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やべー。これ、まじでやべー。
早田は、もう帰りたいと心中で弱音を吐きながら、円卓を囲む面々の顔を見まわした。
悠季は真顔、伊藤はしかめ面、藤代はうすら笑い、そして依子は顔面蒼白。場に漂う空気は緊迫感が漂い、容易に声をあげるのを躊躇させるほどだ。
お互いがお互いを牽制し合うような中、その沈黙を破ったのは伊藤だった。
「……蓮見さん」
いつのまにか彼は普段の表情に戻り、依子を見つめている。依子も呼ばれたことで顔をあげたが、その表情はつらそうに歪んでいた。
「松本さんの言ったこと、本当ですか?」
よっちゃん、ばか! 追いこむな!
あんまりな伊藤の質問に憤り、早田は伊藤を睨みつけたが、彼はそれに気付かない様子で依子を見つめ続けている。その視線には怒りは浮かんでいなかったが、悲しみはあらわれていた。その表情を見て、早田はうっと息をのむ。
何も言えなくなった早田を見てか、それともそんなことは気にしていないのか、藤代は「伊藤君」と穏やかな声で呼びかけた。
「そういうの愚問って言うんだよ」
言われて伊藤はぴくりと片眉を上げて藤代を見る。にらみつけるような視線を受けても、藤代は穏やかにそれに応えた。
「蓮見の様子を見たら、本当かどうかなんてわかるでしょ。大事なのは松本さんが言うように、どうして蓮見がそんな嘘を俺達につかなくちゃならなかったかってことの方」
「……その理由、あなたはわかるんですか」
地を這うような伊藤の声に、藤代はあっけらかんと「ん? わかんないけど」と軽く受け流す。
「なっ」
伊藤は絶句して、驚きと怒りに身を震わせている。早田も藤代のマイペースさに言葉を失った。
そんな中である。依子が「ごめんなさい!」と声を震わせた。一斉に全員の視線を浴びて、依子は頭を下げる。その姿は普段よりひとまわり以上小さく見えた。
「二人の気持ちは嬉しかったの。でも……自分の気持ちがわからなくて……そんな状態で二人に会うのが申し訳なくなって……だから、一人でしっかり考えたくて……」
嘘をついてごめんなさい。言いながら我慢できなくなったのか、依子の目から涙がこぼれ出す。
こうなることを予測していたのか、悠季がさっとハンカチを依子に渡せば、彼女はうなずいて目頭を押さえた。
悠季がそっと依子の肩を抱き、藤代と伊藤を見据える。藤代は穏やかに微笑んだまま「蓮見」と声をかけた。顔をあげない依子を気にすることもなく、藤代はゆったりとした調子で語りかける。
「俺達と離れて考えたいんだったら、そう言ってくれて良かったんだよ。そんなふうに思いつめる前に相談してくれれば、俺だって、多分伊藤君だって自重したし」
はい、と小さく答える依子を尻目に、悠季は藤代をにらみつけた。
「……彼女に言わせなかったのは、あなたたちでしょう」
「ちょ、悠季さん」
ここでまた爆弾を投下されたらたまらない。早田は必死で悠季に視線を送って、『穏やかに! 抑えて!』と手ぶりでも示したが、彼女はこちらを見る様子がない。咄嗟に「一旦落ち着いて……」と口を開いたが、早田は一歩遅く、それにかぶせて発せられた悠季の声の方が強かった。
「あなたたちが自分の気持ちばっかり押しつけるから、依子はそれに応えようと頑張りすぎちゃうんです。本当に二人とも依子のことを好きなんだったら、もっと彼女の気持ちを大事にして、これ以上追い詰めないでください」
あちゃー……と早田は隠すこともなく頭を抱えた。これはかなり破壊力のある攻撃だ。伊藤と藤代の反応を見るのが恐ろしい。先に依子に視線を向けると、彼女は大きく首を横に振っていた。
「違う! 違うの! 二人のせいじゃないの。二人は悪くない……」
言いながら、依子の泣き方が激しくなっていく。泣き声をあげないように苦心していることで、肩が大きく震えていた。
こんなふうに誰かが苦しそうに泣く姿を見るのは久しぶりだった。前に別れた彼女も最後は泣いていたが、こんなにつらそうではなかった。
何故彼女がこんなにも泣いて、謝って、悲しい思いをしているのだろう。本当にこんなふうに会うことで、問題が解決するのか? これが、依子のためになることなのだろうか。
早田の胸に疑問が起こったのと、藤代が口を開いたのは同時だった。
「……蓮見を追い詰めてるのは、松本さんの方じゃないかな」
その視線は悠季にまっすぐ向いている。
藤代の表情は穏やかで、笑みすら浮かんでいたが、その目には鋭い光があった。それは早田ですら一瞬びくりと背筋が伸びるほどの冷たさを含んでいる。
「どういうことですか」
