルは小声で呟いたのだけど配慮もむなしく、しっかり聞かれている。

「見てたのか?」

 反応されて、ファリルは驚きつつも小さくうなずいた。

 どうやら、ファリルは智機が墜落する様を目撃していたらしい。

「なら、話は早い」

 遅かれ早かれ智機の異常性が露呈するのだから、早いほうがありがたい。無論、ファリルが何を感じているのかは知ったことではないが、異常であることを理由に排除されなければそれでいい。

「でも、どうやって突破するのですか?」

「やり方はいくらでもある」

 状況はあくまでも悪化の一途を辿っているが予測の範囲内である。

 飛び交う敵弾を回避しながら、次の一手を思案していると前方に3騎、後方から2騎のEFが智機の騎体を囲むように上昇してくる。

 珍しい、と智機は思った。

 大抵の傭兵が使用するのはフォンセカ、あるいはフォンセカの改造バージョンである。

 智機を取り囲みながら発砲してくる騎体はフォンセカを速度重視にチューンしたステケレンブルフに似ているが、ジェネレーター音がステケレンブルフのものとは違っている。

 だからといって、どんな騎体なのかは流石に分からない。

 ただ言えるのは絡みつくように迫ってくる光の速度がやけに速いということ。

 一瞬で光が擦過していく。

 智機は口笛を吹いた。

「やるねえ」

 早いとはいえ、彼らの動きは読み切った。

 ビームもぎりぎりのところを掠めて過ぎ去った。

 しかし、今までのように過ぎ去ったビームが友軍機を撃つというところまでは至らなかった。

 ドリフトによるフィールドで弾いたのではない。

 きっちりと躱してのけたのである。

 彼らの存在は最初から把握していた。

 現在はともかく、敵騎の撃滅命令が下っているにも関わらず静観を決め込んでいた事には注目していた。

 戦闘を目的というよりも、あきらかに智機を観察していたからだ。

 それは即ち智機が実力を発揮する前から、智機の実力を認識していたということでもあり、認識できる能力の持ち主ということもでもある。

 それだけに彼らの参戦を楽しみにしていたということもある。

 智機はおもむろに敵軍が密集している中へと突っ込んだ。

 もちろん、激烈な弾幕が智機に向かって降りかかるがどうということはない。むしろ、友軍機に当たることに遠慮して、彼らが攻撃を控えてくれることを期待したが、智機が友軍機を盾にしながらも堂々と発砲してきたことによって、その目論見は木っ端微塵に打ち砕かれる。

 もちろん、複数のビームが盾にした不幸な友軍機に当たって爆散し、それでも智機は生きているが状況の悪さには変わりない。

「驚いたなあ」

 前方の三騎が連携して智機を追い込みつつ、後ろからの二騎がトドメを刺すという定石な方法で智機に攻撃をかけている。ただし、この戦闘の中で戦っていた連中の中では手管が洗練されている。

 それでも智機は生きているとはいえ、彼らの動きは鋭くて、なかなか今までの敵と同じようにこれまでの敵のように同士討ちという状況には持ち込めない。

 今までの敵とは桁が違う。

 動きや攻撃の切れ味の鋭さから、智機は自分と同じ同業者の臭いを感じ取る。

 智機の口元に笑みが浮かぶ。

 苦しい状況で強敵と遭遇しているにも関わらず、智機は楽しんでいる。少なくても彼らがいないよりいる事のほうを楽しく覚えていた。

 だが、不安な気配が現実を突きつける。

「大丈夫」

 高速で飛ばしても執拗に追いかけてくる敵騎が、これまでとは違う強敵だと気づいたのかファリルが不安がっていた。

 不安がり、自分が怯えることによって智機に重圧をかけているのではないかと済まなくなる気持ちで押し潰されるファリルの頭を撫でてやる智機ではあったが、ファリルが落ち着くことはあっても状況が改善されたわけではない。

