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藤代に『彼女』がいると知ったのは、去年の春先だった。
同期会で飲んでいる時に、先輩社員たちの恋愛事情についての話題があがったのだ。盛り上がっていたのは主に女性陣で、誰がフリーで誰が既婚者で、誰かと誰かは社内恋愛をしていて……と、なかなか色濃い噂が多く飛び交った。
その話の中で、藤代に大学時代から付き合っている彼女がいると知った。
当時、依子にとって藤代は面識はあるものの遠い存在であり、恋愛対象とも思っていなかったので、ふーんそうなんだくらいの感想しかなかった。
だから、初めて飲みに行った時も、依子は何の気なしに聞くことができたのだ。
『彼女はいいんですか?』と。
それに対して藤代は
『大丈夫。向こうはこういうの気にしないから』
と笑った。
それをうのみにして、最初の頃は彼に付き合っていた。
しかし、飲みに行くことが習慣化して、その時間帯も深夜にかかることが多くなると、さすがに『気にしない彼女』だって怒るだろうと依子は思った。
だから、もう一度依子は聞いたのだ。
藤代が依子からのお金を受け取るようになってしばらくしてからの時期。お互い良い調子で酔っぱらっていた時を狙って、依子はその懸念をぶつけた。
彼女はこのことを知っているのか。怒っていないのか。大丈夫なのか、と。
藤代から答えが返ってくるまで、依子の胸はキリキリと痛んだ。胃が悪い意味で収縮する感覚で、吐き気すらともなった。
本当はそんなことを聞きたくなかった。聞いたら終わると思っていたから。
けれど聞かずにはいられなかったのは、確かめなければ、それこそ彼にはもう会えないとかたくなに思っていたから。
『蓮見はしっかり者だね』
藤代は前に聞いた時と同じ表情で笑った。
『大丈夫。俺信用あるんだ』
『……何だか、うさんくさいんですけど……』
依子が正直に言うと、藤代はふきだした。
『わかってるじゃん。蓮見、やるねぇ』
『だって……』
『だから、蓮見はそのまましっかりしてて。俺につけこまれないように。今のまま甘えさせてよ』
『なっ……』
予想外のことを言われて依子は頭が一瞬真っ白になった。頭の中で藤代の言葉を反芻して、瞬時に耳まで熱くなる。
なんて自分勝手で、傲慢で、屁理屈で、わがままなんだ!!
自分の持つ少ない語彙からありったけの言葉で文句を言おうとしたが、依子は結局何も言えなかった。
ずるい言葉でしかないというのに、一分の甘さを見つけてしまったから。
「あと少し、食べといた方がいいんじゃない?」
不意に隣からかかった声で、依子は我に返った。依子は考え事をしていると手がとまる癖があり、今も箸が麺をすくおうとした状態で止まったままだった。
「ほんと、蓮見ってわかりやすく考え事するね」
隣の藤代がおかしそうに笑っている。彼はとっくに食べ終わっていたようで、どんぶりは空だった。
「今度は何思い出してたの?」
「内緒です」
恥ずかしさをごまかすように、依子はその後もくもくとラーメンを食べることに専念する。ほとんど食べ終わっている状態だったので、すぐに依子のどんぶりも空になった。(塩分を気にしてスープは飲んでいないが)
「あーあ、今日が金曜日だったら、このまま飲みに行けたのにね」
「残念です」
「なんか言葉軽くない?全然残念そうに聞こえないんだけど」
「そんなことないですって」
こんなところでそういう反応しないで欲しい。
依子は藤代を軽くねめつけた。