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ここは戦国時代じゃないの?

兄ちゃん、俺も後に続くわ

基本的にはあらすじ通りです。もし、奈良時代でこんな話も絡めて欲しいなど希望があれば感想などでどうぞ。入れるために努力をするかもしれません。

「よってらっしゃい、見てらっしゃい!今日は、新鮮な(マス)が入ってるよ!」

「旦那、三尾頼むよ」

「はいよっ、また、買ってくださいな。」


魚を買った客は後を去って行ったが、その日は客足が絶えることなく午前中のうちには百尾の魚や他の商品を売り切ることが出来た。売り切ったらすぐさま店を畳み家に帰ることにした。


いきなりだが家路につく間俺の話を聞いて欲しい。


名前を佐久次(さくじ)といって今年で28を数える男だ。今でこそ豊後国(ぶんごのくに)玖珠郡(くすぐん)に店を構え、商売をしているが元は博多出身の百姓の子供だった。一つ違いの兄と弟がおり、村では神童だ何だと揃って持てはやされたものだが、兄がすることを弟と共に真似て覚えたことばかりであり本当の神童とは兄のことだと思っている。


 そんな兄から学んだことはいくつもあるが今の自分にとっての大事なことは、野菜の品種改良と鱒の養殖だろうな。


野菜の品種改良は初めキイチゴで教わった。兄は森でキイチゴを探しては家に根っこごと持って帰っては育てていた。その頃食べた実は酸っぱくて美味しくなく、棘が多く育てるのも大変だった。それが数年たった頃には甘い実を付け、棘も少なくなっていた。


初めはとても驚いたが、イチゴの美味しさに我慢できず弟とたらふく食べていたのを今でも覚えている。その時、兄はイチゴと共に一冊の冊子、白紙の束を二人の前に出してこう言ったのだ。


「今日からお前たちにはこれの作り方を教えてやる。将来必ず役に立つだろうからまずはこの本を写すことから始めろ。」


 冊子には兄の字で植物が種を作る仕組み、採集方法や動植物の進化というものの説明とキイチゴの数年分の観察の記録が書かれていた。今まで農業をするときに自然としていた種の選別方法なんかも体系的に記されていた。こんな凄いことを自分でまとめるんだから兄の天才加減が分かってくれたかな?


 ちなみに俺たちは5歳になった時に兄から読み書きを習っていて10を過ぎた頃には漢詩を書けるくらいにはなっていた。どうだ、すごいだろ?


 その時の知識をもとに今でも売れる植物や家畜を作るための研究をしたり、多くの米を付ける稲の開発をやっている。


 鱒の養殖は兄と一緒に研究していたことだ。兄の趣味はメダカを育てることだったんだが、その手伝いをしている時にふと、


「魚の養殖をしたいな。」


 なんてことを言いだしたのだ。今メダカを育てているではないか、と思ったが兄は食べれる大きな魚を育てたかったのだ。今考えると商品作りの一環だったんだろう。すぐに湧き水を探し出し小さな池を作り、川で捕まえてきた鱒を放り込んでは、どこからそんな知識を仕入れてきたのか卵の人工孵化じんこうふかなんかしていた。


 一回目は1割にも満たない孵化率だったが魚のこんな増やし方があるのかと驚いたのを覚えている。それからは俺も手伝い、知恵を出し合ってはメダカや他の魚で試したり、失敗したりを繰り返していたが兄が村を出る直前には卵の孵化率が7割近くの方法を確立していた。


 まあ、それらの知識を元手に今やここいらで商売をし、豪農と呼ばれるようになったのさ。しかし、ここまで成るのは大変なもんだったさ。


 兄に倣って15歳で村を出た俺は兄と被らない場所を探すために豊国とよこく(後の豊前、豊後国で大分県全域や福岡の一部)へ5人の仲間とこれまで貯めてきた商品や金、そして兄からの祝いの品としてもらった馬を引き連れ向かった。


 道中はあてのない旅なだけに様々なところを訪ねて回った。訪れたところでは商売をし、財を貯えては寺社では知識を蓄えて回った。半年を過ぎた辺りで50人近い大所帯になっていたこともあり、村からの依頼で盗賊や野獣の討伐をしたり、時には豪族同士の戦などに傭兵として参加することがあった。


 中には大きな怪我を負い戦えなくなった人もいたが運が良かったようで傷一つ負ったことがない。それに定住する拠点がなかったため新しい商品をほとんど作ることが出来なかったから、取引のみで食っていこうと考えたら中々大変なものだったが最終的には損をすることはなかった。


 そんな旅も三年が過ぎようとした頃、今住んでいる玖珠にたどり着き、運命の人と出会えたんだ。一目見たとき、グラッときたのを今でも覚えている。完全な一目ぼれだった。


女性は名を伊那女(いなめ)といい、玖珠一帯を納める有力者の娘だった。始めは部外者であり、浮浪の身である俺のことは認めてくれなかったが諦めずに半年通い続けた。それだけではなく、民に農業の指導をしたり、墾田し野菜を作っては商売をして交流を深めていった。


次第に努力を認められ、伊那女の父から直接仕事を任されるようになり、


「あとは娘次第だ。」


とも言われるようになった。そこからはとても早く進み、伊那女も心を開いてくれたお陰で結婚し、子供を5人もうけることが出来た。


拠点を玖珠に構えたことで兄の居る久留米が近く、連携を深め様々な研究、商売、戦を共に行うようになった。連携の為にまず高良大社の祭神である高良玉垂(こうらたまたれ)(のみこと)をはじめとした3柱を伐株山(きりかぶやま)の麓に建てた社に勧請(かんじょう)(寺社に迎え入れること)した。


同じ神を崇めることで人々の結び付きも強くなった。それからは兄のように神社を中心に学問を民に広めていった。中には優秀な者も現れるようになり、この政策は成功だった。


だいたい現状はこんなもんだし、きりよく家にも着いたようだ。家の中からは芳ばしい焼き魚の匂いがするな。伊那女の手料理を食べなければいかんから今日は、ここまでだ。また、いつか娘の自慢話でも聞いてくれよな。





作中に出た伊那女の一族はオリジナルです。一応モデルはあります。亀都起古墳という玖珠唯一の前方後円墳があり、その関係者がその頃まで一帯を支配していると考えました。あと古墳に出雲から呼び寄せた神の神社を作るくらいだから関係者の可能性が高いと思い、名前が全く分からないので今回は名前を出さずに使うことにしました。本編をでは地名をつけようと思ってます。

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[一言] 人生の一部を切り取った描写 ほのぼのしていいですね!
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