 彼らが強敵、とは言っても斉の騎士団ほどではないのでドリフトを使えば一気に突き放すことも可能なのだが、問題はドリフトにファリルが耐えきれるかどうかである。

 ……正直言って、こればっかりは何とも言えない。

 一応は彼らの攻撃を回避し続けることは可能ではあるが、永遠に動き続けていられるというわけではない。いつかはどこかで攻勢をしかける必要がある。

 そのポイントは何処か。

 針の穴ほどの機会が訪れることをビームのシャワーを避け続けながら辛抱強く待つべきなのか、それとも少し強引にでもアクションを仕掛けたほうがいいのか。

 ……実はそれほど難しくはない。

 困難ではないが、彼らの機動は読み切っている。流石に同士討ちを狙うのは虫が良すぎるが、かといって仕掛けるポイントはいくらでも見いだすことができる。

 でも、問題はこの先。

 少しでも未来に向けての布石を打つ必要がある。どんなことであっても。

 例えば騎体の性能。

 様々な量産騎を乗りこなしてきた智機であったが、この騎体は智機の技量に釣り合っているとはいえない。少しはマシな騎体に乗れそうな気配はあるが、保険はかけておいても損はない。

 そして、練習。

「そろそろ本気を出してやるとすっか」

「今まで本気じゃなかったんですか?」

 ファリルは理解できないという顔をする。脳みそが爆発しそうな激痛と闘っておきながら本気を出していないとのたまう神経が常人にできるはずがない。

「少しばかり力入れるから覚悟しろよ」

 その直後に腕を強く掴まれる。

 血管が締め付けられるほどの痛みに僅かばかり智機は顔をしかめるが、奇妙にも心地よかった。

 それが生きているということだから。

 ビームの雨を避けながら、5騎ではない別の傭兵団の騎体に接近する。ゼロ距離からの発砲の中で智機はメネスの騎体構造をイメージした。

 フォンセカ系ならある程度は共通であり、メネスにも乗った経験があるので機体構造のイメージができる。

 次に、この騎体をどう改造するかイメージしてみる。

 智機はどのような騎体でも乗りこなせる自身はあるが、やっぱり高機動な騎体が好みである。

「痛覚同期解除」

 智機は敵騎の撃破と同時に空間に騎体を停止させるとそのまま光を発生させた。

 

 ……リーダーには何が起きたのか分からなかった。


 自分の少し前の記憶では、マローダーはあたかも自爆したように激しく光り輝いたはずだった。

 なのに気がつくと、光が嘘だったかのように消え失せ、自分の周囲で爆発が立て続けに起きていた。

 リーダーには誰が爆発したかのを確認する暇どころか、状況を確認する余裕すら与えられなかった。

 恐怖に襲われて反射的にスティックを左に動かす。

 しかし、本能的な操作も間に合わず細かい爆発が立て続けにおきて騎体が揺れた。モニタの一つが損傷箇所を素早く表示する。だが、リーダーにそれを確認する間はなかった。

 ふれあえる距離までメネスが迫ってきたからだ。

 メネスのゴーグルタイプのヘッドカメラが、実物大の大きさぐらいにまで拡大され、装甲越しにライダーをにらみ付けてくる。

 時間にしてほんの数秒であるが、リーダーには永遠のように思えてならなかった。

 殺される。

 生物としての本能が感じる恐怖が包み込む。

 だが、メネスは攻撃する事なく、興味を失ったかと言いたげにリーダーの騎体の前から立ち去っていった。

 その直後、9時の方向よりビームが複数飛んできたが、2騎の僚騎がカバーに入ってフィールドを張り巡らせたことによって守られる。

 損傷はモニタを見なくても分かっている。

 両腕両脚の破壊されている。もはや戦えない。単に浮いているだけだ。

 リーダーは僚騎に尋ねた。

「他はどうなっている? ゴールド6」

「ゴールド2、3、5が墜とされました。しかし、脱出ポッドの射出を確認しています」

 とりあえず、撃墜はされたけれど部下が無事なことには安堵する。

「悪ふざけが過ぎたかな」

「どうでしょうね」

 ようやく苦笑できる余裕が出来たとはいえ、恐怖の爪痕は色濃く残っていた。

「ゴールド4、6。奴の機動は見えたか?」

「全然わかりません」

「一応は撮ったつもりなので、後で解析をすれば……」

 光ったと思った次の瞬間には消えていた。

 なおかつ、僚騎が三騎まとめて墜とされていていた。マローダーが瞬時に動いて、三騎をまとめて始末したというべきなのだけど、そこまで至るまでのプロセスがごっそり省略されていた。

