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ティーガー -Ignition-  作者: ひむろとしつぐ
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TRACK 1: Dark Chest of wonders


 夢を見ていた。


 大地が光の速さで、爆音を響かせながら迫ってくる夢。

 空気が壁となり下方へとハンマーに叩かれたように身体が押し潰される。膨大な圧力を前にして抗うこともできず、四肢は折り曲げられ、放り捨てられた小石のように一直線に大地へと墜落していく。

 全身を紙のように圧縮される激痛にも関わらず、空気もろとも鼓膜も切り裂いていくにも関わらず、視界が恐怖と共に大地の色に塗りつぶされていくにも関わらず、意識は消えることなく、音速で地表へと落ちていく様を、清らかな水のような平静さで見つめていた。

 何のために生まれたのだろう。

 何のために生きているのだろう。

 何処へ堕ちるのだろう。

 身体の動きが文字通りに奪われている中で唯一、許された思索を巡らせ、答えを求めて意識だけは羽ばたこうとするが、枷につながれたまま、肉体もろとも墜落していくだけだった。

 

 身を切るような痛みと共に智機は現実に立ち返る。

 夢の中でも、現実でも

 全身を分子単位にまで砕かれるような苦痛と共に目覚めが訪れる。

 残骸と見分けがつかなくなっているが、それでも辛うじて原型を保っているビルの屋上のタイルが目に入った瞬間、智機の身体は砲弾のように、ビルの屋上へと叩きつけられる。

 成層圏から地上へと生身一つだけで飛ぶ代償が、智機の身体の中で爆発する。

 普通なら、何処が頭なのか、何処が手なのか足のなのか分からない、DNA鑑定ですら判別することができない肉塊へと変わり果てる。

 成層圏からの落下なだけに、その勢いは留まるところを知らず、天井や床を着弾の衝撃で粉砕しながら落下していく。

 智機の身体を衝撃が押し潰そうとする。

 しかし、智機の胎内、盲腸付近に埋め込まれた衝撃回生機構が智機を押し潰そうとするありとあらゆる圧力を吸収し続けた。

 抜けるフロアが無くなり、ゴムマリのように地面に叩きつけられたところでようやく落下が止まるが、それでも反動で智機のちっぽけな身体が跳ね上がる。

 一階の天井に激突しかけた寸前、智機は何事もなかったかのように天井を踏切板代わりに蹴りつけて外へ飛び出した。

 何事もなかったかのように、砲撃によって穴だらけになった大地に、片足が水鳥のようについた。

 流石に全ての衝撃を吸収しきれなかったようで、足は滑り、身体は曲がり、智機は頭から地面に突っ込んだ。 

 2度3度、視界が回転する。

 しかし、転がる方向を冷静に予測すると、肩、太もも、肘、膝とタイミングに合わせて接地し、勢いに合わせて身体を動かしていくことによって衝撃を殺していく。

 小石のように地面をバウンドして、壁に当たったところで長かった墜落はようやく終わった。

 背中に覚える硬くてごつごつしている感触。

 窓の大半が割れ、壁の至るところに砲弾による穴が空きまくるなどして廃墟と化したビルの森に間に青空が覗かせる。

 地表からたち上る煙で、空はあまり綺麗とはいえない。

 絶え間なく響き渡る轟音と爆音。

 粉塵で色の付いたレーザーが飛び交い、ビルほどの高さがある鋼鉄の巨人たちが、淡く輝く光の膜をまといながら肉弾戦を繰り広げている。

 発泡スチロールとクサヤとシュールストレミングを燃やしたような何とも表現しがたい異臭が鼻腔をくすぐった。

 手と足の指をゆっくりと動かす。肘や膝、肩と股間といった具合に可動範囲を広げていく。

 問題ない。

 流石に痛みが全身に響いている。

 高所からの飛び降りが最良の自殺方法とされるのは落ちていくうちに意識を喪失して痛みを感じなくなるからであって、痛みそのものがなくなるという訳ではない。智機は落ちる直前も直後も意識を保っていられるので、インパクトの時に発生する痛みはおぞましいものとなる。

 凄まじいという表現でさえも生ぬるいもので、高度数万キロから落下する衝撃を知覚するのだから、身体が耐え切れたとしても心が粉砕されるのが普通だろう。

 それが常識というものだ。

「……死ぬかと思った」

 仮に天然であったとしてもふざけてるとしか思えない。しかし、成層圏から生身だけで降下という体験は智機にとっては慣れたものだった。恐ろしいことに。

 痛みがあるという事は生きているということ。

 死者は痛みを感じない。

 生きながら焼かれているほどの痛みはあるけれど、軽く切った程度で骨折や内蔵破裂といった重篤なものではない。

 ……戦える。

 生きているという実感よりも先に闘争本能が牙をもたげている。独りでに笑みがこぼれると智機は戦闘行動を開始した。

 まずは現状の確認。

 一瞬、神経を刃のように尖らせて周囲を探るが殺意を直接ぶつけられてはいないことに気づいて、いったんは警戒レベルを下げる。

 大地震が起きているのと同義語なので、生身の人間なら即座に待避しなければならないところなのだが、智機は冷静に戦況を見切っている。

 智機がEFに攻撃されるという事はない。

 EFで降りてきたのなら迎撃されているだろうが、あくまでも智機は一個人であり、その他大勢の一部にしか過ぎないのだから、取るに足らない石ころに殺意を向ける人間なんているはずがない。

 生身一つで墜落ではなく、降下できる一般人なんて存在しえないのにも関わらず無視されていることに智機はつまらなそうにする。

 もちろん、無視されているほうがいいわけで当面は流れ弾に気をつけるだけでいい。

 この時、智機の直撃を受けたビルが音を立てて砂のように崩れ去った。

 腕時計の文字盤が真っ二つに割れているのを見て智機は舌打ちをする。懐に入れていた携帯もコナゴナに砕けていた。当然だ。耐久性重視で購入しているとはいえ、成層圏から落とした場合の性能保証している製品なんて存在しない。

 唯一、無事といえるのは首に提げたドッグタグと懐にしまい込んでいた手紙ぐらいなものである。

 特にドッグタグが無事なのは幸いだった。これは傭兵組合の身分証で、これがある無しではバイト先での待遇に大きな差が出てくる。

 武器はない。

 さっきの状況では、拳銃なりナイフを持っていたりすると壊れるどころか逆に智機の身を傷つけるしかなかったわけだが、武器がなかったとしても問題はなかった。

 なかったら拾うなり、奪えばいいだけの話。

 好きで落とされるシャトルから。生身で飛び降りたわけではない。パラシュートで降りるという選択肢もあったにも関わらず痛い思いしてまで生身で降りたのは、胎内に埋め込まれたコアが吸収する衝撃の量が桁違いに大きいからである。

 拳銃があろうがなかろうが間合いなんていうものは無意味。

 作戦さえハマれば単騎でもEFを制圧できる自信がある。

 問題はこれから。

 ……あの詐欺師め。

 この惑星、シュナードラへと導いた幼女の姿を思い浮かべると、智機は心の中で毒づいた。彼女に責任はなく、愚痴みたいなものであるとわかっていながらも。


 話は数日前に遡る。


 

 人類が宇宙に進出してから早、数世紀。

 世界は桁外れに広がってはいたが、それでも人々は戦争を根絶する事ができず、世界の何処で激しい戦闘が行われていた。

 智機もまた、その戦争に携わる1人でもあった。


 数日前、智機は惑星ロットンにある都市、キシュウのとあるレストランにいた。

「中佐ですか……随分と高評価なんですね」

 フランス料理のフルコースを堪能し、デザートも終わってお茶を楽しんでいる最中に切り出された商談に智機は素直な感想をもらした。

 智機は一応、14歳でありながら傭兵協会登録の傭兵である。

 傭兵は実力や実績に応じた格付けがなされており、雇用主は格付けに応じた待遇や報酬を与えることが慣例となっている。ランクの呼称は軍隊に応じたものとなっている。

 智機の格付けは大尉。

 ライダーの場合は少尉からスタートするだけに年齢を考えると高評価だと言えなくもないが、智機をディナーに招待した傭兵団のボスは智機をスカウトするために2ランク上の中佐の地位を提示してきた。

「ランクは現状を反映しているとは言えないからね。カマラでは悪名を高めてしまったが、客観的に見れば、キミの仕事ぶりは見事だった。本来なら将官待遇が妥当なんだけれど、あいにくと零細騎士団でね、バランスを考えると中佐しか上げられないんだ」

「それは買いかぶりすぎです」

 中佐としてさえ、不当だと判断されている。

「あの戦いを評価して下さるとは光栄です」

 いずれにせよ、14歳の少年を中佐格として迎え入れてくれるのはかなりの好待遇である。

 しかも、傭兵団のトップ自らが三顧の礼で迎え入れようとしているのだから智機に相当な期待を掛けている事がわかる。

 現状ではこれ以上の条件はないと言ってもいいだろう。

「星団に勇名を轟かせる渋谷艦隊のボスから過分な評価を頂き大変恐縮しております」

「キミがそんな事で恐縮するようなタマだとは見えないけどね」

「提督のご厚意には感謝しております。ですが、この話はなかった事にしてください」

 智機はスカウトを断った。

「やっぱり、変態呼ばわりされたくはないか」

「極悪外道呼ばわりよりは、マシです」

 断られても相手は微笑みを絶やすことはなかった。内心はどう考えているのかは分からないけれど。

「どうせ人を殺すのであれば自分の意志で殺したい。それだけです」

「衛星落としとか毒ガス散布とかやっているから、てっきり仕事のえり好みをしないとは思っていたんだけどね」

 優しい笑みを浮かべつつも人によっては強烈とも受け取られる皮肉を相手は言ったが、智機は平然と受け流した。NEUを退役して傭兵になってからは主に汚れ仕事ばかりこなしてきたのだから、これでも優しいほうだろう。

「ボクはキミには中佐しか上げられないけれど、その代わり、損はさせない。少なくても捕虜や民間人虐殺のようなバカな任務は絶対にさせない。それでも不服なんだね。キミは」

「貴方が貴方のルールで生きているように、オレもオレなりの価値観で生きているんです。ご理解下さい」

 同じ価値観を持つ奴なんていない。ただ、その価値観が最大公約数で割りきれるかどうかだけである。価値観を割り切ることができない尖った奴もいて、智機も相手もそうだった。

「わかりました」

 流石に相手も残念そうだった。

「今回は残念だけど、うちに入りたかったらいつでも声をかけて欲しい。今回提示した条件以上で大尉を歓迎するよ」

「ありがとうございます」

 相手が最大限の敬意と好意をもって迎え入れてくれる事が伝わるだけにその好意を無碍にした事は智機としても辛かった。譲れないものがあったとはいえ。

「その時はよろしくお願いします」

「本音を言うと大尉とは戦いたくない」

「オレも提督は戦いたくありません。でも、そういう状況になったら躊躇なく戦いますけど」

「お手柔らかに頼むよ」

 智機の言葉に提督は苦笑を浮かべた。

「ごちそうさまでした」

「いえいえ」

 智機は席から立ち上がるとレストランから立ち去ろうとする。

「最後に一つだけ。大尉に言いたいことがあるんだけど、いいかな」

「なんでしょうか?

