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その手をとれば  作者: ななのこ
第1章 行きつ戻りつ冬春の道 【共通】
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 その合コンは、事前に考えていた以上に依子に楽しい時間をもたらした。それは悠季も同じだったようで、『年下と飲むのも悪くないね』と帰り道にメールがきたほどだ。

 恋愛対象として早田や伊藤のことを見られるかというと、可能性はあまり感じなかったが、一緒の空間の居心地は良かった。香織の思惑通りとはいかないまでも、確かに依子は藤代以外の男性と接するのも悪くないと感じることができたのである。


 しかし、その余韻は週明け早々に霧散した。


 その週から三月に入り、仕事がいよいよのっぴきならない状況になってきたのだ。営業も事務もフル稼働の毎日残業で、平日は他のことに思いをはせる暇などない。

 金曜日の午後。依子は血走った目でひたすらパソコンに向かっていた。作業中は意識してまばたきしなくてはならないとわかっているのだが、つい忘れてしまうのだ。

 

「みんなー、あとどんくらい?」


 十九時をまわった頃、課長の太田が居残り組に声をかけた。居残り組といっても、全員残っている。皆が皆、一週間のたまった疲れが顔に出ている。血走った目の依子をはじめ、土気色の肌の営業、目の下のクマが濃い営業事務など、なかなか壮絶である。

 皆がまだですと力なく答え、太田はふーむ…………と少し考えたあと、ぽんと手を打った。


「よし、ピザでもとるか」


 途端に課員の目の色が変わる。


「太田さんのおごりですか!?」

「ばか、そりゃ無理。ちなみに経費でも無理。なんか俺もうおなかすいちゃったからさ~。のる人手あげて~」


 はいはいと課員の半分が手を挙げた。ちなみに依子も挙手派だ。彼女自身も先ほどから何度も腹の虫がうごめいている。

 あげなかった人たちはもう大分メドがついているか、集中作業して早くあがりたいのだろう。


「太田さ~ん。俺たちもそれ、混ぜてくださ~い」


 聞きなれた間延びした声が後方からあがる。藤代が立ち上がり、手をひらひらさせながらこちらに向かってきた。その奥で同期の宮本がまっすぐ手をあげて存在を主張している。


「お、いいぞー、もちろん。じゃ、ちょっとこのフロアの奴に聞いてみるか」


 フロア全体と言っても、藤代の課と依子の課以外の者はほとんど退社している。残っている者も、おそらくもうすぐ仕事を終えるのだろう。結局ピザを取るのは、依子の課から四人と藤代の課から二人である。

 わいわいとメニューを選び、ピザがくるまではとりあえず仕事に集中しようと、各自パソコンに向かった。依子は自分でも驚くほどの集中力で、作業に没頭した。


 ピザが到着したのを機に、依子は全員の分のお茶をいれた。本当は酒だったり、炭酸系の飲みものだったりが欲しいところだが、ここは会社である。

 打ち合わせスペースにいろとりどりのピザが並び、依子のいれたお茶が並ぶ。備品から紙皿を出して、皆に配れば、ちょっとした宴会のようだった。


「よし、食うか。遠慮はなしだ、好きなの食べろよ」


 太田の発声を皮切りに、いただきますと野太い声が響く。そしてその言葉通りに皆一斉にピザに手を伸ばした。

 食べ始めてみて、依子は自分の空腹の状態に気付いた。今なら何枚でも食べれそうだ。食べすぎたらどうしようと心配しつつも、その手は止まらなかった。そしてそれは隣に座った宮本も同じだったようで、


「美味いなー! 俺ピザなんて久しぶりだよ」


と、大口をあけて笑った。

 宮本は依子以上の勢いでピザを食べている。そのせいか口のまわりがケチャップで真っ赤だ。子どもみたいだなと依子は笑う。


「宮本君、美味しいのはわかるけど口のまわりすごいよ」

「ん? そうか?」

「ちょっとふいたら良いかも」


 そばにあったティッシュを渡すと、ちょうど正面に座っていた太田がおーっと反応を見せた。


「蓮見は結婚したら良い奥さんになれそうだよなぁ」

「急になんですか。こんなことくらいで……」


 たかがティッシュを渡すくらい誰にでもできるではないか。

 太田の発言によってその場の全員からの視線を受け、依子は気恥ずかしくなりうつむいた。


「だって、蓮見は結構気がきくからなぁ」

「そんなことないです」

「確かに。このお茶もうまいぞ」

「宮本君も、いいからそういうの!」


 宮本まで太田の援護射撃をしたので、ますます恥ずかしい。依子は焦って、無理やり話題を変えた。







 ピザを食べ終わってから小一時間ほどの残業で、依子は会社を出た。もう大分遅い時間だ。最寄駅につき携帯を見ると、藤代からの着信の知らせがあった。あわててかけなおすとコール音が鳴り始めてすぐに藤代は出た。


