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押しかけ守護竜は嘘をつきませんでした

作者: 卜部 うら

「あの……申し訳ありませんが、ラウラ姫を起こしてもらえませんかな」


 ベッドに向かってそうお願いしているのは、一国の王。


「断る」


 天蓋付きのベッドの中央に優雅に寝そべり、答えたのは、艶めく黒の長髪を流した、金の瞳の美しい青年。

 仰向けに横たわるその長身の上には、すやすやと眠る可愛らしい少女がいた。


「そうは申しましても、妹もそろそろ起きませんと何かと不都合が」

「不都合など何がある」

「え、ええと、生活のリズムが狂います」

「予定は何もないようだな。では問題あるまい」


 そして、見た目二十代半ばの黒髪の青年は、国王に向かって冷たく言い放った。


「ラウの眠りを妨げることは許さん」


 もうハゲそうだ、とアザル国王イーリスは汗を垂らした。


 王位を継承して十年経ち、三十代も半ばを過ぎた国王の頭部は既に毛が薄くなりつつあった。

 これは母方の血筋のせいであると同時に、現在進行形でこの目の前の青年――黒竜のせいだ、と国王は思っている。


 と、黒竜の上で眠っていた少女がもぞりと動いた。柔らかくウェーブがかかった黒髪は腰まで延び、青年と寝台のシーツの上に広がっていた。

 少女の瞼が開き、漆黒の瞳が現れ、数度ゆっくりと瞬いた。


「ふにゃ……?」

「ああ、目を覚ましたか、ラウ――私の愛しい妻」


 自分の上に乗る少女を両腕で包み、優しく話かける青年竜の声は、王に向けていた声よりも数段優しく温かい。


「おはよう、クロ」


 妻と呼ばれ、ふにゃりと笑った少女――アザル国王の妹姫、ラウラは、まだよわい六歳の幼姫であった。



 ◇◇



 ラウラは大変愛らしい姫であった。


 大きな瞳と長く豊かな髪はアザル王家特有の漆黒。白い肌にうっすらと紅が入った頬に、ぷるりと膨らんだ桃のような唇。

 そして、優しく、朗らかな性格。

 誰もが姫を愛し、彼女を見れば笑顔を見せ、王城には笑い声が絶えなかった。


 イーリス国王と妹のラウラ姫は、年の離れた異母兄弟であるが、大変仲が良い。

 父、つまり前王の二人目の王妃の子であるラウラは、ずっと一人っ子であったイーリス王にとって、三十歳を超えてようやく得た念願の妹であったこともあり、可愛がりようも並ではなかった。


 三年前に病で亡くなった父とラウラの母の代わりに、この姫をどこへ出しても恥ずかしくない娘に育て、幸せな生涯を送らせる。

 当時すでに頭皮の危機が訪れていた王であったが、自身の髪を犠牲にしてでも、この決意は必ず果たすと心に誓ったのである。


 そうして、王族の姫に必要な教育と皆からの愛情を受け、たいへん美しく育ちつつあるラウラ姫。

 その成長は、王の求めていたものから離れてはいなかった。


 だがしかし、その姫にも一点だけ難があった。


 それは、姫がすぐに動物を拾ってきてしまうこと。


 城の外に出るたびに、犬やら猫やら子狐やら、そして挙句の果てには滅多に人前に姿を現さない子供の虎さえ偶然拾い、連れて帰って来てしまうのである。

 虎は立派に大きくなり、今でも姫の宮でのびのびと暮らしている。


 さすがに危険もあるので、いけないと窘めつつも、親からはぐれて飢えていたり怪我をしていたりする動物たちを憐れむ妹姫に強く言えず、イーリス王は彼女の慈しみの心を失わせたくないという矛盾した気持ちを抱え、獣医の手配を命じるのであった。