 呼び止められて、智機は立ち止まる。

「僕は大尉のような才能が無為に使い潰されるのが許せない。大尉は少しでもいいから自分を大切にしたほうがいい」


 ネオンサインが明るすぎるキシュウの繁華街を雑踏に混じりながら智機は歩いていた。

 流石に提督の会話を引きずらないという訳にはいかなかった。

 提督から提示された条件はこれ以上はないという代物で常識的に考えれば引き受けるべきものだった。

 それなのに蹴りやがってと理性が恨みったらしく文句を言っている。

 いや、話はこれで切れたというのは無いので携帯で連絡を入れれば入れるのかも知れないが、入れる気も後戻りする気もなかった。

 甘いんだよ、と自嘲する。

 智機を少しでも知っている人間であれば自身を甘いと思ったことに驚いたかも知れない。

 人は誰だって自分の好きなように生きたいと思っている。

 けれど、生活環境の違いや法律とか様々な枠組みによって行動が制限される事なく生きるということは不可能だった。欲求と制約に何とか折り合いをつけて生きていくのが人生で、あくまでも自分勝手に生きていこうとするのは子供のワガママなのかも知れない。

 智機の生き方というのは子供の感傷なのだろうか。

 何処かしらの組織に所属していれば、組織の庇護を受けられて安泰な生活を送ることができる。その代わり、組織の部品として生きることを命じられて与えられた指令に背く自由がなくなる。

 今まで出会った軍人の中で、提督が最良の部類に入るのは間違いなく、極めて妥当な命令を下してくれることを確信しているとはいえ自由がないことには変わりがない

 でも、生きるということはそういう事なのかも知れない。生活の糧を得るために自身の時間を犠牲にしなくてもいい境遇にあるのはほんの一握りである。

 智機の人生は決して自由に生きられたものではなく、むしろ、他者から一方的に運命を強要されたものであると言ってもいい。

 だから、他人に道を強制されるのではなく、自分で道を歩きたいのかも知れない。たとえ、その先に地獄が待ち受けていようとも。

 当面の問題は明日の食い扶持を稼ぐことである。いつものように傭兵ギルドによって求職票を見るだけのことである。汚れ仕事なら見つけるのも容易で報酬も高い。

 提督の言葉が蘇ってくる。

 自分を大切にしたほうがいい。

 提督が智機のことを気遣っているからの言葉であるのはいうまでない。毒ガス散布や衛星落とし、捕虜や民間人の大量虐殺といった仕事は評判を下げ、最終的には自分の首を絞めることになる。因果というのはついてまわるものだから、いつかは報いを受ける時が訪れる。

 智機は自分の力量には自信を持っており、提督が三顧の礼で招聘しに来たという事で思い上がりではないことも証明されている。大国の騎士団でさえもエースとしてやっていける才能の持ち主が日の目を見ずに使い潰されるのはもったいない以外の何者でもない。

 金のためとはいえ権力者の走狗となって、圧政を破壊すべく立ち上がった住民たちを虐殺する仕事ばっかりやっているのはどうかはと思う。仕事のえり好みをしないと見られるのが普通だろう。

 彼女の声が脳の奥で蘇る。

 彼女は提督と同じようなことを言っていた。

 そして、泣いていた。

 昔の智機はひどいもので窃盗はおろか、放火や強盗など何でもやった。

 もちろん、殺人もした。

 そうでもしなかったから生きていけなかったというのもある。

 けれど、人を殺すことにまったく抵抗を感じなかったというのもまた事実である。

 智機からすれば他者というのはすべからく餌であり収奪すべき対象である。今はそうではないとはいえ、敵を殺すことにいささかの躊躇いも覚えないのは今でも変わりない。

 だから、分からなかった。

 智機が人を殺すたびに彼女は泣いていた。自分の手が汚れるというわけではないのに。むしろ、彼女のためならいくらでも汚れても構わないのに彼女は泣く彼女のことが理解できなかった。

 今なら理解できる。

 自分たちさえよければ他人がどうなろうとも構わないという傲慢な考えが最悪の事態を招いてしまったから。

 戦うことを選ばず、普通のように暮らして行けばあのような事が起きなかったのだろうか。

 答えはでない。

 過去についていくら仮定をしてみたところで意味はないが、失敗は失敗としてファイルして同じ過ちを繰り返さないように研究してみるというのであれば意味はある。

 智機が汚れ仕事を好んでやっているのはあくまでも手段であって目的ではない。汚れ仕事をやればそれだけ報酬も多い。報酬が多ければ多いほどやれる事は多くなる。高級機だって手に入れられるし、選択肢も金の分だけ多くなる。が、行動の自由が広がるというだけであって目的のものが手に入るというわけではない。

 深い闇に入り込んだまま、命を賭けている割には出口を見いだせないことに苛立ちと迷いを覚える。

 気がついたら、また失敗を繰り返しているのではないかと自問自答をする。

 智機は色のない瞳で空を見上げる。

 白黒の区別さえあやふやな世界だけど、言える事が二つある。

 自分がやれるだけのことを全力で頑張り、クソったれな現状を打破すること。

「おまえを置いて、オレだけが幸せになれるわけないだろ。ばーか」

 ネオンサインに彩られた明るい夜空から星を見ることができなかった。


 智機はある雑居ビルの一階へと入っていた。

 中はバーになっているが、カウンターとボックス席の他にフリーで使える端末が設置されたテーブルがあるのが特徴である。

 ここは星団の各地に設置されている傭兵組合の支所の一つで、仕事の斡旋を行ったり傭兵同士による情報交換を行う場所でもある。

 人の入りはそこそこといったところ。

「こんにちは、マスター」

 カウンターでグラスを磨いているバーテンに声をかけると明るい雰囲気を持ったバーテンが反応する。

「よぉ、マローダー。変態との会談はどうだった?」

「ロリコンにならないかと誘われたんだが、危ういところで逃げれた」

 正気を疑われる会話ではあったが、会話は成立しているらしい。

「冗談はさておいて、変態から誘われたんだろ?」

「中佐待遇で」

「変態で中佐とはすげー好待遇じゃないか。なんで断るんだよ」

「人に命令されるのは嫌いだから」

「子供を平気でぶち殺せるくせにか」

「命令に従うのが嫌いだ。だったら、NEUなんて辞めてない」

それなりにエキサイティングで安定している職が欲しいのなら傭兵なぞやってはいない。以前の職場はどちらかというば気に入らない職場ではあったものの許容範囲内であった。ライダーという職種は貴重であるため、かなりの高給が約束されている。なによりもNEUは大国の一つだからだ。

「注文だけど、いつものでいいね」

「了解」

 マスターはカウンターからブッシュミルズのボトルを取り出すと智機に手渡した。少し遅れてから氷の入ったウィスキーグラスも手渡されると智機はグラスに並々と琥珀色の液体を注ぎこみ、ストレートで呷った。

 食道から胃へと焼いていくアルコールの感覚がとても心地よい。

 強烈なアルコールを堪能しながら、智機は明日の予定を考える。

 評判が落ちる代わりに実入りのいい仕事を立て続けに選んでいるので当分の間は遊んで暮らせるのだけど、貯めるために仕事をしていると言ってもよく、また、戦争以外に楽しいことなんて知らなかった。

 結局はいつものようにダーティワークになりそうな気配である。

 いつものことだと退屈になるけれど、報酬とリスクからくるスリルのことを思えば耐えられる。それに楽しみがないわけでもない。

 富を独占し、貧困を押しつける支配者共を皆殺しにして新しい世界を作ろうと夢と希望に溢れる人々を圧倒的な力で、分際というもの骨身に刻ませつつ、わき上がる悲鳴のオーケストラを無視して押し潰すのは股座がいきり立つほどに楽しいものである。

 ………なんだ、外道じゃないか。

 当たり前のことを再認識する事によって、自分の立ち位置を見える。人というのは人であることを否定すれば自由に生きられるものである。その事によって安心すると智機は端末に移動して求職情報を検索しようとした。

「そういや、マローダーに仕事を依頼したいという子がいるんだが、聞いてみるか」

 マスターが話を振ってきた。

 珍しい話があったものである。

 受ける受けないは別にして話は聞いてみるのが智機のスタンスなので了解するとマスターは奥に向かって手招きした。

 少しをタイムラグを置いて、その人物が奥から現れては潜り戸を抜けて智機の前に現れた。

「初めまして。御給智機中尉」

 一例をしたのは6歳ぐらいの、どう見ても酒場には場違いな非常に愛らしい少女であった。

 ウェーブのかかったワインレッドの髪をおもいっきり長く伸ばしているのと知性溢れる目をしているのが特徴である。

「初めまして、御給智機です。君は?」

 本能的にこの子はただ者ではないと感じた。

 この子も場違いではあるが、それを言ったら智機だって同じである。

 可愛いことは可愛いけれど、それだけではない何かがこの子にはある。

「私はマリア・ファルケンブルクといいます。今日、貴方に話があって参りました」

 そう、智機と同じ、化け物めいたものを感じる。

「マスターからはオレに仕事を依頼したいと聞いたんだけど」

 マリアは人好きのする可憐な笑みを浮かべるとこう言った。

「大尉殿。貴方の望む戦争をしてみませんか?」


 オレンジ色のEFが、カーキグリーンのEFが張り巡らせた透明の障壁を破って、ライトセーバーの突きをカーキグリーンの機体の胴体にたたき込む。

 光の剣に串刺しにされたEFは爆散するが、仕留めたEFも左右から挟み打ちにあって後を追うように爆散する。

 オレンジ色のEFが懸命になって奮闘しているのは分かるのだけど、数に勝るカーキグリーンのEFが物量に物を言わせて、じりじりと数を削っていく。ランチェスターの法則通りにいけば時間はかかるがカーキグリーンのEFのほうがオレンジを殲滅することだろう。

 オレンジ色のEFが死に物狂いで頑張っているのは、ここで崩されたら終わりだというのが戦っている当人たちが理解しているからである。

 不利な状況はいくらでも経験してきたが、ここまでひどいのは初めてだった。

 いくら智機でも、負けが確定した状況を挽回することはできない。

 ほんの一ヶ月前に始まったシュナードラ星におけるシュナードラ公国とクドネル共和国との戦争は後者が前者を圧倒する展開に終始していた。

 依頼を受けた当時から厳しいことは覚悟していたが、状況は智機の予測を上回る速度で進んでいた。

 智機だって、最初から生身だけで降下しようとしていたわけではない。平気だとはいえ痛いことは痛しマゾではない。

 智機が降り立った都市、公国の首都シュナードラは半数以上がクドネル共和国軍に占領されているようだった。シュナードラ公国軍の残存勢力が未来のない抵抗を続けているように見える。実際、空から落ちる過程の中で智機はクドネル側が空中戦車や歩兵を中心とした地上部隊を差し向けているのを確認していた。人型機動兵器ことエレメンタル・フレーム(EF)が戦場の主役として君臨しているこの時代にあって、それ以外の兵科がでてくるケースというのは敵味方両陣営にEFがいないか、EFによる戦闘が収束して占領の段階に入ったかが考えられる。今回のケースは明らかに後者だった。

 勝敗は決まっている。シュナードラ公国がこの地を放棄しなければならないのは明白で、さもなければ死ぬだけである。智機が来る前に戦力の過半を失い、そして首都も明け渡すことも確定したシュナードラに未来はないように見えた。

 ここまで来ると戦いを継続するのではなく、いつ降伏するかの問題でしかない。

 シュナードラを守るために智機は参戦したわけではあるが、こうなってくると当初の目的は諦めて戦後を考えたほうがいい。

 具体的にはシュナードラ滅亡後、クドネルに雇用される事。

 優秀なEF乗りには希少価値があるので職には困らない。

 年単位で拘束されるのは不本意だが、賭に負けたと思えば甘受するしかないだろう。

 ただ、智機は思う。

「しょぼい戦いしやがって」

 言えることはシュナードラもクドネル所属のEFの動きにはキレというものを致命的なまでに欠いている。一言で言えば「ちんたら」しているということで、圧倒的な差がついてしまう事が不思議である。

 ちなみにクドネルとは書いたが、正確には傭兵団のマーキングが施されているのでクドネルに雇用された傭兵である。

「さてと……」

 未来を決める前に、智機は宿題を片付けることにした。

 軽く視線を街角の一角に向ける。

「そこでオレを見ている奴、出てこい」

 最初から気づいていた。

「出てくればどうなるかは分からないけれど、出てこなければ殺す」

 表情はいつもと変わらないけれど、眼光と声音に殺意を込もっている。

 脅しでも冗談でもなく、本気。

 誰であろうとも。

 ……にも関わらず、その人物は出てこなかった。

 漂う沈黙に真面目に殺気を出していたのがアホらしくなってくる。

 仕方がないので、智機から出向くことにした。

 智機が墜落した、もとい降り立った場所からすぐ近い場所にそれは居た。

 智機は息を飲んだ。

 白い肌に艶やかな蜂蜜色の髪を足首まで伸ばした12歳ぐらいの少女で、日の差さない部屋の中で丹念に育てられた花のように品の良さを感じさせる美少女だった。けれど、着衣は乱れている。