 ドリフトを使って高速移動をしたと考えるのが自然だが、彼らが把握できないほどの高速を出していたら中にかかる重圧も相当なものになる。

 姫の生命を無視したとしか思えないのだが、遊んでいる余裕があるところを見ると自暴自棄になったのではなく、マローダーなりの計算があったというべきなのだろう。

 そう、マローダーはリーダーを撃たなかった。

 その気になればいとも簡単に始末できたというのに。

 恐怖がよぎる。

 あの瞬間、何が起きたのか分からないがただ一つだけ言えることがある。

「……うんたん…か」

 それは数百騎相手の攻撃的回避ですら児戯にしか思えないことをやってのけたということ。

 震えが止まらない。

 しかし、終わった事象について考えられていられる余裕などなかった。

 9時の方向より猛烈な弾幕がクドネル側のEFめがけて襲いかかり、弾幕に晒された友軍のEFが次々と爆散していく。

 その9時の方向を確認すると40騎余りのシュナードラのEFが軍勢の中に突っ込んでいった。

「……潮時か」

 リーダーの騎体や部下の数もさることながら、クドネルは統制が取れていないのに比べ、シュナードラのEF群の士気が高くなっているのが見てとれる。こちらには大儀も何もないのに対して、シュナードラには敬愛する姫様を助け出すという目的を見いだせているのだから、もはや勝負にはならない。

 心の強さや士気の高さがドリフトの強さに直結する。

 多少の実力差があっても、士気で凌駕すればドリフトで圧倒することができる。リーダーが部下からの具申を却下した理由はそれだった。

「生存者を確保の後、撤収」

「了解しました」

 了承した後で、部下が苦笑を浮かべた。

「楽に終わると思ったんですけどね」

 本来ならば、この戦いでシュナードラの王族や政府首脳を抹殺して戦争が終わるはずであり、実際に九分九厘まで行っていた。

 あの男が乱入してくるまでは。

「まあ、いいじゃないか。戦を楽しめると思えば」

 状況が覆ってしまったことを悔やんでも仕方がない。問題なのは突きつけられた状況とどう向き合っていくかである。難しいことではなかった。戦場で戦うということは不条理な条件と強制的に向き合わされるということであり、リーダーはそれらの状況を乗り越えて生きてきたからである。

「……そういう気分になれませんけどね」

「オレも同じだよ」

 実力伯仲している連中が相手なら楽しめるが、超絶秘技を使いこなす化け物相手では恐怖しか涌かない。勝ち目があるから楽しめるのであって勝ち目がない相手と戦うのは無理ゲーである。

 この戦いに参加しているライダーの中で奴に勝てる者はどれくらいいるのだろう。

 少なくても、対等に戦える存在と奴が戦うべきであり、自分から望んで戦う気にはなれなかった。自殺するようなものだから。

 リーダーはボヤいた。

「世の中、そううまくいくものではないな」

 

「こちらディバインです。代行殿、姫様。応答願います」

「こちら、代行。両人とも健在」

 智機がディバインからの通信に応答すると、メインのウィンドゥにポップアップされた通信用ウィンドゥの中でディバインが安堵する様子が見て取れた。

「これより騎士団および国軍で敵軍を駆逐します。代行殿および姫様は戦艦ロストックにお下がりください」

「命令を無視した上で命令とは虫のいい」

 ディバイン指揮する全軍がこの戦場に乱入してきたのは智機の命令にないことである。そして、命令違反は軍隊における禁忌の一つであった。命令違反を許してしまえば軍隊崩壊してしまう。

 智機とディバインの間に緊張が走る。

「なんてね♪」

 が、今のは冗談だと言わんばかりに表情を緩めた。

「ありがと、今のは本当に助かった」

 軍人というのは命令遵守を求められる一方で、時には命令を破ることも要求される理不尽な職種でもある。そして、今が破る時であった。

「敵軍の駆除は貴官らに任せる。ただし、あまり深追いはするな」

「了解しました」

「……ディバインさん。ありがどうございます」

 2人の剣呑な会話が終了したの見計らってファリルが口を挟むと、ディバインも緊張する。

「いえ、当然のことです……それでは失礼します」

「ディバ…」

 不自然な間があったが聞く前にディバインから通信を切られてしまう。

「騎士団の役目を完全にオレが奪っちゃったからね。彼としては墓穴があったら埋まりたい心境じゃないのかな。意外とシャイなんだね」

 戦争に関してはシャイさの欠片もない智機がディバインの心境を解説する。

「でも、さっきのはいったい……何をしたんですか?」

 智機が行った機動は敵の隊長と同様にファリルにしても謎だった。止まったと思った瞬間には遠い座標に移動して、なおかつ3騎の敵騎を撃墜していたのだから訳が分からない。プロでさえも把握できていないものを素人が理解できるはずがない。