 ……が、それを何としてでも止めさせるべきであった。


 王は、半年前の自分を強く責めている。


 まさか。


 まさか、姫が――竜を拾ってしまうなんて。




「庭に落ちてたの」


 きゅるん、と音が聞こえてきそうな無邪気な笑顔で答えた姫は、王の執務室に居た強面の重鎮たちをその可愛らしさでノックアウトした。


 半年前のあの日、平和なアザル城は騒然となった。


「姫様を起こしに参りましたら、寝台に見知らぬ男がいたのです」蒼白となった乳母がそうもたらした報告に、王は執務を放り出し、姫の住む宮へと駆けた。

 駆けつけてみれば、寝室には、拾ってきた動物たちに囲まれ眠る妹姫と、その隣には人外の美しさを持った黒髪の青年の姿。


 叩き起こして問い詰めてみれば、ラウラ姫は「庭に落ちていた」と何事も無く答える。

 全く持って訳が分からなかった。


「庭に落ちていたとはどういうことだい、ラウラ。もう少し詳しく説明してくれないか」


 執務室にて、妹姫の可愛さに悶えながらも、王は王の威厳を支えに辛うじて己を保ち問いかけた。


 姫をなんとか起こして執務室へ引っ張ってきたが、青年はラウラ姫の寝台で眠ったまま起きなかった。

「起こしちゃ駄目。そのままにしておいてあげて!」と懇願するラウラ姫に折れ、監視付きで姫の寝室に寝かせたままである。


 執務室には、宰相をはじめとした重鎮たちが勢ぞろいし、机を囲んでいた。


 これは、アザル国唯一の姫の初めての男性問題であった。


 詰問状態になるのは仕方がないとは思うが、しかし王は、宰相以外の臣下をこの場に呼んだ覚えはない。


 姫を心配しているのか、平和すぎて暇だから勝手に集まってきたのか、可愛い姫に会いたかったからなのかは定かではないが、最後の二つの可能性が高いなと王は思う。


「ええとね、夜寝ようと思ったら、庭に何か落ちる音がしたの。それで外に出てみたら、クロが落ちていたのよ」

「クロ?」

「そう、クロ。私たちと一緒で黒いから。クロもそれでいいって言ったわ」


 黒髪はアザルの王族特有の色。私たち、とラウラが言ったのは、自分たち兄妹のことであった。

 黒の色を持つ者は、今のアザルではイーリス王と妹のラウラ姫しかいない。その色を可愛い妹姫が大切に思っていることを王はよく知っていた。


 きっと、ラウラはあの黒髪の青年に自分たちと近いものを感じたのであろう。


 その気持ちを愛おしいとは思うが、兄として、大切な妹と同衾していたあの青年の存在は看過できない。


 ちなみに城の敷地内に侵入者があった、という警備上見逃せない点はすっかりどこかへ行ってしまっていることに兄王は全く気付いていなかった。


「その、クロという男は、なぜ庭に居たのかな。何か聞いていないかい?」

「んー?」


 思い出そうとしてるのか、ラウラ姫は顎に人差し指を当てて頭を傾けた。

 そんな仕草も、鼻血が出るほど可愛い。


「えっと、城の上を飛んでいたら何かに引っ張られたって言ってたわ。それで力が入らなくなったって」


 飛んでいた、という発言に机を囲む王と重鎮は顔を見合わせた。


 空を飛ぶもの、と言えば王たちに考えられる生き物は二つだけである。

 鳥か……国を守護する、竜。


 この国で「竜」と言えば、その存在はひとつしかなかった。


 それは、国を守護する「貴竜きりゅう」。


 このググリット大陸には七竜と呼ばれる存在があり、金の色を纏う「神竜しんりゅう」の下、「貴竜きりゅう」として大陸の六の国に赤、青、黄、緑、白、黒のそれぞれの色を纏った竜が存在する。


 竜は各国に一頭しかおらず、お互い不可侵の存在であり、国境には人には感知できない結界があり互いの国を行き来することはない。


 体躯は見上げる程に大きく、咆哮により地は震え、羽ばたきにより嵐が起こり、息吹により山が欠けるという伝説の生き物。

 その身と瞳に主となる色を纏い、その色はその国の王族と同じもの。

 神託に従い人の前に姿を現すと伝承にあり、声を聴いたという者は多くとも、実際に目にした者は殆どいない。


 国の守護者たる貴竜の知識は王族の教養であるため、イーリス王も竜のことは十分に知っている。


 だが姫の寝台に居たのは、青年であった。

 確かにアザル国の色、黒を纏ってはいたし、寝顔だけでもその美しさは人の常識を外れるものではあったが、それにしても竜が人の姿を取るなどとは聞いたことがない。


 では、彼は何なんだ。


 重鎮たちがざわざわと騒ぎ始めた。


 竜か、いやそんな訳がない、ただの不審者だからさっさと捕えるべきだ。


 宰相も大臣も推測と対応について言葉を交し合う。正体によっては扱いを慎重にしなければならない。


 というか、竜だったらどうすればいいんだ。

 教養は、竜とは何ぞやを教えてはくれたが、取扱説明の記載などなかった。


 竜でした、という結論だけは回避したい……。


 王はきりきり痛む頭を押さえ、神に祈った。ただしこの大陸の神すら竜だったが。


 と、ざわめく執務室に、一人の兵士が部屋に飛び込んできた。


「王、大変です!ラウラ姫の宮の庭に……大きな、大変巨大な穴が空いております!!」


 部屋が一瞬静かになった。


 何だか嫌な結論が出そうな気がする。


 その中、ラウラ姫がぽんと手を叩き、思い出したとばかりに言った。


「そうそう、クロったら身体が大きいから、落ちたとき庭に穴が空いちゃったの。朝になったら兄上様に埋めてってお願いしようと思っていたのよ」


 イーリス王は身体を反らせて二度小さく息を吸った後、吐き出す息と一緒に妹へ問いかけた。


「ラウラ……そのクロとやらは落ちてきたとき……どんな姿だったのかな」

「竜だったわ!」


 やっぱりね!


 誰も言葉を発しなかったのに、執務室の心の声は合唱で聞こえてきたと、後に宰相は語る。


 王も額に手をやった。「竜、そうか、竜か……はは」と乾いた笑いが漏れてくる。


 ラウラ姫はそんな大人たちの様子に、きょとんと目を丸くした。


「ここに居たのか、ラウ」


 突然、沈黙に満ちた執務室に声が響いた。それとともに、部屋の全ての窓が勢いよく開き、風が舞い込んでくる。


「クロ!」


 ラウラ姫が窓の外を見て声を上げた。


 窓の外には、姫の寝室で眠っていたはずの美しい青年が立っていた。

 ここは城の三階であり、当然、外に足場などない。青年は、くうに立つように浮かんでいるのである。


 青年の髪と服は、自分が生み出した風になびくように流れ、はためいていた。


 先ほど閉じていて見ることができなかった彼の瞳は、金であった。また黒地に縁に銀糸で刺繍をされた長衣を身に着けているが、よく見ればその刺繍はここググリット大陸でよく見かける植物、テテンの蔦と実を模したモチーフ。そう言えば、テテンは竜の巣を守る植物と言われ、守護竜の紋様ともなると昔書物で読んだことがあった。なぜすぐに思い出さなかったのか。


 竜を象徴する衣に、何者をも圧倒するオーラ。

 これらを纏う存在を竜以外だと誰が思うだろう。


 王も、宰相も、臣下たちも、その存在の放つ威圧感に思わず椅子から降りてひざまずきそうになった。


 が、そんな空気を物ともせず、椅子から立ち上がったのはラウラ姫。

 風に舞う自身の黒髪を押さえながら窓に駆け寄ると、姫の身体に風が纏わりつき、ふわりと宙に浮きあがった。


「!!」


 王たちは慌てるが、ラウラ姫は外に浮かぶ青年から目を離さない。

 小さな身体はそのまま真っ直ぐに、両手を広げて待つ青年の懐へと収まった。


 青年は、飛び込んできた姫をそのままぎゅっと抱きしめる。


「クロ、起きたのね、よかった!」

「ああ、ラウのお蔭だ」


 一度青年の胸に顔をうずめた幼姫は、見上げて無邪気な笑顔を見せた。

 そして青年は、王たちが驚愕する一言を放つ。


「そなたが、精を分けてくれたから」


 せい!!!!!


 がたたたっと王が椅子を蹴って立ち上がった。威圧感による硬直は今の一言で完全に解けている。


「待て!いや待ってください!!せ、精とは一体どういうことでしょうか!!妹に一体何を!!」


 窓枠から身を乗り出して、威厳もへったくれもなく、イーリス王は宙に浮く竜の青年に向かって叫んだ。


 そこで初めて青年は王に気づいたようであった。

 姫に向ける優しい眼差しが一転、冷たい目となり、王を射抜いた。


 ぎくりとした王の背に冷たい汗が流れる。


「お前は何者だ」

「アザル国王、イーリスにございます。お手元におります、ラウラの兄でもあります。貴竜殿には初めてお目にかかります」


 青年がやや警戒を解いたように、表情の固さを抜いた。


「人の王か。私に構わずともよい、用が済んだらすぐに去る」


 こちらの言葉に応えはしたが、肝心なことは答えてはくれない。イーリス王は無礼を承知で再度尋ねた。

 彼の言う精とは、おそらく人の持つエネルギーの一種であろうが、その渡し方が大変気になる。


 竜である彼に話しかけることは大変恐ろしかったが、それでも引かなかったのはひとえに妹への思いからだった。


「貴竜殿。妹が、その、精を分けたとはどういうことでしょうか……」


 思いはあるが、やっぱりちょっと怖い。声は尻すぼみになり、最後の方は風でかき消されるボリュームとなってしまった。

 どうやら竜には届いていなかったようだが、妹には聞こえたようである。

 空中からの景色を楽しんでいたようだったラウラ姫が、イーリス王に向かって無邪気に答えた。


「兄上様、何を心配しているの?大丈夫よ。ちょっとだけ、ちゅってしただけよ?」


 ちゅって!!!!!