 反応できるはずもない。無理難題といってもいい。

 彼女は今、悲しみに包まれている。

 表情に出ているのはおろか、悲しみがオーラとなって包み込んでいた。おかげで遠慮知らずの智機といえど声をかけられなかった。

 宝石のように美しい瞳も虚ろで絶望以外のものはない。

 智機はそっと溜息をついた。

 少女の心境は手にとるように分かる。

 智機は瓦礫を払いのけてスペースを作るとそこに座り込んでは彼女の顔を見つめた。

 その目に涙の痕跡はない。

 だからといって悲しくないといえば、むしろ逆。

 本当に悲しい時には涙すら出てこないものだ。

 喉の奥に苦いものがこみ上げる。

 少女は一番大切にしていたものを失った。

 智機が絶対の確信を持って言えるのは、彼女の今の顔を見ていると昔のことを思い出してしまうからだった。

 あの時も少女と同じ顔、同じ目をしていたような気がする。いや、絶対にしていた。

 救命艇の窓から遠ざかる宇宙船の姿。

 形を保っていたものが遠くで爆発するのをただ見守るしかなかった絶望。

 あれからかなりの時は過ぎたけれど、あの時に覚えた痛みは忘れるどころか今でも突き刺さっている。

 智機は空を見上げる。

 雲がぽつりぽつりと浮かぶ昼過ぎの青空にはEFから発生するジェネレーターの爆音が轟き、時折、爆発音が混じる。そして、火薬の臭いが混ざるここは戦場だった。

 未だに心に残っているとはいえ、所詮は過去の出来事である。痛みが残ろうが何だろうが、取りあえずは無視して現実と向き合わなくてはいけない。

 今を生きていくために。

 そのためには…

 智機は少女を見る。

 触ってみたら気持ちの良さそうな感じのする肌。柔和な顔。乱れてはいるがそれでも綺麗な蜂蜜色の髪。

 少女には見覚えがある。

 正確には見せられた資料の中に少女の情報があって、顔写真がきっちりと符合している。その事を確かめると記憶を掘り返して状況を分析してみる。

 最悪といってもいい。

 智機以外の人間なら投げ出しているレベル、いや、投げ出さない智機のほうが人としておかしいレベルである。

 しかし、この戦いを終わらせることができるのは智機ではなく、この少女だ。

「あなたは?」

 話かけないと始まらないとはいうものの、どう切りだそうか迷っていた智機であったが幸いなことに少女から口を開いた。ただ、心が半分どっかに行っているようではあったが。

「……オレは御給智機。傭兵」

「傭兵さん。ですか」

「いかにも二束三文の金だけで、お年寄りだろうが赤ん坊だろうが平気でぶっ殺す人間のクズだ」

 智機は意地悪く笑うが、少女は反応しない。

 せっかくのギャグが滑ってしまったかのような居たたまれ無さを覚えてしまう。智機の素性を知らない人が聞いていたら厨二病患者の戯れ言だと思うことだろう。

「具合が悪そうなんだけど、気分は?」

 見ただけで分かることを聞くのはバカだと智機は思ったけれど、少女は智機の心境を忖度することなく口を開いた。

「悲しいんです。何が悲しいのか分からないんだけど、とにかく悲しいんです」

「覚えていない?」

「覚えてないんです。でも、何か嫌なことがおこったことはたしかで、とっても怖くて……」

「わかったから、それ以上は言わなくてもいい」

 智機は遮ると、その白魚のような少女の手を握る。

 彼女は一瞬、びっくりはしたものの少しは安心したような顔をする。

 記憶が飛んでいるのか。

 あまりにも悲しくてショッキングな映像目の当たりにしたのだろう。心が壊れると判断して身体が記憶を遮断したものと考えられる。悲しいはともかく、ショッキングな体験なら智機もしてきたばかりであるにも関わらず平気だが、EFで踏まれても平気な神経を持つ化け物は智機だけだろう。そこらじゅうにゴロゴロしていたらたまらない。そんな化け物がごろごろしているような世界は最悪である。

 少女はぽつりと言った。

「私のハパとママ、知りませんか?」

「知らない」

 大体の想像はつくけれど、憶測で語りたくなかった。

 言葉が続かなくて沈黙が訪れかける。

 智機としては迷うところではあるものの、無駄な時間を過ごす余裕なんてなかった。

「お前は生きている。これからどうしたい?」

 智機の問いかけに少女は少しの間迷って、小さく声を押し出した。

「……ころしてください」

「両親が生きているのもかも知れないのに」

 智機の目算では死んでいる可能性が高いが死体が確認されたわけではないので否定はできない。少女は動揺したが、すぐに痛みを抱えた顔で首を横に振った。

「何かを忘れているような気がして、でも、知ってしまうと壊れてしまうような気がして。……イヤになってしまったんです。もう、何もかも」

 智機は失望感を味わったが、よくある事として納得することにした。

「だから、私を……殺してください」

 この戦争を続けるか終わらせるのはこの国の人であって、余所からやってきた智機に権利はない。いくら智機が戦いたがってはいても、終わりにしたいという現実を無視することはできない。

 智機は視線を上にずらす。

 オレンジ色のEFが3機まとめて、カーキグリーンのEFの集団に突っ込んでいく。バラバラに運用するよりも一個にまとめたほうが生存確率は上がる。事実、軍勢の中に割り込むことには成功したが、蹴散らして突破することができず逆に包囲されて猛烈な一重二重と猛烈な射撃を受けている。

 ……あいつらは無駄死にっていうわけか。

 恐らく、ここで少女が死ねば彼らは戦う意味を失うだろう。死ぬ意味のない、終わってしまった戦争で死ぬのは全くの無駄死にであり、少女は何処までも続く古井戸の底へと彼らを突き落とそうとしている。無自覚で。

 ただし、彼らも納得ずくで死へ向かっているのだろう。少女と同じ理由で。

「武器は?」

 智機としても戦う前に敗北するというのは不愉快極まりないところではあるが、少女に生きる意志がないのだから勝てるはずがない。不愉快なことを黙って飲み込むのが人生である。

 一応は損失補填の材料にもなるので、条件としては悪い話ではない。

 少女は無言でブラスターを差し出した。

「跪け」

 智機の言われた通りに少女は跪く。建物の破片に覆われた大地についた事によって少女の膝に細かい切り傷がつくが智機は気にすることなく、ブラスターの出力を最低に設定すると少女の後頭部にブラスターを突きつけた。

 少女の首がかすかに垂れたのを銃越しに感じて、智機は銃の安全装置を外して、引き金に指先をかけた。

 智機が軽く指先を動かすだけで、銃からレーザーが放たれ、レーザーは簡単に少女の命を奪うだろう。

 しかし、智機は引き金を引こうとはしなかった。

 無論、殺せないわけではない。

 銃身越しに少女の頭が揺れているのが感じ取れる。

 時間を一秒一秒置くほどに、振幅の幅を大きくなっていく。

「撃ってくれないんですか?」

 いつまで経っても死刑執行をしてくれない沈黙に耐えかねて少女は言った。

 その間にも震えは激しさを増していく。

「おまえ、本気で死にたいのか?」

「……死にたいです」

「嘘をつくなら、もっと説得力のある嘘をついてくれ」

 智機はざっくりと切り捨てた。

「死にたい奴は震えない」

 震えは痙攣と見まがうほどに激しくなっていた。

「死にたいです」

「逃げ出したい、の間違いだろ」

 少女は智機に向き直る。

 その両目からは涙が大量に溢れていた。

 困難に直面した時に逃げ出すことを考えない奴なんていない。ましてや少女の前に立ちふさがっているのは衛星軌道まで届くほどの高い壁である。

 逃げだすための究極の手段というのが自殺する事である。死んでしまえば困難からは逃れられる。ある意味では決着をつけられるのかも知れない。困難を受けるべき存在は消滅してしまっているのだから。

 壁は壁だけでは障壁となり得ない。立ち向かう相手がいてこそ障壁となり得る。

 感じなければ、存在しなくなってしまえば問題はない。

 智機も逃げ出す手段として自殺をすることは否定しない

 ただし、そう簡単に死ねたら苦労はしない。

 人間だって生き物の一種であり、生きたいという獣のとしての本能がトリガーを引くことを躊躇わせてしまう。自殺をするためには本能というダイヤモンドよりも硬い壁を突き崩して無へと突っ走らせる絶望が必要なのだ。

 少女には絶望が足りない。

 意志の力で本能の壁を乗り越えられない。

「逃げ出したいけれど、逃げられないか」

 死ぬ手段ならいくらでも転がっている。そもそもガンを持っているのだから自分で引き金引けばいいのにも関わらず引けない時点で答えはわかっていた。

「わたし……ほんとうは死ななくてはいけないんです………」

「自分の生死を勝手に決めるなよ」

「なんだかよく分からないですけど、大切なものを亡くしてしまったのは分かるんです。胸にぽっかりと穴が開いちゃいましたから」

 少女は力なく笑った。

「……大切なものがなくなったというのに、どうして生きていられるんでしょうか。わたし」

 答えようとして、言葉を失った。

 智機は自分の胸に手を当てる。

 実際に身体に穴が開いてたら死んで居る。仮に生きていたとしても病院の中だ。でも、穴は確かに存在する。心に開いた大きな穴。

 何処までも続く深淵を見つめながら、智機は思い起こす。

 あの日からずっと追い続けていた。

 優しく微笑んでいる彼女を、あの爆発の日から追い続けていた。

 オレハナニヲシテイル。

 あの状況なら普通は死んでいる。にも関わらず生きていると仮定して今でも彼女を追い続けている。

 これは逃げているのではないのか?

 彼女が死んだという現実から。

 そして、彼女がいないのに生きていてもいいのかという感情がわき上がってくる。

 彼女がいなければ存在している意味はないというのに。

 大切なものを失ったのに生きながらえているというのはおかしすぎる。

「だ、だいじょうぶですか!?」

 表情に出ていたのだろう。気がつくと少女が泣きそうな勢いで心配していたが智機は軽く笑ってみせた。

 タイミングがいいというべきなのだろう、オレンジ色のEFが空中で爆発する。

 少女が死ねば、この戦争も終わって平和にはなる。残された人々には重い負債がのし掛かり、売り飛ばされて奴隷にされたり便器の代用品として酷使される明日が待っているのかも知れないけれど、少なくても無意味に殺されることはない。だから、少女の行動も身勝手ではあるが間違っているとはいえない。

 智機はこの国の民ではないのだから、この事については言うつもりはない。

「勝手に決めるなよ」

 それは彼女だけではなく、智機にも言い聞かせる言葉。

「自分の命を決めていいのは自分だけだ。他人がどうこういうことじゃない。だから、オレも生きてもいいし、お前も生きていい」

 仮に彼女がいなくなったとしても、だからといって後を追おうとは思わなかった。

 無駄であってもいい。

 仮想だろうが空想だろうが妄想だろうが成り行きには納得しておらず、納得できないまま忘れ去ることなんて不可能だった。

 そう。オレはこの世界で生きてこうと決めたんだ。

 誰であろうが否定はさせない。

 否定する奴がいたら、神であっても聖人であってもぶっ殺す。

「私は……アナタほど強くないです」

 自分を殺そうとする圧力を前にして怯まずに立ち向かえるのは少数であり、少女は間違い無く折れてしまう多数であった。

「でもさ、死ねないんだろ」

 その通りなので少女は何も言えない。

 智機の言うことはとっくの昔に承知しているはずである。世界の状況を言い訳にして辛い現実から逃げだそうとする自分に醜さと愚かさと、自らの力で飛び降りることもできない勇気の無さに絶望を覚え、噛みしめることしかできないのだろう。

「生きたいんだろ?」

「………」

 少女は答えない。

 立ちはだかるは地獄、退くは無の狭間に立たされて何も言えなくなっている。

 そんな少女に向かって智機は言った。

「なら、戦え」

 少女の顔に怒りの親戚のようなものが浮かぶ。

「戦えって」

「文字通り。死にたくない、でも、公衆肉便器にもなりたくないというのなら戦え。戦って明日をつかめ」

 少女は「こいつ、何を言っているんだ」と言いたげな表情をしている。当然の反応だろう。

「今からクドネルに勝てというのですか?」

「そうだ」

 ほとんど条件反射で言い換えされて少女は絶句した後、少女は激怒した。

「外から来た貴方に何がわかるというのですか!! クドネルに立ち向かえと。このような状況で立ち向かえなんて無理ですっっ」

 どうやら、落ちてきたところを見ていたらしい。

 困難から逃げようとしているのに、智機は立ち向かえといっている。首都が落とされて脳死状態ら陥っているようなものだから、それでも立ち上がれという智機の言葉が何も知らない第三者の脳天気で無神経なものに思えて腹が立つのも当然ではある。

 やればできるというのは寝言だから。

 もちろん、智機もそのことを承知している。

「それで?」

 少女の言葉にも動じず、冷ややかな目線でバカにすることもできる。

「それでって……あなたは」

「なら、お前は敵兵に捕まってさんざん慰み者にされたあげくに、身体を生きながらにして解体されるだけだ」

 少女が怒りを顔に貼り付けたまま固まるのは、智機の言っていることが過酷な現実そのままだったからである。

 智機の脳裏に様々な光景が蘇る。

「選択できる時間はもう、ない」

 いつも、そうだった。

 EFに乗って戦ってきた相手の顔を思い出すたびに、智機は思い出す。

「やるしかないんだよ。生きたければ」

 世界というのは出来ればやる、出来なければやらなくてもいいというものではない。無理だろうが嫌だろうが、生きるためにはやらなければいけないという状況に直面し、乗り越えることで智機は生きてきた。

 智機と少年は年齢がそんなに離れているというわけではないが、短い時間の中で積み重ねてきた経験値の量が少女を圧倒している。それが迫力となって現れ、少女を押し潰している。