 と、すれば当人から聞くしかないのだけど。

「ちょっとした魔法を使った」

「……魔法?」

「敵の動きを読むよりもこっちの方が辛い」

 表情こそあいも変わらず笑ってはいるが、長距離を駆け抜けた犬のように荒い息をして肩で息をしており、心なしか疲労しているように見える。

 さんざん無茶しておいてピンピンしている方がおかしいとはいえ、行う前と行った後の落差がひどすぎた。

「あの、大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫だろ。奴らだってバカじゃない」

 ディバインの独断によってシュナードラ国軍が突入した事によって戦局は一変していた。数こそクドネル側が多いものの士気の高さで補えるほどの戦力差でしかなく、しかも統一した指揮がとれないのだから、普通の傭兵なら撤退するに決まっている。事実、クドネル側は撤退のモードに入っていた。ここまでくれば智機の出る幕ではなく、騎士たちに任せればいい。深追いしすぎて墜とされないよう注意するだけである。

 とりあえずは今日も生き延びられた。

 ただ、反省するべきところはある。

 智機が生存を実感できるのもディバインの独断が合ればこそである。残存兵力をまとめて戦域から離脱せよという智機の命令を遵守していたら、今頃はまだ戦闘中だった。ファリルに言った「ちょっとした魔法」を使っても、敵軍を突破するには少々の時間が合ったから。

 だから、ディバインの援軍が非常に有り難かったと同時に智機は指揮官としての至らなさをも痛感させられていた。

 的確な独断専行が出来る部下というのも得難いものではあるが、独断専行自体は本来はあってはならないことである。それでも正解だということは、上司の指示が間違っていた、あるいは判断が甘かったということだった。

 その甘さが多数の人間を死なせることになったら、軽率という言葉では済まされない。

 それよりも心配なことがあった。

「身体、大丈夫?」

「だ、だいじょうぶです」

 ドリフトを発動させた瞬間、智機も疲弊したがそれ以上にドリフトを使っていないはずのファリルが、智機以上に疲弊したのが気になった。ティバインには見せられないほどの疲労ぶりだった。

 今は言葉通りに落ち着いたようである。

「悲鳴が聞こえたんです」

「悲鳴?」

 そのような悲鳴は聞こえなかった。

 発した可能性があるとすればファリルであるが、ファリルが悲鳴を上げなかったのは確認している。

「痛い、苦しいって……声というよりは犬や猫が痛がっているようでしたけれど、とにかく聞こえたんです」

 悲鳴を上げる可能性がある物が一つあった。

「……悪い」

 悔恨の想いが自然に迸っていた。

「いえ、智機さんが謝るようなことでは……」

「違う。こいつに」

 ファリルの目がスクリーンや計器類を追う。

「この騎体のことですか?」

「オレがさっき、この騎体を一から作り替えていたん

だ」

「一からってそんなことできるんですか?」

「可能だよ。もちろん、誰にだってできる芸当ではないんだけど」

 実際、完全に成功しているとは言い難い。

 一瞬でジェネレーターを4基増設したのはいいものの、出力がバラバラで同期も取れていないので、ちょっと気を抜いただけで右に寄ったり、左に寄ったり、時には急加速をする。まるで暴れ馬に乗っているような感覚である。ドリフトを使っているから余計なGを感じないでいられるだけで、実は智機でなければ制御不能に陥って落ちる状態にある。

 増設前は見かけとは裏腹に素直な操縦特性で、ミクロン単位の機動も素直さがあっての事ではあるが、智機としては少しばかり操縦が難しくてもパワーがある騎体のほうが好きである。暴れ馬を力技でねじ伏せるのが快感だからだ。