 王の頭の上に、見えない岩が落ちてきて身動きが取れなくなった。

 今ので毛が数本抜けた気がする。


 いや、でもまだ引き返せる!王は思った。

 本当にちゅっとしただけであるなら、まだ妹の未来は閉ざされていない。


「ということで、ラウラ姫は我が妻として貰い受ける」

「ちょおっと待て!!」


 持ち直そうとしていた自分の精神を叩き折りそうな青年の言葉に、イーリス王は思い切り突っ込んだ。


「いきなり何を言い出すんですか!無茶です!」

「私が決めたことだ。文句は言わせない」

「き、貴竜が、ええと、そう!貴竜が人を妻にするなど聞いたことがない!そもそも貴竜とは、国とそこに住まう全ての生ある者を守護することに存在意義があるはず!守護対象を妻にするなどことわりに外れています!!」


 竜とはことわりに縛られる存在である。

 神竜は竜を管理し、六つ国の各貴竜は自分の領域である国に縛られ、その国と、中の全ての生と繁栄を守る。


 つまりは貴竜は、自分の国の外には出れず、また国に生きる全てのものを守り、繁栄を見守る以外のことができないのである。


 ラウラ姫を抱えたままその場を去りかけていた竜であったが、王の叫びに考え込むような顔をした。

 イーリス王の言葉は必死の産物であったが、貴竜の動きを止めるに充分であったらしい。


「ふむ、至極尤もだな。私が貴竜であるからには、私の勝手で守護対象である人を巣に連れ帰ることもできない」

「その通りです」

「だが妻にしてはならぬということではない」

「大ありです!国の繁栄は人の繁栄。人の子を産み育てられぬことを強いるのはことわりに外れます!!」

「成程。ではラウを今、実の妻にすることは諦めよう。だが傍にいることは出来よう」

「……それならば」


 イーリス王はほっと肩の力を抜き、了承を口にした。


 竜に対し、全てを拒否することは不可能なため、このあたりが妥協ラインだろう。

 何だか引っかかる言い方をしてはいるが、何とか問答無用で妹姫を連れ去られる危機を回避できただけでも万々歳である。


 汗だくのイーリス王の後ろで、宰相たちが小さく拍手をしているのが聞こえた。

 拍手に混じって「さすが伊達に王をしてないな」とか言ってるヤツについては、後で不敬罪で頭の毛を抜いてやろう。


「クロと一緒にいられるの?」

「ああそうだ、ラウと一緒にいよう」


 相変わらず空中で、妹姫と竜の青年は抱き合って言葉を交わしていた。

 可愛いさが有り余っている姫と美しい青年の組み合わせは、ここに芸術家が居ればその創作意欲を大いにくすぐる姿であったに違いない。


 だが兄としてはいい加減に離れて欲しいとしか思えなかった。妹はともかく、青年の方はラウラ姫しか視界に入っていないようで下ろす気配がなかった。

 宙に浮く二人は相当目立つようで、下の庭には兵士や使用人が集まってきている。


 王は、解散しろと手を振ったが、人々は興味津々で宙の二人を見上げたまま、王の指示を聞く気がない。


 アザル国は、豊かではあるが六国のなかでももっとも小さく、平和な国であった。

 めったと大きな事件もない国で、こんな珍しい出来事は人々の興味を強く引くらしい。


「じゃあ毎日一緒に寝ようね!」

「当然だ」


 とんでもない出来事に巻き込まれているはずなのに、目の前と下の平和な光景に、王は大きくため息をついた。



 ◇◇



 クロと呼ばれる人型をした竜は、その後、アザルの王城に居付くようになった。

 これはイーリス王の誤算であった。


 確かに姫の傍にいるとは言っていたが、まさか貴竜が本気で人の住む場で暮らすとは思わなかったのである。


 クロが居付いた理由は、ラウラ姫の住む宮の立地にもあったかもしれない。


 伝承では、竜とは国を守護するものの、人への関心は深くなく、また人との関わりを厭うものだとあった。


 が、妹姫の居室は、アザル城でも国王の居住区や執務区のある中の宮から南、長い回廊と階段でつながった先にあり、人気は比較的少ない。


 高い塔が複数そびえ立つ中の宮とは違い、平屋のシンプルな造りの「光の宮」は、イーリス王が幼少期を過ごした場所でもあり、王族以外は滅多に近づかない。

 こうした自然が溢れた静かな宮が、竜のお気に召したのかもしれなかった。


 と、理由は並べてみたが、当の本人たちの会話はこうである。


「クロは、おうちに帰らなくていいの?」

「ラウの居る場所が私の居る場所だ。どこにも行かぬよ」

「そっか!じゃあここがクロのおうちだね!」

「ああ、共に暮らそうぞ」

「やったあ」


 姫が幼いことが今は救いである。心から。


 とにもかくにも、この光の宮でラウラ姫と貴竜のクロは、姫が拾ってきた動物たちと一緒に仲良く暮らし始めたのである。


 が、そもそもが規格外の生物、竜である。

 決して穏やかに、とは言えなかった。


 遠出と称して、ラウラ姫を連れて勝手にどこかへ飛んで行ってしまうわ(護衛の兵が泣いた)


 兵士の騎乗訓練を突然覗きに来て、竜の気配で馬たちを大暴走させてしまうわ(将軍が泣いた)


「狭い場所では哀れだ」と姫が拾って育てていた虎を謁見の間に放つわ(侍女が大泣きした)


 竜の咆哮(ドラゴンブレス)が見たいという姫の要望に軽く応えて、城の塔を軽く一本吹き飛ばしてくれるわ(修復費用に王が泣いた)