 過酷な現実に怯え、逃げたいと願う少女。

 何故、この少女を助けようと思うのだろう。

 基本的には少女が生きようが死のうがどちらでもいい。

 常識的に考えれば、ここで少女を殺した方が楽であり、安全ではある。

 しかし、面白くない。

 少女の首級を手土産にクドネルに下るよりも、この状態から逆転をしてシュナードラを再建させたほうが遙かに見入りがいい。

 もちろん、リスクは大きいが、石橋を渡って堅実に生きようとするのならば、最初からこんなところはいない。

 そして、安易に少女を殺してしまったら、夢を手に入れることができない。

 あの日に近づくことができない。

 遠ざかっていく宇宙船。

 切り離された脱出ポッドの中で、ひたすらに絶叫するしかなかった時のことを思い出すといつでも魂がトップギアで走り出す。

 何かを手に入れるためには、断崖から身一つだけで躍り出るように生を賭けなければならないとするならば、この時が正にそうなのだろう。

「理不尽は耐えるものじゃない。ぶっ潰すものだろ」

 智機の迫力に気圧されたのか、少女は怯えだす。

「……つぶせないから、理不尽ではないのですか?」 意外といったら失礼であるが、頭は悪くはない。

「あなたほど……強くないですから」

「オレだって強くはないよ」

 それこそ、少女は頭を潰されたような顔をする。

 災厄というものを擬人化したような今の智機が「弱い」と自称したところで説得力がない。

「一つ、いいことを教えてやろう」

「いいこと?」

「人は頑張れば強くなれる」

 少女の悲しみが止まった。

「……がんばれば……つよくなれるんですか?」

「最初から強い奴なんていない。個人差はあることは否定しないけれど、がんばらない奴は強くなんてなれない」

 少女の瞳が輝き始める。

 まだ、弱々しいけれど、それでも一筋の希望を見いだして、前へと歩こうとしていた。

「わたしはがんばらないと、いけないんですね」

「幸か不幸か頑張らないと生きていけなくなった。もっとも、世の中というのはそういうものだろう。でも、心配はいらない」

「がんばらなければ、殺されるからですか?」

 実際、ここは戦場。

 捕獲される可能性と死ぬ可能性が半分。何もしはなくても普通に殺される。生き残るほうが遙かに難しい。

「それもある」

 しかし、智機は悪党面をやめると人好きのする笑顔で言った。

「一番の理由はオレがこの国を救いにきたらだ。ファリル・ディス・シュナードラ。シュナードラ公国公女様」

 少女は唖然とする。

 名乗っていない初対面の相手に自分の名前を言われて驚かない人間というのは少ない。

 おまけにファリルには理由を検証する時間が与えられなかった。

「ジャンプしろ」

 脈絡もなく智機に怒鳴れて戸惑うファリル。

「いいから、ジャンプしろっっ!!」

 智機に怒られて、ファリルは慌ててジャンプする。

 ほんの僅かにあいた、ファリルと地面の間に智機の身体が滑り込む。

 背中にファリルの身体が落ちてくるが、平然と智機は受け止める。

「えっ?」

 初対面の人間にいきなりにおんぶされる事になって戸惑わない人間というのはいるかも知れないが少ないだろう。けれど、不幸というか幸いというか頬が赤くなるのを自覚する余裕がファリルには与えられなかった。

 おんぶされた直後、3騎のEFが2人を挟み込むような形で降りてきた。

 巨大な両足が地についた衝撃で地面があたかも地震が起きたかのように揺れ、瓦礫混じりの土埃が舞う。

「ファリル姫ですね。生きたかったら素直に降参してください」

「貴方が降伏すれば戦争は終わる。民が無様に死ぬこともなくなるのですよ」

 スピーカー越しにEFのライダーから怒鳴れてファリルは身をすくませる。蟻のようにファリルと智機の2人を踏みつぶせるEFは恐怖を具現化したものであり、土壇場に据えられたように絶対絶命の危地に落とされたように見える。

 しかし、智機は平然としていた。

 いや、この期に及んでつまらなそうにしている。

「フォンセカにしか乗れない雑魚の分際で偉そうに」

 その呟きを吟味する間もファリルにはなかった。

 智機がファリルを背負ったまま、EFめがけて駆け出した。

 走るという一つの目的に向かって全身の筋肉を連動させると同時にコアに溜めていた力を解放。爆発的なパワーが智機の小さな身体を一気に加速させる。

 ファリルの髪が舞った。

 智機のターゲットになったEFは、智機の意図を認識すると慌てて障壁を張り巡らせようとしたが、その時には既に足下まで接近されていた。

 智機と、背負われたファリルの身体が宙を舞う。

 ファリルの悲鳴がこだまする。

 智機は地面を蹴って飛び、EFの脹ら脛部分の装甲に足を接地させると、そこを起点にして上昇、EFの隣にあるビルへと対角線上に飛び、そこを起点にして、斜めにEFに向かって飛んでいく。

 何物からも支えなく孤立しているという現実。足がついておらず空間から孤立しており、重力という神の力に逆らって高速で上昇しているという感覚。

 智機が接地や飛翔のタイミングを少しでも外したり、飛翔距離を見誤ったら墜落する。今の2人は毛虫のようなものであるからEFが振り払うのも簡単である。そして、智機は無事であっても手が離れるようなことになれば、ファリルは墜落して蠅のように叩き潰される。

 恐怖に心臓を鷲づかみにされるが、ファリルは智機の身体に懇親の力を込めて必死にしがみつくしかなかった。

 どうして、こんな責め苦を味会わなければいけないのだろうとファリルは思う。

 こんな恐怖を体験せねばならないほどの罪深いことをしたというのだろうか。

 自分の存在そのものが悪だと思えば納得できるとは思ったのだけれど、それでも納得はできない。

 智機から手を放せば、簡単に死ぬことができる。恐怖と明日に怯えることもない。けれど、智機の身体をつかむ手から力を抜けなかった。

 死にたかったはずなのに。

 でも、その事に思考を巡らせる余裕なんてあるはずがない。

 少女にとってみれば終わりの見えない長い時のように思えたが、実際の経過時間はかなり短い。

 特に智機と対峙しているEFのライダーは展開の早さについていけないでいる。

 実際の認識と、意識の認識は同一ではない。

 実際に感覚器官が現象を認識していたとしても、意識がその現象を実際に起きている現象だと認識するまで間が生じる。意識が現実に追いつけるまでの時間は一定ではなく個人差や状況によって違ってくる。

 ただの人間がEFに勝てるはずがない。

 そもそも、己の身体だけでEFに立ち向かおうと思う人間なんていない。

 それだけにクドネルのライダー達は智機とファリルが降伏すると見ていた。戦闘意欲をなくすのが常識であり、さもなくば自暴自棄になって暴れるだけであるが、そうなれば踏みつぶすだけで事足りる。虫のように。

 しかし、智機の反応は彼らの予想の斜め上を行っていた。

 降伏するのでもなく、自棄になるのでなく、冷静に戦いを挑んでくるなんて思いもよらなかった。

 いや、狂っている。

 ライダーが騎乗していないEFを乗っ取るのではなく、活動しているEFを乗っ取ろうとするのは狂気の沙汰であるが、恐ろしいのは不可能としか思えないことを真面目なまでの冷静で実行していることだ。

 このため智機の行動は彼らの認識のタイムラグを突く形となる。

 障壁を張るよりも早く接近された事、ビルを利用しての三角飛びで上昇されることなど、そんな事ができる人類なんているはずもなかったにも関わらず、あり得ない光景が展開されている現実を意識が認めるのに時間がかかった。

 最初から最後までのストーリーを組み立てて勝負している智機と、目の前の現実に追随しきれていない彼ら。

 その認識の差は、反応速度の違いとなって現れる。

 先手先手と手を打たれ、対応しようと思ったらそこに智機はいないという悪循環の中、気づいた智機はターゲットにしたEFの腰辺りにまで到達していた。

 ビルから胸部に向かって飛び込んでいく智機に向かってEFは頑丈な腕でなぎ払おうとはするが、その動きは既に見切られていた。

 智機は躱しつつ、二の腕部分に足をつくとそこを支点して跳躍をして、とうとうコクピット部分まで到達する。

 左手で身体を固定しつつ、首にファリルの両腕を回されては締め付けられ、右手をコクピットハッチと本体の隙間に手をかけた。

 ここまで来ると智機もろとも僚騎を撃破してしまうので仲間としては攻撃することができない。

 そして、正気を疑う光景が展開された。

 鈍い音がしてコクピットハッチが強引に引き上げられる。

 当然のことながら開けられないためにロックというものはかけているものであり、ましてや筋肉隆々には見えない少年の、片腕だけの力で分厚いハッチが開いてしまったというのは悪夢じみていた。けれど、これは夢でも空想でもなく、現実に起こっていることだった。

 想像もできないことを簡単にやってのけた当人は高ぶるでもなく偉ぶるわけでもなく、自然に第2ハッチを開けてしまう。

 第2ハッチが開けられたということは、コクピットが開かれていたことを意味をしており、中のライダーが直に智機と対峙する。

「よっ」

 こうなってしまえば、なにもかもが遅かった。

 智機はブラスターを抜くと反応はおろか、智機の接近を現実の物として受け止める暇さえも与えずにライダーに向かって撃った。

 いささか力強さにかける光がライダーの首筋に当り、軽く薙いでみると頭が落ちて、首の切断面から血が迸った。

 ブラスターを刀代わりに使ってライダーを始末すると、智機はシートベルトを外して不用となった死体を開けっ放しのハッチから放り捨てた。

 これで一連のあり得ない行動が終わったわけではあるが、もろちん一息つく余裕はない。

 ただし、ここでファリルを気にすることはできた。

 最初の頃は強烈な力で首を絞めてきたので、足を踏み外して墜落するよりも先に空気の供給を絶たれて脳死するのかと思ったけれど、途中で力が緩んだので死の危機が去った代わりに、ファリルのことが心配になる。

 予定通りにEFを制圧したとしても、ファリルが死んだら意味がない。

 しかし、恐怖を張り付かせたまま失神しているファリルを見ると心配は吹っ飛び、失笑が漏れた。

 ついでにいうと背中から腰にかけて何故か、ぐっしょり濡れていて、日常的に嗅ぎ取っている臭いを放っている。

 ファリルを仔細に見ていると下半身、スカートの中から液体が滴っていた。

 ……漏らしたか。

 智機は脱糞されなかっただけマシと前向きに考えることにした。お漏らしと脱糞では臭さと処理の困難さが余りにも違いすぎる。 

 実際のところ今の機動は智機でさえもギリギリだったのだから、普通の人間が一歩間違うだけで死ぬ世界の中で、自然の法則に逆らって飛んでいくプレッシャーに耐えられるわけがない。ましてや、昨日まで硝煙の臭いを嗅ぐことなく平和に暮らしていた女の子だったのだから。

 小便本体は空中を飛んでいっている途中で散らばったものの背中やパンツにしみこんで不快感を与えているが幸いというべきか気にしている余裕はなかった。

 智機はライダーの代わりに座席に座り、傍らにファリルを押し込めると両側にあるサイドスティックを握りしめた。

 脳細胞を透明で細い無数の触手が這い上っていくのような気持ち悪さを覚える。小水を浴びせられるのよりもこちらのほうが気持ち悪くて危険だ。

 EFは戦艦などの兵器と大きく違うのは意志を持っている事である。会話を交わせるほどではないが犬猫並の知性を持っている。

 つまり、登録されていないライダーが操縦しようとすると、ライダーの脳に干渉して、正規ではないライダーを排除しようとする。

 騎体を上手く乗っ取れるか、あるいは脳に攻撃を受けて廃人になるかはライダーのレベルと騎体の格次第であり、ライダーが騎体を凌駕すれば簡単に強奪できる。

 EFは星団で幅広く使われているフォンセカの装甲強化仕様。対する智機はというと……

 軽く念を込めると見えない触手は存在を消して気持ち悪さも消滅する。と同時に智機の乗ったEFから透明の力場が発生して、放たれたビームライフルの閃光をあっさりと消し去った。

 EFの特徴としてドリフトというのがある。

 これはライダーの精神力を媒介にして空気中や宇宙空間にある物質を取り込み、それをエネルギーとして活用するというものである。

 この結果、残弾が尽きたライフルからも銃をぶっ放せる、バリアーを張り巡らせて攻撃を防ぐ、カタログスペックを越えた高速機動ができるといった、想像力次第で様々な事象を生み出すことができる。

 これがEFを戦場の主役にさせている要因である。

 智機は2騎からの攻撃を障壁で防ぎ、そのまま一騎のEFに向かって突進する。

 一瞬で距離が詰まる。

 ターゲットにされたEFは慌てて障壁を張るが、刹那の激突の後にEFの障壁はかき消え、体当たりされて上方に軽く浮く。

 見た目とは裏腹に強烈な打撃だったので、敵EFは何もできない。

 智機は敵EF部分のコクピット部分にライフルの銃口を押しつけると、トリガーを引きつつ右に飛び退いた。

 いくら装甲が厚くても、押し当てられては意味がない。

 ライフルの光が敵騎のコクピット打ち抜き背中へと貫通する。過程の中でコクピットの機器もろとろも悲鳴を上げる間もなくライダーが光の中に溶けていった。

 それでも騎体全体が爆発することはなく原型を保ったまま棒立ちとなるEFであったが、そこへ智機を仕留めるべく僚騎が発射したビームライフルのビームが数発着弾して、主が消滅したEFを爆散させた。