 操縦が難しくなったのは腕でねじ伏せるからいいとして、問題はジェネレーターからのパワーが不安定で暴走しがちであり、下手をすれば爆発する可能性がある事である。

「EFには意志があることは知っている?」

「はい。知っています」

「だから、騎体を1から作り替えられるということは騎体にとって物凄いストレスになるんだ。いきなり手足が余分に増えてくるところを想像してみろ」

「嫌ですね」

「だから、悲鳴を上げたんだ」

 個人によって多少の差はあるがEFに愛着が沸かないライダーはいない。無理にドリフトを使わなくても切り抜けられたシチュエーションだったので、これにはさしもの智機も罪悪感を抱かずにはいられなかった。

 でも、それ以上に気かがりになることがあった。

「あの……智機さん。落ち込まないでください。らしくないというか、その……不公平です。わたしにいっぱいひどいことをしている……かもしれないです」

 ファリルは智機を慰めているが、その理由が思い当たらない。

 少ししてファリルが勘違いしていることに気づく。

「ファリルはもう少しひどい目に合うべきだ」

「どうしてですか!?」

「ファリルは王としてミジンコ並に物足りないから、少しぐらい痛い目にあってでも成長しろ」

「ミ、ミジンコ……」

 ごまかせたことに智機は安堵する。

 さっきの出来事で、ファリルという人間が分からなくなった。

 EFには確かに意志が存在するが、感じる事はあまりない。せいぜいEFを乗っ取る際、登録されていないライダーに拒否反応を示す、もしくはさっきの智機のように感覚を同期させて受けたダメージを知らせる程度。そこにいることだけは知っているが、EFの悲鳴など聞いたことがない。

 聞いたことがあったら、良心の呵責も無しに今のスキルを実行することはできなかっただろう。

 智機に限らず、格上の存在でいえば渋谷艦隊の提督や、かつての上司でさえも聞いたことないはずである。

 にも関わらず、ファリルは聞いた。

 ファリルが嘘をつけるようなキャラではないことは、会ってみて数秒で理解している。

 それにドリフトを使った直後にファリルの気分が悪くなったのも、それこそ戦闘宙の智機のように苦痛にあえぐ騎体と同調してしまい、その余波のせいという事であれば説明がつく。

 ライダーでさえ聞こえないものをファリルは聞いた。

 常識が崩壊する現場を目の当たりにした。

 ファリルを問い詰めたいところではあるが、本人が何が起きたのかを理解できていないのだから、意味はない。重要ではあるが、現時点で出来ることといえば推移を見守ることだけである。

 ……面白いことになった。

 少なくても退屈はしない。

「どうやら、賭けはオレの勝ちのようだな」

 長かった戦闘もようやく終わろうとしていた。

 シュナードラ軍一丸となっての猛攻に、クドネル軍は蜘蛛の子を散らすかのごとく逃げていく。周囲も味方ばかりという状況になっていた。

「そう…ですね」

 2人は生き延びた。

 両側には智機の騎体をガードするようにシュナードラの騎体が飛んでいる。取りあえずは味方ばかりではあるものの、残った数と敵の数を比較してみると落ち込みはしないが、かといって楽観的な気分にはなれなかった。