 ちなみにこれらはほんの一例である。

 このように、これまで事件ひとつなかった平和な小国が、クロ一匹によってトラブルの頻国となってしまった。


 これらの出来事の対処のために奔走した大臣の大半は過労で倒れ、宰相は持病のぎっくり腰を再発、王の頭皮はストレスにより最大の危機を迎えていた。


 そうして、「貴竜を何とかしてくれ」という丸投げの嘆願により、王は貴竜クロと話し合いの場を持つことになった。


 正直、全く解決できる気がしなかった。




「それで、私にどうしろと言う?」


 陽の光溢れる宮の応接室にて、三人掛けのソファにゆったりと座ったクロが言った。


 膝の上には、お人形のようにラウラ姫がちょこんと乗って大きな目をくりくりとさせていた。


 黒一色の竜に、薄紅色のドレスを着た姫の姿はとてもえている。

 春の妖精ような装いで、ほころぶような笑顔を見せる姫の姿に自然部屋の空気は温かくなる。


 やっぱりウチのは可愛い。


 向かい合う一人掛けソファに座り、イーリス王は緩みそうになる口をきゅっと結んで、クロに語り掛けた。


「ええと、できれば人のいる場所で住む場合は、人の約束事ルールを守って過ごしていただきたいのです」

「例えば?」

「王族であるラウラを勝手に連れ出さない、竜の気を抑える、動物と人間の過ごす領域エリアは分けることを理解する、大技は放たない、でしょうか……」

窮屈きゅうくつな事だな」

「ですが、それが人というものです。このままでは、この国の安寧あんねいは保たれません」


 貴竜と話す際は、ことわり事を前提に話を進めればよいとこの半年で理解できていた。

 今回もそれで行こうと思っていたのだが、初めの予感通り、毎回上手くいくものではなさそうだった。


「人の常識を覚えさせ、その中にわたしを縛ると?大きく出たものだな」

「いや、決してそういう訳では」

「クロ、お願い、兄上様を困らせないで」


 青ざめる兄王を見て、妹姫が眉を下げた。


「ラウは優しいな。その優しさに私は惚れたのだ。力尽きていた私を身を捧げて助けてくれたその心はとても清く、美しい」


 六歳の幼女にとろけるような笑みを向ける美しい青年。


 何だか倒錯的な図に、イーリス王は眩暈を覚える。

 そして人に関心を向けないという竜の、一身の愛を受けているのが自分のたった一人の妹だということに、どうしようもない不安を同時に抱えるのであった。


 妹は今後、まともな恋愛ができるのであろうか。


 王には、どこかでまだ、いつかこの竜が妹姫に飽きてくれるのではないかという期待がある。

 そして姫には、王自ら厳選した、妹姫を最高に幸せにしてくれる相手を選ぶつもりであった。


 だが。


「ラウは、私のことを愛しているか?」

「あいしてるってなあに?」

「まだラウには分からぬか……まあこれからじっくりと教えてやろう。では、私のことは好きか?」


 姫の頬を長い指でゆっくりと撫でる貴竜。


「うん、クロのこと大好きよ!」


そして妹姫の満面の笑顔。


 こんな様子を見ていると、わずかな希望さえ消えてしまいそうでとてつもなく悲しくなる。


「人の王よ。お前の要望は分かった。何とかしよう」


 と、王がしょんぼりしていると、機嫌を直したらしい貴竜から思わぬ言葉が飛び出た。


「えっ、本当ですか!」


 クロはゆっくりと頷く。


「二言はない。私にも以前から思うことがある。ラウと共に居るためにも早く解決しよう」


 これまでにない、人に歩み寄った貴竜クロの言葉であった。


 ラウラ姫への愛がそうさせたのだろうか。何にしろ、イーリス王としてはこれに飛びつかない理由はなかった。

 喜びの表現全開でクロに感謝を伝え、くれぐれもよろしくお願いしますと念を押した。


 クロは「しつこい。竜は約束を違えない」と迷惑そうに言ったが、いつもなら機嫌を損ねたのではと恐れる気持ちも、嬉しさのあまり生じなかった。




 そして、翌日。


 アザル国の貴竜、クロはその姿を王城から消したのである。



 ◇◇



 クロが姿を見せなくなってから一か月後、王城では大きなイベントを迎えていた。


 王妹、ラウラ姫七歳の誕生祝賀会である。


 国内の要人だけでなく、ググリット大陸の五国大使も次々と城に到着していた。


 大使の身分はさまざまで、外交担当の大臣、アザル国に駐在中の大使官、第四王子など、アザル国との関係性や物理的距離に応じた立場の人間がその任に着いていた。

 共通しているのは、それぞれの国色カントリーカラーを基調とした服を身に着けていること。


 イーリス王は玉座に座り、一日中訪問者からの挨拶を受けていた。

 隣の椅子には、主役のラウラ姫が眠そうな顔で座っている。


「ラウラ、背筋を伸ばして座りなさい」

「だって兄上様……つまらないし、疲れたわ」

「お前の祝いに駆け付けてくれた人々だから、しっかり対応しなさい。そんな心がけでは立派なレディにはなれないぞ」


 兄の言葉に、ラウラはむう……と口を尖らせた。


「だって、クロがいないんだもの……祝ってもらってもつまらない」


 姫は誕生日らしく、華やかな装いをしていた。

 メインの色はもちろん黒ではあるが、黒の布は透けたレース素材、その下には薄い青の布でふんだんにフリルを重ね、姫の可愛らしさを存分に引き出している。


 拗ねる顔もよい、とイーリス王はデレそうになったがぐっとこらえた。


 クロが居なくなって一カ月。

 妹姫は落ち込んではいるが、王から見て、育てていた動物ペットが居なくなって寂しいと思っている以上の様子ではない。


 クロが、妻と呼ぶことを止めず愛し続けているラウラ姫の誕生を祝わないとは思えないが、本音としてはこのままラウラ姫を忘れ、竜は竜とつがってほしいと思っていた。

(まあ、そもそも神たる竜が結婚して子を成すような生態を持っているか知らないが)