「このっっ!!」

 残った1騎が立て続けに智機に向かってビームライフルの射撃を試みるが、智機が張り巡らせたビームによって全て弾かれてしまう。

 智機にしては悠長に見えるかも知れないが、これは強引に開けたコクピットハッチを閉めるためである。

 コクピットから外が見えるのはいいのだけれど、風や爆風、流れ弾が飛び込んでくるので流石に閉めないと危険である。

 しかし、強引に開けた代償で自動では閉まらないので手でコクピットハッチを閉めるとハッチのロック部分をドリフト効果で熱くさせた。

 ロック部分が溶けて、本体に溶接される。

 ハッチが戦闘中に開いたり、流れ弾が飛び込んでくる危険はない代わりに開かなくなってしまったわけではあるが、どうということはない。

「死ねっっっ!!」

 智機が障壁を解いたのをチャンスとみたのか、敵機が高速で接近しつつ、大上段からライトセーバーを振り下ろした。

 戦争を知らない一般人から見れば早く鋭いように見えるのだが、智機はせせら笑う。

「…遅えよ」

 懇親の力を込めて振るったライトセーバーの刃が智機の代わりに空気を切る。すれ違い様に左に体勢をずらした智機のEFの拳がコクピットを捉えた。

 必要最小限の動きで、膨大な質量を持つ金属の塊が高速でコクピットブロックに炸裂する。

 分厚い装甲が施されているだけに大きくへしゃげはしたもののEFを撃破するまでには至らない。

 いや、その気になればカウンターの正拳突きだけで撃破できなくもなかったのだが腕を破損する可能性がある。戦いはこれで終わりというわけではない。目の前の状況に一喜一憂するのは三流である。

 撃破までには至らなかったがコクピットを直撃されたEFはよろけて動きが止まる。

 智機はすかさずビームライフルを斉射。一拍の間を置いてビームがEFに命中して爆球へと変えた。

 流石に一呼吸はおける。

 けれど、休んでいられる余裕はない。

 周囲ではシュナードラのEFが数倍もするクドネルのEF相手に絶望的な戦闘を繰り広げている。

 ただ勢いに任せているだけの戦闘。

 ドリフトの効果は精神に左右されるのでライダーの実力差を根性でごまかすのは可能であるが、それだけでは勝てないのも事実である。

「しょうがねえな」

 智機は呆れたように溜息をつくと戦場に躍り出た。


 振動で目が覚めると、そこは狭くて薄暗い場所だった。

 どうして自分がこんなところにいるのか、ファリルには理解できない。

 それを理解しようと思考を巡らせようとした時、世界が揺れた。

 ほんの僅かな程度ではあるがファリルは自分がいる世界を認識する。

 狭い空間にも関わらず、360度に建物の全てが崩壊して瓦礫が散乱した荒野が見渡せる。

 ちゃんと立つ地があるにも関わらず、立っている地が見えず、言うなれば空に立っているような感覚。

 答えはEFのコクピットに無理矢理、押し込められているからである。

 EFのコクピットは周囲を取り囲む全ての空間がスクリーンになっている。だから、宙に浮いているような錯覚を覚えることになる。

 そして、コクピットに座っているのは見知らぬ少年。

 殺してくれと頼んだものの、叶えてくれず……

 光景を思い出すとあの時の恐怖が蘇る。

 少年に無理矢理おぶわれ、死の恐怖と共にEFめがけて上昇してきた、あの光景である。

「目が覚めたか」

「…はい」

 恐れがないといったら嘘になる。

 コクピットが明らかに少年によるものではない血にまみれていたからだった。足下にも血が溜まっていて、赤紫色に変色している。

「貴方はいったい何者なのですか?」

「オレは御給智機、傭兵。階級は一応、大尉」

「いちおう?」

「前の戦いから、それほど日が経っていないからギルドも評価しようがないんだ」

 返り血にまみれていることを除けば何処にでもいるような14歳の少年であり、傭兵のようには見えないのだけど、人は見かけによらないことは恐怖と一緒に教え込まされたところである。

「正義の味方さん…ではないですよね」

「オレがそんな善人に見えるか」

 もちろん見えない。

 確かに智機は「この国を救いにきた」と言う。

 けれど、意図が見えない。

 悪の存在が許せないという正義の味方なら安心できたのかも知れなかったのがどう見てもそうは見えず本人も否定した。

 かとなると何らかの見返りを期待して救いに来たわけであり、助けた代償としてどのような見返りが必要なのか分からないのが怖い。

 どう見ても智機は正義の味方の正反対にしか見えなかったから。

「マリア・ファルケンブルクという詐欺師に騙された」

「マリアちゃんにあったんですか!?」

 声のトーンが上がって、ファリルの不安が一発で氷解する。

「マリアちゃんは元気ですか? 大丈夫なんですか!?」

 声が1オクターブ上がる。

「マリアは元気だった。むしろ、君のほうが心配されるべきだろう」

 マリアはファリル付きの侍女で両親が事故死した事から、幼い頃から姉妹のように育ってきた。ところが最近、遠縁の遠縁の遠縁の伯父が亡くなり、遺言で遺産を相続することになったのでその手続きのためにシュナードラを離れた。

 クドネル共和国のシュナードラ侵攻が始まったのはそのすぐ後だった

「でも、どうして、マリアちゃんが智機……さんを?」

「それはマリアが、姫様よりも遙かに優秀だから」

「……そりゃ、マリアちゃんはすっごく頭がいいですけど」

 ストレートに言われてファリルはへこむ。

「そんなに落ち込まなくていい。この国ではマリア以上に頭がいい奴なんていない」

「そこまで…なんですか」

「事情は後で説明するとして、そのマリアにシュナードラを救ってほしいという依頼を受けて、この国に来たんだ」

「マリアちゃん……そこまで気を回さなくてもいいのに」

「それだけ姫様のことを大切に思っているという事。大好きな人たちを置き去りにして、自分1人だけが幸せになれるわけないだろ。マリアはみんなを助けたいと思って、必死になって考えた。その答えがオレ」

「でも、善意ではないんですよね」

「もちろん。貰えるものは貰う」

 その少女の想いに答えてボランティアといえばかっこいいのだけど、現実はそう甘くはない。

「シュナードラの勝利を信じている奴がいるんだから、期待を裏切るわけにはいかないだろ」

 マリアがファリルの生存と母国の勝利を信じて智機を送り込んできたのだから、ここで白旗を上げるのはマリアを裏切ることになる。死んでしまえば裏切る痛みを感じないとはいえ、マリアの気持ちを傷つけることになるだろうと思うと、ファリルは罪を犯してしまったような気持ちになってしまった。

 だから、ついこんな言葉が出てしまう。

「……すみません」

 かといって首都を落とされ、父母とはぐれてしまっている状態が逆転するのは難しい。というより敗北という現実から目を背けているだけでしかない。このような戦争に縁もゆかりもない智機を巻き込んでしまったのが辛かった。

「全てを承知して来たから気にするな。勝手に負けようとしたのはむかついたけど」

 智機の言う通りでひたすらに恐縮するしかない。

「報酬は公王もしくは公国責任者との間で応相談と言っていたから、よろしく頼む」

「応相談……ですか」

 不安が現実のものとして表れてくるが、智機は舐めてんのかこいつというような表情をする。

「言っただろ? オレは正義の味方じゃないって。傭兵を動かすにはそれ相応の見返りが必要なんだよ。クライアントに死なれたら元も子もないから、これはサービスしてやるけど」

「……はい」

まったくの正論なのでファリルは言い返すこともできない。そうでなくても議論になれば満足に受け答えもできないのだから。

「だいたい、それなりに費用をかけているんだから、タダで帰れるかっつーの」

「そ、そうですよね」

 公共交通機関なんて、そんなものとっくの昔にストップしている。

「せっかくだから、こいつでも読んでゆっくりじっくりねっとりと考えてくれ」

 智機が懐から取り出してきたのは、一通の封筒。

「これはマリアからの手紙。ファリルに渡してくれって頼まれた。オレのことを不審者扱いしているみたいだけど、こいつを……」

 言い終わらないうちにファリルが手紙を奪い取ったので智機は苦笑する。

 自分が不審者にしか見られないというのは理解している。

 人間だったら高空から生身だけで飛び降りたらひとたまりもないし、三角飛びで立っているEFの胸部までたどり着けて、なおかつ片手でコクピットハッチを開けるという真似なんてできない。

 ファリルが智機を化け物と同一に見てもおかしくはない。

 しかし、通りすがりの関係ではなく主人と使用人という関係になるのだから信用してもらわないと困る。

 そのためにはこの戦場へと誘った詐欺師ことマリアからもらった手紙が役に立つというものだろう。得体の知れない奴でも肉親のように信頼している奴からの口添えがあれば話は違ってくるだろう。

 手紙の中身は敢えて見てはいないものの、マリアのことだから問題はないだろう。

 むしろ、マリアのほうがしっかりしている。

 12歳が6歳に負けるというのも頭が痛いところではあるが、ファリルが年齢よりも幼いというより、マリアのキレっぷりが異常なのである。

 頭の回転速度の速さは化け物といってもいい。

 智機はマリアとの会話を思い出すが、6歳というのが年齢詐称だとしかおもえなかった。が、智機も人のことはいえない。6歳ぐらいには他人がその話を聞いたら妄想だとしか思えない経歴を歩んでいた。

 とりあえず手紙を読むことに集中させることによって、現実から目を反らせることができる。

 一騎のEFが突進しながら突きを入れてくるが、智機は数ミクロンの差で躱しつつ、銃剣の切っ先を相手の胴体にたたき込んで撃破する。

 智機は戦闘中である。

 物量に任せて近衛騎士団のEFを駆逐しているクドネルのEFを殲滅にかかっている。

 こいつらを駆逐することは簡単だが、問題はこれが始まりにしか過ぎないという事である。

 口でいうのは簡単だが、実行するのは難しい。

 盛り返すといっても、首都を落とされて滅亡寸前の国を盛り返すのは至難以前の話。

 クドネルのEFを殲滅してから、その後である。

 ファリルを連れて首都を脱走するのが目標だが、その先のプランが見えなかった。

 基本的に智機は脳筋で前線に突っ込んで暴れまくるのは得意だが、戦略戦術を考えて後方で大勢を指揮するのは得意ではない。正確にいえばそんな仕事はやりたくない。

 けれど、智機が自分で言ったように得意不得意ではなくて、やらねばやられるだけなのだからやるしかなかった。

 あの人なら、どんなプランを立てたんだろうか。

 NEU時代の上官であり師匠だった人の面影を思い浮かべてしまう。ライダーとしての力量は越えたと自負しているが指揮官や参謀としての力量はまだまだ及ばない。

 性格や嗜好をシミュレートし、その人になりきって作戦を立案してみようとしてみたが違うような気がしてやめた。結局、智機は智機であって他人にはなれない。

 智機はEFを走らせ、ビームライフルやライトセーバーを操りながら、サブウィンドゥに様々な情報を展開させていく。

 元々はクドネルのEFなのだから、当然のことながら作戦データが入っており、それを見ないはずがない。

「奴ら、勝ったものだと思ってやがる……って当然か」

 作戦は普通に囲んで、進捗状況に応じて輪を狭めていくというオーソドックスなものである。芸はないが物量で圧倒しているので無理に奇策に走る必要もない。

 正確には1箇所だけ大きな穴が空いているのだけど、自然に空いているのではなくわざと開けてあると見るのが妥当だろう。完全に囲んでしまえば逃げられないと悟ったネズミが死にものぐるいで暴れて被害がでる。穴さえ開けていれば逃げることも考えるし、穴付近に伏兵を置いておけば敗残兵をなんなく殲滅することができる。データにはないが、下っ端なので知らされていないのだろう。

 レッズと呼ばれる軍団のデータもない。

 侵略しているクドネル共和国の兵力は自前の国軍と雇い入れた傭兵団で成り立っている。

 その中でもレッズとシュナードラの軍兵たちが呼称している12騎の赤いEFの集団が強力で、マリアが言うにはレッズによってシュナードラの国軍の大半が殲滅させられたという。