「あ、すみません、電話気付かなくて……」

「んー。いいよいいよ。今日これから平吉いかない?」

「はい! わたしもう駅着いたので、先に入ってますね」

「察しが良くて助かります。あ、電車きた。じゃまたね」


 実は藤代との通話を始めてすぐに、依子の足は平吉へと向いていた。彼からの電話の内容といったら、これしかないから。

 残業続きで身体は疲れていたが、依子の心は驚くほど軽い。

 金曜日まで仕事を頑張れるのは、このご褒美があるからかもしれない。

 平吉はいつもの通りすいていて、いつもの掘りごたつ席に案内され、依子は熱燗を飲んで待つことにした。三月に入って、夜はまだ寒いが昼間はあたたかさを感じるようになった。そろそろ熱燗の季節も終わりだな。なんとなく感傷にひたりながら、依子は静かにそれを飲んだ。


「熱燗かぁ、いいね。まだ冷めてない?」


 藤代は席に来るなり、おちょこを手にとった。


「まだきたばっかりです」


 微笑みながら、藤代分のおちょこに熱燗をそそぐ。


「でも藤代さん、マフラーくらいとってからでも良いんですよ」

「だって早く飲みたいもん」


 片手で器用にマフラーをゆるめながら、ほらと藤代がおちょこをあげてみせる。依子もそれにならい、軽く乾杯をしてから、熱燗で喉をうるおした。

 

「やー、美味い! 金曜日の酒はほんと絶品だね」

「同感です。近頃は特にそう感じます」

「わかる。段々仕事もきつくなってきたから、この一杯の癒し効果も上がってるね。でもまだまだ三月はこれからだからね~。いやはや、こわいこわい」

「去年もこんなに忙しかったですっけ? なんかもう思い出せません」

「思い出したくないくらい必死で働いてたよ。俺も蓮見もね」


 げんなりと眉をひそめた依子をみて、藤代は笑った。


「この三月が終わったら、二人でお疲れ会でもしようか。いっつもここで飲んでるけど、その時はどっか違うとこ行こう」

「え、いいんですか?」

「いいよ。何食べたい? 店探しとくからリクエストちょうだい」


 依子は心拍数が上がっているのを自覚し、信じられない思いで正面に座る藤代を見つめた。今日はエイプリルフールではなかろうか。事前に約束して飲みに行くなんて、まるで……


「初めてのデートだね」


 依子の思いを見透かしたかのように、藤代がにんまりと口角を上げる。

 

「……そういう返しづらいこと言わないでください」

「これは失敬」

 

 全然反省はしていない顔で藤代は首をかしげてみせた。なんでこの人はこんなに言動が自由なんだろうか。自分ばっかり気にして損していると、依子は思わずにはいられなかった。


 それから枝豆をつまみに二人で熱燗を楽しんだ。いつもなら食べ物も色々頼むが、今日はピザでお互い腹はふくれていたのだ。


「蓮見は、良いお嫁さんになれるらしいね~」


 何度目かに依子が藤代に熱燗をついでいる時、そう藤代がこぼした。


「そうですね~。なんかそんな話になりましたけど……どうでしょうかね」

「まあ、俺もそう思うよ」


 なみなみ注がれたおちょこに口をつけて、藤代は一度そこで間をとった。


「だって太田さんが言うように気遣い上手だし」

「宮本君にティッシュ渡したことですか?あんなこと、大したことじゃないですよ」

「そう? 俺の彼女はしてくれないよ。もしあの場にいたとしても、お茶だって出してくれないだろうし」

「そ、そうですか……」


 今度は依子が熱燗を飲んで、間を選んだ。

 これもなかなか返答に困る。同情すればいいのか、開き直って自分をアピールすればいいのか……。迷っているうちに藤代は先を進めることにしたようだ。


「しかも蓮見の気遣いって、その人に合わせてあるんだよなぁ。カメレオンみたいだよね」

「カメレオン!?」

「あ、これ褒めてるよ」

「ありがとう、ございます……」


 今日は一体何かあるのだろうか。依子は疑問を抱く。こんなふうに褒められたり、デートの約束をしてくれたり、良いことばかりだと逆に不安になる。

 

「なーんか、疑ってない? 俺って言葉は軽いけど、嘘は言わないんだよ」

「はぁ……」


 まあ確かに藤代はそういう人かもしれない。今までの彼の数々の言動で虚偽のものは、思い出せる限りではなかった。ただし、都合の悪いことは言わないという技を駆使していることは忘れてはいけない。

 

「あれ? 俺って何か信用ないみたいね?」

「そんなことないですけど……、褒められ慣れてないもので」

「かわいいね。蓮見は本当に」


 藤代は微笑んだ。


「俺の前での態度は、やっぱり俺に合わせてるの? それとも素?」


 その笑みがどこか寂しそうに見える、というのは、依子の錯覚だろうか。

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