 そしてラウラ姫もクロの事を忘れ、自分が厳選した相手と結婚してほしい。


 この誕生祝賀の挨拶は、その対象を選別するいい機会でもあった。

 加えて、選別と同時に、姫の愛らしさもアピールしなければならないため、王は妹の機嫌を取った。


「貴竜殿はどこに行ったか分からないままだ。終わったらお菓子を用意するから、今は気にせず、目の前の来賓の対応をきちんと……」

「王、よろしいでしょうか」


 説教の途中で、宰相が割り込んできた。

 普段ナメられがちなイーリス王であったが、人前で蔑ろな振る舞いをする宰相ではないことは理解している。

 そして、宰相がやや硬い表情をしていることにも気が付いた。


「どうした」

「それがその……ミザカール国からも祝いの大使が参ったのですが、その」


 珍しく歯切れが悪いが、王も眉間に皺を寄せた。


 ミザカール国。

 アザル国の南隣、大陸でも南方に位置する国である。


 気候は熱帯に近く、六国の中で唯一海に面してない国。

 国色は赤で、その色を象徴するかのように大変暑苦しい……いや、情熱的な国民性が特徴であった。


 ミザカール国を治めるのは六国でも唯一である女王。

 こちらもやはり三年前の流行り病で伴侶たる王を亡くし、その後女王として立ったのである。


 年はまだ三十代前半とイーリス王と変わらないが、十二歳になる王子が一人いるはずだ。


 イーリス王がミザカールの名前を聞いて苦い顔をしたのには理由がある。


 ぶっちゃけ、何かとうっとおしい相手なのである。


 関税が高い、こっちから買った小麦に虫が入っていた、こっちの国の木の葉がウチの国に入り込んでる、祭の騒音がうるさいなどなど、ご近所トラブルか!と言いたくなるネタでねちねちねちねちと苦情を申し付けてくるのだ。


 少し前には、ラウラ姫を王子の嫁に貰い受けたいと急な申し出をしてきた上、勝手に大きな宝石を送り付けてきた。


 まだ姫も幼いので、と丁寧にお断りしたのだが「断るなら戦争だ」とか言いだして本当に参った。

 そんな馬鹿げた理由で戦争にもならないので適当に流し、受け取ってしまった真っ赤で巨大な宝石は、返却も拒否されてしまったため宝物庫の奥に放置してある。


「ミザカール国の大使がどうした」


 思い出してうんざりした王が、うんざしりた声のまま宰相に問いかける。


「ええ……その実は、大使が……女王と、王子なのです」

「はあ!?」


 謁見の間に響き渡る王の声。


 兵や大臣たちの視線を集めてしまい、王は咳ばらいをした。


「どういうことだ。ミザカールからの大使は外務大臣ではなかったのか」

「急に変更されたのだそうです。なんでも、姫の誕生のお祝いと、結婚への了承を取り付けたいと……」

「馬鹿な。しかも先ぶれなしだと?」

「そうなのです。いかがしましょうか。まさか追い返す訳にも参りませんし」

「うむう……」


 考え込んでしまった王であったが、同時にどやどやと扉の外が騒がしくなったのに気付く。

 何があったのかと、謁見の間の全員が目をやったとき、扉が勢いよく開いた。


 そこに立っていたのは、一人の女性であった。

 衣装は、アザル国のものより布の少なく、露出の多いドレス。

 褐色の肌に鮮やかな赤髪と赤い瞳の、顔立ちも派手な彼女は、優雅に謁見の間の中央に歩みを進めてきた。


「イーリス王、お久しぶりね」

「……これはこれは、ミザカール国メアリ女王、ご健勝のようで幸いですな。ところで、貴国の謁見順はもう少しあとだと思いましたが?」


 顔をひきつらせながら、イーリス王はメアリ女王に対応した。

 イーリス王の横ではラウラ姫がきょとんとして、王と女王の顔を交互に見ていた。


「あら、わたくしたちの間柄で順番などと、野暮なことはおっしゃらないでくださいな。これから親戚同士となりますのに」


 髪の色に負けないくらい赤い色の口紅をつけた口角が上がる。


 そんな女王の後ろには、にやにやと笑う二人の少年がいた。二人とも赤髪に赤い瞳をしている。


 少し陰気に笑うひょろっと細い少年は、見たことがある。ミザカールの王子だ。

 だが、その隣で腰に手をあて、堂々と立つ体格の良い少年は誰であろうか。


「親戚……というのが婚姻の申し出のことでしたら、一度お断りをしたはずですが」

「あら、年齢など大した問題ではありませんのよ。姻戚関係を結び、少しでも早く国の安定を図ることが王族としての役割。ラウラ姫は七歳、息子は十二歳。年も近いですしこれ以上の良縁はありませんわ。隣国同士、手を取り合い国力の強化に努めませんこと?」

「何を馬鹿げたことを」


 メアリ女王は一気に言ってのけたが、その様子は大変演技がかったようにも見えた。

 勢いに飲まれたイーリス王はのけ反りかけたが、踏ん張って耐える。


「貴竜に守護された我ら六国にとって、国力の強化は王族同士の結びつきで叶うものではない事は、女王もお分かりのはずだ。国力とは、民と国土が富んでこそ。国を治める貴女がお分かりにならないはずがない」


 六国間の「国境」は、竜によって分担された「守護の境」である。


 これを人が動かすことはできなかった。


 つまり、戦争によって国境を変えることもできず、また貴竜の守護により、戦利品として勝手に人を移動させることもできない。

 精々賠償金が取れる程度であるが、これも一方的でかつ過度な搾取によって国が極端に傾くことになれば、神竜の「審判」が下ると言われている。


「審判」の結果がどのようなものかは分からない。

 歴史上、「審判」を下された国の記録が残っていないのは、関係していた国が滅びたからとも、今までに「審判」を下された国がないからだとも言われていた。


 また、王の一族は、竜から国を治めることを命じられた一族であり、言い換えれば竜の下、人を「国」という組織で管理するための代表であった。


 竜と同じ色を纏うのはその証でもあり、王族の色も直系のみに表れるものである。


 過去、王族同士による婚姻も無いわけではないが、それはあくまでも、友好の証であったり、王族同士で出会いやすかったりの結果であって、政略的意味合いで生まれたものは少なかった。


 つまり、この大陸において、他国の王族と婚姻を結び、国力を強化するということは大きな意味を成さないのである。


 イーリス王の言うことを理解しているのかどうか。

 女王は大きな扇子で顔をあおぎながら、笑顔で続けた。


「あら、思ったより真面目ですのね、イーリス王。もう面倒くさいし失敗する気もしませんから言っちゃいますけど、この国くださいな」

「は?」

「国境、王としての権利、すべて竜から与えられ守っていくだけだなんて、前々からつまらないと思っていました。わたくし、欲しいものは自分で手に入れる主義ですのっ!」


 何を言いだすんだこのアホ女は。


 イーリス王はメアリ女王がとうとうトチ狂ったのだと思った。


「そんなことができる訳がないでしょう。竜のことわりを人がどうにかできるものではない」

「おほほほ!ことわりなんてどうにかなるものですわよ。ねえ赤竜せきりゅう?」


 何だと?