それに応じる悠季の声は低かった。怒ってる、と早田はこちらにも震えあがる。しかし藤代は肩をすくめて、余裕の表情で悠季に告げた。
「そうだなぁ……まず一つは、松本さんに言われなければ、俺は蓮見が帰省してないことなんて知らなかったってこと。お土産をもらってのんきに喜んでただろうね。でもそれを松本さんが暴いた。ね、なんでばらしたの? 蓮見に許可はとったの?」
悠季は答えられずに、顔を強張らせている。帰省していないと悠季が言った時、依子が目を見張ったのを早田も見ていた。その反応から早田ももしかしてと思ったのだ。もしかして悠季は依子に、嘘をばらすことを伝えていなかったのではないだろうか、と。
そして藤代の言葉が図星だったからこそ、悠季は今口を真一文字に結んでいるのだろう。それを察したのか藤代は微笑んで、更に続けた。
「気付いてる? さっきから蓮見は松本さんの言葉のせいで泣いてるんだよ。松本さんに嘘をばらされて俺達に謝る羽目になって、松本さんが俺達を責めたから、それを守るために今度は泣いて……。あなたが俺たちを責めることで蓮見が自分を責めてしまうかもしれないって、想像できなかったかな? 彼女の性格ならそれくらい考えちゃいそうじゃない?」
その言葉にはっとさせられたのは、早田だけではなかった。悠季も伊藤も、驚きで固まっている。依子はずっと肩を震わせていて、その反応はわからない。藤代はそんな依子に慈しむような視線を向けた後、再度悠季に視線を合わせる。
「今日この場を設けたのは何のため? 俺達を糾弾するためだったんでしょ? でもその方法としては、ちょっと考えが足りなかったね」
チェックメイトだ。
早田は思う。
藤代と悠季では、残念ながら藤代に理がある。早田にはそう見えた。しかし、それでも悠季は藤代を強い瞳で見据えて言った。
「……でも、あなたたちが依子を苦しめているのは事実です」
藤代は、悠季の反撃にも目を細めただけだった。小さくうなずいて「そうだね、今日初めてそれは分かったよ」と答える。
「……でもね、恋愛なんてそんなもんじゃないの? 誰かを好きだと思ったらそれを伝えたいし、相手に振り向いてほしい。これは伊藤君も同じでしょ?」
伊藤は不意に話を振られたことに驚いた様子だったが、しばらく藤代と依子を交互に見た後でうなずいた。それを受けて藤代は笑みを深め、反対に悠季は苦虫を噛んだような表情になる。
「もちろん松本さんの言うように、蓮見の気持ちもすごく大事だよ。だから……ねぇ、蓮見」
藤代はそう呼びかけて、依子の視線を向けさせる。
「俺達が蓮見を好きなことも、返事をのんびり待ってることも、全部自分がしたくてしてることだよ。そこのところわかってね。だから蓮見は自分を責める必要なんてないんだ。そんなことに悩むんだったら、俺達の良いところでも比べてくれた方が遥かにましだよ」
そのおどけた言い方に、依子は小さく微笑んだ。涙にぬれた瞳に少し明るさが戻ってくる。
「ありがとうございます」
「……俺からも良いですか」
これまでずっと声を発してなかった伊藤が、ここでようやく動いた。その表情は普段よりは少し心もとなかったが、声音はいつも通り落ち着いている。
「これまでずっと蓮見さんが悩んでいることに気付かなくてすみませんでした。これからは蓮見さんが悩まなくていいように頑張りますから、蓮見さんも遠慮しないで素直な気持ちを教えてください。その方が俺も嬉しいです」
「うん……ありがとう」
依子は伊藤にも微笑みを返す。
場の空気が柔らかく変化し始めている。このまま和やかになってくれ、と願いをこめながら早田は明るく言った。
「はいはい、じゃあみなさん、そろそろ小龍包食べましょう! この後どんどん料理きますから!」
そして自分が先陣を切って、それを食べる。小龍包はとっくに冷めていたが美味しかった。ようやく味を感じることができた、と言った方が良いかもしれない。先ほど食べた前菜は、まったく味わう余裕がなかったのだ。
「うん、うまいです!」
「そっかー、じゃ俺もいただこうかな~」
早田の言葉に藤代が合わせ、彼も箸を手に取る。他の面々もそれぞれ食事を再開した様子に、早田は胸をなでおろした。
それでもまだ眉根を寄せたままの悠季が気になったが、それは依子も同じだったようだ。依子は飲み物に口をつけた後、彼女の肩にふれ何事かささやいた。それを聞いた悠季の表情が一変し、あきらめたような笑みをこぼした後、彼女に向かってうなずく。依子もそれに微笑みを返し、彼女自身もまだ残っていた前菜に手をつけはじめた。
このまま場が落ち着きますように。普通の飲み会らしくなりますように。
早田は心底願いながら、ビールを飲みほした。