 智機としては戦ってみたかったところではあるが、残念というか幸いというかこの戦闘にレッズは投入されていない。

 休んでいるのか、それとも他の場所に投入されているのか分からない。

 いくつかの可能性が浮かぶが全ては推測ではあり、推測の一つを事実と仮定して行動するのは危険だ。

 智機はマリアの言葉を思い出してみる。

「貴方が望む報酬が欲しいのでしたらかったら、ガルブレズを確保してください、か」

 智機は首都近郊の地図を表示してみる。

 首都の周りにはベッドタウンとおぼしき、いくつかの都市があるが、ガルブレズという表記が見あたらず、仕方なしに検索を掛けてみた。

 地図のスケールが大きくなる。

 シュナードラ全土地図になってようやく表示されたその場所は首都から1000km以上も離れた南海にある大きな島であった。海がそのまま堀になるので守りは堅い。

 構想がまとまってくる。

 マリアのことだから考えがあって、確保しろといったのだろう。

 いくら智機でもシュナードラの地理は詳しくない。裏を返せば何処を確保しようが構わないということなのだけど、ここは従っておいても損はないだろう。

「……あの、大丈夫なんですか?」

 どうやら事態のおかしさにファリルは気づいたらしい。

 動き自体は最小限なのだが急加速したと思えば急停止したり、右に左に移動したり、ジャンプしているのだから、気づかないほうがおかしい。

 戦闘は終わっていない。続いている。

「大丈夫。問題ない」

「問題ないといわれましても」

 智機が真面目に戦っているように見えないのが一番の問題だった。

 最初は戸惑っていたクドネルのEFであったが、敵だと分かるとシュナードラのEFそっちのけで集中攻撃を加えてきた。

 装甲を貫通して臭ってくる殺意にファリルは身をすくませる。

 一重二重と囲まれている危機的な状態。

 にも関わらず、智機からは危機感が感じられない。開戦前のシュナードラの政治家のように他人事のようにEFを操縦している智機に不安を通り越して憤りすら感じてしまう。

「落ち着けよ」

「どうして落ち着いていられるんですか?」

 焦ったり我を失ったりするのは問題だけど、落ち着きすぎるのも問題なようにファリルは思えてならない。

 他人事なのだ。

 実際に操縦しているはずなのに、ゲームで遊んでいるような雰囲気がしている。御給智機という人間は現実を現実の物として受け取れない人間かと錯覚してしまう。

 その一方でファリルは気づいていない。

 ドッグタグに封入された戦闘データを、多目的スキャナーからこの騎体にインストールをしていることに。

「何故、そう思う?」

 智機の問いかけにファリルは考える。

 この時、智機の精密な射撃を受けて、1騎のEFが爆散する。

 何故、真剣さや真面目さが感じられないのか、その理由を考えてみて少ししてから結論が出る。

「……ライダーといったら操縦するたびに「遅いっっ!!」とか「私にも見えるぞ」とか「食らえっっ必殺、シャイニング武士道っっ!!」とか叫んだりはしないのですか?」

 昔、ファリルは無理に頼み込んで訓練用のEFに同乗させてもらったことがある。

 戦闘もなく、ただ飛行しているだけなのにライダーは真剣そのもので冗談など言える雰囲気ではかった。その事を思い出せば智機の態度は不真面目なもののように思えてくる。

「確かに叫ぶ奴はいる」

 アクションを起こす時、攻撃された時、あるいは攻撃する時にいちいち叫んだり、何気ないライトセイバーの突きに大仰な名前をつけて絶叫するのは珍しいことではない。特にEFの場合は気合いが強ければ強いほど強力な攻撃を出せるので、叫ぶことによって込めた想いをブーストするのは常套手段である。

 実際、意識が高ぶった時には何かしら叫んでいるのは智機も自覚はしている。

「でも、必要もないのに熱くなるのは三流」

 力押しが有効とはいえ、全てがそれでまかり通るほどEFというのは甘くない。焼けた鉄の塊を片手に握りしめながら冷静に戦況を見極める神経が要求される。

「今は必要がないというのですか?」

「そうだ」

 智機はニヤリと笑う。

 その直後、カウンターで胴体部分を横一文字に切り裂かれたEFが爆発して閃光がスクリーンを染め、爆音が激しく轟いた。

「仮にオレがドジったらここで死ぬだけ。ファリルもそれが願いだったんだろ?」

 その事を持ち出されると、ファリルとしても何も言えなくなってしまう。

 ファリルは死を望んでいた。

 ふざけた操縦で撃たれれば何の問題もなく死ねる。存在しないものは何も感じない。わざわざ自らの手を煩わせることなく、勝手に殺してくれるのだから願ったりも叶ったりなはずなのに、いざ死と生の狭間に立たされると死を怖がり、生を望んでいる。

 ……死にたくない。

 優しい父母と妹のようなマリア、友達と一緒に笑い合って過ごした日常に戻りたい。

 でも、生きるためには乗り越えなければ山は高すぎる。

 だって、ファリルは公女なのだから。

「心配するな。こんなところで死ぬつもりはない」

 自分の弱い心を見透かされているようで、むかつくとは言わないが憂鬱にはなる。

「死ぬつもりはないのでしたら、少しは真面目になってください」

「いや、これは余裕」

「それがふざけてるっていうんです」

「戦闘中に携帯ゲーをやってるわけじゃないから」

「やってたことあるんですか?」

「もちろん」

「もちろんって……」

 おそらく無駄話をするような感覚で戦闘中にゲームでも遊んでいたのだろう。信じられない話ではあるが、ありえないとも言い切れない。

 なぜなら戦闘中でありながら、情報の精査やファリルとの会話に力を入れているにもかかわらず、死んでいないからだ。

 智機は真面目に戦闘をしていない。

 内心は読めないが少なくても訓練中の騎士たちに見られる熱さや必死さ、焦燥感みたいなものは感じられない。傍らにジュースやポテチを置きながらゲームに興じているような気楽さで戦いに挑んでいる。

 にも関わらず、ふざけたことに殺られるどころか被弾すらしていない。

 シュナードラのEFを数で圧倒していたクドネルのEFから集中攻撃を浴びても、ながら操縦でそれらの全てを紙一重で躱し、カウンターで簡単に撃破しているという現実のほうが悪ふざけを通り越して理不尽に思えてくる。いくら血をにじむような努力をしても才能の前には叶わない現実を見せつられているかのように。

 クドネルがへたれているという訳ではないのに。

 ふと、ファリルは気づく。

 戦闘中にも関わらず、Gがあまりかかっていない。

 EFの戦闘は高速で戦闘するのが基本なのだが智機はあまり動いてはおらず、従ってライダーや同乗者にかかる重圧も少ない。

 まるで熟練した運転手が運転するロールスロイスのリムジンに乗っているような感覚である。

 以前にファリルが搭乗した時、戦闘でないにも関わらず智機よりも激しい行っており、終わって降りた時には吐いてしまったが、今回はそういうことはない。もちろん撃破されない事が前提であるのだが、不思議とそのような恐怖感を感じなかった。

 智機が移動を多用しないのは、もちろんライダーどころか戦闘員ですらないファリルを気遣ってのことである。

 EFといえば高速機動が定番であるにも関わらず、その常識をあざ笑うかのような戦いぶりに智樹への不信感が戸惑いへと変化しているさなかに現実に戻される。

「公女様」

 智機が話しかけてきた。

「……なんでしょうか?」

「手紙は読み終わったようだけど、オレの事は書いてあった?」

 ファリルは黙って、文面を思い返してみる。


「御給智機中尉は若いですが最強の騎士です。私見ですが、蒼竜騎士団の騎士にも比肩する能力をお持ちです。お姉様に対して不遜な態度をとられるかもしれませんが、公国再建を望んでいるのでしたら、彼に全権を預けてください。評判は悪いですが、勝利に対しては誠実なまでに拘るお方です。彼の才幹が存分に震えるよう配慮をお願いします」


 マリアがそういうのだから信頼してもいいのだけど、智機の態度が微妙である。しかし、智機の身体能力の高さをその身で思い知らされたことを思いだす。

 ビルとEFを利用して三角飛びという真似は2度と体験したくない。

 ……そこで何故か下半身、パンツが濡れていることに気づく。

 原因を探ろうとするが、矢先に智機が言った。

「公女殿下。某を公女代行騎士に任命して頂きたい」

「代行……ですか?」

 智機の要請にファリルは戸惑う。

 代行騎士とは文字通り、公女の代行として責務を負うものであり、この場合は軍事をファリルに代わって行うことを意味する。智機の言葉はファリルの言葉でもあるので将兵は智機に従わなくてはならない。問題なのは、智機が外道なことを計画していて、ファリルの命令ということでやれてしまうということである。

 はっきり言ってしまえば専横。

 許してしまうことに躊躇うのも無理はない。

 マリアならともかく、智機の気心なんてしれないのだから。

「この国をどうこうしようというわけじゃない。滅びかけの国の称号をもらっても嬉しくないし」

 称号や権限というのは与えた組織の重さによって初めて効力を発揮するわけであって、滅びた国から与えられた称号というのは子供銀行の通貨と代わらない。せいぜい詐欺の道具として使えるだけである。

 自覚はしているけれどはっきりと言われると屈辱なのかファリルはうなってしまう。

「それなのに何故、ほしいんですか?」

「必要だから。偉い奴はどれだけ生き残っている?」

 分かるわけがない。

 EFの襲撃によって父母と離ればなれになってしまい、首相などの要人が生きているかどうか分からない。強いていえばクドネルとEFと熱戦を続けていた近衛騎士団が確認できる中では偉いのかも知れないけれど、生き残っているのが団長格か団員なのかは分からない。

「今のシュナードラにとって何が必要なのかといえばリーダー。なんならファリルが陣頭で指揮をとってみる?」

 とれるはずがない。

 ファリルは今まで普通の女の子として暮らしていた。少なくても少年でありながら硝煙の臭いをまとわりつかせた智機とは違う。操縦した事もないのに、EFの操縦しなくてはならないのと同じでどのように将兵たちを動かしていいのか見当がつかない。

 一歩間違えただけで、あるいは動かなかっただけで彼らが死ぬと思うと震えが止まらない。

 けれど、その役割が負わなくてはならないのは、どうやらこの国で一番偉いのがファリルのようだからである。


 ファリルの思考が止まる。

 

 暖かくて優しかった両親は何処にいるのだろう?


 立っていた大地が突然無くなってしまったかのような恐怖を覚えた。

 ファリルは両親のことが嫌いではない。

 むしろ、父と母、それにマリアの4人と一緒に暮らした、笑顔に満ち足りた時間が大好きだったのに。

 どうして触れようとしなかった。

 ファリルの脳裏に映像が再生される。

 爆風を受けて横転するエアカー。

 天地が2度3度ひっくり返る思いするが、辛うじて両親たちと脱出する。

 瓦礫が散乱して歩きづらい荒野となった大地を必死になって走るが、ビルだったものの破片に足を取られて転んでしまう。

 先を行っていた両親が心配そうに振り返る。

 その時だった。

「いやっ!!」

 思い出してしまった。

「いやっいやっいやっ」

 その先の光景を。

 思い出してはならない光景を

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやぁっっっっっっっ!!」

 ファリルがいきなり悲鳴を上げたので、火薬庫に爆竹を投げ込んでしまった事を智機は後悔するが、浸っている暇はない。

 五騎のEFが前方後方左右全ての方向から迫ってくる。それぞれが高速移動していて、その結果、一騎につき5騎6騎と分身している。

 フォンセカ改造機にしか乗れない分際で、分身機動をやるとは智機も感心してしまう。ドリフトに頼ってのことなのだろうけど。

 前面に敵、中ではファリルが泣き叫んでいるという頭の痛くなる状況でありながら智機はつまらなそうに呟いた。

「やれやれ」

 無数の敵が同時に襲いかかってきても問題ない。

 有象無象、それらの全ての敵を一瞬で切り伏せればいいだけの話。

「女の子が泣いてるっつーのに、おとなしくしろよ」

 智機はそれを実行してのけた。

 めんどくさそうな顔で。もとい、涼しい顔で。


 本体よりも何倍も大きくなった銃剣の光の刃が一閃して、敵騎の刃やビームライフルの弾丸が智機に到達するよりも早く、その敵騎たちを実物、幻関係なく切り裂いた。

 立て続けに爆発が5つ。

 閃光の花が爆発音と共に咲き、微細な破片を散らしながら消えるとそこにいるのは智機の騎体だけだった。

 クドネル側のEFは全て殲滅した。

 ようやく戦闘に決着をつけ、ファリルにだけ集中できる環境を造り上げると智機はファリルの様子を確認する。

「パパ、ママ、パパ、ママ、パパママパパママパパママパパママパハママっっっっ!!」

 正気を失っているファリルに智機は愕然とした。これならば、片手間で無数のEFと戦っている方がまだマシというのはさておき、哀しみと絶望に染まったファリルの瞳を見て、ファリルの身にどんな現象が起きているのか智機は一発で悟った。

 自分よりも大切な存在を目の前で奪われた経験なら、智機にもある。

 智機の場合は、その大切な人が悲惨な状態になって消えていくのをどうする事もできずに見守ることしかできなかった。


 遠ざかっていく宇宙船。

 やがて、炸裂する爆音。

 あの時のことは覚えている。

 存在を救えなかった自分と、そのような運命に追いやった世界への怒りと共に。

 ファリルはどうなのだろう。

 戦闘マシーンとして生まれてきた智機とお姫様として育てられてきたファリルとではキャラクターが違うだろうし、宇宙と地上では見れられる風景も違う。

 とりあえず、智機としては抱きしめて涙と恐怖をその身に受け止めるしかなかった。

 爪が深く食い込んでくるが、気にもならない。

 どうすれば彼女の哀しみを癒せるのかは分からないが、少なくてもひとりぼっちにさせるのは危険だった。

 暴れるのを押さえ込みつつ、背筋や頭を撫でてやる。

 無論、それだけで収まるほど甘くはないが、最初に比べれば落ちついてくる。

 このまま静かになってくれればいいかなと思いながら、智機は正面に視線を向けた。

 クドネル側のEFは全て殲滅。

 残ったシュナードラのEFが智機を取り囲んでいる。

 数は5騎。

 1対5では結果が知れているように見えるが、量が戦局に何らかの影響も与えないことは智機の戦いぶりが証明している。

 彼らは囲んだまま動けないでいる。

 当然の話で、軽く20騎以上はいたEFを智機がこともなげに殲滅した。鬼神のごとき智機の戦いぶりを目の当たりにして、それでも戦いを挑む奴がいたとしたら、そいつはバカを通りすぎて知的障害者といってもいい。

 しかも、智機が片手間で撃破していた事を知っていたら彼らは絶句かもしくは絶望しただろう。

 ファリルが懇親の力をこめてしがみついているおかげで動きが制限されているので条件は厳しいが、それでもこいつらを殲滅できる自信が智機にはある。むしろ、ハンデとすらいってもいい。