 女王が振り返った先には、赤髪赤眼の王子と、見たことのない少年。

 その少年はにかっと笑うと、一歩前に出て女王の横に並んだ。


 ミザカール国にも人型をとった貴竜がいたのか。謁見の間に居たアザル国の人々は驚愕する。


「よう、オレ赤竜なんだわ。黒い国の王様?悪いけど、この国貰うわ。ごめんなー」

「いやいやいや、あげられるもんではないぞ。そもそもウチにも黒竜という貴竜がだな……」


 ……いかん、行方不明だった。


 王も、宰相も、一気に汗を垂らしたが、貴竜不在を感づかれる訳にはいかず、必死に誤魔化す。


「何よりも、ことわりに縛られる貴竜がなぜ他国を脅かす?というかなぜ結界を越えてこの国に入れたのだ?」


 国境は、竜の守護の境。自国の竜以外で他国に出入りし、影響を与えられるのは神竜だけのはずだ。


「あん?説明が必要?」

「必要必要」


 面倒くさそうな顔をした赤竜の少年に、イーリス王と宰相が頷いた。

 しゃあねえな、と赤竜は頭を掻く。

 以外に素直な竜のようだ。


「んーオレ産まれて間もないから、守護とか言われてもよく分かんねえんだよ。でも守るだけなんてつまんねえって思ってさ。そしたらこのオバさんがこの国欲しいって言うから面白そうだし乗っただけ」

「そんな軽い理由!?」

「赤竜!オバさんて言うなって言いましたわよね!?」


 何かクレームが聞こえたが無視しよう。


「ついでに、ちょうど貴竜の力を無効にするって術が作られたっていうからさ、それを使って入ってきたてワケ!」

「貴竜の力を無効に……?」

「おっほっほ!半年前にお贈りした宝石に術がしこまれていましたのよ!お馬鹿さんね!」


 女王が胸をはって自慢をする。


 半年前。


 王と宰相は顔を見合わせた。


 ああ、姫との婚約を申し込んできたときに送られてきたアレか。


 成程と納得をする。ということは、半年前にクロが力を失って姫の宮に落ちてきたというのも、アレのせいか。


「というか、べらべらとよく種明かししてくれますね、メアリ女王たち……」


 小さく宰相が漏らす。

 まったく同感だと王は思った。


「あふう……眠い」

「ああ、ラウラ姫、眠いなら下がって寝てていいぞ。今日の謁見はこれ以上なさそうだ」

「無視するんじゃありませんのよ!イーリス王!」


 びしっと扇を使って怒られたが、何というか緊張感が生まれにくい。

 その証拠に、護衛の兵士たちも警戒態勢だけは敷いているものの、女王を拘束することもなく遠巻きに立っているだけである。


 これも平和にやってきてしまったお蔭かなあと、王はのんびり考えた。

 まあ平和の弊害はミカザール国にも訪れているようだが……と女王を眺める。


 その女王はぷりぷりと怒りながら、赤竜を急き立てていた。


「赤竜!さっさとやっちゃいなさい!この城をぶっ壊してやりますのよ!」

「ほいほーい」

「え、ちょっ……」


 王が止める間もなく、赤竜の少年は天井に向けてくわっと口を開け、勢いよく息を吐いた。


 竜の咆哮(ドラゴンブレス)


 大きな風圧と爆音が部屋に居た人々を襲う。


 王はとっさに隣の妹姫の頭を抱えて守った。


 音が止んで、そろりと目を開けると、謁見の間の天井に巨大な穴が空いていた。


「なんと……」


 宰相が声を漏らしたのは、天井の穴のせいではない。

 謁見の間の中央に、見事な赤い竜が存在していたからであった。


 全身を赤い鱗で覆われた伝説の生き物。

 長い首と尾、背には羽が生え、瞳は縦長の爬虫類のような瞳孔を持ち、口には鋭い牙が生えている。


 ぐおぉぉぉぉぉん!


 竜が、天を仰ぐようにひと吠えする。

 その声に人々は腰を抜かした。


「ちょっと!わたくしと王子まで巻き込んでどうするのよ!考えておやりなさいな!!」


 だが、足元にいた女王だけは扇でぺしぺしと竜の脚を叩きながら説教をしている。


 がう。


 赤竜がちょっと申し訳なさそうに鳴いた。

 なんとも緊張感がない図である。


「ええと、我が国としてはここで竜を攻撃すべきなのかな」

「しかし王、人が竜に勝てるかどうか……」

「うむう。ではとりあえず避難するか」

「そうですね」


 こちらも同じくらい緊張感がないアザル国の王と宰相。

 二人は短い打ち合わせの末、城の人間を避難させることにした。


 避難訓練はよく行っているので、この辺りの手際は万全である。

 宰相がテキパキと指示をし人々が外へと出ていく中、王もラウラ姫と一緒にその場を去る。


 と、そこでミザカール国の王子に見つかった。


「あっ、ラウラ姫が行ってしまいます母上!」

「女王と呼びなさい王子!あらあら、イーリス王、姫を連れていかれては困りますわ」


 急いで謁見の間を出て、回廊を走る。

 後ろで壁が崩れ、赤竜が姿を現し、そのまま王と姫を追いかけてきた。


「兄上様、そんなに早く走れないよう」


 ラウラ姫が可愛い声で訴えてくる。

 確かにフリルがたっぷりのドレスは小さな姫にとって走りにくいであろう。イーリス王は姫をいそいで背負った。


 だが、七歳児を背負ったまま走り続けることは、三十代の体力は酷であった。

 しかも王は日常的に運動不足で基礎体力などほとんどない。


 もっと運動しておくべきだった……!