 道のりは遠くて険しい。

「お願いがあります」

 ファリルの心の中で何かしらの決意が固まったのだろう。

「私はこの国を助けたい。せめて、生き残った人たちを守りたい。私たちを助けてください」

「言った条件が守られるのであれば協力する。これはビジネスだ」

 ファリルは息を飲んだ。

 深呼吸を繰り返して、緊張を解きほぐすとようやく口を開いた。

「騎士御給智機。貴方を公女代行騎士に任命します……私たちの国をよろしくお願いします」

 頑張ってみたもののグダグタになってしまう少女がおかしくて可愛らしかった。

 智機もこの時ばかりは真面目になる。

「その役目、謹んでお受け致します。全身全霊持って、この国に平和を取り戻すことをお約束します」

 ……ここまで来るのに長かったような気がした。

 兵力が質、量共に乏しく、物資も期待できないとはいえフリーハンドの権限を得たのである。

 戦争が出来る。

 誰にも命令をされることがない。

 バカな上司の思惑に振り回されて、無駄に死者を出すことがない。

 自らの意志で人を殺すそんな戦争が出来るのだ。

「報酬の件については終わった後で構わないでしょうか?」

 智機ほどの実力を持つライダーなら契約金も高額になるだけに今のシュナードラでは心持たないといったところなのだけど、智機はファリルの頭を撫でて落ち着かせる。

「それは後でいい。マリアもオレが欲しいものがガルブレズにあると言っていたし、それを見てからにしよう」

「マリアちゃんがですか?」

「あいつも嘘は言わないだろ」

「嘘ついたら殺すとかって……言わないですよね」

「殺る」

 迷いもなにもなかった。

「殺っちゃうんですか!?」

「詰んでる戦況を逆転させろなんていうミッション。無茶にもほどがあるんだから、それなりの物を貰わないと割が合わない。出なかったら、悪魔を騙した罪を身体で払ってもらわないとな」

「……じゃあ半分は、わたしで」

「痛い目見るというに奇特な奴だな」

 ファリルは智機の「痛い」を聞くと怯えたが、すぐに真顔になる。

「痛いのは嫌ですけれど、マリアちゃんは家族ですから」

「契約を結んだからには、それに見合う結果は出してやる」

「………」

「安心しろ。詰んだら、安らかにトドメを刺してやるから」

「安心できませんっっっ!!」

 その通りである。しかも、楽しそうに言うのだから説得力がない。

「なんだ、普通にノリツッコミが出来るじゃないか」

「そういう問題じゃありません」

 ファリルの言う通りであり、智機がおかしいだけなのだが、重かった空気もだいぶ軽くなってきたのは事実だった。

「そんな事はならないように、オレはオレなりにやってみせるけど」

「もう……少しは真面目になってくださいよ。さっきは……」

 ファリルは小声でぶつぶつと言っていたが幸か不幸か智機には聞こえなかった。

「悪いな。シリアスが持続しなくて」

「まったくですよぉ……」

ファリルは咳払いをして気持ちを落ち着かせると言った。

「ありがとうございます」

 それでも勇気が必要だったのか、言い終わった後に軽く赤面する。

「あんまり気にするな。オレが利用するためにあんたを助けた。ただ、それだけだ」

 智機は相変わらず悪党めいた笑いを浮かべているが注意深く聞けば冷静というには力が入っているように聞こえただろう。ファリルには気づく余裕がなかったが。

「それでも嬉しいです」

 バカにしているような智機の態度に気圧されながらもファリルは言った。

「生きてるって凄いことなんですね」

「おまえさ、最初に出会った時、何を頼んだ?」

「はうぅっっ」

 初対面で殺してくれるよう頼んだ人物のセリフだとは思えず、当然すぎる智機のツッコミにファリルは赤面したまま固まってしまう。

 それが正直なところなのだろう。

 高い所から飛び降りた場合、地面につくまでは生きているがついた瞬間に衝撃を受け止められずに跡形もなく破砕されるように物事と言うのはほんの一瞬で変わってしまう。

 同乗しただけとはいえ、今まで戦火を知ることなく暮らしていた一般人が戦闘のまっただ中に放り込まれて生きて帰ってきたのだから、人生観が180度違ってしまうのも当然である。むしろ、変わらないほうがおかしい。

 死んだら終わり。

「わたし……生きてもいいんですよね」

「決めるのはオレじゃない、否定する奴は許さない。それだけだろ」

「智機さんらしいですよね」

 ファリルは笑っていた。

 一見すると明るいが、実は透き通っていて。寂しい笑い。

 心境はだいたい想像できる。

 ファリルがこれからを生きることによって、両親から遠ざかっていくのが悲しいのだろう。

 人は時の移ろいと共に流れていく。

 死者は永久に停止している。

 時間が経つにつれて人と死者との距離が離れていく。

 だから、他人の死が悲しいのも知れない。

 でも、智機の場合はどうなのだろう。


 続いている。

 あの時から、かなりの時間が過ぎ

 大勢の人々が死んだというのに、

 あの時の光景は色褪せずに残っている。


 ……ムカついたので、智機は空気をぶち壊すことにした。

「泣きたいのは分かるんだけど、漏れてる」

「漏れてる……って」

 ようやくファリルは気づく。

 下腹部がぐっしょりと濡れていて、しかもなにやら香ばしい臭いが立ちこめていることに。

 その液体の意味を知った瞬間、少女の悲鳴が轟いてはむなしく消えていった。

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