 この場合はどうしたらいいのだろうか。

 答えはスピーカーから流れ出る。

「メネスのライダーに告げる。我々は卿と話し合いを所望する」

 倒せる相手ではなく、かといって話し合いが通じない相手ではないという事であれば、やる事は一つだけである。

「ふざけるな、ディバイン。大隊長を差し置いて交渉など僭越にもほどがある」

 年かさらしい男が最初に話しかけてきた男を責めるのを見て智機は複雑な気分になった。経験上、この手のタイプは偉そうな態度の割には使えない人間が多い。クルタ・カプスやカマラでは敵よりもこの手の味方に苦労させられた。

「オレはディバインという人物としか交渉しない」

 最初に話しかけてきた人物のほうが物わかりがいいと判断。メインチャンネルで宣言すると何とも言えない空気が流れ込んできたような気がしたが、智機は構わず続けた。

「ターミナルアンカーを射出する。手を上げてくれ」

 手を上げてきたEFに狙いを定めて、グリップではなくセンターコンソールにあるボタンを押した。

 胸部装甲の一部が空き、ピンク色に塗られたケーブルがEFに向かって射出される。

 先端がコネクタになっているそれはターミナルアンカーといって、EF同士が有線で通信を行うために使われるものである。ネットワーク社会においての一番の防諜手段がネットワークを使わないことというのは今も昔も変わらない。

 射出されたアンカーをそのEFが接続してきたのを確認する。

「小官はブルーノ・ディバイン、シュナードラ公国近衛騎士団騎士だ。貴官の名を知らせよ」

 スクリーンに表示されたウィンドゥに写っているのは20代前半の北欧系とおぼしき美青年である。

 ディバインはやや驚いているようだった。

「オレは御給智機、傭兵大尉。公国侍女、マリア・ファルケンブルグの依頼を受けて公国軍に加勢しにきた」

 EFに乗っている智機を見て驚かない人間というのは少ない。少年ライダーというのは極めて稀な存在だからである。

 おかげで智機からすれば、自分を見た時の反応がその人物の器量を計る物差しとして使える。

 ウィンドゥが二つ現れる。どうやらディバインの騎体に勝手にアンカーを接続したらしい。

「大尉だと? 冗談も大概にしろ、坊や。EFは子供の玩具じゃないんだぞ」

 そういってきたのは中年の男性で偉そうな態度を取っている。声から受ける予想が現実と一致そうではあるが、あまり嬉しいことではない。

「EFはおっきい子供の玩具でもないんだけど」

「なにぃ、貴様。口答えするかっっ!!」

「僕はハルドレイヒ・ヒューザー。ブルーノと同じく騎士だ」

 会話に割り込んできたのは見たところ17か18ぐらいの人なつっこそうな青年だった。ただし、ヒューザーの場合は見た目よりも歳を食ってそうな感じはある。

「君ってほんとに凄いなあ。特に最後のアレなんかどうやったらあんな風にできるわけ? どうやったらできるのか後で僕に教えてくれよ」

 ここまで無邪気に感動されると違う意味で反応に困ってくる。年上にも関わらず素直に賞賛できるのは素晴らしいことかもしれない。

「その少女は?」

 ディバインが智機に抱きつきながら泣いている少女の存在に気づく。

「女の子を乗せて搭乗とは……って、おい」

 陽気なヒューザーも少女の顔を見て、反応が止まる。

「バカもん。きゃつの隣に座っているのは姫様できないかっっっ!!」

 3人がようやく智機の同乗者の正体に気づく。

「ファリル姫は当方が保護した」

 智機の宣言に3人は色めきたつが、ファリルの様子を見て上がったテンションが下がっていく。

「……どうしちまったんだよ、姫様」

「姫様に何があったんですか?」

「悪夢を思い出したらしい」

「公王陛下は?」

「姫様の反応を見た感じでは、どうやら死んだらしい。……見ちまったんだろうな、きっと」

 三者三様の沈黙が訪れる。

 智機とは違い、彼らはシュナードラの近衛である。守るべき人を守れなかった悔いや哀しみなど色々とあるのだろう。

 けれど、哀しみに浸っている余裕はない。

「ブルーノ卿。軍の司令官や政府閣僚の生存状況を教えてほしい」

「まず、近衛騎士団の残存兵力は小官たち五騎のみです。騎士団長は戦死。現在の指揮は第三大隊長のヴォルフガング・ノヴォトニー卿が努めております。首相官邸ならび官公庁街も壊滅、政府閣僚も全滅です」

「ということは、シュナードラ公国の元首はファリル公女ということでよろしいですか?」

「恐らくはそうなりますね」

「こら、儂を無視して話をすすめるな」

 もちろん智機は聞く耳をもたない。

「よくやった。でかしたぞ、少年。とっとと姫様を我に渡すがよい」

「悪いがメネスを強奪する過程でハッチを壊して溶接したから、自力で開けることはできない」

 ノヴォトニーの勝手な要求を智機は拒絶。

「ならば儂が開ける。じっとしてろ」

「断る」

 外側からの刺激でハッチを開けることはできるが、破壊という形になるので戦闘が困難になる。

「貴官はシュナードラに加わるといったな。ならば貴官は儂の部下ということだ。軍では上官の命令には絶対に服従。わかったら、さっさと引き渡せ」

「残念だが、貴官にオレへの指揮権はない」

 智機が冷ややかに言うとノヴォトニーは怒りで顔を真っ赤にさせた。

「貴様っっっっ!! 何を言っているのかわかっているのかぁっっっ!! 貴様がシュナードラに志願する以上、現在の最高指揮者にあたる儂の命に従うのが当然というものだろうがぁっ!!」

「妄想乙」

 智機の口元から冷ややかな笑みがこぼれ落ちる。

「妄想乙とはなんだ。無礼だぞ」

「それ以上貴官の下らない妄想を聞いている時間はない。ファリルを寄越せ? なら奪い取ってみせろよ。力づくで」

 智機が言い終わると沈黙してしまう。

 できるはずがない。

 数に任せて殲滅しようとしていたクドネルのEFを単騎でありながらこともなげに殲滅したライダーを相手に勝てるわけがない。

 しかも、ファリルを人質に取られているのだから付けいる隙すらねない。

 静かになったところで智機は厳かに宣言した。

「小官は公女殿下より公女代行騎士を拝命した。これより貴官たちは我の指揮下に入ってもらう」

 智機の言葉に3人のライダー達は言葉を失った。

 ノヴォトニーは怒りで固まり、ディバインは疑問、ヒューザーはあっけにとられた後、面白そうな表情を浮かべる。

「要求はなんだ? 誘拐犯」

 智機が宣言したところで説得力は皆無であり、ファリルを誘拐したと見るほうが自然である。智機は思わず「誘拐犯じゃねえ」と突っ込みそうになったがヒューザーの笑みを見てやめる。

「姫様から真偽を確かめたい」

「姫様はまともに話せる状態ではない」

 ディバインが裏を取ろうとするが智機は拒否した。実際、さっきより落ち着きはいるものの錯乱していることには変わりなく、まともに会話できる状態ではない。

「貴様が代行だとぉぉっっ ふざけるなぁっっっ!!」

「それ以上は抗命と見なして銃殺するぞ」

 命令するより所を失ってノヴォトニーは絶叫するが、笑いどころである。

 もっとも、代行騎士というのは智機の自称なのだが。

「誘拐犯からの要求だ」

 いい加減に茶番は終わりである。

「首都シュナードラは残念ながら落とされた。我々、シュナードラ軍はこの地より撤退する」

「ふざけるな。近衛騎士に撤退などありえんっっ!!」

「了解しました。代行殿♪」

 ノヴォトニーは絶叫しっぱなしであるが、ヒューザーはノリノリで受け入れた。

「了解しました。代行殿の方針は?」

「ディバイン。そいつは代行ではない」

 ディバインも受け入れたようである。ノヴォトニーを鮮やかにスルーすると騎士らしい提案をする

「我ら騎士一同が盾になりますので、代行殿はその隙に」

 近衛騎士団の目的は自らを盾にして王族の命を守ることにあるのだがらディバインンの提言は当然といえるのだが。

「むしろ、その逆?」

「逆?」

 言っている間に智機はクドネル軍の配置データを各機に転送する。

「敗北が決まった以上、我々に出来る手段はただ一つ、残存兵を可能な限り集めて撤退すること」

「穴が空いてるよな」

「それは罠だ。ハルドレイヒ卿」

「また学校で習ったことを忘れたのか? ハルド」

「うひー。厳しすぎー」

 転送されたデータを見て、ヒューザーが包囲網にある穴の存在を指摘するが智機とディバインから即座に突っ込まれてしまう。

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

「オレが全員の脱出を支援する」

「支援って何をするんだ?」

「これから敵旗艦を落として指揮系統を混乱させる。穴が空くから、そこからまとめて脱出しろ」

 3人ともこの指示には唖然とする。

 首都の攻略には戦艦3隻、巡洋艦12隻からなるクドネル第二艦隊があたっている。それだけでEFの総数が120騎に達している戦力であり、加えていくつかの傭兵艦隊が加わっているので200騎は越えている。

「敵旗艦を撃破って簡単に言うかな……」

 智機がやろうとしているのは一言でいえば敵中突破である。それを一騎でやろうというのだから無茶以上に……おかしい。

「代行殿が我らの及ぶところではないエースだというのはわかりますが」

 普通に考えるなら絶対に無理。

「お前ら、こやつは代行ではない!! 痴れ者を倒せ」

「代行殿の騎体には姫様も乗っていられるのですよ」

 ましてや智機の傍らにはファリルがいるのである。智機1人ならまだしもファリルの命を賭けていいものではない。ファリルが死んだらゲームオーバーなのだから。ディバインの危惧は当たり前である。

「小官は代行殿も我らと共に行くべきだと具申します」

 ありったけの味方をかき集めて撤退をするのであれば、智機も同行すべきというのは理にかなっている。戦力を可能な限り集中するというのは基本中の基本だ。

 実際、智機もそれを考えた。

「ブルーノ卿の具申は大変有り難いものではあるが、残念ながら却下させてもらう」

「その理由は?」

「姫様が同乗しているのとメネスの性能から勘案すると、君たちを守りながらの戦闘が難しいからだ」

 智機が言い終えると間が空いた。

 言葉はないが、熱が空間を焼いている。

「僕たちを守りながらか。随分と舐められたもんだね」

 シュナードラの騎士たちが足手まといだと言っているのも同然だった。実際に騎士と智機の戦闘力には大きな差があるのも事実で、共に行動させると智機が騎士たちに合わせることを強いられ、智機の良さを殺してしまうことになる。その影響は極めて大きい。

「貴様。甘言を弄して姫様を売るつもりだな」

「売り飛ばすのに、いちいち貴官らに相談するか」

 ファリルを売り飛ばすのにわざわざ騎士団の面々と相談する必要はない。

「いったい何をやられるつもりなのですか?」

「秘密」

「……自信があるのは結構ですが、甘く見ていると火傷しますよ」

 ブルーノの言葉に刺がないといったら嘘になるのだけど、智機はスルーする。

「肝に銘じておく」

「ハッチを壊すことはわかるんだけど、代行殿が突撃するのであれば、やっぱり姫様は僕たちに預けたほうが」

「卿達に姫様を預けるより、オレが守ったほうが生存率が高い」

「さいでっか」

 単騎で敵中突破を仕掛けるよりも、集団で包囲網突破を狙うほうが生存率が高いのは自明なのだが、いつまでも通用すると思うな常識である。

 ……出来れば通用してほしいのだが。

 もし、彼らがコクピット内での状況を知っていたり、智機がEFを強奪する過程を見ていたのであれば絶句していただろう。

「貴様。そんな勝手が認められると思うのか」

「ならば作戦案を提示してくれ。検討に値するものであれば検討はする。ただし「公国と騎士団の尊厳を守るためにオレ達は玉砕する」というのは却下」

 ノヴォトニーは当然のように文句を言うが、智機に切り替えされて絶句する。

「玉砕の何が悪い。こうなった以上、我の誇りと……」

「全て悪い」

 それでもノヴォトニーは反論するが、冷静に切り捨てられる。

「貴様は誇りと尊厳とか抜かしているが、現実から背を向けて逃げるのを美化してごまかしているだけだ」

「……このッッ!!」

 ついに切れたノヴォトニーはライフルの銃口を智機に向けるが、その怒りも凍り付く。

「大隊長殿は大人しくしてください」

「…き、貴様。上官に向かって何を」

 ディバイン騎がノヴォトニー騎の脇腹にライフルを突くつけていた。

「今の上官は貴官ではなく、代行殿です」

 かつての上官に向かってディバインは冷静に言い放った。

「代行だと? それは奴が勝手に言っておるだけだ」

「姫様が認めたのか自称なのかはさだかではありませんが、彼が姫様を確保しているのと、我々を瞬殺できる事は事実です。加えて、彼の命令は無茶ではありますが有益だと判断します」