 後悔先に立たずである。


 完全に息が上がり、膝をついたのは一番近い階段を登りきり、城壁に上がったときであった。


「兄上様、大丈夫!?」


 背から降りたラウラ姫が顔色を変えてイーリス王の前に膝をつく。

 息も絶え絶えになっている王を覗き込む姫の顔は、もうすぐ泣きそうだ。


 泣き顔も可愛いが、王にはデレる体力も無くなっていた。


「ラウラ、私はいいから、逃げなさい」

「いや、兄上様を置いていけないの……!」


 ああ、なんていい子に育ったんだろう。


 王の眦に涙がにじんだ。


「あらあら、情けないわねイーリス王」


 二人の前に、空から赤竜が降り立った。

 大人が五人手を広げて立てる程幅がある城壁の通路が、竜一頭によって埋まってしまう。


 女王と王子は竜の背からイーリス王を見下ろしていた。


「大人しくラウラ姫をこちらへ渡してくださいな」

「結婚は、ただの、口実であろう。姫をどうする、つもりだ」

「あら決まっていますわ。王子の嫁に来ていただきますの」

「は?」

「王子は、ラウラ姫のことがとても好きなんですのよ。欲しいものは手に入れる!我が家のモットーですわ。ということでくださいな」

「馬鹿を言うな。母親が出しゃばって何が欲しいものは手に入れる、だ。ウチの妹はやらん。おととい来い」


 勝手な言い草に温厚なイーリス王の口調が少し荒くなった。


「あらあら、行き遅れ王が何かほざいていますわ」

「行き遅れ言うな!私はラウラが幸せを掴むまで婚姻はせぬと決めた!」

「姫が結婚する頃には貴方五十代ですわよ。馬鹿じゃありませんの」

「アンタに言われたくないわ!」

「母上~。早くラウラ姫とお話ししたいです」

「女王とお呼びなさい。仕方ないわね、少しお待ちなさいな。赤竜、王だけ吹っ飛ばしておしまいなさい」


 がう?


 竜が首を後ろに向けて女王を見た。


「何よ」


 がうがう。


 そして首を振る竜に、女王の眉間に皺が寄る。


「何よ、もしかしてできないの?」


 がう。


「母上、たぶんラウラ姫と王が近すぎるから、王だけ攻撃するのが難しいんじゃないですか」


 がう!


 正解、とばかりに赤竜が首と羽を伸ばした。


「何よ、大技しかできないっていうんですの!?使えない竜ね!」


 がうぅ。


 赤竜が、そんなこと言われてもねえというような表情をした、ように見えた。


「では致し方ないわ、姫と王、一緒に吹き飛ばしちゃいなさい!」


 女王が思わぬ案を出してきた。


 イーリス王がぎょっとする。

 ラウラ姫も傷つけるつもりなのか。


 だが、向こうの王子も驚いたようで、慌てて母の服の裾を掴んだ。


「母上、あんまりです。姫は傷つけないでください」

「女王とお呼びなさい。大丈夫、庭にでも落として気絶させて運んでしまえばよろしいのよ!」

「なるほど賢いですね!さすが母上!」

「おっほっほ!女王とお呼びなさい、そしてもっと褒めなさい!」


 さすがじゃない!そして賢くない!


 城壁から地面まで建物三階分くらいはある。落ちたら怪我で済むかも怪しい。


 ……いざ吹き飛ばされたら、自分がクッションになるしかない。


 王が覚悟を決めてラウラ姫を抱きしめたとき、王の顔にふと影が落ちた。


「ほう、私の妻をどうすると?」


 頭上から、低く、冷たい声が降ってくる。


 女王と王子が辺りを見回し、赤竜の動きが止まった。


 イーリス王が見上げると、そこには黒髪の、黒の長衣を身に着けた美しい青年が浮いていた。


「クロ!!」


 ラウラ姫がぱあっと顔を輝かせ、頭上に向けて叫んだ。

 姫に目を向けたクロは、その一瞬だけ表情を和らげるが、すぐに赤竜と背の人間二人に向けて硬質な声を落とす。


「私の不在の間に随分勝手な振る舞いをしてくれたようだな。赤の国の人間。そして、赤竜」

「あっ、貴方は……黒竜!?どういうこと、力を奪ったのではなかったの!?」


 黒の青年を見て、女王が狼狽えた。


 黒竜の力を無効化する宝石の術はまだ有効なはずだ。その証拠にこの国で赤竜が活動出来ている。


「力を奪う?」


 クロの目が細くなった。そして何か納得するように軽く頷く。


「ああ……この城にあったおかしな石のことか。成程、今となってはよくわかる。あれは確かに厄介だ。おかげで人型でないと活動できなかったからな」

「効いているのに、なぜ」

「説明してやる義理はない。それより我が妻を傷つけようとした報いは受けてもらわねばな」


 クロの長い髪がふわりと舞う。

 顔をひきつらせた女王は、慌てて赤竜に命じた。


「赤竜!黒竜をやってしまいなさい!」


 赤竜は少しためらうそぶりを見せたが、黒竜を見て怯えたように身体をわななかせ、早急な様子で竜の咆哮(ドラゴンブレス)を放った。


「クローっ!!」


 ラウラ姫が悲鳴混じりの声を上げる。


 だが、クロにぶつかる様に爆発した攻撃は、その場でかき消すように霧散した。


「!!」

「なんですって!?」


 赤竜と女王が目を剥く。


「――つたないな」


 攻撃の後には、髪の一本すらも傷ついていないようなクロの姿。

 赤竜の攻撃は全く効いていないようであった。


「力の差を本能で感じながらも、攻撃は止めぬか……。生まれたばかりとはいえ、未熟もよいところ」


 怯える赤竜を見下ろすクロは、少し考えた後、ふい、と遠くを見つめた。


ことわりとは面倒なものだ。私では赤竜を傷つけることはできぬ。であるから――こうしようか」


 言ったと思うと、クロの輪郭が歪み、次の瞬間にはそこに赤竜が赤子に感じられるほど巨大な――金色こんじきの竜が現れた。


「金……神竜しんりゅう!?」


 六つの国を守護せし貴竜を束ねる、金の竜、「神竜」。今、それがアザル国の城の上に存在していた。


 驚きに叫ぶ女王と、声が出ない王に目を向けることなく、金竜は遠くに目線を向けたまま。


 その方向は、南――ミザカール国の方向。


 そちらに向かい、金竜は大きく口を開けた。


 大気が、竜の口に向かって収縮されていく。


 それは、竜の咆哮(ドラゴンブレス)の初動には間違いなかったが、先程赤竜が放ったのとはけた違いの威力であることが分かった。


「ひっ、まっ、待って……!」


 女王が喉に何かが引っかかったような声で金竜に向かって叫ぶ。


 大気の収縮が止むと、金竜は一気にそれを吐いた。


「待って!!わたくしの国がぁ――……!」


 大きすぎて耳に拾えないほどの爆発音が大気を震わし、太い光が南に向かって直線に延びた。

 アザル国から南には大陸でも指折りの高山がそびえていたが、延びる光に削られ、その輪郭を変える。


 光は勢いを殺すことなく延び、ミザカール国をも越え、その更に向こうにあった黄の国の空を割って進み、海を割り、遥か彼方の空まで飛んで行った。


「……」


 黒の国アザル、赤の国ミザカールの国民は、ほぼ同時刻、全員が硬直状態に陥った。


 アザル国に居たメアリ女王は知る由もないが、光の帯が通過した際、ミザカール国の城の塔の上半分が消失してた。そしてその下では宰相はじめ臣下一同が泡を吹いて倒れていたという。


