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詰まる所、我儘である。

作者: やな氏

まず始めに、おもちゃを買ってもらえなかった子どもの我儘を想像してもらいたい。泣き叫び、床に這い蹲る姿が頭に浮かぶと思う。そこで今度は大人の我儘について想像してもらいたい。果たして大人になったら我儘がなくなるのか?というと、実はそうでもない。子どもと大人の我儘の違いは、周囲を巻き込んで縦横無尽に暴れるか否かの違いであり、我儘そのものの本質は変わらないのである。

 以下僕という主人公を例にしよう。

壱.

 

 「完璧な人間なんてこの世にいないんだから。」

幸か不幸か両親から堅苦しい人生訓を叩き込まれた経験がない。

相手問わず、今では日常で起きたことをあまり話したりしないのだが、小学生時代は沢山したものだ。母親相手に専ら誰彼の愚痴を話した記憶がある。先述の言葉は、その時に言われたのだ。言葉の意味は理解できたが、その[現実]を理解しようとしなかったのが本音である。自分も完璧ではないことは理解していたし、同級生の誰もが一長一短であったことは理解していた。しかし、自分だけが持つ物事の理想的な展開をその相手によって具現化できない時は下校してから始まる愚痴話の恰好のネタであった。今思えば、全く以って不毛な時間だったと感じるが、当時は死活問題といっても過言ではなかったのであろう。


弐.

 それから十数年の時は過ぎたが、やはり自分の思い描いたシナリオ通りに物事が進まないことが多々ある。しかし端的にいえば、それが人生なのかも知れない。そこで如何にして軌道修正をするか。時として、そんな試練を神が課しているとさえ感じることもある。因果応報とはよく謂ったものだ。自分がそこで踏ん張り、状況を変えることができた暁には、後々良き出来事が起こるに違いない。ある意味では物質的報酬よりも想像が膨らむ分、本人は幸せなのかも知れない。


参.

 科学の進歩により、現在では学校にタブレットが配布されるに至った。「一般人までもが科学文明に頼るようになると、性交渉の低年齢化が進み子供が子供を産む時代がくる。」アドルフ・ヒトラーの言葉であるが、強ち的外れな予見ではないように思える。そんなデジタル化に逆行し、僕はアナログな産物が好きである。その一つに万年筆が挙げられる。百年以上前の万年筆をアメリカから個人輸入する程愛してやまない。僕は海外の友達に直筆の手紙を書くことがよくある。意外に知られていないが、海外では今でも手紙の持つ力は[現役]である。それを誇張するが如く、ロシアにはこんな諺がある。

 " Что написано пером, того не вырубишь топором.(ペンで書かれたものは斧でも絶てぬ)"

 文章を読みながら、[書く]という行為そのものも重く受け止めているそうな。そのことを知った感動は今でも忘れられない。日本ではどうであろう?誰を棚に上げる訳ではないが、僕が某SNSで送った文章に対しての返事が「り」の一言で終わる時代である。もしロシアであったらば、死刑判決が下されるであろう。

 冗談はさて置き、僕は手紙で[ある実験]を行った。手紙に[ある細工]をして送ったのだが、その実験は見事成功した。後日、手紙を受け取った相手から連絡がきた。

 「コノ手紙、不思議デス。アナタノ匂イガスル」

 

四.

 僕は覚えていた。ホテルから空港に向かう車中、現地で通訳ガイドをしてくれた彼女は言った。

 「アナタノ匂イ好キデス。ロシア人、コノ匂イスキ。」

 僕が普段つけている香水の匂いを彼女は甚く気に入った。そこで手紙を送る時、香水を染み込ませ彼女が気づくか実験したのだ。人間には[嗅球]という脳の領域があり、嗅細胞が受容した匂い分子の情報を処理し、高次の嗅覚中枢へ伝えるのであるが、女性は細胞総数・ニューロン数共に男性より発達している。心理学で謂う[古典的条件付け~パブロフの犬~]であったような[餌+ベルの音]のように、[手紙+香水]で相手(この場合、僕である)を条件反射的に思い出させることに成功した。併せて当時の思い出も想起させたのであれば、万々歳である。


伍.

 [自分の思うままにすること。自分の思い通りになること。相手や周囲の事情をかえりみず、自分勝手にすること。きまま。ほしいまま。みがって。思うままにぜいたくを尽くすこと。また、そのありさま。]

 我儘を広辞苑で引くとざっとこんな具合である。その時々によってシチュエーションは異なれど、ストレッサーは異なれど、最終的に行き着く先は自己満足感の充足であることは否定できない。極論すれば、ストレスを抱える行為自体が利己主義的行為とも換言できるかも知れない。

人間関係を営む上で、大なり小なりストレスを感じるのはごく自然なことである。世界には70億の人間がいることから想像するに、自分以外に70億種類の人間がいると考えるのが妥当であるように思える。例えば、AがBという友達の怠慢な性格を指摘したとしよう。まず比較対象は何なのか?自分なのか?世間一般の人間像なのか?いずれにせよ、ある[基準」を設けている点において相違ない。最終的にBという友達が無事怠慢な性格を克服したとして、少なくともその恩恵を受けるのはAである。したがって、その行為はAの我儘ではなかろうかと考えるができる。無論、考え方は人それぞれなので正解はない。むしろ、これ以上語ると埒が明かない。

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