 ディバインはそれでかつての上司を黙らせると今度は智機に向かって問いかけた。

「貴官に問う。この状況であっても、シュナードラに勝てる見込みがあるというのか?」

「確かに勝算があるとはいえない」

 首都は落とされ、公王以下の要人は壊滅、残っている戦力も詳しくはわからないが少ない。下手をしたら、この五騎だけかも知れない。だから、智機としても調子のいいことはいえない。

 智機は笑った。

「でも、勝算がなかったら死ぬというのか。貴官は」

 全員に怒りが走ったのは、智機があからさまに彼らのことをバカにしていたからである。

「貴様っっ」

「ブルーノ・ディバインに問う。貴様は何がしたい?」

 ディバインの激昂を智機は冷ややかにスルーする。

「何をって、何をだ」

 相も変わらない涼しげ態度とは裏腹に、モニタ越しに伝わる迫力がディバインの内側から吹き上げた怒りを縛り付ける。

 どうみても14歳の迫力ではなく、それに比べればディバインたちの怒りはちっぽけなものでしかなかった。

「貴様は何をしたい。勝ちたいのか、騎士団の誇りとやらに殉じて死にたいのか、それとも負け犬としての一生を送りたいのかどっちだ?」

 彼らは動くことが出来なかった。

 軽くて弱そうな外見とは裏腹に、全身から放出される空気が騎士達の心を縛り付け、地面に押し潰す。

 智機は敵に対峙するように彼らに向かって気を発している。気は騎体を包み込むように広がり、智機のメネスを何倍もの大きさに見えている。

 彼らは悟った。

 智機には絶対に勝てない。

 少年でありながら、年上の彼らを圧倒している。何倍物の戦闘経験を積み重ねている。智機がシュナードラ軍にいるのであれば、智機よりも強いシュナードラの兵士なんて存在しない。

 魔王のような智機から、ディバインは生きる意味を突きつけられる。

 他人の命令や状況に流されるのではなく、自身が心から思う道。

 ディバインは答えることができなかった。

「死にたいというのならそれでも構わない。でも、障害があるから、戦わなくてはいけないから、それだけで生きるのを諦めてしまうのか?」

「……ぶち壊して進めということなのか?」

「そういうこと」

 今度は毒のない笑みと共にディバイン達を押し潰していたプレッシャーも消えた。

「無茶苦茶な方ですね」

「人間、いつかは死ぬ。オレも貴様も。ただ、死に方といっても色々ある。死に様を強制されるか、あるいは全力で足掻いた末に死んでいくか、オレは後者のほうがいいと思っている」

「そういう代行殿は死んだことがあるんですか?」

「こいつは1本取られた」

 ヒューザーが茶々を入れたことによって、いつもが完全に戻ってくる。

「それに勝つためには、姫様にも危ない橋を渡ってもらう必要がある」

「どういうことですか?」

「敵が攻めてきて、味方を置いて真っ先に逃げ出すトップと、最後まで踏みとどまって1人でも助けるトップ。信用するのはどっち?」

 シュナードラのパイロット陣はお互いに顔を見合わせる。

 当然のことながら、信頼できるのは後者である。

 最高指揮者は一番最後に死ぬのが鉄則だとはいえ、みんなを守るために身体を張らなければ、人はついてこない。今がまさにその時だった。

 そして、それは先々のことを智機が考えているからだともいえる。


「そういえば、忘れていたことがあった」

「なんですか? 代行殿」

「自己紹介を忘れていた。戦歴データを送る」

 智機はタグに封入されている自身の経歴を三騎に送った。コネクタを通じてディバイン達の騎体にも伝達される。

 三人は一瞬、意識が飛んだ。

「……マローダー……カマラのマローダー…だと」

 ノボトニーはこんなガキがトップクラスの傭兵だと信じられないといった顔をしていた。ノボトニーの反応が普通だろう。予想の範囲内ではある。

 ヘルメット越しにでも伝わる。

「よかったな、少年」

 殺人鬼を見るような眼差し。

「うちの首相。代行殿が来たら平和と人道に対する罪で処刑すると息巻いてたぜ」

「ひどい話だ」

「ひどいのは代行殿だろ。戦争だとはいえ、民間人の大量虐殺なんて許される話じゃない」

「勝ってしまえば、そんな弱者なんか最初からいなかったことになる。問題ない」

「……」

 ヒューザーが憤るのも無理もない。

 許されないことをしておきながら、後悔する訳でもなく、それどころか自慢しているような口ぶりなのだから腹が立たないほうがおかしい。

 しかし、勝ってしまえばなかったことにできてしまうことをリアルタイムでやられるているのが、シュナードラの現状である。

「それでも、今のシュナードラには代行殿の力が必要だ」

 絶対的なエースを見る畏敬と

「代行殿はこの戦況をどのように判断しますか?」

 そして……希望。

 智機は言った。

「ここはまだ地獄じゃない」

「地獄じゃないだと…」

 破壊されたビル、地面に散らばる瓦礫、随所に立ち上ると炎と煙、そして火事だけでは説明がつかない色々なものがまぜこぜになった臭い。

 昨日までは美しかった街が見る影もなく破壊され、大勢の人々が住む家を無くして焼け出される惨状がリアルタイムで展開されているにも関わらず、智機は地獄ではないと言い放つ。たくさんの人々が死んでいるにも関わらず。

「破壊はされている。が、それだけだ。カマラに比べればぬるい」

 智機がただのガキであれば、ぶん殴っていただろう。

 でも、ただのガキではないことは、彼の持つ名前と経歴が証明している。 

 問題はあるけれど、実力があるが故にも問題を起こせるともいえるエースが目の前の地獄そのものな光景を目の当たりもしながらも、地獄ではないと言い放つ。

 ディバインは言う。

「この戦い、もしかして勝てる……と」

「姫様が捕まっていたらアウトだったけれど、確保できたから問題ない。後はお前ら次第」

「オレ達次第?」

「オレは外人だ。この星の人間じゃない。勝てる余地は僅かばかりはあるけれど、お前ら自身にやる気がなければ勝てる戦も負ける。ま、お前ら全員、うんこをしたらトイレットペーパーで尻を拭く程度の決断すら出来ないへたれだとして方法はある」

「その方法は?」

 ヒューザーは聞いてみたが、その判断を後悔することなる。

「カマラをここで再現するだけ。その時は、姫様は預けるとして、お前らは時間を稼いでくれればいい。相当タイトになるけれど、やってやれないこともない」

「カマラを再現って……正気か」

「今なら、クドネルの連中は大気圏外から衛星を落とされるなんて思っていないはずだ」

 言葉の意味に、智機以外の人間は絶句する。

「正気も何も分が悪い賭けに賭けた。賭けたからにはどんな手段でも勝ちにいく。救われるのだから、お前らにとっても悪い話じゃない」

「大勢の人たちが死ぬんですけど……」

「それがどうした」

「それがどうしたって、貴様は人間かっっ!!」

 智機の人を人と思っていない態度にノボトニーが激発するが、智機はあくまでも覚めていた。

「大勢の人間を殺す程度で鬼畜呼ばわりされるなら、貴様らも同罪だ」

 周囲の空気が一気に沸騰する。

「……僕、代行殿のように大量に人は殺してませんが」

「でも、無能さ故に首都にまで敵軍に攻め込まれ、たくさんの人を死なすことになった。貴様らが有能であれば、そこまで死ぬことはなかった。つまり、貴様らの無力さが殺した。違うか」

 智機の意図を理解すると熱が一気に静まり変える。

 政府の意向はどうあれ、シュナードラ軍が強ければクドネル軍を国境線で押しとどめられたかもしれない。国王以下の人々が死ぬことはなかった。

 結果として守りきることができなかった。

 言い訳がヤマほどあるが、どう言いつくろうとしても死んだという事実をぬぐい去ることはできない。

「貴様らの無能さによって死ななくていい人々が大量に死んだ。故に貴様らはその責任をどこかで払わなければいけない。ただ、破産管財人、あるいは弁護士として雇われたオレとしては、オレの都合のいい形でツケを払いたいだけだ。シュナードラの人は死ぬのは嫌だけど、クドネルの人が死ぬのも嫌だ? なら、死ねよ。邪魔だから」

 智機の良心に突き刺さりまくる指摘に3人は沈黙を余儀なくされるが、沈黙は短い。

「わかった」

 ディバインの語尾に密やかな怒りがこもっていた。

「そっか。死にたいのか」

「この地はオレ達のものだ。クドネルでも、お前のものでもない。この地の未来はオレ達が決める」

「ブルーノ……」

 ヒューザーの呟きが響いた。

 そして、笑い声がこぼれる。

「了解した。ブルーノ・ディバイン」

 人を殺したくて殺したくてたまらないといいたげな智機の笑みだった。

「了解しました。代行殿」

 笑みは一瞬で智機は真面目な顔をして、司令官としての命令を下した。

「残存する戦力を可能な限り集合。包囲網を突破した後はガルブレズに集結。復唱せよ」

「こちら、ブルーノ。残存する戦力を可能な限り結集。包囲網を突破した後はガルブレズに集合」

「なお、騎士団団長代行にブルーノ・ディバイン。補佐にハルドレイヒ・ヒューザーを任命する。これは公女の命である。トップは貴官。責任をもって残存兵力を指揮せよ」

 この難局を乗り切るためには命令系統が確立されてなければならない。リーダーの資質以前にリーダーさえいなければ組織だった行動はできない。つまり、1人1人が孤立したまま叩き潰されることを意味する。幸いにして公国なのだから、現在の最高権力者である元首の命ということであればまとまるだろう。

 ディバインはいったんは驚いたけれど、すぐにポーカーフェイスを取り戻した。

「その命、謹んでお受けいたします」

「僕が補佐か。ケチだなあ」

 口ほど不満というわけではなく、むしろ楽しんでいる。

「話はだいだい終わったけれど、一つだけ聞きたいことがある。レッズと呼ばれる集団を見たことがあるか?」

 この戦場で唯一、気がかりなのはレッズと呼ばれる集団が見えないことだった。予備兵力として待機していると考えるのが穏当であるが、問題は何処で彼らが投入されるかである。

 脱出はしたはいいものの、集結先のガルブレズで伏兵していましたといったら流石の智機も白旗を掲げるしかない。

「レッズに会ってたら、ボク達生きてないってば」

 ヒューザーから苦笑がこぼれ落ちた。

「代行殿の騎体にデータはないんですか?」

「ない」

 クドネルのEFを強奪しているとはいえ、分かったことはこの戦場にはいないという事。それとレッズの立ち位置だけである。

 レッズは重要機密扱いの存在であり、フォンセカのローコスト改造機にしか乗れないような傭兵風情に動向を明かせるはずがない。

「諸君に尋ねたいことがある。レッズの姿が見えないが、キミ達ならどう見る?」

「普通に考えれば予備兵力として置いているのでしょう。残念ながら先の戦いで趨勢が決まってしまいましたから。万が一ということもありますし、無理して前線に出す必要はないかと思います」

 まず、ディバインが先陣をきる。智機と同じような感想だが、常識的な思考だといえる。

「最初からうちらの負けが確定していた戦いだし、ひっくり返せると思えるバカは何処かの代行殿ぐらいですかね」

 伏せ字になっていない。

 でも、こういう雰囲気は智機も嫌いではない。

「一番恐ろしいのは、逃げ出した先に伏せてあったということでしょうな」

 ノヴォトニーもいい加減に諦めたらしい。

「ガルブレズってどんな街だ?」

「一言でいうと辺境、ど田舎だね」

「南洋の孤島であります。攻撃方法が限定されるので守りやすい地形ではありますね」

「国立公園みたいなところだから、逃げるには便利かもね」

 守備側より攻撃側が有利なのは、攻撃側が自由に攻撃目標を選べるけれど、守備側は守らなければいけないポイントに部隊を割かなければならないからである。多ければ多ければ回せる数も少なく、各個撃破の餌と成り果てる。

 智機は安心することにした。人よりも牛や羊のほうが多い場所にわざわざ兵力を分散させるメリットがない。この展開はクドネルにとっても予想外であり、対応するには距離が遠すぎる。

「もう一つはクドネルも一枚岩ではないとは思われますが」

 さんざん智機に文句をつけてきただけに説得力がある。3人だけだというのに親智機と反智機に別れているのだから、国軍であっても様々な派閥がある。ましてや、クドネル軍には多数の傭兵軍が参加しているのだから、クドネルと傭兵軍のバックについている勢力との間に色々な軋轢があるはずである。

 むしろ、まとまっているほうが不思議。

 勢力と勢力の間隙を突ければ勝ち目が見えてくるかも知れない。そこまで生き残ることが出来ればの話だが。

「最後にお前らに言っておきたい言葉がある」

「なんすか? 代行殿」

 ヒューザーの声はどう解釈してもふてくされている。その様子に智機は安心したようにほくそ笑む。

「そんなに大した言葉じゃない」

 智機は宣言した。

 獲物を虎視眈々と狙う野獣のような瞳と笑みで。

「新欧州連合アルビオン国シャフリスタン艦隊及び、旧カマラ人民民主主義共和国軍第72装甲騎兵師団バビ・ヤールはこれより、戦闘を開始する」



 ……to be continue


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