「こ、これが神竜の咆哮……」


 イーリス王が長い硬直から解けたが、神の所業を目にして腰が抜けてしまっていた。


 神竜の「審判」という言葉が頭に浮かぶ。


 国対国において、理不尽な一方的搾取が行われた場合に下るという神の罰。

 国どころか大陸すら滅せられそうなこの咆哮は、受けてしまえば確かに誰も記憶に残すことができないだろう。


「クロ!戻ってきてくれてありがとう!」


 と、横から朗らかな妹姫の声が聞こえた。フリルたっぷりのドレスを翻らせ、城壁に降り立った黒髪の青年に向かって飛びついていく。


「心配かけてすまない。ラウ、怪我はないか」


 青年は、先程とは打って変わって優しい声で幼姫を抱き留める。


「うん!兄上様が守ってくれたから大丈夫だったよ!それよりすごいね!クロ、金色でカッコよかった!」

「惚れ直したか?」

「うんっ!キレイで強くてすごい!」


 無邪気に喜ぶラウラ姫を相変わらずの蕩けんばかりの眼差しで見つめる青年。

 いい加減見慣れた砂糖たっぷりの光景ではあったが、相手が神の竜だと思うと何だかちょっと怖い。


「なんで、神竜がここにいんだよ……」


 見れば、赤い竜の姿は消え、初めに見た赤髪の少年の姿があった。

 横には完全に腰を抜かして涙目の女王と王子もいる。


 そういえば、と王は思った。

 クロは自分のことをこの国の貴竜だと言っていた。なのになぜさっきの彼は金の竜であったのだ?


 黒髪の青年は、笑顔のラウラ姫を片腕で抱き上げたまま赤竜に向き直った。


「このたび神竜の代替わりを行った。前任の竜は隠居、の神竜は私だ」

「そんなこと、聞いてねえよ!」

「わざわざ言わぬでもすぐに分かること。金の色を纏う者は神竜だけだ」

「色、黒じゃねえか……!」

「面倒で代替わりを延ばしていたが、人の暦でつい先月までは黒竜であったからな、一応は。次代神竜として瞳は金でいたが、この国の人間は誰も気づかなかったようだ」


 そういえば、貴竜は「その身と瞳にその国の色を纏う」ことになっている。

 クロの瞳は金……確かに考えてみればおかしいことだったが、竜が人型を取ると知らなかった分には仕方がないのではと王は思った。


「クロ、神竜なのになぜ金髪じゃないの?」


 ラウラ姫が青年の髪を摘まんで不思議そうに言う。


「ラウラと同じ髪の色がいい。それに、金にしてしまうとクロではおかしいだろう?私はラウにクロと呼んで欲しいのだ。よいだろう?」


 姫が全く動揺することもなく「うん!」と元気に返事をすると、クロは女性が見たら腰砕けになりそうな笑顔を見せてラウラ姫の髪をすくい、口づけた。


 その様子を見て、赤竜が愕然とする。


「嘘だろ……神竜が人間の……こんなチビ女に……」


 あ、暴言、キケン。


 王が止めようとしたがすでに遅く、赤竜は城壁の淵に向かって吹っ飛んだ。


「私の妻に向かっての暴言、次に吐くときはその存在を消すときだと思え」


 ぱらぱらと城壁の岩が赤竜に降りかかっているが、おそらく神竜の言葉は聞こえていないだろう。


 イーリス王の頭に小さな疑惑が生まれた。

 今回の神竜の「審判」、もしかして国の話ではなく、単純にラウラ姫を奪おうとしたから下されたのではないだろうかと。


 いや、神の竜がそんなことをするはずがない。そうそんなはずはきっとない。


「さて、人の王よ」


 イーリス王が「身勝手な神竜説」を頭から振り払っていると、珍しくクロの方から王に声を掛けてきた。


「は、はい、何でしょうか」

「約束は果たした。ラウを正式に妻に貰い受ける」

「――はっ?」


 ぱかんと口を開け、王は固まった。


「私は神竜となり、国を守護する貴竜のことわりからは外れた。もはや人であるラウを妻とするに障害はない」

「……ええと」


 分かりにくいがこういうことか。

 貴竜は国を守るのが役目のため、自分の担当する国の人間を嫁にはできないが、神竜となったら竜を管理するのが役目になって、人間は管理対象外だから嫁にするよ、と。


 つまり、この竜は、ええと。


「ラウラを嫁にするために、神竜になってきたんでしょうかね……?」


 王の中に「身勝手な神竜説」がむくむくと再浮上する。


「他になんの理由がある」

「……ちなみにお伺いしますが、代替わりが面倒で引き延ばしてきたのは、一体どれくらいの期間でしょうか」

「人の暦で、ざっと二百年か」

「ええええー」


 駄目だ。この竜と付き合うと毛根が根絶する。


 イーリス王はとうとう白旗を上げた。


 可愛い妹姫と頭皮を天秤にかけた訳ではない。

 これほど身勝手……いやいや、姫に思いを寄せる神竜を誤魔化し、諦めさせるすべはもうないと察したからだ。


 王はうな垂れて、神たる竜に言った。


「妹を……幸せにしてやってください」

「無論だ。竜は約束をたがえない」




 こうして、アザル国の王妹ラウラは、よわい七歳にして神竜に嫁ぐこととなる。


 成長し、稀代の美姫として伝説となるラウラ姫は、神によって長い寿命を得、黒髪の金竜と共に幸福に過ごしたそうな。



 そして。



 そんな物語の片隅で。



 神竜にこてんぱにやられた赤竜が、その後も神竜にしごかれ、すっかり神竜恐怖症になったことや、


 術を施された宝石が神竜によって砕かれた後、「すんませんウチの神竜が~」とやって来た新黒竜が、人型をとったらとても可愛らしい少女だったためアザル国の新しいアイドルになったことや、


 アザル国を得ようとしたミザカール国のメアリ女王の本音が「海が欲しかったのー!」であることを知り、泣きじゃくる女王を慰めていたイーリス王が、なぜか女王に惚れられ、後に婚姻を果たすことになることは、この物語とは全く、何の関係もないことなのである――。



 完

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